マイ・セレクト

その時々に「いいなぁ~」と思った短歌をセレクトして紹介します。

マイ・セレクト一覧

【vol.249】小原奈実『声影記』港の人

カーテンに鳥の影はやし速かりしのちつくづくと白きカーテン

仰向けに蟬さらされて六本の鉤爪ふかし天の心窩へ

読み終へし手紙ふたたび畳む夜ひとの折りたる折り目のままに

犬飼ふを勧められたる夕べよりしづけさはしなやかに尾を振る

驟雨近し いまわが匙を逃れたるゼリーに繊き聴覚ありて

佇(た)つによき生薬学の書架の辺へけふ踏み台がちひさくありぬ

抱き来し本に移れる身の熱を贄(にへ)のごとくに書庫へ返せり

肉体のわれを欲るきみ切りわけし桃に褐変の時が過ぎゆく

脳に思惟ともるごとくに藍さしてふかみて褪せしのちもあぢさゐ

春の日の鳩の歩みを急かしつつ病床なればまだ訪ひゆける

眠りなさい かくばかり世を見つめては眼から椿になってしまふよ

鳥を追ひそのまぶしさに眩むうち疎林のなかに眼を失ひぬ

雲の上の空深くあるゆふぐれにひとはみづからの時を汲む井戸

豆の袋に豆の粒みな動かざるゆふべもの食む音かすかにて

軀なきままに逢ふべし並木ゆき麻酔のごとき蟬声のはて

割れて桔梗に砕けて萩になりしもの雨に濡らしてしまへばしづか

引き潮にとらるるごとくきみ眠り背(せな)に添へゐしわが手を離(か)れぬ

剖(ひら)きゆく刃のしびれむか言語野の白さ柔さは雪にあらねど

鳶すべる空は幾重の絹ならむ躱すつばさにまた添ひながら

櫛つかふ腕が痛めり圧(お)しつづけし心臓すでになきこの夜を

みひらけどみえぬさくらよちりゆけば息つまるまでけはいみつるを

藤のこころにちかづくなかれ 捕はれて逆さ吊りなるいくたりの髪

きさらぎの錫の光の朝々を裸身にて木は奔りゆかずや

静水にこゑなからむに湛へゐるグラスの影のうちのかがやき

木犀の呼吸のうちをゆく夜を苦しめる木は濃くにほひたり

消灯ののちキッチンに立ちてあふ地震(なゐ)のさなかを桃の匂へり

道はいづくも地の傷なれば都市よりも道をほろぼすこと難からむ


 

こまやかな観察、端正な文体、繊細な五感を駆使して紡がれる歌は「上質」という言葉が相応しい。幻視のようであり、ただごと歌のようである(それらは表裏一体であるが)。とにかく対象をよく見ており、身体感覚も優れている。1991年東京生まれ。第56回角川短歌賞次席。同人誌「穀物」などに参加。

【vol.248】澤村斉美『竜の眠つてゐた跡』砂子屋書房

花は木を、私は君を残してゆくかもしれないがまあ飲め、けふは

浄瑠璃の三味線べんと鳴らしたし夫が人界を嘆ける夜は

いくつかのスイッチを切り薄闇の君のとなりに私を舫(もや)ふ

珍しい鳥が来ましたといふやうに「オスプレイ東日本に初飛来」

ローリエはダフネのからだ 木になれば心は軽くなるのだらうか

定量といふものあらばこの町のかなしみすでに定量を超ゆ

朝の日を入れればとなりのシーツには竜の眠つてゐた跡がある

さくらばな心あふれてとどまらぬ春をカメラの枠に収めつ

なりかけてならざるいのちの呼び方を誰に尋ねむ山深き朝

育たぬと診断されし細胞に梅がもうすぐ咲くと教へつ

かなしみはいつくるのかと掌を開いて閉じて鉛筆握る

生みたかつたと思つた二月ぴしぴしと裸の枝が交差してゐる

しだれつつ咲く花の下タクシーと眠る運転手は死者ならず

ほうたるの光に母は吸はれたり川のほとりへ来よと手招く

木に戻りたいと思ふことありますか 黙(もだ)ふつくらと聖観音は

わが内の水に花咲くふたひらの花は足裏(あうら)と呼ばれてそよぐ

焼け石を見たことはなし焼け石のごとく泣く子をタオルで包む

子の喉にふとき弦あり乳飲むとおろんおろんと鳴る白き弦

ナインアインメエンネーンと変化して息子は否む母のあやしを

ざんぶざんぶと水に沈まぬ葱の束もつとも殺しがたきはわれよ

目玉焼きのあかるい丘が運ばれてきた「かなしい」にはほど遠い朝

しなくてもいい結婚をして人は濡れてゆく草夜半の雨に

自分の名の上に故のつく想像をする隙(ひま)はありしが欠詠す

子の口のなにがさびしいゾウの耳キリンの角を交互に嚙んで

にんじんのみぢん切りに泣けてくるなんて半端に明るい一日の終はり


 

結婚、出産、子育てという、多くの人が経験してきた女の三十代を詠むのは難しいと思う。まして幸福な日々は。「陰」に寄りすぎると噓になり、「陽」ばかりだと読者は遠ざかる。 そのなかで、「「かなしい」にはほど遠い朝」という見せ消ちのかたちや「半端に明るい一日の終はり」という絶妙な表現が良いと思った。新聞社で校閲記者として働く社会的な視点も新しい。「塔」編集長の第三歌集。

【vol.247】笹川諒『眠りの市場にて』書肆侃侃房

チェロの隣で眠った記憶 すぐ逃げる憂いは猫のようだと思う

もう消えた記憶の成れの果てとしてセイタカアワダチソウ群れて咲く

とうめいな野原にとうめいな野原を 痛むのは縫い合わすときだけ

青空にブローチの針を刺すような痛みのことをうまく言えない

レシーブで上げたボールが冬の昼の月に変わって落ちて、目覚める

窓に映る楡の鏡像 この世には誰かの忘れものが多すぎる

はつなつの伸びるこころの先端にアラザンを振る大いなる手よ

それは夏、それは光のしゃれこうべ、あなたを留めおくすべがない

初雪が窓の外では降っている優しいだけの帽子のように

蜜柑ではなくて何かの記憶かもしれずジューサーがんがん回す

詩の中に帽子を置いて去るのにも適した季節がある、と棕櫚の木

三月の雪によく似た後輩とみさかえの園行きバスを待つ

チョコレートを食べて悲しくなっているみたいなジュアン・ミロの一枚

これは日々、でも所詮日々 優美という言葉はブルグミュラーで知ったよ

ひとすじの光を曳いて去り際のあなたは青いオーボエだった

今日というカードがあればその裏に紫陽花のさびしい鉛筆画

鏡よりずっとさびしく友人のトランペットが鳴るのを待った

次会えば何を話すのだろう でも牛乳みたいな言葉で話す

この世のことはほぼ難しいうっすらと同時に思うレモン・巡礼

空自身が壊れぬように空がまだ試さずにいる一色のこと


 

『眠りの市場にて』というタイトルの通り、静かな眠りの中にずっといるような歌集。夢の歌、夢の源泉である記憶の歌が多いのが特徴。前後の場面は関連が無いようでいてうっすらと繋がるように展開し、それでいて鮮やかな色彩や痛みなどの感覚が残る。絵画や音楽、特に西洋の香りのする固有名詞を多く配しているのも特徴の一つ。楽器はなぜか鳴っていないことが多い。第一歌集『水の聖歌隊』で現代歌人集会賞を受賞。「短歌人」所属の第二歌集。

【vol.246】小島なお『卵降る』左右社

階段に座れば月が大きくて大きい月に似合う階段

吹き出しの余白もことばはつなつはガードレールをすり抜けて来る

死ぬことが怖いのではない朝ごとに牛乳の白注いで立たす

死ぬほどというその死までそばにいて泡立草の泡のなかなる

産んでいない子を思うこと増えながらあかるいパンジー大きなくらやみ

ホロコーストはなかった線路に降る雪はなかった雪産む空はなかった

噴水に両手を入れて濯ぐとき水になる手と手になる水と

初めから心が外にある季節 屋上にある扉に鍵を

その前に立てば身体を喪えり向日葵というポルノグラフィ

頭さえあれば胸さえ脚さえとやがて身体のいらない驟雨

時刻表撮るため向かいのバス停へ、帰るつもりのまだ旅だから

箱にある見本みたいなシチュー でも見本はさびしい シチューはさらに

北京ダックの黒いソースが汚す皿 打ち明けるには広すぎる部屋

いてもいい、いなくてもいい 選ばれし花びら散って きみにいてほしい

木の実降る径は私に続きおり卵(らん)降る日々をきみと歩めり

眠ってる間に終わる採卵は植物の生殖のかそけさ

精液を携えてくる淋しさを針穴だらけのからだが思う

同姓のふたりで借りる日産車助手席に座るほうが蝋燭

モルックの木片倒す夕べには暖炉のように歳取りてゆく

ライブカメラに覗く火口湖生き物の棲めない青を峰は孕みぬ

弱い手は強い部品を作れない山羊と兵器と女学生たち


 

2021年~2025年までの作品をほぼ時系列に並べた第四歌集。身辺の変化、身体の変化に伴う葛藤を詩に昇華している。特に採卵→卵子凍結に至る一連を詠むには勇気がいっただろう。きみ、卵、身体、裸……等々が頻出ワードだろうか。社会詠の連作がいくつかあったのにも注目した。

【vol.245】洞口千恵『芭蕉の辻』六花書林

いくたびも手をかざしけり静脈のかたちと〈われ〉が一致するまで

鍵の失せし鍵穴として君の死に対ふほかなし夜の窓を鎖す

おびただしく北へ奔れるうろこ雲のどこかに冬の封じ手がある

川に降れば川となる雪人生に無駄な出会ひはなしといへども

変はるもの変はらざるものアスファルトの陥没に降る八月の雨

秋深み余震はいまだ続きをりとぎれとぎれの記憶のごとく

減ることのなき死者たちと春彼岸スイートピーの香を分けあへり

除塩されし水田に早苗そよぎをり瑞穂の国のはじめのごとく

海までの距離が死までの距離となりし仙台平野に生き残りたり

配給の限りある水を分けあひしポトスは育ちバンブーは枯れぬ

綿入れをどんぶくと呼ぶふるさとに老いづくわれやどんぶくを着て

風化より美化がおそろし風塵をふかくしづめて雪は降りつむ

被災地に認定死者とふ死者あるを死者は知らずも彼岸花咲く

頭部の骨なくば死者とは認められぬうつつに被るモヘアの帽子

震災時の飢ゑの記憶は五十円の解凍にしんをまとめ買ひせり

役人に「動くがれき」と言はれけり被曝をしたる牛のいのちは

海が海を取り戻すまで五年(いつとせ)を生き残りたる松は記憶す

のどぼとけの骨は他人に拾はれつ父の訛りのみなもとの白


 

洞口さんは仙台の人。震災詠にはそこに生きる者でしか歌えない歌があり、重みがある。巻末に青春の性愛を詠んだ一連もある。1971年生れの同年代。「短歌人」同人の第二歌集。

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