3.桜は日本人の魂(2008年中国出張と桜)

  中国出張で北京で会ったWさんは4年間日本にいたことがあり、小金井公園の桜がきれいだったと言った。アメリカのポトマック河畔の桜の例もあるし、中国の風景に桜も似合うのではないかと思ったので、中国に桜はあるのかと聞くとRさんが、少しはあるが改めて輸入することは病虫害のため禁止されていると言う。桜外交についてはこんな記事を思い出した。
  08年11月11日読売新聞の編集手帳『相馬雪香さんが小学生のとき、授業で教師が述べた。「桜は日本人の魂である。魂を売った国賊がいる」米国へ3200本の桜を贈ったのは相馬さんの父、東京市長の尾崎行雄である。体制批判を貫いた政治家の娘に世間の目は冷たい。食糧難の終戦直後、ひもじがる4人の子供を抱え、頭を下げて農家を歩いた。「国賊の娘に食わせるものはない」。返ってくるのは判で押したような言葉であった。娘は「難民を助ける会」の現職会長として生涯を現役で通した。相馬さんが生まれた1912年(明治45年)は尾崎が米国に桜を贈った年である。ポトマック河畔の春を今も彩る同い年の木々に似て、風雪に耐えて咲いた花の生涯をしのぶ』

桜への思い

  関東では春3月末から4月の初め頃、一斉に咲き始め一斉に散っていく桜に、人はそれぞれに出会いと別れを重ね合わせてきた。毎年見てもなぜか桜の咲く時期はそわそわして仕方がない。西行は「願わくば花のしたにて春死なんその如月の望月の頃」と、本居宣長は「桜花ふかきいろとも見えなくにちしほにそめるわがこころかな」と詠った。古来、桜は何故これほどまでに日本人の心を引き付けてきたのか。
  桜というとき、今の日本人はほとんどソメイヨシノという品種の桜を前提にしている。そのソメイヨシノは良く知られているように、江戸末期から明治初期に、江戸の染井村(現在の東京都豊島区駒込)に集落を作っていた造園師や植木職人達によって育成され「吉野桜(ヤマザクラの意)」として売り出されもので、生まれてからこのかた、たった百数十年しか経っていないのに、今では日本国土の8割もソメイヨシノが占めている。従って、元禄時代の長屋の花見の桜も、西行が詠った桜も、本居宣長が愛でた桜も今のソメイヨシノではないことになる。日本の国花は菊と桜、東京都の花はソメイヨシノである。
  しかしここで、桜花をソメイヨシノに限定する必要もないし、その他多くの品種の山桜や八重桜、枝垂れ桜と比べる必要もないと思う。どの桜が好きかは人それぞれでよいし、その時代時代の桜で魅了されてきたことにけちをつけても意味はない。とにかく時代を経ても桜花の種類が異なろうと日本人は桜が好きなのである。

ソメイヨシノはクローン

  驚くことに、ソメイヨシノには種子から育った樹はない。ソメイヨシノは同じ樹の雄しべと雌しべでは受粉できない性質(自家不和合性)があり、すべて接木や挿し木によるもので、ソメイヨシノからはソメイヨシノはできず、すべてクローンなのである。しかし、このクローン性が思わぬところに影響している。一面に一斉に開花して桜色一色の並木が続くのも、開花宣言、桜前線がいえるのも、どの樹もクローンであることからきている。また、一斉に咲き一斉に散るので、花見のシーズンはわずか10日程度であり、日本人は憑かれたように浮かれ、それが終わればまた平静に戻るのもこのクローン性のなせる業である。
  伊豆高原の桜並木を見たことがあるだろうか。延々と3kmにも及ぶソメイヨシノの桜並木のトンネルがある。正直言って最後には少々辟易した記憶がある。単純さと無変化さに疲れた記憶があるが、これは贅沢であろうか。

桜の受難時代

  ナショナリズムを国民に浸透させるのに、このソメイヨシノは非常に都合の良い樹であった。つぼみが膨らむ開花前の健気さ、咲き始める華麗さ、満開の美しさ、そして、いさぎよく散り行く誉れ。大正、昭和とともに、桜はナショナリズムの道具として利用されてきた。特に散り際の美しさは「咲いた花なら散るのは定め、見事散りましょう国のため(同期の桜)」として死への賛美として歌われた。
  同様に桜が咲く国は日本であるとばかり、桜を中国、韓国等に植えることも盛んに行われた。中国武漢大学にも日本軍は桜を植えた。戦争が終わったとき、桜は日本軍の残したものだから、切って捨てようという反日感情を、周恩来が反対しこれを保存し今でも武漢では毎年桜が咲く。周恩来は、新しい時代の日中友好を祈ったのであろう。
  能楽に西行桜という世阿弥の作品がある。春になると、美しい桜が咲き、多くの人々が花見に訪れるが、今年西行は花見を禁止した。 一人で桜を愛でていると、今年も多くの人々がやってきた。桜を愛でていた西行は、遥々やってきた人を追い返す訳にもいかず、「美しさゆえに人をひきつけるのが桜の罪なところだ」という歌を詠む。うたた寝をしていると夢の中に老桜の精が現れ、「桜の咎とはなんだ。桜はただ咲くだけのもので、咎などあるわけがない。」と言い、「煩わしいと思うのも人の心だ」と西行を諭し、西行の夢が覚めると老桜の精もきえ、ただ老木の桜がひっそりと息づいていた。(出展:Wikipedia)

桜は

  戦争と桜をつなぎ合わせることがそもそもおかしい。「花のもとにて春死なん」と詠った西行自身、戦いが嫌で武士の身分を捨てて歌人になった人である。アメリカのポトマック河畔の桜が、日本人と日本文化を示すと同時にアメリカの首都の自然美と春の訪れを表すように、また、武漢大学の桜を守った周恩来の胸の中に未来を見据える心、将来中国と日本友好のシンボルとなる桜を伐るなという気持ちがあったように、桜は親善使節の役割を担って中国の人達にも桜の美しさをもっと知ってもらってもいいのではないか、Wさん、R氏の話を聞きながら思った中国出張であった。