またまた先頭を切って、船からバイクに乗って下りた。桟橋の建物の中にある観光案内所に行き、観光地図などの情報を入手した。
 空はまだ黒っぽい雲が漂っていた。徳之島ではキャンプしたが、雨が心配なので、ここでは安い宿を探そうと思った。そこで、事前に調べておいた「ビジネスホテル・司」に電話した。運良く空いていると言うことで、とりあえず1泊宿泊をお願いした。
 バイクで向かう。ところが予想よりも近く、通り過ぎてしまった。どうも今回は、道に迷うことが多い。

 宿泊カードを書く段階になり、3150円の素泊まりにするか、2食付きの4500円にするかで少し悩んだ。徳之島では食事に不自由したので、2食付きの方を選んだ。2階の部屋に荷物を運び、海で泳げる最低限の荷物だけを持って、バイクで出かけた。2階は6部屋ほどあったが、どうやら私だけのようだった。浴室と洗面所は共同だが、エアーコンと液晶テレビは自由に見ることができた。

沖永良部島

 宿に着いたのが、18時50分。部屋に行っている時間がないので、今日もそのままレストランに入った。
今日は、魚のフライと冷や奴だった。

田皆岬

 本当は、ここ屋子母海岸で1日過ごしたいと思った。しかし、沖永良部島の滞在時間は2泊3日。それほど大きくない島なので、全部回りたい。そんな揺れる心のまま、次の場所に移動した。海岸線に沿って、北上していく。目指すは、田皆岬。

 今回、初めて、マルエーラインの船に乗った。和泊港の待合所で乗船券とバイク代を払い、桟橋で待つことになった。ところが、指定された場所は、すぐそばに一緒に乗り込む「豚さん御一行」がいて、くさくてたまらなかった。フォークリフトが忙しく「なみのうえ」の荷物の積み卸しをしていてた 。周りの車は窓を閉めていた。結局豚さん達と一緒に、15分ほど待たされた。
 ようやく船内に入り、2等席のエリアに行った。空いている席に横たわり、速攻で寝た。

 以前どなたかのHPで、沖永良部島に来たら、ここだけは寄った方がいいという記事が出ていた。そのため、ここだけは外せないなと思っていた。
 昇竜道の出口にバイクを置いた。先ほど腰を打って、しばらく固まった状態でバイクを走らせていたら、腰に激痛が走った。どうにかバイクを倒さないように置いたら、膝をついた状態で、その後の行動がとれなくなった。立つことも、横になることもできない状態で、しばらく痛みが動くのを待っていた。どうにか、仰向けに倒れる状態まで回復したので、半分日射しを受けながら、痛みが消えていくのを待った。もし誰かと一緒に行動していたら、即ドクターSTOPがかかっただろう。
 さらに20分近く耐えたら、どうにか起き上がれるところまで回復した。 この状態のまま鍾乳洞に入って大丈夫なんだろうか不安だったが、私が倒れていたら、誰かが見つけてきっと助けを呼んでくれるだろうと、変に脳天気になってしまった。それだけ、痛みが大きく、冷静な判断ができなかった。
 よろよろ、入り口の方へ歩く。たっている樹木に手をかけようとして、慌てて手を引っ込めた。 なんと鋭いトゲが出ている木だったのである。

 続いて、すぐ近くにある国頭小学校へ行った。よくテレビコマーシャルにも出てくる「日本一のガジュマルの木」がある学校だ。昨日は逆光で、今ひとついい写真がとれなかったのでリベンジである。

 なるほど立派な木が、校舎の近くに立っていた。先日、徳之島でキャンプした木よりも大きかった。不法侵入になるといやだったので、校庭側から職員室の方に行きかけたら、運良く女性の先生にお会いし、写真を突ことを許可してもらった。これで心おきなく撮れる!何枚か撮り始めたが、近くで撮ると見た目以上に大きく、なかなか全体が1枚の写真に収まらなかった。木の下にはいると、たくさんの支柱が張りめぐされていた。これだけ大きくなると、やはり苦労があるんだなと思った。

 沖永良部2日目の午後、どのように過ごすか少し思案した。時間は、もう14時30分を回っていた。まだ島1周を完結していないので、東シナ海に沿って国頭まで行くことを第1の目的にした。また、前から行きたかった昇竜洞にも寄りたいと思った。シュノーケリングが最大の目的だが、気に入ったところがあれば、時間との相談で寄ろうと思った。最後に昼食だが、19時が夕食なので、どこか適当なところがあれば何か買って食べるという作戦にした。

 地図を見ると、このまま南下して大山方面に行けば、昇竜洞があると言うことがわかった。まずはバイクで水着を乾かしながら昇竜洞を目指した。徳之島に比べて、わかりやすい道だったが、地名を表示しているところが少ないので、「今OOという道路の、OOという場所」を走っているのかわかりにくかった。

 和泊から笠石海浜公園に来たということは、和泊町を北上するという流れができてしまった。 このまま幹線を行けば、東側を通りながら空港を経由して国頭地区を目指すことになる。こちらは、細長い沖永良部島にあって、最も細いところだ。不思議な島の形である。

笠石海浜公園
奄美大島Top

 もしかしたら、今回の奄美の島旅で、一番魚たちを多く見たのかもしれない。昨日の分を取り返すぐらい、たくさんの魚たちと出会えた。

 ここは、平成の水100選に選ばれたところらしい。コンクリートでできた橋のような所に親子が楽しそうに涼をとっていった。日陰にも、いくつか人影が見えた。私が行くと、彼らに緊張を与えるような気がして、今回は下りていくのを遠慮した。

 つくづく自分は「あほだな」と思った。けがをしたのですぐ上に戻れば良かったのに、さらに道を下り始めたのである。 せっかくここまで来たので、途中で戻ってはいけないような強迫観念が生じていた。 痛い腰を大事にかばいながら、ついに最終地点まで達した。
 ここで何枚か写真を撮ったが、なぜかほとんどピンぼけであった。何か、不思議な気配に支配されていたような気がする。

 後日談になるが、この時痛めた左手首が、2時間後激痛が走り、東京に戻って病院に行ったところ「ひびが入っている」ことが判明したのである。全治2ヶ月だった。

 食べ終わってから、まだ夕焼けが間に合うかもしれないことに気づいた。    急いで、西側の海へ。
 何も考えずバイクを走らせた。気づいたら、ワンジョビーチノ方へ向かっていた。後で考えたら、ウジジ浜の方へ行くべきだった。しかし、かろうじて夕焼けの終わりに間に合った。

夕方の海
日本一のガジュマル

 島一番の高山である大山を巡る道として、県道620号線と622号線がある。そこから和泊に続く621号線。この3本が島の幹線道路と言って良いだろう。さらに、海岸線に沿って島1周を回る道がある。
 今回は、622号線から620号線を経由して国頭の方へ行こうと思った。
 ただ途中、いろいろな方向へ誘導しようとする標識があって、慣れない道だったのでその都度地図で確認しなければならなかった。早く海辺の道を走りたいなと思っていたら、ワンジョビーチの方へ湯どうされていた。
「世之主の墓」「越山公園」「和泊町歴民館」などという観光施設や史跡があったが、今回はオールパス!

 泳いでいて、黄色い色彩の生物がたくさんいた。

 残念ながら、ほとんど魚影は見られなかった。小さな子ども連れの家族が、砂浜で海水浴をするのにはいい場所だろう。
 すぐにあがり、この近くにあるという、亀の産卵地を見に行った。と言っても、展望台のような所から下を覗くわけだが、ほとんど人が入ることのできない、素敵なビーチがしたにあった。崖を下りていくか、泳いで渡らなければならないような場所であった。

 環礁に囲まれ、どこも素敵なプライベートビーチが広がっていた。場所によっては、下りて行くのに苦労しそうな場所もあるが、魅力的なビーチばかりだった。日本一のガジュマルがある学校にも寄ったが、うまく写真が撮れなかったので、後日また行くことにした。

 奄美大島よりはやや徳之島の海に似ていて、隆起したサンゴが海の入り口に大きな板のように広がっていた。環礁の中なので、海は遠浅だった。生き物を探して、左側の岩場の方へ行った。

 近代的な建物は、更衣室兼トイレである。この横をとおって行くと、海に出られる。昨日も今日も海に入っていないので、ここで入ることをきめていた。
 朝雷が鳴ったためか、それとも雨が降りそうなのかわからないが、海に行くと誰もいなかった。こんなにきれいな海が横たわっているのに不思議であった。とりあえず、ここの海で泳ぐことにした。プライベートビーチだ。

 芝生に覆われている大きな公園には、美しい海への入り口も、展望台もあったが、同時に風葬後も残されていた。

徳之島へ

 フローラルパークという名前が目についたが、今日は寄っている余裕はない。
 屋子母浜が見えてきた。
 「ゥワォーー」 きれいな海が見えた瞬間ほえていた。今日帰るのが、なんとむなしいことよ。この海を見て、あの老人の忠告に従わなくて良かったと思った。環礁を境に、2色の海が広がる。手前が緑色の海。その向こうに紺碧の海。
 まだ誰も泳いでいなかった。
 一番乗りである。 ベンチや防波堤に老人たちが座って、海を見つめていた。
 荷物を置いて泳ごうとした瞬間、一人のお年寄りがやってきた。 何となく漁師っぽい人だった。
 いろいろなところに「密漁禁止」という看板が出ていたので、もしかしたら間違われたのかなと思った。
 早く泳ぎたい気持ちを抑えながら、話を聞くことにした。
「どこから来た」だの、「職業は何か」など、たわいのない話をしてくるではないか!  早く本題に入れ! と思ったら、ただのお人好しの老人で、海は危ないから注意しろと言うことだった。
 「ありがとう」・・・・・・そういって、ようやくシュノーケリング開始。

 とりあえず、今日の予定は終わった。後は、ゆっくり静かで美しい海を見て帰ろうと思った。バイクは、時速15kmの超低速運行になった。

 おおっ!! なんとなんと、カクレクマノミがいるではないか予想外の出現に、喜びとともに、驚きもあった。なんと豊かな海なんだろうと感動した。

 朝からこんな風景を見ていると、早く海に入りたくなる。今日入る屋子母海岸は、このサンゴが広がる海のもっと先にある。

 海の中は、温かく、ずっとここにいようかと思ったが、まだ他の海も回ってみたいので、あがることにした。
 泳いでいて、貝殻だけだったが、きれいな巻き貝があった。割らないようにして、家に持って帰ることにしよう。

 シャワーを浴びた。気持ちよい。景色も素晴らしいが、海の中が、かなり豊かだということを知った。

 そういえば、まだ昼食を食べていない。公園の中にあるしゃれたレストランで食べようと思ったが、何人かの先客があり、ぬれた格好をしているのは私だけなのでやめた。

 バイクのエンジンをかけた瞬間、また雨が落ちてきた。それでも、出発した。

 シュノーケルをしていて、きれいな珊瑚を見つけ、その中に魚が泳いでいる場面に出くわすのが一番うれしい。今回は、そんな場面がたくさんあった。これ以上ない青の美しさを追求した魚が、私のすぐ近くで泳いでいた。人間になれているのか、私が水中を進んでも逃げなかった。きれいな枝珊瑚の辺りには、黄色と緑のツートンカラーの魚が、何匹か群れで遊んでいた。

奄美大島2へ

 あまりの海の美しさに、海を見ているだけで楽しかった。何枚も写真を撮った。

 宿の前まで来たが、そのまま通り過ぎてしまった。まだ帰りたくなかったからだ。もう少しバイクで走りたかったし、ガソリンも補充したかった。
 タラソのプロペラが回っていることを確認した。続いて、Acoopに少し寄り道をして、中を散策した。思った以上に大きく、食料だけでなく雑貨も置いてあった。今度来たら、大いに使えそうだ。

 沖永良部島にある「タラソ おきのえらぶ」 今回は定休日の関係で寄ることができなかったが、今度来ることがあれば、寄ってみたいと思った。ゆったりできる様な雰囲気だった。

 ついに島の北側半分を回り、南側もいけるところまでバイクで進むことにした。この不思議な名前の小さな浜は、外国船の難破に関係あることが看板に書かれていた。
 あまりの浅さに、今回は一度もここで泳がなかった。

 観光案内所でもらった地図に、ワンジョビーチの名前があった。ここは下調べしてこなかった場所で、最初はたいしたことないと思っていた。あっさり通過しようと思っていた。ところが、きれいなトイレが設置してあり、キャンプもできそうな場所であった。少し気になり、バイクを停め、ここで海の中を調査してみようということになった。

 案内表示の柱のところで、幹線道路から右折した。もう少し先から曲がった方がわかりやすかったかもしれない。大きな芝生の公園が広がっていた。海に近いところに、テントが1張りあった。こんなに広いスペースがあるのに、何で1張りしかないのか不思議に思った。

 船の進行方向右側に、ずっと奄美大島が横たわっていた。

 途中お腹が空き、食堂でカレーライスとおいなり寿司を食べた。
 再び夢の世界をさまよい、目が覚めてデッキに出たら、夕日と夕焼けを見る時間になっていた。

最後は笠石海浜公園へ

 船が出るまでの短い時間、最後は笠石海浜公園で過ごすつもりだった。 空は、これ以上ないくらい、私の大好きな夏空を見せてくれていた。途中の景色を楽しみながら行くはずだったが、手に異常を感じた・・・・腰の痛みが引けてきたと思ったら、手首が固定されたようになって動かなくなってきた。痛いのを我慢して運転しないと、ブレーキレバーも引けないし、ウィンカーも操作できない。もしかしたら、手首に異常を期待しているかもしれない。骨折の可能性を心配しながら、笠石海岸まで来た。

 どうにか入り口までたどり着き、1000円払って鍾乳洞への道を歩き始めた。中は真っ暗だったが、人が近づくと人に反応し、灯りがついたり、説明の放送が流れたりする仕組みだった。中には、いろいろな光が、鍾乳洞をイルミネーションのようにデコレートするしかけもあった。ここからはあまり解説を加えずに、写真を貼り付ける。

 昇竜洞に行く前に、地図で「住吉暗川」を見つけてしまったのが、不幸の第2章だったかもしれない。
 知多町にも暗川を見つけ、好奇心の赴くままでかけることにした。高倉に隣接していた。

 簡単に見つかり、昨日のように螺旋状になっている階段を下っていった。そのとき、いやな予感が、一瞬かすめたが、すぐに好奇心の方が勝ってしまった。カメラを片手にゆっくり降りていった。何枚かの写真を写しているとき、
 <突然私の体が宙を舞った。>
少しオーバーな書き方をしたが、そんな雰囲気だった。何か視界が変わったかと思った瞬間、背中やおしりに強烈な痛みを感じた。簡潔に言うと、すべってころんだのである。しかも、腰をいためている私には、強い衝撃だった。体が、しばらく動かなかったのである。大声を出せば、バイクを置いた近くで遊んでいる子供たちが駆けつけてくれるだろう。自分が、どのような状態であるか、見極める必要があった。
 5分ぐらいたってから、自分の体を確かめるように、ゆっくり起き出した。腰は痛い。右手にカメラは持っていたが、それをかばって転んだらしく、壊れていないどころか土もついていなかった。左手の汚れを見ながら、無意識に左手をついたことを思い出した。その瞬間、左手を骨折したかなと思ったが、動いてくれた。どうやら腰の痛みが重くなっただけかなと思いつつ、ゆっくり道を歩き始めた。

住吉暗川

 今日も1時間ほど泳いだ。環礁の先端部分まで行った。残念だったのは、昨日見たカクレクマノミの巣が、どこだったかわからなくなってしまったことだ。一生懸命探したが、ついに見つからなかった。潮の干満差が大きいので、もしかしたら、もっと沖だったかもしれない。しかし、前日とは違った魚たちにあえて、ご満悦だった。

 風がやや強いようだ。
 ウジジ浜によったら、地元の老人に声をかけられた。私の色があまりにも黒いので、どこの島の人間なのか気になったようだ。東京から来た観光客だと言ったら、目を丸くしていた。屋子母浜に行くと言ったら、風向きが悪いので、太平洋岸を進められた。そうはいっても、昨夜から行き先を決めてあったので、初志貫徹。

 8時30分にはチェックアウトが終わり宿を出た。
 皮肉なことに、今日がこの島に来て最高の天気だった。桟橋周辺の海もいい色に輝いている。船の色も、今日はいつもより鮮やかだ。

 いよいよ沖永良部島最終日を迎えた。宿を引き払い、全荷物を持っての行動である。
 昨夜の枕元で描いた作戦は、@屋子母浜 A昇竜洞 Bどこかの海 C14:10の船 である。

 満足して帰ってきたら、突然の夕立。
 部屋の外に干してあったテントがまた濡れてしまった。

 後日談になるが、それが思いがけない不幸の種になった。8月の終わりに行った式根島で、テントのポールが2本とも複雑骨折で、さよならになった。布の部分は乾かして撥水スプレーをかけたが、ポールまでは気がまわらなかったのである。

 画像調整をして、ようやくその中の姿がわかるくらい、暗かった。丸い2つの穴は、洗濯桶を入れた物かもしれない。昔は、このような手すりもなかったし、階段や周りの壁も、もっと崩れていたことが想像できる。それが、昭和36年まで使われていたことに驚きを隠せなかった。

暗川(やんごー)

 どれくらいの人が「暗川」という名前やその存在を知っているだろうか?「くらごう」と読む。
 私自身、今回の島旅に当たって下調べをしているとき、ふと眼にした言葉だった。しかし、沖永良部島2日目の終わりまで、その言葉をすっかり忘れていた。帰り道、笠石海浜公園の近くを通り、ドリンクを買おうとしてある店に近づいたとき、偶然、この忘れていた言葉に出会ったのだ。
 その説明の看板を読むと、次のように書いてあった。

『暗川とは、地下を流れる川のことで、珊瑚礁の島である沖永良部島は河川に乏しく、昔の人はここを飲料水汲み場や洗濯場などとして利用していた。ローソクやランプの明かりを頼りに、頭にに桶やばけつをのせた水運搬は婦女子に重労働になった・・・』

 実際にその洞窟に沿って降りていった。本当に下は暗かった。足下はこけや落ち葉で滑りやすく、ここで水汲みをしたり洗濯をしたりするのは大変な重労働であることは想像できた。
 

 バイクを降り、道らしきところをたどる。
 岩場に大きな穴があり、そこを覗く。確かに縦長のトンネルがあった。下では、白波が、渦を巻いていた。よく見ると、左下に、丸い2つの穴があいており、きれいな緑色の水をたたえていた。なんだろう、?とは思ったが、下を見ていると、何か恐怖がわき上がってくる。嵐の時にきたら、すごい波しぶきが上がる現象は理解できた。写真だけ撮って、あわてて戻る。
 道路に面した所に、おみやげ兼休憩所の跡があった。

 北上して、フーチャを目指した。「フーチャ」は、岩にあいた大きな空洞から波しぶきが吹き出る現象で、ここは大量の海水が飛び出ることで有名らしい。
 途中から海岸線から離れる道になったので、無理して海岸に近い細道を進んだ。これが大失敗だった。だんだん道が細くなり、やがて舗装した道でなくなった。それでも、「全ての道はつながっているはず」という信念のもと進んだ。ついには、畑のあぜ道になってしまった。木の根っこなどが出ている。引き返そうか?いや、前進あるのみ。ついに道がなくなった。川とぶつかって、バックすることに・・・気が重い戻り道だった。
 それでも、また進み、ようやくフーチャという場所に出た。

 ワンジョビーチまで来た。途中力石を見つけたが、腰を痛めているので通過した。ビーチは、町内会で催し物をやっているような雰囲気で、キャンプができる場所を占領していた。入り込みにくい雰囲気だった。16時を過ぎて、もう海に入る時機を逸したような気がした。
 隣の伊延港には、赤と白の船が接岸していた。あまりここにいても仕方ない感じだった。
 ほとんど休むことなく次の場所に向かった。

 この大山の周辺には、自然休暇村がある。植物園もあるし、キャンプ場もあるという。そして、この沖永良部島で一番高い山の上にある展望台なら、島の周り360度を見わたせるだろう。昇竜洞のすぐ近くと言うこともあり、寄ってみた。時間の関係で、展望台に上るだけの観光である。展望台の周りには、何か奇妙な刈りきった気が並んでいた。
 頂上まで行き、金網越しに覗いたが、空は曇っていて、今一つ期待する景色は見られなかった。バイクは小さく見えた。でも、この上にいた数分間、自分が今沖永良部島で一番高い場所に君臨しているんだと考えたらワクワクした。

 昇竜洞の周辺は、きれいな花が咲き乱れ、素敵な雰囲気だった。写真は入り口で、鍾乳洞の出口はここから400m離れたところにあった。どちらにも駐車場があり、入口でも出口でも好きな方に車を停めておくことができた。
 いつもならすぐに入っていくところだが、今回はためらいが生じた。水着がまだ乾ききっていないこともあるが、もし今はいったら、海とツーリングの両立は難しいのではないかと言うことである。そこで、今日は下見と言うことで、あっさりパスした。けして、1000円という入場料が高かったわけではない。

 ここ沖泊の海も、かなり奇岩と言われるサンゴの隆起したものがあった。しかも、道路のすぐ近くにある。

 この沖泊海水公園では、結局キャンプしている人を見かけなかった。こんなに広いサイトがあるのに、テントが1つもないのである。不思議な気がしたが、何か理由があるのだろうか?
 東京の伊豆七島・式根島では、多いときはゆうに100以上のテントが並ぶのを見てきたので、不思議な気がしてならない。台風が来ている様子もないし・・・・
 今回は、宿を取ったが、ここでキャンプをするのも悪くないなと思った。

 テントを張ることのできる芝生から3mの道路を渡ったところに、海へのエントリー口がある。海の方がやたらと明るい。
 道に沿っていくと、大きな石のテーブルがあり、そこにアダンの実と丸い白いサンゴが置いてあった。何だろう?何か儀式があった後のような感じだった。  かまわず、海の方へ行く。やはり、周りがサンゴに囲まれた海であった。しかし、干潮の時間帯であったため、かなり浅い。泳ぐと言うより、ほふく前進するような浅さであった。

 そこへ、見覚えのある親子が目に入った。昨日ワンジョビーチであった、大阪からバイクでやってきた親子であった。やたらと口が悪い。潮が引きすぎて、泳げないので昼食タイムにすると言う。少ししゃべった後、2人乗りのバイクは消えていった。


 朝から写真を撮りすぎて、電池が切れたらしくカメラは使えない。少し泳ぐまねをしたが、浅すぎておもしろくない。座っていたら、漁をしていたおばさんが戻ってきたので、獲物を見せてもらう。自分で言っていたが、本当に獲物は少ない。後からご主人も戻ってきた。手にしていた物は、大きなタコだった。「おいしそう」と言うには、あまりにも大きかった。

 ここはキャンプ場が設置されているのだが、その大きさに驚いた。芝生の広さもそうだが、屋根付きのテーブル・椅子の数が半端ではない。一度にテントが300張ることができるのではないかという壮大さだった。
 トイレの中も下調べした。灯りもなく、近くに食料を売っている店がないので、かなり静かな夜を迎えられるだろう。1人なら、逆に恐ろしいかなとも思った。何人かいれば、快適なキャンプ場だろう。

 沖泊漁港というものがあり、道に沿って進んでいくと、驚きの光景があった。車を路上に停めるような感じで、船が道路の片側に1列で並んでいるのである。それこそ脇見運転していたら、船とぶつかり交通事故を起こしてしまう。
 「素晴らしい光景を見たな」と思いながら先を行くと、少し開けた場所があり、上を見上げるとすごい断崖がそびえ立っていた。四角い白い石板を見ると、「沖泊公園」とほってあった。

 田皆岬をでると、東シナ海に沿って、バイクを進めた。地図には、沖泊海浜公園という地名が載っている。 ネットで事前に情報を探すと、ここでキャンプしているという記事もあった。何か、がけの下にあるキャンプ場という光景だった。

 下を見ると見ると恐怖も感じる。その断崖絶壁の岩の上にも生命が宿っており、赤い可憐な花びらを付けた植物が茂っていた。名前はわからない。

 岬の先端に行こうと思ったら、このクモが入り口をふさいでいた。大きなクモだった。そのクモの巣を越えて、先の方へ行くと、足がすくむ程高い断崖であった。 真下を見たら、海はきれいだが、吸い込まれていくような恐怖を感じた。

 私のすぐそばで、たくさんの魚の群れが遊んでいた。同じ仲間だけでなく、違う種類の魚も、一緒に混ざっていた。手を差し出しても、逃げようとしない。私の手が見えないようだ。
 もっと、別の魚を探そうと、大きな岩の影に進む。ぅわー、そこに不気味な影が見えた。ばらばらに伸びた細長いひれを見たことがあるぞ!−−そうだ、ミノカサゴだ!
 もしかしたら、これは毒がある魚だ。すぐ確信に変わった。

 海に入って間もない砂地の所。植物が砂の中から生えていた。そこに、小型の魚がたくさん集まっていた。縦しまの魚もいくつもいた。群れで、朝のえさを探しているようだった。

 屋子母海岸に着いた。すぐにオカヤドカリが目についた。「おはよう」といいながら、私を出迎えてくれた。
 海の色は、まだ朝のためか、今一つさえない感じであった。
 しかし気を取り直して、さっそく海に入った。まだ人が来ていないためか、海の中でたくさんの生物と遭遇できた。

 さらに行くとカラフルな鉄棒に囲まれた展望台があった。海の下を見た。やや沖合まで平べったいサンゴが広がっていた。その向こうに、青い海が広がっていた。

 7時半に朝食をとった。昨日と同じ、隣のレストランである。なかなかバランスの良い食事だと思った。

  晴れているのをいいことに、物干しにテントを広げて干した。
 その後準備をして、早めに宿を出た。
 今日は、東海岸を南下した。昨夕見た屋子母海岸で、最初に泳ぎたいと思った。

 島に来たので、本当は海のものを食べたいところである。しかし、焼き肉もなかなかおいしかった。
 1日島を走っていて、あまり食事のできる店が多くないことに気付いた。そこで、金額的にも納得できるので、もう1泊お願いした。4500円ならいいなと思った。

 少しゆっくりしすぎたので、夕食の前にお風呂に入る時間はとれなかった。シュノーケルやゴーグルをバイクのかごに入れたまま、レストランに行った。
 夕食は、ビジネスホテル司に併設するレストランでとることになっていた。焼き肉レストランだったので、今日は焼き肉が出るかと思っていたら、予想通りだった。

夕食

 すでに夕日の時刻は、大幅に過ぎていたようだ。  人の姿は見えない。
 時間的に、もう今日は海に入る気がしないが、明日ここで泳ぎたいなと思った。シャワー室が併設しているトイレがあった。木製の椅子があって、ゆったりとできる空間があった。
 その少し先に「大津勘ビーチロック」という所があったので、そこも下見し、宿に向かう道を進んだ。
 徳之島は、高いところを道路が走っていたが、ここは海岸線の近くを道路が走っていて、バイクで進むのが楽しい。

 夕食の時間は7時と言われてきた。作る手間は省けるが、何となく時間の制約を受けるのは嫌だ。自分の時間なのに誰かに管理されているようだ。

 腕時計に目をやる。このまま戻れば、夕食までに時間に余裕ができる。しかし、せっかく来たのでもう少し先まで行きたい。バイクにエンジンをかけるまで、」どうするか悩んでいた。

 朝9時40分に徳之島・亀徳新港を出発したマリックスラインの「クイーンコーラルぷらす」は、11時30分沖永良部島・和泊に到着した。約2時間の船旅だった。
 「クイーンコーラルぷらす」は初めての船と言うことで、テンションが上がり、船をいろいろ動き回っていた。途中雷が鳴り響き、一時船室に避難したが、到着時間が近づいてくると、また最上階のデッキに登り、島影を見つめていた。比較的平らな島だなという感想だった。

 沖永良部島に到着する直前、バイクの方に行くように指示され、荷物を持って下の階に下りていった。

2011年 7月25日〜27日

 今度こそ宿に向かおうと思ったら、いくつも連なった提灯を見つけてしまった。どこかでお祭りがあるのかもしれない。そう思って走っていったら、立派な神社があった。南洲神社と書いてあった。言うまでもなく、西郷隆盛ゆかりの神社である。改めて九州における西郷隆盛の存在感、人気を思い知らされた。

 晴れているが、空には大きな雲が停滞している。あの雲が飛散されれば、もっと素敵な青空を拝むことができるのだが・・・
 そんなことを考えながら走っていると、海沿いの空き地に、へんてこなものが置いてあるのが見えた。近くで見ると、自然にできたサンゴのかたまりである。それが、見る角度のよっては、ロダンの「考える人」になったり、仏像になったりした。

 海に入ろうとしたが、冷静になって考えることにした。 「少しでも早めに治療しないと、大変なことになるぞ。夏は始まったばかりなのに、中学1年生の時のようなギブス固定は避けたい。 海の水で冷やそうか?いや待てよ、泳いだら余計悪くなるぞ!」
 来る途中に薬局があったことを思い出し、そこへ湿布を買いに戻った。沖永良部島最後のシューケルは、自動的にお預けになった。
 薬局では、私の痛がり用から、最も強力で高価なシップを勧めてきた。それを購入し、手首に当てる。薬剤師の言うとおり、数時間たつと効き目が現れ、だいぶ楽になってきた。
 とにかく、6時間ほど乗る船の中では安静にすることにした。

 この緑ぶたのマスコットキャラクター、島の至る所で見たなあ。かわいいぞ、ブヒブヒ!!

 少し離れた海岸の方から見ると、そのキャンプ場の大きさがわかる。その崖のようになっている山を見ると、なんと滝が流れているではないか。これまたびっくりした。
 笠石海浜公園もそうだが、ここ沖永良部島のキャンプ場は、かなり豪快なスケールだと思った。

 途中、奄美大島で見たのと同じ形をした標識があった。右へ行けば田皆岬、左が目指す屋子母海岸だ。
 徳之島に比べ、沖永良部島は改めて小さな島だなあと思った。 地図で見た感覚よりも、うんと早く到着したからだ。近くに石碑が建っていて、昭和48年に皇族がここに来たと記されていた。ある意味で、由緒正しい海岸なんだろう。

 沖永良部空港空港を越え、更に島の先端に向かう。ここには国頭灯台の姿が見える。そこから東シナ海側の海を見ながら、南下した。 いつのまにか天候が回復し、きれいな海が戻ってきた。

 7月21日に奄美大島に来てから、沖永良部島が3つ目の島である。2つ目の徳之島と同様に、初めて訪れる島である。2泊3日の予定である。 多少下調べをしてきたが、どんな島なのかイメージが湧かない。しかし、充実した島旅にしょうと思った。

徳之島へ
沖永良部島へ
奄美大島Top
奄美大島2へ

(画像明るく修正)

さらば、沖永良部島
ジッキョヌホー
再びバンジョビーチへ
大山植物公園展望台
沖泊海浜公園
屋子母海岸到着
島のツーリング

 沖永良部島は、北東から南西に傾く細長い、涙の形をした島である。どこに行こうか悩んだ。最初に、島の距離感と方角を知るために、和泊港に向かった。港を中心に考えると、島の様子がよくわかる、バボ流の考えである。
 まず、キャンプ地の候補としてあげていた笠石海浜公園を目指した。目指したといっても、今回停まることになったBH(ビジネスホテル)からバイクで20分弱、北上しただけである。

ここにも西郷隆盛の名が・・・

 魚たちだけでなく、珊瑚もきれいな彩りを見せてくれた。なんと言っても海の透明度は抜群であった。

沖永良部島の朝
屋子母海岸

 屋子母海岸は、沖永良部島の丸みがある方の知多町に属し、地図で見る限り西のはずれだ。もう少し先に行くべきか戻るべきかで悩みながら、つり合った天秤がバランスを崩すための理由を考えていた。
 そうだ、西のはずれと言うことなら、遊歩や夕焼けが見える可能性がある。−−そう思った瞬間、もう屋子母海岸を目指している自分がいた。 「青い海、夕焼け」私が弱いキーワードだなと思いつつ、笑いながら運転していた。

ウジジ浜
ワンジョビーチ
国頭方面へ
7月25日
7月26日
沖永良部島上陸
フーチャーに行く
南洲神社
夕食を終えて
7月26日
屋子母浜 2
昇竜洞探索

(画像修正済み)