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バスで行く「奥の細道」(その18) ( 「日和山」) (宮城県・石巻市 )





(写真は、日和山から見下ろす、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた石巻市の港周辺)   

前回の「青葉城」に続き、今回は「日和山(ひよりやま)」です。


日和山公園は、宮城県の石巻市の南の端にある標高60mの小高い丘です。

2011年3月の東日本大震災では、多くの市民が、津波から逃れるために、ここ日和山の階段を駆け上がり避難しました。
そして、この高台から、町並みが大津波に飲み込まれる様子を呆然と眺めていました。
当時、ここ日和山公園から撮影した津波の様子が、TVで何度も流されました。
大震災のあとも、節目毎に、日和山公園から、復興の度合の報告や、震災についてのトーク番組が流れ、東日本大震災の象徴的な場所になりました。



我々のバス旅行は、この日和山への非常に急な坂道を上って行きます。

日和山は、元来は、船乗り達が、天候を予測するために利用した美しい丘でした。

日和山の眼下の石巻の港は、古くは、江戸へ送る米などの船積港として大いに栄えていました。

日和山公園の敷地内には、ここからの景色の美しさに心奪われた多くの文学者たちが残した句碑や歌碑があります。

齋藤茂吉や折口信夫(釈超空)等がここで詠んだ句の他に、新田次郎や、修学旅行で来た石川啄木や宮沢賢治がここで詠んだ句などの
多くの句碑が建っています。


日和山公園からは、南に太平洋、北東に北上川と石巻の街の中心部を展望出来て、復興の様子も手に取る様にわかります。




近年は、石巻市は、漁業の衰退や市街地のシャッター化が進んでいるため、地域興しとして、漫画による活性化を図っています。

下の写真の川の中州には、かつては造船所が立ち並んでいましたが、時代の波には勝てず、現在は、造船所跡地に、ドーム型の建物
「石ノ森漫画館」が建っています。


JRも、石巻市の漫画による活性化に協力しています。

(JR石巻駅)





奥の細道の旅ハンドブック
久富 哲雄
三省堂

日和山には、平泉に行く途中に石巻に立ち寄ったとされる「おくのおそ道紀行 三百年記念」の芭蕉と曽良の銅像があります。

この銅像の芭蕉の眼差しは、これから目指す平泉の方向に向けられているそうです。

台座には、「元禄二年(1689年)六月二十六日 芭蕉が曽良を伴って千石町 四兵衛宅に泊まる。」とあります。

曽良日記には、「湾には多くの船が行き交い、家々からは竈(かまど)の煙が立ち上り・・・」とあり、曽良は、
”この様な田舎に、こんなに繁栄している港があるとは!”と、当時の石巻の繁栄ぶりに感嘆しています。


日和山公園の山頂には、写真の鹿島御児神社があり、その境内に、芭蕉句碑がありました。

”雲折々 人を休める つきみかな”
(時々、月が雲に入ってくれるから、月見をしている人も、その月が見えない時だけは、一休み出来るなあ。)

この句碑は、松の根元に隠れるようにして建っていたので、見落としそうになりましたが、かなり古い感じで、碑面が削れていて読み取れません・・・
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