ペトロ 岩橋 淳一
『お父様は、フリージアが大好きだったのヨ……。』
毎年2月になると、この母の言葉を想い起こし、わたしの心ははるか父の許へと旅立ちます。
2月4日。
今年は父の記念日を上野教会で迎え、61周忌という時の流れを意識しました。
誘われるようにフラワーショップを見つける自分がおり、その可憐な容姿のわりには甘強い香りの中で、父と同化するひと時を過ごしたものです。
父は35歳で旅立ちましたが、わたしが同じ歳を迎えた時には、フリージアの花瓶を前に父の充実感、無念さ、神への委託など往来したであろう父と、交流の時をもったことを、今でも鮮明に覚えています。
夕日を背に日焼けした顔に白い歯をニッと輝かせた笑顔の父……。
飼っていたドーベルマン(犬)が幼い私の両肩に前足をのせて立ったままの時、怖くて緊張しているわたしに救いの手を差しのべてくれた父……。
長い病床に臥せった時に輝きを失っていく父の顔…。
わたしが幼かったせいもあり、父の記憶は断片的であり、後年になり母の種々の父との想い出ばなしをきくことにより、ある程度父を連続的に杷えるようになったのです。
どうあれ、わたしの父を貫く印象は、はじけるような輝く笑顔であり、同時にそれはわたしの力の源にもなっているのです。
35歳を迎えた時のわたしは、皆と同様これからの人生は父の分も……というより、父と共に歩みたいと決意したのでした。
父は臨終洗礼のお恵みを受けさせていただきましたが、わたしが司祭の道を歩むなど、まったくの想定外の出来事だったでしょうね。
父の絶筆になったノートの半分はまだ白紙のままで残っており、母はよくわたしに「この残りにはジュンが書き足してネ」と見せてくれていたのです。
父の専門は電気技術系でしたので、そのノートにはまだわたしの字は記入されていません。
フリージアの花を挿入して押し花にしょうかな……。
母を通して伝えられた、わたしへの父の遺言は「名前のジュンの通り、清い人間であってほしい」ということだったそうです。
そうかフリージアのイメージ……。
フリージアがわたしに父のことをいろいろ伝えてくれる、わたしの2月なのです。
四旬節の精神まで伝えてくれる父なのです。
…おわり…