アスベスト(クボタ・日通、川重)

〈クボタ旧神崎工場周辺住民被害について〉

 当センターは、クボタ旧神崎工場から飛散したと考えられるアスベストを吸うことによって、中皮腫や肺がん、石綿肺などの石綿関連疾患に罹患された方々やその御遺族に、クボタから支払われる救済金の請求窓口となっております。

 これによって、当事者である周辺被害者と支援団体が被害の実数を明らかにすることができます。実際当センターでは、毎年6月に行われる「アスベスト被害の救済と根絶を目指す尼崎集会」で資料を参加者に配布し、被害実態を公表してきました。今後はこのホームページ上でも公表していきます。

 

 2005年の6月29日、30日――クボタは79名に及ぶ自社・関連企業アスベスト被害の死亡労働者数を明らかにし、また30日には前田さん、土井さん、早川さんの3人(今は3人とも故人)が、周辺住民被害者としてクボタから見舞金を受け取ったことを、患者と家族の会や支援団体と共に明らかにしました。 クボタ旧神崎工場周辺のアスベスト被害は、残念ながら今後も増え続けると考えられます。

必ず石綿健康被害救済法の申請、クボタ救済金の請求を行うようにしましょう。

 

 どうぞご遠慮なくご相談ください。

〈クボタホームページについて〉

「旧神崎工場周辺の石綿疾病患者並びにご家族の皆様に対する救済金支払い規程」の骨子について

=石綿健康被害への新たな対応として=

http://www.kubota.co.jp/new/2006/s4-17.html

〈クボタへの請求数と救済金等支払い人数〉

年度 請求人数累計(6月) 支払い人数累計(3月末)
05-06 114人 88人
06-07 156人 125人
07-08 178人 152人
08-09 201人 178人
09-10 221人 191人
10-11 242人 212人
11-12 256人 232人
12-13 270人 248人
13-14 286人 265人
14-15 298人 277人

〈日通アスベスト損害賠償裁判について〉

①日本通運との話合い

 日本通運との話し合いは2007年1月5日(一家族のみ)、2月6日、2月26日、3月19日、6月13日、9月11日、計6回に及ぶものでした。

 

 日本通運阪神支店など尼崎労働基準監督署の管轄日通事業所にて多くの石綿被害者が出ている。その被害者、家族が日通を相手とし闘っている原告です。2007年1月5日、日通との第一回目の話し合いが行われました。原告、そして尼崎労働者安全衛生センターは、日本通運と「話せばわかってくれる」という思いで話合いに臨みました。

 

 交渉初め、日本通運は「アスベストを運んだ事は不明」と強気の姿勢で臨んできました。原告と真剣に向き合わない姿勢は明らかでしたが、裁判が長期間に及ぶこと、又それによる原告の生活への負担を考えると安易にその選択はできず、当時を知る労働者への聞取り調査を行なうことなどを進めながら、話合いを続けていくことを選びました。

 

 しかし話合いが始まったとたん、2007年1月26日付けで日本通運は、話合いとはまったく関係なく、被害者・家族へ一切の説明なしにホームページ上で『アスベスト疾患についてのお見舞金制度』を発表しました。

http://www.nittsu.co.jp/info/20050909_asbestos04.html

(アスベスト関連疾患に対するお見舞金(弔慰金)のお支払いについてを参照)

 

 このような日本通運の態度に強い憤りを感じましたが、被害者・家族は粘り強く話合いを進めました。その結果、「アスベストを運んだことは事実」という答弁を得ることができましたが、しかし、お見舞金制度を超える金額を退職者に支払うつもりはないという話以上のものはありませんでした。

 

 また、日本通運で責任ある答弁のできる方の出席は一度もなく、話合いを設定しても「私の立場では即答できない」の返答がほとんどでした。更に日通の企業内上積み制度(現在約3,000万円)の適用を被害者・家族が求めると日通は社員が対象であり、「退職者は部外者」といった態度を改めることはありませんでした。  

 そのような状況が続き、話合いは2007年9月11日が最後の日となりました。被害者・家族は裁判を決心し、それ以降から担当弁護士による綿密な調査、裁判の準備が始まりました。

②提訴そして意見陳述、証人尋問が進む

 2009年1月30日、元日本通運労働者5遺族16名が神戸地裁尼崎支部に損害賠償を求めて日本通運、クボタを被告とし、提訴。2009年4月23日を第1回とし、その後7月2日、9月24日、12月10日、2010年3月11日、2010年5月27日、6月29日、7月22日、10月21日と公判が続きました。

 

 1~5回の公判では原告の意見陳述が行われ、傍聴席からはすすり泣く声が絶えませんでした。夫が中皮腫で命を奪われた後、娘さんまでもが中皮腫でお亡くなりになったこと、30年日本通運に勤務し、企業の発展を支えてきたこと、「天下の丸通」と日通労働者であることを誇りに思っていたこと、57歳という若さで帰らぬ人となったことなど悲痛な訴えがなされました。

 

 その後の公判で、元日通・クボニ労働者による証人尋問が行われました。被告日通の「石綿の運搬業務事態で沢山のアスベストを吸うことはない」という主張に対して元日通労働者は「とにかく凄い埃だった。またマスクをするなどの指示は一切なかった」と発言。また被告日通の「1962(昭和37)年以降のクボタとの契約はなく、旧神崎工場へ出入りをしていない」との主張に対し、証人尋問に起った元クボニ労働者(事務職)のYさんは「それ以後も私は事務所から日通のトラックを目撃していた」と力強い発言が行われました。

③2012年6月28日判決、高裁での争いに

裁判所は1959年(昭和34)年の珪肺審議会以降の予見可能性を認め、日通は散水で粉じんの軽減を図らなかった、粉じんマスクの配布がなかった、安全教育・指導が適切に行われていなかったことを理由に被告日通の安全配慮義務違反を問い、賠償を命じました。

 

 また日通の「アスベスト運搬業務は低濃度曝露である、昭和37年以降はクボタに出入りしていなかった、喫煙による肺がんである」という主張は全て退けられ、全面的に原告の言い分を採用した判決となりました。今後の日通をはじめとする同種のアスベスト被災者の救済にとって大きな前進となりました。

 

 この結果に対し、原告側が控訴しないよう求める要請書を日通に提出したにも関わらず、被告日通は控訴することを発表しました。訴訟開始からは3年半、話合い開始から5年半経っています。原告をどれだけ苦しめるつもりでしょうか。非情にも程度があります。「日本通運は人間の顔をした会社になりなさい!」

④不誠実さを象徴する日通の控訴理由

 日通の控訴理由とはどのようなものなのでしょうか。主なものを原告弁護団の反論も合わせて見ていきたいと思います。

 

 1、1971年提出の労働環境技術基準委員会は「アスベストはがん原性のある物質に含められていない」と報告している。予見可能性はなかった←→1955年のドール報告、1960年のワグナー報告で発がん性が判明している。1971年には疫学的、実験動物学的には発がん性を疑うものはほとんどいない状態だった、などから予見可能性あり。

 

 2、1971~72年当時に粉じん対策を行なっていた。その証拠として「粉じん測定調査の実施について」の冊子を提出←→内容を確認すると、冊子はその作成当時、安全管理方針や衛生管理方針が定められたということを意味するに過ぎないものであって、充分な対策を取っていた証拠とはならない。また石綿粉じん曝露についての記載内容から、むしろ対策の不十分さを示す証拠となっている。

 

 日通は1、2などを控訴理由としていますが、その他の理由も含めて原告側弁護士は「控訴するほどの理由は見られない」と話しています。正直、何故控訴したのかがよくわかりません。天下の日本通運を訴えた、また高齢化している原告に対する報復行為でしょうか。質の悪い嫌がらせのようにも見えます。

⑤第一回高裁裁判を経て事前説明会、結審、判決へ

 2012年11月13日、午前11時から、日本通運アスベスト損賠訴訟の第一回高裁裁判が大阪高等裁判所82号法廷で行なわれました。地方裁判所での原告の全面勝利といえる内容の判決から4ヶ月半後の日でした。

 

 その後2013年1月15日、2月28日の2日間に渡り原告、被告両弁護士と公判事前説明会が行われ、同年の7月26日に結審、2014年1月30日に判決を迎えることになりました。日通との最初の話し合いが2007年1月でこの高裁判決まで7年を要しました。原告と私たち多くの支援者にとって長い期間と労力を使い、そして落ち着かない日々を過ごしてきました。

⑥日通を再度断罪・上告断念!

 2014年1月30日、第一審判決に続いて控訴審でも日通の損害賠償責任を認める判決が下されました。

 

 当日、雨の降る中「日本通運は石綿被害者に補償を!」、「日本通運は“人間の顔”をした会社に!」というのぼりを立て、抗議ビラをまきました。少し色あせたのぼり、又抗議行動など全く不慣れだった原告らが道行く人に歩み寄りビラを渡す“慣れた姿”は長い年月の経過を感じさせるものでした。公判毎に掛けつけてくれた支援者が傍聴席から見守る中、原告全面勝訴の判決が言い渡されました。

 

 判決後、集まってくれた支援者に弁護団よりこの間の経緯説明をしてもらい、その後に記者会見が行われました。終了後、日通大阪支店へ上告しないように求める要請書を渡邉社長にしっかりと届けるようお願いし、原告それぞれの想いを伝えました。

 

 2月14日、担当の弁護士さんから尼崎安全センターへ「日通が上告せず、高裁判決が確定した」と連絡が入りました。長い闘いでしたが、これで一息付くことができます。原告、弁護団、支援者の皆さん、本当にありがとうございました。  

〈日通アスベスト損賠裁判を支援する会の活動〉

 2009年4月1日より「日通アスベスト損賠裁判を支援する会」を立ち上げ、以下のことを目的、活動内容として進めてきています。

  • <会の目的>
  • この会は、日本通運とその下請労働者で、中皮腫や肺がんなどアスベスト疾患にり患した被害者とその家族、遺族の正当な企業への補償要求の実現を支援する。
  • <会の活動>
  • この会は、上記の目的を達成するために、次の活動を行う。

    • 1)裁判の傍聴と、裁判勝利に向けた支援の諸活動
    • 2)会報の発行

 具体的には日通アスベスト損害賠償裁判の公判毎(終了後)などに日本通運大阪支店へ出向き、「日本通運は人間の顔をした会社になりなさい!」、「日本通運は石綿被害者に補償を!」というのぼりを立てビラをまくといった抗議行動を行なってきました。控訴され高裁で争うことになった今、今後も粘り強く続けていきます。

 また、会報を公判毎に会員へ発送し、傍聴支援の呼掛けを行なっています。

 なんとか会員を200名以上に拡大し、裁判勝利を勝ち取るために団結の力を発揮していきたい。未加入の方は是非この機会にお願いします!

  

<川崎重工アスベスト損害賠償裁判について>