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『汝、星のごとく』['26]
監督 藤井道人

 大人の広瀬すずを観たくて映画館に行ったら、いきなり「17歳―夏」とかいって高校生を演じていて、なまじ十七歳当時の『海街diary』で中学生を演じた彼女に見覚えがあるせいで、何とも言えない違和感に見舞われたけれども「32歳―冬」までの「24歳―冬」「30歳―冬」を演じていたから満足した。

 十七歳から三十二歳までの十五年間で共に過ごした時間は僅かな二人だったけれども、擦れ違いつつも互いの人生の標として星の如き輝きを失わなかった関係が、花火のようにひときわ美しく儚く華開く“捻じれと真っ当さの匙加減”のほどがよくて、大いに魅せられながら観たように思う。青埜櫂を演じた横浜流星はこういう役処が実によく似合っている気がした。

 二十四歳の冬に井上暁海(広瀬すず)が「あたし、お母さんと同じだ」と言ったときが、北原先生(長谷川博己)の言っていた意味での「可哀想な女」になったときで、そのとき娘に刺繡を教えてやってくれないかと掛けた声は、三十歳になった彼女に対して申し出た、結婚という枠組みによって“縛り”とは反対の“自由”を得ようとの持ち掛けと同じくらい値打ちがあったように思う。

 世の中から実体としての“真っ当さ”というものがどんどん損なわれてきている時代だからこそ、逆に表層的な“正しさ”が過剰に持ち出されるようになった世相を、むかしの大らかさのなかで育ってきた僕などは苦々しく感じているから、北原先生が三十二歳の暁海に言う「正しさよりも大事な真っ当さというものがある」という趣旨の言葉を掛けて、取り敢えず十万円持たせて“妻”を元カレの元に送り出す姿に共感を覚えた。ところが、そのような主題を抱えた映画のエンドロールを眺めていると、皮肉なことに自転車の二人乗りと自殺防止についての“正しい”忠告テロップがエクスキューズ的に現われて失笑してしまった。

 また、言葉をよく知っていると言われることの多い僕だけれども、古希も視野に入るこの歳になるまで「夕星(ゆうづつ)」というのは聞いたことがなくて、なんだか新鮮だった。それにしても、「17歳―夏」以降、全く姿を見せなくなっていた暁海の父は、原作小説ではどうなっていたのだろう。
by ヤマ

'26.10.15. TOHOシネマズ4



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

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