概 略 |
901年
(昌泰4年) |
第61代朱雀天皇(藤原基経の孫)の代で摂関政治復活。藤原氏などが荘園を大規模に所有し、政治が腐敗。増税、民衆の貧困化、治安悪化を招く。地方の国司は住みつき「武士」化。 |
922年 |
渤海使、越前に来着(最後の渤海使) |
929年 |
対馬に来着の新羅使を放還(最後の新羅使) |
935年
(承平5年) |
平将門の乱(承平・天慶の乱);将門、伯父国香を殺す。 |
936年
(承平6年) |
紀淑人を伊予守に任命;南海道の海賊多数帰順 |
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平将門、伯父良兼を下野に破る |
937年
(承平7年) |
関東諸国に将門追捕の官符を出す |
938年
(天慶元年) |
平将門、興世王・源基経と武蔵武芝の争いに介入 |
939年
(天慶2年) |
11-平将門、常陸の国府、次いで下野・上野の国府を襲い、新皇を自称 |
12-前伊予掾の藤原純友が、南海で反乱 |
940年
(天慶3年) |
2/5- 純友、淡路国の兵器庫を襲撃して兵器を奪う。京の各所で放火が頻発。京都周辺の不満分子・盗賊なども取り込む。 |
2-平貞盛、藤原秀郷ら、将門を討つ。 |
2/25- 将門討伐の報を受け、純友は根拠地の日振島に引き返す。 |
8‐、純友は400艘で出撃、伊予国、讃岐国を襲って放火。備前国、備後国の兵船100余艘を焼いた。更に長門国を襲撃して官物を略奪した。 |
10‐ 純友、大宰府と追捕使の兵を破る。 |
11‐ 純友、周防国の鋳銭司を襲い焼く。 |
12‐ 純友、土佐国幡多郡を襲撃。 |
941年
(天慶4年) |
2‐ 純友軍の幹部藤原恒利が朝廷軍に降り、朝廷軍は純友の本拠日振島を攻め、これを破る。純友軍は西に逃れ、大宰府を攻撃して占領する。 |
2‐ 純友の弟の藤原純乗は、柳川に侵攻するが、大宰権帥の橘公頼の軍に蒲池で敗れる。 |
5‐ 小野好古率いる官軍が九州に到着。好古は陸路から、大蔵春実は海路から攻撃した。純友は大宰府を焼いて博多湾で大蔵春実率いる官軍を迎え撃った。激戦の末に純友軍は大敗、800余艘が官軍に奪われた。純友は小舟に乗って伊予に逃れた。 |
6‐ 純友は伊予に潜伏しているところを警固使橘遠保に捕らえられ、獄中で没した。 |