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バスで行く「奥の細道」(その21)  ( 「羽黒山」: 山形県 )


(写真は、羽黒山の木立の中の「五重塔」)  


実家の熊本に10日間ほど法事のため帰省していましたので、
この間、ブログをお休みしていました。

前回の「湯殿山」に続き、今回は「羽黒山」です。

江戸時代には、「過去=月山、現在=羽黒山、未来=湯殿山」
の出羽三山を訪ねることが、過去、現在、未来を巡る
「生まれ変わりの旅」になる、と信じられていました。



前回の「湯殿山」から1時間20分、我々の「奥の細道」
バス旅行は、「羽黒山」バスターミナルに到着しました。


鳥居をくぐると、下の写真の「随神門」があります。
 

この随神門から、「羽黒山」(出羽三山神社)の神域に
入ります。


随神門の石段を下りると、道の両側に小さい社が立ち並び、
すぐに前方に、「祓川」(はらいがわ)に架かる「神橋」
が見えてきます。






この祓川の清流は、月山に源流を発しており、昔、
参拝者は、この清流で身を清めてから、羽黒山の
山頂を目指しました。


神橋の上からは、小さな祓川神社と、その後ろに
「須賀の滝」が見えます。

滝の水音が爽やかで、清々しい気持ちになります。

祓川を渡ると、500本以上あると言われる杉の古木の中に、
ひときわ巨大な老杉の「爺杉」があります。

何と!、樹齢1千年!、胴囲が8メートルもある、
羽黒山で最も古い天然記念物です。

以前は「婆(ばば)杉」もあったそうですが、暴風で
失われたそうです・・・


爺杉の近くの木立の中に、写真の国宝「五重塔」が
姿を現します。

東北地方で最古の塔といわれ、「平将門」の創建と
伝えられています。
この五重塔は、高さが29メートルもあり、圧倒される
ほどの五層の「柿葺(こけらぶき)」で、その大きさは
日本最大です。
また、「素木造り」(しらきづくり)で、何も塗らず、
釘も使っていません。

現在の塔は、 約600年前に再建されたものだそうです。


五重塔の塔の左手に、山頂まで徒歩50分もかかる
全長1.7キロ、2,446段の長い〜石段が続きます。
我々のバス旅行は、高齢者が多いので、2,446段の石段を
パスして、バスで、いきなり山頂の「三神合祭殿」(国重文)
へ向かいます。
山頂の「三神合祭殿」(さんじん ごうさいでん)は、
”日本一の茅葺屋根”で、月山・羽黒山・湯殿山の三神を
合祭した「三神合祭殿」があります。





写真の様に、厚さ2メートルという、日本最大級の茅葺屋根を
持つ社殿の存在感に圧倒されます!



本殿は度重なる火災にあい、現在の社殿は1818年に再建した
ものです。


社殿の前の上の写真の「鏡池」は、羽黒神が姿を現す池として、
池そのものがご神体と考えられ、古来より多くの信仰を集め、
御手洗池(みたらしのいけ)とも呼ばれました。
古代から、人々は銅鏡に願いを託し、池に納めたそうです。
池の中からは、平安・鎌倉・江戸期に埋納された多くの
銅鏡が出土しました。

従って、ここが羽黒信仰の中心だったと考えられ、「池の御霊
(みたま)」とも呼ばれています。


三神合祭殿の石段を少し下りると、下の写真の「蜂子皇子
(はちこのおうじ)」の墓がありました。

墓の黒扉には、菊の紋章がついていました。

出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)は、1,400年以上前に、
蜂子皇子によって開かれました。


途中で、山伏姿の外国人の集団に遭遇しました!

サングラス姿の若い女性も混じっており、こんなに若いのに、
異国の山奥で修行しているなんて偉いなあ〜、と感心しました。

でも、あとで考えてみると、外国人観光客向けに山伏が案内する”
1日修業ツアー”だったのかも知れません?




鏡池の前の道を、蜂子皇子の墓と反対の方向へ進むと、
上の写真の末社が並んでおり、その先に下の写真の「芭蕉像」
がありました。


奥の細道の旅ハンドブック
久富 哲雄
三省堂

芭蕉と曾良は、出羽三山の宿坊街である手向宿へ到着したのち、
すっかり暗くなってから、羽黒山に登り、羽黒山の最高指導者
である「会覚阿闍梨」と会いました。

そして、宿泊のため、更に、暗い夜道を、月明かりだけで参道を
登り、羽黒山の中腹にある南谷別院(高陽院紫苑寺)へ向かいます。

その暗い夜道の参道で詠んだのが、

”涼しさや ほの三か月の 羽黒山”

( 出羽三山の羽黒山にかかる三日月の月明かりは、神聖で
霊気が漂い、身が引き締まる思いだ。)







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