今は亡きお二人へのメッセージ

 

フランシスコ・ザビエル 深水 正勝

この130号には、きっと多くの方々の原稿が寄せられると、聞いていますので、私のものは、普段よりも短くさせていただきます。
明後日、枢機卿の名代で、オランダの北部、フリースランドのグロニンゲン司教区の招待で、今年、第二次世界大戦終結後、60周年を記念して行われる、”ゆるしと和解“というエクメニカルな祈りの集いと、シンポジウムに、日本を代表して、参加しますので、急いでこの原稿を書いておきます。
129号で、ご病気の最後の日々を迎えておられたヨハネ・パウロ二世教皇は、ちょうど私たちが、ギリシャ・トルコへの巡礼に出かける日、帰天されました。
この偉大な足跡を残されたヨハネ・パウロ二世教皇様の、世界平和への大いなる貢献については、全世界の人々が、宗教の違いを超えて感謝しましたが、その目に見える印となったのが、全世界の報道でした。
数々の業績の中で、私が特に印象深く思ったのは、ちょうどNHKから依頼されて、ヴァチカン大聖年の扉を開く、クリスマスの生中継にお手伝いをしたからです。
教皇様は、3千年期への扉を開くに当たって、「三千年期を迎えるに当たって」という書簡を発表されて、その中で、「新しい世紀への門を開くに当たって、カトリック教会が過去幾たびに渉って、犯した過ち、不忠実、矛盾、怠りについて、深い悔悟の心で、自らを洗い清めることなしには、前に進むことは出来ません。
過去の過ちを正しく認識することは、誠実な行為で、私たちの信仰を強める勇気ある行為です。
こうして、私たちは今日の様々な誘惑や、挑戦に対決していく準備が出来るのです。」と仰って、はっきりとした言葉でゆるしを請われました。
このような教皇様の勇気のある誠実な行為にみならって、60周年を迎える、オランダの教会も、ドイツを始め、日本など過去に戦火を交えて、その結果、今日でもなお残る、憎しみを乗り越えて、ゆるしと和解への道をさらに一歩ずつ進めようという努力です。
国と国との間の、過去の罪やそこから生じるお互いの感情は、なかなか時間がたってもぬぐわれることが難しいのは、最近の韓国、中国で起きた、若者たちの反日デモで良くわかります。
けれども、一方で、政府ではない、いわゆる私たち民間の、草の根の人々が自発的に相互に行う“ゆるしと和解“の行為は、お互いの顔と顔をあわせての行為である為に、その働きは必ず良い実りを結びます。
私は、中国との間でも、韓国との間でも、又オランダとの間でも,なんどもこのような体験をしてきました。
先日帰国されたばかりの、白柳枢機卿様が、コンクラーベでお会いした韓国の金枢機卿様とお目にかかられたとき、最近の韓国との様々な相互不信の高まりについて、いつかゆっくり二人で話し合いをして、この問題の解決に努力してみたいと二人で合意されたとのことです。
韓国と日本の枢機卿様が、公のテレビなどで,このような話し合いをなさるのは、きっと双方の教会だけでなく、両国民にとっても、大きな意味をもつことになるにちがいありません。
何とか実現させたいものです。
さて、ヨハネ・パウロ二世教皇様が、最後の日々を迎えておられる頃、この、上野教会でも、川原真理さんが、最後の時に向かって歩んでいました。
勿論、本人も私たちもそうとは知りませんでしたが、4月28日にその戦いを終えるまで、彼女が41年の人生の間に担い続けた、彼女の十字架は、決して教皇様の担われた大きな十字架と比べても、神様のみ前で同じように輝かしいものでした。
私が少年時代からお世話になった、今田健美神父様が仰った言葉ですが、「神父というものは、自分が神父としてお世話をする筈の、信徒の信仰生活を糧にして、成長するものなのだ。
特に、信徒の立派な死に接することは、神父にとって掛け替えのないお恵みなのだ。」
川原真理さんにこの上野教会に来て、初めてお会いして以来、彼女は既に、重い病と闘う毎日でした。
調子の良い日々には、御ミサにこられるばかりでなく、好きな絵を描いたり、詩を作ったりばかりか、自分よりももっと苦しい立場にある人々への奉仕までも、疲れる体に鞭打って喜んでやっていたようです。
病に対しても、様々な治療法を試み、若いからだの中で進行する病を何とか克服しようと最善の努力をしていました。
でも、病は確実に進み、そのような中で、希望を持ち続けることがどんなに素晴らしい人間としての行為であったか、私の想像を超えるものです。
まさに超人的な努力であったと思います。
うぐいす128号、四旬節誌で、彼女は「パッション」を見てと言う文を寄せてくれました。
「私もまた大病による病気疲れに悩まされている。長いトンネルの先にはきっと光が待ち受けていると、確信させる力が映像にはあった。」と書いていました。
最後に、川原真理さんが、帰天される2日前の4月26日に、作られた詩を持って私の追悼を終わりましょう。

「空からの宝物 以前の私は、空は空っぽだと思っていた。
今の私は、そこに沢山の宝物を見る。
沈黙の時には歌の奏律を。悲しみの時には希望を。
孤独の時には美しいささやきを。
漆黒の夜には降りつずける星がいつまでも胸をときめかせてくれる。
わたしにとって空が美しくなったのは、たくさんの天使との出会い、天使との出会い、人々から授かったたましいの祈りのしずく。神に感謝」

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