マイ・セレクト

その時々に「いいなぁ~」と思った短歌をセレクトして紹介します。

マイ・セレクト一覧

【vol.252】千葉優作『anchorage』青磁社

わたくしが踏切ならば遮断機を下ろしわすれるほどの夕焼け

そのひとの鼻のかたちの残りたるマスクの白が目立つ屑籠

憂鬱のuかもしれぬビオレuもて月曜の身体洗へり

しんしんと雪ふるなかをゆくわれに雪は纏はる死者のごとくに

さびしくて覗くちくわの空洞のやうな三月雨ばかり降る

この世のちくわすべてに穴が空いてゐてときどき死者がこちらを覗く

いつぽんのマッチ擦るとき手のひらの小鳥を放つやうなさみしさ

死者の手を夢にて握りゐしやうに醒めてしばらく透きとほるゆび

真二つにちくわ切るときゆがみをり時空を超えてだれかの喉が

うすがみに切りたる指に滲む血のあふれたきいのちをもてあます

はりぎりの葉のはらはらと降るゆふべひとひ言葉の不在を過ごす

さつくりとしやもじに米を切るときに脳のやはらかさを思ひたり

まなかひをかすめてツバメ去りゆけばこの世にて逢ふおほかたは影

梨ひとつ机上に置けばかすかなる水辺とおもひ寄りゆくこころ

鳴ることのないままに張り詰めてゐる弦楽器あり冬の空には

月はただひとつの月として浮かぶはじめから孤独ならよかつたな


 

『あるはなく』(2022年刊)に次ぐ第二歌集。さみしさや孤独が、ちくわやマッチや月などに様々なかたちで現れる。大きなアップダウンはなく、常に水平線のすこし下あたりをゆく感じ。現代を生きる若者のうちなる声が聞こえる。

【vol.251】淀美佑子『ツガイムスビ』笠間書院

正解を赤鉛筆で書きこんで傷跡つけるきみのノートに

わざと手をつないだままの地下鉄で夜へと向かう接続を待つ

学校をサボって行ったキュビスム展もっと壊れた絵を観たかった

スフレよりタルトの重さでセフレより濃いめのチーズのようなきみだね

スタヂオのドアの重さを肩で押す海から陸にあがる心地で

狂い咲き水面で魚(うお)に恋すれどさだめのままに散る 花として

感情に流されまいとしていたらすべての色が消えた鏡台

愛あらば暴かずにいて永久に行方知れずのヴィーナスの腕

はじめての金継ぎをしたカレー皿のわずかなずれにひっかかる匙(さじ)

つぶすつぶす歪(いびつ)なポテトとわだかまりがサラダになるまで なってもつぶす

辛酸をまろやかにしてマヨネーズ腹がへっては優しくなれぬ

やさぐれて欠けた心をうめるようホットケーキの満月を食む

富裕層をパフェのてっぺんだとすればコーンフレークのあたりに暮らす

パッケージされた精肉見るようにニュースに死刑執行を聞く

誰かしら傷つけながら生きていて善意で豆腐を賽(さい)の目に切る

タレントの訃報(ふほう)の記事に添えられたいのちの電話の数字十桁


 

あとがきに、「性」を軸に「食」や「命」へと思いを馳せた、とある。作為的なところも見えるが、挑戦的かつ挑発的な歌集である。呉服販売業に従事されていた作者は、お会いする時いつも着物だ。従来の古風な着かたではなく、自由にアレンジされた新しい着こなし。短歌に通じるところがある。東京生まれ東京育ち、中部短歌会。

【vol.250】桑原正紀『麦熟るるころ』本阿弥書店

追熟のすぎたる桃のあやふさにそつと手触るるやうなもの言ひ

この池の鯉も老いしかくろがねの体(たい)のはつかに金色を帯ぶ

人の世は不穏なれども咲きいづるさくら さくらは知らぬ顔せり

よき歌は菩薩ならむよこころどにほつと小さき灯りがともる

ふみづきを降りみ降らずみ長梅雨のなかなか霽(は)れぬコロナ鬱かも

脳病むにあらずよ妻は厭離穢土(えんりゑど)遂げてほほゑむ結界のなか

藤棚を透く秋の日のやはらかく生死(しやうじ)のさかひおぼろにしたり

老い坂は下りならんよたらたらと生きつつ少し加速度がつく

二人きて「よいしょ」と運び出ださるる冷蔵庫白き柩のごとし

永蟄居(えいちつきよ)命ぜられてもおそらくは平気の平左衛門よわれは

秋のいろ褪せゆく苑に大公孫樹ひとつ黄金をたもつ荘厳(しやうごん)

ドッグランは無秩序(カオス)と見えて人間の知覚を超えた秩序(コスモス)のある

折り紙の蛙をピョンと跳ねさせてすこしさびしい冬の指さき

みなづきは夢のなかにも雨ふりて誰かに傘をさしかけてゐし

アカシアの花ぬらす雨したたりて傘に鳴るとき傘は抒情す

秋空にしんと冷たきひかり満ち飛行機雲はながく崩れず

かたつむりが格子をのぼりつめるまで見てゐしころのわうごん時間

多く知り多く忘れて多く会ひ多く別るる倍速時間

西方にまこと浄土のあるごとく夕陽を背負ふ阿弥陀三尊

人道的兵器といふがあるごとき「非人道的兵器」とは面妖な語ぞ

ありえざる死を見届けて帰る夜の雨音が傘に鳴りやまずけり

わくらばが葉を擦りながら落つる音きこゆるまでにしづけき真昼

いのちありて見るしろき雲あをき空いのちといふはほんにさびしき

金と茶の色目きはやかカステラを黒き漆の皿に載せれば

猫好きは忍耐のひと寛恕のひと思惟ふかきひと情あつきひと

〈サイレントニャー〉のゆたかな無音もて猫族は人を思索家にする


 

2019年後半~2025年前半の464首を収めた第十歌集。2024年、19年間看取り続けた妻を亡くし、その挽歌は決して多くなく、静かに静かに詠われているが、そのことがかえって胸を打つ。戦地へ思いを馳せる歌もあるが、流麗な韻律によって、声高にならず詩に昇華している。この歌集で第18回小野市詩歌文学賞ならびに第60回迢空賞を受賞。

【vol.249】小原奈実『声影記』港の人

カーテンに鳥の影はやし速かりしのちつくづくと白きカーテン

仰向けに蟬さらされて六本の鉤爪ふかし天の心窩へ

読み終へし手紙ふたたび畳む夜ひとの折りたる折り目のままに

犬飼ふを勧められたる夕べよりしづけさはしなやかに尾を振る

驟雨近し いまわが匙を逃れたるゼリーに繊き聴覚ありて

佇(た)つによき生薬学の書架の辺へけふ踏み台がちひさくありぬ

抱き来し本に移れる身の熱を贄(にへ)のごとくに書庫へ返せり

肉体のわれを欲るきみ切りわけし桃に褐変の時が過ぎゆく

脳に思惟ともるごとくに藍さしてふかみて褪せしのちもあぢさゐ

春の日の鳩の歩みを急かしつつ病床なればまだ訪ひゆける

眠りなさい かくばかり世を見つめては眼から椿になってしまふよ

鳥を追ひそのまぶしさに眩むうち疎林のなかに眼を失ひぬ

雲の上の空深くあるゆふぐれにひとはみづからの時を汲む井戸

豆の袋に豆の粒みな動かざるゆふべもの食む音かすかにて

軀なきままに逢ふべし並木ゆき麻酔のごとき蟬声のはて

割れて桔梗に砕けて萩になりしもの雨に濡らしてしまへばしづか

引き潮にとらるるごとくきみ眠り背(せな)に添へゐしわが手を離(か)れぬ

剖(ひら)きゆく刃のしびれむか言語野の白さ柔さは雪にあらねど

鳶すべる空は幾重の絹ならむ躱すつばさにまた添ひながら

櫛つかふ腕が痛めり圧(お)しつづけし心臓すでになきこの夜を

みひらけどみえぬさくらよちりゆけば息つまるまでけはいみつるを

藤のこころにちかづくなかれ 捕はれて逆さ吊りなるいくたりの髪

きさらぎの錫の光の朝々を裸身にて木は奔りゆかずや

静水にこゑなからむに湛へゐるグラスの影のうちのかがやき

木犀の呼吸のうちをゆく夜を苦しめる木は濃くにほひたり

消灯ののちキッチンに立ちてあふ地震(なゐ)のさなかを桃の匂へり

道はいづくも地の傷なれば都市よりも道をほろぼすこと難からむ


 

こまやかな観察、端正な文体、繊細な五感を駆使して紡がれる歌は「上質」という言葉が相応しい。幻視のようであり、ただごと歌のようである(それらは表裏一体であるが)。とにかく対象をよく見ており、身体感覚も優れている。1991年東京生まれ。第56回角川短歌賞次席。同人誌「穀物」などに参加。

【vol.248】澤村斉美『竜の眠つてゐた跡』砂子屋書房

花は木を、私は君を残してゆくかもしれないがまあ飲め、けふは

浄瑠璃の三味線べんと鳴らしたし夫が人界を嘆ける夜は

いくつかのスイッチを切り薄闇の君のとなりに私を舫(もや)ふ

珍しい鳥が来ましたといふやうに「オスプレイ東日本に初飛来」

ローリエはダフネのからだ 木になれば心は軽くなるのだらうか

定量といふものあらばこの町のかなしみすでに定量を超ゆ

朝の日を入れればとなりのシーツには竜の眠つてゐた跡がある

さくらばな心あふれてとどまらぬ春をカメラの枠に収めつ

なりかけてならざるいのちの呼び方を誰に尋ねむ山深き朝

育たぬと診断されし細胞に梅がもうすぐ咲くと教へつ

かなしみはいつくるのかと掌を開いて閉じて鉛筆握る

生みたかつたと思つた二月ぴしぴしと裸の枝が交差してゐる

しだれつつ咲く花の下タクシーと眠る運転手は死者ならず

ほうたるの光に母は吸はれたり川のほとりへ来よと手招く

木に戻りたいと思ふことありますか 黙(もだ)ふつくらと聖観音は

わが内の水に花咲くふたひらの花は足裏(あうら)と呼ばれてそよぐ

焼け石を見たことはなし焼け石のごとく泣く子をタオルで包む

子の喉にふとき弦あり乳飲むとおろんおろんと鳴る白き弦

ナインアインメエンネーンと変化して息子は否む母のあやしを

ざんぶざんぶと水に沈まぬ葱の束もつとも殺しがたきはわれよ

目玉焼きのあかるい丘が運ばれてきた「かなしい」にはほど遠い朝

しなくてもいい結婚をして人は濡れてゆく草夜半の雨に

自分の名の上に故のつく想像をする隙(ひま)はありしが欠詠す

子の口のなにがさびしいゾウの耳キリンの角を交互に嚙んで

にんじんのみぢん切りに泣けてくるなんて半端に明るい一日の終はり


 

結婚、出産、子育てという、多くの人が経験してきた女の三十代を詠むのは難しいと思う。まして幸福な日々は。「陰」に寄りすぎると噓になり、「陽」ばかりだと読者は遠ざかる。 そのなかで、「「かなしい」にはほど遠い朝」という見せ消ちのかたちや「半端に明るい一日の終はり」という絶妙な表現が良いと思った。新聞社で校閲記者として働く社会的な視点も新しい。「塔」編集長の第三歌集。

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