死の受容と死後の存続

 

ペトロ 岩橋 淳一

「わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。」 (使徒パウロの二コリントの教会への手紙 5・1)

「わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」 (ヨハネによる福音書 6・39―40)

すべての人に例外なく死は訪れる。
人はそれを充分知っていながら、自分の死については直近のことはせず何かと理由をつけて後回しにする傾向にある。
そうした不安定な状態を落着かせるために、色々考え理性的に納得しようとする。
たとえば――自分の死後、再び自分が生まれるとすれば人類界には何ら刷新も発展もないだろう。
極悪人が死刑に処せられても再び生まれ直すとすれば単純に善悪の判断がつかない。
すくなくても天罰の意味が不明になるなどとも考えてしまう。
その逆に天使のような幼な児の死に直面したり、善人の不慮の死などに接すると、死のもつ冷酷さを思い知り、人間の思惑をはるかに超える天の支配の下に、いかに人間が小さく無力であることを嫌というほど味わうことになる。
昔の人々はどのように人の死をとらえていたのかについて多少の研究成果があるので、かい間見をしてみる。
今とは違い、大自然の中に身を委ねて感性が鋭敏だったに違いないかれらの証しは、今の私たちにも一つの光明になるにちがいないからである。
人は、その死を他の動物たちのそれとは区別していたことは、考古学者たちの人骨発掘とその学術的研究によって徐々に明白になってきている。
それによって、人はその存在の始めから、死後存続を確信し、死後信仰が生まれ、宗教的発展を重ねてきたことが解明されつつある。
死後の存続の信仰は、最古の時代から、血の儀礼的代替物としての、それゆえにまさに生命の「象徴」としての赤色土(ベンガラ)の使用によって証明されると推察されている。
死体に赤色土をかける慣習は、周口店(北京原人、上洞人の発掘現場。およそ40万年前から30万年前と推定される地層。
前期旧石器時代)からヨーロッパの西岸まで、アフリカは喜望峰まで、オーストラリア、タスマニア、アメリカ大陸では南端のティエラ・デル・フエゴに至るまで、時空を超えて世界中に広く分布している。
死後存続の信仰ゆえに死者の埋葬には特別な努力が傾けられている。
旧石器時代後期(4万~1万年前)には土葬の慣行は一般化したと思われる。
赤色土をふりかけられた死体に相当数の装身具が供えられており、墓の傍に見出される動物の頭骨や骨は、死者への供物と考えられ、儀礼的な食物を意味している。
死体とともにある「副葬品」を研究する学者は、それを個としての死後存続の信仰のみならず、死者が他界で独自の行動を続けるという確信をも示していると示唆する。
こうした非常に単純な埋葬儀礼に含意されている宗教的シンボリズムの豊かさと深さをよりよく理解するためには、現代実在するアルカイック(他文化と非交流のまま伝統的な生き方をする古典的)な少数民族の埋葬儀礼を参考にする学者も多い。
特に注目されているのは、コロンビア、サンタマルタのシエラ・ネヴァダに住むチプチャ語を話す先住民族のコギ族のそれで、1966年に営まれた少女の埋葬が報告されている。
墓所の選定の後、シャーマン(祈祷師、霊媒師、巫女)は一連の儀礼的身振りを行ない、次のように宣言する。

「ここは死の里である。ここは死の祭りの舘である。ここは子宮である。わたしは舘を開こう。舘は閉ざされている。わたしはそれを開こうとする。」

それから彼は、「舘は開かれた」と告げ、男たちに墓穴を掘るべき位置を示し、退席する。
死んだ少女は白布で包まれており、彼女の父親は経(きょう)帷子(かたびら)を縫う。
その間、死者の母と祖母はほとんど歌詞のない唄をゆるやかに歌っている。
墓の底に緑色の小石、そして貝殻と巻貝の殻が敷かれる。
次いでシャーマンが重すぎるという印象を与えながら、死体を持ち上げようとする。
そして9回目にやっと成功する。
死体は頭を東に向けて安置され、「舘は閉ざされる」、すなわち墓穴は埋められる。
続いて、墓の回りで他の儀礼的所作をしてから、最後に全員が墓所から退場する。
その儀礼は2時間にわたって営まれた。
考古学者が将来この墓を発掘したとすれば、頭を東に向けて葬られた遺骨と若干の小石と貝殻を発見するだけであり、その儀礼と、含意されている宗教的観念を、発掘物だけでは論ずることはできないであろう。
現代人であっても、コギ族の宗教を知らない観察者には、その儀式のシンボリズムを理解することは困難であろう。
墓地を「死の里」、「死の祭りの舘」と呼び、墓穴を「舘」、「子宮」と呼び、供物を「死者の食物」と呼ぶことなど、コギ族独自の宗教的観念があるからである。
葬儀は、儀礼によって墓の周囲に溝をめぐらせ最後の浄めの式で終わる。
コギ族は、世界――宇宙母神の子宮――とそれぞれの村、祭りの舘、家、墓とを同一のものと見なしている。
シャーマンが死体を9回持ち上げるのは、妊娠期間の9ケ月を逆にさかのぼり、死体を胎児の状態に戻すことを意味する。
墓は世界と同一視されるので、葬儀の供物は宇宙的意義を獲得する。
さらに「死者の食物」である供物は、性的意味(コギ族の神話や掟において、「食べる」行為は性的行為を象徴する)を含んでおり、その結果、それは母神を多産にする「精液」となる。
貝殻は多くのシンボリズムを担っており、家族の生存者を意味する。他方巻貝は死者(少女)の「夫」を象徴するので、それを墓(少女の家)に入れてやらねば、少女は他界に到達するや否や「夫を要求し」、同じ部族の若者の死を招くことになるのである。
これらコギ族の埋葬に含まれている宗教的シンボリズムの分析から得られる知識で、すべての埋葬を説明することは避けるべきである。
しかし、神の啓示を記す書物(聖書)を知る由もない隔離されたアルカイックな民族の中に、人の死を尊厳をもって受け容れ、死後の存続を当然のこととして手厚く葬る人たちのいることは非常に興味深い。
わたしたちは種々の情報や経験を前提に、自分の未来を見通そうとするため、真実(ほんもの)の性に乏しいかもしれない。
自分が信じているキリストに関しても同様かもしれない。
キリストについての理論や学説、他者の信仰告白や歴史・文化などに精通していても、キリストの実像と自分の出会いから生まれる確信、信仰がどれほど大切かについては言をまたない。
人の死についても同じように言えるかもしれない。
現代は人の死に関する情報が余りにも多く、死に対して「麻痺感」すら覚えるかもしれない。
わたしたちはコギ族でもないし、またかれらの住環境や歴史体験とも異なるが、まぎれもなくコギ族と同じ人類の一員なのである。
人類の進化や生命本体に刻まれた「死への意識」を再び揺り戻して直視することは、生きることや死後の存続について自分なりの認識が新たに生まれる可能性が高い。
その次元に立ってはじめてキリストの復活のメッセージが身近になるものと確信するものである。

(カトリック上野教会 主任司祭)

(注)なお 考古学的な情報は『世界宗教史』(ミルチア・エリアーデ著 筑摩書房発行 一九九一初版)に拠る)

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