![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/ca/af38098b3c0c3322ff1e4c5fed390f96.jpg)
(写真は、念珠ケ関の関所跡)
前回の「酒田」に続き、今回は「念珠ケ関(ねずがせき)」
です。
我々の「奥の細道」バス旅行は、山形県の酒田市を出た後、
バスで40分で、同じ県内の鶴岡市に着きました。![](cars_train.gif)
「藤沢周平」が愛した故郷の「鶴岡」の風景は、しばしば小説
の舞台の「海坂藩」として登場します。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0070.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/56/471daa360af9674d355d3f6c7b0ec14f.jpg)
車窓から上の写真の鶴ヶ岡城跡を見物したあと、鶴岡の市街地を
少しだけ散策します。![](body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/3b/64fe1895ad3d55d141388d5763a275da.jpg)
鶴岡の街は、写真の様に、少し寂れていますが、でもレトロな
感じで雰囲気があります。![](m_0140.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/7f/251c53a975e8047978a50fa3a7a3ba58.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/1d/1e27c81fc5a6a9c3650e98215c7e2f20.jpg)
上の写真は、荒れ果てていますが、鶴岡城下の庄内藩士「長山
重行宅」跡で、芭蕉はここで3日間を過ごしました。
下の写真は、「内川乗船地」跡です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/33/ea6b3a7da8ab9933ddd100eed85cae18.jpg)
鶴岡城下の長山重行宅を出た芭蕉は、近くの内川の船着場から、
船で酒田に向かいました。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0102.gif)
我々のバス旅行は、鶴岡市の郊外の温海(あつみ)町で、下の
写真の塩俵岩(しおたわらいわ)の「芭蕉句碑」を見るために
下車します。![](cars_train.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/45/5d6223fe819bdcb3e6171f6a8992e710.jpg)
”あつみ山や 吹浦(ふくうら)かけて 夕涼み”
(折からの暑さに縁のある名の「あつみ山」が彼方に見え、
暑気を吹き払うという名の「吹浦」も見渡され、この眺望を
見渡しながらの夕涼みは気持ちのよいことよ。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/41/f9369da16800a16a12a2a41525c24c17.jpg)
(塩俵岩)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/95/a53bcc63ee7f470ceffdf21861212919.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/ff/76307b1922b07b8c5e6013087ac23346.jpg)
次に、我々のバス旅行は、同じ温海町の鼠ヶ関(ねずがせき)で
下車して、上の写真の「念珠ヶ関(ねずがせき)」跡を見学します。![](cars_train.gif)
実は、ここ鶴岡市の温海(あつみ)町の鼠ヶ関には、関所跡が
二ヶ所あります。![](kuri_3.gif)
古代の関所址である「古代・鼠ヶ関(ねずがせき)」と、江戸時代
に設置されていた上の写真の「近世・念珠ヶ関(ねずがせき)」
です。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0151.gif)
同じ「ねずがせき」と読みますが、古代と近世で字が異なり、
また場所も少し離れていて違う場所です。
「古代・鼠ヶ関」は、平安時代には、白河関、勿来関(なこその
せき)と共に「奥羽三大関所」と呼ばれました。
もともとは、蝦夷(えみし)の侵入を防ぐための関でしたが、
出羽国(山形県)と越後国(新潟県)との国境に位置していたので、
東北地方への玄関口となりました。
1186年、兄の源頼朝に追われた源義経の一行は、奥州・平泉を
目指して、京から琵琶湖を渡り、越前、越後と日本海を北上、
ここ念珠ヶ関に着きました。
歌舞伎の名場面「勧進帳」の舞台となったのは、一般には、
現在の石川県の安宅関(あたかのせき)とされています。
しかし、石川県の海岸線に安宅という地名はあるものの、
平安〜鎌倉期に、この安宅関が実際に在ったかどうかは疑わし
いとされています。
逆に、ここ鼠ヶ関には、義経から伝えられた矢立て、扇、般若心経
が残っているらしいです。
更に、ここには、関守の富樫左衛門と同じ富樫姓が多いことなどから、
「勧進帳」の関所は、実はここ「念珠関」だと、地元の温海(あつみ)
観光協会は主張しています。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_1.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/ce/64324b65811c3ab0963d81d46bdb59a7.jpg)
上の写真は、ここ「念珠ケ関」跡が、「勧進帳」の「本家」だ
と主張する看板です・・・
「勧進帳」とは、寺院建立の資金集めの趣意を記した巻物で、
山伏などが、民衆から寄付を集めるときに読み聞かせます。
義経の一行が、山伏姿で「安宅の関」にさしかかり、関を
越えようとしたその時に、関守の富樫に見とめがられ、詮議が
始まります。
弁慶は、白紙の巻き物を広げ、あたかも勧進帳であるかのように
朗々と読み上げます。
しかし、顔が義経に似ていると食い下がる関守の富樫の前で、
弁慶は、「義経に似ているお前が憎い!」と、主である義経を
打ちすえます。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0211.gif) ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ny_kimono_m.gif)
その弁慶の忠義の心に感じた富樫は、その嘘を見破りながらも、
義経一行を通してやります。![](m_0140.gif)
現在の「念珠ヶ関番所跡」は、弁慶の勧進帳の時代のものでは
なく、江戸時代のもので、「近世・念珠ヶ関」と呼ばれ、
明治5年に廃止されました。
そして、大正13年に、内務省が「史蹟・念珠関址」として
指定史蹟に認定しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/7b/4e2513fe703c5810e9427c73f22a0854.jpg)
上の写真は、その内務省が認定した際の石碑で、正面には
「史蹟念珠関址」、右側面には「内務省」、左側面には
「昭和二年三月建設」と刻まれています。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0151.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/0f/1060cbfbccc301d7c4eb818d8e8f1205.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/30/61579c8fa3642d16fa4d6ae964ba7104.jpg)
我々は、次に、念珠ヶ関の近くの温海町の弁天島へ向かいます。![](cars_train.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/23/6574d8b74d6aac7c2602b28417ea74b4.jpg)
源義経は、舟で念珠ヶ関に着き、海に突き出したこの弁天島に
上陸しました。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ship.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/45/7f824b941670754f7ade0ae5e42e9172.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/a0/e19c786fa538e602e9896617757bba4d.jpg)
写真は、「源義経碑」(源義経の上陸記念碑)で、昭和41年の
NHK大河「源義経」放映の際に、「源義経」の作者で直木賞作家の
「村上元三」の揮毫により建てられたものです。![](face2_happy_s.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/50/aa36cb0fbebc3d27031790f8a1a430b9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/e3/0bedb43ac3d0073d949c2207bb69524d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/98/43986ca3d08c57b23091aa477b8272d9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/0f/617b8f3defdfad6e92b7fccb32f0741f.jpg)
我々のバス旅行は、念珠ケ関跡・弁天島を出た後、日本海の
海岸沿いに南下します。![](cars_train.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/a8/a0f3dcf9fdca402284d3bb6a0155b0d5.jpg)
やがて、山形県から、新潟県の村上市に入り、村上市の
笹川集落の「笹川流れ」の絶景の海岸線に沿って進みます。![](cars_train.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/09/6f973f5e6cbb31e7b5ff75c7ababd459.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/63/8091a1ec4ace5dbb3a64caef3f04a838.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/f2/a9eb5878a37a437a90fba7d58abe2357.jpg)
見事な景観を誇る延長11キロメートルの「笹川流れ」は、
海水が日本屈指の透明度を誇る国の名勝天然記念物です。
海水浴、釣り、キャンプ、遊歩道散策はもちろん、遊覧船から、
海岸にそびえ立つ雄大な造形美の岩を眺めることも出来ます。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ship.gif) |
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