安藤政輝 宮城道雄全作品連続演奏会 記録
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 このシリーズについては、読売新聞記事毎日新聞記事をご覧ください。
 解説・年表は執筆者のお許しをいただきまして掲載しておりますが、転載はご遠慮ください
回 数 年月日 曲 順 会  場
1990/ 3/16 1〜 6  星陵会館ホール
1990/ 8/30 7〜 21  星陵会館ホール
1991/ 2/28 22〜 35  津田ホール
1992/ 2/27 36〜 45  abc会館ホール
1992/ 8/ 5 46〜 56  東京芸術劇場小ホール2
1993/ 2/27 57〜 71  東京芸術劇場小ホール2
1993/ 7/27 72〜 90  東京芸術劇場小ホール2
1994/10/12 91〜 94  国立教育会館 虎ノ門ホール
2007/ 9/27 95〜113  紀尾井小ホール
10 2008/ 2/22 114〜128  紀尾井小ホール
11 2008/10/ 2 129〜146  東京証券ホール
12 2009/ 3/ 2 147〜157  四谷区民ホール
13 2009/ 9/ 2 158〜180  旧東京音楽学校奏楽堂
14 2010/ 5/11 181〜197  すみだトリフォニー小ホール
15 2014/ 6/ 9 198〜204  紀尾井小ホール
16 2015/ 9/ 2 205〜212  紀尾井小ホール
17 2017/ 4/25 213〜219  紀尾井小ホール
18 2018/ 4/23 220〜226  紀尾井小ホール
19 2019/ 4/24 227〜237  紀尾井小ホール
20 2020/ 4/18 238〜248  ネット公開
21 2021/ 4/17 249〜258  ネット公開
22 2022/ 4/17 259〜269  紀尾井小ホール
23 2023/ 8/27 270〜279  紀尾井小ホール
24回(予定) 2024/ 8/3(土) 280〜  紀尾井小ホール
25回(予定) 2024/12/8(日)  紀尾井小ホール
26回(最終回・予定) 2025/  紀尾井小ホール
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      宮城道雄全作品連続演奏会                   1990/3/16 連続演奏会トップへ
▼第2回へ
宮城道雄前作品連続演奏会1チラシ
                    演奏会によせて      
                                           宮城喜代子
     
 「宮城道雄先生の作品を世界中の人に聞いてもらいたい」 今から20年ほど前になるでしょうか。安藤政輝さんのリサイタルのごあいさつにこう書いてあったのを思い出します。      
 あの時から、また20年の歳月が流れました。      
 現在の安藤さんの活躍については、ここにあらためて申し上げるまでもないことと存じますが、あらゆる場で一歩一歩、着実に前進を続けておられること、大変に嬉しく思います。      
 さて、4年後の平成6年(1994)には宮城道雄の生誕100年という記念すべき年を迎えることになり、現在いろいろな企画が立てられています。      
 明治27年(1894)4月7日、神戸に生れた宮城道雄は、盲目というハンディキャップと幾多の困難を乗り越えて、処女作「水の変態」を始め、多くの人々に親しまれている「春の海」など、多数の作品を世に残しました。また優れた演奏家、教授者、随筆家としての偉業も、既に皆様ご承知のことと存じます。      
 このたび安藤さんは、その宮城道雄の作品を連続して取り上げる演奏会を催されることになりました。時宜にかなった有意義な企画と思います。      
 随筆家、内田百闔≠ヘ「宮城道雄は後世に傳へなければならない」と書いています。      
 宮城道雄没後、既に30数年経ちましたが、ますます、その作品が光を増しているように思われますのは、安藤さんのように、宮城道雄を目標とし、また精神的な拠りどころとして精進している多勢の門人の皆さんのお蔭でしょう。ありがたいことと思います。      
 安藤さんには今後いっそうこの道に精進され、国際的な箏曲家として大いに活躍されますよう心から期待いたします。      

                   演奏史上画期的な壮挙に敬意
                                    宮城道雄記念館館長 吉川英史
      
 来る1994年は「春の海」の作曲者、「現代邦楽の父」宮城道雄の生誕百年に当たります。そのための記念事業が、いろいろと企画されていて、すでに着手されているものもあります。       
 しかし、個人の企画として、安藤君の「宮城道雄全作品連続演奏会」ほど、長期的で、気宇壮大な企画はありますまい。いや、このような企画は、技量と才能だけでは実行できるものではありません。「全作品」といっても、宮城の作品の数の多いことは、峰崎勾当や山田検校や十代目杵屋六左衛門たちとは比べものになりません。       
 この連続演奏が、5年や6年で打ち上げになるとは思われませんが、そのような長期的企画を思い立つ所に、安藤君の恩師宮城道雄先生に対する追慕の念の、並大抵ではないことが知られます。       
 安藤君が宮城先生に弟子入りしたのは、まだ小学校2年生の可愛らしい坊やの頃でした。道雄先生のお喜びは一通りではなかったようです。恐らく、それまで道雄先生にはあどけない坊やの弟子入りはなかったのでしょう。       
 この坊やの弟子第1号は、めきめき上達して、東京新聞の邦楽コンクールで、三曲の児童部門の第1位に人賞しました。その頃審査員の一人として、舞台や新聞で講評も受け持った私は、政輝(当時正照)君の頭を愛撫したものでした。       
 やがて正照少年は成長して、日比谷高校から慶応大学を経て東京芸術大学大学院に入学し、博士課程に進んだばかりか、遂に邦楽出身の学術博士(第1号) を贈られました。恩師宮城先生のお喜びもさこそと推察しましたが、今回の「全作品演奏会」で、一層恩師に報いようとしている政輝君に、私からも大きな拍手を送りたいと思います。       
 さて、第1回の演奏曲目は、処女作「水の変態」から「都踊」までで、今の数え方(満)では14歳から20歳までの、正に少年期の作品であります。それなのに、今も名曲として愛奏される曲が4曲もあることは驚嘆の至りです。天才というほかはありません。       
 宮域先生の創作活動とその背景についての話をせよと、安藤君に頼まれました。結婚式の仲人なのだから、その位は当然だといいたげな顔です。しかし、やる中身が全作品の連続演奏という健気な企画でなかったら断りたいところでした。しかし、何しろ宮城先生の作品とあっては断れません。安藤君もそこを承知した上での依頼でしょう。       
 だが、この連続演奏が完了するまでは、うかつに死ねない。そう考えると、安藤君は命の恩人かも知れません。中途で挫けないで完遂してくれることを祈ります。       

                 宮城道雄全曲演奏会を始めるにあたって       
                                            安藤政輝

 本日はお忙しい中をご来場いただきましてありがとうございます。       
 宮城道雄の作品は約300曲といわれていますが、一人の作曲家の作品としては珍しく、「パイエル」に相当する手はどき用のものから洋楽の声楽家を対象とした歌曲、オーケストラとのコンチェルトまで分野が広〈、また次代を担う子供のための「童曲」も約100曲を数えます。       
 いつの日かその全作品を弾いてみたいという"夢"を抱いておりましたが、1994年に宮城道雄生誕100年を迎えるにあたり、いよいよこの遠大なシリーズに挑戦することを決意しました。       
 しかし、なにぶん曲数が多いので10年くらいかかるのではないかと思われますが、作曲年代に沿って、宮城道雄先生の"心"を弾いていきたいと考えております。       
 なお、今回は処女作「水の変態」(1909年作曲)から1915年作曲「都踊」までを演奏いたしますが、1915年作曲の「かけひの音」(大和田建樹作詞)のように、作曲年表に曲名は載っていても楽識が散逸してしまった曲もあります。楽譜の所在にお心あたりの方は、ぜひご一報下さいますようお願い申し上げます。       
 終りになりましたが、おことばをいただきました宮城喜代子先生、吉川英史先生、快くご出演をお引き受け下さいました山本邦山氏をはじめ、会の開催にご援助・ご協力をいただきました皆様に、心から御礼を申し上げます。       

  プログラム 
演奏順 曲  名 作曲年 作詞者 編 成  助 演 
1  水の変態 1909 『高等小学読本』より  箏本手
 箏替手
吉川 英史
山本 邦山
        
安藤 珠希
石井まなみ
江川てる子
高洲 満子
長谷川 慎
山 ア  忍
与田 愛子
2  唐 砧 1913 ---  箏高音
 箏低音
 三絃高音
 三絃低音
3  笛の音 1913 大和田建樹  箏本手
 箏替手
4  春の夜 1914 土井 晩翠  箏本手
 箏替手
 尺八
5  初 鴬 1914 大和田建樹  箏本手
 箏替手
 尺八
6  都 踊 1915 大和田建樹  箏高音
 箏低音
 三絃
 尺八
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・@ 宮城道雄全作品連続演奏会 2    1990/8/30 ▲第1回へ
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宮城道雄前作品連続演奏会2チラシ
童曲作曲の意義―――第2回演奏会に寄せて
宮城記念館 館長 吉川英史

 宮城道雄の生誕百年に因んで企画された安藤政輝君の「宮城道雄全作品連続演奏会」は、今回その第2回を迎えることになりました。       
 この第2回目に演奏される曲の範囲は、宮城が京城を引き上げて東京に移った大正6年(1917)から、第1回作品発表会を開いた大正8年(1919)までの作品であります。 具体的には、<春の雨>から<尾上の松>までということになります。       
尤も、<尾上の松>は純然たる宮城曲ではありません。九州で行われていた作曲者不詳の三絃伴奏の曲であります。 その三絃の原曲に合奏できるように箏のパートを新たに宮城が作曲したのです。このような場合を、その道では”箏の手付け”と申します。


 
以下つづく
ごあいさつ
安藤政輝
      
 本日はお忙しい中をご来場いただきましてありがとうございます。       
 宮城道雄全曲演奏会−2を開催できますのも、皆様のあたたかいご支援の賜物と感謝しております。       
 今回は、宮城道雄が満24歳で東京に出てきたところから始まり、第1回作品発表会を経て、 1919年(大正8年)までの15作品を演奏いたします。       
 今回の特色は、1917年(大正6年)の<春の雨>に始まる「童曲」にあると申せましょう。 一般的には、1918年(大正7年)に始まる“「赤い鳥」運動”による「童謡」の方が有名ですが、それより前に箏による子供達のための音楽が起こっていたのです。 ところで、「童曲」には子供が箏を弾きながら歌う手の易しいものと、大人が箏で伴奏をし子供が歌を歌うものがあります。 また大人が弾いて子供に聞かせる歌を伴わない曲もあります。       
 今回のゲストには、音楽教育における唱歌の研究をなさっていらっしゃる東京学芸大学助教授・澤崎眞彦氏をお招きしました。 宮城童曲の歴史的位置などについても伺いたいと思っています。       
 童曲の他にも、初めての箏四重奏曲<吹雪の花>、全曲が3拍子でできた初めての曲<若水>、 初めてカノン形式が取り入れられた<秋の調>、古典曲への箏手付<尾上の松>など、 一作ごとに新しい境地を開拓していった軌跡をたどってみたいと思います。       
 終わりになりましたが、作品年表(その2)を作成いただきました吉川英史先生、快くご出演をお引き受けくださいました横山勝也氏・ 青山恵子氏・柴田旺山氏をはじめ、会の開催にあたりご援助・ご協力をいただきました皆様に、心から御礼申し上げます。       

演奏順 曲 名 作曲年 作詞者 編 成 助 演
7  春の雨 1917 葛原しげる  箏 澤埼 眞彦

横山 勝也
青山 恵子
柴田 旺山
        
安滕 晃英
安藤 珠希
石井まなみ
江川てる子
真田江津子
浜崎 悦子     
与田 愛子
8  鯉と麩 1918 葛原しげる  箏
9  秋 1918 葛原しげる  箏
10  おさる 1918 葛原しげる  箏
11  かたつむり 1918 不 詳  箏
12  文福茶釜 1918 葛原しげる  箏
13  珠と鈴 1918 葛原しげる  箏・尺八
14  吹雪の花 1919 ---  第1箏・第2箏・
 第3箏・第4箏
15  岩もる水 1918 不 詳  箏
16  君のめぐみ 1918 大和田建樹  箏・三絃
17  若 水 1919 島崎 藤村  箏・三絃・尺八
18  秋の夜 1919 小林 愛雄  箏・尺八
19  秋の調 1919 小林 愛雄  箏・尺八
20  七 夕 1919 島崎 藤村  箏
21  尾上の松 1919 不 詳  箏・三絃・尺八
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  宮城道雄全作品連続演奏会 3          1991/2/28 ▲第2回へ
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宮城道雄前作品連続演奏会3チラシ
当時の作曲者とその周辺 ――― 第3回演奏会に寄せて
宮城道雄記念館 館長
  吉川英史

 「宮城道雄全作品連続演奏会」は、今回第3回を迎えることになりました。演奏曲目の作曲年代からいえば、大正9年(1920)から大正10年にかけての作品ということになります。
 宮城道雄は第1回作品発表演奏会を終わると間もなく、浜町から牛込の払方町に引越しました。大正8年5月のことです。 次の転居先市ヶ谷加賀町に移るまで(大正12年3月)払方町の住人となったのですから、今回の演目は“払方町前半期”の作品ということになります。
 この時期は、宮城にとって経済的には誠に深刻な貧困時代で、貞子夫人やその姪の清子さん(現宗家宮城喜代子)は、足しげく質屋通いをしなければなりませんでした。 しかし芸術的には豊かな時代で、前回既に演奏ずみの<秋の調>や、今回の目玉商品である<落葉の踊>などの名曲が数多く作曲された時期であります。
 次に、この時期に特筆すべきことは、宮城道雄後援会が設立されたことであります。しかし、後援会とはいっても、その主な会員は学者や洋楽関係の音楽家であり、実業家や政治家でない所に特色がありました。 その人数も多くはありませんでしたから、経済的援助よりも、精神的・知脳的な援助という点に特色がありました。
 それでも、当時としては破天荒な入場料であった世界的巨匠エルマンのバイオリン演奏会に夫人同伴で行けたのも、宮城音楽に新生面をもたらすことになる新楽器十七絃を完成させる費用が出せたのも、他ならぬこの後援会の金があったればこそであります。
 なお、この時期―大正9年と大正10年中に、それぞれ第2回第3回の作品発表演奏会が開かれましたが、その会場が第1回とは違って、東京音楽学校の奏楽堂であったことも、注目に値します。 当時は今と違って演奏会場はほとんどなかったので、第1回はキリスト教の教会である本郷の中央会堂を借りたのでした。東京音楽学校の奏楽堂は当時としては最良のホールでありましたが、一般には貸さなかったのです。それが借りられた陰には、後援会のメンバーその他の誠意ある尽力がありました。
 演奏会といえば、今一つ書き漏らすことのできない演奏会があります。大正9年11月27日、東京の有楽座で行われた「新日本音楽大演奏会」であります。 この演奏会は、第1部宮城道雄の作品、第2部本居長世の作品による合同演奏会でしたが、宮城道雄の作品を呼ぶ代名詞ともなった「新日本音楽」という名称は、この合の名称から来たもので、 その名付け親は、宮城の親友であり、合奏の相手であった尺八家吉田晴風(当時は竹堂)でありました。

ごあいさつ
安藤政輝

 約300曲と言われる宮城道雄の全作品の連続演奏会も第3回目を迎えました。 今回は、1920年(大正9年)と1921年(大正10年)の作品を14曲取り上げます。
 1920年という年は、10月に第2回作品発表演奏会が東京音楽学校奏楽堂で行われ、11月に「宮城道雄後援会」が発足、そして、同月「新日本音楽大演奏会」が有楽座で開催されたという年であり、 また、1921年には、8月に宮城数江先生(当時は牧瀬数江)が入門し、10月に第3回作品発表演奏会開催というように、宮城作品が華々しく世に出ていった時期にあたります。
 14曲のうち、<あひる>など7曲が子供のための「童曲」です。 また、大人向けの「歌曲」も<せきれい>など3曲あります。その他、注目すべき曲の第一は<ひぐらし>です。 宮城道雄が音域と音量の拡大を狙って改良した「大胡弓」を発表したのは、音域から考えて、 この箏・胡弓・尺八の三重奏曲<ひぐらし>であったろうと思われます。
 次に注目すべき曲は<落葉の踊>です。十七絃は1921年(大正10年)の、 箏・三絃・篠笛・十七絃・胡弓・尺八による管絃合奏曲<花見船>で発表されましたが、残念ながら現在は楽譜が残っていません。 続いて作曲された箏・三絃・十七絃三重奏曲の<落葉の踊>が事実上の十七絃を使用した第1作ということになっています。

演奏順 曲  名 作曲年 作詞者 編 成 助 演
22  春の風 1920 葛原しげる  箏・尺八 吉川 英史

川村 泰山
桑原 栄子
拝田 明子
拝田 祥子

安滕 晃英
安藤 珠希
石井まなみ
高洲 満子
山 ア  忍
与田 愛子
23  紙風船 1921 葛原しげる 箏
24  白 兎 1920 葛原しげる 箏
25  紅薔薇 1920 小林 愛雄 箏・尺八
26  尊しや 1921 九條 武子 箏・三絃
27  吼 ロ歳 1920 多門庄左衛門  箏・三絃
28  梅と鶯 1920 葛原しげる 第1箏・第2箏・
 第3箏
29  燕と少女 1920 葛原しげる  箏
30  あひる 1920 葛原しげる  箏
31  おんどりめんどり 1920 葛原しげる  箏
32  こすもす 1921 与謝野晶子  箏・尺八
33  せきれい 1921 北原 白秋  箏・尺八
34  ひぐらし 1920 −−−  箏・胡弓
35  落葉の踊 1921 −−− 箏・三絃・十七絃
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  宮城道雄全作品連続演奏会 4       1992/2/27 ▲第3回へ
▼第5回へ
最悪・最良の年の作品群 ―― 宮城道雄全作品連続演奏会4 ――
吉川英史

 安藤政輝君の〈宮城道雄全作品連続演奏会〉も第4回を迎えることになった。今回の演奏会で取りあげられる曲は、大正12年(1923)に作曲されたものが中心になっている。
 大正12年といえば、あの関東大震災の年であり、東京に住む住まないに拘らず、日本全体にとって凶年というべきであろう。それなのに作曲家としての宮城にとっては、意義深い傑作が次々に生まれた豊年であり、吉年であった。
 高田桂堂は雑誌≪三曲≫の誌上で、こう書いている―――
“宮城師が最も油の乗ったと思われる大正12年(中略)、この1年の作品だけでも、質量ともに、他の作曲者の一生を凌駕(りょうが)するに足るものである。(昭和16年2月号<紫柳荘雑記帖>)。
 この大正12年の作品の中で、特筆すべきは<さくら変奏曲><薤露調(かいろちょう)><雨><蜂>である。<さくら変奏曲>は宮城の数ある変奏曲の中で最初の作品であるばかりでなく、邦楽の変奏曲の記念すべき第1作でもある。また、<薤露調>は恩人朝比奈・ム之助氏の死に対する哀悼の曲であるが、同時に小編成ながら、宮城が初めて手がけた管絃楽曲という意味においても、邦楽器による日本最初の管絃楽という意味においても、画期的作品なのである。
 これらの意義ある曲を宮城に作曲させた原動力となったものに、今村銀行社長今村繁三氏の金銭的援助があった。田辺尚雄の恩師中村清二博士は、大正11年3月、日本工業倶楽部で聴いた宮城曲に感銘を受け、生活費を稼ぐ時間をなるべく切り詰め、作曲に多くの時間が使えるように、名を秘して毎月援助金を贈ったのである。
 大正12年8月31日の晩、宮城は<薤露調>の楽譜を持って田辺邸を訪れ、有楽座での笙の吹奏を依頼した。田辺は快諾した上、曲についての意見を述べ、宮城の賛同を得た。
 9月の有楽座の宮城の演奏会の成功を夢見ながら胸をふくらませて帰宅した翌日、9月1日例の関東大震災が起こったのである!! 東京だけでも9万余の死者を出し、46万余戸の家屋を失った大惨事の勃発で、演奏会どころの状態ではなかった。幸いに宮城の家は被害を免れたが、<薤露調>の初演は、翌大正13年5月の報知講堂での第4回作曲発表会まで待たねばならなかった。
 家は被害を免れても、弟子たちの稽古通いは困難になったし、自分の演奏会は開かれぬばかりか、他の演奏会その他へ招かれる機会もほとんどなくなった。その上に、毎月金銭的援助を続けてもらっていた今村銀行の今村繁三氏も大震災の被害で破産したのである。
 途方にくれた宮城は、牧瀬喜代子と数江(後の宮城宗家)二人に留守を托して、思い出深い第2の故郷京城(現在のソウル)に昔の弟子たちを頼って行くことにした。稽古のほか、講習会や演奏会も催したが、それよりも作曲家宮城にとって記念すべきは、李王殿下の妹徳恵姫の2つの童謡<雨><蜂>に作曲したことである。大震災前の輝かしい作品群に比べて、大震災後の作品がこの童曲2つだけとは!! 宮城が受けたショックの大きさが分かるような気がする。


宮城道雄全作品の演奏会(4)にあたって
安藤政輝

 本日はお忙しい中をご来場いただきましてありがとうございます。
 約300曲と言われる宮城道雄の全作品の連続演奏会もおかげさまで第4回目を迎えることができました。 今回は、1921年(大正10年)と1923年(同12年)の作品を10曲取り上げます。
 1923年(数え年30歳)は、吉川先生の解説にもあるとおり、本日演奏する曲に<母の唄><大鳥(現在不明)>を加えた11曲を作曲した、 宮城道雄にとって最も充実した年と言われています。
 <むら竹>(1921年)は箏と笙の伴奏による歌曲です。 宮城道雄はこの頃、宮内庁楽部の薗・当セ氏について笙と篳篥を2年間習っており、その成果がこの曲と<薤露調>、 後になって1948年(昭和23年)の箏・笙伴奏の歌曲<観音様>および、<道潅><日連>などの大合奏曲における「楽の手」などとなってあらわれるわけです。また、<薤露調>では、笙の他に前回ご紹介した大胡弓、および箏・十七絃・尺八・打楽器が使われ、(現存する中では)初の管絃合奏曲となっています。本日は、先ごろ芸術院会員になられた、笙演奏家・多忠麿氏をお招きしました。箏と笙のハーモニーを十分にお楽しみいただけると思います。
 ところで、十七絃が1921年(大正10年)の<落葉の踊>で発表されたことは前回お話ししましたが、その時使われたのは、 長さ8尺(約240cm)の十七絃でした。その後長さ7尺(約210cm)の「小十七絃」が作られ、本日演奏する三重奏曲<さくら変奏曲>と、代表的な二重奏曲<瀬音>に使用されました。小十七絃の調絃法は、チェロの音域である「大十七絃」のものより全体に5度高く、ちょうどビオラの音域にあたります。しかも高音域を7音階ではなく5音階にとり、箏との音域の重複が大きくなっている上に、糸も細めになっているために音色の差も縮まり、その結果、大十七絃の目的である「低音による伴奏」*に加えて、箏と対等にメロディを演奏するという新しい十七絃のスタイルが確立されました。
 また、<舞踏曲>はワルツを模した非常に明るい曲です。現在は箏3面と十七絃1面の編成で演奏されますが、 作曲者の意図が「西洋の弦楽四重奏(ヴァイオリンT・U、ビオラ、チェロ)を日本の楽器で」にあったとすれば、本日のような箏2面と大小十七絃という編成が本来の姿ではないかと思われます。しかし、当時まだ貴重な存在であった十七絃を大小2面も使うとあっては、せっかくの曲も演奏されにくいという配慮から、現在の形のようになったのではないかと考えられます。小十七絃の代わりに低音部を受け持つ第3箏には、箏の音域ギリギリの低さの上に、他の曲には絶対出てこない第3絃の強押し(1音押し上げる)や第2絃の弱押し(半音押し上げる)があるなど、演奏には相当無理があります。
 <比良>は、昔からの三曲合奏形式にのっとり、しかもその中に新しい雰囲気が表されています。 尺八は、三味線と同じ旋律ではなく、箏・三味線と対等に旋律を奏していきます。演奏時間こそ短いのですが、第2回に演奏した<尾上の松>に似たスケールの大きさが感じられる曲です。本日は、第1回の<春の夜>と共に「この曲が大好き」と言われる山本邦山氏に再びご登場願うことになりました。ご期待ください。
 さて、毎回苦労することは、演奏する曲の楽譜が整っていないということです。 作曲年表に載っていても曲名だけで詳細不明と言う曲がすでに何曲もあるのが本当に残念です。 先日も、宮城道雄記念館の資料室で<かけひの音>の楽譜を偶然発見しました。 他の曲の楽譜の間に挟んであった"手書きの心覚えの譜"で、そのままではすぐ演奏するわけにはいきませんが、 たった1枚の古い紙を手にして文字どおり感激で手が震えました。"解読"してお聞かせできるのを楽しみにしております。 そのような中で、前回<紙風船>を中井猛氏提供の楽譜によって、歌のメロディをユニゾンで演奏いたしましたが、 本年1月、新谷美年子氏門下の福山圭子氏が伴奏譜を提供してくださいました。ありがとうございました。次回に、伴奏付きで再演したいと思います。
 終わりになりましたが、今回も、吉川英史先生に色々とお話しをいただけることになりました。 また、堅田宏氏をはじめ、会の開催にあたりご援助・ご協力をいただきました皆様に、厚く御礼を申し上げます。

 * 宮城道雄「十七絃琴の解説」<三曲>第2巻第4号(1922年4月)

演奏順 曲  名 作曲年 作詞者 編 成 助 演
36  さくら変奏曲 1923 --- 第1箏・第2箏・
 十七絃
吉川 英史

多  忠 麿
山本 邦山
山本 将山
堅 田  宏

安藤 晃英
安藤 珠希
石井まなみ
高洲 満子
長谷川愛子
山ア 忍
37  谷間の水車 1923 --- 箏・尺八
38  山の上 1923 葛原しげる 箏本手・箏替手
39  むら竹 1921 大伴家持 箏・笙
40  舞踏曲 1923 ---  第1箏・第2箏・
 小十七絃・大十七絃
41  薤露調 1923 ---  胡弓・箏・十七絃・
 尺八・笙・打物
42  雨 1923 昌徳宮徳恵姫  箏
43  蜂 1923 昌徳宮徳恵姫  箏
44  比 良 1923 平 兼盛  箏・三絃・尺八
45  瀬 音 1923 ---  箏・十七絃
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      宮城道雄全作品連続演奏会  1992/8/5 ▲第4回へ
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宮城道雄前作品連続演奏会5チラシ
宮城道雄全作品連続演奏会 ―― 第5回に寄せて
宮城道雄記念館 館長
吉川英史

 恩師宮城道雄先生の生誕百年に因んで、愛弟子安藤政輝君が発願した空前の超大企画「宮城道雄全作品連続演奏会」も、回を重ねて第5回となった。今回扱う曲は、原則として、大正13年(1924年)から大正14年までの2年間の作品である。
 あえて“原則として”といったのは、例外として大正10年の作品<紙風船>と大正15年の作品<軒の雫><船唄>が含まれているからである。<紙風船>は既に第3回の会に取り挙げたが、その時には、伴奏の楽譜が見つからなかったので、歌の旋律とユニゾンの箏で演奏しておいたが、幸にその後伴奏の楽譜が見つかったので、再度演奏することになったのである。安藤君の良心的態度と熱心さに敬意を表したい。(ついでながら、現在埋没している宮城曲の楽譜―童曲であれ、小曲であれ―の所在をご存知の方は、安藤君にご一報下さるよう、お願い申し上げる。)また、<軒の雫><船唄>は、演奏者の都合で今回に繰り上げた次第である。
 さて、大正13年から14年までといえば、作曲者が数え歳31歳から32歳までの時期で、人生の壮年期に入った働き盛りの頃というべき年頃である。 しかも、時代背景としては、日本に放送が始まった大正14年という、日本文化史上特筆に価する時期と重なっている。更に特筆すべきは、その試験放送にも、仮放送の場合も、第1日の出演者として、宮城道雄が白羽の矢を立てられたことである(このプログラムの宮城道雄年表(5)参照)
 この前の時期には、森垣二郎と町田嘉章(後の佳声)による宮城曲のレコード化が行われて宮城の演奏家としての名声を高くし、宮城曲の普及に一役買ったが、放送の出現が宮城芸術の普及に果たした効果は、レコードの比ではなかった。
 一方、破竹の勢いで流勢を拡大していた尺八都山流との提携も、宮城芸術の普及に役立った。特に、大正13年3月、都山流尺八譜が宮城曲の公刊を始めたことの意義と効果は大きい。しかし、都山流との結び付きが、西日本大演奏旅行となり、思いがけない大病をひき起こした件は、宮城の病歴の中でも最悪といえるほどのものであった。(14年の年表参照)
 けれども、この時期には良い事もいろいろあった中に、皇室との結び付き、宮家での御前演奏という名誉な事が始まっている。それは幼少時代の童謡<青山の池>の作曲が動機となっているのであろう。しかし、芸術上では、後世に残る宮城曲<春の訪れ><清水楽><湖辺の夕>などの作曲などを問題にすべきである。これら3曲では、すべて尺八が宮城独特の使われ方で効果を挙げ、尺八家に喜ばれているようであり、また<湖辺の夕>は胡弓に新しい境地を開拓した曲として話題になった曲である。
 なお、この演奏会の当日の出席を楽しみにしておられた安藤君の御母堂が急逝されたことは残念至極である。ご冥福を祈ると共に、この世紀の連続大演奏会が有終の美を全うするようご加護下さるようお願い申し上げる次第である。


宮城道雄全作品の演奏会(5)にあたって
安藤政輝

 本日はお忙しい中をご来場いただきましてありがとうございます。
 約300曲と言われる宮城道雄の全作品の連続演奏会も、おかげさまで第5回目を迎えることができました。 今回は1924年(大正13年)と1925年(大正14年)の作品を中心に11曲をとりあげます。 1925年という年は、日本でラジオ放送が始まった年で、3月1日の試験放送初日および、3月22日の仮放送初日にも、宮城道雄の演奏が行なわれました。 以前からのレコードへの録音とともに、ラジオ放送が宮城作品の普及にどんなに役立ったかということは計り知れません。 また、同年10月には、尺八の中尾都山の依頼により大演奏旅行をしています。 レコードが片面3分間のSP盤であり、ラジオ放送も今日とは比べようもない技術未発達の時代にあって、 生田流の牙城である京都・大阪を含む西日本地域に生の演奏を開いてもらえるチャンスを生かしたと言えましょう。 このように、この時期は宮城道雄の芸術が全国に広まっていった時代にあたります。
 <紙風船>は、前回にお約束いたしましたとおりの伴奏付き再演ですが、改めて福山圭子氏にお礼を申し上げます。 <清水楽>は、夜明けの鐘の音を表す前奏に始まる箏2部と尺八の合奏曲です。 箏の奏法自体はさほど難しくなく、基礎的な奏法の復習といった感じでいろいろな奏法が盛りこまれています。 <竹の子><傘舞台>は、子どもが自分で弾くためにできている童曲ですが、後年作曲者によって十七絃の手が付けられています。 <湖辺の夕>は、箱根の芦の湖畔の印象を尺八と胡弓を中心に箏との三重奏にしたもので、中ほどの転調部分では月の出の描写がされています。 <唐松は>は、箏と三味線の伴奏による歌曲ですが、地歌風ではなくて現代的な感じの曲です。 <母の唄>は、<紅薔薇>や<こすもす>の流れの上にのった歌曲ですが、母の愛情溢れたきれいな陰音階のメロディが印象的です。 第2回の時に助演をお願いした青山恵子さんに再び登場していただきます。 <軒の雫>は、<比良>と同じように、古典的な三曲形式(箏・三味線・尺八の合奏)の中に新しい感覚の尺八の節が付けられている曲です。 <春の訪れ>は、冒頭のグリッサンドが特徴的です。中ほどの部分では、春の訪れを喜ぶ鳥の声が箏の左手や尺八のスタカットを使って表されています。 <青山の池>は、前回演奏の<雨><蜂>で李王殿下の妹・徳恵姫の詞に作曲したのに引き続き、皇族の詞に曲を付けたもので、 年表にあるように御前演奏が始まっていることと関連づけられます。 <お山の細道>は、大人が伴奏して子どもが歌う(あるいは、子どもに聞かせる)童曲です。
 最後の<船唄>は、大正10年に作曲された<花見船>を改作した管弦合奏曲ですが、箏が高低2部、十七絃、 胡弓、尺八2部に今回は玲琴を加えて演奏いたします。玲琴は田辺尚雄が考案した、胡弓とチェロを足して二で割ったような低音楽器ですが、 今はほとんど使われていません。楽器を中井猛氏よりお借りしました。お礼を申し上げます。 同時にお借りした楽譜は、唯一の玲琴の音源である昭和3年発売のレコードから採ったものですが一部欠落のため、 尺八の楽譜を参考にして補完したものを演奏いたします。なお、 この曲は尺八だけの合奏曲として改訂されたものもありますが、その場合は、3部の尺八(いずれも1尺8寸管)が部分的に6部で演奏されます。
 ところで、前回<無踏曲>の第3箏は本来小十七絃ではなかったかと推察して演奏しましたが、その後、 宮城道雄記念館資料室の千葉潤之介さんが、依頼してあった第4回宮城道雄作品発表会のプログラムを見つけてくださり、それによって、 当日の演奏が、第1箏・第2箏・小十七絃・大十七絃のパート編成で、弦楽四重奏(第1ヴァイオリン・第2ヴァイオリン・ビオラ・チェロ)の形そのままであったことが確認できました。 また、その直後の出演を依頼された演奏会では、小十七絃の代わりに箏で演奏され、さらにその後の宮城道雄主催の演奏会では、 再び小十七絃で演奏されていることも分かりました。 つまり、初演を含めて自分の主催の会では本格的に2面の十七絃を使っていますが、「当時貴重品であった十七絃を大・小2面も使うことは、 楽器の運搬や演奏者も含めて大変なことで、普通の箏でも弾けるということを示して曲の普及を計ったのではないかと思われる」とお話ししたことが証明されました。 修士論文「十七絃について」の中でこの間題を提起してから16年ぶりに解答が見つかり、千葉さんには感謝の念でいっばいです。
 終わりになりましたが、お忙しい中、解説・年表原稿を項きました吉川英史先生、心よくご出演をお引き受けくださいました山本邦山氏・ 青山恵子氏をはじめ、会の開催にご援助・ご協力をいただきました皆様に、心から御礼を申し上げます。
 あと何年かかるか分かりませんが、宮城道雄先生の全作品を弾き終えるまでがんばってまいりますので、 今後ともどうぞご支援のほどよろしくお願いいたします。
      

演奏順 曲 名 作曲年 作詞者 編 成 助 演
 紙風船(伴奏つき再演) 1921葛原しげる  箏 山本 邦山
難波 竹山

青山 恵子

安滕 晃英
安藤 珠希
石井まなみ栗山 涼子
高洲 満子
長谷川千恵
原  京 子
藤 岡  歩
山 ア  忍
46  清水楽 1925 葛原しげる  箏本手・箏替手・尺八
47  竹の子 1924 葛原しげる  箏本手・箏替手・十七絃
48  傘舞台 1924 葛原しげる  箏本手・箏替手・十七絃
49  湖辺の夕 1925 ‐‐‐  胡弓・箏・尺八
50  唐松は 1924 北原白秋  箏・三絃
51  母の唄 1923 西条八十  箏・尺八
52  軒の雫 1926 行  慶  箏・三絃
53  春の訪れ 1924 ‐‐‐  箏・E尺八
54  青山の池 1924 澄宮崇仁殿下  箏・尺八
55  お山の細道 1924 葛原しげる  箏
56  船 唄 1926 ‐‐‐  胡弓・第1箏・第2箏・十七絃
・玲琴・第1尺八・第2尺八
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宮城道雄全作品連続演奏会 1993/2/27 ▲第5回へ
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宮城道雄前作品連続演奏会6チラシ
宮城道雄全作品連続演奏会―第6回に寄せて
宮城道雄記念館館長 吉川英史

 この第6回演奏会に取り上げる曲は、宮城道雄が数え年33歳と34歳の2年間に作曲した曲の大部分と、 大正9年作曲の<野の小川>とである(年表を参照されたい)。
 33歳・34歳といえば、正に壮年時代である。『日本国語大辞典』には“そうねん”の項に、“人の一生のうち、 最も元気のさかんな年ごろ、心身ともに成熟して、働きざかりの年ごろ(中略)狭くは三十代から四十代にかけてをいう。(後略)”とある。
 しかし、宮城にとって33歳の大正15年は、“最も元気のさかんな”年とはいえない。 前年大正14年の秋の中尾都山一行の西日本大演奏旅行に参加したことがこたえたか、悪性の流行性感冒から急性のリウマチ・併発、 長期入院後自宅静養となった。
 その反省からか、大正15年には長期の演奏旅行はなく、仙台での都山流演奏会への客演くらいが、 例外的な演奏旅行といえる。その代りというべきかどうかは分らないが、東京では演奏会への客演のほか、放送が次第に増加する。
 その演奏会の客演で注目すべきものに、11月7日の永井郁子の独唱会(帝国劇場)がある。 洋楽の一流歌手永井郁子が宮城の歌曲3曲(<コスモス><母の唄><せきれい>)を宮城の箏ほかの邦楽器の伴奏で歌うということは、 東京や大阪の朝日新開に写真入りに報道されて、大きな話題となった。 「又も楽界を驚かす永井郁子さんの試み―声楽の伴奏にピアノを廃し―琴や尺八で歌ふ」などの大見出しが付けられている。
 永井の独唱会に客演した宮城は、20日後の11月27日には、逆に自分の作品発表会に永井を呼んで歌ってもらっている。 この永井の歌唱に勇気付けられ、自信を得た宮城は、その後も松平里子・佐藤美子・佐藤千夜子・荻野(太田)綾子らの洋楽歌手に歌ってもらった。
 次に、放送の方で注目すべきは、9月15日の<萩の露>の三絃演奏である。 従来は“箏の宮城″又は“新曲の宮城″として評価されたが、この放送を機に、三絃や古典においても非凡な名手であることが公認され、評価されるようになった。
 なお、大正15年は、12月25日大正天皇崩御のため、年号が昭和と変わって、6日後には昭和2年となった。 この昭和2年は宮城にとっては、ラジオとレコードで注目すべき年であった。 ラジオ放送では、正月19日の<尾上の松>を初めとして、2月27日には大阪のBKから<春の訪れ>と<春の夜>、 4月3日にはAKから<初鴬>と<湖辺の夕>、8月6日にはAKから<水の変態>と<鈴虫>が放送された。
 更に、レコードでは、昭和2年9月13日に創立された日本ビクター株式会社から<鈴虫>その他が録音され発売されることになった。 当時の専務取締役ガートナー氏が宮城を絶賛した逸話が伝えられている。11月22日付けで宮城はビクター専属芸術家となった。 宮城音楽が、あのように急速に、あのように広範囲に広まった陰には、放送とレコードの発達と普及があったことも認めなければならない。


      宮城道雄全作品の演奏会(6)にあたって

安藤政輝

 本日はお忙しい中をご来場いただきましてありがとうございます。
 約300曲と言われる宮城道雄の全作品を連続して弾いてゆこうというこのシリーズも、これまでに55曲を弾き、 今回で6回目を迎えることができました。これもひとえに皆様のご支援の賜物と感謝いたしております。
 今回は、1926年(大正15,昭和元年)と1927年(昭和2年)の作品を中心に15曲を取りあげます。 今回の年表でも目立つことは、1926年の元日を含む放送の回数の多さです(ラジオ放送の開始は1925年)。 宮城作品に混じって<萩の露><菜蕗><夕べの雲>などの”古典”の存在が目を引きます。 レコードへの吹き込みも続けられ、日本ビクター蓄音機(株)が1927年9月に設立されると、11月にはその専属芸術家となって、 以後30年間にわたるビクターにおける録音活動がはじまります。 また、演奏会への客演も多くなっている中で、1927年11月に開催された三曲聯合大会に個人でなく宮城社中として参加しているのが注目されます。
 前回に引き続いて子どものための「童曲」の作曲割合が多いのですが、残念なことに、<人形><燕の巣><朝顔のラジオ店> <豊年萬作御世萬歳><星の国><きれいなお正月>の6曲は、曲名だけが残っていて内容は不明です。 しかし、1920年(大正9年)作曲の<野の小川>の楽譜が入手できました。 これは、福山圭子さんが矢島凱子さんから採譜なさったものです。
 第1曲目<和風楽>と最後の<天女舞曲>で「玲琴」が使われておりますが、 玲琴は前回述べましたように田辺尚雄氏が考案された低音楽器です。 本日は、令息の田辺秀雄氏お迎えしました。 「玲琴」のこと、田辺尚雄さんと宮城道雄先生のこと等、とっておきのお話を伺えるのではないかと楽しみにしております。 なお、楽器は、中井猛氏より拝借いたしました。
<天女舞曲>という曲は、非常に欲張った曲で、箏3面に、大・小の十七絃、笙、胡弓、玲琴、尺八、打物(太鼓とトライアングル)、それに女声2部という構成です。 それだけに、演奏の機会の少ない曲になってしまいました。初めは<五節舞曲>という曲名だったようで、天女が袖を翻して5度舞ったという言い伝えのように繰り返して歌が歌われます。 大小2種の十七絃の音色の変化を出すために、前回同様小十七絃を宮城数江先生から拝借いたしました。ありがとうございました。
 終わりになりましたが、お話をしていただく吉川英史先生、田辺秀雄先生、毎回快く出演をお引き受けくださる山本邦山氏をはじめとする賛助の皆様、 その他会の開催にご援助・ご協力をいただきました皆様に、心から御礼を申し上げます。

演奏順 曲 名 作曲年 作詞者 編 成 助 演
57  和風楽 1926 ---  胡弓・第1箏・第2箏・十七絃
 玲琴・尺八1・尺八2・笙
吉川 英史
田辺 秀雄

山本 邦山
山本 将山
野田 説子
山下 裕子
青山 伶子

輝 箏 会

58  雪の雲 1927 大和田建樹  箏本手・箏替手
59  朝の雪・昼の雪・晩の雪 1927 葛原しげる  箏本手・箏替手
60  小狸小兎 1927 葛原しげる  箏本手・箏替手
61  ささ舟 1927 葛原しげる  第1箏・第2箏・第3箏
62  君が代変奏曲 1927 ---  第1箏・第2箏・十七絃
63  ポチが吠えたよ 1927 葛原しげる  箏
64  お猿のお顔 1927 葛原しげる  箏・歌3部
65  鈴 虫 1927 ---  箏・尺八
66  おこと 1927 葛原しげる  箏
67  いろはかるた 1927 葛原しげる  箏
68  夜の大工さん 1926 葛原しげる  箏
69  野の小川 1919 不 詳  箏
70  花紅葉 1927 桜居女  箏・三絃・尺八
71  天女舞曲 1927 古代歌謡  第1箏・第2箏・第3箏・大十七絃
 小十七絃・笙・胡弓・玲琴
 尺八2部・打物(太鼓とトライアングル)
 女声2部
 

 
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宮城道雄全作品連続演奏会1993/7/27 ▲第6回へ
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宮城道雄前作品連続演奏会7チラシ
宮城道雄全作品連続演奏会 ―― 第7回に寄せて
(財)宮城道雄記念館 館長吉川英史

 今回は、昭和3年に作曲された曲が主となります。 昭和3年(1928)といえば、宮城道雄は数え年35歳の働き盛りの年であり、体調も良く、活動ができた年でありました。 それに住居も幸いに大正12年の関東大震災の被害から免れた牛込区(今は新宿区)の加賀町の借家に住むことができたし、門人も増え、 演奏会への客演、放送やレコードの仕事も加わっているので、宮城の演奏活動は順調に発展していました。
 その演奏活動の中で特に注目すべきは、成和音楽会の創立と、その演奏活動であります。 成和音楽合とは、単に演奏会の名前ではなく、演奏集団の名前であります。その点、長唄の研精舎の命名に似ています。 同人は、宮城道雄を中心とし、町田嘉章(後の佳声)・田辺尚雄(芸名は禎一)・中島雅楽之都(うたしと)・吉田晴風の5人でした。 会員制による鑑賞組織という点でも長唄研精会と似ています。研精会に関係があった町田佳声の案によったのであろうと推測します。
 しかし、昭和3年の宮城の業績の中で、最大最高のものは、<越天楽変奏曲>の作曲と演奏です。 昭和天皇御即位の奉祝曲として作曲されたものですが、その企画には元首相近衛文麿の弟・秀麿と直麿が関与しているものと思われます。 直麿は雅楽の研究者で、ほとんどの管絃曲を五線譜に採譜した人、秀麿は新交響楽団の指揮者としてこの曲を宮城の独奏によって初演し、 レコードにも録音した人です。この曲(主として箏の独奏部)の作曲と演奏は世紀を飾る記録的業績で、宮城自身も満足だったと見え、 彼が晩年に愛用し、現在宮城道雄記念館に展示されている箏の銘にも「越天楽」と記されています。 洋楽の管絃楽団や指揮者や広い会場を必要とするため、今回は割愛せざるを得ませんので、これ以上は申しません。
 さて、今回演奏される曲は、大きく分けると三つになります。 1)歌曲と 2)器楽曲と 3)童曲です。 このうち、特に注目すべきは歌曲で、宮城がこの時期に集中的に歌曲を作曲したのは、その直前の頃、 永井郁子という女流の歌手が宮城の歌曲を歌って楽壇に波紋を投げ、好評を得たことがキッカケとなったようです。
 1)歌曲のうち、<緑(えにし)><春の唄>は島崎藤村の詩、うわさ><ひばり>は西条入十の詩、<花園>は葛原しげるの詩、<以歌護世(うたをもって、よをまもる)>は昭憲皇太后の作であります。
 2)器楽曲では、今もよく演奏されるのは<砧(きぬた)>ですが、歴史的に意義深いのは<今日(きょう)の喜び>です。 昭和天皇の弟の宮・秩父の宮の御成婚の祝賀曲であることはさておいて、宮城が問題のまぼろしの楽器八十絃の初公開に、 バッハの<プレリュード>とこの曲を選んで演奏したことは、他日述べる機会があるでしょう。 <小鳥の歌>は小鳥の生態を描写した箏と尺八の二重奏曲で、伝統的な尺八にはニガ手なスタッカートを多用した曲のために普通の尺八家には敬遠されるようですが、 宮城の尺八音楽の改革精神の具体例として意義があります。


宮城道雄全作品の演奏会(7)にあたって
安藤政輝

 本日はお忙しい中をご来場いただきましてありがとうございます。
 約300曲と言われる宮城道雄の全作品を連続して弾いてゆこうというこのシリーズも、1990年3月以来これまでに70曲を弾き、今回で7回目を迎えることができました。これもひとえに皆様のご支援の賜物と感謝いたしております。
 今回は、1928年(昭和3年)の作品を中心に、1926年(大正15・昭和元年)からの19曲を取りあげます。
 1928年(昭和3年)の年表で目立つことは、「宮城関係」でいえば、東京以外での演奏や放送が増えてきていることと、 御大典奉祝大音楽会に<越天楽変奏曲>を新交響楽団と協演したということでしょう。 次回は、この<越天楽変奏曲>を含めてオーケストラとのコンチェルトをまとめて演奏したいと思っております。 また、「その他」の欄では、社会情勢の不安がどんどん増していっている点が注目されます。
 今回も子供のための「童曲」の作曲割合が多く、前回演奏できませんでした<きれいなお正月>を含めて9曲になります。 作詞者・葛原しげるとのコンビは1956年(昭和31年)に宮城道雄が亡くなるまで続き、時代を担う子どもたちへの期待を込めた子ども向けの作曲は100を越えています。 このことが、内田百閧フ諌言に対する無言の回答であったと考えられるでしょう。
 <花園>は、前回演奏した<天女舞曲>で合唱が使われたのに続くもので、 この女声合唱の型は次回演奏予定の<新暁>から1931年(昭和6年)の<秋韻>へとつながっていきます。
 <法政大学航空歌>は、法政大学の航空部の部歌ですが、現在では全く歌われておりません。 と言うより、その存在すら明らかではありませんでしたが、法政大学体育会航空部60年史「飛翔」(年刊)の中から見つけ出すことができ、 ここにまた1曲、光を当てることができました。ご尽力いただいた三田航空クラブ(慶応義塾大学体育会航空部OB会)の栗山脩氏、 および内山俊範氏をはじめとする法政大学航空部の関係者の方々にお礼を申し上げます。 今回は法政大学アリオンコールの方々に出演をお願いし、元来ピアノで伴奏するようになっておりますが、 5音音階で書かれていることでもあり、箏と十七絃とで演奏いたします。
 終わりになりましたが、解説と年表をいただきました吉川英史先生、毎回心よく出演をお引き受けくださる山本邦山氏をはじめとする賛助の皆様、 その他会の開催にご援助・ご協力をいただきました皆様に、心から御礼を申し上げます。
演奏順 曲 名 作曲年 作詞者 編 成 助 演
72  花 園  1928  葛原しげる 箏高音・箏低音・歌2部 山本 邦山
土山 伶豊
青山 恵子

青山 伶子
仲宗根祐希
法政大学アリオンコール
輝 箏 会
箏高音
箏低音
歌1部

歌2部

 
安藤政輝
長谷川 慎
原 京子   山ア 忍
藤岡 歩
高洲満子  長谷川千惠
栗山涼子
73 以歌護世 1926 昭憲皇太后 箏・尺八
74 梅三本 1928 葛原しげる 第1箏・第2箏・第3箏
75 小鳥の歌 1928 ‐‐‐ 箏・尺八1・尺八2
76 首振り鼻振り 1927 葛原しげる
77 きれいなお正月 1926 葛原しげる
78 山の水車 1927 葛原しげる 箏・尺八
79 1928 島崎藤村 箏・尺八
80 うわさ 1928 西条八十 箏・尺八
81 法政大学航空歌 1928 佐藤春夫 ピアノ(箏・十七絃)
82 海の風山の風 1928 葛原しげる 箏本手・箏替手
83 雛祭り 1928 葛原しげる 箏本手・箏替手
84 1928 ‐‐‐ 箏高音・箏低音
85 春の唄 1927 島崎藤村 箏・尺八
86 チュンチュン雀 1928 葛原しげる
87 チョコレイト 1928 葛原しげる
88 狸の泥舟 1928 葛原しげる 箏・歌2部
89 今日の喜び 1928 ‐‐‐ 箏・十七絃
90 ひばり1927 西条八十 箏高音・箏低音・尺八
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 宮城道雄全作品連続演奏会 1994/10/12 ▲第7回へ
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宮城道雄前作品連続演奏会8表紙
宮城道雄前作品連続演奏会8プログラム
演奏会に寄せて
宮城宗家 宮城会会長 宮城数江

 今年は宮城道雄の生誕百年にあたります。
 私どもではこれを記念し、昨年から今年にかけて全国各地で演奏会・展覧会・講演会などを主催いたしてまいりました。
 7月17日、NHKホールでの宮城道雄生誕百年記念演奏会は他地区でのそれと同じく、すべて宮城道雄の作品で構成し宮城の象徴ともいえる終曲「春の海」には各流各派の方々にご出演いただきました。
 そして、夜の部には天皇皇后両陛下の行幸啓を賜わりました。
 なお、この秋にはアメリカのシアトル・ロサンゼルスでも記念演奏会が実施されますが、国内では私どもの主催ではありませんが、まだ幾つか開催される予定です。
 このように一つの団体だけでなく、個人をはじめさまざまな機関・団体が生誕百年を祝い、またこれを記念しての各種行事を実施して下さること、大変にありがたく、うれしく存じます。
 その一つに、安藤政輝さん主催の宮城道雄の作品連続演奏会があります。あれは今から20数年前のことだったでしょうか。
 当時、安藤さんがなさった演奏会のプログラムに、自分は宮城先生の作品を世界に紹介したい、という意味の文章が載っていたのを記憶しています。
 その後、その言葉を実践すべく努力を続けておられる安藤さん。
 どの演奏会でも、出演者の顔ぶれひとつとっても、それが如実にわかる多彩なプログラム。
 宮城道雄は邦楽の歴史の中だけで位置づけすべき人でなく、洋楽系も含めた日本の音楽史全体の中でも重要視されるべき人であったといわれています。
 今後、安藤さんにもぜひ、一流一派の人としてではなく流派を超えた大きな存在として、日本の音楽の発展のために尽力して下さるよう願っています。
 意義ある演奏会のご盛会を心からお祈りいたします。


宮城道雄全作品の演奏会(8)にあたって
安藤政輝





演奏順 曲 名 作曲年 作詞者 編 成 助 演
91越天楽変奏曲1928 --- 箏・オーケストラ 【指揮】
松尾 葉子

【管弦楽】
東京交響楽団
92盤渉調箏協奏曲1953--- 箏・オーケストラ
93神仙調箏協奏曲1933--- 箏・オーケストラ
94壱越調箏協奏曲1937--- 箏・オーケストラ
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宮城道雄全作品連続演奏会92007/9/27 ▲第8回へ
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宮城道雄前作品連続演奏会9チラシ
宮城道雄全作品連続演奏会−第9回に寄せて
 宮城道雄記念館資料室 室長 千葉優子

 音楽作品は演奏されて初めて完成するものです。それゆえに、この宮城道雄全作品連続演奏会は大きな意義があるのですが、 吉川英史館長が「画期的な壮挙、気宇壮大な企画」と書かれたように、並大抵のことでは完遂できるものではありません。 何しろ、宮城道雄は現在確認されているだけでも、実に425曲もの作曲を手がけていたのです(演奏記録のみで楽譜が現存しないなど、 現在のところ演奏不可能な作品も含む)。 けれども、この壮大な企画が13年の時を経て、今ここに再開されるのです。
 12年の間には研究も進みました。新たに作曲年代が特定された作品や楽譜が発見された作品もあります。 また、宮城自筆の点字楽譜の解読によって、さまざまに検証することが可能となり、永年の疑問が解けた作品もあります。 そこで今回の演奏会は、こうした研究成果を反映した作品と、これまでの続きとして昭和4年(1929)に作曲された作品で構成されています。
 昭和4年、数え年36歳のときに、宮城は17曲の作品を作曲しました。そのうち、5曲が新様式による歌曲、7曲が童曲、 それに、後に『宮城道雄小曲集』に収載された教則的意図にもとづく歌曲、また手事物と新民謡が各1曲ずつと、主に声楽曲が作曲されました。 器楽曲はわずかに2曲だけで、そのうちの五重奏曲≪胡蝶≫は楽譜が現存しないので演奏することができません。 ですから、演奏可能な器楽曲は1曲だけとなるのですが、その1曲が、日本の代表的な音楽ともいえる箏と尺八による二重奏曲の≪春の海≫でした。 ただ、≪春の海≫が本格的に放送初演されたのは翌年のお正月なので、今回は演奏されません。次回のお楽しみということになります。 けれども、その代わりというわけではありませんが、替手付きの≪水の変態≫が演奏されます。もちろん、処女作≪水の変態≫は、 この全作品連続演奏会の第1回目に演奏されましたが、このときは作曲された当時の独奏曲としてのものでした。 その後、宮城自身が替手をつけて、今はこの替手付きの演奏が一般的となりましたが、いつ替手を付けたか判然としませんでした。 それが、大正11年(1922)10月31日の「宮城道雄社中演奏会」(丸ノ内生命保険協会)で、宮城自身の替手、時田初枝の本手で演奏されたのが、 替手入り演奏記録の初出ということが判明して、このころ替手が作曲されたということを推定でき・驍謔、になったのです。
 さて、その他の今回演奏される作品は、第1曲目の≪新暁≫をはじめ≪稲つけば≫≪初便り≫≪嘆き給ひそ≫≪章魚つき≫ が新様式による歌曲、≪石清水≫≪野菊≫が手事物、≪月のかがみ≫は古典的様式による歌曲、 そして、そのほかの作品が、すべて葛原しげる作詞の童曲です。 そのうち11月26日に神宮外苑の日本青年館で行われた「宮城道雄作曲発表会」で発表されたのが、 歌曲の≪新暁≫≪稲つけば≫≪初便り≫≪嘆き給ひそ≫と童曲の≪二軒の雨だれ≫≪かけっくら≫でした (他の作品の作曲年は「宮城道雄年表(その8)」参照)。
 ところで、この演奏会では新楽器八十絃の発表もありました。 ただ、このとき演奏されたのはバッハ作曲の≪プレリュード≫と前年に作曲された≪今日のよろこび≫だったため、八十絃の製作が新たな作品を生み出すことはありませんでした。 そのうえ、八十絃はもともと音量が足りなかったので、それを補うためにアメリカからマイクロフォンやスピーカーといった拡声装置を取り寄せたのですが、 それがなかなか到着しなかったうえに、思うように作動しなかったために、その発表は、決して成功といえるものではなかったのです。 実は、この楽器は最初から80本の弦にする予定ではありませんでした。実際、試作箏として作られたのは47弦の箏だったのです。 けれども、それでは実際の演奏に適さないため、半音の弦を加えて80本としました。 発表後、宮城はさらなる改良の必要性を語りましたが、結局、それがなされる前に、昭和20年(1945)5月25日の空襲で焼失してしまったのです。 音色や技法などの点で箏のもつ特性を損なうことなく、音域の拡大と半音階の自由な演奏によって、世界中のあらゆる音楽を演奏できる箏を宮城は夢見ましたが、 やがて、新楽器開発は自分の手にあまる仕事で、専門家に任せるべきであるとして、むしろ今までの箏で、まずやるべきことがあると考えるようになります。 これが晩年の≪手事≫や≪ロンドンの夜の雨≫などの箏独奏による名曲の作曲へと、彼を導いたのかもしれません。

 さて、今回はじめて、この連続演奏会を微力ながら、お手伝いさせていただくことになりましたが、それによって、演奏可能なように、実に緻密な推敲を重ねられている安藤政輝さんのお姿、それも、どんな手ほどき用の小さな作品も妥協することなく、とことん追及されるお姿に触れて、頭が下がる思いがしました。 ここまで作り上げるためには、確かな見識に裏打ちされた地道な研究と、それを実際に演奏会として成立させるための器量が必要なことを、改めて実感した次第です。 このような意義深い演奏会に、関わらせていただけたことを光栄に思い、感謝しております。      

宮城道雄全作品連続演奏会の再開にあたって
安藤政輝
      
 本日はお忙しい中をご来場いただきましてありがとうございます。       
 宮城道雄の全作品を連続して弾いてゆこうというこのシリーズも、1990年3月以来これまでに93曲を弾き、今回で9回目を迎えることができました。これもひとえに皆様の暖かいご支援の賜物と感謝いたしております。       
 1999年(平成11年)には、宮城道雄生誕百年を記念する事業の一環として、千葉潤之介・千葉優子両氏の編著になる『宮城道雄音楽作品目録』が(財)宮城道雄記念館から出版されました。これまでは『宮城道雄伝』『宮城道雄作品解説全書』が作品リストとしての拠り所であったわけですが、これらの補遺を行ったこの書は、この演奏会シリーズを行っていくにあたっては非常に大きな支えとなってくれる資料です。しかし、その中で「楽譜あり」と表記されていても、その楽譜が断片的であったり、尺八と合奏してみると寸法が合わなかったりすることもあり、実際に演奏する場合には一つひとつ検証をしていかなければなりません。       
 ≪新暁≫は、前回までに演奏してきた≪天女舞曲≫≪花園≫の流れを汲むもので、この女声合唱の型は1931年(昭和6年)の≪秋韻≫へとつながっていきます。≪新暁≫は、箏高低2部と尺八で演奏されることが多いのですが、今回は原曲通り笙と胡弓を加えて演奏いたします。       
 ≪石清水≫は、箏本手・替手と尺八の曲でしたが、本手を宮城道雄先生から習われた広岡柔甫氏が宮城数江先生に送られた楽譜を基にいたしました。       
 今回も子どものための「童曲」の割合が多く、11曲になります。次代を担う子どもたちへの期待を込めた子どものための作曲は100を越え、作詞者・葛原しげるとのコンビは1956年(昭和31年)に宮城道雄が亡くなるまで続きました。       
 作曲当時の有名なソプラノ歌手佐藤千夜子らを想定した大人のための「歌曲」も数多くあるのですが、今はあまり世に知られた存在ではないのが残念なことです。今回は、東京芸術大学名誉教授の嶺貞子氏に歌をお願いしました。       
 前回、松尾葉子氏の指揮で≪越天楽≫≪壱越調≫≪盤渉調≫≪神仙調≫の箏協奏曲4曲を東京交響楽団と演奏して以来、いつの間にか13年の月日が経ってしまいました。その間、宮城数江先生が、そして吉川英史先生も旅立たれました。このシリーズ第1回のプログラムの中で「この連続演奏が完了するまでは、うかつに死ねない」とおっしゃっていた先生のご期待に添えず、申し訳ない気持ちでいっぱいです。今度は、「全曲弾き終えるまで死ねない」と私自身が言わなければなりません。
 陣容と気持ちを新たに再開し、最後まで頑張るつもりですので、どうぞよろしくお願いいたします。       
 終わりになりましたが、解説と年表をいただきました宮城道雄記念館資料室の千葉優子氏、賛助の皆様、その他会の開催にご援助・ご協力をいただきました皆様に、心から御礼を申し上げます。       

演奏順  曲 名 作曲年 作詞者 編 成 助 演
95 新 暁 1929 島崎藤村 箏高音(歌付き)、箏低音(歌付き)、尺八、胡弓、笙 ソプラノ:嶺 貞子
尺八:藤原道山
: 金澤裕比子
: 藤原美月
   細川喬弘
   岡村秀太郎
   武田菜実
   三谷夏香
   長谷川莉奈
   関 彩那
   澤田颯汰
: 石井まなみ
   長谷川愛子
   山ア 忍
   吉永真奈
   戸塚朋華
   清水紗登美
   安藤珠希
お話:千葉優子
96 人 形 1923 葛原しげる 箏、歌
97 いーやいや 1928 葛原しげる 箏、歌
98 大 烏 1923 葛原しげる 箏、歌
99 町はづれ 1928 葛原しげる 箏、尺八、歌
100 夢見の眼鏡 1922 葛原しげる 箏、尺八、歌
101 おうむ 1918 葛原しげる 箏、歌
102 秋のお庭 1918 葛原しげる 箏、歌
103 豊年満作御代万歳 1926 葛原しげる 箏、歌
104 石清水 1923 高橋義雄(箒庵) 箏(歌付き)、尺八
105 二軒の雨だれ 1929 葛原しげる 箏3部、歌部
106 かけっくら 1929 葛原しげる 箏3部、歌3部
107 野 菊 1921 不詳 箏(歌付き)、箏(段合せ)
108 月のかがみ 1921 佐佐木信綱 箏(歌付き)
109 春の夜の風 1928 葛原しげる 箏、尺八、歌
110 初便り 1929 塚本篤夫 箏、尺八、歌
111 稲つけば 1929 『万葉集』より 箏、尺八、歌
112 嘆き給ひそ 1929 西条八十 箏、尺八、歌
113 章魚つき 1929 西条八十 箏、尺八、歌
*** 水の変態(替手付き) 1909
(1921以前
『高等小学読本巻4』より 箏替手(歌付き)、箏本手

             ≪新 暁≫                          ≪二軒の雨だれ≫

         ≪豊年満作御代万歳≫                       ≪嘆き給ひそ≫
 
           「解説・対談」                          ≪水の変態≫
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宮城道雄全作品連続演奏会 10
2008/2/22  紀尾井小ホール
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宮城道雄前作品連続演奏会10チラシ
開催にあたって
安藤政輝

 本日はお忙しい中をご来場いただきましてありがとうございます。
 宮城道雄の全作品を連続して弾いてゆこうというこのシリーズも、1990年3月以来これまでに113曲を弾き、今回で10回目を迎えることができました。これもひとえに皆様の暖かいご支援の賜物と感謝いたしております。
 前回は1929年(昭和4年の作品を中心に、曲名のみ存在していて内容が不明であったものが点字譜等から判明したものや新たに年代が判明したものなどを演奏いたしましたので、今回は1929年(昭和4年)から1931年(昭和6年)にかけての15曲をとりあげます。        
 それぞれの曲にはいろいろと思い出があります。        
 《一番星二番星》は、新宿の文化服装学院で「宮城道雄演奏会」があった折に出演させていただいたのですが、もう一人の演奏者が風邪で声がまったく出なくなってしまい、「ぼうや、一番星を弾きながら二番星の方も歌える?」と急に言われて困ったことがありました。1日前に伺っていれば、と思ったことでした。        
 《ピョンピョコリン》については、ある日お稽古の後で、喜代子先生から手書きの楽譜を渡されて「この次これをやってきてね。」と言われました。次のお稽古日まで3日間、難しい左手の猛練習をしてやっとまとめて行くと、「あら、歌だけでよかったのよ。」・・・。        
 《町の物売》に出てくる「納豆やさん」は子どものころに聞いた記憶がありますし、「豆腐屋さん」のラッパは最近まで聞こえていました。しかし、物売りの声はもう聞かれなくなってしまいました。        
 《春の水》は洒脱な内容の小品です。西条八十の作品はいつも最後にどんでん返しがあります。この詩は、男としてはいささかひっかかる点も無いことも無いのですが。        
 《雲のあなたに》は民謡風な歌曲で、「阿波の国にある眉山が遠く眉のように見える」と歌っています。何十年か前に、初めて吉野川橋を渡って徳島に入る時に、「ほら、眉山が見えますよ。」と同乗の方に言われて、その時はこの曲を知らなかったので何の事だがピンとこなかったのですが、その後数多く見ることになろうとは思いもよりませんでした。
 《春の海》は、今や日本を代表する「お正月の曲」となってしまった感があります。ルネ・シュメーのヴァイオリンとの版が有名ですが、その他にフルート、オーケストラとの版もあり、箏の代わりにハープやピアノと洋楽器によるものなど、広く耳にされています。初めて着物を着て弾いた曲がオーケストラとの《春の海》でした。
 終わりになりましたが、解説と年表をいただきました宮城道雄記念館資料室の千葉優子氏、10曲も演奏していただくことになってしまった藤原道山氏、賛助の皆様、その他会の開催にご援助・ご協力をいただきました皆様に、心から御礼を申し上げます。        

演奏順  曲 名 作曲年 作詞者 編 成 助 演
114  秋の草 1931  葛原しげる  箏高音(歌付き)、
 箏低音(歌付き)、
 十七絃、
 尺八 
【尺八】
  藤原道山

【歌】
  倉松麻紗子
  澤田颯太
  関 悠那        
  内記光賀

【お話】
  千葉優子
       
【箏・三絃・十七絃】(輝箏会)
  山崎 忍
  安藤珠希
  吉永真奈
  石井まなみ
  長谷川愛子
  戸塚朋華
 
115  ピョンピョコリン 1929  葛原しげる  箏、尺八、歌
116  一番星二番星 1930  葛原しげる  箏(本手・替手)、歌
117  赤い牛の子 1930  玉置 光三  箏、尺八、歌
118  雪のペンキ屋 1931  葛原しげる  箏、歌
119  鼻黒鼻白小僧さん 1931  葛原しげる  箏、歌
120  泣いているとんぼ 1929  葛原しげる  箏、歌
121  町の物売 1929  葛原しげる  箏、
 尺八、
 歌
 
122  春の水 1930  西条 八十  箏、尺八、歌
123  遠 砧 1929  磯部 艶子  箏(本手・替手)、
 三絃、尺八、歌
124  こほろぎ 1930  ---  箏、尺八
125  富士の高嶺 1929  大和田建樹  箏、歌
126  雲のあなたに 1930  玉置 光三  箏、尺八、歌
127  春の海 1929  ---  箏、尺八
128  高麗の春 1931  石橋 令邑  箏、 
 三絃、
 尺八、
 歌
 
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宮城道雄全作品連続演奏会 11
2008/10/2  東京証券ホール
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宮城道雄全作品連続演奏会11チラシ
宮城道雄全作品連続演奏会−第11回に寄せて
宮城道雄記念館資料室 室長 千葉優子

 今回は、昭和6年と7年に宮城道雄が作曲した作品の中から18曲が演奏されます。 これらのうち《ロバサン》《お正月ですから》《山と雲》《藤の花》《お宮とお寺》《福寿草》《吉野山》《大井川》《花よりあくる》《海棠》は箏の教則本である『箏曲楽譜 宮城道雄小曲集』に収載されています。さらに、《福寿草》《吉野山》《大井川》《花よりあくる》は三絃の教則本である『三絃楽譜 宮城道雄小曲集』にも収載されており、箏と三絃で合奏ができるようになっているのです。このことから、いかに『小曲集』が地歌箏曲の教則本として、完備されたものであるかがうかがえます。
 なお、本日は他に歌曲の《喜悦の波と花と》、手事物の《虫の武蔵野》《千代の寿》、合唱合奏曲の《秋韻》、そして童曲の《さあくら咲いた》《冬田の案山子》《柿の種と握り飯》《ワンワンニャオニャオ》が演奏されます。
 宮城は昭和6年に童曲を13曲と一番多く作曲していますが、実は、大正7年の『赤い鳥』創刊以来、一世を風靡した童謡運動は当時すでに下火で、『赤い鳥』や『金の船』(のち『金の星』)といった童謡運動を牽引してきた雑誌も出版されていませんでした。そうした中、宮城がこの年多くの童曲を作曲した理由には教則本の作成と、もうひとつ、前年の1月に韓国から連れ帰った姪の牧瀬よし子の存在があると思います。
 よし子は6年3月23日に正式に宮城と養子縁組をして宮城よし子となりましたが、その少し前の3月2日に行われた「作曲披露慈善演奏会」に早くも出演して、《赤い牛の子》《柿の種と握り飯》《ワンワンニャオニャオ》を歌っています。さらに、ひと月後には、この3曲をレコーディングし、この年の暮れにも《町の物売》をレコーディングしましたが、それはとても9歳とは思えないすばらしい表現力です。こうした優れた歌唱力と愛らしい容姿から、よし子は雑誌のグラビアを飾るなど童謡アイドルのような存在となって活躍しました。
 そして、宮城もよし子という年齢的にも童曲にふさわしい優れた歌手を得ることによって、童曲を単に手ほどき曲、 あるいは子ども自身が歌って楽しむだけではない、ステージで歌われることを念頭に、聴いて楽しい曲作りを進めたものと思われます。 実際、《お宮とお寺》は『小曲集』に含まれていることからも分かるように、元来は手ほどき曲ですが、伴奏箏、尺八、そして胡弓を加えることで、 聴いて楽しい作品としました。      
 また、《柿の種と握り飯》《ワンワンニャオニャオ》でも胡弓を効果的に使って、童曲をより楽しいものにしていますが、 宮城は三曲合奏の楽器でありながら、明治以後次第に使われなくなっていた胡弓を、持続音が出せるという楽器の特性を生かして、 旋律楽器として活用しました。 本日は、カデンツァを含む独奏、さらには指揮的役割も担当する《秋韻》の胡弓も含めて、宮城作品における胡弓も聴きどころとなっています。      

ごあいさつ
安藤政輝
      
 本日はお忙しい中をご来場いただきましてありがとうございます。       
 宮城道雄の全作品を連続して弾いていこうというこのシリーズも、1990年3月以来これまでに128曲を弾き、今回で11回目を迎えることができました。 これもひとえに皆様の暖かいご支援の賜物と感謝いたしております。       
 今回は、昭和6年(1931年)と昭和7年(1932年)の作品の中から18曲を演奏いたします。 《さあくら咲いた》は、これまで随筆『雨の念仏』の作曲目録に「童曲(伴奏付キ)」として曲名だ・ッ存在していましたが、 前回の会の・スめに玉置光三の・カ謡詩集『山のあなた』で《赤い牛の子》の歌詞を調べているとき、巻末にあった宮城道雄作曲《櫻咲いた》の五線譜を偶然発見しました。 《虫の武蔵野》演奏記録の初出は、昭和7年(1932年)11月5・6日(土・日)の両日に東京音楽学校奏楽堂において開催された演奏会ですが、 そのプログラムを見ると、ゴシックで「胡弓 宮城道雄」、その他に三絃・箏各5名の記載があって、現行のような箏・三味線・尺八による合奏ではありませんでした。 宮城先生の胡弓と言うと大合奏のための「宮城胡弓(大胡弓)」が有名ですが、それ以前は旧来の小型の胡弓を弾いていらっしゃったはずですし、 この場合も三曲合奏形式と考えて小型の胡弓を弾かれたと思われます。 翌昭和8年11月25日に行われた「宮城道雄作曲発表会」には尺八による演奏記録がありますが、 本日は、現行の尺八パートを小型の胡弓で演奏いたします。       
 今回は《ロバサン》をはじめ『宮城道雄小曲集』に所収されている曲が数多くありますが、 これらの曲を教えている通りに弾こうとすると意外と難しく、お弟子も苦労しているのだなと感じました。 昔、『宮城道雄小曲集』の教習カセットを製作したときに、宮城数江先生が、「小曲集も結構難しいのよ」とおっしゃっていたことが思い出されます。       
 子どものための「童曲」も多いのですが、《ワンワンニャオニャオ》の胡弓を弾かれながらニコニコしていらっしゃった宮城先生のお顔が忘れられません。 私が胡弓を弾くようになって、家で練習していると、庭の犬が「ワンワン」と答えてくれるのがうれしく、何回も「問答」を繰り返したものでした。 しかし、2番の「ニャオニャオ」となると、ちっとも反応してくれません。猫が前の道を横切ってもうるさく吠えるのに・・・。 そんなことを塚越清子先生にお話しすると、「音程どおりに啼く猫なんかいないわよ」と笑われてしまった思い出があります。       
 終わりになりましたが、解説と年表をいただきました宮城道雄記念館資料室の千葉優子氏、 柴田旺山氏をはじめ賛助の皆様、その他会の開催にご援助・ご協力をいただきました皆様に、心から御礼を申し上げます。       

演奏順 曲 名 作曲年 作詞者 編 成 助 演
129 喜悦の波と花と 1932 葛原しげる 箏高音、箏低音
【尺八】
   柴田旺山  

【打物】
   大家一将 

【歌】
   柿原万穂 
   澤田颯太 
   村田美奈 

【お話】
   千葉優子 

【箏・三絃・十七絃】
(輝箏会)
   安藤珠希 
   石井まなみ
   戸塚朋華 
   長谷川愛子
   長谷川 慎
   光原大樹 
   山ア 忍 
   吉永真奈 

130 さあくら咲いた 1931 玉置光三 箏、歌
131 ロバサン 1931 葛原しげる 箏、歌
132 お正月ですから 1931 葛原しげる 箏、歌
133 山と雲 1931 葛原しげる 箏、歌
134 藤の花 1931 葛原しげる 箏、歌
135 福寿草 1932 葛原しげる 箏、三絃、歌
136 吉野山 1932 八田知紀 箏、三絃、歌
137 大井川 1932 小沢蘆庵 箏、三絃、歌
138 花よりあくる 1932 頼 山陽 箏、三絃、歌
139 海 棠 1931 土井晩翠 箏本手、箏替手、歌
140  虫の武蔵野 1932 磯部艶子 箏、
三絃、
尺八(胡弓)
歌 
 
141 冬田の案山子 1932 葛原しげる 箏、歌
142 お宮とお寺 1931 葛原しげる 箏、歌
お宮とお寺 1931 葛原しげる 箏、胡弓、尺八、歌
143  柿の種と握り飯 1931 葛原しげる 箏、
胡弓、
尺八、
歌2部 
 
144 ワンワンニャオニャオ 1931 葛原しげる 箏、胡弓、歌
145 千代の寿 1932 桜居女 箏、三絃、尺八、歌
146  秋の韻 1931 高野辰之 胡弓、
箏2部、十七絃、三絃、
尺八、
打物、
歌2‐4部 
 
  [友正写真館撮影]
     
12      
                                
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宮城道雄全作品連続演奏会 12
2009/3/2  四谷区民ホール 
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宮城道雄前作品連続演奏会12チラシ
宮城道雄全作品連続演奏会−第12回に寄せて
宮城道雄記念館資料室 室長 千葉優子


ごあいさつ
安藤政輝

   
 本日はお忙しい中をご来場いただきましてありがとうございます。    
 宮城道雄の全作品を年代に沿って連続して弾いていくこのシリーズも、1990年3月以来これまでに146曲を弾き、今回で12回目を迎えることができました。これもひとえに皆様の暖かいご支援の賜物と感謝いたしております。    
 今回は、宮城道雄が各地の演奏会に引っ張りだこの多忙な年でありました1933年(昭和8年)の作品を中心に、11曲をとりあげます。《春陽楽》は4楽章からなり、編成も、1・2楽章、3楽章、4楽章と異なり、複数の胡弓・玲琴・笙を含む大作です。ベートーベンの《第九交響曲》のように、4楽章の〈さくら〉だけには歌がついています。この歌は当時の世相を反映して軍国的な部分もあったためか、後に同じ作詞者によって改訂版が作られ、現在はそちらの方が演奏されていますが、本日はオリジナル版で演奏いたします。なお、《金の鶏》も金鵄勲章の内容ですから、音楽の世界にも軍国的な事柄が忍び寄ってきていたことがわかります。    
 今回も子どものための「童曲」がありますが、その中で《まいまいつぶろ》は、作詞者・清水かつらの自筆ノートによれば「箏による子守唄の試み」という位置づけの曲です。『宮城道雄音楽作品目録』(1999年、財団法人宮城道雄記念館発行)によれば、曲の内容は不明でしたが、今回次のような事が分かりました。まず、曲名は《まいまいつぶり》ではなく《まいまいつぶろ》(カタツムリの別称)のようです。つぎに、出典も「1931年10月以前、京文社発行の『童謡唱歌名曲全集』」とされていましたが、その歌集(全8巻)には《まいまいつぶろ》という曲は載ってはいたのですが、島田芳文作詞、三宅延齢作曲の全く別の曲でした。曲名が同じということで混同されてしまったようです。ちなみに、北原白秋作詞、弘田龍太郎作曲の《まいまいつぶろ》も存在します。なお、この歌集には、宮城道雄の作品として知られている《お猿》《お清書》《お早う》《山の水車》《白兎》《お山の細みち》《うてや鼓》などが、同じ詩を歌詞としてそれぞれ別の作曲者によって作曲されていることも分かりました。最後に、時期については、詩が公開されたのは、花岡学院の機関誌・w楽園』第3号(1936年3月で、清水かつ・轤フ自筆メモによって1943年4月作曲と判明、同年にビクターレコードに録音されたということになります。    
 今回は、東京芸術大学博士課程で日本歌曲を研究され、以前にもこのシリーズでお願いしたことのある青山恵子氏に「歌曲」をお願いしました。《風の筒鳥》は、短かすぎるためか、あまり演奏されることがありません。《落葉》は、最近実感を込めて弾けるようになりました。《水三題》は、《山の筧》《大河の夕》《大洋の朝》の3曲からなるもので、単独で演奏されることも多くありますが、3曲通して聴くとそれぞれの個性が強く感じられます。    
 なお、1933年の作である《神仙調箏協奏曲》は、1994年の第8回の時に松尾葉子氏の指揮で《「平調越天楽」による箏変奏曲》 《壱越調箏協奏曲》《盤渉調箏協奏曲》とともに東京交響楽団と演奏いたしました。    
 終わりになりましたが、解説と年表をいただきました宮城道雄記念館資料室の千葉優子氏、 清水かつら作品についてご教示をいただいた別府明雄氏、賛助の皆様、その他会の開催にご援助・ご協力をいただきました皆様に、心から御礼を申し上げます。    


演奏順 曲名 作曲年 作詞者 構成 助演
147  春陽楽 【尺八】
川村 泰山
難波 竹山

【歌】
青山 恵子
澤田 颯太
武田 菜美
内記 光賀
藤原 美月

【笙】
増田 千斐

【玲琴】
山田  香

【打物】
窪田 健志

【お話】
千葉 優子

【箏】(輝箏会)
安藤 珠希
石井まなみ
戸塚 朋華
長谷川愛子
長谷川 慎
藤岡  歩
光原 大樹
  第1楽章  1933 --- 箏2・十七絃・
胡弓2・尺八・
笙・打物
  第2楽章 佐保姫舞曲 ---
  第3楽章 夕 暮 --- 箏2・十七絃4・
胡弓4・玲琴・
尺八2・打物
  第4楽章 さくら 磯部艶子 箏2・十七絃・
胡弓・玲琴・
尺八・打物

   
148  狐のお嫁さん 1933 葛原しげる 箏2・歌2
149  金の鶏 1933 葛原しげる 箏2・歌
150  裏の木戸 1933 葛原しげる 箏・歌
151  まいまいつぶろ 1936 清水かつら 箏・歌
152   高脚踊 1933 葛原しげる 箏・胡弓・歌 
 
153  日暮山霧 1933 葛原しげる 箏・胡弓・歌

154  潮 音 1933 島崎藤村 箏・尺八・歌
155  落 葉 1933 西条八十 箏・尺八・歌
156  風の筒鳥 1933 北原白秋 箏・尺八・歌
157   水三題
   山の筧 1933 桜居女 箏・尺八・歌 
   大河の夕
   太洋の朝
   
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13

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宮城道雄全作品連続演奏会 13
2009/9/2  旧東京音楽学校奏楽堂 
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宮城道雄全作品連続演奏会−第13回に寄せて
宮城道雄記念館資料室 室長 千葉優子






ごあいさつ
安藤政輝

   
 本日はお忙しい中をご来場いただきましてありがとうございます。    
 宮城道雄の全作品を年代に沿って連続して弾いていくこのシリーズも、1990年3月以来これまでに157曲を弾き、今回で13回目を迎えることができました。 これもひとえに皆様の温かいご支援の賜物と感謝いたしております。    
 今回は、1934年(昭和9年)の作品を中心に、23曲をとりあげますが、「箏曲のバイエル」とも言うべき『宮城道雄小曲集』のための曲が9曲と多く、 『宮城道雄三絃小曲集』のための三絃のみの曲も5曲あります。 『三絃小曲集』は、箏の『小曲集』と同じように、奏法を練習してから、その奏法を含んだ曲を学習するという構成になっています。 実際には箏をある程度学んだ人が三絃を始める場合が多いので、『三絃小曲集』の初めは箏と同じ曲になっており、 歌や曲の旋律がすでに頭に入っている馴染みのある曲から始めるようになっています。 しばらく進んで楽譜を見ることにも慣れてきた段階で、未知の曲へ進みますが、これらの曲を学習する過程で、 本調子の曲《うぐひすの》の他に、三絃の主要な調絃法である二上りの曲《霞立つ》、 三下りの曲《忘るなよ》《寝覚め》も体験し、最後の《みよしのは》では、本調子から二上りへの転調、 古典の「ツナギ(マクラ)」と呼ばれる前歌から手事への導入部分もあり、本格的な古典曲への足掛かりとなっています。    
 古典曲への足掛かりとしては、歌の部分で手との時間的ズレを学習することが必要とされ、 箏の『小曲集』においては《かざしの菊》がその役割を担っています。言わば「古曲のロバサン」となりましょうか。 ところで、《かざしの菊》の第5句は「久しかりけり」となっていて歌意が通じず疑問に思っておりましたが、 今回は原典(『古今和歌集』巻5秋歌下)のように「久しかるべく」といたしました。《小夜ふけて》は、《かざしの菊》よりも短く、 手事もないのですが、代わりにいろいろな奏法が含まれています。同じような目的を持って作曲されたのではないかと思われますが、 声域も広く、歌いにくい部分もあって、『小曲集』には採用されなかったのでしょう。    
 《いちごの実》の曲名については、手元の楽譜に《いちごの実》《いちご》《イーいちご》と三通りのものがありますが、 初の随筆集『雨の念仏』(1935年)の作曲目録に初出する題名としました。    
 今回の会場である旧東京音楽学校奏楽堂は、1891年(明治23年)に建てられた日本で初めての洋風建築によるコンサートホールとして歴史的価値の高いものです。 東京芸術大学構内から1987年(昭和62年)に移築されました。木造建築による温かい音の響きは他のホールでは得難いもので、箏や三味線とよく合うと思います。 宮城道雄先生ともゆかりが深く、《さしそう光》など多くの曲がここから生まれています。私も学生時代に何回か演奏いたしました。 室内を鳩が飛び交い(ときどき「落とし物」をし)、また、舞台袖に置いた石油ストーブで直前まで手を温めてから弾き出すのですが、 すぐに手がかじかんできて困った覚えがあります。    
 終わりになりましたが、解説と年表をいただきました宮城道雄記念館資料室の千葉優子氏、柴田旺山氏をはじめ賛助の皆様、 その他会の開催にご援助・ご協力をいただきました皆様に、心から御礼を申し上げます。    

演奏順 曲名 作曲年 作詞者 構成 助演
158  暁 の 海 1935年(昭和9年) 葛原しげる 胡弓・第1箏・第2箏・
十七絃・歌2部
【尺八】
柴田旺山 

 【歌】
澤田 颯太
武田菜実
藤原美月

【お話】
千葉優子

【箏】
(輝箏会)
安藤 珠希
石井まなみ
戸塚 朋華
長谷川愛子
長谷川 慎
藤岡  歩
光原 大樹
山ア  忍
吉永 真奈
159  テンテマリ 1934年(昭和8年) 葛原しげる 箏・歌
160  小   鳩 1934年(昭和8年) 川路 柳紅 箏・歌
161  花 咲 爺 1934年(昭和8年) 葛原しげる 箏・歌
162  大蛇退治 1934年(昭和8年) 葛原しげる 箏・歌
163  勝った亀の子 1934年(昭和8年) 葛原しげる 箏本手・箏替手・歌
164  春 の 園 1934年(昭和8年) 大伴 家持 箏・三絃・E歌 
165  春   霞 1934年(昭和8年) 藤原 興風 箏・三絃・歌
166  岩間とぢし 1934年(昭和8年) 葛原しげる 箏・三絃・歌
167  かざしの菊 1934年(昭和8年) 紀 友則 箏・箏段合せ・歌
 168  小夜ふけて 1934年(昭和8年) 北原 白秋 箏・歌
 169   御代の祝  1934年(昭和8年) 桜 居 女 箏・三絃・尺八・歌
 
 170  さしそう光 1934年(昭和8年) 高野辰之 箏本手・箏替手・歌
 171  うぐひすの 1934年(昭和8年) 詠み人知らず 三絃・三絃段合せ・歌
 172  霞 立 つ 1934年(・コ和8年) 在原 元方 三絃・三絃段合せ・歌
 173  忘るなよ 1934年(昭和8年) 藤原 良経  三絃・三絃段合せ・歌 
 174  寝 覚 め 1934年(昭和8年)  不 詳 三絃・三絃段合せ・歌
 175  みよしのは 1934年(昭和8年) 藤原 良経 三絃・三絃段合せ・歌
 176  いちごの実 1934年(昭和8年) 西条 八十 箏・歌 
 177  木の衣がえ 1934年(昭和8年) 野口 雨情 箏・歌
 178  渋柿甘柿 1934年(昭和8年) 葛原しげる 箏・歌
 179  雨 祭 り 1934年(昭和8年) 葛原しげる 箏・歌
 180  うてや鼓 1935年(昭和9年) 島崎 藤村 箏独奏部・第1箏・第2箏・
十七絃・歌2部
 
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 宮城道雄全作品連続演奏会 14
 2010/5/11(火)  すみだトリフォニー 小ホール 
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宮城道雄全作品連続演奏会−第14回に寄せて
宮城道雄記念館資料室 室長 千葉優子
     
 このたびの演奏会は昭和11年に作曲された作品を中心に構成されています。この年は東京音楽学校にようやく邦楽科が本科として設置された年でした。東京美術学校が当初日本画科のみで開校されたのに対して、東京音楽学校は日本の音楽学校でありながら、それまで邦楽科は選科としてのみ設置されていたという何とも不思議な状態が続いていたのです。それゆえに、邦楽科の本科設置は邦楽関係者の悲願であり、宮城道雄もその喜びと意気込みを雑誌『三曲』で語っています。ただ宮城自身は昭和5年にすでに選科講師に就任しており、昭和6年に学生を含む多人数で演奏するのにふさわしい作品として《秋韻》を作曲しました。そして、東京音楽学校主催の演奏会のために作曲した合唱合奏曲の第2作が本日最初に演奏される10年作曲の《那須与一》です。続く第3作が11年作曲の《野に出でよ》ですが、この作品は初演以来ほとんど演奏されることのなかったものなので、本日の演奏はたいへん貴重といえましょう。また、終曲の《道灌》も合唱合奏曲で、規模の大きな編成による作品ですが、これは東京市主催の「太田道灌公450年祭記念会」のために委嘱された作品です。11726日の午前に記念碑の除幕式が行われ、午後に日比谷公会堂で行われた記念会で宮城の独奏箏と宮城合奏団、それに吉田晴風らの尺八などによって初演されました。   
 ところで、11年に宮城は14曲の作品を作曲していますが、そのうち《お正月のうた》《お清書》《大麦小麦》《蝶々と仔牛》《お早う》《夕凪小凪》《時計のうた》《とび》8曲が童曲です。いずれも、翌12年1月13日から2月26日まで週2回30分間日本放送協会から放送された「箏のお稽古」のラジオテキストのために作曲されたもので、テキスト自体はこれら童曲に、やはり11年に教則的意図を持って作曲された歌曲《袖ひぢて》と古典曲の段物《六段》を加えて12月26日に発行されました。これまでに数度ラジオ講座のためにテキストを作り、さらにそれらをもとに前年には完備した教則本である『宮城道雄小曲集』を出版しているにもかかわらず、それらを流用するのではなく、改めて初心者用テキストのために作曲し、手法や調絃法をより詳しく解説するなど、初学者への心配りをしています。これは箏曲人口の底辺を広げるための努力だったのかもし・黷ワせん。なお、本日演奏される《ヘイタイサン》《お手々ポンポン》《金の鯱》は10年に作曲された童曲です。   



ごあいさつ
安藤政輝


 本日はお忙しい中をご来場いただきましてありがとうございます。
 宮城道雄の全作品を年代に沿って連続して弾いていくこのシリーズも、1990年3月以来これまでに180曲を弾き、今回で14回目を迎えることができました。これもひとえに皆様の温かいご支援の賜物と感謝いたしております。
 今回は、1936年(昭和11年)の作品を中心に17曲をとりあげますが、前回に引き続き、子どものための「童曲」が11曲あります。 童曲にも3種類あって、2.《お清書》から7.《お早う》までは、子どもが弾き歌いをする簡易な曲、 8.《とび》から10.《ヘイタイサン》と、13.《お手々ポンポン》14.《金の鯱(しゃち)は、 大人の伴奏で子どもが歌う曲です。 これは、子どもは涼しい顔をして歌うのですが、伴奏は結構難しく、大人は汗をかきかき弾くことになります。 ちなみに、他の1種類は、大人が子どもに聴かせる曲で、たとえば《三つの遊び》(《まりつき》《かくれんぼ》《汽車ごっこ》)などが挙げられるでしょう。
 1.《那須与一》は、『平家物語』の「扇の的」を題材とした合唱合奏曲で、物語的な展開を見せますが、あまり演奏される機会がありません。
 11.《野に出でよ》は、本来、高低箏2部と十七絃、三絃に胡弓が入った合唱合奏曲ですが、見つかった楽譜は断片的で、胡弓の分は・Sくありませんでした。 きっと宮城道雄先生が演奏なさってそのままになってしまったのでしょう。ですから、前奏では「穴があいた」ようになっていますし、前奏の後「胡弓ソロ14小節」も割愛せざるを得ませんでした。 歌詞も、高野辰之氏自筆の作詞素案ノートである『野人集』で確認したところ、2番に相当する部分があるのですが、「大いなる工匠(たくみ)の鑿(のみ)も ここにして 工匠の刷毛 ここにしてあり」とあって、 1番に比べて1行分足りません。しかし、楽譜は1番が終わった後2番へ戻るような形でもあり、 三絃のパート譜だけにはコーダのような形で1番とは違う終りの部分があるので、きっとこの「素案」の後2番の歌詞ができて演奏されたのではないかと思われます。 本日は、1番部分のみの演奏といたしました。そのため、終りの部分も尻切れトンボになっています。このような不完全な形での演奏は取りやめようか、あるいは最小限の補作をしようかと迷ったのですが、 とりあえず現在分かっている部分だけを「音」として発表し、今後の資料提供をお願いするという形をとることにいたしました。
 12.《済美高等女学校校歌》は、校歌としては珍しい箏伴奏のもので、ピアノ伴奏の形も後に作られています。 現在ネットで公開されている「済美高等学校校歌(保存版)」は、ピアノ伴奏譜を基にしたと思われる箏二重奏の伴奏であり、 歌詞にも異同がありますが、原作の形を再現するように致しました。 歌唱は、東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校(芸高)で生田流箏曲を専攻している2・3年生にお願いしました。
 15.《袖ひぢて》は、前回・前々回の《小夜ふけて》《かざしの菊》と同様、「古曲入門」の曲です。
 終わりになりましたが、解説と年表をいただきました宮城道雄記念館資料室の千葉優子氏、藤原道山氏をはじめ賛助の皆様、 その他会の開催にご援助・ご協力をいただきました皆様に、心から御礼を申し上げます。   


演奏順 曲 名 作曲年 作詞者  構   成   助 演
 181     那須与一 1935年(昭和10年) 高野 辰之 独奏箏
箏2
十七絃
歌4
 

【笙・尺八】
藤原道山
   
【尺八】
田嶋謙一
友常聖武
松岡幸紀
   
【笛】
藤舎推峰
   
 【打物】
大家一将
久米彩音
   
 【歌】

大浦功太郎
柿原万穂
澤田颯太
武田菜実
藤原美月

池田和花奈
倉松麻紗子
佐竹舞香
松井  咲
   
【お話】
千葉優子
   
【箏・十七絃・三絃
・胡弓・玲琴】

安藤珠希
石井まなみ
大嶋礼子
高橋芳枝
戸塚朋華
長谷川愛子
長谷川 慎
藤岡 歩
光原大樹
山ア 忍
山田 香
吉永真奈

 
 
182   大麦小麦 1936年(昭和11年) 葛原しげる
 
 
183  お正月のうた 1936年(昭和11年) 葛原しげる
184  お清書 1936年(昭和11年) 西条 八十
185  お早う 1936年(昭和11年) 葛原しげる
186  蝶々と仔牛 1936年(昭和11年) 北原 白秋
187  と び 1936年(昭和11年) 葛原しげる
188  夕凪小凪 1936年(昭和11年) 北原 白秋
189  時計のうた 1936年(昭和11年) 葛原しげる
190  ヘイタイサン 1935年(昭和10年) 葛原しげる 箏2
歌2
191  お手々ポンポン 1935年(昭和10年) 葛原しげる 箏2
歌2
192  金の鯱 1935年(昭和10年) 葛原しげる
193  野に出でよ 1936年(昭和11年) 高野 辰之 箏2
十七絃
三絃
歌2
194   済美高等女学校校歌 1935年(昭和10年) 船田 操
 
195  袖ひぢて 1936年(昭和11・N) 紀 貫之
196  秋の庭 1936年(昭和11年) 安宿王
三絃
尺八
197   道 灌 1936年(昭和11年) 栗原 広太 箏独奏部
箏2
十七絃
三絃2
胡弓
玲琴
尺八4


打物
歌4
 

  




  
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宮城道雄全作品連続演奏会 15
2014/6/9(月)  紀尾井小ホール 
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ごあいさつ
安藤政輝

 本日はお忙しい中をご来場いただきましてありがとうございます。
 今年生誕120年を迎えた、宮城道雄の全作品を年代に沿って連続して弾いていくこのシリーズも、1990年3月以来これまでに197曲を弾き、今回で15回目を迎えることができました。これもひとえに皆様の温かいご支援の賜物と感謝いたしております。
 今回は、1937年(昭和12年)の作品を中心に8曲を取り上げます。前回までの「童曲」は影を潜めてしまいます。また、内容的には、世相の変化によって、音楽の世界にも戦争の波が押し寄せてきていることが分かります。
 《満州調》は、1936年に作曲されたものですが、打楽器を生かした明るい雰囲気の曲です。
 《歓迎歌(ヘレン・ケラー女史に捧ぐ)》は、4月29日に日本青年館で行われた陽光会主催の音楽会で宮城先生の弾き歌いによって初演されたものですが、今回は、宮城先生が講師を務め、ヘレン・ケラーも来日の際に立ち寄った東京盲学校(現・筑波大学附属視覚特別支援学校)の生徒・卒業生の方々に歌をお願いしました。
 《からころも》は、『伊勢物語』第9段(東下り)で、三河の国(現・愛知県知立市)の沢のほとりに咲いていたカキツバタを折り込んで旅の心を詠んだ歌とされています。
 《古戦場の月》は、「童曲」を多く手がけた葛原しげるの作詞ですが、原題は《月下の古戦場》として1934年7月3日から15日の間に作詞をしたという「メモ(草稿記録)」の存在が確認できました。その「メモ」と現在の歌詞とではいくつか異同が見られます。中程には機関銃やラッパの音など、戦場を彷彿させるシーンもありますが、根底にあるのは「平和」であると感・カられます。
 《送別歌》は、7月の盧溝橋事件を境として戦時的雰囲気への世相の転換により、JOAKの委嘱によって作曲された時局的作品第1号です。10月4日から9日まで、正午のニュースの前の「国民歌謡の時間」で毎日放送されました。戦場に家族を送りだす心情を描いた佐藤春夫の詞は、与謝野晶子が『明星』明治37年9月号で旅順口包囲軍の中に在る弟を「君死にたまふことなかれ」と詠んだ心に通じるものがあります。
 《壱越調箏協奏曲》は、1994年(平成6年)に国立教育会館虎ノ門ホールで行った「第8回」で演奏したのですが、今回は、オーケストラの部分を箏群(箏3、十七絃)に編曲したもので演奏いたします。この曲には「オケ版」の他に下総皖一によるピアノとの「二重奏版」がありますが、どちらもあまり弾かれることがありませんでした。今回、多様なレベルに応じたパート構成による「邦楽器版」ができたことによってより多くの方に弾いて(聴いて)いただけるようになることを願っています。
 終わりになりましたが、解説と年表をいただきました野川美穂子氏、賛助出演の皆様、会の開催にご援助・ご協力をいただきました皆様に、心から御礼を申し上げます。
  
演奏順 曲 名 作曲年 作詞者 構 成 助 演
198   満州調 1936年(昭和11年) 胡弓
箏2
十七絃
尺八2
打物

【尺八】
柴田旺山
田嶋謙一

 【打物】
大家一将

 【歌】

上田喬子
松山実紗子
北原新之助
中畑友里
鈴木萌依

【お話】
野川美穂子

【箏・十七絃・胡弓】
安藤珠希
石井まなみ
岡島アルマ
黒須里美
清水紗登美
清水宣子
田辺礼子
野沢雅世
秦 瞿代
日原暢子
藤岡 歩
舟引智子
矢作和美
山ア 忍
山下真由美
山水美樹
山本恵美子

【後援】
公益財団法人 日本伝統文化振興財団
日本音楽表現学会
 
199   歓迎歌
(ヘレン・ケラー女史に捧ぐ)
1937年(昭和12年) 斎藤百合
 
200  からころも 1938年(昭和13年) 在原業平
 
201  箱根路を 1938年(昭和13年) 源 実朝
 
202   古戦場の月 1937年(昭和12年) 葛原しげる 胡弓2
箏2
十七絃
尺八2
            
203   送別歌 1937年(昭和12年) 佐藤春夫 箏2
 
204   胡 蝶 1937年(昭和12年)
尺八
             
***   壱越調箏協奏曲 1937年(昭和12年)
宮城道雄/下総皖一
2013年
安藤珠希編曲
箏独奏部
箏3
十七絃
  (リハ−サル)           
 
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宮城道雄全作品連続演奏会 16
2015/9/2(水)  紀尾井小ホール 
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東京新聞 2015/8/14記事
 
 

ご あ い さ つ

安 藤 政 輝   
    

 本日はお忙しい中をご来場いただきましてありがとうございます。
 昨年生誕120年を迎えた宮城道雄の全作品を年代に沿って時代背景を考察しながら連続して弾いていくこのシリーズも、1990年3月以来これまでに204曲を弾き、今回で16回目を迎えることができました。これもひとえに皆様の温かいご支援の賜物と感謝いたしております。
 今回は、1938年(昭和13年)と1939年(昭和14年)の作品を中心に、前回演奏できなかった1937年(昭和12年)の1曲と、1940年(昭和15年)の1曲、合わせて8曲を演奏いたします。内容的には、1937年7月に勃発した中国大陸における戦争(支那事変)の影響を大きく受けていることが分かります。
 《輝く大地》は、作曲当時は《輝く大陸》と題されていて、中国大陸への進出を美化するような印象を受けますが、戦後曲名が変更され、現在は躍動する若い力を賛美するというように解釈されています。
 《靖国神社》は、手持ちの楽譜の不完全なところを、葛原眞氏(作詞者:葛原しげるの孫)が、所蔵の「葛原しげる作詞ノート」を調査してくださり、演奏できることになりました。悲しみの感情を内に抑えた優しさがあふれる曲となっています。  《軍人援護に関する皇后宮御歌[なぐさめむ、やすらかに、あめつちの]》は、昭和天皇の皇后であった良子皇后(諡号は香淳皇后)が詠まれた歌3首に曲を付けたもので、作曲者は「非常に光栄なこと」と述べています。軍事保護院発行の非売品の箏譜とは別に中尾都山氏発行の尺八譜があり、二重奏で演奏いたします。
 良子皇后ご逝去10年後の2010年8月に、お印の桃にちなんで命名された皇居・桃華楽堂で行われた「香淳皇后をしのぶ演奏会」で、両陛下が選曲された《春の海》を演奏させていただいたことが思い出されます。
 《愛国行進曲》は、内閣情報部が「国体の尊厳」を国民に示し、士気を昂揚する事を目的として募集した国民歌で、学校や家庭、街頭や喫茶店などいたる所でメロディーが流れました。レコードは100万枚以上売れたそうです。どこかで耳にされたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。箏による編曲も、独奏箏とオーケストラとのもの、和楽器合奏によるカラオケ用などいくつかあったようです。作曲者の瀬戸口藤吉海軍軍楽隊楽長には、後に軍事功労賞が贈られています。
 《神辺小唄(かんなべこうた)》は、前回演奏しようと思い、現地の福山市神辺町まで足を運んだり、レコード吹き込み時に演奏された方に所縁のある方にお尋ねしたりしたのですが、結局「宮城道雄作品大全集」の音源しか存在せず、今回はそれを基に採譜いたしました。この曲に限らず、曲名だけあって楽譜の無いもの、あったとしても断片的で演奏できないものは数多くあります。古い手書きのメモでも結構ですので、公刊されていない曲についての情報をお寄せいただければ幸いです。
 神辺町は1929年に町制が敷かれ、2006年に隣接する福山市に編入されるまで続きました。作詞者・葛原しげるや祖父にあたる葛原勾当の出身地です。町には神辺城址があり、その城山の上り口にある吉野山公園は桜の名所として有名です。また、菅茶山は江戸時代後期の儒学者・漢詩人で、菅茶山旧宅や記念館があります。
 《島の朝》は箏独奏曲で、1939年(昭和14年)の勅題「朝陽映島(ちょうようしまにえいず)に寄せたものです。《春の海》が1930年(昭和5年)の「海辺の巌」に寄せて作曲されたように、勅題に寄せて作曲することは通例となっていました。ちなみに、昭和天皇御製は「高殿のうへよりみればうつくしく 朝日にはゆる沖のはつしま」。
 《うぐいす》は箏と尺八の二重奏曲です。箏と尺八の二重奏曲としては、《春の海》があまりにも有名ですが、《泉》やこの曲ももっと数多く弾かれるとよいのにと思います。「巾十調子」系の独特の調絃が使われており、《秋風の曲》の「秋風調子」にならって「うぐいす調子」とでも名付けたいと思っています。
 《大和の春》は、箏独奏部を含む大規模な合奏曲です。これより後、このような形式の曲が増えてくるのは、社中(演奏者)の数が増加し、また同時に演奏の技量も向上してこのような曲が演奏できるようになっていったからといわれています。
 今回も、前回に引き続き戦時色の濃い内容となりました。《うぐいす》と《神辺小唄》が一時の心の安らぎを与えてくれます。それにしても、この時代の人々はどのような気持ちで日々を送っていたのでしょうか。「世界平和と正義のため」という錦の御旗の下に、経済統制、思想や言論の弾圧、「国家総動員法」制定等と、世の中はあってはならない方へ突っ走っていってしまいました。何かおかしいと感じつつも、それを声に出すことができなかったことを、今の世と比較して考えるとき、私たちは今何をすべきかという大きな疑問に突き当たるのです。
 終わりになりましたが、解説と年表をいただきました野川美穂子氏、賛助出演の皆様、葛原しげる作詞の作品についてご指導・調査をいただいた葛原眞氏、その他会の開催にご援助・ご協力をいただきました皆様に心から御礼を申し上げます。

  プログラム 
演奏順 曲 名 作曲年 作詞者 編 成 助演
205  輝く大地 1938 ---  箏独奏
 第1箏
 第2箏
 十七絃
〔解説〕          
野川美穂子
〔尺八〕
柴田 旺山
金子朋沐枝
〔打物〕
大家 一将
〔笙〕
増田 千斐
〔絃〕
安藤 珠希
石井まなみ
岡戸 久実
甲斐佐知子
黒須 里美
清水紗登美
清水 宣子
津野田智代
中村 紀子
野沢波留美
藤岡  歩
舟引 智子
水澤 泰助
矢作 和美
山ア  忍
山下真由美
山水 美樹
山本恵美子

 
【後援】
(公財)日本伝統文化振興財団
日本音楽表現学会
 
206  靖国神社 1938 葛原しげる  第1箏
 第2箏
207  皇后宮御歌
   なぐさめむ
   やすらかに
   あめつちの
1939 良子皇后  箏
 尺八
208  愛国行進曲(編曲) 1938 森川幸雄作詞
瀬戸靴藤吉作曲
 箏独奏
 第1箏
 第2箏
 十七絃

 尺八(甲・乙)
209  神辺小唄 1937 葛原しげる  三絃甲
 三絃乙
210  島の朝 1938 ---  箏
211  うぐいす 1939 ---   箏
 尺八
212   大和の春 1940 佐佐木信綱  箏独奏部
 第1箏
 第2箏(甲・乙)
 十七絃
 胡弓
 尺八
 笙
 打物
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宮城道雄全作品連続演奏会 17
2017/4/25(火)  紀尾井小ホール 
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宮城道雄全作品連続演奏会−第17回に寄せて
東京藝術大学講師 野川美穂子
   
 本日の演奏曲は、昭和15年の《数え唄変奏曲》《夢殿》《銃後の女性》《祝典箏協奏曲》と、昭和16年の《夏の小曲(風鈴、金魚、線香花火)》《村の春》《希望の朝》の7作品です(作曲順)。
 膠着する日中戦争のさなか、石油禁輸などの経済制裁を受けた日本は、米英との対立を深めていきます。そして、昭和16年12月8日の未明、真珠湾を攻撃し、太平洋戦争に突入しました。
 本日の演奏曲は、太平洋戦争勃発を目前に戦時色が濃くなる状況ではあったものの、春秋会(宮城道雄門下の専門家対象。年2回)や生田奨励会(富崎春昇や川瀬里子などとともに創立。生田流若手門下対象。年3回)など、後進を育成する演奏会が新たに催され、新設の大日本三曲協会(日本三曲協会の前身)が中心となって、三曲界の活動を広げることがまだ可能であった時期の作品です。以下、演奏順に本日の作品を紹介します。
 《夢殿》は、聖徳太子の等身と伝える救世観音像を安置する法隆寺の夢殿を歌う作品です。財団法人聖徳太子奉讃会が昭和15年4月11日に開催した聖徳太子の御忌法要のおりに初演されました。大正13年設立の聖徳太子奉讃会は、毎年の4月11日に東京美術学校の大講堂で御忌法要を行っていましたが、東京音楽学校からの申し出により、昭和15年以降、東京音楽学校で法要を行う年もありました。《夢殿》は、東京音楽学校での最初の御忌法要である昭和15年に披露され、東京音楽学校では2回目となる昭和18年の御忌法要のおりにも演奏されました。《希望の朝》は、箏とフルートの二重奏曲。この編成は、宮城作品のなかでは唯一です。《風鈴》《金魚》《線香花火》の3曲で構成される《夏の小曲》は、宮城らしい描写的表現にあふれる作品です。《金魚》はその存在が忘れられかけていましたが、安藤先生が演奏して以来、知られるようになりました。(CD『安藤政輝 宮城道雄を弾く2〜箏独奏曲全集〜』に収録)。《村の春》は、宮城が好んで採用したABAの三部形式による作品。B部分に馬子唄風の旋律が登場します。《銃後の女性》は、昭和15年10月9日に大日本三曲協会が主催した「銃後奉公軍事援護に関する三曲新作発表演奏大会」で初演されました。10月3日から9日の1週間は、軍事保護院の通達により「軍事後援強化週間」と定められ、戦地の軍人を国内(「銃後」)で支援する目的の催しが全国各地で行われまし。《数え唄変奏曲》の作曲年には諸説あり、随筆集『夢の姿』(昭和16年11月)の「宮城道雄作品目録」によれば、昭和9年の作品です。いっぽう、ビクターレコード『宮城道雄傑作選 第1集』によれば、昭和3年頃に着手され、昭和15年に独奏曲として完成しました。宮城の箏独奏曲の3作目です。《祝典箏協奏曲》は、昭和15年11月26日の「皇紀二千六百年奉祝芸能祭制定発表演奏会」で初演されました。宮城は「西洋のコンツヱルト風に作曲」「神武天皇の昔と今との感じを取り入れたつもり」と説明しています(『三曲』昭和15年11月号)。   

ごあいさつ
安藤政輝

   
 本日はお忙しい中をご来場いただきましてありがとうございます。 昨年生誕120年を迎えた宮城道雄の全作品を、年代に沿って時代背景を考察しながら連続して弾いていくこのシリーズも、1990年以来これまでに212曲を弾き、今回で17回目を迎えることができました。これもひとえに皆様の温かいご支援の賜物と感謝いたしております。  今回は、1940年(昭和15年)と1941年(昭和16年)の作品から7曲を演奏いたします。
《夢 殿》 夢殿は、聖徳太子創建の法隆寺にある八角形の仏堂で、観世音菩薩を安置し、太子が瞑想にふけった所として有名です。伝によれば、太子は仏典を読んで理解できない所にぶつかると、この堂にこもって何日も瞑想した。すると夢の中に西方から金色の異人が現われて仏典の意味を教えてくれた。それゆえ夢殿と呼ばれたということです。 内容は、秋の夕方から夜更けにかけての夢殿の周囲の情景を描き、静寂の中に太子の声が3回聞こえてくる様子を叙しています。 高低2部の箏に十七絃、それに胡弓が途中から加わりカデンツァを奏します。基本的には女声2部で構成されていますが、雅楽的な部分では4部になり、太子の声の部分は男声が受け持ちます。
《希望の朝》は、箏とフルートの二重奏曲です。尺八で演奏することもありますが、半音進行など相当な技術が要求されるため、いやな顔をされることもあります。私の初演奏は、1957年(昭和32年)の「宮城門下お弾き初め会」で、フルートは宮城 (当時の姓) 衛氏でした。
《夏の小曲》は、《風鈴》《金魚》《線香花火》の3曲が組になったもので、夏の風物詩が擬音を使って表されています。《風鈴》は、軒に吊るした風鈴が風によって単独に、あるいは一斉に鳴り出す様子が複音のグリッサンドを用いて表されています。《金魚》は、ゆったりと、時に忙しく泳ぐ金魚のかわいらしさが表されています。1986年(昭和61年)に藤城清治氏の影絵をバックに行った、第10回リサイタル「宮城道雄抒情の世界」の折に演奏したものです。《線香花火》は、スリ爪・チラシ爪・輪連を使って花火が燃える様子が表されています。
《銃後の女性》は、現在の人に「ジュウゴノジョセイ」と言うと、「15(歳)の女性」ととられてしまい、時代の違いを感じさせられます。進軍ラッパ、大砲の音、 機関銃の音などが織り込まれているように聞こえます。4番まである歌詞は時代を感じさせるもので、現代の人に内容を説明するのに骨が折れました。 なお、《浜千鳥》《叱られて》などで知られる広田龍太郎も作曲しています。
《村の春》は、器楽合奏曲です。箏2部、十七絃に、尺八・胡弓・フルートが加わり、さらに打物が村祭りのにぎやかさを演出しています。途中、1箏のソロをバックに胡弓による馬子唄が聞こえ、馬に付けた鈴の音が響きます。
《数え唄変奏曲》 変奏曲形式は、1923年(大正12年)の箏2面と十七絃による三重奏曲《さくら変奏曲》によって日本音楽に初めて取り入れられました。 その後、同じ編成の《君が代変奏曲》[1927年(昭和2年)]、オーケストラとのコンチェルト《越天楽変奏曲》[1928年(昭和3年)]と続きますが、箏独奏曲としてはこの1曲しかなく、同時に、この曲が箏独奏曲として最初の成功作といえます。 古謡の《かぞえうた》(「一つとや〜」)の旋律を主題としたもので、全体は八つの段から成っています。ほとんど全曲を通じて複数の音が同時に鳴らされているので、一人二役あるいは三役のような感じを受けるかもしれません。さらに、その同時に鳴っている音の中で旋律を生かした表現をする事が求められているのは、ピアノの演奏法を想起させます。 ハーモニックス、スタッカート、トレモロ、アルぺジオ、グリッサンド、裏はじきのような左手奏法など、現代では当たり前のようになっている奏法ですが、当時は邦楽器による初めての試みであって、「箏の技法の展示会のような曲」(吉川英史先生の談)とも言えましょう。
《祝典箏協奏曲》 紀元2600年には、神武天皇建国以来の歴史の長さを誇示し、長期化した戦争による国民生活の窮乏や疲労感から目をそらせる目的で国中を総動員して一連の慶祝行事が行われました。国内外で多くの奉祝曲が作られたうちの一つで、箏独奏部・胡弓・笙・尺八2部・フルート・打物を含む大規模な合奏曲です。宮城道雄にしては珍しい、リズミカルで現代的な香りが強くする曲です。 今回も、戦争の真っただ中となりましたが、《銃後の女性》を除いては「平和な」内容の曲となりました。宮城道雄の心情があらわされているように思えます。
 終わりになりましたが、解説と年表をいただきました野川美穂子氏、賛助出演の皆様、葛原しげる作詞の作品調査にご協力をいただいた葛原眞氏、その他会の開催にご援助・ご協力をいただきました皆様に心から御礼を申し上げます。  


演奏順 曲 名 作曲年 作詞者 構 成 助 演
213   夢 殿 1940年(昭和15年) 佐佐木信綱 1箏
2箏
十七絃
胡弓

【笙】
東野 珠実
   
【尺八】
田嶋 謙一
川村 葵山
   
【フルート】
北川 森央
   
 【打物】
大家 一将
  
   
【お話】
野川美穂子
   
【箏・十七絃
三絃・胡弓】

安藤 珠希
石井まなみ
板橋 美季
大田原紗蘭
黒須 里美
清水紗登美
新地のぶえ
田島きくみ
田辺 }子
野沢波留美
藤岡  歩
矢作 和美
山ア  忍
山水 美樹
山本惠美子

 
 
214   希望の朝 1941年(昭和16年)
フルート
 
215   夏の小曲(風鈴/金魚/線香花火) 1941年(昭和16年)
 
216   村の春 1941年(昭和16年) 1箏
2箏
十七絃
胡弓2
尺八
フルート
打物
 
217   銃後の女性 1940年(昭和15年) 箏独奏部
1箏
2箏
十七絃
 
218   数え唄変奏曲 1940年(昭和15年)  
 
   
219   祝典箏協奏曲 1940年(昭和15年) 箏独奏部
1箏
2箏
十七絃
胡弓
フルート
尺八2

打物
 
                                             写真:友正写真館
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宮城道雄全作品連続演奏会 18
      2018/4/23(月)  紀尾井小ホール 
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宮城道雄全作品連続演奏会−第18回に寄せて
東京藝術大学講師 野川美穂子
   
 本日演奏される宮城道雄(1894−1956)の作品7曲のうち、《寄桜祝》は昭和15年の作品、《漁村の曙》《大空の歌》《防人の歌》は昭和16年の作品、《萌ゆる若葉》《秋の流れ》は昭和17年の作品、《七つの胡桃》は昭和18年の作品です(以上、作曲順)。太平洋戦争勃発の1年前の昭和15年から、真珠湾攻撃を契機に太平洋戦争に突入した昭和16年、本土への初空襲があった昭和17年、戦地での敗北・撤退・玉砕などが続き、戦況悪化が深刻になっていた昭和18年の作品をとりあげます。
 以下、本日の演奏順にご紹介しましょう。《寄桜祝》は、箏・十七絃・胡弓・尺八・笙・打物による合奏合唱曲。本来は「さくらによするいわい」と発音しましたが、講習会で配布された楽譜の振仮名には「さくらによせるいわい」とあります。初演は、昭和15年11月26日の「新日本音楽並第二回交響作品発表演奏会」です。この演奏会は、昭和15年1月から始まった、皇紀2600年を祝う「芸能祭」の一事業として行われました。第一部が新日本音楽で、宮城道雄の《祝典箏協奏曲》(前回演奏会で紹介)と《寄桜祝》、第二部が交響曲で、山田耕筰の《神風》と信時潔の《海道東征》というプログラムでした。佐藤春夫の詩をうたう《寄桜祝》の合唱は東京音楽学校の生徒が担当しました。《萌ゆる若葉》は、昭和16年に発表された箏・尺八・オーケストラ版を原曲としますが、この編成では現行せず、現在には、翌年の演奏記録がある箏と尺八の二重奏曲版が伝わります。昭和17年5月3日の春秋会のおりに、宮城よし子の箏、廣門伶風の尺八で演奏されています。《七つの胡桃》は三絃伴奏の童曲。作詞者の清水かつら(1898−1951)は、《靴が鳴る》《叱られて》の作詞者として有名です。《大空の歌》は箏・十七絃・打物による合奏曲で、戦闘機の活躍を音で描写します。この曲が作られた昭和16年9月には、その3ヶ月後に真珠湾攻撃に参戦する五航空戦隊が編成され、その活躍に期待があつまっていました。もとの曲名を《空の精鋭》と言い、昭和48年の講習会のおりに《大空の歌》という曲名に変わりました。《秋の流れ》は箏伴奏の歌曲。作詞の吉田絃二郎(1886−1956)は、当時を代表する人気作家。美しい秋の自然と人間の繊細な思いを歌う歌詞の世界が、宮城道雄の音楽と調和しています。宮城道雄は「秋は、四季の中で一番音楽にふさわしい時期です」(宮城道雄『夢の姿』昭和16)と述べています。《漁村の曙》は箏と尺八の二重奏曲。曲名は、昭和16年の歌会始の勅題「漁村曙」にちなみます。昭和17年5月3日の春秋会の曲名に《漁村の朝やけ》とあり、同じ曲である可能性が指摘されています。そのときの演奏者は箏が宮城道雄、尺八が吉田晴風でした。《防人の歌》は箏・十七絃・胡弓・尺八・打物による合唱合奏曲。『万葉集』に収録される防人の歌を歌詞とします。昭和16年11月23日の第3回春秋会で初演されており、初演時にはフルートも使われていました。   

ごあいさつ
安藤政輝
   
 本日はお忙しい中をご来場いただきましてありがとうございます。
 宮城道雄の全作品を、年代に沿って時代背景を考察しながら連続して弾いていくこのシリーズも、1990年以来これまでに219曲を弾き、今回で18回目を迎えることができました。これもひとえに皆様の温かいご支援の賜物と感謝いたしております。今回は、1940年(昭和15年)から1943年(昭和18年)の作品7曲を演奏いたします。
 《寄桜祝(さくらによするいわい)》は、日本文化中央聯盟の委嘱によって佐藤春夫の詩「寄桜祝(きおうしゅく)」に作曲したものです。1箏・2箏の中が甲・乙、さらに甲がa・bのパートに分かれていますが、bはaを簡略化したもので、より大勢の演奏者が参加できるように考慮されたのでしょう。初演時は混声4部だったようですが、現行は女声3部合唱で、今回は弾き歌いで演奏いたします。それにしたがって、甲bのパートを歌に即するよう一部変更いたしました。
 《萌ゆる若葉》は、箏と尺八との二重奏です。「燃ゆる若葉」という従来の読み方に対しては疑義が呈されていましたが、今回は本来の語法と思われるタイトルといたしました。
 《七つの胡桃》は、清水かつらの詩に作曲した童曲で、久しぶりに子どもたちの登場です。100曲以上といわれる童曲のほとんどは葛原しげるの作詞によりますが、この曲のように三味線が伴奏に使われたものはありません。清水かつらの作品としては、この他にも同年作曲の《日の丸兎》《春遊び数え唄》、1936年(昭和11年)作曲で第12回に演奏した《まいまいつぶろ》があります。
 《大空の歌》の原曲名は時節柄《空の精鋭》で、トレモロが広い空を、また十七絃の低音や打物がプロペラや機銃の音を感じさせる部分があります。
 《秋の流れ》は歌曲です。歌曲の登場も久しぶりです。歌曲には箏と尺八が伴奏するものが多いのですが、この曲は珍しく箏のみの伴奏で、平調子の高音域を広げた巾十調子です。今回は弾き歌いとしてみました。
 《漁村の曙》は、箏と尺八の二重奏です。静かな漁村の明けていく様子が描かれた冒頭部は印象的です。後半は一転して陽が昇った後の活気あふれる漁村の様子が、ポンポン蒸気の音とともに描かれています。
 《防人の歌》は、箏独奏部のある大合奏曲です。4500余首が収められている『万葉集』には、北九州の防衛に東国から駆り出された防人とその家族の素直な感情を表した「防人歌」が98首あります。この曲に採られた8首のうち、戦争遂行を鼓舞する内容のものは1首だけという点が、作曲者の心情を表しているように思えます。この曲も弾き歌いで演奏いたします。
 終わりになりましたが、解説と年表をいただきました野川美穂子氏、賛助出演の皆様、その他会の開催にご援助・ご協力をいただきました皆様に心から御礼を申し上げます。   

演奏順 曲 名 作曲年 作詞者 構成 助 演
220   寄桜祝 1940年(昭和15年) 佐藤春夫 1箏・
2箏・
十七絃・
胡弓・
尺八・
笙・
打物
 

【笙】
東野 珠実
   
【尺八】
柴田 旺山
友常 毘山
   
 【打物】
大家 一将
米川多以子
  
   
【お話】
野川美穂子

   
【箏・十七絃・三絃
・胡弓】

安藤 珠希
石井まなみ
板橋 美季
大田原紗蘭
澤田 颯太
清水紗登美
新地のぶえ
田島きくみ
田辺 }子
南雲 春乃
野沢波留美
藤岡  歩
山ア  忍
山水 美樹
山本惠美子

【歌】
有馬 美梨
白川 優空
廣P 晶妃
 
 
221  萌ゆる若葉 1942年(昭和17年) 箏・
尺八
 
 
222  七つの胡桃 1943年(昭和18年) 清水かつら 三絃 
 
223  大空の歌 1941年(昭和16年) 箏・
十七絃・
打物
 
 
224  秋の流れ 1940年(昭和15年) 吉田絃二郎  
 
225  漁村の曙 1941年(昭和16年) 箏・
尺八
 
 
   
226  防人の歌 1941年(昭和16年) 『万葉集』より 箏独奏・
1箏・
2箏・
十七絃・
胡弓・
尺八・
打物
 
 
                               写真:友正写真館
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19

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宮城道雄全作品連続演奏会 19
2019/4/24  紀尾井小ホール 
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宮城道雄全作品連続演奏会−第19回に寄せて
東京藝術大学講師 野川美穂子

 本日ご紹介するのは、昭和17年・18年・19年に作られた宮城道雄(1894−1956)の作品です。昨年4月の「宮城道雄連続演奏会 第18回」では、昭和15年から18年の作品を取り上げましたので、昭和17年と18年の作品は、前回と時期が重なります。そのため、今回のプログラムには、前回プログラムの昭和17年と18年の年表(「宮城道雄作品年表(その17)」)を再掲し、加えて、昭和19年の年表を「宮城道雄作品年表(その18)」として掲載することにしました。前回の年表(その17)については、一部に改訂を加えています。
 今回は、11の作品を演奏します。そのうち2曲は組曲ですので、曲数としては、全部で14曲。作曲年代順に並べると、昭和17年の作品が《すみだ川》《心の子守唄》、昭和18年の作品が《春遊び数え唄》《日の丸兎》《虫の歌》《もんぺ姿》《三つの遊び》《大東亜和楽》、昭和19年の作品が《朝》《社頭の寒梅》《ひとかたに》となります。
 昭和17年4月18日の正午過ぎ、太平洋戦争(当時の呼称は「大東亜戦争」)の開戦からおよそ半年後に、アメリカの航空母艦から16機の爆撃機が飛び立ち、東京、川崎、横須賀、横浜、名古屋、神戸などを奇襲攻撃します。日本本土への初めての空襲でした。その日は奇しくも防空訓練の日であったため、訓練のために日本軍が用意した模擬の敵機だろうと勘違いして空を見上げる人が少なくありませんでした。恐ろしい爆撃機の姿に人々が驚く前に、宮城道雄は「今日の飛行機の音は、いつもと少しちがうようだ」と気がついたという逸話が残っています(小学生だった上参郷祐康氏が音楽の先生から聞いた話。吉川英史『この人なり 宮城道雄傳』昭和37年、新潮社、651ページに紹介)。
 この空襲をきっかけに、戦局はアメリカ軍に傾き、日本軍は、太平洋の島々での撤退や玉砕を余儀なくされていきます。宮城道雄は、養女よし子の結婚(昭和18年3月)の喜びから一転、よし子の逝去(昭和18年9月)という堪えがたい悲しみを経験します。そして昭和19年11月24日、B29爆撃機による東京への本格的な空襲がはじまると、葉山の別荘に避難しました。本日ご紹介するのは、そうした時代の作品です。以下、本日の演奏順にご紹介いたします。
《もんぺ姿》は箏二部の伴奏による歌曲で、従来、昭和19年の作品とされてきました。ところが、雑誌『三曲』258号(昭和18年9月10日発行)の32ページには、この曲が軍事保護院への献納曲であり、「既に」作曲されていると書かれています。昭和18年9月以前の作品ということになります。『三曲』の記事によれば、昭和18年10月3日から6日間の軍事援護強化週間に催す演奏会で発表することになっていたようですが、都合により演奏会は延期となりました。延期された演奏会がどうなったのかはわかりません。昭和19年9月26日の「航空士気昂揚邦楽大会」のおりに演奏された記録があり、翌日の新聞には「至芸に酔ふ」という見出しで紹介されました。
《日の丸兎》は、昭和18年1月に発売された日本ビクターのSPレコードに録音された童曲です。宮城道雄の箏、子役で童謡歌手の杉山美子の唄、服部正編曲のオーケストラという編成の録音でした。作詞者の清水かつら(1898−1951)は、宮城とほぼ同世代で、《靴が鳴る》の作詞者として知られます。手鞠唄風にはじまり、歌詞には「南」という文字が何度も出てきます。東南アジアと南太平洋を制圧する南方作戦の勢いにのっていた時期の日本軍が歌われています。
《朝》《ひとかたに》《社頭の寒梅》は、いずれも昭和19年の作品です。《朝》は箏独奏曲で、《鳩》《行進》の組曲です。《ひとかたに》は手事物形式の歌曲で、楽器は箏と三絃です。歌詞には、江戸時代後期の歌人、香川景樹(1768―1843)の和歌が使われています。この和歌は「愛国百人一首」の一つでした。「愛国百人一首」は、昭和17年11月20日発行の東京の新聞紙上で発表された100首の和歌で、文学団体の日本文学報国会が選定しました。奈良時代から幕末に作られた和歌を通して、愛国精神を高めようという国策によるものです。《社頭の寒梅》は、「愛国百人一首」の選者の一人であった佐佐木信綱による作詞で、昭和20年の歌会始の勅題「社頭寒梅」にちなんで作られました。箏と笙を用いる歌曲です。
 《春遊び数え唄》は、「一つとやー」で始まる有名な数え唄の編曲です。《日の丸兎》と同じく、昭和18年1月に発売された日本ビクターのレコードに収録されました。作詞も、《日の丸兎》と同じで、清水かつらです。正月の子供の遊びを八つ数えて歌います。
《大東亜和楽》は、音楽学者の田辺尚雄(1883−1984)の還暦を祝って作曲されました。還暦祝いの論文集『田邊先生還暦記念 東亜音楽論叢』(昭和18年8月8日発行、山一書房)の目次のあとに、歌詞と五線譜が掲載されています。還暦の翌年の昭和19年8月4日に、本の贈呈式が催されました。戦時下であったため演奏はなく、空襲警報が響くなかでの式であったそうです。演奏されたのは、田辺尚雄の古稀の祝い(昭和27年)でした。作詞は、宮城道雄の童曲に多くの歌詞を提供した葛原しげるです。歌詞中の「かたばみ」は、田辺家の家紋です。 《すみだ川》《心の子守唄》は、昭和17年9月封切の松竹映画『すみだ川』(現在は、ネットでも見ることが可能)の映画音楽として作られました。
『すみだ川』の主人公は、箏を弾く女性です。師匠が作った名作《すみだ川》を、母であることを名乗ることができない娘に教えます。映画のなかには、主人公の女性が伝える「故人の名作」という設定で、《水の変態》も登場します。
 箏の独奏曲《虫の歌》は昭和18年9月の作品で、宮城道雄らしい描写音楽です。さまざまな虫の鳴き声が聞こえてきます。《虫の歌》の三ヶ月後に作られた《三つの遊び》は、《まりつき》《かくれんぼ》《汽車ごっこ》の3曲の組曲です。そのうち《まりつき》には、本日演奏の《日の丸兎》の間奏部分の旋律が生かされています。雑誌『三曲』の発行者で、若い頃から宮城道雄の友であった藤田斗南は、《三つの遊び》について、「作者の幼児の追懐から、擬音を使って子供の遊びの感じを表現したる曲」と説明しています(『箏曲と地唄の鑑賞』昭和22年、192ページ)。

ごあいさつ
安藤政輝

   
 本日はお忙しい中をご来場いただきましてありがとうございます。 宮城道雄の全作品を、年代に沿って時代背景を考察しながら連続して弾いていくこのシリーズも、1990年以来これまでに226曲を弾き、今回で19回目を迎えることができました。これもひとえに皆様の温かいご支援の賜物と感謝いたしております。今回は、1942年(昭和17年)から1944年(昭和19年)までの作品11曲を演奏いたします。
《もんぺ姿》は、1箏・2箏・女声によるものですが、題名からしていかにも昭和19年当時を彷彿させるものです。さらに、歌詞中の「女ながらも・・・」には時代離れを強く感じます。
《日の丸兎》は、清水かつらの詩に作曲した童曲です。レコードから採譜をしました。童曲のほとんどは葛原しげるの詩によっていますが、清水かつらの作品としては、この他にも同年作曲で前回演奏した《七つの胡桃》、1936年(昭和11年)作曲で第12回に演奏した《まいまいつぶろ》があります。
《朝》は、《鳩》《行進》の2曲からなる箏の独奏曲で、戦争には関係のない無邪気な曲です。
《ひとかたに》は、香川景樹の『桂園一枝』に「秋歌薄随風(すすきかぜにしたがう)」として収められています。箏と三絃の二重奏曲で一見普通の曲のようですが、その内容は「風が吹いてきても一方になびく(一致団結!)」という感じです。
《社頭の寒梅》は歌会始の御題に因んだ箏と笙の二重奏曲です。NHKからの委嘱に際し、宮城の希望によって佐佐木信綱氏に作詞を依頼したそうです。昭和19年12月に作曲され、翌年1月2日にNHKラジオで初演されました。同じく勅題に因んだ《春の海》《泉》と比べて弾かれることが極端に少ない曲です。笙の音量は大きいので、休みの間が多く取られ、さらに歌と重なるところでは一本吹き(単音)でというように作曲上の配慮がされています。
《春遊び数え唄》は、《日の丸兎》と同じく清水かつらの詩による童曲です。これはおなじみの「数え唄」のメロディに、日本軍が南方へ進出した内容の歌をのせたものです。8番まである歌詞のうち4番までの歌詞カードをお配りしてありますので、皆様どうぞご参加ください。なお、この曲もレコードから採譜をいたしました。
《大東亜和楽》は、田辺尚雄氏の還暦を祝って作曲されたもので、内容は戦争とは関係がないにもかかわらず、時局がらかお祝い気分はあまり感じられないように思えます。
《すみだ川》《心の子守唄》は、松竹映画「すみだ川」で使用されたもので、《すみだ川》は、当時人気が高かった市丸の歌でレコード化されました。昭和17年の作品で、そのSPレコードを基に採譜することができました。
《虫の歌》は、擬音を効果的に使って、鈴虫・松虫・クツワ虫・馬追などいろいろな虫が登場する箏独奏曲です。しかし、転調が非常に多く演奏者泣かせの曲です。
《三つの遊び》は、《まりつき》《かくれんぼ》《汽車ごっこ》の3曲からなる子どもの遊びの情景を描いた箏独奏曲です。
《汽車ごっこ》は、スリ爪・チラシ爪を使って、蒸気機関車の、出発−快走−小さな駅に停車−また快走、の感じを表現していて楽しい曲になっています。
 終わりになりましたが、解説と年表をいただきました野川美穂子氏、賛助出演の皆様、その他会の開催にご援助・ご協力をいただきました皆様に心から御礼を申し上げます。  

演奏順 曲名 作曲年 作詞者 構成 助演
227  もんぺ姿 1944年(昭和18年) 作詞者不詳 第1箏
第2箏
【笙】
東野 珠実

 【フルート】
北川 森央

【お話】
野川美穂子

【箏.三絃.歌】
 
  (輝箏会)

有馬 美梨
安藤 珠希
石井まなみ
澤田 颯太
清水紗登美
新地のぶえ
田島きくみ
田辺 }子
南雲 春乃
廣P 晶妃
藤岡  歩
矢作 和美
山ア  忍
山本惠美子
228  日の丸兎 1943年(昭和18年) 清水かつら 第1箏
第2箏
229  朝(鳩・行進) 1944年(昭和19年) ---
230  ひとかたに 1944年(昭和19年) ---
三絃
231  社頭の寒梅 1944年(昭和19年) ---

232  春遊び数え唄 1943年(昭和18年) 清水かつら 第1箏
第2箏
233  大東亜和楽 1943年(昭和18年) 葛原しげる 第1箏
第2箏
234  すみだ川 1942年(昭和17年) 佐伯孝夫
フルート
235  心の子守唄 1942年(昭和17年) 佐伯孝夫 第1箏
第2箏
236  虫の歌 1943年(昭和18年) ---
解説
237  三つの遊び(まりつき.かくれんぼ.汽車ごっこ) 1943年(昭和18年) ---
  
写真:友正写真館
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宮城道雄全作品連続演奏会 20
2020/4/18  [紀尾井小ホール] 
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              お 詫 び

 新型コロナウイルス感染症拡大阻止のための外出自粛要請の強化という情勢には如何ともしがたく、 「無観客開催」の録画をホームページ上で公開することにしておりました。
 しかし、緊急事態宣言の発令に伴いホールから「相談」を受け、舞台使用も断念せざるを得なくなってしまいました。
 今後の見通しが立っていない現在では「何月何日に延期」と決定することもできず、「開催中止」とさせていただきます。
 無観客開催の発表以後、数多くの励ましのお言葉やご支援をいただき、本当に感謝しております。
 せっかく楽しみにしていただいた皆様のご期待に少しでもお応えできるのではないかと思い、
「自宅で収録したものを当ホームページで公開」することにいたしました。
   諸般の事情をご賢察の上、今回の再変更についてご理解をいただき、今後とも変わらぬご支援を賜りますようお願い申し上げます。  

 お待たせいたしました。動画をアップいたしました。 [こちら]でご覧いただけます。
 下欄の各曲の写真からも単独にYoutubeへリンクします。
 ブラウザの戻るボタン[←]で、もとにお戻りください。
 著作権・ユーチューブ利用規約にご留意ください。


 以下にプログラムを掲載いたします。
 演奏者の移動も制限されていましたので、一部変更になっています。
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演奏順 曲名 作曲年 作詞者 構成 助演
238  五十鈴川 1948年(昭和23年) --- 箏独奏 【笙】
東野 珠実

 【お話】
野川美穂子

【箏.三絃.歌】
 
  (輝箏会)

有馬 美梨
安藤 珠希
廣P 晶妃

《五十鈴川》は、CD「安藤政輝 宮城道雄を弾く2 箏独奏曲全集」(VZCD-754)に収録されています。
239  空と海 1948年(昭和23年) 安原三恵子
240  静(吉野山・しづやしづ) 1947年(昭和22年) 静御前
241  秋の小夜曲 1948年(昭和23年) --- 箏独奏
242  観音様 1948年(昭和23年) 安積得也

243  至誠学園四誓音頭 1947年(昭和22年) 葛原しげる 第1三絃/箏
第2三絃/箏
244  秋はさやかに 1948年(昭和23年)      作詞者不詳
245  子守唄 1947年(昭和22年) ---
胡弓
246  祭の太鼓 1948年(昭和23年) --- 箏独奏

《祭の太鼓》は、CD「安藤政輝 宮城道雄を弾く2 箏独奏曲全集」(VZCD-754)に収録されています。
247  白玉の 1945年(昭和20年) 佐佐木信綱

248  手事(手事・組歌風・輪舌) 1947年(昭和22年) --- 箏独奏

《手事》は、CD「安藤政輝 宮城道雄を弾く2 箏独奏曲全集」(VZCD-754)に収録されています。
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宮城道雄全作品連続演奏会 21
2021/4/17  [ネット公開] 
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              お 詫 び

 新型コロナウイルス感染症拡大阻止のための「緊急事態宣言」「蔓延防止等重点措置」という情勢には如何ともしがたく、 今回も「ネット上で公開」という形をとらせていただきます。
   諸般の事情をご賢察の上ご理解をいただき、今後とも変わらぬご支援を賜りますようお願い申し上げます。  

 お待たせいたしました。動画をアップいたしました。 [こちら]をクリックしてでご覧ください。
   ブラウザの戻るボタン[←]で、もとにお戻りください。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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演奏順 曲名 作曲年 作詞者 構成 助演
249  黄 昏(たそがれ) 1950年(昭和25年) 島崎藤村
ハープ
【お話】
野川美穂子

【ハープ】
篠ア 和子
【尺八】
柴田 旺山
【箏.三絃.歌】
安藤 珠希
石井まなみ
澤田 颯太
清水紗登美
山 ア 忍
 
  (輝箏会)
250  明 日 1950年(昭和25年) 安積得也
251  水 滴 1950年(昭和25年) 安積得也
252  野田中学校校歌 1950年(昭和25年) 第1中学校 第1箏
第2箏
十七絃
253  福山ドレスメーカー女学院校歌 1950年(昭和25年) 葛原しげる 第1箏
第2箏
254  炭坑の唄 1948年(昭和23年) 不詳
255  手 鞠 1950年(昭和25年)      西条八十
尺八
256  荒城の月(編曲) 1948年(昭和23年) ---
胡弓
257  迎 春 1950年(昭和25年) ---
尺八

《迎春》は、CD「安藤政輝 宮城道雄を弾く5 春を奏でる」(VZCD-801)に収録されています。
258  無 題 1950年(昭和25年) 土井晩翠
ハープ
尺八
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宮城道雄全作品連続演奏会 22
2022/4/17  [紀尾井小ホール] 
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  宮城道雄の全作品を、年代に沿って時代背景を考察しながら連続して弾いていくこのシリーズも、1990年以来これまでに259曲を弾き、今回で22回目を迎えることができました。これもひとえに皆様の温かいご支援の賜物と感謝いたしております。
 今回は、1947年(昭和2<2年)から1952年(昭和27年)の作品11曲を演奏いたします。ちなみに、昭和27年は私が入門した年でした。
 前回(第21回)、前々回(第20回)は新型コロナ感染症拡大の影響を受けて、ホールでの開催がかなわずネット公開という形になりました。
 今回は3年ぶりに対面の会となりますが、開催にあたってはいろいろな制約があり、最前列は空席、全席指定となりました。また舞台上も密にならないよう少人数で構成しました。
 あと4-5回で昭和31年の最後の曲《葉げいとう》まで到達できそうですので、どうぞ最後までお付き合いくださいますようお願いいたします。


             お 願 い

 新型コロナウイルス感染予防のため、以下の対策にご協力をお願いいたします。
 ご協力頂けない場合は、会場の規定によって入場いただけない場合があります。

*発熱他の風邪諸症状・体調不良等がある場合は、来場をお控えください。
*検温と手指消毒にご協力ください。検温の結果37.5度以上の熱がある方は入場できません。
*不織布マスクを常時着用してください。
*ロビー・客席での歓談はお控えください。
*花束・プレゼント・差し入れのお渡しはお控えください。
*出演者との面会はできません。公演後のロビーでのご挨拶もご遠慮させていただきます。
*ロビー等では周囲の方との距離の確保をお願いします。
*当日クロークはご利用になれません。

 諸般の事情をご賢察の上ご理解をいただき、今後とも変わらぬご支援を賜りますようお願い申し上げます。  

 チケットのお申し込みは、

  メール:kororinshan@gmail.com
  電 話:070-5459-3639
  F A X :03-3425-0580

までご連絡ください。送料無料でお送りします。
同封の郵便振替用紙でお振込みください。振込料はご負担をお願いします。  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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演奏順 曲名 作曲年 作詞者 構成 助演
259  飛鳥の夢 1951年(昭和28年) 中小路 彰 箏2
十七絃
尺八
【お話】
野川美穂子

【鼓】
望月彦十郎
【尺八】
友常 毘山
【朗読】
飯島 晶子

【箏.三絃.歌】
有馬 美梨
安藤 珠希
石井まなみ
澤田 颯太
清水紗登美
南雲 春乃
廣P 晶妃
山 ア 忍
 
  (輝箏会)
260  牛と馬 1947年(昭和22年) 葛原しげる
261  雲雀の学校の校長さん 1950年(昭和25年) 葛原しげる
262  ほたる(編曲) 1951年(昭和26年) 清水かつら 補作
尺八
263  さくら 1951年(昭和26年) -----
十七絃
264  源氏物語(ラジオ番組) 1952年(昭和27年) 紫式部 箏2
十七絃
胡弓
尺八
朗読
265  伊丹風流(いたみぶり) 1951年(昭和26年)      岡田利兵衛 箏2
十七絃
尺八
歌2
266  さらし風手事 1952年(昭和27年) --- 箏2
267  通りゃんせ(編曲) 1951年(昭和26年) 不詳 箏2
268  平和数え唄 1951年(昭和26年) 小野金次郎 箏2
 解 説
269  編曲八千代獅子 1952年(昭和27年) 園原勾当(?) 箏2
十七絃
三絃
胡弓
尺八

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宮城道雄全作品連続演奏会 23
2023/8/27  [紀尾井小ホール] 
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    ご あ い さ つ
                              安 藤 政 輝

 本日はお忙しい中、また暑い中ご来場いただきましてありがとうございます。
 宮城道雄の全作品を、年代に沿って時代背景を考察しながら連続して弾いていくこのシリーズも、1990年以来これまでに259曲を弾き、今回で23回目を迎えることができました。これもひとえに皆様の温かいご支援の賜物と感謝いたしております。
 チラシ作成当初、「1952年(昭和27年)から1953年(昭和28年)の作品9曲」の予定でしたが、新たに追加した曲があり、また作曲年代の見直しもあったことから、今回は1950年(昭和25年)から1953年(昭和28年)の作品10曲を演奏するということになりました。

《昭和松竹梅》
 箏(同高2部)と尺八との合奏曲です。三津橋勾当が作曲した《松竹梅》の流れを汲んで数多く作曲された「松竹梅もの」のうちの一つとして《明治松竹梅》(菊塚与一作)などがありますが、そのように年号をつけて曲名とされています。昭和9年(1934年)に作曲された《さしそう光》(第13回、2009年に演奏)と姉妹曲の位置にある祝儀曲で、前歌が独吟で始まるところも共通です。《さしそう光》と同様、初めは箏の二重奏として作曲されましたが、後に尺八が手付けされましたので、今回は尺八付の形で演奏いたします。手事部分は、本手・替手それぞれの役割分担が明確で、伴奏役は《水の変態》の替手に出てくるような「ツルシャン」の繰り返しに終始します。
 作詞は大野惠造で、『劇詩集 龍虎』に「−慶祝(よろこび)の日に−」という副題がついて掲載されていますが、この曲が放送初演された4月29日は昭和天皇の誕生日にあたったからでしょう。なお、「同胞は慶祝に酔ふ」のように一部語順が変わっています。

《初秋の夕》
 箏独奏曲です。手書きの譜が存在しましたが、疑問点が多くこのままでは演奏することが出ないと判断し、熊沢氏に墨訳をお願いしました。
 点字は、6点(2列×3段)を1ブロックとして、1?2ブロックで「ドレミ」を表記しているのですが、点字による音楽の表記の黎明期であった宮城道雄の時代と現代とではその表記法に差があります。つまり、宮城独特の表記法があり、考察が必要になってきます。たとえば、左手奏法は現代のピアノのペダル指定記号であったりします。点が一つあるかないかで四分音符が八分音符になったりするので、寸法が合わない部分もでてきたりします。さらに、箏の調絃の範囲外の音の処理、手が3本必要な場合などの問題を解決していかなければなりません。墨訳者からできた順に1ページずつ送られてくる五線譜と元の点字譜を基に、最終的には「宮城道雄の曲風」を拠り所として楽譜を作成しました。
 曲は静かな雰囲気で始まり、後半は賑やかな虫の合唱となって終わります。

《七夕まつり》
 昭和27年7月7日、ラジオ東京の宮城道雄構成による「箏曲で奏でる七夕のゆうべ」で放送されたもので、独奏の箏に歌を伴ったものです。同番組中に何曲か演奏された中で、他に同名の箏2部・十七絃の合奏曲のパート譜がありましたが、こちらは断片的で演奏を断念しました。
 この曲の作詞者は不明です。また1990年第2回で演奏した《七夕》とは別の曲です。

《阿寒湖のほとり》
 箏・胡弓・尺八による三重奏曲です。昭和28年3月24日に札幌で行われた「NHK放送開始28周年記念大会」で初演された「ご当地曲」です。昭和26年に北海道宮城会結成記念演奏会が行われた際に足を延ばした阿寒湖で得た印象を基に作曲されたと言われています。
 箏と尺八の緩やかな前奏で始まり、胡弓が抒情的な旋律を奏します。時折、鳥の声も聞こえてきます。中間部分は転調して、マリモがくるくると楽しそうに回転しているかのようです。そしてまた静かな湖畔の場面へ戻って終わります。
 同じ楽器構成では、箱根の芦ノ湖を題材とした1992年第5回で演奏した《湖辺の夕》があります。

《おおぞらを》
 昭和27年4月27日の「和歌山県邦楽研究鑑賞会演奏会」で初演された団体歌です。誰でも演奏に参加できるようにという配慮からか、歌・箏(高低2部)・十七絃・三絃・尺八(2部)とパートが多く、加えて歌の旋律や手も単純なものとなっています。短い曲で、指示によって2度繰り返して演奏します。

《ほのぼのと》
 『宮城会会報第16号』に載せられていたもので、手ほどき用の曲です。長さは4/4で12小節、箏の手は歌にべた付けで、最後に九の強押しと五十の合せ爪が出てきます。歌詞は『新古今和歌集』巻第一 春歌上2 後鳥羽院の作です。

《梅が枝に》
 《ほのぼのと》よりは一歩進んだ初心者用の曲で、それぞれ短いながらも前奏・前歌・間奏・後歌・後奏という形をとっています。一二の掻き手や合せ爪も出てきますが、押し手は斗の弱押しが最後に1回出てくるだけとなっています。
 歌詞は『新古今和歌集』巻第一 春歌上 読人知らずですが、その原歌は『万葉集』第10巻1840の「梅枝尓 鳴而移徙 鴬之 翼白妙尓 沫雪曽落」によります。

《さくらさくら》
 「さくら」を主題とした曲は数多くあって、一番有名なのは1992年・第4回で演奏した、1箏・2箏・十七絃による三重奏曲《さくら変奏曲》です。その他2022年・第22回で演奏した、歌を伴う箏と十七絃による《さくら》、2018年・第18回で演奏した大合奏曲の《寄桜祝(さくらによせるいわい)》、2009年・第12回で演奏した《春陽楽(しゅんようらく)第4楽章 さくら》があります。
 この曲は箏とヴァイオリンとの二重奏曲で、歌は付きません。箏と尺八との二重奏曲《春の海》は、ルネ・シュメーの編曲以来箏とヴァイオリンで演奏する機会も多いのですが、初めから箏とヴァイオリンのために作曲されたのはこの1曲です。
 調絃は、2015年第16回で演奏した《うぐいす》に使われているのと同じ特殊なもので、「うぐいす調子」と私は呼んでいます。

《三共株式会社テーマ音楽》
 解説をお願いしている野川先生から《三共株式会社テーマ音楽》の音源をいただき、急遽プログラムに加えることにいたしました。
 ラジオ番組では、生放送でしたから時間調整の意味もあって提供するスポンサーのテーマ音楽を開始時と終了時に流していたものですが、これもその一つだったのでしょう。
 導入部はオリジナルのものですが、続けて《数え唄変奏曲》がそのまま使われています。宮城先生はこの《数え唄変奏曲》がお好きだったのか、文化放送の「銭形平次捕物控」でも使われていて、毎回それを楽しみに耳コピで練習したことを思い出します。しかし、弾けるようになったのは第2段まででしたが・・・。

《春の賦》
 箏独奏部を含む合唱合奏曲で、編成は1箏・2箏・十七絃・三絃・尺八・フルート・打物のほか、「楽の手」部分では笙も使われています。フルートは独奏部との二重奏の部分で楽器の特徴を十分に発揮しています。また、かねがね他の大合奏曲には必ずある胡弓のパートがこの曲にはないことが不思議だったのですが、点字譜には胡弓が含まれていることが分かり、墨字化を試みました。しかし、ある時点から胡弓パートが突然無くなり、結局初めの部分だけしか使われていませんでしたが、今回はそれを含めて演奏いたします。
 曲は九つのブロックに分けられ、それぞれ調絃が異なります。それらを繋ぐような役割で箏独奏部が存在し、合奏部がそれにつれて演奏される形をとっています。演奏中は、次に何の調絃になるのか判断に悩まされます。歌は基本的に2声ですが、後半の「楽の手」の部分では4声となり、十七絃も歌に加わります。
 一般的には手事の部分の繰り返し部分を省略して演奏しますが、本日は原型のように繰り返しをすべて含んで演奏します。
 歌詞の内容は、「人生の春には花吹雪もあれば険しい試練もあり、その丘を乗り越えれば洋々たる人の世の楽しさもあるという観念的な春を謳って若い人にささげた曲(大日本家庭音楽会発行『春の賦』楽譜解説より)」となっています。
 作詞は葛原しげるです。第15回(2014年)で演奏した《古戦場の月》についても言えることですが、100曲以上のかわいらしい童曲を手掛けた雰囲気とは真逆な印象を受けるこの曲は、葛原の間口の広さを物語っていると言えるでしょう。


 第20回、第21回は新型コロナ感染症拡大の影響を受けて、ホールでの開催がかなわずネット公開という形になりました。第22回は3年ぶりに対面の会となりましたが、開催にあたっては全席指定などいろいろな制約があり、また舞台上も密にならないよう最少人数での構成となりました。今回はやっと普通の形で開催することができ、大合奏曲も演奏できるようになってホッとしております。
 〔予告〕にありますように、あと3回で昭和31年の最後の曲《葉げいとう》まで到達できそうですので、どうぞ最後までお付き合いくださいますようお願いいたします。  終わりになりましたが、解説と年表をいただきました野川美穂子氏、賛助出演の皆様、公益財団法人東京都歴史文化財団、その他会の開催にご援助・ご協力をいただきました皆様に心から御礼を申し上げます。

 
演奏順 曲名 作曲年 作詞者 構成 助演
270  昭和松竹梅 1953年(昭和28年) 大野惠造 箏2
尺八
【お話】
野川美穂子

【ヴァイオリン】
桐山 建志
【フルート】
北川 森央
【笙】
東野 珠実
【尺八】
田嶋 謙一
友常 毘山
【打物】
伊藤 駿汰

【箏.三絃.歌】
安藤 珠希
石井まなみ
折井 美加
加東 由美
菅野 尚子
黒田 泰子
里見 理菜
澤田 颯太
南雲 春乃
M口眞理子
舟引 智子
水澤 泰助
山ア  忍
 山下 永子
 
  (輝箏会)
271  初秋の夕 1952年(昭和27年) -----
272  七夕まつり 1952年(昭和27年) 不 詳
273  阿寒湖のほとり 1953年(昭和28年) -----
胡弓
尺八
274  おおぞらを 1952年(昭和27年) 南 幸夫 箏2
三絃
十七絃
尺八
275  ほのぼのと 1950年(昭和25年) 後鳥羽院 箏2
十七絃
胡弓
尺八
朗読
276  梅が枝に   1951年(昭和26年)      『新古今和歌集』読人不知
277  さくらさくら 1953年(昭和28年) ---
ヴァイオリン
278  三共株式会社テーマ音楽 1951年(昭和26年) -----
 解 説
279  春の賦 1953年(昭和28年) 葛原しげる 独奏箏
箏2
十七絃
三絃
胡弓
尺八2

打物
フルート
歌4
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