原潜、日本寄港から40年


佐世保に寄港した原潜ブレマートン(2001年9月20日)

 1964年11月12日の佐世保港への原潜シードラゴンの寄港から40年がたちました。以来、佐世保への原子力潜水艦寄港は235回を数えます。そして今日まで日本(他に横須賀、勝連町ホワイトビーチ)への原潜の寄港は1,100回を超えるに至りました。


佐世保への原潜寄港回数(1982〜2003)

 佐世保への寄港は米ソ冷戦構造の崩壊とともに増え始め、「北朝鮮危機」の94年にピークを迎えたのちに減少。その後、佐世保にアイアン・コールドとよばれる高圧電力・スチーム供給施設が完成した97年には過去最高の23回となりました。その後も従前よりは寄港数が多い状態が続いています。とくに最近は1時間以内の「寄港」が多く、それは通信では送れない、「収集したデータ」の受渡と言われています。

 太平洋配備の米攻撃型原潜のうち10隻が98年1月から00年5月までの間に「核攻撃能力の認証」を与えられていることが明らかとなっています。うち9隻は佐世保にも寄港しており、最近急増していています。
 94年当時の「核態勢見直し」でも、また02年8月のブッシュ政権下初の「国防報告」でも、有事に攻撃型原子力潜水艦に核弾頭付きのトマホークを再配備する方針を明記しています。

 一方、米軍はテロ事件後の01年9月21日以降、原潜の出入日時や関連情報の非公表を外務省に要請し、寄港地の自治体もそれに応じています。その適用第1号は01年9月20日に佐世保に寄港した原潜ブレマートンでした。入港情報は通達の出る前であったので事前公表されましたが、その出港情報は事前公表されませんでした。その後の佐世保寄港回数は63回にのぼります(04年11月11日現在)。
 ハワイ沖で米原潜グリーンビルが練習船えひめ丸を沈没させた事故があっただけに危険きわまりない事態が続いているのです。

 米軍有事体制のもとで攻撃型原潜への核トマホーク配備が濃厚なだけに、核持ち込みの疑惑は強まるばかりです。そんな中、04年7月28日未明、寄港中の原潜ラ・ホーヤ(核攻撃能力認証済)がケーブル火災を起こすという前代未聞の事故が発生しました。佐世保市の原潜寄港地である赤崎町の斜面の家からは原潜までわずか百数十メートルの距離しかありません。今日でも原因究明・再発防止の手だては全くとられていません。幸いにも「ボヤ」で済みましたが、一歩間違えば大惨事にもなりかねない危険性が原潜にはあること、そしてそれが現実に起こりうることが明らかとなっています。

 佐世保市は『原子力艦事故対策マニュアル』を作成し、02年から防災訓練を実施しています。しかし肝心の米海軍は「原潜は事故はおこりえない」として参加を拒否しています。外務省も米軍に追随していましたが、04年の訓練には参加を表明しています。

 01年に出されたアメリカの『四年期国防見直し』でうたわれた西太平洋の攻撃型原子力潜水艦の母港はグアム基地に決まりました。第15潜水艦隊が創設され、当面は3隻の原潜が配備されることになりました。そのうちの2隻は「核攻撃能力の認証」を与えられたサンフランシスコとヒューストンです。
 さらに遠征攻撃群の配備によってグアムを母港とする原潜と佐世保の米艦船が軍事行動を展開することになるでしょう。佐世保への寄港回数が増え、その危険性が増すとともに、東アジアの緊張がいっそう高まることが懸念されます。