主のご降誕おめでとう クリスマス信者

 

セバスチャン 西川 哲彌

世の中、景気が良くなっているかいないかで意見が分かれる昨今である。
12月14日投票の衆議院選挙で「生活は少しずつながら良いほうに向かっている」という政党と「ちっとも良くなっていない。
むしろ悪くなっている。」という政党が短い期間の選挙運動を展開した。
戦いは大差で「良くなっている」という方が勝ったようだが。
景気が良くなっているという実感はない。
とはいえ何か不自由があるかと言われたら、「特に-」としか答えられない。
ぬる湯につかっているような状態とでも云うべきだろう。
そのような中で今年もクリスマスがやって来た。
どこの教会も1回か2回の大賑わいを迎えるのが通例である。
1年に1回聖堂がいっぱいになる。
いっぱいどころか入りきれない状態になる。
それ自体は嬉しい事だけど、いつも来ている者にとって複雑な気持ちである。
降誕祭というお祭りの日だから、人が集まるのは当然ではあるが、クリスマスが終わると元通りになっているのは、毎年ながら寂しい気持ちだ。
せめてその何分の一でもいいから、日曜日のミサに来てくれないかと期待してしまうからだ。
寂しい気持ちが湧いて来る中でなかで、わたしはそれでもつまりクリスマスだけ賑わうということで、いいではないかといつも思っている。
ともかく洗礼を受けた信徒で日頃ほとんど教会に来ない方々がクリスマスにだけ教会に来るというのはそれなりにすばらしいと思う。
私の頭の中からいつも離れないのはその方々のことであり、それが教会の大きなネックだと思っている。
理由とか原因を議論することも大切だが、ともかく何かのキッカケで教会の門をくぐること、それが大切。
それは私達がどうするこうするということよりその人の魂の渇きと神様の後押しの問題だと思う。
今年もクリスマスがやって来たが、「せめてクリスマスくらいはミサに行こうと思っています」という信者さん、心から歓迎します。
一緒に祈り、一緒に喜びあいましょう。
メリー・クリスマス。

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