本文へジャンプ
バスで行く「奥の細道」(その23)  ( 「酒田」: 山形県酒田市)



(写真は、酒田・山居倉庫の吉永小百合)  

前回の「象潟」に続き、今回は「酒田」です。


我々の「奥の細道」バス旅行は、秋田県の象潟町を出た後、
バスで2時間余りで山形県の酒田市に入り、明治26年に建て
られた「山居(さんきょ)倉庫」に向かいます。

酒田市は、かつて北前船による交易で栄え、また、米の積出港
として賑わいました。

冒頭の写真は、JR東日本「大人の休日倶楽部」CM の「酒田
・山居倉庫の吉永小百合」です。



「山居(さんきょ)倉庫」は、1983年に放送されたNHKドラマ
「おしん」、2013年の映画「おしん」のロケ地として一躍
有名になりました。


山居倉庫は、 美しい外観を兼ね備え、18万俵もの膨大な米を
収納したという12棟の米保管倉庫で、米どころ「酒田」の
繁栄を今に伝えています。

また、内部の湿気防止には二重屋根にするなど、自然を利用した
低温倉庫として、現在も現役の農業倉庫です。

更に、夏の高温防止と、冬の風雪から倉庫を守るために、背後に
樹齢150年のケヤキ並木を配しています。

我々も、日本海からの強風と、夏の暑い日差しから倉庫を守る
ために植えられたというケヤキ並木の下を散策します。


上の写真は、建設当時から敷地内に鎮座しているという「三居
稲荷神社」です。

倉庫の敷地内には、大量の米の輸送に活躍したといわれる
「小鵜飼船(こうがいふね)」が復元して展示されています。

川幅の狭い場所や急流が多い最上川の水運に対応できるよう、
スリムなボディをしています。


そして、倉庫群のすぐ前が、小鵜飼船が乗り入れる石畳の造りの
船着き場になっています。






上の写真は、倉庫の1号棟を使って作られた「庄内米歴史資料館」
で、館内では、「おしん」の人形が出迎えてくれます。



我々のバス旅行は、山居倉庫を出て、酒田市内を散策します。








上4枚の写真は、「本間家旧本邸」で、幕府の巡見使一行を迎える
宿舎として、「本間家」が1768年に新築し、そのまま「庄内藩」に
献上しました。
「庄内藩」と言えば、意外と知られていませんが、戊辰戦争では、
新政府軍を相手に連戦連勝、負けなしの戦いを続けました。

しかし、”会津藩討伐の赦免”を目的に戦っていた「庄内藩」は、
会津藩が先に降伏してしまったために、戦う意味がなくなり、
負け知らずのまま降伏します。

新政府軍が出した降伏の条件は、城の明け渡し、家老の切腹、
更に、福島・磐城平への転封(国替え)でした。
このとき、庄内藩に同情的だった西郷隆盛は、何と!、
既に戊辰戦争で戦死していた家老への切腹を命じます!
う〜ん、西郷の人柄を表す奇策ですね〜。

更に、西郷の裏からの努力により、明治政府への70万両
(現在の数百億円)の献金を条件に、新政府軍は転封を中止する
ことを決定します。

しかし、庄内藩は、70万両のうち30万両しか工面
出来ませんでした・・・
このとき、「本間家」が中心になって残りの40万両を工面、
庄内藩は転封を免れました!

江戸時代には、「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」
と言われましたが、上記は、正に、本間家と庄内藩藩主の力関係を
表している逸話なのでしょうね。


本間家旧本邸を出て、酒田市内の散策を続けます。


上の写真は、酒田を代表する廻船問屋の「鐙屋(あぶみや)」で、
井原西鶴の「日本永代蔵」にも紹介されました。(国の史跡)

屋敷は、石置杉皮葺屋根の典型的な町家造りとなっており、
内部は通り庭(土間)に面して、十間余りの座敷、
板の間が並んでいます。

また、鐙屋は酒田三十六人衆の筆頭格として町年寄役を勤め、
町政に重要な役割を果たしました。

ん?、鐙屋の入口にも、おしんが立っています!


上の写真は、「不玉(ふぎょく)宅跡で、芭蕉が、酒田滞在中に
9泊もした邸宅の跡です。

象潟から戻った芭蕉は、不玉宅で、不玉と句を詠み、芭蕉は、

”温海(あつみ)山や 吹浦(ふくうら)かけて 夕涼み”と

発句を詠み、不玉は、

”みるかる礒(いそ)に たたむ帆莚(ほむしろ)”と、

返句しています。

(折からの暑さに縁のある名の「あつみ山」が彼方に見え、
暑気を吹き払うという名の「吹浦」も見渡され、この眺望を
見渡しながらの夕涼みは気持ちのよいことよ。 芭蕉)

図説 地図とあらすじでわかる!おくのほそ道 (青春新書INTELLIGENCE 399)
クリエーター情報なし
青春出版社



我々のバス旅行は、酒田市内を抜けて、市の外れの「日和山公園」へ
向かいます。



写真の「日和山公園」は、酒田港や最上川河口を一望できる
小高い丘にある歴史公園です。

六角灯台や常夜灯等の文化遺産が点在し、酒田を訪れた文人の句碑が
並ぶ文学の散歩道があります。


上の写真は、「河村瑞賢庫跡」で、酒田港より幕府直轄地(天領)の
御城米を江戸に直送することを河村瑞賢に命じました。

庫跡は、上部から見ると”米”の字になってます。


上の銅像の瑞賢は、1672年、この日和山に堀や土壘を築いて
御城米置場を完成させました。


上の写真は、「常夜灯」で、1813年、酒田に寄港する北国廻船の
航海安全を祈願して建てられました。


上の写真は、「千石船(北前船)」で、庄内米を酒田港から
江戸に回漕するために活躍した千石船を実物の二分の一に
縮尺して再現したものです。


上の写真は、明治28年建てられた、木造灯台として残っている
最古の「木造六角灯台」です。


写真は、「芭蕉像」と「芭蕉句碑」ですが、ここには、
芭蕉などの多くの文人墨客が訪れており、その作品を29基の
文学碑にして「文学の散歩道」として設置しています。

(温海山や 吹うらかけて ゆふ涼み 芭蕉)





  次の 鼠ヶ関 へ →
                         目次へ戻る