三階の和室から

 

ペトロ 晴佐久 昌英

直接宣教

すべては、あの和室から始まったのでした。
その日、上野教会の主日ミサ直後の福音講座は、いつものホールが使えなかったため、三階の和室で開くことになりました。
参加者はみな靴を脱いで和室に上がり、座布団を敷き車座になって、福音を聞いたのです。手狭ではありましたが、むしろ家族的でくつろいだ雰囲気の、あたたかな集いになったことを覚えています。
そこにたまたま、マレーシアのクアラルンプール在住の信徒が参加していました。
日頃、インターネットなどで晴佐久神父の語る福音に触れているそうで、一時帰国している間に、直接、福音を聞くために来られたのですが、こうおっしゃるのです。
「クアラルンプールにはカトリック日本人会があるけれど、日本人の神父もいないし、日本語のミサもなく、日本語で説教を聞く機会がないので、みんな日本語で直接語られる福音に飢えています」
日頃、「直接」ということを大切にしている一人の司祭として、この直接の訴えに心動かされ、「いずれぜひ、おたずねしましょう」と、お答えしました。
ところが、そこにはさらに、かつて香港カトリック日本人会に所属していた方もいて、「ぜひ香港にも」という話になり、やがてそれを知ったシンガポールカトリック日本人会も「ぜひシンガポールにも」ということになり、やがて香港とシンガポールの現地の日本人会の方もわざわざ会いに来られたため、とんとん拍子に話が進み、このたび、晴佐久神父が東南アジア各地で黙想会をしながら回るという、「黙想巡礼の旅」が実現しました。
日本からも10人ほどの参加者がいて、各地で直接交流しながら福音を分かち合い、ともにミサをささげ、一緒ご飯を重ねる旅は、イエスの宣教の旅はこんな感じだったのかもしれないとさえ思わせる、出会いの恵みに満ちた旅でありました。
香港には、マカオや上海の信者さんも来ていましたし、主日ミサでは子どもたちの初聖体式を司式したり、夜には飲茶での一緒ごはんをしたりと、忘れがたい体験でした。何よりも、現地の信者さんたちが、困難の中にあっても互いに助け合い、祈りあって、前向きに教会を生きている姿に触れられたことは、日本から来た信者たちにとっても、大きな励ましになりました。
そうしていよいよ香港を離れるときは現地の皆さんが名残惜しそうにいつまでも手を振ってくれたのですが、さて飛行機に乗ってシンガポールにつけば、やはり現地の皆さんが空港までわざわざお迎えに来てくれているのです。
福音を求める皆さんの熱い思いに胸を打たれて、ああ、まだまだアジアは宣教の時代なんだなと、つくづくと感じさせられた次第です。
そのシンガポールには、タイのバンコクのカトリック日本人会の方も数名来られていて、一緒ごはんの席上、真剣なまなざしでこうおっしゃるのです。
「次はぜひとも、バンコクで黙想会をお願いします」日本のカトリック教会は、信徒の数も神父の数も減少しています。
その原因は、たぶん、はるばるお願いに行かなくても日本語のミサがあり、飛行機に乗って聞きにいかなくても福音が聞け、信者同士が特に助け合うこともなくバラバラにご飯を食べている、そんな教会を当たり前と思っているからではないでしょうか。
今の日本に、人々に直接関わって助け合い、人々に直接会って福音を伝えようとしているカトリック信者がどれだけいるでしょうか。かつて二百五十年間、一人も司祭がおらず、一度もミサのなかった日本に、再び教会が現れてからまだ百五十年しかたっていないというのに!
巡礼初日、マカオの聖ヨセフ修道院に安置されている、聖フランシスコ・ザビエルのご遺骨の前でミサを司式しながら、心の中でひたすらお祈りしておりました。
「ザビエルさん、ごめんなさい。
日本へ直接来てくださったあなたのご苦労を無駄にしないよう、いっそう『直接宣教』に励みます!

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