![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/06/570aeadfda767a29a0b7bd222f0f1290.jpg)
(写真は、酒田・山居倉庫の吉永小百合)
前回の「象潟」に続き、今回は「酒田」です。
我々の「奥の細道」バス旅行は、秋田県の象潟町を出た後、
バスで2時間余りで山形県の酒田市に入り、明治26年に建て
られた「山居(さんきょ)倉庫」に向かいます。![](cars_train.gif)
酒田市は、かつて北前船による交易で栄え、また、米の積出港
として賑わいました。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0102.gif)
冒頭の写真は、JR東日本「大人の休日倶楽部」CM の「酒田
・山居倉庫の吉永小百合」です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/94/e66cbafb73bf5a3aa87ea01d92d4c610.jpg)
「山居(さんきょ)倉庫」は、1983年に放送されたNHKドラマ
「おしん」、2013年の映画「おしん」のロケ地として一躍
有名になりました。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0058.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/db/bcd19467cfd824008d0196759876e79c.jpg)
山居倉庫は、 美しい外観を兼ね備え、18万俵もの膨大な米を
収納したという12棟の米保管倉庫で、米どころ「酒田」の
繁栄を今に伝えています。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_4.gif)
また、内部の湿気防止には二重屋根にするなど、自然を利用した
低温倉庫として、現在も現役の農業倉庫です。
更に、夏の高温防止と、冬の風雪から倉庫を守るために、背後に
樹齢150年のケヤキ並木を配しています。
我々も、日本海からの強風と、夏の暑い日差しから倉庫を守る
ために植えられたというケヤキ並木の下を散策します。![](body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/85/9d68695929b4f658d964bbe073ea2cc5.jpg)
上の写真は、建設当時から敷地内に鎮座しているという「三居
稲荷神社」です。
倉庫の敷地内には、大量の米の輸送に活躍したといわれる
「小鵜飼船(こうがいふね)」が復元して展示されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/f0/92a9dec4b1048276b657203494b6db25.jpg)
川幅の狭い場所や急流が多い最上川の水運に対応できるよう、
スリムなボディをしています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/c5/42e2071c85f2f801a7b12b3a330d27d5.jpg)
そして、倉庫群のすぐ前が、小鵜飼船が乗り入れる石畳の造りの
船着き場になっています。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0102.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/59/b7717b00ec363daeae7e23bc56addfe3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/58/f06f4accef4a14b19f3f355cbd74da7c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/6c/7c9fcfc99981c44c482643eddb5d0c82.jpg)
上の写真は、倉庫の1号棟を使って作られた「庄内米歴史資料館」
で、館内では、「おしん」の人形が出迎えてくれます。![](m_0199.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/3e/1ed124c29137dba6c49f61483b67c856.jpg)
我々のバス旅行は、山居倉庫を出て、酒田市内を散策します。![](body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/8f/223c39c2f4f8a5db0b164c2a080dc21e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_4.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/2c/49f78a1f667e8a144618b833ac2480f0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/34/62c7eb123922cc3266b639ea6bd91a25.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/4c/72562c3e92c35de225bfefb19d57ca19.jpg)
上4枚の写真は、「本間家旧本邸」で、幕府の巡見使一行を迎える
宿舎として、「本間家」が1768年に新築し、そのまま「庄内藩」に
献上しました。
「庄内藩」と言えば、意外と知られていませんが、戊辰戦争では、
新政府軍を相手に連戦連勝、負けなしの戦いを続けました。![](cat_5.gif)
しかし、”会津藩討伐の赦免”を目的に戦っていた「庄内藩」は、
会津藩が先に降伏してしまったために、戦う意味がなくなり、
負け知らずのまま降伏します。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0211.gif)
新政府軍が出した降伏の条件は、城の明け渡し、家老の切腹、
更に、福島・磐城平への転封(国替え)でした。
このとき、庄内藩に同情的だった西郷隆盛は、何と!、
既に戊辰戦争で戦死していた家老への切腹を命じます!![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/panda_2.gif)
う〜ん、西郷の人柄を表す奇策ですね〜。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_2.gif)
更に、西郷の裏からの努力により、明治政府への70万両
(現在の数百億円)の献金を条件に、新政府軍は転封を中止する
ことを決定します。
しかし、庄内藩は、70万両のうち30万両しか工面
出来ませんでした・・・![](kuri_5.gif)
このとき、「本間家」が中心になって残りの40万両を工面、
庄内藩は転封を免れました!![](face2_happy_s.gif)
江戸時代には、「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」
と言われましたが、上記は、正に、本間家と庄内藩藩主の力関係を
表している逸話なのでしょうね。![](kuri_5.gif)
本間家旧本邸を出て、酒田市内の散策を続けます。![](body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/91/798b321ecbc5ea536e5d080a16e1ad16.jpg)
上の写真は、酒田を代表する廻船問屋の「鐙屋(あぶみや)」で、
井原西鶴の「日本永代蔵」にも紹介されました。(国の史跡)
屋敷は、石置杉皮葺屋根の典型的な町家造りとなっており、
内部は通り庭(土間)に面して、十間余りの座敷、
板の間が並んでいます。
また、鐙屋は酒田三十六人衆の筆頭格として町年寄役を勤め、
町政に重要な役割を果たしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/6f/437a3f00efb6e40314f1e3493beb5753.jpg)
ん?、鐙屋の入口にも、おしんが立っています!![](kuri_3.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/bb/8b39f1dc929d0a7848f8feeb189aaa28.jpg)
上の写真は、「不玉(ふぎょく)宅跡で、芭蕉が、酒田滞在中に
9泊もした邸宅の跡です。
象潟から戻った芭蕉は、不玉宅で、不玉と句を詠み、芭蕉は、
”温海(あつみ)山や 吹浦(ふくうら)かけて 夕涼み”と
発句を詠み、不玉は、
”みるかる礒(いそ)に たたむ帆莚(ほむしろ)”と、
返句しています。
(折からの暑さに縁のある名の「あつみ山」が彼方に見え、
暑気を吹き払うという名の「吹浦」も見渡され、この眺望を
見渡しながらの夕涼みは気持ちのよいことよ。 芭蕉)
我々のバス旅行は、酒田市内を抜けて、市の外れの「日和山公園」へ
向かいます。![](m_0090.gif) ![](cars_train.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/45/5cc407c347749f887ded8f28113fafbc.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/1b/c48ea8e762765706a5a5aebc3eaf73e7.jpg)
写真の「日和山公園」は、酒田港や最上川河口を一望できる
小高い丘にある歴史公園です。![](m_0140.gif)
六角灯台や常夜灯等の文化遺産が点在し、酒田を訪れた文人の句碑が
並ぶ文学の散歩道があります。![](body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/20/3623ea046569014f6ffd24e9bcade1ba.jpg)
上の写真は、「河村瑞賢庫跡」で、酒田港より幕府直轄地(天領)の
御城米を江戸に直送することを河村瑞賢に命じました。
庫跡は、上部から見ると”米”の字になってます。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0151.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/a3/48a3a7088f1b7e051fc6a2d10837e008.jpg)
上の銅像の瑞賢は、1672年、この日和山に堀や土壘を築いて
御城米置場を完成させました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/2e/ea76a441188a5641bc4b767a91e09279.jpg)
上の写真は、「常夜灯」で、1813年、酒田に寄港する北国廻船の
航海安全を祈願して建てられました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/f1/010a01498a9cedf02bd494edf9bb7ae2.jpg)
上の写真は、「千石船(北前船)」で、庄内米を酒田港から
江戸に回漕するために活躍した千石船を実物の二分の一に
縮尺して再現したものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/ec/c75f79469a6b151d8a59e357cc9674dd.jpg)
上の写真は、明治28年建てられた、木造灯台として残っている
最古の「木造六角灯台」です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/51/84bc913a376d49b9daaddc576326d996.jpg)
写真は、「芭蕉像」と「芭蕉句碑」ですが、ここには、
芭蕉などの多くの文人墨客が訪れており、その作品を29基の
文学碑にして「文学の散歩道」として設置しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/af/e1a01417e74b8ad81b74d81c2202b20f.jpg)
(温海山や 吹うらかけて ゆふ涼み 芭蕉)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/6e/5ce5f08fea6b4f1038bb6871f9bb0870.jpg)
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