映画で辿る若戸大橋
2022年、若戸大橋が国の「重要文化財」に登録されたことを記念し、映画に出てくる若戸大橋の作品を年代順にご紹介いたします。
若戸大橋の建設が決まったのは、今から60年以上前のことであり、それを知る人も非常に少ないと思います。
「若戸大橋の誕生」 に奮闘した、若松の最後の市長であった吉田敬太郎の言葉を借りてご紹介いたします。2022年、若戸大橋が国の「重要文化財」に登録されたことを記念し、映画に出てくる若戸大橋の作品を年代順にご紹介いたします。
若戸大橋の建設が決まったのは、今から60年以上前のことであり、それを知る人も非常に少ないと思います。
「若戸大橋の誕生」 に奮闘した、若松の最後の市長であった吉田敬太郎の言葉を借りてご紹介いたします。出典:新都市 7(2)都市計画協会
【若松市建設の構想】
「...架橋か、トンネルか、その型式を如何にするかは今後の調査、研究によるので論ずる要もないが一面より考察するに、トンネルに於ては既に世界に誇るべき關門鐵道トンネル及び工事中の國道トンネルがある。
橋梁に於ては然らず、我國技術界の精粋を凝らして本橋完成の暁は、世界的観光施設として沿岸の偉觀と相俟ち、洞海灣口に一大異彩を添えるであろう。」
出典:新都市 7(2)都市計画協会 1953-02 吉田敬太郎
© 絵葉書 1962
当時の若松市長であった吉田敬太郎は、若戸大橋の実現の夢に向けて奔走していることがわかります。 準備も怠ってはいませんでした。資金調達のひとつの手段として若松市の財源に充てるための痕跡が形として現在も残っています。1952年11月に完成した「若松競艇場」でした。 この時の事情は、若戸大橋の建設が決まった1955年の記録映画、「観光と産業の若松(若松ロータリークラブ制作)」に記録されているのだと思いますが現物の所在がわかっていません。
どなたか、情報をお持ちでしたら教えて下さい。
2022/3/13(Sun)
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2018/4/27(Fri)
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2017/3/25(Sat)
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2016/8/20(Sat)
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2008/5/24(Sat)
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2007/9/8(Sat)
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2007/5/5(Sat)
© ファントム・フィルム
2004/1/24(Sat)
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2002/8/3(Sat)
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2000/7/28(Fri)
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1988/8/8(Mon)
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1986/1/15(Wed)
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1979/12/28(Fri)
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1976/4/24(Sat)
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1969/7/26(Sat)
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1969/4/26(Sat)
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1967/8/12(Sat)
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1966/4/10(Sun)
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1964/8/11(Tue)
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1964/8/8(Sat)
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1963/10/4(Fri)
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1963/1/3(Thu)
© 東宝
映画には実際の若戸大橋開通式の模様が使われています。また、同時期に開催された「若戸博」の高塔山会場、戸畑会場の様子も記録されています。ほんの一瞬ですが、藤山陽子さんが高塔山の音楽堂で若戸大橋音頭を踊るシーンやミス若戸博に選ばれたシーンは印象的です。藤山さんは1964年の映画「ドゴラ」にも出演されました。森重久弥さんが若戸大橋を高塔山展望台に設置されていたNikonの双眼鏡で覗いて見るシーンがあります。コイン入れて使う双眼鏡でしたが、時代とともに見かけることがなくなりました。
1962/12/5(Wed)
© 松竹京都
1962/11/23(Fri)
© 東宝
1962/*/*(*)
© 戸畑市、若松市、道路公団