『恋にめざめる頃』['69]
『二十歳の原点』['73]
『放課後』['73]
監督 浅野正雄
監督 大森健次郎
監督 守谷司郎

 先ごろ『阿寒に果つ』['75]と『挽歌』['75]のカップリングで観賞した日誌に「『阿寒に果つ』の時任純子(五十嵐じゅん)もなかなか手に負えない娘だったが、同年製作になる『挽歌』の兵藤怜子(秋吉久美子)も相当なものだった。」と書いていたら、高校時分の映画部長にウケて、それならと酒井和歌子の『恋にめざめる頃』と、角ゆり子の『二十歳の原点』、栗田ひろみの『放課後』を用意してくれた。

 最初に観た『恋にめざめる頃』のオープニングクレジットを眺めていると「原作:中野実『二人妻』より、脚本:成瀬巳喜男『妻よ薔薇のやうに』より、大野靖子」と現れて驚いた。どこが「恋にめざめる頃」なのだろうかと思っていたら、友人からエレクトラコンプレックスを指摘されていた山本君子(酒井和歌子)が父親の俊作(土屋嘉男)への執心に断念を果たす作品だった。

 従ってタイトルの意味するところは、本作を終えた後ということになるわけだ。そこに到るまでの過程は、確かに独善的な直情径行に走る“お構いなし君子”で、彼女に惹かれる青年たちも母親悦子(草笛光子)も父親もひたすら振り回されていた。それでも、そんな振る舞いが許容される愛らしさを備えた娘というわけだ。それにしても、成人していると思しき娘(予告篇で二十歳と明言していた)から抱きつかれて抱き合ったまま雪の斜面を転げる父親など、娘のいる僕の記憶からすれば別世界だ。君子の謀略に振り回された挙句に、ようやく踏ん切りをつけることのできた母親が娘に感謝していたが、終わり良ければ総て良しというものでもないよなぁと思わずにいられなかった。

 戦前の成瀬作品『妻よ薔薇のように』['35]を観たのは、二十年前。観賞日誌に「夫への心遣いや和みというものを持てず、趣味の俳句に没頭することでしか自分を保てない母悦子よりも、家を出た父(丸山定夫)の愛人お雪(英百合子)のほうに妻たる女の資質を見取って心揺れる娘君子(千葉早智子)を描いていて、浅薄な自我の目覚めについては、むしろ否定的な眼差しが感じられる。」と残しているように、本作とは全く異なる趣の作品だった気がする。こちらは、アポロ8号が月を周回する時代の作品だ。それでも今から観れば、君子の母の女性像にしても、彼女が「偉すぎた」と娘に零していた父親が別家庭をもうけて二児を得ていた雪子(市原悦子)の女性像にしても、隔世の感があるように思った。

 奇しくも先週『汝、星のごとく』を観たばかりだ。ちょうど本作での君子がしていたように、家を出て別の女性と暮すようになっている父親を十七歳の娘暁海(広瀬すず)が訪ねていくところから始まる作品だったのだが、当然ながら母(木村佳乃)と父の愛人(石田ゆり子)の女性像は、悦子と雪子の女性像とはまるで違っている。しかしながら、戦前作の『妻よ薔薇のように』、高度成長期の本作、現代の『汝、星のごとく』とも、離婚もせずに妻と娘を残して家を出た父親が別の女性と暮している設定の物語というのは同じで、おそらく今後もなくなることはないのであろう。だが、お構いなし君子が恋に目覚めても、暁海のような恋をすることはなさそうだ。


 翌日観た『二十歳の原点』は、開始20分余りのところで画像が止まり動かなくなって、最後から遡って観ることができたのが32分あたりからだったので10分程度観逃しているわけだが、作品世界を知るうえで決定的な欠落でもなさそうな気がした。

 高野悦子(角ゆり子)が鉄道自殺をしたのは、'69年6月24日だったから、六年ほど前に観た『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』['20]に映し出されていた学生たちと同時代のもので、当時、小学生だった僕には、時代的共感性を呼び起こされる部分を欠いているせいか、あまりピンと来なかった。行状としては、確かに手に負えないところが目につき了見の狭い独善性を感じたが、人物像としては“お構いなし悦子”的な手に負えなさはなく、強情よりも虚弱のほうが漂っていたように思う。

 秀作『泥の河』['81]をものした重森孝子が脚本を担い、共同脚本として森谷司郎が名を連ねている割には響いてくるものに乏しかったのだが、アルベール・ラモリスの『赤い風船』['56]を想起させるショットに目が留まった。高野悦子自身の遺した日記にも、赤い風船はでてくるのだろうか。また、『阿寒に果つ』['75]で印象深い元医学生の偽医師活動家を演じていた地井武男が、悦子のバイト先のホテルの食堂主任を演じて印象深かった。


 セット観賞の最後となった『放課後』は、オープニングの♪探しものはなんですか~♪と歌う陽水の声と共に映し出されるモノクロ画像の学校の光景が、まさに身に覚えのある空気を孕んでいて懐かしかった。煙草の煙立ち込める喫茶の風情など、今は昔そのものだ。全裸女性がモデルの野外ヌード写真撮影会に老若男女のカメラ愛好家が集っている光景も今やなくなっている気がする。裸体が美や素の象徴として認知されていた時代は既に遠くなってしまった。実写版の『ルックバック』['26]での美大のヌードデッサン実習のモデルは男性だった気がする。実際にそうなっているのだろう。

 栗田ひろみ演じる中西アヤコは、“お構いなし子”というよりは、その場その場の気儘に任せる直情径行に悪びれもない幼稚さのように感じた。それだけにさしたる思慮もなく“手に負えない”所業に及び、重大事を引き起こしてしまったことに怯みつつ、その釈明というか代償に更なる暴挙に出ていた。隣家の北沢研二(地井武男)への想いの純粋な発露ではなく、ポケットに密かにマッチ箱を忍ばせた埋め合わせという相手よりも自分自身に対する言い訳だった気がする。そこにはスナック・キャンディのママ由紀(宇都宮雅代)の弟カツヒコ(島村美輝)を誘惑したミホ(篠ヒロコ)との違いが対照されていたように思う。

 さように不埒な十六歳の女子高生を演じた栗田ひろみよりも、宇都宮雅代や篠ヒロコのほうがよほど魅力的に感じたのは、僕の寄る年波のせいなのかもしれない。男優では『阿寒に果つ』『二十歳の原点』に続き、ここでも地井武男がモテ男を演じていて驚いた。
by ヤマ

'26.10.19. DVD観賞
'26.10.20. 日本映画専門チャンネル録画
'26.10.21. 日本映画専門チャンネル録画



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