いつか銀の翼が

(5) 男の子でなくなっていく僕

(やっぱり勉強って僕嫌いっ。先週みたいに女の子特訓してた方が良かったなあ)
 久しぶりの数学や英語の授業にちょっと疲れつつ、昼食を取り、言われた通り校長室へ入る僕。そこには佐伯先生と、生活指導の真田さんがいた。あれ、何か消毒液の様なにおいがする。 ソファーに座った僕に佐伯先生がゆっくりした口調で話しだす。

「風木さん、二週間お疲れ様でした。女性へ性移行するというあなたの硬い信念ははっきりとわかりました。それで…」
 そう言うと、横に座っている真田さんの前に置かれた薬剤の一つを手に取り、僕に示しながら話を続ける。
「これは風木さんの血液サンプルを元に、とある研究所で作って送ってもらった注射のアンプルです。テーブルの上の錠剤はその効果を更に高めるものです」
 僕はなんとなしにその薬品の正体がわかった様な気がする。
「もうわかったでしょう。縫いぐるみの中にあんなもの仕込んでたあなただからね」
 それを聞いて僕は思わず顔を下に向ける。そうだったんだ、やっぱりばれてた。
「あのねぇーみわちゃん、あれ何だか知ってて持ってきたのぉ?」
 あいかわらずの真田さんの口調。
「赤の方はともかく、白のあれ、あれは前立腺ガンの治療薬よぉ!」
 そう言われても僕はぴんと来なくて、相変わらずうつむいていた。
「あれわぁ、きついお薬なのよぉ。あんた病気になっちゃうよぉ!」
 それ、僕が持ってきたプロベラ五mgって薬の事?
「多分通販か何かで手に入れたんでしょうけど、薬の知識が無い人が平気でそんな事してたら大変な事になるのよ。絶対にやめてちょうだい!」
「はい」
 僕は顔をあげて佐伯先生を見つめて反省の色を見せた。
「それで、この薬なんだけど、注射は一週間に一回。看護師の資格の有る真田さんにお願いします。錠剤は毎日食後に飲んでください」
 いよいよ僕の体が変えられるんだ。だんだん僕の心臓が音を立て始める。
「それで、この注射の薬なんだけど、普通のホルモン剤と違って、効果は数倍のスピードで現われるらしいです」
 息を呑んで聞いてる僕に、佐伯先生が使用説明書らしきものを見ながら尚も続ける。
「くどいようだけど、女性になるんですよね。心の迷いはありませんね?」
「…はい」
 もう何度もそう言ったじゃん。て思いながら軽く返事する僕。
「では、お話します。一回打てば普通の男性ではなくなります。四回打てば、特別な処置をしない限りあなたは二度と男性には戻れません。いいですね?」
「四回…一ヶ月ですね…」
 僕の心臓は、本当に期待と、そして万一何かあったらという事で早鐘の様になり始める。
「じゃあ、迷いないという事で、今一本目打ちます」
「あ、今?」
「え、迷ってるんですか?」
 いきなり今なんて、今男の子じゃなくなるなんて…、
「どうなんですか?」
 でもその時、ふっと迷いが消えた。今までの努力と悩み、それが報われて解決されるんだ。もう二度と男で学校へは行かないし、そして行けない。
「はい、お願いします」
 小声だけどはっきり答える僕。
 そして、僕の着ているパーカー袖はまくられ、そして消毒される。心臓ばかりか、足までがくがく震える。初めてホルモン剤飲んだ時よりも数倍激しく、そして頭の中は真っ白になっていく。
(じゃあ、ここを退所する時は、僕もう男には戻れない体に…)
 そう思った瞬間、僕の腕にチクッとした痛みが走り、そして液体が流し込まれていく。(あ、とうとう始まっちゃった)
 そう思った瞬間針は抜かれ、脱脂綿があてがわれた。
「それじゃ、これで終わり。薬を持っていきなさい。後、あなたの部屋のドア前の縫いぐるみはそっとしてあげなさい」
 僕は手渡された薬を大事そうにかかえ、無言でお礼をすると錠剤を手にLL教室へ授業の為に向かった。
(とうとう、やっちゃった)
 いろいろ噂には聞いていたホルモン注射って奴。お金とか、自分をとりまく環境とか考えて絶対無理だろなって思ってたんだけど、まさかこんなに早く自分にされるなんて思わなかった。
 LL教室の机に座った僕は、ただぼーっとしながら注射をされた左の二の腕の絆創膏の上を触りつづけていた。時間割通り英語の教材のDVDをセットしたけど全然耳に入らない。
(あと、3回…)
 耳から聞こえる外人女性の英語がそのまま体から抜けていくみたいな気がする。
 しばらくぼーっとしていた僕は、いきなり教室の戸を開ける音ではっと我に返った。
(可憐ちゃん!?)
 僕の顔をちらっと見た彼女は無視する様にぷいっとあさっての方を向き、僕から一番離れたパソコンの前に座り、ヘッドホンを手に教材のDVDをセットし始める。
「あ、こんにちわ、お先に…」
 遠慮がちな僕の挨拶は完全に無視される。僕もこれ以上挨拶をするのを止め、やっと本気で英語の授業に取り組み始めた。 

 英語と数学の今日の学習が終わった後、僕は錠剤を手に自分の部屋へ向かう。体がなんだか熱っぽくてポワンとする感じ。そしてなんだかとてもだるい。部屋のベッドに寝そべって、今朝渡された今後のスケジュールとかトレーニングの資料に目を通す。
「女子高校生になる為の特化された項目って…なんだろ」
 興味深くその資料を読む僕。うわあ、いろいろある。
「ファッション、メイク、ヘアメイク、へえー、携帯メール…こんなのまであるんだ。女子高校生文字?丸文字とは違うんだ。それで、いつまでに…」
 そこには今から三週間後の日付が書かれてある。
「僕が男の子でなくなる一週間前か」
 そして別の冊子を見た時、それは体育館での立居振舞のトレーニングの追加項目で、それだけは別の所が作ったみたい。そしてその資料には…、
「え、対男性に対する行動習得プログラム?」
 急いで中を開いた僕は、読んでいくうちに複雑な気分になる。
「話し方、気の引き方、思春期の男の子の心理…」
 そういったありふれた項目の後ろには、
「お誘いの断り方、男の子の気を引く言葉、甘え方、仕草、愛情表現?キスの仕方?ペッティング?なんだこれ!?」
 そして最後に、
「エッチの仕方、感じてる演技の仕方!?ち、ちょっと!」
 それも習得期限日付は三週間後!?
「ち、ちょっとこれって、僕、僕どうすりゃいいの!?」
 思わず声を上げてしまう僕。そして冷静に考えると、男性でなくなる四回目の注射の前に、全てを終えて、そしてその注射を受け入れるかどうかの判断をさせるという。
「そうなんだ、そういう事なんだ…」
 僕はごろっとベッドの上で仰向けになり、手を枕代わりに寝そべって天井を見つめる。「男の人を、好きになれって事?」
 今後に控えたあまりにも衝撃的なプログラムに、僕はどうしたらいいのかわからない。いずれはそういう日が来るってわかるんだけど、早すぎ!でもとりあえず、出来る事から。
 僕は気を取り直し、まずは女性ブランド品とかの勉強を始める為、テキストを読み始めた。

 幸いプログラム上は、僕がびっくりする様な「女子高校生特化学習」は全て後回しになっており、僕は不安が残りつつも、ひとつひとつ与えられた課題をこなしはじめる。
 毎日のレポートは紙じゃなく、携帯でしかも女子高校生モードで佐伯先生に送る様に指示されている。右手の親指が麻痺する位必死で作って送信したレポートは、一時間後には絵文字とか言葉とかを見事に添削されて僕に送り返されてきてしまう。それを見ながら、「佐伯先生って、どんな人なんだろ」
 と思わず笑ってしまう。
 食後に飲まされている濃い緑色の糖衣に包まれてる薬は、名前も何も書いてなくて、インターネットでその正体を調べる事も出来なかった。なんだか普通のホルモン剤じゃないのかもしれない。でも、ちゃんと正式に手渡されてるものだから、特に気にしない事にした。
 ブランド名とかを暫く復唱しながら、そのテキストを読んでいる最中に、ふと気になって行動パターンとかの入っているDVDを手にとり、試しに適当な場所を選んで再生してみると、画面には3人の現役と思われる女子高校生達の会話が有った。何やら喫茶店みたいな所で好きな男性像とかを好き勝手に話している様子。
 興味深く暫くそれを眺める僕。でも僕の思っていた内容とちょっと違ってた。男の見ていないところでの彼女達の会話って、雑誌とかで良く言われる意味不明な女子高校生言葉とかがぽんぽん出てくるものと思ってたんだけど…。
「えー、思ったより地味…」
 そういう言葉は所々に有ったけど、やはり普段僕が教室で聞いている言葉とさほど変わらない。但し、テンポとか返答とかあいづちの速さは、先週まで観ていた教材の五割り増しのスピードだった。よくこんなに頭が回るなって感心してしまう。
「そっか、言葉じゃなく、こののりについていかないとだめなんだ…」
 大きくため息をついた僕は、すっとポンとパソコンのDVDモニタを消してしまった。
「あー!しまった!」
 水野達と会う約束の土曜日の前の金曜日、時間はもう十六時。どうしよう?
「明日、何着ていけばいいんだっけ??」
 少なくとも今の僕に用意されてるのは、派手なローティーン仕様の女の子服と下着だけ。女子高校生変身トレーニングが面白くって、全然明日の事忘れてた!
 と僕の目には今しがた校門を出ようとする今日担当の坂本さんの姿が目に映った。
「坂本さーーーーん!」
 声と共に校庭を駆け出す僕に、
「え、どうしたの?」
 と振り返る彼女。
「あ、あの、えっと、ジーンズと服貸してください!」

「困ったわねぇ、ここに常備してるのはジーンズはスリムで伸び生地の女の子向けばっかりだし服は…、あたし結構フリルとか好きだから、そんなのばっかりよ」
 施設の中の女子更衣室の中で足をバタバタさせる僕に困り顔の坂本さんだった。
「下着は?パンツは女物でもいいか…、でもマチの部分とか、このGパンとかだったらくっきり浮かぶかもよ。キャミは…シャツから透けるでしょ?」
「あ、あの、肩紐でないキャミがあるからそれで何とか。パンツはばれたらそれでいいかって」
「一番近くのコンビニは…」
「コンビニまで女の子で行く勇気僕にはまだ無いです…」
「シャツは、そうねぇ、最近男の子でも女の子が着る様なもの着てるから…」

 さんざん迷った挙句、明日はジーンズは坂本さんのスリムのジーンズ、そしてシャツは僕の持っている白で一番おとなしい柄の、でもピンクのロゴだし、でもそれでいい!そしてバッグは、小さく猫のイラストが描かれているトートバッグを借りる事に。
 相談を終えた坂本さんが更衣室から出ようとした時、彼女はちょっと考え事をする様な様子で立ち止まった。
「あ、あの、何か?」
 坂本さんはちょっと悪戯っぽい笑顔で再び自分のロッカーを開けて、何やら僕に手渡してくれた。それは、
「まあ、なんていうか、お守りみたいなものよ」
 手渡されたもの、それは何と白の可愛いレースのブラジャーとヌーブラだった。
「明日それ念のための持って行きなさい」
 唖然とする僕に彼女は手を小さく振って更衣室から出て行った。

 そして土曜日の早朝、久しぶりの外出。ウイッグから開放され、つやつやになり少し伸びた髪を考えた末可愛く前に垂らし、親から貰ったお金を部屋に有った小さなポーチに忍ばせ、坂本さんの「お守り」をトートバックに忍ばせ、僕は少し恥ずかしげに二週間と少しぶりに施設の校門を出てバスに乗り、都会の町の駅の指定された待ち合わせ場所へ向かった。
 今の僕の性認識は、とりあえず男。でもこれが最後かもしれない。
 都会に近づくにつれて、なんだか僕への目線が少しずつ多く感じられるんだけど、僕は全く気にしない様にした。そして待ち合わせ場所に近づくと、既に他の三人は来ている様子。
「おひさしぶりー!」
 声を上げて近寄る僕だけど、え、何故か三人とも僕の方を見ない。
「もう、なんでシカトするのよー!」
 そういって近くまで来たとき、いきなり水野と目が合う。
「な、なんだ!お前だったのか?」
 クラスメートで友人の井本と高見はポカンとした表情で僕をみている。そして周囲の人も何人か僕の事をみているみたい。たちまち僕は三人に待ち合わせ場所の隅の方へ強引に連れて行かれた。
「お、お前、声とか、歩き方とか、どうしたんだよ。それにその服…女物だろ?」
「え、だ、だってぇー」
 あ、そうだった、僕すっかり今までのトレーニングの気分で、
「パンツ!」
 高見が僕のお尻をみるや、ポンとその場所を叩く。
「え?わかっちゃった?」
「あたりまえだろ、女と付き合った事の有る奴だったら誰でもわかるさ!」
 相変わらずまわりの人の目線が僕に感じられた。
 そして水野が大きくため息をつく。
「まいったなあ、まさかお前がそこまで変わってるなんて思わなかったし…」
「え、どうして?」
 あ、なんだか変、僕男だった時の話し方とか忘れてるみたい…。
「いや、今日温泉行こうと思ったんだよ。お前、着てる服オール女物だろ」
 確かにこの三人とは高校へ通う様になって既に二回、この駅近くの温泉施設に行った事がある。僕もさすがに着ている服の事考えて、でも、
「あ、あたし…、僕付き合うよ。だって、今日行けなかったら暫く温泉、行けないかも…」
「え、どういう事だ?」
 変な顔する井本に、
「なんでもない、いずれわかる」
 とだけ答えておいた。

 駅から歩いて五分の所に有る温泉施設。土曜の朝だから空いてるかもと思ったんだけど、
「おい、結構人いるぜ」
 入り口で水野がため息つきながらぼそっと喋る。
「ほら、土曜の朝だろ?金曜日の夜徹夜で仕事したタクシーとかトラックの運転手とか水商売系とかさ」
 確かに温泉の受付に来てる人はそんな人たちばかりだった。とにかく早く受付済まそうと、券売機にお金入れて受付へ。あ、やっぱり、予想はしてたけど、
「あ、あの僕、男です」
 他の三人と違いピンクのキーを渡されてしまう僕。慌てた様子で謝りながら取り替えてくれる受付の女の人の横で、
「おめーなんか女の方いっちまえ」
 と軽く冗談を言う水野。そして脱衣所へ。
「うわー、なんだこの人だかり…」
 いつしかオールナイトもやりだしたのか、脱衣所はむさくるしい男共で一杯だった。
「この近辺でオールナイトなんてここだけだろ、だからさー。んで、風木どうする?」
「んと、大丈夫!」
 困惑顔の三人の横で、僕はトートバッグを持ってすっとトイレに入り、そこで着ている物を脱いでバックに詰めた。
 トイレから出てきた僕に、
「そうきたか」
 と高見が笑いながら話しかける。
「えへっ」
 そう言って顔をくしゃくしゃにして笑って舌をちょっと出す僕。あ、それは女の子仕草プログラムの四十五番目…。
「こら、風木、いいかげんにしろよ!少なくとも数人がお前を変人の目で見てっぞ!」 小声で怒る井本だけど、
「え、でもいいじゃん、僕可愛いでしょ?」
 その時、僕のお尻を軽く蹴飛ばす水野。
「いったあーい…」
 そう喋る僕の口を慌てて水野が押さえる。
「…仕方ないじゃん、僕この二週間こういう訓練ばっかり受けてきたんだし」
「女物のパンツのあとクッキリじゃねーかよ!こら、一緒に入ってやる俺達の迷惑も考えろよ」
「はあい」
 小声で僕にはっきりと言い切る高見。そしてようやく僕達四人は湯船に向かった。

「とにかく二週間、地獄だったけど楽しかったよ」
 少し人気の引いた露天風呂で、僕は辛かった二週間の事を一人上機嫌で話していた。少なくとも施設の事を絶対話すなっていう佐伯先生の言葉は頭から消えていたみたい。
「あのさ、嫌がる時って、男はこうだろ?で女はこう」
 腰をよじってなよなよしく半身になる僕。
「絶対お腹とか守るんだよ」
「あ、そーかそーか」
 水野以外の二人はあさっての方を向いて適当にあいづち打ってる様子。
「ほら、歩く時もさ、以外に有る程度まで出来るんだよ。男でも女の子の歩き方が」
(こいつ、一度思い知らせてやらないと)
 ふんふん聞いていた高見の頭に、むらむらといたずら心が湧いてきた。
「あのさ風木、風呂のキーさ、足首に巻いて歩いてみ?セクシーだぞ。女でも足首チェーンとかしてる奴いるし」
「え、そうなの?」
 それの持つ意味なんて全く知らない僕は、言われた通りそれを足首に付けて湯船から出る。そして、
「えー、これが?」
 水野と井本が、
「おい、高見!」
 と言ってるのを全く気にせず、
「おー、なんとなく可愛いじゃん」
 高見が僕をなんだかんだとおだてあげた。
「あ、あた、僕ちょっとサウナ行ってくる。久しぶりにあったまりたいもん」
 そのままサウナへ向かう僕に、
「おい待て!」
 と水野が言ってたけど、本当久しぶりにのんびりした僕は、そんな声無視してサウナへ行く。
「どーすんだよ!あれでサウナ行っちゃうなんて」
「いやその、こんなに偶然はまるとは…」
「呼び戻せよ!」
 水野と井本の抗議みたいな声に高見がどっかと湯船に入り直し、大きく深呼吸。そして、
「いいんだよ!一回わからせてやれよ、今の自分がどういうものだってことをさ」

 本当久しぶりにサウナに入った僕は、一番上の段に座って大きく伸び。と両足が女みたいに横に流れてるのをみてはっとするけど、
(まあいっか、別に迷惑かけてるわけじゃなし、なんだかこの方がおちつくし)
 そしてしばしぼーっとしていた。でも今日の僕の行動は自分でもおかしいと思っていたのは確かだった。
 わずか二週間の間とはいえ、ずっと矯正されてきて、いきなりそれから開放されてもすぐには元に戻んない。むしろ今まで矯正されてきた姿勢の方が落ち着く。ましてやリラックス出来る温泉施設だし。僕の体はいつのまにか、女っぽい姿勢の方が落ち着く様になってしまってる。
 しかも、あの薬。いつもよりはっきり疲れやすくなったと自分で分かってる。普通の数倍の速さで僕の体を…。
(一ヶ月後、僕の体ってどうなってるんだろ)
 いつしか手の脇は閉められ、手は膝の上に。そして足を流し気味に。それは間違いなくリラックスする女の子の姿勢。しばらくその姿でなおもぼーっとする僕。と突然、見知らぬ人二人が僕の両脇に座る。
(えっ)
 驚いた僕がとっさにとった仕草は、左右を見渡し両手を握って胸元へ。それもトレーニングの時のお手本のポーズ。僕あまりにも熱心にやりすぎたみたい。僕の反射神経が変わってしまってる!
「ボク、可愛いね」
「熱くないかい?」
 おっかなびっくりで顔を上げると、二人とも浅黒く、口ひげをたくわえた、そのいかにも、その方面の人!
 そのうち一人が僕の足首のロッカーキーをさわり、そして僕の足首をなではじめる。あまりの事に僕は全身震えがとまらなかった。これって、ひょっとして…
「お友達と喧嘩でもしたのかい?」
「相談相手になってあげようか?」
 サウナの下段の人達は、僕達の方を意識して見ない様にしているのがみてわかる。
「あ、おじさんたちは怪しいものじゃないよ、ははは」
「普段は一部上場の○○商事に勤めてるサラリーマンだよ」
 そう言いながら、手は僕の太腿を触り始めた。
「ほら、帰りは送っていってあげるから」
「心の準備出来たらおいでよ」
「女物のパンツはいてたでしょ?お尻のパンツあとからすーぐわかったし」
「何なら女装させてあげようか?」
 僕の恐怖はとうとう頂点に!
「いやーーーーーーー!」
 思わず叫び声を上げ、そしてタオルを両手で持って胸元へ。それも立居振舞いのトレーニングの、そんな事どうでもいい!
 僕はそのままの姿勢でサウナ室を飛び出した。
「おい、風木!」
 心配して来てくれる途中だったのだろうか、サウナ室の扉そばに立っていた水野を突き飛ばす様にして僕はそのまま脱衣所へ向かった。そして大勢の人が見守る中で、僕は女の子用のパンツとタンクトップを大急ぎではいて、恥ずかしさで顔を真っ赤にしてジーンズとシャツを着て、タオルを籠に投げ入れる。
「風木、ごめん!こんなはずじゃ…」
 慌てて脱衣所に入ってきた高見を女の子みたいにきっと睨みつけてダッシュで温泉を出た。もうここには来れないだろうと思う。あまりにも恥ずかしくて…。
 温泉施設の外に飛び出た僕は、道の角のところに来ると、しゃがみこんで少し声を出しながら泣き始めた。え、なんで泣くの?泣く様な事されたんだっけ?なんで!?泣いたなんて、何年ぶり?僕っていったいどうなっちゃったんだろう!

 そのまましばししゃがみこんだ後、すっと僕は立ち上がり、駅の方へ向かう。そして僕が行こうとしたのは、僕の実家、じゃなくて実家近くにある、スナック「あき」だった。 どうしてそこに行こうとしたのかわからない。只、今何かお話できるとすれば…。
 目の赤みを残しつつ、僕は実家の駅の有る鉄道線に乗り換え、そして駅で降りて実家とは反対方向の商店街へ向かった。

「はーい、どちらさまぁ?」
 裏手の呼び鈴を押すと、この前最初に出てきた女性?がおおあくびしながらドアから顔を出す。そして再び大あくびしつつ僕の顔をじっと見つめはじめる。
「あら、誰だっけ、あれぇ?」
 しばし僕の顔を見たその女性の顔が驚きの顔になっていく。
「この前、うちにきた、あ、あんたなの?」
 僕は何と言っていいかわからず、軽くうなずく。
「ちょっと、ママァーーー!」
 何で僕が今ここにいるのかわかった。良いのか悪いのかわかんないけど、男の子じゃなくなってしまった僕を見せたかったのかも。
「ほら、こないだのあの子!」
 さっきの女性が再び顔を出したその横で、多分寝ていたのだろうか、髪にカーラーを巻いたあのママさんが顔を出す。
「あれ、あんた」
 すっと僕の前に立ち、前みたいにつま先から頭まで一通りチェックする様に僕を見つめる。ちょっと恥ずかしそうにうつむいて手を前に組む僕。
「あんた、どこで何をやってきたの?」
 ちょっとびっくりした様子で僕に尋ねるママさん。
「何?どっかのニューハーフバーでバイトでもしてたのかい?」
 流石にただのバーのママさんじゃない様子。僕に起こった何かを感じている様子だった。
「…にしては、清楚だね」
 ママさんはさっきの女性が持ってきたタバコを加え、火を付ける。
「あ、あの、女になる訓練を少し受けてきました」
「あれからかい?あれからたった二週間位だよね?」
「はい、あの、とってもすごい訓練でした。それで、今日…」
 僕は今日温泉施設で有った事をぽつりぽつりと話し出した。

「そりゃ災難だったねぇ。まだそんな事する奴…」
 そう言いかけてちょっと上目で空を見る素振りをした後、今度は大きくタバコを吸い、ふっと吐き出す。
「そいつらってさ、二人とも浅黒くて似た様な背格好で口ひげ生やした奴じゃなかったかい?」
「あ、そんな感じです…」
「一人の肩に五cm程の縫い傷が無かったかい?」
 太腿を触られて思わずその男の方を見た時の事を思い出す僕。そういえば!
「有ったと思います」
「やっぱり、あいつらだよ!まーだやってんのかい、そんなはしたない事!」
 ママさんはそう言うと乱暴にタバコを投げ捨て、履いていたミュールの裏で火を蹴る様に消す。
「うちに時々来る奴だよ。いいよ、未成年にちょっかい出してんのかって、怒っといてやっから!」
「あ、あの、ありがとうございます」
 僕はしおらしく頭を下げた。
「ところでさ、どんな事そこで習ったの?」
 さっきとは打って変わって穏やかな表情になったママさんが、何か興味深く僕に尋ねる。
「その場でターンなんか、出来るかい?」
 その言葉に、いくつかターンを含めたトレーニングを思い出し、一番可愛いと思う一つを、その場ですっとやってみせる僕。足をクロスさせながらもしっかりと立って、終わりに手を胸元で振り、作り笑顔だけど思いっきり笑って見せた。
「すねるポーズなんてどうだい?」
 僕は、ママさんの顔を見つめ、腰に手を当てて、顔をそむけてつんとふくれる。
「へえ、可愛いじゃない。じゃこれやってみてよ。男の顔みながらさあ、誘う様な目つきでスカートをちょっとまくって…」
「バカな事教えんじゃないよ!」
 ママさんの一括にしゅんとするスタッフの女性?さん。
「ああ、大体わかったよ」
 新しいタバコを箱から出し、着ていたネグリジェの腰の位置を直しながら、ママさんが言う。
「あんた、本物だね、若いのに気に入ったよ。いいよ、何でも相談のってやっからさ。只、今日は勘弁してくれ、タチの悪い客にさんざん昨日からまれたんだから、もう疲れてさ。じゃお休み」
 そう言ってさっさとドアに消えるママさんだった。
「おやすみぃ、またおいでね」
 と、再びママさんがドアから顔を出して言う。
「あんた、名前なんていうんだい?」
「あ、あの、あたし、みわです」
「みわちゃんね。覚えとくよ」

 そして帰り道、駅のプラットホームで実家のある方向へ向かって軽く手を振る僕。
(ママ、僕こんなに変わっちゃったよ。パパ、いつか許してくれるよね)
 ニューハーフパブの不思議なママさんにちょっと勇気付けられた感じの僕は、幾分機嫌が良くなり、駅のホームで女の子ポーズのおさらいを始める。そういえば、
(なんで坂本さん、こんなものを)
 そう思いつつ僕はトートバックを覗き込み、ブラとヌーブラの入ったケースを見つめる。そして今日の僕の行動を振り返ってみた。
 予想外だった。僕の仕草はもう完全に女のそれになっていた。男の子の時の仕草は、そりゃ思い出せば出来るけど、とっさの時は練習した女の仕草になってしまう。
(そっか、もし男で通せなくなった時は、これを付けて…)
 その時、僕の心には悪戯心にも似たものが芽生えてく。
(だって、あるんだもん。こういう宝物が手元に有るんだもん)
 左右を見渡し、誰もいない事を確かめて駅の女子トイレに飛び込む僕。街中の女子トイレなんて小学校のあの時以来久しぶり。幸い中には誰もいない。少し思い悩んだ後、女子トイレの個室に入り、シャツを脱いで自分のバストトップを触ってみた。薬を投与されてから数日たつけど、まだ僕の胸には何の変化もない。
(そうだよね。まだ初めて間もないし)
 そしてトートバックからヌーブラを取り出し、ちょっと息を飲んで胸にくっつけ、ブラジャーの肩紐に手を通した。微かに坂本さんの付けていた香水の香りが鼻をくすぐる。
(あ、やっぱり慣れてないから無理だ…)
 後ろ手にホックを止めるのはあきらめ、手を肩紐から抜いて、胸元でホックを止めてくるっと半回転させて手を通す。。
(いつか、ちゃんと止められる日が来るよね)
 そう思いつつ、僕はカップに手を入れてヌーブラとブラを調整。ブラ付けたのはこれで数回目だけど、なんだか付けた瞬間魔法みたいなのがかかる気がする。体がじーんとくる感覚と同時に、つんとおすましをしたくなる感覚。
(美和、今から女の子だよ)
 大きく深呼吸して個室から出てあたりを見渡すとまだ誰もいない。ほっとした僕は洗面台で軽く髪を直す。この2週間丁寧に手入れした僕の顔は、化粧もしていないのにつやつやしていて、なんとか、このまま女の子で通りそうな、感じもする。
 と、横で人の気配。どきっとして振り返ると女子大生か若いOL風の女性がつかつかと洗面台に近寄ってきた。どきどきしながら横に半歩ずれると、その女性は軽く会釈して僕の横に立ち、バッグからファンデを取り出し、そして髪に手をやり手櫛で髪を整え始める。どうやら僕の事には全く興味無い様子。
 最後に髪を軽く手でセットし、軽く会釈をすると、その女の人も僕に軽く会釈。ああ、最初っから水野達と会う前にこういう風にしてここに来ていたら、え?温泉?ま、いっか!
 それから帰りの間、膨らませた胸をツンとさせ、電車の中とか乗り換えの駅構内で僕は今まで覚えた女の子の仕草を一つ一つテストする様に歩いたり、ポーズとったり。誰一人として変な目で見ている人は、多分いないと思う!
 そして施設の有るバス停までのバスの中、僕は疲れがたまってぐっすり寝てしまった。今日一日でなんかすごい経験した気がして、何かいろいろ気づいた事も有ったし…。
 只、その時、僕の乗ったバスを一台のタクシーがあとをつけていた事に僕は全く気づかなかった。

 「お嬢さん、終点ですよ」
 素っ気ないバスの運転手の声に起こされ、僕は
(すみません)
 と声をかけようとしたけど、自分の胸元を一瞬見た僕は口に手を当てて、でかかった声を止める。
(あ、やべ、今女なんだ)
 さすがにまだ僕の声はオクターブは上がったけどまだ女の子じゃない。僕は運転席のミラーに向かって軽く女らしく会釈すると、練習した様に両手でバランスを取り、小股ですっすっとバスのステップを降りていく。
 お嬢さんと言われた事がすごく嬉しくて、僕はバスから降りるなりスキップで名も無き元小学校へ急ぐ。あの禁断の薬を注射され、薬を飲み始めてからまだ数日なんだけど、その効果もあるのか、僕はなんだか体が軽くなった気がしてならない。そして新緑の木々の色が僕の目に痛い程の刺激。

「室田さーん、ただいまー」
 元主事室だった室田さんの部屋に行くと、彼はテレビを見ながら新聞に目を通してた。「あれ、お帰りなさい。早かったんだね」
「え、あ、うんちょっと予定がね…」
 クラスメートと行った温泉施設で、まさかあんな事が起きると思ってなかった。それををふと思い出してちょっと身震いする僕。
「昼は食べた?」
「え、ううん、食べてない」
 さすがにブラ付けて胸は膨らませたけど、僕にはまだレストランとかに入って一人で食事する勇気は無かった。
「きつねうどんで良かったら作れるけど」
「あ、いいんですか?お願いしまーす」
 僕は両手を胸元で合わせて、可愛らしくおねだりのポーズ。そしてよっこらしょっと立ち上がる室田さんにちょっと質問。
「あ、あの、室田さん?」
「なんだい?」
 ガスコンロに向かう室田さんが片手鍋を手に答える。
「あの、僕、今日バスの運転手さんに、お嬢さんて言われちゃった」
「そうかい、そりゃ良かったね」
 振り向かずに言う室田さんに僕は続けて尋ねた。
「あの、僕って、女の子に見えます?」
「え、見えるかって?」
 冷蔵庫に向かった室田さんは、相変わらず僕を見ないで答えた。ちょっと間をおいて彼は答える。
「いんや、あまりそうは、みえななあ」
「えっ!」
 土間から一段高い畳に座って、足を前後に揺らしていた僕の足が止まる。
「そりゃあ、男か女かわからない時は女って言っておいたほうが、客商売の時は無難だからねぇ」
 意外な室田さんの言葉に、僕の目線はだんだん下向きになっていく。
「今日その格好で電車に乗って帰って来たんだ」
「う、うん…」
「まあ、今時変だと思っても、わざわざ声かけてくる人はいないと思うよ」
「そうですか…」
 さっきまでのうきうき気分から一転、僕の気分は一瞬にして落ち込んでく。
 麺つゆのいい香りがしてきたけど、僕はブラまで付けて電車に乗ってきた事を後悔しはじめ、なんだかお腹も一杯になってく。
「逆に、女でも女に見えない顔でも女だって周りが思うケースも有るんじゃないかい?」 コンロ前の室田さんがやっと僕の方を向いて喋ってくれる。
「こう見えても、実業団の柔道選手時代は昔は銀座とか六本木で結構遊んだからねぇ、女を見る目は肥えてるよ」
 そう言いながら、室田さんは出来たきつねうどんをわざわざ盆の上に乗せて持ってきてくれる。無言でそれを受け取り、食べ始める僕の前に立ち、腰に手を当てて彼は続けた。「どうだい、ただのきつねうどんだけど、そのまま手渡されるのと、ぼろぼろだけどこうして盆に載せて持ってこられるのとじゃ、美味しさが違ってくるだろ」
 僕の箸が止まると、更に室田さんが続ける。
「多分風木さんが予想もしなかった事を言われたから、気持ちがあさっての方へむいていたせかもしれんが、こうして食事を作ってもらって無言で食べられるのと、軽くでいいから感謝の気持ちで「いただきます」と言ってもらうのとじゃ、作った方の気持ちも変わってくるじゃろ」
 お礼を言い忘れたとはっとして僕が気づいて、
「ごめんなさい!僕頭の中真っ白になって…」
 思わず両手を胸元で拝む様にして申し訳無さそうに室田さんの顔を見て謝る僕に、彼は優しい笑顔を向けてくれた。
「今時代がどうのこうの言われてるが、女の本質はいつの時代もそこにあると思っておる。上辺だけ変えても、そういう優しさと気遣いをどんな時でも持てるって事がね」
 厳しいけど優しさの篭った室田さんの話が続く。
「さて、今の風木さんはどうかな。女になりたいっていう男がここに来るのは初めてじゃけど、要は百八十度生活が変わるんじゃ。自分がされて嬉しい事を、相手にしてあげようと、常に思いなさい。但しおせっかいにならない程度にな。まあ、これは男が女に対しても一緒じゃけんど」
 だんだん方言みたいなのが混じってくる室田さんの言葉に、僕はなんだかもやもやが吹っ切れたみたな気がした。
「室田さんありがと。ごちそうさまっ」
 声を作らず、感情だけを声にしたお礼を室田さんにすると、彼は無言で笑ってくれた。

 なんでだろ、少しの事で喜んだり、気分が落ち込んだり。最近ちょっと僕変かも。校務員室と書かれた古ぼけたプレートの有る部屋を飛び出て小走りに自分の部屋へ戻る僕。それにしても、可愛く見せたり、気遣いをしたり、おしとやかにみせたり、引いてみたり、結構女の子って大変だよ、本当。
 部屋へ戻る途中、今日の僕の事なんかいろいろ考えてみる。水野達に会った時、たしかに久しぶりに会ったせいか、相手の事考えないでいろいろ好き勝ってな事喋ったりしてた。温泉に浸かってた時も、僕が喋っている間、井本と高見が変な顔してたのは薄々感じてたけど、水野はそんなでもなかったからついろいろと、でも水野も迷惑を隠そうとしてたのかも…、あーもう、考えるのやめ!、今度から気をつけよっと!
 部屋の前まで来た時、ふと隣の可憐ちゃんの事が気になった。LL教室で時々会うけど、あれ依頼言葉を交わしていない。
(気遣い、気遣い)
 苦手なタイプの子だけど、僕は思い切って彼女の部屋の前で声をかけた。
「可憐ちゃん、起きてる?外出ない?」
 返事が無いのでもう一度声をかけると、
「ううん、今はいい」
 と返事が返ってきた。てっきり怒鳴られるかと思ったけど。
「うん、わかったあ」
 そう答えて、僕は自分の部屋に戻る。

 2週間の間、楽なスエットとスカートで暮らしてた僕にとって、いきなりのぴちっとしたジーンズはちょっと窮屈だった。ベッドに飛び乗り、大きく深呼吸した後、僕は何かのCMで観た様に寝そべりながら可愛くジーンズを脱ぐと、カラフルな下着に包まれた僕の下半身が目についた。
「よくこんな恥ずかしいかっこで脱衣所で着替えしたなあ」
 気が動転していたとはいえ、大勢の男性客の前でこんな自分の姿を披露した事が今になって恥ずかしくなってくる。
「忘れよう、うん、忘れよっ」
 とにかく、気分転換しよっと!
 パンツとブラ姿の僕は、ベッドから降りてブラを外そうとするけど、ちょっと躊躇った。折角貸してもらったものだし…、
「後で洗濯して、返そうっと」
 結局ブラはそのまま付け、そして衣装ケースの前に練習したペタン座りで落ち着き、これから着る服を物色し始める僕。
 今日の気分に合う服をいろいろ探せるなんて、女の方が圧倒的に良い環境だと思う。最初に今の派手なパンツは脱いで…。
「おとなしいのにしとこっと」
 白にピンクのストライプのものを選んで、もうどきどきもなんにもしなくなった感覚でごく自然に履き替え、そしてシャツとスカートをいくつか持ち姿見の前へ。
 特に気にはしてなかったけど、それが僕の人生で初めて姿身の前で女の子らしく衣装を手に持って合わせた時だった。
「わー、これ面白い」
 スカートとトップスを片手ずつ持ち、いれかえとっかえ体に当てる僕。毎日のスキンケアのせいもあって顔はもう普通の男の子だった時より幾分柔らかな表情になってるので、女の子衣装を当ててもそんなに違和感が無く、あまり恥ずかしさもない。
「これにしよっと」
 ヌーブラ入りブラの上から白にピンクと金の模様のシャツを着込み、可愛いパンツは赤のタータンチェックのスカートに隠されていく。
「このままだとさすがに恥ずかしいよね」
 独り言の様につぶやきながら、スカートをたくしあげ、黒の一分丈のスパッツをパンツの上に履いて、ニーソックスをはいて、そして灰色地にピンクのロゴの入ったパーカーを着て出来上がり!
 鏡の前に横からぽんと飛び出た僕の姿は、うん、まあ、こんなものかって感じ。
「ちょっと校庭にいってきまーす」
 軽く胸元で手を振る僕が鏡から消えていく。

「うわー、今日暑い」
 もう初夏の田舎の校庭は、まぶしい程の太陽の光がさしていた。
 大きく背伸びすると、僕は早速この数日で覚えたティーンエイジの行動のおさらいを始めた。最初は普通に歩いて、そしてスキップしながらターンしたり、立ち止まって飛び跳ねて手を叩いたり、そして、その足で平均台でバランスと歩き方の練習をしようとしたけど、流石に暑くなってくる。
「誰も見てないし、いいよね」
 独り言みたいにつぶやくと、校庭の古ぼけた朝礼台の上にパーカーを脱いで綺麗に畳んでおいた後、ちょっとあたりを見回してスニーカーを脱ぎ、履いていた紺のスパッツを脱いでパーカーの上に置いた。
「うわー、何これ…」
 下半身の開放感、そしてスカートが直に太腿に触れる感触。そして風がスカートをもてあそぶ心地よさ。
(これが女の子なんだ)
 まだ体は99パーセント男の子のはずなのに、スカートの下にこんな開放感を感じた僕の心はもうどうにかなっちゃったみたい。
(えっと、次、バランスと歩き方っ)
 毎日一度は訓練している平均台の上での女の子歩き。スカートをひるがえし、ぽんと飛び乗った僕は、両手をいつもより大げさに、そして女の子らしく広げ、軽く歩いて、そしてリズムを取る様にステップを踏み、そして、
「わあ!出来た!」
 今まで失敗ばかりだった平均台の上での一回転ターンは、今始めて成功。
(今日、僕なんだって出来るかも)
 スカートからパンツが見えるのも気にせず、僕は平均台を飛び降り、朝礼台からパーカーを掴んで、少し離れた鉄棒へ向かう。
(あれやってみたかったんだ。女の子が鉄棒に足かけてぐるんぐるんてするの)
 パーカーを鉄棒にかけてその上に右足を乗せて、えいっと左足で蹴ると、僕の体は鉄棒の上にひょいと上がる。
(うわあ、やっぱりはずかしけど)
 多分今校舎の正門から誰か入ってきたら、僕のパンツもろ見えだよ。でもそんな事、多分あるわけないし!
 そしてそのままはずみをつけて前に回る。でも失敗して僕の左足はだらんと地面についてしまう。
(もう一回)
 やっぱりだめ。
(もう一回、もう一回!)
 そして十回目位に僕の体は、回転前と同じ姿勢で鉄棒の上に。
「やったー!」
 誰もないはずなのに、僕は何か勝負で勝ったみたいに声を上げた。そして、その目が校舎の正門の方に向けられた時、僕の目はその方向に釘付けになり、口はぽかんと開き、そしてほどなく右足は鉄棒から外し、僕の両手はスカートの前に、それを押さえる様な仕草を無意識に取っていた。
 正門の傍には僕の良く知った人、いや友人の水野の姿があった。彼も僕を見つめ、ただ呆然としている様子だった。

 温泉での騒動の後、水野は高見、井本に僕に謝りに行くと言い残し、話をするちゃんスを見つける為僕の後ろを尾行してた。
 駅近くのゲイバーで僕とママさんが会話していた時、
「あいつ、ここでこんな人達と親しくなってたのか」
 物陰に隠れて唖然とその様子を見ながらも、とうとう話をする機会は逃してしまう。
 僕、風木が駅に入った時、
(こうなったら、風木がどこに今いるのかつきとめてやるか。亜里沙にも何か頼みごとされてたし)
 ぴちっとしたジーンズを履き、左右少し揺らしながら歩く風木のヒップの動きは、あきらかに男の歩き方とは違う。でもヒップのボリュームは横を歩く同じ年頃のジーンズを履いた女の子のそれとはあきらかに貧弱だった。
(あいつ、ただのおかまになっちまったのか)
 そして、風木の向かったのは、何と女性トイレ。
(あいつ、何する気なんだ…)
 しばらくしてそこから出てきた風木の背中は、クラスメートの橋本とかと同じ様になっていた。そう、彼の背中には二本の肩ストラップと、ブラの線とホックがはっきりと透けていた。
 電車に乗り、そしてローカル線に乗り換えた時、水野はみつからない様に風木の乗っている隣の車両に姿を隠しいた。胸を膨らませた彼の仕草は、人が少なくなるにつれて、だんだん女っぽくなり、ジーンズを履いた足を横に流し、両手を膝にうとうと居眠り。だんだん女姿になっていく風木に、水野はなんだか変な、どきどきする気持ちになっていく。 渓谷と緑の木々が目立つ小さな駅で風木が降りると、水野も急いで列車を離れ、駅のトイレに身を隠した。
 風木はそこでバスに乗った様子。流石に同じバスには乗れなかった水野は、小さなロータリーに止まってたタクシーに身を潜めた。
「すいません。あのバス発車したら追っかけてください」
「ああ、いいよ。じゃ、メータは発車してから倒すかね。次の電車まで三十分あるし、その間にあのバスはでるからね」
「すいません」
 風木はバスから降り、廃校になったにしては手入れされた小学校らしきところに消えていく。タクシーから降りた水野は気づかれない様に正門の影に隠れ、そして再び風木が現われるのを待っていた。

 一時間程水野はそこで待っていた。もう出てこないかもとあきらめかけた時、校舎から一人の女の子が飛び出してくる。軽く踊る様にした後、彼女は朝礼台で履いていたスパッツを脱ぎ始める。その娘が履いている白っぽいパンツがちらちらして、さすがに水野も男だから、その様子が目に刺さり、恥ずかしくなってく。
 スカートをひらひらさせ、パンツが見えるのも気にせず平均台の上で踊ったり、鉄棒遊びをするその娘に、水野は中学校の時に密かに片思いだった女の子を思い出して重ねていた。
 踊りが好きで、放課後数人の女の子といつも校庭で楽しく話したり鉄棒で遊んだりして、時折鉄棒とかでパンツまでちらちらと見せてくれたその娘。その子を思って勉強が出来なくなり、その娘の家の前まで行った事もある。でも、結局何も言い出せないまま別々の高校になってしまった彼女と背格好も髪型もよく似てる、目の前のミニスカにニーハイソックスの女の子。
(誰なんだろうあの子。こんなところにいるんだから訳ありなんだろうけど風木が出てきたら紹介してもらおうかなあ。悩みとか俺が解決したりしてやったりして…)
 懐かしい思いで暫くその娘を眺めてた水野の目が突然大きく見開かれる。違う、あの女の子、見た事ある。しかも最近!髪の毛は長くなってるけど、まさか!?
 俺、今何思ってるんだ?あの娘に声かけてやりたいのか?一緒に遊んでやりたいのか?好きだって言えばいいのか?それとも、俺もあんな格好して一緒に?だってあそこにいるのは、あれって、風木じゃん!!
 水野の心はその瞬間吹っ飛んでしまったらしい。

「いやああああっ!」
 しばし見つめあった後、先に声を出したのは僕だった。くるっと背を向きしゃがみこんで顔を両手で隠す僕。なんで、なんでこんな事になってるんだよ!
「なによ!なんでお前がいるのよ!」
 思わず最初に出たのは女言葉だった。でも、こういう時、僕どっちで対応すればいの!?
「なんでよ!なんで、お前がいるんだよ!」
 次第に男言葉に戻っていく僕。でも今僕の格好は…
「つけてきたの?どうして!なんでほっといてくれないの!」
 再び女言葉に戻っていく僕。ああ、もうどうなっちゃったのよ僕!
 校庭でのスキップ、ターン、鉄棒、そして、パンツまでしっかり見られたんだ。顔から火が出る思いの僕はしゃがんだまま全く動けなかった。
「帰ってよ!お願いだから帰ってよ!」
 もう女言葉でいい。もうどうにでもなっちゃえ!
 そのまましゃがみこんで、あふれてくる涙を手でぬぐう僕の耳に足音が聞こえてくる。「だから帰ってって…」
 その瞬間、僕の背中のブラを軽くなぞられる感覚。再び顔を真っ赤にする僕。もう恥ずかしくて水野の顔なんて見られない。
「お前、女になるんだよな…」
 そう言って、僕の両肩に優しく掴む手の感触が有った。なんだか優しくされたみたいに感じた僕の頭がだんだん冷静になっていく。さっきの室田さんの言葉も頭の中に浮かんでくる。僕は両手で軽く涙をふいた後、くるっと水野の方に向き直り、そして作り笑顔だけどありったけの幸せそうな顔で見つめた。
「そっか、水野クン心配して来てくれたんだ」
 いきなり一転した表情で、そして女言葉で、水野クンと言われて彼は言葉につまったみたい。もうこうなったらとことん女言葉で喋ってやる。
「だってー、だってさ、変身中の今が一番恥ずかしいんだよ。体まだ男だけど、女がしみこみ始めてるしさっ」
 水野の顔をみつめ、体を左右にねじりながら僕が続ける。
「正直今だって、僕水野クンに対して男女のどっちで接していいのかわかんないしぃ」
 僕の対応は水野にとって刺激が強すぎたみたい。今日の午前中までは、おかまっぽかったけど、明らかに男の対応してた僕が、午後になると可愛い服を着て、水野の初恋の相手をも連想させる、パンツ見えても平気な元気な女の子に変わりつつあった。
 もう風木は男じゃなくなってしまって、そしてもう二度と男には戻れない、別の世界に行ってしまった気がした。
「ねえ、水野クン。僕、いや、あたし、ちょっとは変わったでしょ?可愛くなったでしょ?」
 明るく話す僕だけど、その笑顔の裏はもう恥ずかしくって、どきどきしてて、笑顔はどこかしらひきつっていた。
「なあ、風木…」
 ようやく水野が口を開いた。
「なあに、み、水野、クン?」
 僕の恥ずかしさも頂点に立ち、どもりながらもなんとか答えた。どうやら水野の目線は人工的に膨らませた僕の胸をみているらしい。
「お前、まさか、もう胸を」
 何かと思ったらそんな事、僕はちょっと緊張が解ける。
「え、これ?ヌーブラだよ。まだ手術なんてするわけなじゃんほらー、ヌーブラくっつけてブラで押さえてるの。これって普通はこういう風には使わないんだけどさ」
 ほっと一息ついた僕は、そう言って悪戯っぽく胸元をめくってブラとヌーブラを見せてあげた。水野のびっくりする様な目線が面白い。しかし、その時僕は水野の僕に対する気持ちの変化なんて知らなかったし、ましてや水野の初恋の相手がどんなのかも知らなかった。彼の指先が僕の胸元をつんとつつくと、僕はちょっと怒ったふりをしてすぐに笑顔をつくる。
「今は偽物だから許してあげるけどさ、本物になったら触っちゃだめだからね」
「おい、それ、どういう事だよ」
 あ、変な事しゃべっちゃったかなって僕は後悔するけど、まあいっか、親友だもん。
「水野クン、ぼく、いや、あたしね…」
 ちょっとためらった後、僕は決心した。
「あと一ヶ月で、男じゃなくなっちゃうかも…」
「男じゃなくなるって、お前…」
 水野の言葉に軽く舌を出して笑って半歩飛び跳ねる様にあとずさり。
「さあ、あたしにもわかんないもーん」
 ああ、どうしたんだろ僕、どんどん頭が、意識が、言葉が女っぽく変わってく。ちょっと間を置いて、水野が僕に言葉をかけた。
「あのさ、風木さん…」
「え、風木さん?」
 とうとう水野って僕を女扱いしはじめたのかな。
「今日さ、頑張るお前にプレゼント持ってきたんだ」
「え、何何?」
 風木さんと言われ、プレゼントと言われ、何故か舞い上がってしまう僕。
「目つぶっててよ。今手に乗せてあげるから、手を出して」
「え、こう?」
 目を瞑った僕は両手を合わせて水野の前に出し、そして無意識のうちにヒップをつんと上に上げた。
(まだ?まだかな)
 僕の全神経は両手の手のひらに集中。ところが、待っても待っても水野の答えは僕の手には来ない。彼はプレゼントを手渡すかわりに、昔初恋の彼女に出来なかった事を僕にしようとしていた。いきなり僕の両肩にずしっと手の重みがかかり、そして、
(え…)
 僕の右の頬に何か柔らかいものが当たった。その瞬間僕は目を開き、目の前の水野から数歩あとずさり。
 口はがくがくと振るえ、何か言いたい、それどころか叫びたいのに声も出ない。水野からのプレゼントを待ってた両手はそのまま、ぽかんと開いた口を押さえる、そして突然足に力が無くなり、がくっと膝をついてそのまま動けなくなった。
「いたっいたた…」
 突然僕の胸のバストトップがきりきりと痛み始める。え、ど、どうして…。
 僕、どうやら水野にキスを許してしまったらしい。僕が膝をついて何か言いたそうにしている中、彼は顔を真っ赤にしながらも満面の笑みを浮かべ、後ずさりする様に校門へ向かっていく。
(い、痛い!)
 胸の痛みにとうとう僕は両手をクロスさせて自分のバストトップを抑える。
「じゃあな!風木さん!」
 そう言って彼は校門の方へ向かう。そしてようやく僕は体の束縛から解放された。
「ばっかやろーーーー!」
 



大声で叫ぶ僕。女の子になった夢が突然覚めた様な気分。僕の頭の中はすっかり男に戻ってた。
「ばかやろー!ばかやろー!」
 その声が山に木霊し、僕は砂を掴んで水野に投げつけたけど、彼はそんな僕を見てあざ笑うかの様に校門から姿を消した。
「ばかやろー!」
 水野が姿を消したその方向に向かって、もう一度僕は砂を投げた。

Page Top