「遺言」

 

セバスチャン 西川 哲彌

5月19日、私は、1本の映画を見るために福島に行ってきました。
朝10時開演で約4時間。車で行くには間に合わないので電車、しかも新幹線を使いました。
新幹線でも上野から約1時間半かかります。
映画の題名は「遺言―原発さえなければ―」です。
サブタイトルに「福島の3年間―消せない記憶のものがたり―」とあります。
聴いたことがあると思われる方はいらっしゃると思います。
東日本大震災が発災した2011年3月11日の翌日、福島の第一原発事故の現場へ足を入れ以来3年間、そこで起きたことをとり続けて来た2人のフォトジャーナリストの、250時間にわたる映像を約4時間に編集したのがこの映画です。
2人は特に高濃度の放射能が風に流されて落とされたという飯館村を中心に取材しました。
生活を共にするような密着した取材だったようで、見ている者がまるでそこの酪農農家のそばにいるような錯覚をするような作品でした。
「遺言」というのは、飯館村に隣接する相馬市の酪農家が、これからだとばかりに新築した堆肥小屋のベニア板の壁に、先立つ身を許して下さいという言葉と共に「原発さえなければ」という遺書のような文言を残して果てたことに由来している。
知らせを聞いて駆けつけた酪農家仲間が、無言のままに立ち尽くしている姿がまるで静止画のように写し出されていました。
いつか誰かがこのような形で死を迎えるにちがいないと思いつつ、何もしてやれなかった自分を責めている仲間の背中に、福島の現実のすごさを見せつけられました。
廃炉作業に30年かかると云われている原発。
連日3千人近くの方々が、放射能測定器と記録手帳を見つめながら働いておられます。
鉄板で作った仮設に、残酷な程、太陽が降り注ぐ夏が近づいて来ています。
「原発さえなければ」という遺言を残して逝ったSさん。
Sさんの言葉が頭の中から離れません。
時々、福島に行って草ぼうぼうの農地、手つかずのままの海岸を歩きます。
そして祈ります。
亡くなった方々の声に耳を澄まします。
何も出来ません。
でもせめてそれぐらいはと思っています。

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