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走水神社の創建ははっきりとしていません。走水の名が知られるのは、古事記や日本書紀に登場する日本武尊の東征 の物語からです。日本武尊が東征のため、走水から上総に向けて出船した際、海が荒れて船を進めることができなくなりました。 これは海神の怒りによるものだと考えた后・弟橘媛が海に飛び込んで、 神の怒りを鎮めたとあります。そして古事記は、海に身を投げて7日後、弟橘媛の櫛が浜辺に打ち上げられたため、それを拾って弟橘媛を造り納めたことを伝えています。尚、櫛を納めた場所は「旗山崎」と呼ばれる岬の小高い丘と伝えられています。その上にはかって弟橘媛を祀る橘神社が鎮座していましたが、軍用地に接収されたため走水神社に合祀されました。神社の脇の山道を少し登ったところには、弟橘媛の「さねさし 相模の小野に燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも」 という歌碑が建っています。 また、境内には、日本武尊が立ち寄ったとき、料理を献上したことから、料理番にとりたてられたという故事に基づいて、包丁供養のための 包丁塚があります。
走水神社の御神水は、境内左側に手水舎に富士山から永い歳月をかけて湧き出ていると言われる井戸から流れ出ています。その井戸の上には,走水に伝わる「カッパ伝説」に因んだ河童の置物が2体置かれていました。神社本殿裏には,走水に伝わるカッパ伝説に因んだ「河童大明神」が祀られています。ご神体の河童は,左右に,大相撲の横綱土俵入りよろしく,太刀持ち?露払い?の二体の河童が並んでいます。崖からは湧水が滴り落ちていました。
由来・歴史
走水神社の神水
神奈川県の名水&湧水情報