JR鎌倉駅下車、徒歩10分 小町通りを通り抜けた角
行き方
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多くの観光客で賑わう小町通りのはずれに、鎌倉十井の一つ「鉄ノ井」がある。(汲むこと、飲むことは出来ません)井戸を彫ったときに鉄の観音像の頭が出てきたことから名づけられた。鉄観音像は、新清水寺に安置されていたが、1258年(正嘉2)年1月17日、長谷の安達景盛の館からの出火がもとで類焼した。観音像は地中に埋もれ、行方がわからなくなっていたが、江戸時代に鉄ノ井から掘り出され、鉄観音堂に安置されていが、神仏分離令により観音堂が取り壊された為に、東京人形町の大観音寺(大観音寺:東京都中央区日本橋人形町1-18-9)の本尊となっています。
傍らの石碑に、「この井戸の水質は清らかで美味しく、真夏でも井戸の水が涸れることはなかった。 昔、この井戸から高さ5尺(1.5m)余りの鉄観音(くろがねかんのん)の首を掘り出したことから、この井戸を鉄の井(くろがねのい)と名付けた。 正嘉二年(1258)正月17日午前2時頃に安達泰盛の甘縄の屋敷から出火し折からの南風にあおられて火は薬師堂の裏山を越えて寿福寺に燃え広がり、総門・仏殿・庫裏・方丈など全てを焼き尽くし、さらに新清水寺・窟堂(いわやどう)とその周辺の民家、若宮の宝物殿及び別当坊などを焼失したと吾妻鏡に述べている。この井戸から掘出された観音像の首は、この火災のときに土中に埋めたのを、掘り出したもので、新清水寺の観音像と伝えられ、 この井戸の西方の観音堂に安置された。明治に入り東京に移したと云われている。」と述べています。
由来・歴史
鉄の井(くろがねのい)
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