繭
黒部節子
開いている「次の間」の仄明るさ
あの場所をわたしはよくみることがありました
ゆめの白い敷居のむこうに
その忘れられた六畳の部屋はあって
縁無し畳の上に坐っているのは
いつもわたしの知らない年老いた従妹たちでした
毛たぼを入れた大きな髪をうつぶけ
あのひとたちはお茶わんを両手にもって何かを
啜っているのでした あのひとたちは
「七月が近い」といい裏の夾竹桃が
「昨日咲いていた」という言い方をしました
黒い木の戸棚には把手のない
いくつかの戸がありました それが開けられることは
けっしてありませんでした
それからあのひとたちは 後ろ向きのまま
おもい顔の廂をあげて
翳りはじめている遠い庭を見ました
砂の上にまゆが干されていました
まゆはそれぞれが細い消えた糸でつながりながら幽かに光りながら
けれど陽のなかでことごとく空でした
詩集『いまは誰もいません』(初出「湾」59号、71年3月)から
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夏の部屋
黒部節子
あの部屋は寝間(ねま)です
長いあいだ病気の人はそこに寝ております
蚊帳を吊って 西向きに寝ています
障子の向かいに階段があって
その下に黒い大きな戸棚が二つ
しんと閉じています
封をしたまま銹びてしまった鑵とか
古い写真を半紙に包んでしまってある平たい
箱とか そんなものが
奥深い暗いなかに入っています
その戸には把手がありません
その戸が開くのを見た人はいません
障子が早く明るむ朝
木綿の匂いがして
夏服のひとが階段を降りてゆき 裏の方で
「一ばん草(ぐさ)」という声がするのです
あれはおばんの声だと おばんはとうにいないのに
病気の人は思います
そして蚊帳のちょうど真中へんに止って動かない
小さな蝿を見ています
(蝿はいつ飛ぶのでしょう)
夕方 田んぼが青白く光りだすころ
病人は悪くなります
寝間のふすまがとり払われ
隣の仏間とつづいた広い畳の向うに とても遠く
庭が見えます
西日が熱い軒にさしています
詩集『北向きの家』(初出「アルファ」31号、71年9月)から
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