子供達の活躍 | |
![]() ![]() 第5位&マナー賞 最優秀&初メダル |
3月の地震により、宮城県では秋までの殆どの大会が開催されないことになりました。そのため、試合が出来るように子供達を連れて他県の大会などに参加しました。その内の我が子の活躍を2件紹介します。 一つめは娘。6月12日に青森県弘前市で開催されたひのまるキッズ柔道大会に参加しました。学年別の無差別大会でしたが、大きい男の子達相手にひるむことなく攻め続け、3回も勝利し、第5位入賞しました。 また、後日マナー賞も受賞しW受賞となりました。 二つ目は息子です。7月3日に地元の柔道大会で紅白戦に出場。昨年負けた同級生に一本勝ちをすると勢いに乗り、中学になってから始めた子とはいえ中学1年生の子供達2名を投げて一本勝ち。4人抜きで最優秀選手賞を受賞しました。初めてのメダル獲得に息子は大喜びでした。 |
3月11日(金)東日本大震災 (9月8日記載) | |
3月11日2時46分。太平洋沖を震源とするM9.0。最大震度7の大地震が起きました。 私は当時、宮城県南部の角田市に勤務しており、勤務先の角田高校プレハブ校舎に居りました。プレハブの壁が大きく揺れ、生徒達と共に校庭に避難しました。震度は6強でした。地面が大きく揺れみんなで座って揺れが収まるのを待っていました。揺れが収まったと思ったらまた大きな揺れ。立っていると、揺れていないのに揺れている感じがしばらく続きました。生徒達の確認をした後、我が子の安否確認を妻や父母にメールでしました。なかなか繋がらず、確認が出来たのは約1時間後でした。勤務終了後自宅に帰ると、外の給湯器が倒れ、家の中はあらゆる物が飛び出し、素足では歩けない状態でした。電気や水も使えないため、その日は私の実家にみんなで避難しました。実家でも同じ状況でしたが、全員一緒にいることで安心できました。灯りがないのでその日は7時過ぎにはみんなで寝ることにしました。でも、余震が度々起きるので、服を着て靴を履いたまま毛布にくるまって寝ました。みんなあまり寝られなかったようです。翌日からは報道のとおりです。ガソリンが無くなったり、給水車に水をもらいに行ったり、配給物資を並んでもらったりという日々がしばらく続きました。テレビも見られなかったため、私が地震のすごさや沿岸部の大被害を知ったのは数日後でした。 その後、私は4月1日の人事異動で、宮城県沿岸部の亘理町立亘理中学校へ赴任しました。中学校の体育館は当時避難所となっており、数百名の方々が避難しておりました。職員も宿直や土日勤務などで協力をしておりました。避難所は7月上旬に解消され、現在はいつもの状態に戻りつつあります。しかし、被災した方々の心はまだ癒えておりません。全国の皆様これからも東日本へのご支援をお願いいたします。 最後に今回の大震災において亡くなられた方々のご冥福と、ご家族を亡くされた方々に心よりお見舞い申し上げます。 |