Title9-3.GIF (2758 バイト) 日本 940年 Japan

901年 gya_l_bg.gif (1060 バイト)  gya_r_bg.gif (1063 バイト) 1175年

平将門と藤原純友の反乱


  940年、摂関政治への不満から、平将門の乱、瀬戸内では藤原純友の乱が発生。ほぼ同じ時期に起きていることから、承平天慶の乱ともいう。日本の律令国家衰退と武士のおこりを象徴したものであった。「東の将門、西の純友」という言葉も生まれた。 鎮圧には平将門の乱の方に平貞盛が率いる平氏の、藤原純友の乱の方に源経基が率いる源氏の力を借りたので日本の世に源平二氏が進出するきっかけにもなった。

概 略
901年
(昌泰4年) 
 第61代朱雀天皇(藤原基経の孫)の代で摂関政治復活。藤原氏などが荘園を大規模に所有し、政治が腐敗。増税、民衆の貧困化、治安悪化を招く。地方の国司は住みつき「武士」化。
922年  渤海使、越前に来着(最後の渤海使)
929年  対馬に来着の新羅使を放還(最後の新羅使)
935年
(承平5年)
 平将門の乱(承平・天慶の乱);将門、伯父国香を殺す。
936年
(承平6年)
 紀淑人を伊予守に任命;南海道の海賊多数帰順
   平将門、伯父良兼を下野に破る
937年
(承平7年)
 関東諸国に将門追捕の官符を出す
938年
(天慶元年)
 平将門、興世王・源基経と武蔵武芝の争いに介入
939年
(天慶2年) 
 11-平将門、常陸の国府、次いで下野・上野の国府を襲い、新皇を自称
 12-前伊予掾の藤原純友が、南海で反乱
940年
(天慶3年)
 2/5- 純友、淡路国の兵器庫を襲撃して兵器を奪う。京の各所で放火が頻発。京都周辺の不満分子・盗賊なども取り込む。
 2-平貞盛、藤原秀郷ら、将門を討つ。
 2/25- 将門討伐の報を受け、純友は根拠地の日振島に引き返す。
 8‐、純友は400艘で出撃、伊予国、讃岐国を襲って放火。備前国、備後国の兵船100余艘を焼いた。更に長門国を襲撃して官物を略奪した。
 10‐ 純友、大宰府と追捕使の兵を破る。
 11‐ 純友、周防国の鋳銭司を襲い焼く。
 12‐ 純友、土佐国幡多郡を襲撃。
 941年
(天慶4年)
 2‐ 純友軍の幹部藤原恒利が朝廷軍に降り、朝廷軍は純友の本拠日振島を攻め、これを破る。純友軍は西に逃れ、大宰府を攻撃して占領する。
 2‐ 純友の弟の藤原純乗は、柳川に侵攻するが、大宰権帥の橘公頼の軍に蒲池で敗れる。
 5‐ 小野好古率いる官軍が九州に到着。好古は陸路から、大蔵春実は海路から攻撃した。純友は大宰府を焼いて博多湾で大蔵春実率いる官軍を迎え撃った。激戦の末に純友軍は大敗、800余艘が官軍に奪われた。純友は小舟に乗って伊予に逃れた。
 6‐ 純友は伊予に潜伏しているところを警固使橘遠保に捕らえられ、獄中で没した。


資料  『世界史大年表』(山川出版社)石橋秀雄 他。
 『天皇の国史』竹田恒泰著 PHP研究所
 Wikipedia「承平天慶の乱」


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