奄美大島最終日になった。明日は、絶対にパスできない会議があるので、どうしても飛行機に乗り遅れるわけにはいかない。
6時30分に起床し、音を出さないように帰り支度をした。問題は、左手首のけがである。湿布の効用で、痛みは大部引いてきたが、治ったわけではない。手首のことを考えて、テント他重い荷物は、宅配で送ることにした。
朝食は、宿が用意してくれたパンが2個並んでいた。 奄美大島では有名なパン屋のものらしい。味は抜群である。しかも大きいので2個でも十分だ。 コーヒーとレモンティを飲んだ。
次回来るときは、沖永良部島と与論島にしようかと思っていたが、奄美大島は、やはり良い。外せないと言うことを、改めて感じた。
さて、今日の予定であるが、家内から頼まれたおみやげはまだなので、これが最優先課題だ。とりあえず、5000円以上買えば送料が無料になるので、BIGUに行く。次は海だが、締めに土盛海岸で泳ぎたい。もう一カ所どこにするか。太平洋岸なら、「神の子」周辺だろう。それより飛行機の時間は、奄美発17時40分。ということは、遅くとも17時にバイクを返却しなければならない。・・・
廊下で、3週間の予定で泊まっている福岡君と話ができた。毎日潜ったり、ボディボードを楽しんでいたという。「またどこかで会おう!」と、挨拶をした。 最後に、宿の奥さんから奄美大島の話を聞いた。
そんなことをしていたら、8時30分になってしまい、あわてて宿を出た。
ふと見ると、店の片隅に、「スイジガイ」の貝殻が、お守り代わりに飾られていた。かつて与論島の海で、泳いでいるときとったこともあるし、よく知っているので、貝の話題になった。話の流れで、店の女将さんが、おみやげにくれるという。一度は固辞したが、何個もあるというので、つい甘えてしまった。貝殻を戴いた喜び以上に、温かいおみやげをいただいた気持ちになった。
何か心が温まる、気持ちの良い夜だった。昼間のけがのことを、すっかり忘れていた。
奄美大島に来たら、また寄ることを約束して店に出た。あれだけ食べて1800円だった。満足だった。
食事をしていると、突然沖縄からハーフの女性が1人、店にやってきて、「どこか安い宿はないか」という。 話を聞いていると、どうやら同じ船でやってきたらしい。近くのホテルは4500円で高いので、3000円以内の宿がほしいという。結構美人の方だったので、そこにいた若い2人組の男性客も入り、店全体で宿探しになった。若女将は、片っ端から電話をかけてくれていた。私も、ここぞと言うばかりに、知っている宿の名前を挙げた。
残念ながら、私が泊まっている宿は、満杯だと断られたという。
どうにか、「七福神」所に決まり、宿の方が迎えにくる手はずになった。
決まると、みんなで乾杯し、なぜか記念撮影になった。 もちろん、店の方も入ってである。
何ともいえない、うれしい気持ちになった。奄美大島の人々の持っている優しさや雰囲気に、私は感動した。
今日で最後かと思うと、なかなか海からあがれなかった。
魚の仲間は逃げ足が速く、なかなか写真におさまらなかったが、十分楽しめた。
シュノーケリングを楽しんでいたら、頭上でなにか動く物が・・・・なんだろうと空を見上げたら、赤いパラグライダーが飛んでいた。 手を振ったが、反応はなかった。
海の中は、いろいろな種類のサンゴが生息していた。 そして、何種類もの魚が群れを作り、楽しそうに遊んでいた。
もう当分奄美大島には来られないだろう。交通費がかさむ。早割の飛行機を使っても、往復60000円。やはり大きな金額だ。そう思ったら、帰りに見える景色を、片っ端からカメラの納めたいという衝動に駆られた。
いよいよ、今回の奄美諸島の旅は終わりに近づいている。海に入れるのは、後1回きりだ。土盛海岸しか考えられなかった。島の南部に行くには時間的に厳しいが、あったとしても、ここを選んだろう。
正確な地名はわからない。しかし、近くにあるバス停の名前から推察した。シャワーはないが、この海の色を見ていたら、我慢できなくなり、シュノーケリングを始めてしまった。
たくさん海の中にいた。そして、たくさん泳いだ。
クマノミを始め、多くの魚たちを見ることができた。 美しいサンゴも、たくさん視界に納めた。
「もう、いいかな」 という気持ちになり、この美しい土盛の海から上がることにした。
もちろん、まだここを立ち去る気はない。 真水を浴びて塩を落とした後、ベンチに座りながら、美しい景色を思う存分楽しんだ。写真にも撮ったが、写真にすると、この美しさが半分も残せないことを経験している。デジカメのメモリへと、そして頭の中に風景を納めた。
続いて、蓋付きのパットに、貝殻やサンゴを拾い始めた。
まさに、サンゴの水族館の思われるほど、たくさんのサンゴが生息していた。
最初のうちは、周りの景色に注意を払いながら観察しているが、そのうち、自分の世界に入ってしまった。
そのときである。突然私のすぐそばで呼び止める声が聞こえた。何だろうと思ったら、ライフセーバーが私のすぐそばにいた。あわてて、周りを見回す。そんな沖に出た感じでもない。でも、一番沖あいにいるのは私であった。
「このあたりは潮の流れが速いので、陸地の方へ移動して下さい」と言われた。私の生命を考えての提案だったので、異論はなかった。逆にお礼を言って、岸の方に向かった。
どうやら、この土盛海岸にライフセーバーを常駐させることになったようである。
もう海にはいる気はなかった。 しかし、最後の悪あがきをするかのように、バイクに乗り、笠利灯台の方へ向かった。灯台まで行けば、着替える時間がなくなるので、途中で引き返すつもりだ。それでも、1分1秒でも多く、奄美大島の風に吹かれていたかった。そんなぎりぎりの距離まで走らせた。 もう写真を撮る時間も惜しかった。
用海岸の、少し先で、Uターンした。
あやまる岬の下の更衣室で着替えた。最後に、きれいに水で全身を洗った。
荷物をまとめ、ガソリンを満タンにしてからバイクを返した。今回、ずっと異音に悩まされたので、店の人にそのことを告げた。
17時、空港で搭乗手続きをした。 母へのおみやげも買った。 鹿児島経由で、後は東京に戻るだけだ。
7泊8日の島旅・・・それは、私には、あまりにも短い時間であった。
7月27日午後8時40分、沖永良部島を出発したマルエーフェリーの「なみのうえ」は名瀬新港に接岸した。 当然だが、もう真っ暗になっていた。
思えば23日の早朝、これまた真っ暗いうちに出発し、4泊5日の離島旅であった。初めて足を踏み入れた徳之島、沖永良部島。それぞれの島の良さを感じた。
夜の桟橋に横たわる船に、船旅の感傷にふれていたかったが、たつや旅館では私を待っているので、少しでも早く戻ろうと思い、まっすぐ宿に行った。 私の部屋は布団まで敷いてあった。
お風呂は11時までということで、早く入りたい気持ちもあったが、荷物を部屋に入れると、すぐに夕食を食べに出た。
「またくるよ」と約束した「木の花」である。 すっかり私のことを覚えていてくれ、渡った島の感想を聞かれた。この奄美大島は何度もきたことがあるので、何かふるさとに帰ってきたような感覚だった。
黒糖焼酎を傾けたいところだが、まだ風呂も入っていないし、帰りの支度もまだだったので、ウーロン茶にしてもらった。 「鶏飯小」「油ソーメン」・「島豆腐」・「豚味噌」・「大根の煮付け」・・・・・実によく食った。 胃袋も心も満足だった。