具 足 山 立 本 寺 (本堂の扁額)
内野立本寺
★「都名所圖會」に見る立本寺
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天明年間刊「都名所圖會」の立本寺から
具足山立本寺:左図拡大図:現在地(内野)の伽藍
現在、主要伽藍は維持されるも、本堂・方丈以外の堂宇はかなり荒廃する。
大部の塔頭は廃絶し、四方から民家が境内を侵食する。
また境内の南1/3は児童公園(お世辞にもきれいとはいえない)となり、それ以外の境内も駐車場と化し、境内は相当荒廃する。
※2014/03/28:現今では、境内の一部を駐車場として貸していることはあるが、無節操に貸すことは無いようである。 |
2007/10/11追加:
「近世京都日蓮宗立本寺、妙満寺、妙蓮寺の伽藍配置」丹羽博亨(「日本建築学会計画系論文報告集424」1991年 所収)
●京極今出川(寺町)時代の伽藍:宝永5年類焼前
京極今出川の立本寺:「新編法華霊場記」享保3年(1686)刊 より
「山城名跡志」元禄15年(1702)脱稿 では
門ハ西向、堂は南向、祖師堂ハ堂ノ西南ニアリ東面、十羅堂ハ堂ノ西南ニアリ東面、経蔵ハ祖師堂ノ南・西面、七面明神社ハ経蔵ノ南・池中ニアリ西面、三十番神社ハ仏殿ノ東・西面
●現在地(内野)の伽藍:
宝永5年類焼後(宝永の大火)内野に移転(天明年中の「都名所圖會」も現在地の伽藍の描写)
立本寺伽藍配置図:寛政元年(1789)成立
※図が不鮮明であるが、本堂・祖師堂・(鬼子母神)などの主要堂宇と20ケ院の寺中の配置が分かる。
「本坊及塔中建物明細帳」(明治年中)では
祖師堂(宝永5年再建、7間半×8間)、開祖廟(宝永5年再建)、鐘楼堂(宝永5年再建)、本堂前井戸屋形(宝永5年再建)、経蔵(宝永5年再建)、鎮守堂(元文4年1739再建)、本堂(宝暦5年1755再建、18間×13間半)、表門など(安永7年1778再建)
が記載される。
★立本寺略歴
具足山と号する。現在は日蓮宗一致派本山。本尊:十界曼荼羅。
日像上人が四条櫛笥に妙顕寺を創建したことに始まる。妙顕寺は日像−大覚−朗源−日霽−月明と受け継ぐ。
四条妙顕寺は嘉慶元年(1387)に山門の衆徒により破却。 明徳4年(1393)四条櫛笥に再建・妙本寺と改称して再興する。
応永20年(1413)またも比叡山衆徒により破却。5世月明上人は丹波に逃れる。
応永23年法弟の日実上人らが四条櫛笥の旧地に本応寺を建立するも、その後月明上人が帰洛、五条大宮に妙本寺(後に寺号を妙顕寺に復号)を建立して対立する。
本応寺は叡山の末寺という体裁をとり、立本寺と改称し分立する。
※「日蓮宗寺院大鑑では開祖は日蓮、2祖は日朗、3世日像、4世大覚大僧正、5世朗源、・・・・とする。
開祖を日像とする場合と比べ、2世分世代が大きくなる。三具足山(妙顕寺、妙覚寺、立本寺)とも同じことである。
天文5年<1536>天文法華の法難で比叡山衆徒に敗れ、堺に逃れる。
天文13年(1544)帰洛し、新町三条に再興。、
文禄年中(1592-96)秀吉の命で京極今出川(寺町)に移転。
宝永5年(1708)の大火で焼失し、現在地(内野)に移転再建。
明治維新前は約10000坪の寺地と20の塔頭を有したと伝える。
現在は正行院・教法院・光源院・大輪院の4院を残すのみとなる。
◇京羽二重巻4(宝永版)から
立本寺・役者
了仙院 興善院 常住院 光源院 智積院 清浄院
学頭
教法院 真乗院 玉泉院 養賢院 と記載あり
2010/12/19追加:
「花洛羽津根」清水換書堂、文久3年(1863) より
具足山立本寺塔中:
清浄院、了仙院、智積院、光源院、教法院、勧妙院、大林院、本妙院、霊山院、実竜院、覚成院、智定院、正行院、真亮院、安住院、勧持院、大行院、是妙院、縁了院、大乗院 20ヶ院
花洛の末寺として、深草極楽寺村霊光寺(今深草山宝塔寺の寺中か)、松ヶ崎村妙円寺、同妙泉寺、同松崎山本湧寺(いずれも日蓮宗檀林のページにあり)
◇大正5年「京都坊目誌」碓井小三郎編記事より(上京第十學區之部)
境内旧9.899坪、今6,311坪
維新前には塔頭20ヶ院あり。
正行院・教法院・光源院・大輪院(現存する)
2009/11/03追加(津田三郎)
島左近;石田三成家臣、慶長5年(1600)関ヶ原にて戦死とされるが、実際は手負いの後京に逃れ立本寺に身を隠す。
即ち、立本寺墓地には「妙法院殿島左近源友之大神儀」の墓碑があり、寛永9(1632)年歿と刻されるという。
さらに、教法院には位牌・過去帳が残り、今も子孫(安芸西條白牡丹酒造株式会社当主)が丁重に供養すると云う。
2017/07/25追加:
○清浄院:
明治25年、京都本山立本寺塔頭・役者・役宅 清浄院 寺號跡を西伯郡御来屋砂町 法華堂に移転す。
住職に当山附弟 中山大雲
※鳥取県西伯郡大山町御来屋485 に現存する。(堂宇が現存か?)
→伯耆具足山妙本寺>寺跡移転と設立認可
◆立本寺現況
無印は2001/05/25撮影、○印は2009/05/09撮影、□印は2014/05/28撮影
現伽藍(概要図)
立本寺境内図
2001/05/25:境内の南1/3は児童公園となり、境内地は駐車場化し、本堂・方丈・客殿の大建築以外の堂宇は荒れ果て、境内も民家に侵入され、相当な荒廃ぶりである。
表門:安永7年(1778)建立
○表 門1 ○表 門2 □立本寺表門3 □立本寺表門題目碑
本堂:寛保3年/1743上棟、桁行7間梁間6間の大堂
本
堂:1972年撮影本堂 本
堂 ○本 堂1
○本 堂2
○本 堂3
□立本寺本堂4 □立本寺本堂5 □立本寺本堂6 □立本寺本堂7 □立本寺本堂8
□立本寺本堂9
□立本寺本堂10:本堂北面
刹堂(鬼子母神堂):享保4年(1719)再建・天明3年(1783)焼失・文化8年(1811)再建、鬼子母神及十羅刹女を本尊とする。
刹
堂 ○刹 堂1
○刹 堂2 □立本寺刹堂3 □立本寺刹堂4
2022/05/16追加: ○新聞報道 より 刹堂(鬼子母神堂)安置の月天子像 本像は2021年6月一般公開中に盗難に遭う。
ところが、2022年5月ヤフオクで出品されているのが確認される。
立本寺も入札に参加するも、入札されないまま出品が取り消され、立本寺に戻るという。
出品した大分由布市の古物商は「盗品とは知らなかった」と説明しているという。
刹堂月天子立像
祖師堂: 建築年の情報なし、修理しないと崩壊寸前と思われる。
祖師堂 ○祖師堂1
○祖師堂2
□立本寺祖師堂3 □立本寺祖師堂4 □立本寺祖師堂5 □立本寺祖師堂6
鐘楼:寛文年中(1661-)建立
○鐘 楼 □立本寺鐘楼2
○妙見堂
□立本寺納骨堂
客殿:享保13年(1753)上棟
○客 殿
○客殿玄関
○方 丈:大覚大僧正650年遠忌の幔幕が掛かる
□立本寺玄関2 □立本寺客殿2 □立本寺方丈2
寺中
○教法院 □教法院2 □教法院3
○正行院1 ○正行院2 □正行院3 □正行院4
○光源院 □光源院2 □光源院3
○大輪院 □大輪院2
2020/02/24追加: 〇「飛鳥白鳳の甍〜京都市の古代寺院〜」京都市文化財ブックス第24集、平成22年(2010) より
◆木造金剛力士像面部残欠 第27回京都市指定・登録文化財として立本寺蔵「木造金剛力士像面部残欠」が指定される。
金剛力士像のうち吽形の面部の残欠である。ヒノキ材の寄木造で3材を矧いでおり、木寄せの方向等から、当初は2体一対のうちの右方像(向かって左側)であったと考えられる。
裏面の五カ所に墨書銘があり、文永10年(1273)8月墨書され、後段に「佛師法橋覺圓」の署名と花押がある。
本像を蔵する立本寺は元亨元年(1321)の創建であり、墨書の寺名などは判読できず、当初の安置寺院から移された経緯等は不明である。
※立本寺は応永23年(1416)日實らが四条櫛笥の旧地に本応寺を建立し、帰洛した月明の再建した五条大宮の妙本寺(後に妙顕寺と改号)と対立し、分立したのが実質の創建である。
この佛師法橋覺圓とは、「弘安三年長谷寺建立秘記」に記される大和長谷寺十一面観音像再興に参画した「上野法橋覺圓」の可能性が極めて高い。
覺圓は「内山永久寺置文」「内山之記」によれば、正元元年(1259)内山永久寺の賓頭盧像を作っており、運慶の流れを汲む慶派仏師の1人と見られる。
近年まで覺圓の遺作は知られていなかったが、平成14年の修理で、美濃即心院蔵の清凉寺式釈迦如来像が文応元年(1260)の「覺圓佛子」の作であるとともに大和正暦寺に安置されたことが判明する。それ故、本像はそれに次ぐ2例目の実作品となる。
木造金剛力士像面部残欠
★立本寺末寺
究竟山妙情寺(台東区谷中)
守栄山経王寺(糸魚川市新鉄)
守栄山善行寺(上越市寺町)
妙法山立像寺(富山市梅沢町)
体具山本顕寺(富山市梅沢町)
○久遠山長寿寺(七尾市小島町) →能登の日蓮宗諸寺中
○久住山長興寺(七尾市小島町) →能登の日蓮宗諸寺中
○津幡山本行寺(小矢部市八和町) →能登の日蓮宗諸寺中
妙法山立像寺(高岡市大坪町)
一乗山本興寺(金沢市薬師町) →加賀の日蓮宗諸寺中
○卯辰妙光山長久寺(金沢市東山) →卯辰山麓の諸寺中
【廃寺】卯辰光明山立圓寺 →卯辰山麓の諸寺中
○正久山妙立寺(金沢市野町) →金沢寺町の諸寺中
○恵光山善隆寺(金沢市寺町) → 同上
○妙布山立像寺(金沢市寺町) → 同上
○済生山本是寺(金沢市弥生) → 同上
○玉樹山立像寺(小松東町):明治末期に廃滅、明治40年法昌山妙圓寺に併合される。 →加賀小松の諸寺中 越前敦賀久成山長遠寺 →越前敦賀の諸寺中・・・但し、現在は単立という。
光景山円明寺(甲府市下曽根町)
長久山圓頓寺(名古屋市西区那古野)
三光山妙照寺(岐阜市梶川町)
真浄寺(土岐市土岐津町土岐口)
○近江具足山妙経寺(近江八幡市長福寺町) →近江の日蓮宗諸寺中
▽近江具足山妙感寺(近江八幡市馬淵町) →近江の日蓮宗諸寺中
近江寂光山浄國寺(近江八幡市牧町)
近江古高山円成寺(守山市古高町)
▽近江具足山本像寺(守山市今宿) →近江の日蓮宗諸寺中
▽近江具足山法華寺(守山市今浜町) →近江の日蓮宗諸寺中
近江久遠山正法寺(守山市水保町)
近江法性山円融寺(草津市草津)
▽近江霊亀山妙立寺(長浜市加田町) →近江の日蓮宗諸寺中
近江華園山本正寺(甲賀市水口町本町)
近江毫能山立泉寺(甲賀市水口町牛飼)
妙近江遠山本行寺(甲賀市水口町北脇)
近江長照山立善寺(東近江市合戸町)
近江経王寺(滋賀県蒲生郡日野町西大路) ○近江大津真常寺 →近江の日蓮宗諸寺中 ○丹波妙遠山善行寺(福知山市天田北岡) →丹波の諸寺中
▽宝聚山本覚寺(京丹後市網野町網野) →丹後日蓮宗諸寺中
○成就山法華寺(京都市下京区西新屋敷中之町) →洛陽十二支妙見中未<ひつじ>法華寺の項
○妙法山燈明寺(京都市上京区佐竹町) →山城の日蓮宗諸寺
○松崎山妙円寺(京都市左京区松ケ崎東町) →松ヶ崎妙円寺
○松崎山涌泉寺(京都市左京区松ケ崎堀町) →松ヶ崎本涌寺、松ヶ崎妙泉寺
※明治3年太政官達により京都府が調査作成した洛中及び山城の寺院本末一覧表【寺院本末一覧】では
松ヶ崎村本涌寺、松ヶ崎村妙泉寺とも内野立本寺末と記載される。但し妙泉寺は既に廃寺扱いである。
○龍王山秀典寺(京都市山科区安朱東海道町) →山科・伏見・宇治の諸寺中
○長唱山大立寺(京都市山科区安朱東海道町) → 同 上
東明山妙寿寺(大阪市中央区中寺)
妙照山行覚寺(大阪市阿倍野区阪南町)
▽法性山妙円寺(大阪府豊能郡能勢町長谷) →能勢日蓮宗寺院中(妙圓寺)
具足山櫛笥寺(堺市堺区櫛屋町東)
○長遠山立正寺(豊岡市中央町) →但馬日蓮宗諸寺中
○栄昌山立光寺(豊岡市日高町江原) → 同 上
○四明山妙光寺(豊岡市日高町鶴岡) → 同 上
船橋山本高寺(豊岡市出石町魚屋)
広布山妙法寺(朝来市和田山町高生田)
大乗山妙福寺(豊岡市日高町観音寺)
大法山常妙寺(山口市駅通り)
○長久山善学寺(徳島市寺町) →阿波徳島寺町中
鷲栄山妙清寺(松山市山田町)
妙清寺末:真教山延立寺(松山市星岡)
日栄山妙昌寺(西条市東町)
円光山林昌寺(西条市氷見)
一乗山法華寺(今治市中浜町)
精信山経王寺(四国中央市豊岡町大町)
本妙山法善寺(松山市北条辻)
長喜山本就寺(北九州市小倉北区清水)
円大山常立寺(福岡県田川郡福智町神崎)
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