セバスチャン 西川 哲彌
約30年前にミャンマーを訪ねたことがあります。
当時はミャンマーではなくビルマと呼んでいました。
東京教区とミャンマーは、戦後ドイツのケルン教区が長い間、過大な援助をしてくださったことへのお返しとし、ケルン教区ではなくアジアの厳しい状況の国への援助先として選ばれた国です。
人口の7割が、仏教の中でも厳しい教派である小乗仏教(上座部仏教)の信徒であり、経済的には社会主義、政治を支配しているのは軍部という分かりにくい国でした。
国の中には辺境に生活拠点を置く小数民族のカレン族など2、3の国民にカトリックを含めてキリスト者がいるのは驚きでした。
単純に言ってしまえばアジアの国々が競うように自由経済制度を取り入れ西欧化を目指している中でひたすら鎖国を貫いているのがミャンマーでした。
飛行機も直行便はなく、成田を飛びたって取り敢えずタイ国の首都バンコックへ行きました。
そこでヤンゴン(当時のラングーン)へ行く便を待ちやっとの思いでミャンマーに入ることが出来たのです。
バンコックはすでに国際都市になっており博物館や史跡も自由に出入り出来ておりましたので、2・3日いても時間をもて余すことはありませんでした。
約30年前のミャンマーは軍部が国をほぼ掌握していて少数民族の独立運動を制圧することが重要な課題でした。
そのような中でも民主化の兆しが首都ヤンゴンの中でも見られるようになり、1988年アウンサン・スーチーさんの英国からの帰国をきっかけに新しい国作りが始まりました。
この度ミャンマーを訪問して30年前の姿を探しました。
ヤンゴンは全く別の都市になっていました。
あの頃は立派な建物は植民地時代に英国が建てたもので、その建物のそばに木造の家が寄り添っているという印象でした。
それがどうでしょう。
今のヤンゴンは建設ブームであちこちに大きなビルが建てられ、立派なホテルが軒を並べる街に変わっていたのです。
飛行機は成田からの直行便が毎日飛び立ち、飛行場は人でごったがえしています。
静かだったヤンゴンの街は車で埋め尽くされています。
しかもその車はほとんど日本の車で、この2・3年に発売された大型車が町中を走りまわっていました。
ただそれはヤンゴンだけの現象で車を1時間も走らせると、そこは何百年も変わってないだろうという田舎の風景が広がっているのです。
いずれヤンゴンに根付いたインフラ革命の波が国全体に及んでゆくのでしょうが、今の所その格差は天地の差があります。
今回の訪問の第一目的はミャンマーに井戸を贈る運動を実地で見せて 頂き、その完成引き渡し式に参列することでした。
人口600万人を擁するヤンゴンでは電気、水道、ガスのインフラはほぼ完全に行き渡っています。
自家発電も含めて、スイッチを入れれば電気は点き、コックを回せば水が出ます。
でもそれはヤンゴンだからのことで、30?もはなれると、そこには電気はおろか水道もない所が広がっているのです。
水は川の水か雨水を貯めて使っていますし、あかりはローソク、煮炊きには薪を使うという昔ながらの生活です。
問題は水です。
抵抗力のある大人なら問題ないかもしれませんが、乳幼児にとって命取りになってしまいます。
実際の農村地帯の乳幼児の死亡率はヤンゴンの数倍で、大きな原因のひとつに水による感染があげられています。
そのような中で井戸が解決策として注目されたのは当然です。
何故なら山岳地帯でない平地であれば百から2百㍍あるいは3百㍍掘ればいくらでもきれいな真水がでるのです。
掘って汲み出すだけの資金がないだけです。
色々な試みがありました。
15㍍ぐらい掘ってきれいな水を汲み出す事業もありました。
しかしその方法の井戸は何年かすると使えなくなる場合が多いのです。
そのような中で始まったのが「ミャンマーに井戸を贈る」とい う運動です。
なんとその運動を進めておられる方はつい最近浅草教会で洗礼を受けられたTさんです。
Tさんは海運業を営んでおられた方で東南アジアは船の関係でご自分の庭のような所でした。
どの国にも甲乙つけがたい良さがあるのですが、ミャンマーという国はほっと出来る国民性があり、特に親しみを覚えておられたそうです。
仕事を越えてミャンマーという国のために何かお役に立ちたいと、常に思っていたところ舞い込んできたのがこの「井戸を贈る」運動だったとのこと。
幸い、日本には「上総掘り」という井戸掘りの技術があり、小さな櫓を組んでそこから竹を割って帯のようにし、その先端に鉄製のノミを取り付けて穴をあけ、それをコツコツと地中深くあけ続け、百㍍でも二百㍍でも水のある所まで進めてゆく方法です。
山らしい山も川らしい川もない千葉県房総半島で開発され、人力で開けられて来た井戸掘りの技術なのです。
それがミャンマーで大活躍しているのです。
水脈にあたって水があってもそれを汲み出すためにポンプとジーゼルエンジンが必要ですし、それを保管する小屋も2棟必要です。
ですから、一つの井戸を掘って動かすのに50万から70万の資金が必要です。
はじめは竹口さんの私財で運営されました。
しかしその意義を知った方々がこの運動を支え、今では一つのNPOが立ち上げられ進められています。
すでにこの15年間80本近くの井戸が掘られてきました。
1本の井戸で千人以上の人々が井戸水の恩恵に与っている訳ですから、合計すると約8万人以上にもなります。
恩恵は水だけにとどまりません。
ジーゼルエンジンは発電機をまわすことが出来るのです。
それまでローソクの生活をしていた農村に気が供給され想像以上の変化をもたらしました。
それは子供達が夕方から夜にかけて勉強出来るようになったことです。
電気がないために拡がっていた都市との格差が見えない勢いで縮まっていくでしょう。
最後に付け加えなければならないのは、井戸の運営と管理にその土地の農民が深く関わっているということです。
その恩恵がどれ程のものかを知っている人達です。
井戸を守るのは自分達だという意識が 育っているのは不思議ではありません。
完成引き渡し式に参加させて頂きました。
村人の喜びがそのまま身体に伝わって来て涙をこらえることができませんでした。
ミャンマー訪問から帰国して2ヶ月という月日が経ちました。
まだまだ神秘の国として見られているし、ヨーロッパやアメリカからの観光客が跡を絶ちません。
しかし、ミャンマー人の向学心、海外に出て活躍したいという野心はまるで人生でいえば青年のようです。
あと10年いや、あと20年たったらどんなに変わることでしょうと思います。
成長し発展したミャンマーを見る機会ができたらどんなに楽しいことかと胸が熱くなります