天国の扉を開けるお手伝い

 

ペトロ 晴佐久 昌英

晴佐久神父が浅草・上野教会へ転任すると発表されてから、多摩教会の信者さんが次々と両教会を見学に行くということがありました。
「うちの神父さんが次に赴任する教会は、どんなところだろう」と、興味津々、のぞきに行ったというわけです。

見学してきた人たちの報告は、みんな、判で押したように一緒でした。
「浅草教会は庭がきれいだった。上野教会は、閉まってた」。

教皇フランシスコは、教皇に選出されたその年に、使徒的勧告『福音の喜び』をわたしたちに贈ってくださいました。
心待ちにしていた日本語訳が完成し、ついに出版されたその本を手にして、ふと本の帯を目にした時の高揚感は忘れられません。
そこには、教皇のことばが、大きな活字でこう記してあったのです。
「教会は、つねに開かれた父の家であるよう招かれています。開かれていることの具体的なしるしの一つは、どの教会でも門を開いたままにしておくことです」。

このたび、教会の委員さんたちが話し合い、日中は聖堂の鍵を開けておくこととなりました。
さまざまな事件が報道される昨今、無人となることも多い教会の聖堂の鍵を開放することに、不安がつきまとうのは事実です。

しかし、『福音の喜び』の中で、教皇はこうも言っています。

「出向いて行きましょう。わたしは、出て行ったことで事故に遭い、傷を負い、汚れた教会のほうが好きです。閉じこもり、自分の安全地帯にしがみつく気楽さゆえに病んだ教会よりも好きです。心配ばかりしている教会、強迫観念や手順に縛られ、閉じたまま死んでしまう教会は望みません」

「閉じたまま死んでしまう教会」を望む人はだれもいないはずです。

ぜひ、朝、教会の鍵を開け、夜、鍵を閉めるお手伝いをお申し出ください。
また、日中教会にいて、訪れる人をお迎えしてお茶を出すお手伝いも、歓迎します。
通りがかりに教会を訪れたことがきっかけで魂を救われたという人は、大勢います。
教会の扉を開けるお手伝いは、天国の扉を開けるお手伝いであり、教会で人々をお迎えするお手伝いは、天国にお迎えするお手伝いなのです。

イエスさまは、ペトロにおっしゃいました。

「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」。

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