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バスで行く「奥の細道」(その20) ( 「湯殿山」: 山形県 )


(写真は、湯殿山の参籠所と大鳥居)   

暫くお休みしていましたが、バスで行く「奥の細道」を再開します。

前回の宮城県の「登米(とめ)」に続き、今回は山形県の「湯殿山」(ゆどのさん)
です。

前回ご説明しました様に、芭蕉は、前回の登米から、奥の細道のハイライトである
平泉を目指しました。

しかし、我々のツアーは、平泉や立石寺などについては、メンバーの皆さんが
複数回行ったことがあるということで、これらを飛ばして、新幹線で山形へ
向かいました。








新幹線の山形駅で下りると、山形の市街地は、8月5〜7日の山笠祭りの飾り付け
の準備一色でした。









やたら漬本舗が経営する明治18年創業「香味庵まるはち」で昼食です。




趣のある蔵座敷で、漬物の寿司などの山形の郷土料理の会席膳を食べます。


土産に、写真の青唐辛子の香りと辛味、甘味噌の風味を加え漬けあげたピリ辛味の
「山形やたら漬」を買いました。 



ごはん・お粥・雑炊やチャーハンにもぴったりです。

昼食を済ませた我々のバス旅行は、山形の市街地を抜け、健脚の芭蕉も苦労して
歩いたという湯殿山、羽黒山、月山へ向かいます。



江戸時代には、”西の伊勢参り、東の奥参り”と、並び称され、庶民の信仰の中心
でした。

”奥参り”とは、出羽三山の「生まれ変わりの旅」のことです。

「生まれ変わりの旅」とは、「過去=月山、現在=羽黒山、未来=湯殿山」の三山を
訪ねることで、過去、現在、未来を巡ることになります。





山形の市街地から貸切バスで約1時間、「湯殿山」の湯殿山神社の参籠所駐車場に着きました。




写真の左は、食事および宿泊が可能な湯殿山の参籠所です。





上の写真の石碑には、「湯殿山本宮の東にある仙人沢は、即身仏となるための
修行地である」旨が記されています。

「湯殿山(ゆどのさん)神社」は、山形県の庄内地方に広がる出羽三山(月山・
羽黒山・湯殿山)のうちの、湯殿山の中腹にあります。

湯殿山神社は、月山の頂上から尾根づたいに西へ8キロ下りた地点にあり、また、
月山から流れる梵字川(ぼんじがわ)の川沿いにあります。

出羽三山の総奥の院である「湯殿山」の神の世界に、人工の建造物を造ることは
許されませんでした。
従って、湯殿山神社には、本殿も社殿もありません!





湯殿山神社へは、自家用車乗り入れ禁止のため、参籠所駐車場から、参詣用
シャトルバスで湯殿山神社へ向かいます。







上の写真は、参拝バスの終点にある「湯殿山本宮」への上り口の石段で、石段の
先にの巨石は「湯殿山本宮」の碑です。











この石段の途中の撮影禁止の立て看板から先は、神聖な場所なので、一切の撮影
が禁止です。


古来、湯殿山については、「語る無かれ、聞く無かれ」との戒律が守られ、霊地を
見た人は、絶対にその姿を他人に言ってはいけない。

見てない人は、絶対に他人から聞いてはいけない、と決められていました。

この様に、”聖地・湯殿山本宮”については、ブログへの本宮の写真や風景描写も
不可ということで、最もブログ向きでない場所です・・・


湯殿山神社の本宮は、俗世と隔離された神域であるために、参拝の際には裸足
になり、祓を受けなければなりません。

我々も、禊場(札所)で、靴を脱いで素足になり、身代わりの紙人形に禊を
してもらい、ようやく、湯殿山の御神体の脇を上って行きます・・・


実際に足を運べば、真近かでご神体を目にすることが出来ますが・・・

・・・・・・・(これ以降に見聞きしたことを、他人に話したり、ブログに書いてはならない・・・)

と言う訳で、実際に見たご神体について描写したいのですが・・・、無事に
湯殿山本宮の参拝を終わり、参籠所駐車場へ戻って来ました。



図説 地図とあらすじでわかる!おくのほそ道 (青春新書INTELLIGENCE 399)
クリエーター情報なし
青春出版社

「奥の細道」によると、月山の頂上から尾根づたいに8キロも下りてきて、湯殿山を訪れた芭蕉は、

”語られぬ 湯殿にぬらす 袂(たもと)かな”の句を残しています。

(語ることを禁じられた神域のありがたさに涙がこぼれる。)

芭蕉も、他人に語る事が出来ない程の、有難い聖地を見る事が出来て、涙が
出る位の感動を覚えた、と率直な感想を表現していると思われます。




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