![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/ab/b4da9905bdc14e63cf1e12c90b622ddb.jpg)
(写真は、象潟の田園風景の中に点在する、かつて湖の中の島
だった小山)
前回の「羽黒山」に続き、今回は「象潟(きさがた)」です。
我々の「奥の細道」バス旅行は、山形県の「羽黒山」を見学
したあと、酒田市内のホテルに1泊、翌朝、秋田県の象潟町に
到着しました。![](cars_train.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/b3/7924168fac1170c0bd4cfbe2802ac8c8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/72/a25f0da563fcaf55ffedf41df6919efd.jpg)
JR象潟駅の駅前広場に、上の写真の「芭蕉文学碑」があり、
芭蕉が象潟を訪れた際の様子が記載されていました。
芭蕉と曾良は、「象潟(きさがた)」に到着すると、
旅籠「能登屋」を訪ね、ここに宿泊しようとしました。
しかし、翌日が、象潟の「熊野神社」の例祭だったため、
例祭見物の客で能登屋は満室でした。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0211.gif)
そのため、近くの「向屋」(佐々木左衛門治郎邸)を
宿所としました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/e8/42b48f8c7d81dbcc185f9f5ab448020e.jpg)
上の写真が、芭蕉が宿泊した「向屋」跡です。
翌朝、芭蕉と曾良は、象潟の「 蚶満寺(かんまんじ)」
に参拝し、帰りに「熊野神社」の例祭を見学したのち、
前日満室で宿泊出来なかった「能登屋」に宿泊します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/30/0a943e4e7ef953a60360ca496e3086cc.jpg)
上の写真は、2泊目の 「能登屋(佐々木孫左衛門邸)」跡
です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/9e/d4103f0846daae2816d6160aa349e102.jpg)
写真は、芭蕉が例祭を見物したという、象潟町の外れに
ある「熊野神社」です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/cd/938796daf04d35cafcc37486dcdc026a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/fb/39308ccdeebc2af16d76cdca9cdc0b27.jpg)
上の写真は、芭蕉が、蚶満寺(かんまんじ)に参拝に
向った際に、熊野神社の前の欄干橋の脇から舟に乗った
ときの「船つなぎ石」です。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0151.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/da/e0e4fe228e77837e5601a9fbeaed1067.jpg)
欄干橋の周辺は、江戸時代、象潟の九十九島を巡る舟が
発着していた場所でした。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ship.gif)
我々のバス旅行は、象潟の街中から、名勝「象潟
(きさがた)」の風景を一望できる下の写真の「道の駅・
ねむの丘」に向かいます。![](cars_train.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/cb/8c2e6de8c87f5302cb8c5b85d462efea.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/cd/e3a81e24dac8f735ad868a8d6a905b2b.jpg)
道の駅の展望フロアの目の前には、日本海が広がり、
その反対側には、鳥海山の裾野が広がります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/f8/e3ebeeb03b2c8cbf174b1312af162484.jpg)
展望フロアの足元が、国指定天然記念物の「象潟」です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/b1/c05837b4adee350752f80ae6e89835de.jpg)
芭蕉が、象潟を訪れた当時は、未だ、ここが、現在の様な
陸地になる前でした。![](kuri_3.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/19/7debc28b75426c1b95485605f0f7ae36.jpg)
当時は、潟湖の中に、九十九島と呼ばれる小島が点在し、
仙台の松島と並び称される景勝地でした。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_4.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/19/aa79ddfa59d695480f480ac04dbaf621.jpg)
しかし、1804年、「象潟地震」による隆起で、
ここ象潟は陸地となりました!![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face2_shock_s.gif)
その後、かつて海だった部分は水田地帯となり、現在の様に、
田んぼの中に、かつての島々が、小山として点在している
風景になりました。![](cat_5.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/da/756830b5431b363ba2c4bd8a9c70b715.jpg)
展望フロアのガラス越しですが、上から眺めると、田んぼの
中に、島が点在するのが良くわかります。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0151.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/bf/f941fde63992e416a29bf3dfb730f1a0.jpg)
芭蕉が訪れた頃は、田んぼの部分がかつては海で、景勝地を
巡る舟が行き交っていたのでしょうね。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ship.gif)
我々の「奥の細道」バス旅行は、「道の駅・ねむの丘」の
前の羽越線の踏切を越えて、「蚶満寺(かんまんじ)」の
参道を歩いて行きます。![](body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/34/f0472a7402bcf266df35263f927ecc1e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/a2/74b1cc133bdc0042b2c5f2b7908eb009.jpg)
参道の突き当たりに、 古色蒼然とした佇まいの蚶満寺の
山門がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/25/e30111d3bba7e9bea4b84b1503e462f6.jpg)
芭蕉は、舟に乗って象潟の島々を見物したあと、舟を下り、
舟着き場の前にあった「蚶満寺(かんまんじ)」を訪ねました。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0102.gif)
853年創建の 蚶満寺は、芭蕉が訪れた当時は、象潟風景の
鑑賞の地でもありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/16/bbbe504a7c77a4d738d5ebc7be93ba88.jpg)
参道の脇には、上の写真の芭蕉像と句碑と、下の写真の
真新しい「西施(せいし)の像」がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/42/1b2088e0f55718a6b8ed3d85df9f3247.jpg)
”(象潟(きさがた)や 雨に西施(せいし)が ねぶの花”
(雨にけぶる象潟は、雨に濡れるねむの花のような沈んだ哀感があり、
ちょうど美女の西施が、憂いに眼を閉じているような風情だなあ。)
西施は、中国の春秋時代、越王の勾践(こうせん)が、呉王の夫差
(ふさ)に、復讐のための策謀として献上した美女で、胸を病み
苦しげに眉をひそめる姿の美しさで有名です。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ny_kimono_f.gif)
「ねぶの花」は、ねむの葉が、夜や雨のときに閉じるところから、
「ねぶの花」に「ねぶる(眠る)」をかけています。
「奥の細道」では、「松島は笑ふが如く、象潟は憾(うら)むが如し」
(松島は、笑顔をたたえた様であるが、 象潟は、憂いに沈む美人の風情である。)
とあり、
雨中のねむの花に西施のイメージを重ね、それが更に、雨に煙る
象潟の全体風景になっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/e8/7787c84efafc3d4cbb91d079288bb78b.jpg)
蚶満寺(かんまんじ)の左手には、一面の稲穂の中に象潟の
島々が見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/aa/8d569eff5333240c4784ba6032de7473.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/5b/4d1f87a0b5386f2186d0109111f950c7.jpg)
蚶満寺の鐘楼の手前に上の写真の芭蕉の木があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/d1/63fc22c7565eed6dc16c2a19809c3577.jpg)
上の写真は、蚶満寺の七不思議の一つの「木のぼり地蔵」で、
地蔵を地上に降ろすと、翌朝にはまた木の上に登っている
そうです。![](cat_5.gif)
上の写真の本堂の脇を潜り抜けて裏庭に出ると、下の写真の
西行が詠んだ桜の木がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/cf/e8f815bb8ba81e976e7b614bfac2e647.jpg)
芭蕉は、西行が詠んだ桜の老木を見て、蚶満寺(かんまんじ)の
方丈に座り、簾を上げて風景を眺めています。
”きさかたの 桜は波に うずもれて 花の上漕ぐ
海士(あま)のつり舟” (西行)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/c6/f01e796179bb1c4576971c7fe086e2ae.jpg)
西行の歌碑の近くに、芭蕉が、蚶満寺に参拝のために
舟から下りた「舟つなぎ石」と「芭蕉句碑」が
ありました。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0102.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/53/c318be918c20e3851f3420a75ed7112c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/df/46da19589785a6b3e67496eb761b83c3.jpg) |
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