Ⅾの家 クリスマス おめでとうございます

 

ペトロ 晴佐久 昌英

コロナ下での3回目のクリスマスを迎えました。
皆さんそれぞれの思いで迎えていることでしょう。
今年は、いつまでも続く感染症への不安や一向に終わらない戦争へのいら立ち、温暖化による環境災害、少子高齢化に値上げの嵐と、なんだか終末感の漂った2022年でしたから、「おめでとうなんて言ってられないよ」という声も聞こえてきそうです。
しかし、まさに「こんな時のためのキリスト教」ではないでしょうか。
今こそわたしたちは新しい希望を語らなくてはなりません。
個人的には、ライフワークでもある「福音家族づくり」に本腰を入れて、まずはモデルハウスのような「神の国の目にみえるしるし」を始めてみようと計画しています。
これは、福音家族の拠点となる家を都内数カ所と近郊の里山に設けて、血縁を越えて助け合う大きな家族を実現していこうというもので、その家を仮に「Dの家」と呼んでいます。「Dの家」のDとは、親しくさせていただいている哲学者、柄谷行人氏が人間世界の本質に秘められた「交換様式」を説明するときに使うキーワードです。
古来、一つの家族のように助け合って生き延びてきた人類は、いまや国家や資本の力によって自由と平等を奪われて、本来の人間性を失いかけています。
この危機的状況の中で、わたしたちは原初のコミュニティーが保っていた互酬の力を高い次元で回復させなければなりません。
そのような聖なる力が主流となる社会を柄谷氏はDと呼んでいるのですが、あえてキリスト教用語で言うならば、それをもたらすものこそは「聖霊」の働きですし、聖霊に満たされたイエスがその到来を宣言した「神の国」です。
そのような神の国の香りのするアソシエーションをささやかであれ実践したいという願いのままに始めたチャレンジですが、このたび柄谷行人さんが 「哲学のノーベル賞」といわれるバーグルエン賞をアジア圏で初めて受賞したことで、なんだか天から励まされているようにも感じましたし、柄谷さん自身からもそのようなチャレンジを応援したいと言っていただいたことに意を強くしたこともあって、「Dの家」と呼んでいる次第です。
具体的には、まずは戸建ての一軒家を借りて、二人の世話役が居住して家を管理します。
そこで、心ある若者たちを中心にした仲間たちが集まって、最低でも週に一回は、一緒ごはんをします。
神父がミサや福音講話をすることもあり「家族」はわが家としていつでも出入り自由です。
世話役以外でも、短期ならば宿泊することも出来ます。
仲間たちはそれぞれが収入の一部を出し合って家の維持管理と食費をまかないます。
これは実は、キリスト教的にはごく当たり前の実践であり、モデルは初代教会です。
「信者たちは皆一つになって、すべてのものを共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。
そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。
こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え 一つにされたのである」(使徒言行録2・44❘47)
そこまではできなくとも、真似事なら出来るはず。
共感してくれるZ世代、Y世代がいますので、まずは試してみるつもりです。
現在は茨城県の里山の古民家を破格で購入して、リノベーションする計画が進んでいるのと、お申し出頂いた都内のお宅を内見しているような段階ですが、もしも仮にそんな都内の戸建て空き家を短期間でも貸していただける可能性がありましたら、お手紙でご連絡ください。
二人居住出来て、15人ほどで一緒ごはんが出来るスペースがあり、破格の賃料(ここが肝心)であれば、申し分ありません。
おままごとのようなチャレンジですが、現代の諸問題に光を当てると信じて一歩踏み出したいと願っています。
2023年、みなさんの新しい希望として、どんな計画がありますか

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