子育ての中、何気ない言葉で
励まされたり癒されたり・・・とても楽になることがあります。
そんな言葉を集めてみました。

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子育てのはなしタイトル
【本のご紹介】ちゃんと泣ける子に育てよう 

ちゃんと泣ける子に育てよう

【本のご紹介】

ちゃんと泣ける子に育てよう

親には子どもの感情を育てる義務がある



著:大河原 美以/出版:河出書房新社

今回は私がたくさんのお母さんに是非とも読んで欲しい本を紹介します。
もうすでに購入して読んだ方もいると思いますが、「泣くことの大切さ」「泣くことの意味」などわかりやすく書かれている本です。
ぜひ、読んでみてください。

 本書 はじめに より(一部抜粋)
子どもは親にとっての宝です。
子どもはたくさんの喜びと豊かさを私たちに与えてくれます。でも、同時に、たくさんの不安と悲しみをもまた私たちに与えてくれます。それは子どもがはてしなく大切な存在であるがゆえに起こる感情でもあります。どうしてこんなにも、わが子は親である私たちの心をゆさぶるのでしょう。 親には子どもの感情を育てる義務があります。それは子どもを生んだ以上、義務です。義務は強い言葉ですが、あえてそう言おうと思いました。義務を果たすためには、親が親として覚悟を決める必要があります。親として子どもを愛する、という覚悟です。 これは当たり前のことのようですが、実はとてもむずかしい。親を癒してくれる存在として、子どもを愛している場合や、親の自尊心を満たすために、子どもを愛している場合には、義務を果たせないからです。 小学生という幼い年齢の子どもたちによる、これまでの常識では考えられないような事件が発生するなど、幼い子どもたちの感情の発達は、確かに危機的な状況にあると言えます。そしてその危機は、残念なことに、決して他人事ではなくて、一生懸命よい子に育てたいと思って、ごくふつうに子育てをしている そういう親子関係の中にも起こっているのです。 親たちはこんなにも一生懸命に子どもを愛しているのに、残念ながら、子どもたちの感情の発達は危機に瀕しており、思いやりのある子、優しい子に育ってほしいと願えば願うほど、子どもたちは感情をコントロールできない子どもに育ってしまう。それが、いまの時代の子育ての現実なのです。
「魔法の言葉」  文責:松林恵公子 

 先日、母が「えくこのおかげで生きてるなぁ。おかげさまです。」と私に対する感謝の気持ちを伝えてくれました。抱っこ法を勉強する前は褒める言葉を全く受け取れず、褒められるとむしろ「そんなことない。」「わたしなんか・・。」と褒められてもその言葉を足で蹴飛ばしているような状態でした。そのくせ「母は私を褒めてくれない。」といじけていたのです。その私がいまでは自分を愛おしいと思えるようになりました。抱っこ法を学び、自分育てをやってきた賜物ですね。ですから、母の感謝の気持ちもテレながらですが、「そうだね。」「ありがとう。」と私の心にしっかり届くようになりました。


母は褒め上手だなと思った時に思い出したことがありました。小学校の低学年の頃のお話です。


 現在の私を知る人は私の性格を明るく、元気が良く、思った事を何でも話す活発な人というでしょう。しかし、小さい頃は全く違っていました。内気で自分から話しかけるのも恥ずかしかったので、自分から友達を作るのは勇気のいることでした。小学1年の時、よく一緒に遊んでいた女友達3人から急に無視されるようになり、どうしたらよいのか分からずにいました。何か友達に嫌われるような事をした覚えはなかったので、「自分は何も悪いことしていない」と、自らその子達と口をきかないようにしたことがありました。一人ぼっちで淋しいくせに意地っ張りな性格ですね。何日くらいそれが続いたのか分かりません。ある日、Aちゃんが私の所に来て「私はあなたの味方だよ。」って言ってくたんです。「誰も口きいてくれなくても私はえくこちゃんの友達だよ。」って。本当に嬉しかったです。その言葉に救われました。つらい毎日が一気に楽しい日々に変わった瞬間でした。その後Aちゃんが転校していくまで、ずっと親友として遊んでくれました。その事を思い出したら、今でも泣けてきます。


 私は小学校1~2年生の時は本当に勉強が出来ない子でした。
例えば、国語のプリントが配られ、虫食い問題で、は が を□に入れるというような問題だったと思うのですが、そもそも問題の意味がわかりませんでした。そのテスト20点取れてたかな?その頃、本当に勉強は苦手だと思っていました。
 小学校3年の時の担任が、参観日に母に「この子はやれば出来る子です。」って言ってくれたみたいで、母が私にそれを伝えてくれました。私は半信半疑でしたが、母はそれを私に信じさせてくれたのです。
「やれば出来る子です。」という言葉は私の「魔法の言葉」になりました。なんにでも挑戦し、やってみようという今の私の礎になりました。


皆さんにも「魔法の言葉」はあると思います。今度、皆さんの「魔法の言葉」を教えてくださいね。


「好ましくない我慢」  文責:松林恵公子

2018年3月19日(月)の東奥日報の記事で医療・健康の欄があるのですが、 そこに『いたわろう よりそおう④』自分との本当の向き合い方 石原加受子 大きい 見出しで 我慢の苦痛減らそう 相手のためにもならず とありました。 内容を転記します。


『いたわろう よりそおう④』自分との本当の向き合い方 石原加受子
2018年3月19日(月)東奥日報掲載記事より

 多くの人が、我慢することを、当たり前だと信じていると思います。けれども、心理学的な見地から述べると、決して好ましいとは言えない我慢もあります。
 例えば、子どもや家族のために、自分のしたいことを後回しにして、何でもやってあげている人はいませんか。「自分さえ我慢すれば、すべてが円満にいく」と考え、言いたいことも言わずに我慢したり、自分を犠牲にして、つらいのをじっと耐えながら、相手に尽くしたりしていないでしょうか。
 こんなとき、相手は満足するかもしれませんが、自分自身の胸の内を感じてみてください。心から「尽くせて、うれしい」と満足感を覚えるでしょうか。
 確かに最初のころは、相手に尽くすことで、感謝してもらえる満足感や喜びを覚えるかもしれません。我慢を繰り返していれば、どんな人でも苦痛に感じて、次第に不平不満が募っていくでしょう。我慢して自分に苦痛を与えることは、自分のためになりません。これは「好ましくない我慢」です。それだけではありません。そんな我慢は相手のためにもなりません。相手のためにと思って我慢することが、相手がやるべきことや相手が責任をとるべきことを、肩代わりすることになるからです。それは相手の能力や責任感を奪ってしまうことと同じす。
 しかもそうやって我慢を続けていれば、心身共に疲れ果てていくでしょう。それが限界に達したら、ついには、一気に爆発させて争い合ったり、果てには人間関係を壊してしまったりと、多大な犠牲を払うことにもなりかねません。
結局は、自分を犠牲にするような我慢は、自分のためにも相手のためにもなりません。
こんな好ましくない我慢は、できる限り減らしていきたいものです。
(心理カウンセラー)

私自身、子育てしていた時、好ましくない我慢をし続けていた一人です。この記事を読んで、「あ、私も」と思う人は多いのではないでしょうか?私の場合は「言いたいことを言えない」自分。から始まっていたように感じます。幼い頃から、自分の親にも思っていることを言えませんでした。自分育てをする前は夫に対してもそうでした。夫に話しを聞いて欲しくて話始めると夫は「必要なことだけ話せ」と言ってきた時も、頭にきていたのに、私が怒ると子どもに影響があると思い我慢し、何事もなかったように過ごしました。子どもに対しても怒りたいのに怒りたい気持ちを我慢し、イライラしていました。息子に「ちゃんと怒って欲しかった。」と20歳過ぎてから言われた時は、「もっと早く言ってよね!」と思い、かなりショックでした。自分育てをするようになって自分の気持ちの表現が前より少し上手になりました。最近は、気持ちや欲求を相手に伝えればいいので、我慢も怒りも少なくなりました。


息子と私 ~な~んだ、一緒だった!~  文責:松林恵公子

 私の母は抗がん剤治療を続けています。今年の1月、県病の受診日に診てもらうと少し改善が見られ、昨年6月から在宅酸素療法をしていたのですが、酸素を外すことになりました。春の陽気も手伝って少しずつ元気になってきました。母と一緒に病院へ通うことで、私と母はとてもよく話すようになりました。母と過ごす時間が以前より多くなり、母とつながっている感じがしていて母との楽しい日々を送っています。


 さて、そんな中、長男との間で起きたことを書こうと思います。昨年8月26~27日に、はぐさぽベーシック講座とアドバンス講座が行われたのですが、 その1週間前の出来事でした。我が家で飼っていた3匹目の犬(名前はコロン)、年齢は16歳、女の子。その子が6月28日に亡くなりました。この日は弘前市の「はるか夢球場」のこけら落としで行われた楽天戦があった日で、家族みんなで野球観戦に出かけていました。夜、帰ると、家に残していったコロンが冷たくなっていました。コロンは病気でした。前の年の秋頃から右足の付け根あたりに肉の塊のような袋ができ始めました。最初は小さく散歩のときもさほど気にならなかったのですが、だんだん大きくなり春にはソフトボールくらいにまで大きくなって、歩くのも大変そうでした。袋が出来る前は毎日1時間くらい散歩していたのですが、足の付け根の袋が大きくなってからは散歩の距離も短くなっていきました。コロンはその袋を気にするようになりそれをいつもペロペロ舐めていて、いつの間にか破れてしまいました。その時はびっくりして、もう死ぬのかな? と思ったくらいです。そしたら、その袋の中身を、なんと自分で食べてしまいました。袋は小さくなり、また元気に散歩できるようになりました。その後、ごはんを元気に食べるようになったら、また袋が大きくなってきて、とうとう自力で歩けなくなってしまいました。それが6月23日頃です。私も家族も覚悟はしていました。

コロンはとても甘えん坊でいつも私の後ろを着いてくるような子でした。長男とはとても仲良しで毎日夕方の散歩をしていました。長男は自分がストレスが溜まっていたり、仕事に行き詰るとコロンのことを激しくなでるので、時々「しつこいよ」と言わんばかりにあまがみすることもありました。コロンは私達家族のことをよく気遣ってくれていました。みんなコロンが大好きでした。覚悟はしていても亡くなった時は悲しかったです。


 2匹目の犬は、3年前に亡くなっていますが、ハナという名前でした。長男が不登校になってから、金木町の方からもらいうけて飼い始めた犬でした。ハナはとてもやさしい子で、いつも長男を癒してくれていました。ハナとコロンは12年間一緒に過ごしました。2匹はとても仲よしでした。
1匹目の犬はペロと名付けました。長男が小3の時にどうしても犬が飼いたいとダダをこね、東奥日報の夕刊記事の【さしあげます】の中から見つけて、もらってきました。
ペロはやんちゃでカワイイ子でした。飼って1ヶ月くらいの時に、残念ながら熱中症で死なせてしまいました。


 3匹目のコロンが死んでからの2月間は、長男(27歳)と二人でビールを飲みながらコロンはこんな子だったと話す機会が多くなり、そのたびに泣いたり笑ったりしていました。そうやって過ごしてきたので、私にはびっくりの、でもとても嬉しいことが、8月20日に起きました。
この日の夜、私はソファーを背に、床に足を投げ出しながらビールを飲んでいました。息子も同じ部屋でお酒を飲んで床にゴロゴロしていました。すると息子がスルスルと私に近づいてきて、とてもめずらしいことなのですが、私の太ももに自分の頭をのせました。私は幼い頃によくしていたように頭をゆっくりなでました。すると、「ワー!コロンが死んじゃった~!」と突然大きな声を上げ、大粒の涙を流し泣き出しました。息子は「やっと泣けた~」と言いながらオイオイ泣きました。私もつられて一緒に泣きました。途中で、泣いている顔を隠したほうが思いっきり泣けるような気がして、息子の顔にフェイスタオルをかけました。息子は小さな子どものようにオイオイと泣きながら「コロン(3匹目)ともっと一緒にいてあげればよかった」とか「ハナ(2匹目)にやさしくなかった。八つ当たりばっかりしてた」とか、自分の後悔を語り始めました。そして、ついになんと「おれがペロ(1匹目)を殺した~!」と叫んだのです。
1匹目に飼ったペロは、家族旅行で今別に出かけた時に一緒に連れて行き、子ども達を海で遊ばせる時に車の中に置いて行ってしまったために、熱中症になってしまったのでした。もともと私も主人も犬が嫌いで、犬の飼い方は全く分かっていませんでした。車の窓を少し開けておいたのですが、夏の暑い日の車が60℃にもなるなんて知らなかったのです。本当にかわいそうなことをしました。今別には動物病院がないということで、泊まる予定をキャンセルし青森市へ向かいましたが、戻るのに2時間30分もかかりました。あと30分で青森に着くという時に、ペロは私の腕中で亡くなってしまいました。家族みんなで泣きました。  その時、お父さんが長男に「命あるものを飼うのには責任が伴う」という話しをしたのを思い出しました。それで、責任を感じていたのでしょう。私は、長男が「自分がペロを殺した」と思っていたことを、このとき初めて知りました。正直びっくりしました。ずっと一人で抱えていたんだと思うと、心が痛くなりました。実は本音をいうとペロを死なせたのは私だと思っていたので、長男の「おれがペロを殺した!」という言葉を聞いて、私の方が心をえぐられた感じになりました。

 私は「悲しみのひとり沼」に息子と二人で入っているイメージで、共に悲しみを味わいました。どれくらいそうしていたか分かりません。でも息子と心からつながった感じを味わうことができました。そして、息子も私も「自分を許す」大きな一歩を踏み出したように思えました。息子が泣き止んだとき、なんともサッパリした顔をしていたのが印象的でした。目の輝きが違うように感じました。それにしても「泣く力」ってすごいなと思った体験でした。(後で気付いたのですが、息子と私には同じことが起こっていたのですね。自分育て講座に通ったおかげでそのことに気付けたと思います。また、息子との良い関係性を取り戻せ、とても嬉しいです。)

息子はまた、以前から自分の仕事の方向性のことで悩んでいる話をしていたのですが、その後、息子の愚痴がすっかり無くなりました。自分なりに解決したのだろうと思っています。

 もう一つ、嬉しい気付きがありました。それは8月27日のはぐさぽアドバンス講座の時に、息子との出来事を簡単に話したのですが、その時、講師の西川みゆきさんが「それじゃ、息子さんが不登校になるのもしかたなかったね」と言ってくれたのを聞いて、息子が「犬が死んだのは自分のせいだ」と自分を責めていた事が、私の中に改めて染み込んできました。私は私で、長男が不登校になったのは私のせいだと自分を責めていました。なんだ、息子と私は「自分を責める」を別々にやっていたんだ!という事に気付きました。(そこに気付くのに18年かかりました。)なんだ、一緒だと思えました。そう思ったらなんかおかしくて、かわいくて。息子との一体感を味わえ、しあわせな気分になりました。その後、息子とは、思っていることを気兼ねなく言えたり、マイナス感情も受け止め易くなったりしています。例えるなら、喉の奥に刺さった小骨が取れたような感じかな? 病気になった母と繋がれるようになったことで、子どもとも繋がった感じがしています。日常で抱っこ法を学んだことが使えるのって、とても素敵だなと思った体験でした。


~母のこと~  文責:松林恵公子

会報ではちょくちょく私の母のことは書いてきました。今回、書くネタがないなぁ~と思って、毎日病院に通い、母にお昼の手作りご飯を食べさせるのが今の私の日課になっています。母に「お母さんのこと書いていい?」と聞いたら、「いいよ。」って言ってくれたので今回は私の母のことを書きたいと思います。書ける範囲で書きますので、どこまで皆さんに伝わるかな?ちなみに皆さんがこの文を読むころには母は退院しています。


私の母は2年前の平成27年4月に肺癌の宣告を受けました。その時はステージⅡでした。母はその事実を受け入れられなかったようで、病院の先生に「もうここにはきません。」と言い、家に帰ってきました。自分は温熱療法をやるから心配いらないと言い張り、何ひとつ私達子どものいう事は聞きいれませんでした。父は20年前に他界していましたので、誰に相談したら良いのか分かりませんでした。家族会議もむなしく、ただただ母の言い分を聞くしかありませんでした。 母が肺癌だという事実は私自身ショックでした。平成9年、父は食堂癌で病院に入院し3ヶ月後に亡くなりました。入院したときはすでに末期で全身転移していました。その時のイメージが私の中に強く残っていました。母も死ぬの?人は誰でも生まれたからには死は訪れますが、なぜだか、母はいつまででも生きていてくれるような気がしていました。

私は母の癌の宣告を受けてから「母の死」を考えるようになり、「母の死」に向き合えるよう、抱っこの研修の時や自分育て支援者講座のときに仲間に話を聞いてもらい、セッションしてもらいました。泣いてばかりいたように記憶しています。講座の内容が私のためにあるような内容で、たくさんの気付きを頂きました。この2年、本当の意味で私の育ち直しをしてきた感じです。自分は愛されてこなかったと長い間一人で孤独に陥っていたのですが、本当はたくさん愛されてきた事に気付くことが出来ました。かなしみを持ち続けることや本当は母親が誰よりも怖くて向き合えていなかったことにも気付きました。母の存在の大きさを実感しました。

今年の1月末に祖母が亡くなりました。それまで元気にしていた母もかなり体に応えたらしく、3月くらいから食事を取れなくなり、やせ細って、骨と皮だけじゃないかと思うほどです。肩で息をして苦しそうです。喉から呼吸が漏れているような音がします。咳と痰がたくさん出ているのも分かりました。それでも母は「大丈夫。」と言うので、「何が大丈夫なの?」と聞いてみました。病院に行かないというのでこのまま自宅で死ぬ覚悟があるのか?と思い聞いてみましたが、どうもそういうことではないようです。変だなと思うことは今までたくさんあり、その度に聞くのですが、あいまいな返事しかかえってきません。実は、母は霊感商法にはまっていたのです。温熱療法もその一つだったのです。実際温泉に毎日通って癌が良くなったという人の話は聞いたことがあるので、温熱療法が一概に悪いとは私も言いません。しかし、今年2月から温熱療法をやっていないというのです。「どうして?」と聞くと、「いいお茶があってそれを飲んでいる。とても高いけど効くらしい。海老蔵の奥さんも飲んでいる。」というのです。お茶だけでなくその他にもたくさん買わされていました。

このままでは母は死んでしまうと思い、3ヶ月かけてじっくり母の話しを聞き、母の思いを受けとめるようにしました。マインドコントロールされた母をなんとかしなくてはと頑張りました。母は弟家族と七戸町に住んでいます。私は青森市から七戸町まで往復2時間、3ヶ月間何度も通いました。それまでも1週間に一度のペースで母のところには行っていましたが、忙しくて行けないこともあったのですが、そんなこといっていられなくなりました。私は普段親子さんをカウセリングするようにじっくり母から話しを聴きました。そこで分かったことは、母は今まで一人で頑張ってきたこと、2年前の肺癌の告知は受け入れられなかったこと、入院が怖かったことなどです。私は「お母さんは一人じゃないんだよ。娘に甘えてもいいんだよ。一緒に考えるからね。だから一緒に病院に行こう。」「お母さんは酸素が足りていないんだよ。栄養を取れていないから頭にも栄養がいかなくなっていて、自分で考えられなくなっているんだよ。このままじゃ、死んじゃうよ!」と何度も言いました。

6月1日にようやく納得して「病院に行く。」と言ってくれたのでした。次の日の朝、青森の病院へ連れて行きました。入院時の母の血中酸素量はじっとしていて85、歩いた後は76でした。普通の人は95ないとダメだそうです。看護師さんがその数値を見て「苦しかったでしょう。早く酸素をやりましょう。」とびっくりしていました。数日遅れていたら倒れて救急車を呼ぶことになっていたかもしれません。そう思うと今でもゾッとします。

レントゲンをとると右の肺は真っ白でした。「肺に水が4リットル溜まっています。」と主治医に言われ、「酸素やりますね。まず水をぬく治療をしましょう。抗癌剤はどうしますか?今は副作用の少ないのがありますよ。」すると母は「抗癌剤治療をしようかな。」ということで現在治療中です。1回目の入院は35日間でした。抗がん剤が合ってないということで現在2回目の入院中です。母は病院に入院して第一声が「あ~、安心した~!」でした。「大丈夫」と言い続けた母ですがどんなに一人で心細かったのでしょう!「えくこの言うことをちゃんときくから!」だって。

6月2日から今日まで毎日母と一緒に過ごす日々を送っています。母は「えくこの顔を見ると安心する。」といい、母は3歳児?と思うくらい我がままいい放題です。今では母に負けじと私も言いたいことを言ってます。母の記憶がなくなる所が多くなり、私たちの会話はボケとツッコミの漫才でもしているようです。こんなに母を身近に感じたことなかったな~としみじみ思います。抱っこの研修でやってきたことが母を受け入れる準備になっていたと今更ながら感謝の気持ちでいっぱいです。たくさん支えてもらって、阿部先生と抱っこの仲間に感謝です。

この前、間さんから「くいのないよう、お世話してください。」とメッセージをいただきました。ありがとうございます。


~捨ててはおかぬ~  文責:松林恵公子

 今回、どんな内容を書こうか?と悩んでいるとき、抱っこの仲間の小林夕香さんの会報に時々載っている信濃毎日新聞のコンパスという連載でカウンセラー富田富士也さんの記事を思い出し、捜して読んでみました。


【引きこもった息子 父親への抵抗「捨ててはおかぬ」思いの表れ】
2016年11月23日に掲載されたものです。

【引きこもった息子 父親への抵抗「捨ててはおかぬ」思いの表れ】という見出しがついています。
 内容は家に引きこもっている30代後半の長男を持つ60代の父親の相談が書かれていました。
【子育ての方法が悪かったと思い、私から息子にわびる思いを込めて声を掛けますが無視されます。すると私もなえます。そして今度は妻からそのことを責められます。わが子なんだから寄り添えと言われますが、わが子だから難しい」】
~(中略)~
ここから、「寄り添う」ことについて富田氏が書いているのですがその中で、【物理的な意味で寄り添わなくても、「ぴったり」といるように思える関係を父親と築いていきたいと考えています。「愛の反対は無関心」という言葉があるように、私の中にもある父親に対する無力さが、無関心ではないという心の証につながります。そして息子の抵抗も、父親との関係を「捨ててはおかぬ」という思いの表れであることを、父親に感じてほしいです。父親は息子を救う前に、息子から救われている存在であることに気付いていくのではないでしょうか?】とありました。

 この記事を読んで、我が家の長男が不登校で家にこもっていたときのことを思い出しました。私が抱っこ法を本格的に学ぶ前の出来事です。
 長男は当時12歳、小学校6年生。学校に行けなくなって2年目でした。朝と夜が逆転した生活をしていて、午後1時とか2時とかに起きてくる生活でした。パソコンとゲームばかりしているように私には見えました。部屋の壁や押入れに穴があき、クローゼットの扉は壊されていました。母親の私に向かってくることも多くなり、わが子と一緒にいるのが怖いと思うようになっていました。
その頃、「抱っこ法」というのがあると知り「阿部秀雄著:ダダこね育ちのすすめ」の本を取り寄せ、読みました。本の中に体験談がいくつか載っていたのですが、その中に25歳の息子が暴れるのを「おまえがかわいい」「おまえがかわいい」と父親があきらめずに抱きつづけた話を読み、25歳の方にも抱っこが有効ならうちの子は12歳、抱っこ法は使えるかもと思ったのでした。(その体験談を探してもう一度読み返したら、なんと抱っこの仲間である紗由子さんの弟さんのお話でした。何年かぶりにちゃんと本を読んで、そうだったんだ!と勝手に感動しております。) 本を取り寄せ、夫にも抱っこ法を知ってほしくて「ダダこね育ちのすすめ」の本をデスクの上に2~3日置いておきました。

そんなある日、何が原因かは忘れましたが、長男が怒って私に向かってきました。ちょうど私の妹が遊びに来ていたので妹に頼んで、急いで夫を呼びに行ってもらいました。当時2階が自宅、1階で夫が仕事をする形で生活していましたから、すぐに夫が来てくれました。長男が暴れるので、長男の上半身を夫が後ろから羽交い絞めのような感じで抱く形になり、私は長男の足を押さえました。


長男は「放せ」「嫌いだ」などと言って泣いて大騒ぎです。
夫は「おまえのことが心配だ」「子どもを 心配しない親はいない」とか「おまえが大事だ」と言って、夫婦二人で暴れる長男を抱っこしました。 どれくらい抱っこしたでしょう?
時間にしたら1時間もしてないと思います。その頃の長男は160センチくらいで、体重は65キロ以上あったかもしれません。暴れるのが止むまで、大人二人でずっと抱き続けるのは大変でした。次の日長男の足にあざができていました。後から聞いたら「お父さんに抱っこされたのは嫌だった」と話していましたが、その後本当に変わりました。ゆっくりでしたが、学校に行く努力をしたり、自分から何かをやることが増えていきました。学校の先生方にも協力してもらい中学校は相談室に通えるようになりました。高校は北斗高校の通信制に行き、その後札幌の調理学校へ進学し料理を勉強しました。一人暮らしも経験し、14年たった今では父親ととても仲良しで、将棋の話や野球の話で毎日盛り上がっています。くやしいのですが、私はちっとも話しに入っていけません。

【新刊のご紹介】私が「わたし」を生きるために

私が「わたし」を生きるために

【新刊のご紹介】


母と娘の関係を結び直す

私が「わたし」を生きるために
ABK学びの会 風変わりな読書会
間紗由子 阿部優美 網敷曜子 石田遊子 河井みや 川端孝子  中村尚子
永田りつ子 前田美智子 増本さおり 阿部秀雄

1冊 500円(松林のところに6冊あります。希望の方は連絡ください。)

 この本は課題図書を読み、感想文を書き、それを発表し、みんなで聞いて何を感じたかを書き、話し合うという風変わりな読書会を通して、母娘問題についての新しい視点、自分の体験、感想をまとめたものだそうです。
皆さんも、ぜひ読んでみてください。


 母娘問題。私にもあります。以前、私は母とは仲良しだから何の問題もないと思っていました。しかし、それは「大間違い」でした。以前は私が母の言うことを大部分何も言わずに受け入れ、「仲良し」を演じていただけだと分かったからです。私が子どもを産み育てる中で、母の言動に反発心が芽生えたり、違和感を感じることが多くなりました。長男の不登校がきっかけで、「母は私の味方ではないんだ」と思う出来事があり、母と距離をおいた時期もありました。今は自分育て(天心)で自分と向き合ったり、抱っこ法の研修を通して、母への大好きな気持ちや愛されていたんだという想いを味わったり、ここ数年で母への感情も随分変わってきました。(松林)

~努力の魅力~  文責:松林恵公子

 私は戸山団地に住んでいるのですが、町会の回覧版に戸山西小学校の学校だよりが毎月回覧されてきます。その学校だよりに書かれていた内容に私も共感したので、一部分ですが、紹介したいと思います。


青森市立戸山西小学校 2月号(平成29年1月25日)の学校だより(小形浩子校長の書いた文章より抜粋)

 3学期の始業式では、全国高校サッカー選手権大会で優勝した青森山田高校の事を話しました。子どもたちは、自分が将来こうなりたいという具体的な姿はまだもてないかもしれませんが、あの青森山田高校の高橋選手や鳴海選手に自分の未来の姿を重ねている児童もいるかもしれません。夢を見て、努力し、捕まえに行く、その過程が大切なのです。しかし、機会ある度に子どもたちに話していますが、夢を叶えるということは、たやすいことではありません。きらめきばかりではありません。楽しいことばかりではありません。いや、苦しいこと、毎日の連続、努力、忍耐等という言葉の方があっているかもしれません。青森山田高校の黒田監督は、「自分のウイークポイント(短所・苦手)としっかり向き合い、日々の自己鍛錬の中で克服していくことが大切」「何でも手に入れ、与えられる時代に生まれた彼らのために、あえて『我慢』や『辛抱』を与えていきたいし、良い習慣を与えていきたい。『自己発見』と『自己改善』の力を育てたい。『努力』の魅力を教えたい。」と話しています。「努力の魅力」、素敵な言葉ですね。一つ一つの階段を登るように、こつこつと足下をしっかりと見て前進する。自らを鼓舞するように苦しさに立ち向かっていく。私たち教職員は、急激に変化する世の中に生きている子どもたちに、「夢をもつことのすばらしさ」と同時に「努力するすばらしさ」をも教えていかなければならないとつくづく感じました。

 私がこの文章を読んでどこに共感したかというと、「努力の魅力」という青森山田高校の黒田監督の言葉です。私自身、大切なことはめんどうなことが多いと感じますし、自身の子育ても大変な思いをしながら乗り越えてきました。でも、自分の努力や頑張りは自分の肥やしになっていると感じています。

私たち大人は子どもの成長にあった関わり方が非常に大切です。その中で、『子どものイヤなことはさせない』では子どもの成長はありませんから、子ども自身の乗り越える力(成長力)を信じ、大きな親心で関わっていきたいものです。親の努力も必要ですね。どんな努力でしょう?関わる努力?話す努力?聴く努力?手をかける努力?見守る努力?どんな時も子どもの心を抱っこするように関わっていきたいですね。

「子どもも大人も元気になる保育」  文責:松林恵公子

子どもはみんな問題児

【新刊の紹介】


ホンネの気持ちの見つけ方・
支え方

【子どもも大人も元気になる
保育】
萩原光・渡辺久美子 著/発行所:ひとなる書房(定価:本体1600円+税)

〒113-0033 東京都文京区本郷2-17-13 TEL:03-3811-1372/FAX:03-3811-1383
 ※ご注文は最寄の書店、こどものとも社さん、ひとなる書房までお願いします

 この本は抱っこの仲間である萩原光さんと渡辺久美子さんの共著です。萩原光さんは「ぴっかりさんの子育て相談室」のサイトが有名で、「心を抱きしめると子育てが変わる」など数多くの本を出版しています。渡辺久美子さんは千葉県富津市公立保育所の所長さんをされている方です。彼女のプロフィールに子ども時代は保育所をクビになるくらいの問題児。なのに保育士職に惹かれ、保育士になる。とあります。あとがきに書かれてあるエピソードも心にジーンときます。この本が仕上がるまでに9年の歳月がかかったそうです。この本は保育所での実践の様子が描かれていますが、子どもの行動のうら側にある子どものホンネの気持ちが分かりやすく書いてある本です。保育士さんだけでなく親御さんや子どもに関わる皆さんにぜひ読んで欲しい本です。

【おもな目次】

  • Part1 “自ら育つ力”を支える“心のメカニズム”
    1 子どもの心の中で起きていること
    2 子どものSOSと変化の兆しをつかむ
  • Part2 子どもの心が見えると保育が変わる
    1 安心して自分を出せる保育士と子どもの関係づくり
    2 子どもたちの底力が花ひらく活動・行事
  • Part3 大人も保育を楽しもう
    1 大人だって“がんばりたい”
    2 職員がつながれば、子どもは変わる
    3 保育士のストレス対策

エピソード①を紹介します。(p30)

【トイレトレーニングが進まないりょうちゃんの気持ち】
トイレトレーニングがストレスに?
 毎朝、笑顔で登園してきていた2歳のりょうちゃん。ここ1週間ぐらい、ママと離れる時に泣くようになりました。それに日中も、固い表情で過ごすことが増えています。気持ちが不安定になり、ちょっとしたことでメソメソ。食欲もありません。「いったい、何が原因かな?」と考えた保育士は、トイレトレーニングのことが思い浮かびました。ちょうど1週間前に、トイレトレーニングをはじめたからです。保育園でのトイレトレーニングでは、トイレでおしっこをすることを誘っていきますが、ひどくいやがったり、おむつに頻繁に出るような場合は、膀胱におしっこがもう少しためられるようになるのを待ったりします。りょうちゃんに対しても、本人の気持ちの安定を大切にしながら、誘いかけのタイミングを見計らって進めてきたつもりなのですが・・・。

そういえば、トイレに誘おうとすると、表情が固くなるようです。「こんなに気持ちが不安定になっているのでは、トイレトレーニングにはまだ早いかな」と思った保育士は、無理せずに、いったん延期することにしました。

葛藤する心

 トイレトレーニングの延期によって、心の安定を取り戻すのではと思われたりょうちゃんでしたが、固い表情やメソメソは相変わらずです。それどころか、ちょっとしたことで、かんしゃくを起こすようにもなってきました。あれ、あれ?いったい、なぜ?

 そこで保育士は、ふだんのりょうちゃんの様子を、ていねいに見つめ直してみることにしました。砂場での泥だんご作り。うまくいかなくても、すぐにあきらめてしまうことなく、上手にできるまで黙々とチャレンジを繰り返しています。そんな様子をながめていたら、ふと、「がんばり屋のりょうちゃんだから、ひょっとして、トイレトレーニングもがんばりたかったのかも」と感じました。

 他の友だちがトイレに行っている時、りょうちゃんに、「本当はトイレでおしっこ、がんばりたかったんだよね」と話しかけると、にっこりと笑顔。あんまりかわいかったので、保育士は「そうかあ!」と言いながら、思わずギュッと抱きしめてしまいました。

 りょうちゃんが、「保育園のトイレは、こわいよう」という不安や、「うまくできなかったらどうしよう」という心配を抱えていたのは事実です。でもその一方で「ぼくも紙おむつとサヨナラしたいよ」「お兄ちゃんになりたい」という気持ちがあることもわかりました。

2つの気持ちにつきあいながら

「こわいよう」「自信がないよう」という気持ちと、「がんばりたい」という気持ち。どちらの気持ちも大事に受け止めてあげたいと思い、「お兄ちゃんみたいにがんばりたいんだよねだから、こわいこわい! ヤダヤダ! しながらでいいからがんばろうね」と声をかけました。するとほっとしたように、手をつないでトイレに向かうりょうちゃん。どちらの気持ちもわかってもらえて安心したりょうちゃんは、トイレで見事におしっこをすることができました。保育士は子どもの中にある“やる気”を信じてかかわって、よかったなあ! と思いました。

「がんばれ! がんばれ!」だけでは緊張するし、「不安ならやめようね」でも満足できなかったのです。不安な気持ちを聞いてあげながら、がんばりを応援すればいいのですね。

まだ2歳のりょうちゃんですが、切実な2つの思いに葛藤するという力があることに保育士は感動しました。


本を一部の紹介しましたが、みなさんどうでしたか?分かりやすいと思いませんか? ぜひ、お一人1冊、お勧めです。

【離乳食 十倍粥からはじめなきゃダメ?】  文責:松林恵公子

みなさんは朝日デジタル(www.asahi.com)アピタルを覗いたことはありますか?私は、私がボランテアをしているココかれっじのスタッフの佐井さんから教えてもらいました。佐井さんのお宅は朝日新聞をとっているということで、「離乳食のことが書いてある記事をみつけたよ」とその記事をコピーしてくれました。

私自身、長男の離乳食にとても苦労しました。大人の料理を作る時途中で取分けすりつぶすのですが、あまり食べてはくれませんでした。せっかく作ったのだからとイライラしながら子どもに食べさせようとしていたのを思い出します。自分の機嫌が良いときは子どもが残しても怒らないのに、自分がイライラしているときは無理に食べさせよとしたこともありました。子どもが食べると私の機嫌が良くなることも。その頃特に自分の気持ちの浮き沈みも激しかったように思い、自己嫌悪に陥りそう。

「離乳食 十倍粥からはじめなきゃダメ?」の記事は森戸やすみさんという方が書いていて、朝日新聞の「小児科医ママの大丈夫!子育て」はここから の連載を書かれているようです。森戸さんは小児科医で2児のママだそうです。朝日デジタルのサイトをみると様々なタイトルで記事が書かれてあります。興味のある方はぜひサイトを覗いてみてください。

私が子育てをしていたときは果汁や味噌汁の上澄みをあげていましたが、今はあげないんですね。世界では国によって食べさせる離乳食が違うというのも考えたことありませんでした。お粥だけではなく、ジャガイモでもパン粥でも良いことや薄すぎるお粥をたくさんあげると栄養不足になることや多少の味をつけても良いこと、食事の回数なども子どもの年齢や食べる子どもの場合と食べない子どもの場合の指導が載っています。参考にしてみてはいかがでしょう。


自分が子育てしていたときは雑誌や本を読んで情報を探したり、ママ友や周りの人にききました。今はネットで簡単に便利に調べることが出来ますが、間違った記載もあるようですから、ネットに書いてあることをうのみにせず、周りの人との情報交換をしてみても良いと思います。案外みなさん苦労していますから、自分だけではないと安心できるかもしれません。

わたしのつぶやき【発熱・切り傷・やけどの対応】 文責:松林恵公子

2016年8月3日(水)にココかれのスタッフのために保健大学の田中栄利子先生が「こんな時どうする?子どもの自宅ケア」と題して90分お話をしてくれました。内容は発熱・切り傷・やけどの手当ての仕方です。基本的なことを学びました。今と昔の常識は変わっていることもあるよね~とお話しが始まりました。
 お話を聞いていて「発熱」といえば・・・と自分が必死で子育てしていた時本当に何にも知らずに子育てしていたな~と思い、その頃のことを思い出しました。25年前、長男が生まれてちょうど半年経った時いきなり40℃の熱が出ました。普通に考えれば対応できたはずなのにオロオロ。「どうしよう」子どもがこのまま死んでしまうのではないかと不安でたまりませんでした。アパートの隣のおばさんが「どうしたの?」と声をかけてくれた時思わず泣いてしまったのを覚えています。今考えれば、熱が上がったくらいで人は死なないのにね。人の平熱は36℃だと思い込んでいた私は長男の平熱が本当は何度なのか知りませんでした。普段から子どもの平熱を知っておくことが大事なことや個人差があるというお話もきき、本当にその通りだと思いました。子どもは夕方にかけて体温が上がるというのは、次男を育てているときに知りました。次男は赤ちゃんの頃から病気がちで、1歳半頃に口頭気管支炎のために2回入院をした時は本当に大変でした。
 38℃以上の熱が出たときの対処法ですが、首の両サイド・わきの下・足のつけ根の太い動脈の部位を冷却シートや氷のうなどで冷やすのが基本だそうです。おでこを冷やしても熱は下がらないようですよ。あと、発熱時のホームケアとして、体温があがり始めているときは手足が冷たかったり体が震えたりするので、そういう時は手袋や靴下を履かせ保温する。体温があがりきったときに薄着にし、頭や首、わき、股の付け根を冷やすと良いそうです。これは皆さん子どもの様子を観察すれば分かることなので、すでにそのようにしていることでしょう!


切り傷の手当ての方法も私のやり方は違っていました。すり傷や切り傷はまず水で傷口を洗い「清潔」にする→清潔なガーゼで圧迫するようにし止血→ガーゼや絆創膏で保護。注意:消毒薬は傷の治りを悪くすることがあるため基本的に使用しない。 「えっ~!すぐに消毒じゃないの?」すぐに消毒は昔の常識?びっくりしました。すぐに絆創膏を貼るのも間違いだそうです。すぐに絆創膏を貼ると血が次から次へと出て傷が乾かないので治りが遅いみたいです。正しいと思っていたことが間違っていたなんて・・・。ショック!


やけどをしたら服を着せたまま冷たいシャワーで冷やします。これは昔と同じでした。赤ちゃんは低体温になりやすいそうです。必要な時は救急車を呼んでくださいというお話でした。ちなみに冷却シートは皮膚の奥まで冷やせないのでNGだそうですよ。あとNGなのはアロエをぬるとか味噌をぬるとか民間療法は雑菌の問題がありダメみたいです。気をつけましょう!私も子どもが手をやけどした時など、冷やすのが難しいなと思ったことを思い出しました。

お母さんって本当に大変ですよね。いろんなことを一挙に引き受けなければいけないことも多いですよね。私も自分でよくやってきたな~と関心しています。(笑、笑)


こんなとき、どうしたらいいのかしら・・・?すぐに病院に連れていった方がいいのかしら?というときに相談できる「こども救急電話相談」があるのをみなさんはご存知だろうか?経験豊富な看護師さんがアドバイスしてくれるそうです。


 
  • 携帯電話・プッシュ回線からは ⇒ 局番なしの #8000
  •   
  • ダイヤル回線・公衆電話からは ⇒ 017-722-1152
  •   
  • 時間:毎日午後7時~翌朝8時まで 相談できます。
  •   
  • 【問合わせ先】青森県健康福祉部医療薬務課 017-734-9287

子どもさんが熱を出し、そのとき利用された方の話ではすごく親切に対応の   仕方を教えてくれたということでしたよ!皆さんもいざというとき、電話相談してみてはいかがでしょう。
  ※利用時間は夜~朝までなのでご注意ください。

「イライラ解消法」  文責:松林恵公子

5月18日(水)に県総合社会教育センターで行われた、「放課後子ども総合プランコーデイネーター等研修」というのに参加しました。学校で放課後に子ども達を預かっている先生向けの研修でした。講師は明治大学文学部 教授 諸富 祥彦 氏。演題は「保護者との信頼関係を築く方法について」です。私自身の仕事にはさほど関係のない講演会でしたが、私にこの情報を教えてくれた先生が「諸富先生の講演、本当におもしろいんです。」このひと言で参加を決めました。諸富氏は日本トランスパーソナル学会会長、日本カウンセリング学会理事、教師を支える会代表、臨床心理士、上級教育カウンセラー、学会認定カウンセラー等している方で、本も多数出版されていて、テレビ出演も数多くされているとか・・。私は初めてでしたが、みなさん知っていますか?

講演は諸富氏の遅刻事件から始まり、本当におもしろいものでした。参加型の講演内容なのですが、コミカルで演劇の稽古でもしているかのように進みました。諸富氏の話し方は身体を使って、情緒豊かで、滑稽なのですが、大事なことは参加者(2人1組)で復唱させたり、確認させたり、参加された方は私も含め笑いっぱなしでした。人気があるのがよく分かります。青森県には学校教育センターに教師向けの研修で15年毎年来ているそうです。青森県の先生達、こんな楽しい研修を受けていたんですね。


さて、前置きが長くなりました。

講演の中で初めて聞いた言葉は

  1. 「リレーション」
    気持ちと気持ちのつながり、心と心の触れ合いのことをいう。相手が誰であれ、みなさんはリレーションを作っていかなくてはいけません。という事を話していました。
  2. 援助希求(えんじょききゅう)
    自ら望んで援助を求める関係、自ら望んで援助を求めやすい関係のことだそうです。抱っこ法では「つながる」でしょうか。


今回紹介したかったのは、講演の中で諸富氏が教えてくれた「イライラ解消法」です。

  1. クッションパンチ
    「クレヨンしんちゃん」のねねちゃんのママみたいにぬいぐるみをパンチする
  2. 印刷ミスの紙をちぎる
    これは子どものケアにも使えるそうです。使わなくなった電話帳や雑誌なんか使えそうですよね
  3. 大きい声で叫ぶ「バカヤロー」
    車の中で30秒でいいので、思いっきり大きい声で叫ぶ「バカヤロー」。一人カラオケもお勧め。
  4. アロマ
    アロマを持ち歩き、イライラしたらトイレに駆け込みアロマをかぐ(においは短時間で気分をかえる)言ってはいけない言葉を言いそうになった時など有効(その場を離れる方法もあり)
  5. 呼吸法
    1,2,3と鼻から息を吸い、口を尖らせ、ゆっくり8かぞえながら息を吐く(ダイエットにも効果あり)

いかがでしょう?イライラしたら、ぜひみなさん試してみてください。
自分にはどれがあっているかしら?自分のイライラは周りの人に影響を及ぼすそうです。
自分のイライラとどう付き合うかが大事だそうですよ。どんな方法でもよいので自分のスイッチを切り替えやすくしておくことは大事ですね。これは仕事でも家庭でも役に立つのではないでしょうか。

実践した方がいましたら、ぜひ連絡ください。こんな方法でやってみましたと、エピソードを教えてください。会報で紹介したいと思います。よろしくお願いします。

~ 今日 ~  愛知の抱っこの会報「しあわせの森」森ひと美さんより

愛知の抱っこの仲間の森ひと美さんの会報「しあわせの森」2016.3.16発行に紹介されていたものを皆さんにご紹介します。
(「Today」作者不明 伊藤比呂美・訳 福音館書店より)

~ 今日 ~

今日、わたしはお皿を洗わなかった
ベッドはぐちゃぐちゃ  浸けといたおむつは  だんだんくさくなってきた
きのうこぼした食べかすが  床の上からわたしを見ている
窓ガラスはよごれすぎてアートみたい  雨が降るまでこのままだとおもう

人に見られたら  なんていわれるか
ひどいねえとか、だらしないとか  今日一日、何をしてたの?とか

わたしは、この子が眠るまで、おっぱいをやっていた
わたしは、この子が泣きやむまで、ずっとだっこしていた
わたしは、この子とかくれんぼした
わたしは、この子のためにおもちゃを鳴らした、それはきゅうっと鳴った
わたしは、ぶらんこをゆすり、歌をうたった
わたしは、この子に、していいこととわるいことを、教えた

ほんとにいったい一日何をしていたのかな

たいしたことはしなかったね、たぶん、それはほんと

でもこう考えれば、いいんじゃない?

今日一日、わたしは
澄んだ目をした、髪のふわふわな、この子のために
すごく大切なことをしていたんだって

そしてもし、そっちのほうがほんとなら、
わたしはちゃーんとやったわけだ

訳者の伊藤比呂美さんの友人が、10年前にニュージーランドの子育て支援施設の壁に貼ってあったこの詩を見つけ、書き写して持ち帰り伊藤さんに訳すように頼んだのだそうです。それがネットで紹介されると、いつのまにかネット上の疲れた母たちの底力に支えられて、巷に流布されていきました。 この詩が詠っているとおり、そう、世のお母さんたちは「ちゃーんとやっているわけです」


私はこの詩を読んで泣けて仕方ありませんでした。私も同じでした。長男を産んでから、毎日あ~、今日も何にもしないで一日が終わったな~と思って、むなしい気持ちになったのを思い出しました。子どもはかわいいのに・・ちゃんと子どもの世話をしているのに・・なぜ、何もしていない気になっていたのだろう。世の中に取り残されたような、そんなさみしさがそうさせていたのかな・・・?(松林)

「おむつ外し」  文責:松林恵公子

「おむつ外し」と聞くと、上の子の時のことを思い出し胸が痛みます。
 上の子のおむつを外すのには本当に苦労しました。仲佃のアパートに住んでいたとき、隣のおばちゃんに「おむつは夏に外すといいよ」と言われて、そういうものなのかと思い、子どもが1歳9ヶ月くらいの時に1回目のおむつ外しに挑戦しました。なんの知識もないまま、とにかくトイレパンツをはかせ、濡れたら取替え、「おしっこが出たら教えるんだよ」と言い聞かせました。初めての子だし、とてもかわいがって育てていました。が、うまくいかず・・・。すぐにおむつが外れるものだと思っていた私はイライラがつのり、子どもに「なんでおしっこ教えないの?」と大声をあげることもたびたびでした。それでも「おしっこがでた」と教えることはなく、夏がすぎ秋になり寒くなってきたのでいったん止めました。子どもが悪いわけではないのに・・。今思うと、この時子どもを傷つけてしまったと本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになります。この頃の私は鬼のような怖い顔つきをしていたと思います。

二十三年前は今みたいに携帯やスマホもありませんから友達と気楽に話せるわけもなく、車も旦那が会社に乗っていってしまえば自分は自転車か歩きだし、どこかに気晴らしに出かけるとか、自分の好きな音楽を聞くとかそういう時間もないし、毎日の子育てで頭がいっぱいで全く心に余裕がありませんでした。実家の母に聞いても「どうしていたか忘れた」と言われ、姉は子どもがいないのでそういう話しも出来ず、その頃まだママ友もいませんでしたから本当に孤独でした。長男のおむつ外しは1年後に再挑戦し、数ヶ月かけて外したように記憶しています。

2015年10月19日の朝日新聞の【子育て】という月曜掲載の記事の中に『おむつ外し、子どもに合わせて』1990年の平均 2歳4ヶ月→07年 3歳4ヶ月 練習、尿意わかってから と大きい見出しがついていました。一部紹介します。

『おむつ外し、子どもに合わせて』1990年の平均 2歳4ヶ月→07年 3歳4ヶ月 練習、尿意わかってから

(中略)子どもの年齢ではなく ①歩ける ②言葉をある程度理解し、数語は話せる ③おしっこの間隔が1時間半~2時間ほど空くの3つがそろっていることが尿意を感じられる目安になるという。3条件を満たしたら子どもをおまるやトイレに誘ってみよう。おむつ替えからずい分経つのにおむつがぬれていない時が良い。夢中で遊んでいる時はさけるようにする。ただ、おむつが外れるまでは、失敗を繰り返すのが普通だ。叱らず、成功したらほめよう。イライラして子どもにきつく接してしまうなら、いったん休んで、おむつに戻してもいい。(朝日新聞より一部抜粋)
と載っていました。これから子どものおむつを外そうと思っている方は参考にしてみてください。


小笠原美知子さん講演「いい子でいいの?~子育てで大切にしたいこと~」

11月9日(月)にファミリーサポートセンター主催のきらきら塾というのがあり、講座を聞きにいきました。講師は小笠原美知子さん。「いい子でいいの?~子育てで大切にしたいこと~」という演題でした。小笠原さんは県の保育カウンセラー、小中のスクールカウンセラー、大学生のカウンリングもしているというお話しでした。「最近の学校現場で感じること」ということで、小笠原さんが最近感じていることをワークも交えてお話してくれました。そのお話しの中で私が気になったことと心に残ったものをお伝えしたいと思います。

私が気になったことは、「0か100かの考え方をする子どもが増えた」というのです。難しそうと思ったら、最初から取り組もうとしない、あきらめてしまう子どもさんが多くなっているそうです。そしてそれは低年齢化しているそうです。この現象は褒められる子どもに多いようです。小さい頃から褒められ慣れていて、あるいは褒められすぎていて、失敗したくないという気持ちが強くなってしまったのでしょうね。だから、失敗しそうな自分の苦手なものは最初から取り組まないというのです。そんな子どもさんを持つ親御さんがカウセリングに来た時、小笠原さんは「みんなで失敗しましょう。評価を加えないで、やってみましょう。」というお話しをしたそうです。ポイントはうまくいってもいかなくても、そこまでの「過程(がんばり)」を認めてあげることだそうです。ですから「ほめる」より「認める」というのをやって欲しいというお話しでした。
私は子育て講座の中でよく「ほめる練習をしましょう」といって「自分をみんなに褒めてもらう」というのをやります。先日やったときに、小笠原さんから聞いた話しをしたところ、講座の参加者の中に中学校の教師で今産休中で自分の子どもと参加しましたという方がおりまして、講座が終わってたまたまお話しさせてもらったら、やはり苦手なことを最初から取り組まない子は多くなっているというお話しをされていました。

10月に鳴海明敏さんが七戸町で行った「子育て支援セミナー」の中で、スペイン出身のフットサル日本代表監督ミゲル・ロドリゴ氏が、普通の小学生チームに1週間だけ指導するというNHK BSで放送した『奇跡のレッスン「世界の最強コーチと子どもたち」-フットサル日本代表監督との1週間』の内容を使って、日本語の「ほめる」のイメージと監督のアプローチの仕方の違いをお話ししてくれました。監督は「ほめる」というより「いいところを指摘する」というとらえ方で「そこ、いいね」とよかった行動を「いいね」と言うことで、子どもたちが自信をつけていくというものでした。以前私も映像を見ましたが、1週間でこれほど変わるのか・・と思うほど子どもたちの成長がみられました。ここにも子育てのヒントがありそうですね。

そして、小笠原さんのお話しの中で心に残ったことは、『子どもの問題行動に見えることはその子の「課題」ととらえる』というお話しです。多くの子どもが人間関係に悩んでいる。女の子グループのトラブルは小学5~6年に多いとか中学生は部活での人間関係に悩むようになるとか、知識として知っているし自分自身も経験はあるけれど、いざ自分の子どもの問題となるとなぜか親は我が事のように考え、そこをなんとかしてやりたいと思うものです。でも「悩む力」は大切。練習だと思って「しっかり悩もう」。子どもの心が育っていると思って、かかえながらやっていくにはどうしたらよいかを一緒に考えよう。問題は次の段階の課題と見た方がプラスに見えてくる。といった話しをされました。その考えとても素敵です。私も賛成です。小笠原さんのお話しはわかりやすく、あっという間に時間が過ぎました。機会があれば皆さんも小笠原美知子さんのお話し聞いてみてくださいね。


「子どもはみんな問題児」  文責:松林恵公子

子どもはみんな問題児

【本の紹介】
「子どもはみんな問題児」
著者は中川李枝子(りえこ)/出版:新潮社

長野県塩尻市に住む抱っこの仲間、小林夕香さんの会報(№193 H27.4.20発行)に紹介されていた本「子どもはみんな問題児」を買って読んでみました。著者は中川李(り)枝子(えこ)さん。本の帯には「ぐりとぐら」の生みの親が贈る心がほぐれる45のメッセージ!とあり、焦らないで、悩まないで、だいじょうぶ。子どもは子どもらしいのがいちばんよと書いてありました。読み易く、とてもすてきなメッセージがたくさん書いてありました。今日はこの本を紹介したいと思います。

見出しを読んだだけでも、どんなことが書いてあるのか興味津々になりました。いやいやえんのキャラクターやぐりとぐらのさし絵がありわくわくします。中川さんは東京都世田谷区にあった「みどり保育園」の主任保母を17年間お勤めしていたということで、その時の子どもたちの様子や中川さんが子どもたちから受け取ったメッセージがたくさん書かれています。その中の文を少し紹介したいと思います。


はじめに(P6)
 子どもへの最高の褒め言葉は、「子どもらしい子ね」ではないでしょうか。 「よい子」でも「賢い子」でも「聞き分けのいい子」でもない、「子どもらしい 子ども」。
では「子どもらしい子ども」とは、どんな子どもなのでしょう。
子どもらしい子は全身エネルギーのかたまりで、ねとねと、べたべたしたあつ い両手両足で好きな人に飛びつき、からみつき、ほっぺたをくっつけて抱きつき ます。
大人からすれば「ちょっと待って!」と言いたくなるときでも、子どもらしい 子に「待った!」のひまはありません。

この子どもらしい子という言葉が私は好きです。子どもの可能性みたいものがつまったこの言葉。抱っこの会に来てくださる親子さんの中にはまさしくこの言葉がぴったりな子どもらしい子が来ます。いかにママに「この子はとてもすてきなものを持っているんだよ」とどういう伝え方をしたらよいかとか、どう伝えたら納得してもらえるのか・・・といつも考えながら抱っこのセッションをしています。たぶん私だけではなく抱っこの仲間は皆同じではないでしょうか?私も中川さんの気持ちよく分かる~!と思いながら読み進めました。

(P7) いつだって自分がこの世で一番と自信を持っていますが、それだけに自分より 小さい子にはとても寛大で、大人が何も言わなくとも小さい子を守ろうという優 しさを持ち合わせています。
面白いおはなしが大好きで、時にはチャッカリと、大人でも信じてしまうほど の作り話を披露することもあります。
子どもらしい子は、ひとりひとり個性がはっきりしていて、自分丸出しで 堂々と毎日を生きています。
それで大人から見ると、世間の予想をはみ出す問題児かもしれません。 だからこそ、かわいいのです。・・・・と続いていきます。

この本を読んで、私が「そうなんだ~!」と思った箇所を紹介します。
それはp21の「お母さんのお腹には切った跡がある」って、それが自慢なのよ」です。

「お母さんのお腹には切った跡がある」って、それが自慢なのよ
子どもの「お母さん自慢」には限りがありません。何でも自慢のタネなのです。
「わたし、帝王切開で生まれたの」って、それだって立派な自慢です。
するとそれを聞いた子が「うちのママは盲腸切ってる」と自慢する。
もっとすごいというわけです。
一番すごかったのは、盲腸も切っているし胆石もとっている、そのうえ帝王切開 をしたお母さん。もうそのYちゃんの話になるとみんな負けちゃう。でも嬉し いのです。その話が大好きでわくわくしちゃう。何べんでも聞きたがる。 Yちゃんはお風呂に入るたびにお母さんの三つの傷跡を眺めていたんでしょう。 触って感心もしたのでしょう。大きくなって女医さんになりました。
お母さんの傷を見て、話を聞いて、友達に自慢した子がお医者さんになる。
だから私は、どこのおうちでも気がつかなくても早期教育をしているのよって言っています。
 私がYちゃんに最期をみてもらいたいって言ったらね、冷ややかに「先生、悪い けど私は老人医療はやりません」って。産婦人科で命の誕生に関わりたいですって。

目からウロコです。子どもってすごいな~と思いませんか?「お母さんのお腹には切った跡がある」って、それが自慢なの?びっくりです。帝王切開を悔やんでいるママがいたら、こんなすてきな話がありますよって教えてあげたくなりました。17年間保育士をしていた中川さんが子ども達の成長をちゃんと見ているからこそ書ける内容ですよね。

心を傷つけたら、すぐ手当てをしてほしい(P77)
大人には取るに足りないようなつまらないことでも、子どもの心は傷つきます もし傷つけたらすぐに手当てをしてください。心の傷の回復は、肉体の傷よりも やっかいで難しいのですから。
 心の傷には、優しい愛のひとことを。
 子どもを見ていて、「あっ、対応を間違えたか」と気付いたときは、必死でその 子の心を立て直すことに努めたつもりですが、はたして私にはどの程度できた でしょうか。
「こんどの日曜日にママと三軒茶屋に遊びに行くの」と一週間毎日、嬉しそうに 教えてくれる女の子がいました。月曜日にどうだった、と聞くと、ママが忙しく て行かれなかったというのです。
 私の方ががっかりして、ぷーっとふくれたら、女の子は慌ててママをかばい はじめました。本当は私よりももっとがっかりしたでしょうに。
 ママを必死でかばったときの女の子のけなげさを、今も忘れられません。
 子どもを見ていると、ふっと「私もこの子と同じだった」という気持ちに なります。
 そして「いいや、この子のほうが私よりずっと上出来 ではないか。前途有望」と思い直します。
 実際に、保育園で鼻をたらしておしめをしていた子が いまはほれぼれするほど立派な社会人になっているのですから。
 どの子もみな私を追い越してくれました。

中川さんはほんとうに素敵な先生だったのですね。 私は親子さんに関わるとき、つい子どもの気持ちに入り込みすぎることがあります。子どもの傷ついたであろう気持ちに反応しすぎるのでしょう。それはまさしく私自身の子ども心だったりします。
自分の子育てがどうだったかというと、子どもの気持ちのフォローが本当に下手くそでした。今考えるとお兄ちゃんが不登校になってしまったのも私のせい?と思うほどです。「分かっているだろう」「しかたないだろう」などと言わずに自分の気持ちも含めちゃんと言葉で表現しきちんと伝えていたら、もっと違った子育てが出来たのではないかと後悔します。
小さい頃に出来なったことを今24歳になる息子に心をこめてしています。
いつからでもやり直しはきくと私は思っています。

~その2:子どもの心に届く、お母さんの「ひと言」~  文責:松林恵公子

PHPのびのび子育て2015年2月号のP30~37に我々の仲間である萩原(はぎはら)光(こう)さんが書いたものが載っています。それを少し紹介したいと思います。実は萩原光さんからの今年の年賀状に「PHPのびのび子育て2015年2月号のP30~37に記事が載ります。読んでください。」とあったので、さっそく本屋さんへ行き雑誌を予約したのでした。



・・・“ガミガミ脱出”【場面別】・・・子どもの心に届く お母さんの「ひと言」

 子育ては、子どものわがままやグズグズとの戦いの連続。ガミガミと言いたくないけれど、お母さんも悩みますね。場面別に子どものキモチに応え、心に届くお母さんの「ひと言」をご紹介します。
 P30→ガミガミ脱出のための最大のポイントは、こどもと“勝負”すべき時に逃げないことです。ここぞという時に“勝負”できると、子どもの落ち着きが早くなり、親子が笑顔で過ごせる時間も増えていきます。ところが“勝負”を避けてしまうと、いつまでも子どもに振り回され、ガミガミいい続けるしかなくなってしまうのです。“勝負どき”を見極めるには、まず「認めてよいわがまま、グズグズ」と「認めてはいけないわがまま、グズグズ」を区別すること。子どもの行動にすべてチェックを入れては、子どもだってイヤになってしまいます。 わがまま、グズグズへの対処の基本がわかると、自然にガミガミが減っていくはずですよ。
 ということで、P32から子どもがわがままやグズグズをいう時の具体的なお母さんの悩みが書いてあり、その時の子どもの気持ちとお母さんの対応のポイントがそこに書いてあります。 Case1~10までありますが、どれもこんな場面あるあるとうなずける感じで、お母さんの対応も分かりやすく書いてあります。


    ガミガミ脱出5つのまとめ(P37)
  1. わがまま、グズグズで、自己表現の力が伸びます。
  2. ダダこね、泣きべそは、大事なストレス発散法です。
  3. 「グチは聞くから、がんばろう」と、体でも応援しましょう。
  4. 売られたケンカは、買ってあげましょう。
  5. ママ自身のグチも我慢しなくていいのです。

それでもガミガミが止まらないママへ・・・ママも“ダダこね上手”になりましょう

以上 紹介終わり


 さすが、萩原光さん、とても分かりやすい内容で書かれていると思いました。絵がたくさん描いてあり見やすいので困ったときに何回でも読みかえして、自分の気持ちや子どもの気持ちを確かめながら、対応していったら良いと思いました。誰だっていつもガミガミ言いたくありませんよね。ガミガミ言う自分が悪いと思うお母さんだっています。でも別にお母さんが悪いわけでも、わがままやグズグズ言う子どもが悪いわけでもありません。子どもの成長だと思い、その時々で上手に対応して乗り越えていけば良いと思うのです。
 興味のある方はバックナンバーで注文出来るので読んでみてはいかがでしょう。

~その1:「叱られる力」~  文責:松林恵公子

PHPのびのび子育ての特別増刊号(2001年1月号)とPHPのびのび子育て(2015年2月)の2冊の雑誌を読んでみましたが・・・、ではどんな叱り方がいいの?となると、「いっぱい方法がありすぎて、ますますわかんなくなったわ・・・」って感じです。子どものタイプによっても叱り方は随分違うように思えるし・・・。「叱る」ってどういうことだろう?と考えた時に「親が子どもをどう導くか。そのためにどう伝えるか。」ということなのではないかと思いました。子どもの性格はそれぞれですし、お母さんが自分にあったやり方を見つけるのが一番のやり方って事になりますよね。その時に親も子もお互いの信頼関係が不可欠だと思いました。
そして、親は子どもを自分の所有物や道具のように考えるのではなく、子どもを一人の人であると思えばおのずと答えは出てくるのではないでしょうか? 親は、子どもに「ちゃんとやれるようになって欲しい」とか「ちゃんと話をきける子になって欲しい」など、『子どもをちゃんと育てたい』という大切な欲求があるんだよね・・・と思いながら私は雑誌を読みました。
 PHPのびのび子育て2015年2月号の中で『子どもの将来は「叱られる力」で決まる!』(P44~)という見出しが目に留まりました。まずはそれを紹介したいと思います。
 佐藤愼二(しんじ)さんという方が書いたものでした。佐藤さんは千葉県内の特別支援学校などで23年間の勤務をされて現在は植草学園短期大学福祉学科教授をされているようです。全国で講演活動などをしていると書いてありました。
 なるほどなぁと思ったのは「ほめて育てる」のは大切なこと。一方で、幼児期は「叱られる力」を育てるのにも絶好な時期なのです。叱られることをプラスにできる、しなやかで強い子に育てる方法を探ります。(P44)と書いてありました。日々学生と接する中で「今の若い子たちは打たれ弱くなったな」と感じることが多くなりました。とあり、その通りだと私も感じていたので「叱られる力」という言葉が私自身に響いたのかな?と思いました。
 「叱る」と「ほめる」をセットにする(P45)とあり、適切に叱られた経験が乏しい子は大人になっても心が弱く、人間関係をうまく結べない傾向があります。感情任せに「怒る」のは論外。ですが、叱られることで社会の規範を学び、キレずに自分をコントロールする術(すべ)を身につけていくのです。と書かれていました。
 次のページからそのポイントが書かれています。「2つのSTEPで、叱られたことをバネにできる子に育つ」(P46)→叱られたことをバネにする力を育てるには、「子どもへの日常的な心がけ」と「叱った後のフォロー」が大切です。とあり、やはり子どもとの信頼関係をしっかり作っておくこと、子どもの自信を育てていく関わりが大切であることが書かれていました。しっかり親子がつながっていることはとても大事だと思いました。それが基盤にないと「叱る」ことは親にとっても怖いし、子どもにとっても「叱られた=嫌われた」になってしまうのでしょうね。




STEP1《日常的の心がけ篇》

  1. 子どものやったことを、そのまま言葉で返す→例えば「大きなお山つくったね~」「○○ができるんだね」など、そのまま素直に言葉にして声掛けすると「ママはぼくを見てくれている!」「大切にされている」と見守られている手応えを掴み、信頼感を深めるようになります。
  2. 毎日簡単な「お手伝い」を頼み、お礼をいう。→「自分は役にたっている!」と自信が育まれます。
  3. 短時間でも、一緒に遊ぶ→のんびりまったりタイムで、心が安定します。

STEP2《叱った後のフォロー篇》

叱りっぱなしでは、せっかくの躾も逆効果。必ず、アフターフォローもセットで行ってください。

  1. リハーサルしよう」で、正しいやり方を教える
    →子どもの側からは“叱られた理由がまったくわからない”場合もあります。その時は必ず、「今度からはこうしようね」と丁寧に正しいやり方を教えましょう。そして、その方法を「リハーサルしてみよう」で、もう一度トライさせて。できたら、「上手!よくできたね!」とほめましょう。最後は必ず“ほめる”行為で終わるのが鉄則です。
  2. 叱ったことと、まったく違うことをする
    →叱られたほうも叱ったほうも、ともに気まずい思いを多少ひきずるもの。そんな気まずさが残る場合は、全然違うことをしてパッと場の雰囲気を切り替えましょう。例えば軽いお手伝いを頼み、やってくれたら「ありがとう!」と感謝するのも手。雰囲気のスイッチを上手に切り替えてください。
  3. 「本当はこうしたかったんだね」と受け止める
    →叱られると、子どもは傷ついてへこみます。その時は「本当はこうしようとしていたんだよね」と、“ママはわかっているよ”というメッセージを伝えましょう。同時にぎゅーっと抱きしめてスキンシップをはかると効果的。「受け止められている」安心感から、子どもは自ら心をなだめていきます。

いかがですか?みなさんは子どもを叱ったときの対応できていますか?
私は子どもの頃はこんな対応を母にしてもらった記憶がありません。ですから自分の子どもに出来て いたか自信がありません。「叱った後のフォロー」は、私ももっと早くに知りたかったですね。(笑い)「叱る」ことが悪い事と思ってしまうと大事な時に子どもを避けたり、イライラをためて怒らなくてよい時に怒ってしまったり、で自己嫌悪。なんて事にもなりかねませんね。子どもの「叱られる力」を養い、柳のようにしなやかな心を育てると思えば、「叱る」ことも悪くはないのでは? 今子育てしているママたちに参考にして欲しいと思います。

[子どもの叱り方6か条]って何?  文責:松林恵公子

世間ではよく親の愛情を持って叱ると気持ちはちゃんと伝わるとかいいますが、私は親から怒られた時、親の愛情を感じた記憶がない。だから自分が子育てをする時「叱る」と「怒る」の違いが分からなかった。私の父は怒るととにかく怖いし、母は感情的に怒るので何を怒られたのかわけが分からないことが多かったように記憶している。悪いことをして叱られたこともあったと思うが、それよりも感情的に怒られて怖かった思いが残ってしまった感じである。こんな子ども時代を過ごしたので自分の子どもを育てるとき、いつ、どうやって怒ったらよいのか迷った。長男が3歳くらいの時、「叱らない子育て」というお話しを聞き、「叱らなくても子どもは話が分かるから叱る必要がない」というような内容だったと思うが、私は“そうなんだ、叱らないのが良い子育てなんだ”という思い込みと自分の子ども時代のような思いをさせてはいけないと思い、怒りたくてもひたすら我慢し、イライラする毎日を送っていた。自分の怒りが爆発しそうになると子どもを傷つける言葉を言いそうでトイレに立てこもったこともあった。あれから何年経っただろうか。あの頃は何も知らなかったなあ~と反省。長男が不登校になり、必死でいろんなことを勉強し、私も長男も元気になった頃 長男に「ちゃんと叱って欲しかった。友達がお母さんに叱られるのがうらやましかった。」って言われてガーン! ショックだった。何日も立ち直れなかった。長男は叱ってもらうことで愛情を確かめたかったのである。どうりで叱られるようなことばかりしていた時期があったなあ~と今さら思う。そんな息子も24歳、今では私を応援してくれる良き理解者である。


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抱っこ法を勉強して、泣いてもいいんだ、怒ってもいいんだと思えるようになり楽になったのですが、 「叱る」と「怒る」は違うなあ~と感じていて、みなさんから相談を受ける事も多くなってきた「叱る」について今回は考えたいと思います。   知り合いの先生が今年度の全国家庭教育支援研究協議会なるものに参加してきたというので資料を見せてもらいました。その中に愛媛県大洲市の大洲子育てサポートそよ風が発行している「そよ風通信№65」に“子どもの叱り方6か条!”というのがありました。それを紹介しますね。 「そよ風通信№65」  「ほめる子育て」の大切さがよく言われていますが、それと同じくらい「叱るべき時にきちんと叱る」ということは大切なことです。(中略)叱られた子どもが『本当に悪かった。こんどから気をつけよう。』と心から思うような叱り方はどうすればいいのでしょう。そのポイントを挙げてみましょう。


《子どもの叱り方6か条》
第1か条 子どもの言い分をしっかり聞く・・・頭ごなしに叱らない。まずは冷静に子どもの話を聞きましょう
第2か条 あっさり、はっきり叱る・・・くどくど繰り返さない。なぜいけないのか理由を伝える。子ども自身の言葉で、なぜいけなかったのか、これからどうするのかを語らせるのも大事
第3か条 注意すべき行動に対してのみ叱る。その子どもの人格を否定したり突き放してしまったりするような言葉を使わない・・・「生まれてこなければよかったのに・・」「出て行け」「もう知らない!!」「勝手にすれば・・・」などは、子どもの心を傷つけるだけです。
第4か条 誰かと比べて叱らない・・・兄弟や周りの子と比べて叱っていると「どうせ私なんか」とひがみっぽくなったり、比べられた子どもに対して悪い感情を持つことがあります。
第5か条 叱るタイミングや場所を考える・・・時間が経ち過ぎるとピーンとこないことがあります。その場をとらえて叱るのが効果的です。ただし、子どもにも自尊心があります。人前で叱って恥をかかさないよう、場所を選ぶ配慮が必要です。
第6か条 叱った後のフォロー・気持ちの切り替えが大切・・・両親や祖父母などが一緒になって叱ると、子どもの逃げ場がなくなります。役割分担をして、誰かがフォローにまわりましょう。また叱った後はいつまでも引きずらないで、気持ちを切り替えて普通に接してあげること。そして、行動の改善が見られたら、きちんとほめてあげましょう!

愛情をもって本気で叱る! これが基本です。


「叱り方」って難しいと私も思います。  子どもの年齢によっても叱り方は変わりますよね。親も1回1回が練習だと思って対応したら良いと思います。完璧には誰も出来なのですから。  第1~6か条を読んでみて、私が個人的に苦手だな~と思ったのは第6か条の中の気持ちの切り替えです。なるべく怒らないようにと思っても怒ってしまった後は気まずくてどうしたらよいものなのか・・・と自分の気持ちの整理がつかずに引きずっておりました。子どもとも旦那とも気まずくなってしまったこともありました。何に怒ったのかもう忘れてしまっていますが感情的に怒っているのでそうなってしまっていたのだと思います。子どもを導くために叱るのとは違っていたのでしょうね。きっと。  次回は雑誌PHPのびのび子育ての特別増刊号(2011年1月)とPHPのびのび子育て2015年2月に載っている記事を読んで、「子どもを伸ばす叱り方」「叱られる力」というテーマでもう一度書きたいと思います。お楽しみに!

「子どももママも輝く笑顔になる 金のママ語」  文責:松林恵公子

金のママ語

【本の紹介】
「子どももママも輝く笑顔になる
金のママ語」
著:山崎 洋実
出版:永岡書店
定価:本体1,000円+税

みなさんは山崎洋実さんをご存知でしょうか?
 全国でママに向けて「ママイキ」と呼ばれるコーチング講座を行っている方です。今年、青森市でも「ママイキ」講座が行われていましたね。
 9月6日(土)にアピオあおもりで、子育て広場講座で『ひろっしゅコーチの「心が軽くなる ハッピーコミュニケーション』という演題で山崎洋実さんが講座を行うということを知り、私も講座を受けに行ってきました。山崎さんはママ達からの評判がとても良く、多くの方が参加されていました。
 講座の内容はワークを入れながら、人との関わり、自分との関わり、そして子どもとの関わり方や自分のモチベーションの持ち方などを話されました。分かりやすく楽しい時間であっという間の2時間でした。
 その中でおもしろいな~と思ったのは、山崎さんが聞いたインドのお話でした。
 日本人は「人に迷惑をかけちゃいけない」っていうふうに教えられて育ってきた人が多いと思うんだけど、インドでは違うんだよ。例えば、お母さんが赤ちゃんを連れてレストランに入ったとします。日本では、赤ちゃんがうるさくしないように、周りの迷惑にならないようにと気を遣ったりしますよね。ところがインドでは違うんです。インドでは赤ちゃんを抱っこしたお母さんがレストランに入ると、隣のおじさんが赤ちゃんを抱っこして見ててくれて、隣のおじさんのところに頼んだメニューがくると、別の食べ終わった人が赤ちゃんを抱っこしていてくれる。というふうにしてお母さんが食事を終えるまで、レストランの中で赤ちゃんがかわるがわるいろいろな人に抱っこされるのだそうです。これは「あなたが大きくなれたのはいろいろな場所でいろいろな迷惑をかけたときに、『いいよ、いいよ』ってみんなから許してもらったからなんだよ」「だから今度はあなたが誰かを許してあげなさい」といわれて育つからなんですって。(「子どももママも輝く笑顔になる 金のママ語」の
p88~89に載っています。)とっても素敵だなって思いました。
 「人に迷惑をかけても大丈夫なんだ」とか「子育てする時は人に迷惑をかけるはあたりまえ」なんて、私達日本人も思えて、そんな人の親切を受け入れれるようになったら、子育てがとっても楽になるだろうな~と思いました。ちなみに山崎さんは「ここにいるみんなも明日からインド人になりましょう!」って言ってましたよ。(笑い)


2014年6月10日に山崎洋実さんが発行した最新版の著書が「子どももママも輝く笑顔になる 金のママ語」をご紹介しますね。永岡書店から1,000円+税で発行になっています。マンガ入りで読み易く、何度でも読みたくなる本です。今回の講座の内容もこの本の中に書いてあるものが中心でした。講座に参加してから読んだので、とても分かりやすかったです。興味のある方は、ぜひ読んでみてください。

「感謝の授業」ドリームメーカーたちがくれた贈り物  文責:松林恵公子

「感謝の授業」ドリームメーカーたちがくれた贈り物

【本の紹介】
「感謝の授業」
~ドリームメーカーたちがくれた贈り物~
著:腰塚 勇人
出版:PHP研修所
定価:本体1,200円(税別)

私の友人が、『腰塚勇人さんの「命の授業」という講座を聞いて久しぶりにいい話を聞いたと思った』 と話しておりました。本を買ってきたというので読ませてもらいました。それがこの本です。

腰塚勇人さんがスキーで転倒し脊髄損傷で首から下が全く動かず、呼吸すら自分の意思では出来ない状態になり、そこから「奇跡の復活」をはたすまでの気持ちや自分を支えてくれたドリームメーカーの皆さんとの様子が書かれています。

ドリームメーカーとは?:腰塚さんは本の中で、「誰かのありのままの存在を認め、思いやり、寄り添って生きる人を私はドリームメーカーと呼びたいと思います。」と書いてありました。

中学校の体育教師である腰塚さんが4ヶ月で学校に復帰したのはご本人の努力と家族や周りの方の支えがあったからこそ。絶望や苦痛や不安と戦いながら、人に「助けて」と言えるようになった自分を見つめ、感謝の気持ちを皆に伝えたいということで書かれた一冊です。私も感動しました。ぜひ読んでみてくだい。

小学校に入るまでにできてほしいこと  文責:松林恵公子

 昨年の6月だったと思います。アピオあおもりで行われた横山浩之氏の講演を聞きにいきました。
演題は「学童期の《気になる子》への対応~支援者として知っておきたいこと~」です。横山氏は山形大学医学部看護学科の教授です。午前に保護者向けの講座があったので申込みをしたら、いっぱいで断られました。支援者向けなら大丈夫という事で午後の支援者向けの講座を受けました。
 講座の中で、どの方に使っていただいても構わないという資料をいただきました。これから小学校に入る子どもさんはもちろんですが、普通に私達母親が「子どものしつけ」という観点で使えるな~と思いましたので、その資料を紹介しながら横山氏のお話を一部ご紹介したいと思います。
横山氏のくださった資料の部分を黒字で表記します。横山氏から伺ったお話をピンクで表記します。
みなさんの今後の子育ての参考になれば幸いです。

 

資料:小学校の校長先生たちといっしょにつくりました

「小学校に入るまでにできてほしいこと」 山形大学医学部看護学科
教授 横山 浩之

保護者が手本になりましょう

  1. 早寝・早起き・朝ごはん
    • 早寝:小学校低学年なら9時前(高学年でも9時半)
    • 早起き:起こさなくても6時には起きてくる 睡眠障害がある場合は出来ない
    • 朝ごはん:「おなかすいた」と起きてくる子供が決まった時間に朝ごはんを食べていない場合は親の責任
      ⇒ 朝ごはんを食べさせるのは親の仕事
      「子どもが時間で何かする」は出来ない
      ※休みの日こそ大切:休みの日に狂うと、週明けの学校で勉強に身がはいりません
  2. お手伝い
    • 自分から進んで、お手伝いができる
    • 自分のことは、自分でやる習慣がついている
    • 家庭の中で、自分の役割分担がわかる
      ※お手伝いは1歳半でやり始められる「言ってもやらないのは危険信号」 お手伝いが出来ない子は学習が出来ない どこが出来てないかチェックしてみる 出来ている所を教える ほめる
  3. しつけの3原則
    • 1.へんじ目を見て「はい。」と言える 2.あいさつ(ありがとう、ごめんなさいも含む)
      3.くつをそろえてぬぐ(整理整頓の第一歩)
      ※ この3つを「言われなくてもできる」まで教え続けましょう
  4. メディアとのつきあい方
    • 2歳までのテレビ・ビデオ視聴は害毒
    • 授乳中、食事中のテレビ・ビデオ視聴は禁止(食事を大切にしない家庭は崩壊まっしぐら)
    • すべてのメディアへ接触する総時間を制限 ゲームは1日30分まで
    • 子ども部屋には、テレビ、ビデオ、パーソナルコンピューターを置かない
    • 自然に親しむ・土に触れる遊びを親子で楽しみましょう ○ eriksonによる発達心理学より⇒・発達は一定の順序に従う(・立つ前に座り、話す前に片言をいい、独立できる前に他人に依存する)・発達は連続であるが等速ではない 段階的である (時期によって、急に変化したり、ゆっくり変化したりする) ○ 1.早寝・早起き・朝ごはん~4.メディアとのつきあい方は1歳のうちに習得出来る・・・出来ないのは親が教えていないからである ○ 知的水準で2歳であれば、ここまで述べてきたことは、十分に教えられる。⇒できないようなら学習は望めない ○ 重度の知的障害のお子さんの場合は、知的水準に応じて教えていく ○ たとえ言葉がなくても、身振り手振り(ジェスチャア)でできればOK!
  5. 学習が進むために
    • 正しいおはしの持ち方を教えましょう
    • 毎日、子どもの勉強をみてあげましょう・・・教育産業は、家庭教育のがいちゅう(害虫・外注)
    • 学年×20分(入学前は1日10分でよい)
    • ひらがなの読み:5歳0か月で90%の子どもができる
    • ひらがなの書き:6歳0か月で90%以上の子どもができる

してみせて いってきかせて させてみる」 米沢藩主 上杉鷹山
―― 失敗は成功の母 ――


※ここに述べられている事は「小学校に入るまでにできてほしいこと」です。子どもさんの発達に合わせて進めていかれると良いと思います。他の子どもさんと比べることなく、自分のペースでやっていかれることをお勧めします。「しつけ」のつもりが「虐待」につながらないように心がけましょう。 子育てはママが主導権をしっかり握って進めていくのが、子どももママも楽なんです。子どものいいなりになってしまうと後で大変な思いをします。そうならないためにも子どもが小さい頃から、気持ちは聴くけど、こうしましょうね~!とヤダヤダをいっぱいしてもらいながらやるべきことを子供にやってもらうのが良いでしょう! 尚、「小学校に入るまでにできてほしいこと」の資料(黒字の部分のみ)が欲しい方はお分けしますので、お知らせください。(松林)

「僕達は~!あなたがたの子供でよかった~!」  文責:松林恵公子

平成26年3月1日は青森県内ほとんどの公立高校の卒業式でした。下の子が卒業なので我が家でも子供のためにと夫婦そろって参加しました。

 

青森東高校の卒業式はとてもシンプルなものでした。卒業生が入場し、1組から生徒の名前を読みあげると生徒は「はい」と返事をして立ち上がり、そしてすぐ座る。クラスの代表者が登壇し卒業証書をもらう。これを1組~7組までやり、次に校長先生の式辞。なんとお話は校長先生お一人。(送辞も答辞も来賓の祝辞もなかったんです。)次に「卒業賛歌」という歌と「校歌」が歌われました。青森東高校の「校歌」がすばらしかったです。在校生と卒業生による合唱が行われ、とても素敵なハーモニィーでうっとり聞き入ってしまいました。次は?と思ったら「閉式の辞、これで第48回卒業証書授与式をおわります。」「卒業生退場」というアナウンス。(えっ?もうこれで終わりなの?なんか淋しい卒業式。あっけないな・・・と思ってしまいました。)「1組退場」とアナウンスされると1組の男の子が「○○先生、ありがとうございました~!」と嗚咽しながら叫ぶと1組の生徒全員が「ありがとございました~!」と担任の先生に頭をさげあいさつし、生徒一人ひとりが担任の先生と握手をし退場していきました。最初は何が起きているのかわからず、何なに?という感じでしたが、次に「7組退場」とアナウンスされるとまた同じように「○○先生ありがとうございました。」と全員があいさつし担任の先生と握手して退場して行きました。

 

「東高校ではここ数年このスタイルで卒業式をしているのよ。」と近くにいた保護者の方が話しているのが聞こえました。後で息子に聞いたらクラスの議長が代表で退場の前に一言叫んで、担任とお別れするのだそうです。「○○先生大好きだ~!」と生徒が叫ぶと「オレも大好きだ~!」と先生が叫び返したり、「懺悔しま~す!」と先生に謝りたい事を叫び「○○先生、~~してごめんなさい」というクラスもありました。その中で感動したのが、「○○先生、ありがとう~!」「お父さん、お母さん、ありがとう~!」「僕達は~!あなたがたの子供でよかった~!」と叫ぶ子がいて、そしたら私の隣の座っていたよそのお父さんが涙をこらえきれなくなったのでしょうネクタイで涙を拭き初めました。参列した親達はその子の言葉にやられました。あちこちでハンカチを取り出し泣いていました。お母さんだけでなくお父さん達もたくさん泣いていました。私は「あら、うれしいね~。こんなすてきな事言われたら泣けちゃうね。」とつい内語(心の言葉)が出てしまいました。隣のよそのお父さんはまだ泣いています。ハンカチかテッシュを渡してあげようかとう思いましたが、その隣には奥さんがいるでしょうからおせっかいは止めました。世のお父さんも捨てたもんじゃないな、"これまで一生懸命我が子をここまで育ててきたんだ"と思え、とても嬉しくなりました。

 

思い返すとうち子も時々「本当に自分はお父さんとお母さんの子で良かったと思うよ」と言ってくれていたのを思い出しました。うちの子は自分の気持ちを素直に話せる子に育ってくれていたんだとしみじみ思いました。
 親は一生懸命子供を育てますよね。その一生懸命さは子供にはちゃんと伝わっていると私は思います。親も子も「ありがとう」「大好き」と言葉で表現できるともっともっと気持ちが分かりあえるようになると思います。その努力をもっともっとしていきたいと思いました。

子育ては、みんなに手伝ってもらっていい  文責:松林恵公子

抱っこの仲間に森ひと美さんという方がいます。愛知県に住んでいらっしゃいます。森さんは毎月「しあわせの森」という通信を発行しています。私はそれが届くのを毎回楽しみにしています。
 第189号(2013.11.4発行)の「しあわせの森」に世界の子育て(イギリス)生物学研究者の小野浩子さんが書いた記事(女性のひろば2013年11月号)が掲載されていました。

 

3年前にイギリスに引っ越した時の出来事⇒娘さん(当時3歳)とイギリスの保育園の様子が書かれたもので、森さんから「とても素敵でしたので紹介します」とありました。残念ながら全部は載せられないので要約すると、娘さんが突然の環境の変化にパニックを起こした時、イギリスの保育園の先生はまず保育園の中に娘さんが「自分だけの場所」を持つことを手助けしてくれたそうです。最初の1ヶ月くらい保育園のトイレで長時間過ごしていたそうですが、その後娘さんが「庭に秘密の隠れ家を見つけたよ」と教えてくれたそうです。先生の保育記録に「庭に自分だけの場所を見つけて長い間そこにいる。そっと覗くと、人形にミルクをあげて世話をしながら、ずっと何か話している。自分の場所にいるとき、M(娘)がずっとconfident(自信を持った)に見える。」さらに先生は園の中に日本コーナーを作ってくれて、ねんね、おみず等生活する上で必要な日本語を壁に貼って覚え使ってくれた。“Ilove you”って日本語でどういうの?と聞かれ、「だいすき」と教えると、「だいすき」と言って、ぎゅっと娘を抱きしめてくれた先生もいた。と書いてありました。イギリスの保育園でまず大切にされていたのは「自分」だそうです。「自分がどうしたいかを知ること」それがあって初めて他者を尊重し、他者とかかわり合うことができるようになるという考えだそうです。その後、娘さんは自分だけの空間から出て、少しずつ友達や先生と遊べるようになっていった。とありました。本当にステキなお話ですね。


この記事を読んで、私自身がこんな育てられ方をしていたなら、自分の子供が不登校のような事態になっても、周りの評価を気にせず、もっとゆったりした気持ちで子供の成長を見守ることが出来たのではないかと思いました。

私の育った環境は全く違っていました。私の母の口癖は「周りの人(村の人)になんて言われるか・・・。」でした。常にそればかり気にしていました。父は生前、お酒を飲むとよく「おれは政治家だ。」と言っていました。村の議員、教育長、助役などをしていた父です。周りの声を気にするのは仕方がなかったと思います。母は嫁としての仕事をするのも大変そうでした。子供心に「父や母に迷惑をかけてはいけない」と思っていました。「私の気持ち聞いて」なんて言う勇気などありません。気付いてももらえません。唯一、私の支えになっていたのは育ててくれた大きいおばあちゃんの存在でした。大きいおばあちゃんはいつも着物にもんぺをはいていました。私が1歳まえだと思うのですが、とても寒い日、私を着物の中にすっぽり入れておんぶしてくれたのです。そのあたたかさといったら格別でした。今でもそのぬくもりを覚えています。いつも辛い時、そのぬくもりを思い出し、辛い事を乗り越えてきたように思っています。

私は長い間、問題をかかえながら子育てしてきましたが、今振り返ればみんな私の育ち直しに繋がっていたように思います。それが分かるようになったら子供に感謝できるようになり、子供が愛おしいくてたまらなくなりました。また、自分の癒しの時間を持つようになったら「自分をもっと大切にしたい」と思うようになりました。

必ずしも親は完璧ではありません。また、親だからと完璧に出来なくてもよいと思うのです。


イギリスの幼稚園の先生の助けを借りて娘さんが問題を乗り越えられたように、私の母が家族の力を借りて子育てしたように、私が息子の不登校を乗り越えるのにいろいろな方に助けていただいたように・・・。 人生はその人に必要なことが起きるのですから・・・。何があっても大丈夫、ちゃんと乗り越えていけます。一人で頑張るのではなく、いろんな人とつながり、助けてもらえば良いのです。

H25.6.26,北沢杏子さんの講演会に参加して  文責:松林恵公子

平成25年6月26日、北沢杏子さん(東京都世田谷区在住)の講演会に参加しました。
北沢さんは「性を語る会」の代表をされていて小学校などで「命の学習会」を数多くされています。五所川原市の小学校へ講演に行くため来青したところ、子育てサポートセンターのメンバーの方がお願いして青森市での講演になったと伺いました。

一番最初に驚いたことは北沢杏子さんが82歳だということでした。お若くて元気があってとてもそういうお年には見えませんでした。私はわくわくしながらお話を伺いました。

 

北沢さんは「性教育は人権教育」であるとおしゃいました。「性」は「いのち」なんです。という言葉にとても感動しました。私達は子ども達に「性」の事をどのように伝えていけば良いのだろうと迷いますが、北沢さんの言葉を借りれば容易に伝えれるのではないかと思えました。

 

今回は「二次性徴のしくみ」について子ども達に講演するような内容でお話してくれたのですが、それがとても分かりやすく、いやらしい感じが全くしませんでした。パネルを使って、男の子と女の子の体が大人になるとどんな所が成長し、どんな変化があるのかや女性の月経のしくみも説明してくださいました。小道具を使い排卵した卵が精子と受精し赤ちゃんになるのよ。とか精子の大きさを実感できるように黒の画用紙に針で小さな穴をあけた手作りの教材を見せてくれたり、出産まじかなお母さん人形を使いどのように出産するのか、医師役・助産師役・夫役を参加者に演じてもらい、劇じたてで分かりやすく説明し、会場からは笑いが起こったりして楽しく学ぶことができました。

 

「命の学習」を子ども達にしているところのDVDをみせてもらうと、女性は一生のうち400個排卵すること、そのうちのたった1個の受精であなたが生まれたのよと子ども達に話すと「自分のいのちを大切にしたいと思います」と話す子ども達もいて本当に心が温まりました。また、知的ハンデイを持つ人への性教育をしているDVDも見せてもらい、こういう伝え方をすれば良いのかというヒントがもらえたように思いとても勉強になりました。

 

実は、23歳の長男がちょうど性教育を受けるはずの時期に全く学校に行っていないので、母親としてはなんとか何かの形で、今さらと言われるとは思うが「性」のことは伝えたいと思っていたのであります。だから、まずは自分が学ぼうと思ったのが今回北沢さんの話を聞きに行きたいと思ったきっかけでした。私は「あかちゃんはこうしてできる」という絵本と「幼児から10代まで 知的障害をもつ子どもの性教育・性の悩み Q&A」北沢杏子著の2冊の本を購入してきました。子ども達に絵本を見せたいな~と思い、機会をうかがっているところです。


 

私が北沢さんの話の中でとても心に残ったものがもう2つあります。

1つ目は「プライベートゾーンについて」・・・男女とも、水着をつけている下の部位(乳房、性器、肛門)は自分の、そして相手の意思に反して触ったり、触らせたり、見せたり、見せられたりしてはいけないところであるということを子ども達が性被害に遭わないために具体的に繰り返し話されるというお話。(「性が語る会」性教育は人権教育 通信 第4号 子どもと話そう 性のこと愛のことのNo.5の記事より一部抜粋して北沢さんが説明されました。)

2つ目は「ブロードマンの脳地図の9番、10番、11番の話」でした。(何の話だろうと思うでしょ?) 子どもの反抗期は第一次反抗期が3歳から、二次反抗期が小学5年頃からですよね。これは大脳の発達と密接に関連しているそうです。ある小学校の5年生に授業をした時に子ども達に「心のことで気になっていることは?」と質問したら「お母さんに反抗してしまう」「家族の僕に対する態度がひどくなった」「友達に悪口を言われむかついた」などの答えが返ってきたそうです。そこで北沢さんは「みんなの年ごろは第2次反抗期。社会に出てからの反抗はトラブルのもとだから、今はトレーニング中と考えて、大いに反抗しなさい。ただし、『クソばばあ』などと怒鳴らないで。こういう理由でお母さんの言う事が納得できないと言葉をたくさん費して、お母さんと話し合おう。」と言うそうです。

 

そして、ドイツの解剖学者が神経細胞の種類、形状で脳を区分し番号をつけた『ブロードマンの脳地図』の話をしたそうです。食欲、睡眠欲、性欲など自分の身を守るために必要な本能は脳がつかさどっていて“古い皮質”というそうです。その周りを“新しい皮質”つまり理性がすっぽり取り囲んでいるそうです。『あいつ、いじめてやろうか』と思った時、君の大脳の新しい皮質9番10番が『やめとけ、やめとけ』と止めるんだよ。で、やめたら、11番が『偉い、偉い』と褒めるので、君の脳は一段と発達するのです。(「性が語る会」性教育は人権教育 通信 第4号 子どもと話そう 性のこと愛のことのNo.8の記事より一部抜粋)

「夫婦ゲンカを目撃した子どもの脳は視覚野(後頭部にある)が傷ついているんです。」と、脳の写真を見せてくれたりして夫婦ゲンカが子どもの虐待に繋がっていることを話されました。だからお父さんとお母さんがケンカを始めたら「私の視覚野が傷つくから外でケンカして」と言ったら良いですよと子ども達に話すんです。とのこと。

 

また、「みなさんも旦那さんとケンカしたら『ブロードマンの脳地図』のことを思い出し『ケンカはだめよ、我慢しなさい』と9番と10番(前頭葉の所にあるそうです)が止めてくれてね、そして11番が「偉かったね~!」と自分を褒めてあげたら良いですね。」と「みなさんもケンカしそうになったら意識してやってみたらいかがでしょう。」といって会場の笑いを誘っていました。

 

北沢杏子さんのお話はとても興味深く、楽しいものでした。時間があっという間にすぎた感じで、もっとお話を聞きたいな~と思いました。

最近、なるほど~!そうだったのか~!と思ったこと  文責:松林恵公子

ある時、「親が育てば子供は育つ ~脳科学が後押しする親学のすすめ~」著:高橋史朗、MOKU出版の本を手にしました。  なにげなく目次を見ると 不登校は予防できる(p62)とあったので、どういうことが書いてあるのだろうと思いそこから読み始めました。12年前、私の長男が不登校だった時期がありましたから何が書いてあるのか興味があったのと、「脳科学」の観点から不登校のことがどのように書かれているのか知りたかったからです。 書かれている事を要約すると次のような内容になります。
不登校の子の脳の状態を調べたら、

  1. 深部体温のリズム異常→普通寝る時は体温が下がるが、不登校の子は深部体温が下がらないため、ぐっすりリラックスして眠れていない状態である。
  2. ホルモン分泌が上手くいっていない。
  3. 睡眠と覚醒のリズムが時差ボケに似た状態になっていた。
というのです。
睡眠異常が長く続くと体内時計が混乱し慢性疲労症候群になっていくと書かれていました。 (幼児期に1日に3回以上目覚める子→重度の睡眠障害の可能性あり。5年後にADHD(注意欠陥多動性障害)と診断される割合が1/4) 時差ぼけ状態は不登校時の長男の行動そのままです。昼夜が逆転してしまい「どうしたら治るのかしら?」とその当時私も随分悩みました。本には「問題は不登校の子は不安と緊張が強い」と書かれていました。そうそうその通り!うちの子のことだ~!みんなそうなんだな~。なんて思いながら読み進めました。学校の対策としては保健室に来た子に2週間の睡眠カレンダーをつけさせる。とにかく休ませること、早く寝かせることが大切ですとあります。長男を弘前大学医学部附属病院の神経内科・精神科に連れて行った時に臨床心理の栗林先生が「昼夜が逆転していてもかまいません。」と言っていました。私はその時は納得していなかったのですが、ようは「昼でも夜でもまずはゆっくり体と心を休ませなさい」という意味だったのですね。

 

本には・メンタルケアが必要なこと・学校への復帰時の手順をプログラム化していくことも大事とありました。本当にその通りだと私も思います。不登校への対応は学校によっても先生によってもかなり違うし、ちょっとした言葉で親が非難されたように感じて傷ついたり・・・本当に大変な思いを私自身してきました。長男は2年間学校に行けなかったので、学校に戻すのにかなり苦労しました。 不登校を社会的な生活に戻すには

  1. 遅れた分の学力の補填
  2. 生活リズムの調整
  3. 友人の中に入ってコミュニケーションが取れること
と書かれていました。
うちは③が一番難しいと思いました。不登校になってから主人の仕事で転勤もありました。環境が変われば学校へ行けるのでは?と期待もしましたが思うようには全然いきませんでした。  次男が小4の時「起立性調節障害」であることが判明し、朝全く起きれない時期がありました。この病気に効く薬はないということで小児科からメトリジンという血圧をあげる薬を処方され2~3年間飲み続けました。当時は長男のように不登校になってはいけないと思い、担任の先生に説明して毎日10時~11時に学校に送っていったり、勉強が遅れないように放課後に個別に勉強を教えてもらったり随分先生にはお世話になりました。次男のことがあって、主人と「もしかしたら長男も同じような病気だったのではないか」と話しました。長男の時は学校に行かないなんて理解できなし、自分の子供がそんな風になるなんて・・・と私自身混乱していました。その当時にこの本に書いてあるようなことが分かっていればもう少し冷静に対応できた???のではないかと思ったりもします。長男に「お母さんのせいでこんなに長く学校に行けなくなった。」と言われショックで1週間くらい立ち直れない事がありました。それは長男の八つ当たりに過ぎないのですが、当時はそんな事も分からず、母親としての自信を無くしていました。どん底にいるみたいに感じていました。でも「この子を救いたい、母親だもの自分の出来ることはなんでもしよう。」と心に決め、「親業」「抱っこ法」を学び実践しました。今思えばよく頑張ったな~!なんとかしようと向かう、その力が自分の中にあったんだ~!母は強し!とよく言うけど、自分にも「その強し!」があったんだとつくづく思います。だから私は「誰にでも乗り越える力がある」と信じます。自分を信じれない人はただ「自分が見えなくなっている」だけです。「自分らしさ」を取り戻せる日は絶対きます。大丈夫。もし困っていたら、私がお手伝いしますよ。抱っこの会の仲間もいます。一人でかかえこまないでくださいね。

 

みなさん長男がその後どうなったか知りたいでしょう!?長男は小4から2年間学校へは行けませんでしたが、中学は相談室へ通い、高校は北斗高校の通信へ進み4年で卒業、その後北海道の調理学校へ進学しました。専門学校を卒業しパン屋さんに就職するも、そのパン屋さんが閉店することになり現在は我が家で一緒に暮らしています。1年間自分の好きな勉強をさせてくれと言われたのでそれを許可し、今は毎日パソコンで絵を書いているようです。長男は随分変わりましたよ。人ってこんなに成長するんだ~!って思います。あんなに人に見られたり話しかけられたりするのがイヤだった子なのに、本当に変わりました。明るくなったし、自分の思っていることをしっかり話せるようになりました。 私、抱っこ法に出会えて本当に良かったな~と思っています。たくさんの仲間に支えてもらって幸せです。

こんなとき、どうする? その1   文:石田 遊子
日本抱っこ法協会の会報の中に石田遊子会長が書いている「こんなとき、どうする?」というコーナーあります。今日はそれを一部紹介したいと思います。これは以前、青森抱っこの会で鳴海さんから貰った資料の中にあったものです。

「もう、ちゃんとあるいてよオ」
 ママは7ヶ月になる弟を抱いているというのに、3歳になる香ちゃんが歩くのをいやがって、ぐずり始めました。さすが、抱っこを続けているママのこと、幸い周りには余り人もいないし、すぐそばにベンチもあるので、そこに腰掛け、弟を傍らにおいて、香ちゃんの気持ちにつきあうことにしました。
 ママが抱っこすると、香ちゃんはそれまで以上に大騒ぎ、大声で泣き出しました。それでもママはいっこうにあわてず「そうか、そうか、いつも香ちゃんばっかり歩かせられていやだよね、いつだって俊がママに抱っこだものね、本当は香だって抱っこしてもらいたいよね。」と慰めながら、抱っこしていました。30分以上、いやもっと経っていたかもしれませんが、思う存分訴えて、気が済んだ香ちゃんは、とつぜん泣きやみ、「歩いていく」と言いました。ママは、香ちゃんのあまりの変わり様に、「え?ひとりで歩けるの?ママは俊を抱っこしていくよ、いいのね?」と、確認してみましたが、香ちゃんはコックリ。そこで、ママは膝の上に香ちゃんを座らせ、俊くんも片膝に抱き上げて、3人で仲良く麦茶を飲んでひと休み。やがて香ちゃんは自分から立ち上がって、「ママ、はやくオウチ帰ろう」と歩き始めました。
 実はこれは、昨年研修会が終わった後実際にあった『こんなとき、どうした』という例です。 香ちゃんもエライけど、ママもステキでしょ。
こんなとき、どうする? その2   文:石田 遊子
赤ちゃんも、自信喪失!?

「息子は1歳2ヶ月、最近片時も私から離れられなくて、以前はひとりでごきげんで遊んでいたのに、まったく一人遊びをしなくなってしまいました。
思い当たることといえば、2,3回保育室に預けたことくらいなのですが・・・」と、電話で相談を受けました。詳しく聞いてみると、3ヶ月ほど前に断乳に失敗し、今回やっと成功。また、まだ歩けないことは別に気にしていないけれど、どうも立っちするのさえとても怖がっているようだとのこと。断乳体験の影響といっても個々さまざまですが、電話でのアドバイスだけで見事に問題解決された、この親子の場合は、こんなぐあいでした。

後日送られて来たお手紙の一部をご紹介します。
・・・(略)・・・先生が、一回目の断乳で子どもが自信をなくしているかもしれないと言われましたが、それまで赤ちゃんの自信喪失など考えてもおりませず、しかしもし本当にそうだとしたら、いろいろなことが全て納得がいくように思い、早速抱っこ法でそのことを言ってみたところ、本当に驚くほど大泣きをし、しばらくするとウソのようにご機嫌になりました。さらに驚いたことに、ここしばらく殆んど一人遊びをしなかった子が、ひとりでおもちゃ箱をひっくり返し始め、そしてなんと3時間後に歩き始めました。信じられません!つい先程まで、手離しで立つことさえあんなにいやがって怖がっていたのに、私の方をじっと見て、「ちょっと見ててね、やってみるね」とでもいうようにニッと笑って3歩前進しました。その次の日は15歩・・・。まるで魔法にかかったようです。歩けたことはもちろんですが、長い間小さな心を痛めていたのかと思うと可愛そうでその思いから解放してあげられたのだと思うと、嬉しくてなりません。
・・・(略)・・・以後は、気がついたらひとりで遊んでいるということも、よくあります。とりあえず霧が晴れたような毎日です

みなさん読んでみていかがでしたか?親子さんのステキな関係が目に浮かぶようですね。
このように、生活の中のいろんな場面で使う事ができますから、みなさんも「抱っこ法」を一緒に学び、ご自分の生活に活用してみませんか?
平成25年7月6日~7日に青森市で日本抱っこ法協会主催の研修会(基礎Ⅰ・発展A)が行われます。
ここでの研修は理論と実践(ワークなど)が中心になります。他では体験できないものばかりです。
ぜひ、お友達や知り合いの方にも声をかけて一緒に研修会に参加してみませんか?
尚、研修会に参加するには日本抱っこ法協会の会員になっていただきます。
そうすると、石田遊子会長が書いている<こんなとき、どうする?>は毎回号読めるということになります。いいでしょ!?
「木陰の物語 —追憶の一歩—」より抜粋『信じる』
鳴海明敏さんから、団士郎さんの「木陰の物語 —追憶の一歩—」の本(2冊目)をいただいたのでその中の一つを紹介します。
鳴海さんは『木陰の物語』届ける!プロジェクトに参加されているそうです。
興味のある方は鳴海さんに問い合わせてみても良いかも・・・。

『信じる』

随分前、誰かに聞いた話だから正確ではない。
父親と娘がレジャーボートで海釣りに出た。
天気が良かったので、つい調子に乗ってしまった。
気がつくと、予想外に沖に出てしまっていた。
釣りは堪能したので、戻ろうとエンジンをかけた。
動かなかった。
何度も何度も起動させようとしたがエンジンの反応がなかった。
不安げな娘の顔を見て、
「大丈夫だ。お父さんがなんとかするから!」と声をかけた。

思案していた。
ボートは流されている。
来慣れた海だから陸がどの方向にあって、
どちらに流されているのか、見当はついている。
まだ夕方だが、そのうち暗くなる。
小さなボートだから、救助を求める手段もない。

彼は決心をして、娘にこう言った。
「助けを呼びに お父さんは陸に向かって泳ぐ。」
「必ずお前を迎えに戻ってくるから、心配は要らない。
波も穏やかだから、この船は安全だ。
静かに待っていなさい!」

そう言って父親は船を離れて泳ぎだした。
泳力にも体力にも自信があったので、不安はなかった。
ただ、一人で海の上に待つ娘のことを案じながら泳いだ。
海岸に泳ぎ着くのに、潮の流れのせいで、
思いがけず時間がかかった。
結局、捜索活動は夜が明けてからになった。
予想以上に流されていたボートだったが、
父親の情報が正確だったので、午前中に発見された。
救助された娘に、多くの人が口々に
「こわかったろう。よく頑張ったね。」
と声をかけた。
しかし彼女は、「ちっとも心配なんかしていなかったよ。
静かにしていたら、必ずお父さんは迎えに来ると言ったから。」
と答えた。
それを聞いて皆、驚きの声をあげた。
信じたいとは、誰もが思う。
でも、信じきれないから不安になる。

真っ暗な夜の大海原で、
波の音だけを聞きながら、
信じて待ている心を持った娘に
感動していた。

そう育てた親にも
喝采の声があがった。

「何を信じたらいいのか!」
なんてつぶやきをよく聞く。
あらためて、
信用できる、できないは、
相手によるのではなく、
自分のことなのかなと思う。

人を信じる能力もまた、
日常の育ちの中で、
育まれるものなのだろう。

自分を信じる、

誰かを信じる、

明日を信じる、

未来を信じる。


言葉は簡単だが、
そのような自分でいるためには
何が必要なのだろう。
どんなキミも好き 東奥日報記事(H24.7.27)より抜粋
虹色の手紙_俵万智 ーー佐々木正美さんの前回の手紙ーー
俵万智さんと約20年前に教育関係の会議で会ったことを覚えています。短歌などを通じ、母になった俵さんの思いに触れ、いつも共感を覚えます。俵さんが子ども同士で生き生きと遊ぶことが難しくなった社会に心を痛めているのを知りました。そういうことに気付けるお母さんに出会うことも難しくなった今の社会に、私も心が痛むのです。


〜都合のいい子ではなく〜
  神奈川の県立高校で教師をしていたのは、もう20年以上前のことです。教育関係の会議の後に駅まで向かった光景は、確かに記憶にあります。その時ご一緒していたのが佐々木先生だったとは!
  歌集「サラダ記念日」が評判になるにつれ、新米の一教師である私に、県関係の講演や委員の依頼が山ほどきました。校長がどんどんやりなさいと言うので、忙しさのあまり朦朧(もうろう)としていた時期かと思われます。忙しさは、大切な出会いを逃しますね。もう一度先生に出会うチャンスを与えられたことに感謝しています。先生のお手紙に、子供にとって遊びが大切だということに気付ける母親が少なくなっているとありました。でもやっぱり「子どもは遊んでナンボ」ですよね。
  息子の通う小学校は、全校児童13人。必然的に年齢の違う子同士が遊んでいます。例えば鬼ごっこでも、普通にやると1年生ばかりが鬼になってしまう。そこで「チビ専用ルール」が生まれます。小さい子には続けてタッチしないとか、6年生は2人手をつなぐとか。
  小さな集団ですが、互いの性質を見極めながら、みんなが納得できるルールを考え、遊びを楽しいものにしてゆく。いろんな意見が出れば、調整役やまとめ役も必要です。こういうことを無数に経験する中でしか身につかないことってあるような気がします。それは、学校の勉強や習い事など、大人がルールを管理する場面では、学べないことではないでしょうか。

タイトルとイラスト_島田光雄  話は変わりますが「隣る人」という映画を、先生はご覧になりましたか?児童養護施設で暮らす子どもたちと保育士さんの8年間を追ったドキュメンタリーです。その中で保育士さんが「どんなムッちゃんも好き」と口にするのですが、素晴らしい言葉だなと思いました。「ムッちゃん」のところに、自分の子どもの名前を入れてみて、そう思える自分であるかどうか、時々チェックしようと思います。子どもの一番そばにいる人(隣る人)がそう思えなくては、子どもの居場所はありません。
  最近の大人は、大人に都合のいい子どもを求めすぎていないでしょうか。もちろん、悪いことをしたら叱ります。でも、悪いことをするキミが嫌いなのでなく、大好きなキミに悪いことをしてほしくない・・・。この違いは大きいと思います。(歌人)
産前から産後をサポート 東奥日報記事(H24.7.20)より抜粋
われら子育て応援団
産前から産後をサポート〜自分たちの経験を生かして〜

  出産までは予想できたけれど、生んだ後はどうするの? 一人でやるの?」
  大きい声では言えないけれど、そう思った産後女性はけっこういるはずです。今、親となっている女性は「お手伝いや子守りよりも、勉強や仕事をしなさい」と言われて育った世代です。
  また、煩わしい近隣コミュニティーよりも、個人のプライバシーを尊重する傾向の中で過ごしてきました。「自分が出産して初めて、赤ちゃんというものを抱いた」という話も珍しくありません。出産した“先輩母”が周りにいなければ、授乳もおむつ替えも見る機会はありません。

  そして見落としがちなのは、初めて妊娠した女性は、初めから「お母さん」なのではなく、精神面・技術面において「一般の社会人」だということです。出産も育児も、人に迷惑を掛けずに自分で解決しようと頑張りがちです。「子どもが1歳を過ぎるまでは、家から出てはいけないと思っていた」「育児情報は本やネットで調べて済ませていた」と話してくれた人もいます。親や親戚、近所で子どもの面倒を見た世代の人たちには想像もつかない状況に、現代の育児環境は変化しています。
  「子育てオーダーメイド・サポートこもも」のメンバーは、乳幼児から社会人の子どもを持つ母親です。自分たちが妊娠、出産、育児において困った経験を次の世代に引き継がないためにはどうすればいいか、また、青森での子育て生活を楽しむには何が必要かを考え続けています。

  5年前、子育て支援センターや民間育児サークル、ネットなどで知り合った青森市の乳幼児の母親たちで結成しました。みな、親子で楽しむための場所は既にあったにもかかわらず「こもも」という団体を設立したのは、「子育て中の自分たちの目線でやってみよう!」という思いがあったからです。
  当時は、公共施設を借りて「親子で鍋パーティー」などのサークル活動や、「子どもを見合ってLet's go図書館活動」、交流の場「こももcafe」の開催、手作りの子育て情報ペーパー「こもシュラン」の発行などを行っていました。
  その後、多くのメンバーが県内外に転勤したり、再就職したりしていきました。それは、とてもうれしいことでした。一番大変な乳幼児期を「みんなといるとうれしさ2倍、苦しさ半分」の気持ちで一緒に過ごし、親子で巣立って行けたのですから。
  けれども「やっぱり何かひっかかる・・・」と、数人のメンバーが残りました。10年前にはまだ過度期だった子育て支援も、今や行政・民間ともに十分に行われ、子育て中の人が多様な支援の中から選択できるまでになっている。それなのに密室育児や産後うつはなくならない。既存の支援で手が足りていない部分はどこなのか。
  「産前産後だ」と、残ったメンバーの誰もが思っていました。それは自分たちの経験からの確信でした。すべての妊婦さんが、妊娠期から地域の人に出会い、安心して出産した後、産褥期(さんじょくき)をしっかり休んで心身を回復し、育児や地域に向かい合えるような環境が必要なんだ・・・。こうして私たちの産前産後サポート活動がスタートしました。

[子育てオーダーメイド・サポートこもも]
青森市の子育て中の女性たちが2007年に設立。妊娠〜出産〜産後・子育てを「青森で楽しくしたい」と活動している。10年より産前産後コーディネート&ヘルパー派遣、本年度からは妊婦向け交流会&講座や、妊産婦サポート研修を実施。
連絡先は事務局(☎017-743-9892、http://comomoaomori.web.fc2.com/)
「抱っこ 子供にされてみる」 読売新聞記事(H20.12.1)より抜粋
読売新聞記事平成20年12月1日〜支えあって子育て〜「落ち込んだ時は・・・」

 育児が思い通りにいかず、自信を失ってしまうことは多い。 「しっかり育てなければ」という意識が強いほど、落ち込みも大きくなる。 そんな時は逆転の発想。専門家は、「時には子どもに甘えてみては」「子どもから与えられるものもたくさんある」と助言する。
 「よい親でありたい」というのは多くの親の思い。ただ、自分への要求レベルが高いと、子どもに対して厳しすぎる態度を取ってしまうことにもなる。
 千葉県内で育児相談室を主宰し、「子育ての悩み、み〜んな解決!」(主婦の友社)などの著書がある萩原光さんは、「時には親も子どもに甘えてみては」と勧める。
 ある母親が、仕事や育児のストレスが重なり、保育園に通う子どもにつらく当たった。自己嫌悪にもんもんとしていると、子どもが自分の頭を慰めるようになでていたという。子どもを抱きしめると、子どもの存在がありがたく感じられ、「抱っこされているのは自分の方かも」と感じた。その後は帰宅すると、「ママにくっついてきて」と頼み、しばらくごろごろするようにしている。元気が回復してきたという。
 「持ちつ持たれつ、甘えたり甘えられたりという関係の方が、子どももうれしいはず」。こう話す萩原さんが勧めるのは、親子が反対の役をする「赤ちゃんごっこ」。親がごろんと横になって、子どもに抱っこをねだったり、頭をなでてもらったりする。親は気持ちが癒されてくる。特に、反抗期の子どもは、喜んで親の役をするという。
  小さな子どもに励まされたという親は多いようだ。
 おもちゃメーカーのバンダイ(東京)が今年、親から子どもに対する「ありがとうメッセージ」を募集したところ、約1000通が寄せられた。「何も知らないはずの赤ちゃんなのに、落ち込んでいると、ほおをなでてくれる」「夫が入院し、不安で泣いていると、1歳7ヵ月の 子が『ないちゃだめ』としかってくれた」など。メッセージの一部はホームページで公開している。
 東京都保健所心理相談員協議会会長の山本勝美さんは「育児では、親が子どもから与えられるものもたくさんある」と話す。子どもと接することで素朴・素直な気持ちになれる。親自身、思いやりが育ち、忍耐力がついたと感じることもある、「親も子どもによって少しずつ育てられる。立派な親になろうと力みすぎていないか、振り返ってみて下さい」と助言している。
お父さんの子育てのホンネ
  私達はややもすれば、子育てをしているのはお母さんというイメージがありますが、お父さんだって頑張ってくれていますよね。
今回はお父さん(パパ)のホンネに焦点をあててみましょう。
お父さん(パパ)にだって言い分はありますよね。
お父さんの子育て
『あなたのまわりのパパたちはどうですか?』
お父さんの子育て

『支援は誰のため?〜お父さんと子どもの巻〜』
お父さんの子育て
子育てはパパとママで。そんなこと当たり前、と思っていても、ついうっかり「お母さんが主役」といったメッセージを伝えてしまうことが、あるかもしれません。
「もっと子育てに参加したい」そんなパパの声にもっとこたえるには、どうすばいいのでしょう?
「ぎゅっと抱きしめて」  朝日新聞記事より抜粋
  地方から東京に引っ越してきたのは、娘が小学五年生の夏でした。おとなしい子なので予感はありましたが、まさに的中しました。
  毎日沈み込んで帰宅し、学習レベルの違い、クラスメートのきれいな標準語やドライなものの考え方についていけない自分のことを涙目で報告するのでした。私は娘の一大事とばかり、悩みを追求し、対策を立てアドバイスをしました。
  するとそのうち、娘の口数が少なくなったのです。ほとんど私に報告しなくなりました。
「どうしたの。もう学校で嫌なことはないの」
「ううん、あるけど」
「じゃあ、どうして話してくれないの」
「お母さんに打ち明けると、うるさいから。あんまり言いたくなくなった」
「お母さんはあなたが心配なの。どうしたらいいか、一緒に悩んで考えてあげたかった。それが嫌なら、お母さんはどうすればいいの」
「・・・お母さんは話を聞いたら、ただ黙って私を抱きしめてほしい」
------それから何回、娘を抱きしめたことでしょう。何も言わず、一抹の寂しさは胸におさめて、ぎゅっと赤ちゃんのように。半年ほどもたったでしょうか?気づくと、娘は元気に学校に通い始めていました。
  この春から、娘は中学校です。自分の世界がますます広がっていくことでしょう。 土足で踏み込むことなく、これからも彼女を見守っていきたいと思います。
  卒業式の日、クラスメートと泣き笑いしている娘を見つめながら、子供から学ぶことはいくらでもあるものだなあとしみじみ思ったことでした。
ありがとう。

東京都文京区
志賀 敦子
主婦・39歳
このひとことをありがとう ~第1弾~
子育て中、まわりの誰かが何気なく言ってくれた「ひとこと」で、
とても楽になることがあります。
そんな言葉を集めてみました。

「子育ては周りに迷惑をかけてもいいのですよ」
ある講演会で講師からのことば。
「いっぱい『助けて』ってまわりに言いましょう」とも。
誰に言われたわけでもないのに、自分一人で頑張って
いかなきゃいけないと思い込んでいた力がフッと抜けた言葉です。

「子どもは親を選んで生まれてきてるんだよ。
だからあなたはそのままでいいのよ」
自分が親として、情けなく辛くなった時、先輩ママから言われた言葉。
「ママの子どもに生まれて来てくれて本当にありがとう」と
子どもを抱きしめました。

「よく来たね。子どもは社会の宝だよ」
子どもと一緒に大人の集まりに参加した時に、市民活動の先輩女性が
子どもにかけてくれた言葉。
肩身が狭くて子どもの言動にビクビクしていたのが、
「来てよかった」とホッとできました。

「だいじょうぶだよ、お父さんは一人でもごはんつくれるよ」
帰りが遅くなってしまい、夫の方が先に帰っているかも~夕食の支度もしていないのにと
、 急いでいたときに子どもが言った言葉。すうーっと力が抜けました。

「あなたが大好きです」
子どものことで夫と大ゲンカ。メールで「ごめんなさい」って謝った私に夫からの一言。
いつもイライラして嫌いな部分をいっぱい見せてしまっていて、
自己嫌悪の固まりだった私を救ってくれた。

「環境のせいであってあなたの力不足ではない」
「みんなこれ位こなしているのに、私はできなかった」と落ち込む私に、
心療内科の医師が言った、今でも思い出すと楽になる言葉。

このひとことをありがとう ~第2弾~
子育て中、まわりの誰かが何気なく言ってくれた「ひとこと」で、
とても楽になることがあります。
そんな言葉を集めてみました。
好評につき 〜第2弾〜 やりま〜す!

「お子さんの思いをきちんと受け止めている○○さんは
素敵なお母さんだと思いますよ。」
インターネットの子育て掲示板に子どもの悩みを書き込んだとき、返ってきた一言。
子育てに何もかもが不安なとき、誰からもそんなこと言われたことがなくて嬉しかった。

「みんな順番でやってきているんだから、大丈夫だよ」
初めての子育てに大騒ぎだったとき、遠方に住む、
ばあちゃんに電話して「大変だよお〜」と話を聞いてもらった後、言われました。
順番という言葉になぜか納得。

「ほんとうにいい子だね」
いつも行っていたクリーニング屋さんの言葉。
「○○だから、いい子」とは言わず、理由も根拠もなく、
会うたびに「いい子だね」と繰り返してくれた。
いい子かもと、素直に思えてうれしかった。

「神様からのさずかりもの」
医師から妊娠がわかったときに言われた。
頭にきたとき、思い通りにならないとき、ふと思い出して、
神様から預かった命、大事に育てようと思う。

「おまんたちもたいへんだけど、お母さんもたいへんだね〜」
夏休みの初日、家族みんなのお弁当を作り、水筒にお茶を入れて、
宿題のしたくをさせ、プールの用意をして、
はんこ押して朝8時に汗だくになり、学校(児童クラブ)へ連れていきました。
そこで先生が、子どもたちに向かってですが、私に聞こえるように言った言葉。
たいへんだ、ということを認めてもらえてうれしかったです。

「今は機嫌が悪いので無理です」
1歳半の歯科検診で頑固に口をあけない長女のことをしかられてしょげて、
ちょっと先輩ママに話したら「今は機嫌が悪いので無理です、って断ればいいのよ」
と言われて目から鱗。

このひとことをありがとう ~第3弾~
子育て中、まわりの誰かが何気なく言ってくれた「ひとこと」で、
とても楽になることがあります。
そんな言葉を集めてみました。
好評につき 〜第3弾〜 やりま〜す!

「オレはお前の味方だから…」
何もかも嫌になったとき、夫に言われて
我にかえりました。

「大変だったね」
「そんなこともあるよね」
「子どもとも相性があるよね」
「辛かったね」
グループトークの時、仲間のママたちから、熱心にそして肯定的に聴いてくれたあいづち。
子どもの不満や今まで辛かったことなどを本当に心から話せて救われました。

「今日、楽しんでおいで!」
上の子どものスポーツ大会で、休日の朝早くから丸一日友人宅に
下の子どもを「何とも申し訳ないな」とか、いろんな思いで預けにいった時の言葉。
この一言でいろんなことに力が抜けていく自分がわかりました。
子どもにも「結果はどうでもいいじゃない。今日一日楽しんでこようね。」と言うことができました。

「私は夫の服や下着をそろえてあげたことがない」
保育園の先生からの“目から鱗”の言葉。
そーだよね、そのくらいひとりでできるよねと
楽になった。別にそれまで必ずしも夫の服を
そろえたりしていたわけではないけれど、
どこかにそれが妻の仕事という思いこみがあったのだと思う。

「もってうまれた性格があるのよ」
子どもの性格を受け入れることができず
「私の子育てのせい…」と悩んでいたときに、ちょっと先輩ママから
言われました。だいぶ楽になったひとことです。

自分時間のはなし
今から17年か18年前のことです。
長男が2歳くらいの時「親子リズム」というグループに入れてもらい、子どもとリズム体操や手遊びをしたり、お母さん達とおしゃべりしたりと週1回集まって活動していました。
その時に、迫 登茂子(さこ ともこ)さんという方を戸山市民センターにお招きしてお話をして頂きました。
迫さんは平成元年から深夜になると突然、神の啓示を受けたかのように自分の頭に言葉がはじけるように湧き出てくるようになったのです。
それをノートに書き始め本にしました。
ですから、これらの言葉は自分が考えて書いたものではないといっても差し支えないかもしれません、と話していました。
その時のお話を箇条書きにすると次のような感じです。
  • 自分の中に時計を持つ→時計の中に時間があるわけではありません。
    時計をはずして自分の時間を持つということです。
  • 自分の一生を24時間と考えると、例えばわかり易く寿命を72歳と考えると、3で割ると24ですね。自分の歳を3で割ってみると何時になりますか?では自分の子どもの歳を3で割ってみてください。
    子どもさんは何時になりますか?(そう考えると、自分の子どもが今出来ること出来ないこと、さまざまあるけどうちの子はまだこれしか時間が経っていないのだから当たり前だよね、と気持ちが軽くなったのを記憶しています。この時初めて、見る視点を変えるというお話を聞きました。)
  • 人間は輝きの15分を与えられている。それを意識して、キャッチしたらそれを元にして大きく輝き、そして人に与える。
  • 人はあなたに出会って私になれる。
    すばらしいあなたを持つこと。
  • 「ありがとう」をたくさん言う。
  • 自分の想いは実現する。
  • 心の知能指数
といったお話を聞きました。
この時、迫さんは72歳?くらいだったと記憶しています。
今もお元気でしょうか?
私は目から鱗の話が聞けたと感動したのを憶えています。
迫 登茂子さんの書いた「自分のこころに気づく本」から一部紹介させて頂きます。
「素直なこころになれる本」より  著:迫 登茂子
★美しい言葉の花束をプレゼント

「第一章 言葉のこだま」より

*とんでもありません
とんでもありません
そう言って
謙遜が 私たちの生活のなかに多すぎはしませんか
謙遜のたび
大事なものが 失われていきます
上を向いて 大きく息を吸い
思いきって ひと言をだしなさい
日本じゅうのひとが
世界じゅうのひとが
ひと言ずつ
謙遜でおさまっている言葉を
吐きだしたら
世界は 輝くものになるでしょう
お互いに救い 救われるでしょう

*今日は うれしいデーに しましょう
仲間と一緒に
一日じゅう 「うれしい!」と言うのです
太陽が出てる うれしい!
宿題忘れていてもいなくても!
宿題あったぞ うれしい!
時計が少々遅れていて うれしい!
道で缶を蹴りけり うれしい!
何がそんなにうれしいの?」と先生に聞かれて またうれしい!
顔が‘‘八時二十分’’になる頃
「おやすみなさい」
と うれしい一日が暮れます
借りもなく いっぱいいただいた気持ちが
うれしい夜になるでしょう
「自分のこころに気づく本」より  著:迫 登茂子
迫 登茂子さんの書いた「自分のこころに気づく本」から一部紹介させて頂きます。

『家の北側』より

強がりはいけません
我慢もいけません
あなたのからだは
こころともども蝕まれていきます
強がりとコンビの我慢は
実を結ぶものではありません
こころのなかに しこりとなって
実らしきものを残します

でも 強がりと我慢のひとに
これ以上はやめなさいとはいえません
ぽっきり折れる
枯れ木の気配を感じます
しなやかなうちに悟りなさい
身のためです

『かあさんがいるから』より

かあさんがいるから
おもいっきり駆けて 転べるの

かあさんがいるから
おもいっきり我がままいって
泣くことができるの

かあさんは そんなとき
おろおろ見まもり 目をうるませる

そんなかあさんに
わたし
ぐっと  よりかかっています
幸せいっぱいに
よりかかっています
子供たちはこうして生きかたを学びます
作:ドロシー・ロー・ノルト/訳:吉永 宏

批判ばかり受けて育った子は
非難ばかりします

ひやかしを受けて育った子は
はにかみ屋になります

心が寛大な人の中で育った子は
がまん強くなります

ほめられる中で育った子は
いつも感謝することを知ります

思いやりのある中で育った子は
信仰心を持ちます

仲間の愛の中で育った子は
世界に愛をみつけます

敵意にみちた中で育った子は
だれとでも戦います

ねたみを受けて育った子は
いつも悪いことをしているような気持ちになります

はげましを受けて育った子は
自信を持ちます

公明正大な中で育った子は
正義心を持ちます

人に認めてもらえる中で育った子は
自分を大事にします
さびしいとき  「金子みすゞのこころ」より
私がさびしいときに、よその人は知らないの。
私がさびしときに、お友だちは笑うの。
私がさびしいときに、お母さんはやさしいの。
私がさびしいときに、仏さまはさびしいの。

仏さまはさびしいの
「私がさびしいとき、/仏さまはさびしいの。」「さびしいとき」というみすゞさんの作品に出会うまで、仏さまや神さまは祈ったり、願ったりすれば、私のさびしさを取り除いてくれたり、さびしさを代わってくれる存在だと思っていました。でも、みすゞさんが「私がさびしいときに、/仏さまはさびしいの。」と歌ってくれたおかげで、仏さまや神さまはけして私のさびしさを取り除いてくれないし、代わってはくれないことに気づききました。 最良最善の存在である、仏さまや神さまはこだましてくれるのです。さびしい時に、「さびしいね」と。私のさびしさを「さびしいね」とこだましてくれ、さびしさを半分に、半分に、半分にしてくれるから、さびしさは消えていくのです。

平成22年2月に福岡で行われた上級者研修に参加した時、安部秀雄先生から「金子みすゞのこころ」佼成出版 という本を頂ました。さびしいとき はその中の一節です。 帰りの飛行機の中でこの本を読みましたが、心が温かくなり溢れる涙を止めることができませんでした。
「奈々子に」  著 吉野 弘
赤い林檎の頬をして
眠っている 奈々子。

お前のお母さんの頬の赤さは
そっくり
奈々子の頬にいってしまって
ひところのお母さんの
つややかな頬は
少し青ざめた
お父さんにも ちょっと
酸っぱい思いがふえた

唐突だが
奈々子
お父さんはお前に
多くを期待しないだろう。
ひとが
ほかからの期待に応えようとして
どんなに
自分を駄目にしてしまうか
お父さんは はっきり
知ってしまったから。

お父さんが
お前にあげたいものは
健康と
自分を愛する心だ。

ひとが
ひとでなくなるのは
自分を愛することをやめるときだ。

自分を愛することをやめるとき
ひとは
他人を愛することをやめ
世界を見失ってしまう

自分があるとき
他人があり
世界がある。

お父さんにも
お母さんにも
酸っぱい苦労がふえた
苦労は
今は
お前にあげられない。

お前にあげたいものは
香りのよい健康と
かちとるにむづかしく
はぐくむにむづかしい
自分を愛する心だ

※この詩は2003年7月に青森県PTA研究大会が旧木造町で開かれた時、
「無理をする親、無理のできない子」という演題で講演をした山科 實氏が「お土産です」
と言って参加者にくださったものです。
親の深い愛情を感じる詩です。
読むたびに心に染み渡ります。
お寺の住職のお話より
この前、お寺の住職のお話を聞く機会がありました。そのお話の中にとても興味深いことを話されていました。一部紹介いたします。

 皆さんは「子育ての四訓」というのを聞かれた事があるでしょうか?これは、平成13年発行の 「日本時事評論」という小さな新聞の正月号に、山口県にお住まいのある教育者が、長年の教育経験を踏まえ、まとめられたものとして掲載されたものです。
今、それをご紹介いたしますと、
  • 乳児はしっかり、肌を離すな
  • 幼児は肌を離せ、手を離すな
  • 少年は手を離せ、目を離すな
  • 青年は目を離せ、心を離すな
この「子育て四訓」を目にして、なるほどと得心しました。
すべてをご紹介することは出来ませんので、冒頭の部分だけ、少しご紹介しますと、 「人間は他のほ乳類と違って、オギャーと生まれてから立ち歩きができるまで、100%受身の期間である。
この約一ヵ年の間は『生理的早産』とか、『対外妊娠期間』とか言われる。
つまり、人間はすべからく未熟児として生まれ、二足歩行ができるまでは、『母親の胸は子宮の延長』ということができる。この期間に、しっかり肌の触れ合いをして育つことで、子供は『守られている』『かわいがられている』『お母さんの子供だ』と無意識のうちに感じる」
(『日本時事評論』1392号)なるほどなあ~と感心します。


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