1184年(2) 1185(2)年
義経は後白河院の同意を得て、彦島へ平家追討に向かう
1185年範頼が対平家で苦戦し、義経は後白河院に四国への出陣を要請、屋島(現・徳島県)の平家を破り、熊野水軍を手に入れ、兄頼朝に頼らず、本拠地彦島(現在の下関沖)の平家討伐を目指した。 |
概 略 |
1185年
(元暦二年) |
1月10日 範頼の苦戦により、西国武士が平家に寝返ることを懸念した義経は後白河院に四国への出陣を申請。朝廷でも短期決戦に同意する。 |
1月26日 範頼は豊後国緒方惟栄・臼杵惟隆兄弟が味方につき船を提供を受け、九州に渡る。 |
義経は、摂津渡辺津で畿内水軍の組織を行い、2月16日に屋島に進攻。2月19日背後を突かれた平宗盛は安徳天皇の安全を優先し、戦わず海上に逃れる。屋島合戦の勝利により、熊野水軍が義経傘下に入り、大規模な水軍力を持った。義経は使者の往復で時間がかかるため、頼朝の指示を仰がず、独断で水軍を動かし、平家の拠点彦島を目指した。 |
資料 |
『世界史大年表』(山川出版社)石橋秀雄 他。 |
『天皇の国史』(竹田恒泰著 PHP研究所) |
『頼朝と義時 武家政権の誕生』(呉座雄一 講談社現代新書) |
クロニクル鎌倉幕府 鎌倉幕府の歴史 日本中世史関連 日本古代史関連 クロニクル「日本」 テーマ史《INDEX》 ホーム
|