概 略 |
1156年
(保元元年) |
鳥羽上皇崩御すると、崇徳上皇が近衛天皇を呪詛し、叛乱の準備をしているとの噂が流され、後白河天皇は平清盛や源義朝(頼朝の父)らを起用して崇徳上皇を攻撃し、捕らえ配流とした。;保元の乱
源義朝の父為朝は崇徳上皇側つき滅亡。義朝が河内源氏の棟梁となる。 |
1158年
(保元3年) |
後白河天皇は二条天皇(78代)に譲位して上皇となる。 |
1159年
(平治元年) |
平治の乱;後白河院政派の源氏と二条親政派の平氏との抗争で、平清盛が源義朝を破る。
源氏が没落し、平氏一門による武家政権が成立。しかし、上皇、天皇とも力を落とし、武家政権が政治の軸となる。(以降1868年徳川幕府崩壊まで)
義朝の子頼朝は池禅尼に助命され伊豆に配流。頼朝13歳くらい。 |
1164年
(長寛2年) |
崇徳上皇が流刑先で行った大掛かりな写経の受け入れを後白河上皇に拒絶され、憤死。以降、飢饉、洪水、社会不安などや平氏の没落まで崇徳上皇の祟りとされた。 |
平氏政権(1167〜1185年);今日では、この時から「中世」とする考え方が一般的。 |
1175年
(安元元年) |
源頼朝が、頼朝の監視役である伊東祐親の娘八重と通じ、祐親が頼朝を殺害しようとし、頼朝は北条氏へ逃げる。 |