セバスチャン 西川 哲彌
マタイによる福音(マタイ5・13~16)
{そのとき、イエスは弟子たちに云われた。)「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味がつけられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたがの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」
本日のみことばは「地の塩・世の光」となれと弟子達に云われた、イエズス様の命令に尽きます。
私達の信者としての生き方と使命もこの言葉が全てです。
毎日の生き方が地の塩、世の光になっているでしょうか。
多少はなっているかも知れません。
洗礼の秘跡を受け、神の子となった私達ですから。
しかし、誰も自信をもってそう生きているとは云えないでしょう。
そんな私達にイエズス様は、「しょうがないなーダメだなー」とおっしゃるでしょうか。
そうではありません。
というのは、「地の塩、世の光になりなさい」というみことばには続きがあるのです。
その続きとは、「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい」なのです。
地の塩、世の光とはキリスト様ご自身なのです。私達はキリスト様の光をほんの少しでも反射して示すこと、それが使命なのです。
たとえ小さな鏡であっても本物の光が人に届けばいいのです。
私達に出来ることは、小さな鏡を磨いておくこと。
信仰は生活です。
生活は自分自身です。
神様はいつもそばにおられます。
そして語りかけ支え導いていてくださいます。