『大地』(The Good Earth)['37]
監督 シドニー・フランクリン

 原作であるパール・バックの『大地』三部作は、僕が最初に読んだ長編小説だという記憶が、書棚に収まっている三冊の文庫本とともに残っている。十代前半でのことだったように思う。当時、その大河的スケールに感嘆した覚えがある。王龍【ワンルン】(ポール・ムニ)と玉蘭【オーラン】(ルイーゼ・ライナー)の結婚から始まり、長男の婚礼とオーランの死によって終える本作は、小説の三部作の第一部「大地」の26/34章ほどまでの話だ。貧農から大地主にまで成りあがったワンルン一家を描いていたが、映画の主役はやはりオーランだったように思う。

 序盤に出て来るワンルンの捨てた桃の種を拾うオーランの印象深い台詞「種があれば、木が育ちます」の場面を原作に当たってみたところ、「小さな桃を六つ買った。「さあ、食べなよ」彼はぶあいそうに言った。彼女は子供のようにばくりとつかみ取ると、それを黙ったまま手の中にしまいこんだ。次に彼がふり返ったとき、ちょうど二人は小麦畑の縁に沿って歩いていたが、彼女はいかにも大事そうに桃をかじっていた。しかし彼に見られているのに気がつくと、また手でそれを隠して、口を動かさなかった。」(P30 旺文社文庫[特製版])とあるだけだった。

 また、妻オーランに先立たれたワンルンが、その育った桃の木に手を掛けて呟く「You are the earth(字幕では「オーラン、お前は俺の大地だ」と訳されていた)」も原作小説には見られなかった。いかにも締め括りに相応しい決め台詞だったのだが、原作小説では第一部の四分の三あたりの場面でしかない。ありがちな男たちと違って妻を労わりつつ娶ったワンルンが、分限者になるや器量に優り華のある女性に現を抜かして妻を顧みなくなったことへの悔恨も込めて発せられていた台詞だったように思われるが、太平洋戦争前の1937年当時に、かような女性映画が撮られ、且つアカデミー賞を獲得していることには感心させられる。二日前に観たばかりだった『オデュッセイア』での「男というものは…」との魔女キルケの弁が思い起こされた。ギリシャであろうが、アメリカであろうが、中国であろうが、神話時代~戦前~戦後、実に男に変わりはないということでもある。

 そのようななか、夫以上に土地への執着を見せるオーランの姿に『風と共に去りぬ』['39]のスカーレットを想起したのだが、奇しくも本作ディスクを納めた10枚組コレクション「お茶の間 名作劇場 アカデミー賞作品50選」のボックスタイトルが、本作の二年後に撮られた同作となっていた。
by ヤマ

'26. 9.26. DVD観賞



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