セバスチャン 西川 哲彌
無原罪のマリア様は、まっすぐ父なる神様のもとにあげられました。
生まれた時から約束されていたことでした。
イエス様が父である神様のもとに帰られたその道です。
私達にも約束されている道です。
「1人も失わずに御父のもとにつれてゆくこと。これこそ私の大きな使命だ」とおしゃって下さいました。
さて、私達には、そのまま天にあげられたマリア様を身近かに感じる恵みが与えられています。
そのおかげで、マリア様がどのような眼差しでイエス様を見ていたのかなと想いをめぐらせることが出来ます。
お告げを受けてイエス様を身ごもって以来、マリア様の生涯は苦しいことが続きました。
宿を断わられて町はずれの馬小屋で出産せざるを得なかったこと、エジプトに避難せざるを得なかったこと、ベトレヘム近辺でイエス様と似た年の子が皆殺しになったことを耳にされたこと、エルサレムにお参りした時、イエス様がいなくなったこと、イエス様が成人し公生活に入られた時、気が変になっているという噂を耳にされたこと、最後はイエス様が十字架刑にかけられ殺されたこと、等々どれをとっても大変なことばかりです。
しかし、聖家族を黙想していると、母なるマリア様がイエス様に注がれている暖かい眼差しが浮かんで来てなりません。
神の子であることを隠してごく普通の子として成長されたイエス様に注がれたのはマリア様のその暖かい母の眼差しだったと思います。
人が人として成長するために唯一不可欠の栄養は母の暖かい眼差しでしょう。
特に母マリアの眼差しの根底にはダビデの召し出し以来、神様の深い信頼があります。
これこそ、私達の信仰のルーツです。
私達がマリア様に崇敬の想いを寄せる時、マリア様の暖かい眼が向けられ、心の中に熱い力が湧いて来ます。
そのまま天にあげられたマリア様を讃え信仰が深められるよう願いましょう。