いつか銀の翼が

(2) 今日から女子高校生宣言

川の土手の道を自転車で通学する女の子が一人。ショートボブで軽く薄化粧したその姿はどこにでもいる様な女の子。でも実はその娘は今日始めて女の子で登校する僕。
 中学時代はごく普通の中学生で何とか通したけど、小学校時代の女子バレーボール選手という夢の様な体験をしてから、なんとなく僕の心の中には僕以外のもう一人の人格が生まれ、そして大きくなっていった様な気がする。
 悪戯とかが好きで、女の子の友達も少なくない。そして今日僕にとっては一世一代の悪戯のつもり。でもそれは悪戯で終わらせちゃいけない。
 今までの僕は終わってしまうかもしれない。今までの友達、同性も女の子の友達も消えてしまうかもしれない。
 そんな事を考えながら川沿いの道を自転車で通学していると、はらはらどきどきする。何度か引き返そうとも思った。でも、今日やんなきゃいつ出来るんだよって僕の頭の中で誰かが叫んでる。
 とにかく女の子デビューの今日、大勢のクラスメートの中に後で入っていくのだけはいくらなんでも恥ずかしすぎる。ともかく朝一番で席について、後から登校してくる一人一人に僕の姿を知らせないと。
 まだ朝の7時過ぎ位。普通に自転車で行けば7時30分までには教室に入れる。そう思いつつ僕は川の土手道を走り続ける。
 いつもと違って慣れないというか、初めて女姿で自転車に乗ったので油断するとすぐ風がスカートをめくる。
(女の子ってどうしてスカートのまくれない乗り方が出来るんだろ)
 とにかくサドルにどっしりと腰をおろして、背筋をピンと伸ばして、スピードはゆっくり目で・・・。
 早朝なので出会う人もまばら。でも通学先の高校の制服を着たクラブの朝練らしい子とか、朝の散歩のご夫婦、ランニングしてる人々を追い抜くたびに僕はどきどきしてしまう。
 幸い、僕は女の子と見られているらしく、特に後ろで変な言葉とか呟かれたりはしなかった。ほっと一安心した時、
「あ、あれ・・・」
 目の前にクラスメートの女子バスケの女の子二人が見えてくる。制服登校が義務付けられていないので、白にピンクの可愛い揃いのトレーナー姿の二人は、後ろに僕の乗ってる自転車の気配を感じると、振り返って一瞬僕の顔を見た後、道の脇にそれた。
 僕の恥ずかしさは頂点に達したけど、こういう時はおどおどしないで冷静に追い越すのが一番。僕は勇気を出して軽く会釈をして、先を急いだ。
「あのカバンうちのだよね」
「誰だっけ?」
「知らない」
「え、マスカラ入ってなかった?」
「そんなの学校行ってからトイレでやりゃいいじゃん」
 背後から聞こえるそんな会話を聞いてて、僕はほっと一安心。どうやら女の子でパス出来たらしい。と、今度は別の男のクラスメートが3人、土手道を学校とは反対に歩いてくる。
「わ!あいつら、学校はあっちだろ!」
 思わずそう独り言を呟いたけど、もう後には引けない。ちょっとうつむき加減でなにやら話しながら歩く彼らの横を通り過ぎる僕。そして背後から聞こえるはずの声に聞き耳を立てたけど・・・特に何も僕を意識しての会話は聞こえなかった。
(よかった)
 僕は目をつぶって安堵の表情。このままうまくいってくれれば、でもそんなわけないか。学校に近づくにつれだんだん僕の心臓の鼓動は走った後の様に高鳴っていく。

 川沿いの土手道のあるところで曲がると、もうそこは僕の通っている高校の裏門。大急ぎで入って自転車置き場に向かうと、そこには私服姿の僕の知らない女生徒が一人自転車から降りて鍵を掛けているところだった。
 離れて止めると変に思われると思った僕は、勇気を出してその横に自転車を寄せる。
「おはよー」
 鍵を掛け終わったその子の可愛い挨拶に、僕は咄嗟に、でも一呼吸置いて
「おはよ」
 普段時々練習した女声で答えたつもりけど、出たのは低い声。
(あ、やばい)
 と思ったけど、その女の子は気にも留めず足早に校舎の中へ入っていく。もう僕は汗びっしょり。そして自転車置き場で大きく一呼吸。
(今なら、まだ戻れる…)
 僕の頭の中でそんな言葉も聞こえてくるけど、折角ここまで来たんだし、このまま教室へ入っても、まさか殴られたりすることって無いだろうし、でも後々いじめられるかも…でもいいもん!そうなったら学校来なきゃいいしっ!
 気を取り直して僕は慣れないスカートをひるがえして校舎の中に駆け足で飛び込んでいった。
 震える手で用務員室の中に入ると、
「おはよーう」
 いきなり初老の用務員さんの声がするけど、軽く会釈をしたままに留めて、僕はキーボックスから1年2組の教室の鍵を探す。幸いまだ早朝で誰も来ていないみたい。手早く鍵を取り教室へ急ぐ僕だった。

(とうとうやっちゃった。僕この後どうなるんだろ、やっぱり嫌われて苛められるのかなあ)
 誰もいない教室へ入り、自分の席に座った僕は、どっと疲れが出て机にうつぶせる。
(とにかく、堂々としていよう。何言われても笑顔で受け答えして…)
 そして、とうとう運命の瞬間が迫ってきた。

「おはよっ!」
 まず一番に教室に飛び込んできたのは今日の日直の小林留美だった。
(いよいよ始まる…)
 僕はすっくと顔を上げ、留美の入ってきた戸口を見つめて作り笑いをした。
「あれ!美里?今日私服?可愛いじゃん。え?マス引いてんの?なんか美里じゃないみたい」
 ちらっと僕の方を見た留美はそう喋りつつ、自分の席に荷物を置き、黒板拭きを掃除したり、チョークボックスからチョークを出したりと日直の仕事をてきぱきこなしていく。 どうやら僕の事をクラスメートで友達の荒井美里と勘違いしている様子。確かに言われてみれば今朝鏡で見た僕の容姿は遠めに見れば荒井美里に少し似てるかもしれない。
 でも良かった。最初に会ったのが留美で。けっこうパサパサした性格で、僕との仲も悪くない娘だし。
「ねえ、なんでそんな所座ってんの?そこ風木んとこだよ。あ、好きなの?手紙とか入れてんの?」
 日直当番の仕事を終えた留美がそう言いながら、僕の所へ近寄ってくるけど、その足がだんだん遅くなってくる。
「なんでこんな早く来てんの?あたしもう少し遅く来た方が良かった?え、ミリ?ミリだよ…ね」
 そういいつつ僕と目が合った留美の顔がこわばり、両手を口に当て、びっくりした様な目をして数歩あとずさりする。
「留美、僕…いや、あたし」
 作り笑いしながらもそう言うのが僕にはやっとだった。
「風木クン!?」
 留美の視線は座っている僕の全身をちらっとみた後、再び僕の顔に集中した。
「ち、ちょっと、何やってんの!そんな格好で…」
 その時、
「おっはよーん」
 戸口で別の声がする。それは僕と間違えられた本物の荒井美里の声だった。
「あれ留美今日日直だっけ?え、何?風木も来てんの…何?内緒話?」
 笑顔で近寄ってきた美里の顔は、僕の姿を見ると、一瞬いぶかしげな表情になり、そしてやはり驚きで目を丸くしそして、
「キャーーーー!」
 あろうことか、短く悲鳴を上げた。
「風木クン!?」
「う、うん、そう。あたし」
「あんたバカじゃないの!?」
 そう言いつつ、僕をじっと見つめながらも留美の手を引いて数歩僕の席からあとずさりする。
「ちょっと、こんな事してさ、タダで済むと思ってんの!?」
 結構きつい事言う美里もクラスでは僕と仲はいいほうなんだけど、でも今の美里の顔には僕に対する嫌悪感がはっきり現われている。そして、またもや戸口に人の気配がする。そこに目を向けた僕はちょっと嫌な表情を浮かべた。
 入ってきたのは橋本亜里沙。クラス委員で秀才だけど、長い黒髪で孤高の美しさを持った美女。真面目そうに毎日制服を着ているけど、ちょっと濃い化粧してスカート丈は短く、人によって評価の分かれる女の子。
「おはよ」
 そう彼女は言い捨て、こちらで起こっている騒動なんて気にせずさつさと自分の席に座り、長い黒髪をばさっと両手で後ろ手にかきあげ、無表情で鞄の中からパンと飲み物を取り出し始める。
「アリサ!ちょっと!大変なの!」
「何が?」
「風木が!風木が変なの!」
「風木が?」
 飛んできた留美と会話した後、めんどくさそうに座ったまま後ろを振り返り、僕を一瞬睨みつける。
(こいつに睨まれたら、何かと面倒になりそう)
 そう思いつつも僕は相変わらず笑みを浮かべ
「あ、あの風木です。今日から…」
 とやっとの思いで僕が喋りかけた時、
「ばっかみたい。好きにすれば?でも近寄んなよ」
 そういい捨てて振り向き尚ってパンを口にしはじめる。しかし、妙に何度も髪をかきあげたりちょっと動揺している様子だった。
 そこへ、今朝土手道で会った3人の男子のクラスメートが挨拶もせずに教室に入ってきた。
「よー亜里沙、うまそーじゃん。俺にもくれよ」
「うっせーな、あっち行けよ!後さ、後ろの風木に何か言ってやれよ」
「風木?」
 3人はちょっと変な顔をしてずかずかと僕に近づいてくる。
「おー!お前どーしたんその格好!?」
「あれやっぱりおめーだったんか!?マジ嘘だろ!?」
「あの女風木に似てるなって話してたら、おいマジかよ!」
 笑いながらも驚いた表情で勝手な事を話し出す彼らに、とうとう僕は恥ずかしくて何も言い返せず、黙ってうなずくだけになってしまう。

 まだ始業前というのに僕のクラスは大騒ぎになってしまった。
「お前、そういう趣味有ったのか」
「今流行りの性同一性障害って奴?」
「流行ってねーよ!」
「んでどーすんだよ?これから毎日そんな格好で来るのか?」
「おめ、先公と話ついてんのか?」
 クラスメートの友人5~6人が僕を取り囲んで質問攻め、そのまわりを男子クラスメートが取り囲み、罵声とかからかいの言葉を時折僕に投げかけてくる。
 さらに女子生徒が遠巻きにしてなにやらひそひそ話をして僕を見つめていた。
「オカマだ!風木がオカマになってるぜ!」
 クラスでも一番柄の悪い大原って奴が、そう言いながら教室の外にまで詰め掛けた他のクラスの生徒に笑いながら大声で話してる。
 そして当の僕はというと、不思議に少し精神的に落ち着いてきて、話しかけてくる友人達に笑みをうかべながら質問とかに答えていた。
 とにかく最初の一番怖いカムアウトは過ぎてしまった。後はみんながどう僕を受け入れるかどうかだけだし。
 そうこうしているうち取り囲んでいるクラスメートの一部が割れ、先生二人が僕の席に近寄ってきた。担任の小泉先生と体育の熊井先生だった。
「お、おい、風木、これどういう事なんだ」
「あ、あの、先生。僕、いや、あたし今日から女の子で学校へ来る事にしたんです」
 僕の答えに二人の先生は無言でけげんそうな顔を向き合わせ、目で何か会話している様子。
「と、とにかく、そういう事なら事前に先生達に知らせてくれないと」
「すみません…」
 しおらしく謝る僕を尻目に、教室から出て行く二人の先生。と、その時誰かが僕のスカートの裾を掴んで強引にめくり始めた。
「あ!」
 僕のはいていたスカートは大胆にめくれ上がり、ピンクのショーツがみんなの目に晒されてしまう。
「ちょっと!大原!」
 めくったのは、僕にオカマだの罵声をあびせたり、教室外に大声で僕の事を話していた大原だった。僕の抗議の声に耳を貸さず、大原は僕への辱めを続ける。
「すげ!パンツ女物だぜ!どこで買ったんだよぉ」
 再び彼は僕のスカートの裾を掴もうと手を伸ばしてくる。
「ちょっと、やめて…」
 はずかしそうに僕は抵抗するけど、ラグビーやってる大原の力には逆らえない。とその時、
「かわいそうじゃん!やめたげなよ!」
「せめてショーパンくらいはいてきなよぉ」
 遠巻きにしていた女子クラスメートの中から、とうとう耐えかねたのだろうか、留美と美里と他2人が僕と大原の間に割って入ってくる。
「なんだよおまえら!こんな奴の肩持つんかよ」
「そんなんじゃないわよ!スカートめくるなんて男として最低じゃんて思ってるわけ!」「男でスカートはいて来る奴の方が最低じゃんかよ!」
 留美と大原が口喧嘩している後ろで、不思議と
「大原!」
「最低な奴!」
 という女の子達の嬉しい声が聞こえてくる。確かにこの大原って奴、女の子にも結構下品な態度を取る事が多く、普段からあまり好かれてはいない。
 一時間目の授業の時刻が迫り、廊下で取り巻きにしていた生徒が自分のクラスへ戻り始めるのを僕が横目で確認した時、部屋の校内放送のスピーカーから放送前のメロディが鳴った。
「先生方にご連絡いたします。始業の時間ですが、ただ今より臨時の職員会議を始めますので、先生方は職員室に集合してください。繰り返します…」
「風木、多分お前の事だぜ。どうすんだよ」
 クラスメートで親友の塚原が僕に諭す様に言う。
「いいじゃん。多分一時間目は休みになるんじゃない?」
 ちょっと落ち着いた僕は女を意識して可愛く喋る。
「いや、あのさ…」
 呆れた様子で僕に言う塚原の声を聞き流しつつ、僕は男はともかく女の子達は僕が思ったより変に僕を扱っていない事に気づく。それは以前ネットとかでいろんな人からの体験談を読んだ時にも書かれていた。どうせもう大事になってるんだし、こうなったらとことんやってやる。
 僕はすっと席を立ち、まだいろいろいがみ合ってる大原と留美の間に割って入った。
「なんだよオカマ野郎!」
 当然ながら大原は僕に悪態をつきはじめる。
「あたし、おかまじゃないもん。女の子だもん!」
 練習したけどまだ女声にはいたらない声で、僕は腰に手を当て、女の子が抗議する様な仕草ですっくと顔を上げ、大原を睨みつける。
「おめー、何言ってんだよ。気でも狂ったのか?」
 半分笑いながら睨み返す大原に、僕はありったけの勇気をふりしぼって答えた。
「あたし、男の子好きなの。大原クンみたいな荒っぽい人好きよ」
 僕の声に当然ながら女の子達の間から短い悲鳴みたいなのが起きる。
「な、なんだよ、それ…」
 予想通り大原がそわそわしはじめ、逃げ腰になりはじめた。
「大原クン、あたしをいじめてくれたお礼!」
 僕はもう本当ヤケクソだった。只このままでは僕は只の変態になってしまう。どうせ変態扱いされるなら、こうしてやる!!
 僕はおもむろに大原の首に両手で抱きつき、気が動転している大原の唇に、僕の唇を軽くHIT!
 彼は顔を強張らせた状態で壁に背中からもたれ、そして何が起きたという表情。そして周りのクラスメートの男子からは笑いと驚きの声、そして女の子達からは悲鳴と笑いの声。
 そして僕はスカートをなびかせて教壇の方へ足早に逃げた。
「風木!ぶっ殺す!!」
 恐ろしい表情で僕の方を向いた大原は、制止するクラスメートの手をふりほどき、傍らに有った誰かのカバンを僕に向かって放り投げ、僕の方にダッシュで向かってくる。
(あ、ちょっとやばいかも)
 僕が慌てて頭を抱えて教壇の中に隠れようとした時、
「ちょっと大原!やめたげなって!」
「可愛そうだって言ってんじゃん!」
 思った通り数人の女の子が僕をかばって教壇の前に立つが、
「うっせーどけ!」
 女子生徒の悲鳴の中、元々制服をだらんとさせた大原がさらに服を乱しながら、女の子達を突き飛ばす様にして教壇に進み、僕に迫ってくる。
(ちょっとやりすぎたかも)と僕が思った時、
 バーーンと誰かが自分の机を叩く音がする。その音に大原が息を切らせながらもその方向を向く。机を叩いたのは、さっきまで全くそんな騒動に知らぬふりを決め込んでいた橋本亜里沙だった。
「うぜーんだよ大原!さっきから」
「うぜーのこいつだろ!」
「お前ばっかさっきから騒いでんだろ!ほっとけばいいだろよ!男に唇奪われやがってさ!」
 どういう訳か大原は亜里沙だけには弱いらしい。と亜里沙は今度は後ろを振り返り、命令する様にクラスメートに怒鳴る。
「おい、男!ちょっと出てけ!女だけで会議すっから!」
 事実上クラスのボスである亜里沙のその声に、女の子達は一斉に男子クラスメートを教室の外へおいやり始める。
「どういう事だよ?」
 僕の友達で副クラス長の水野が亜里沙に抗議するが、
「これ、あたしたちの問題だからさ、ちょっと男は口出さないで欲しいんだなあ」
 相変わらず男みたいな喋り方する亜里沙に
「わかったよ」
 とちょっと笑みを浮かべて出口へ向かう。
「男みんながあんたみたいに物わかりいいと嬉しいんだけどさ」
 今まで孤高で怖いイメージを彼女に持っていたけど、ちょっとほっとした僕。でもそう甘くはなかった。
「風木!おめーもでてけよ!」
「え?」
 彼女のその言葉に少し恐怖を覚え、そして一歩歩み寄る僕。
「いや、あの、僕、じゃないあたし、このまま出て行ったら何されるか…」
「ざけんなよ!職員室でも体育教官室でも保健室でも好きなとこ行きゃいいだろ!おめーがそーゆー格好してくるからみんな迷惑してんじゃん!」
 僕を睨みつけてそう言った後、男子を追い出した女の子達を見渡しながら、彼女が続ける。
「留美、美里、このバカ職員室に連れて行ってやりなよ。確かに大原とか何すっかわかんねーから」
 高校生離れしたちょっとクールな顔から出る男言葉がとても怖い。留美と美里はちょっとためらった後、僕の背中を押して教室の扉へ向かい、乱暴にドアを開けて僕を外に押し出した。僕が後ろを振り返ると、二人の背中ごしに僕を睨みつける亜里沙。
「まったく、余計な事しやがってさ。クラスのみんなが嫌だって言ったらぜってーその格好で二度と教室いれねーからな!」
 教室を追い出された男子生徒の中から
「風木!このやろー!」
 と大原の声が響く。
「早く!」
 留美と美里が同時にそう言って僕の背中を強引に押して僕を押し出す様に走り出すと。流石に女の子が盾になってるせいか、大原は僕を追ってこなかった。

 丁度その頃、職員室では臨時の会議が行われていた。集まった先生達に今日の経緯を手短に話した後、静まりかえった先生達を前に、初老の女性の校長先生がため息をついて再び話始めた。
「どうしたもんでしょうかねぇ。こういうのは公立高校でのはるか向こうの話では聞いてましたが、まさかこの学校で起こるなんてねぇ」
 その言葉に、さっき教室に入ってきた初老の体育の熊井先生が声を荒げた。柔道でオリンピック候補生の経験も有るおっかない先生。
「公立高校に転学してもらえばいいじゃないですか。男は男らしく、女は女らしくがうちの教育方針でしょ?少なくとも今の我が校では対応できませんよ!大体体育なんて男女どっちで評価すればいいんですか?下手すりゃ都の学事部を喜ばせるだけですよ!最近予算締め付け厳しいし」
 大声でまくしたてた体育の先生の後で、別の先生も発言する。
「確かに校則では服装自由ですが、それは女子学生のスラックス着用を認めるというのが本音であって、逆は想定してないですよ」
 別の先生も続けた。
「今世の中でこの様なケースが起こりつつあるのは知ってますが、特に女子学生の親御さんは、そういう生徒が自分の娘のクラスメートにいる事に理解を示さない人も多いですよ。どう説明するんですか?うちは私学だし、そこまでリスク負えないですよ」
 しばしの先生達の沈黙の後、若手の学年主任の細井先生が口を開く。
「んで、どうなんですか?結局説得してだめなら追い出せって事ですか?その方が学校の評判とかは悪くなりますよ」
 体育の熊井先生の目をじっと見ながら諭す様にその先生が言う。
「世間に知られないうちにとっととやっちまえってんだよ!」
「知られないうちにって、今日の夜には全国に知られてますよ。知らないんですか?2CHとかMixiとかツイッターとか?ニュースより断然早いですよ」
「あんなくだらんもの観た事ないよ!」
「観た方がいいですよ。世間知る為には。秋葉原とか原宿でもファッションの一部として定着しているみたいですし」
 体育の熊井先生と学年主任の細井先生が言い争う中、
「ま、まあ、世間のうちの学校の評価が下がるのだけは避けたいよねー」
 お調子者のまだ若い副校長先生が争いを止める様に割って入る。
「それでさー、どうするよー何かいい案有る?」
 副校長先生が困った様に投げかけると、細井学年主任先生が腕組みしながら職員室の天井を見つめながらぼそぼそと話し始める。
「とりあえず、まず風木を呼んで話を聞きましょう。もし一時的な感情なら止める様説得も出来るでしょう。それと関西と九州の公立高校で過去にこれと似たケースが有るので、ちょっと話を聞きに行って来ますか。あと、校長先生は学事部に一報入れて、後理事会にも相談してみていただけますか?」
 目をつぶってじっと話を聞いていた校長先生も、
「そうね、まずはそれからよね」
 と同意をする。
「まず親呼べよ親!親呼んで説得させろよ!」
 流れが自分には嫌な方向になったと悟った体育の熊井先生が話に割ってはいろうとするが、校長先生が話をさえぎる。
「親も同意しているかどうかの確認で呼ぶのはいいけど、親使っての説得は教育上良く無いですよ。あくまで生徒個人の意見を尊重しなきゃ」
 学年主任の細井先生もそれに続けた。
「少なくても女子制服着て学校に来たんだし、それなりの覚悟は有ると思いますよ。親が何と言おうと一筋縄では…」
「あめーあめーよ、細井先生!じゃあ好きにしてくださいよ!少なくとも今のままじゃ他の教科はともかく、体育担当の私はどう指導していいかわからん。ちゃんとした筋からの指導方針が出ない限り、私は風木の指導は出来ません!」
 校長先生と細井学年主任の話にむっつりした態度でそう反論した後、それっきり体育の熊井先生は腕組みして黙り込んでしまった。
 その言葉に重いため息をついた後、再び細井学年主任が口を開く。
「とりあえず、風木は一旦今のクラスから外しましょう。それで当面の担当なんですが…」
 そう言って、学年主任先生は教職三年目の若い女先生の方を見た。
「雨宮先生。当面は養護預かりにしたいので、雨宮先生の所で風木を預かってもらえませんか?」
 先生達の目がその先生に向けられ、いきなりの事に
「へ!?あたし!?」
 いきなりの事に雨宮先生が大声で素っ頓狂な声を出す。
「養護担当だし、確か大学は児童心理学専攻でしたし、ほら、去年性同一性障害についての講演とかにも出席してたじゃないですか?」
 意地悪そうな学年主任先生の目線と言葉に、まわりからも知らなかったとか初耳だとかの声が聞こえてくる。
「いや、あれはたまたま時間空いてたから、適当にノルマこなそうと思って」
 両手を胸元で振りながら拒絶の姿勢を見せる雨宮先生だったけど、
「だめですよ今更、まあ経験だと思って」
 尚も意地悪そうに言う細井学年主任先生の言葉に、
「ああもう、あんな講演に行くんじゃなかった!」
 悔しそうな顔で机に突っ伏す雨宮先生。とそこに、
「失礼しまーす」
 僕を職員室の外に残したまま、留美と美里が職員室に入ってくる。
「あの、風木君…風木…さん、連れてきたんですけど」
 その声を聞くなり、
「うわあー!来た!」
 と雨宮先生が机に顔を付けたまま悲痛な声を上げた。
「じゃあ、雨宮先生、ちゃんと指導頼みますよ」
「雨宮先生に任せとけば大丈夫ですよ、がははははは!」
 副校長先生と熊井先生がそう言いながら、自分の持ち場へ行く為、職員室を出ようとする。と、
「とにかく、今日の風木君の事は生徒に何か聞かれても、今学校としての対応を検討中とだけ言ってください。じゃあ、臨時の職員会議を終わります」
 そう校長先生が言う。そしてまだ机に顔を載せている雨宮先生の方を向く。
「雨宮先生。風木君と一緒に校長室に来てください」
「あのう、雨宮先生…」
 留美と美里も続ける。
「今行きますぅーーーー!!」
 ようやく顔を上げた雨宮先生が乱暴に席を立ち、教室の外に出ると、目の前にいる僕に気づかず、
「風木!どこにいるの!こっち来なさい!」
 遠巻きに僕を見ていた女子生徒に向かって声を張り上げた。
「あ、あの先生、ぼ、あたしです」
「え?え?どこ!?」
 留美と美里の後ろに隠れる様にして自分を指差す僕に、雨宮先生がやっと気づく。
「へ?あんた、風木?」
 そう言いながら僕の顎に手をやり、強引に自分の顔に向けさす雨宮先生。
「へえ、なんか違和感無いけど…て、そんな事じゃないから!ちょっと校長室へ来なさい!」
 雨宮先生は僕の手を強引に引っ張り、職員室の隣の校長室へ、少し周囲の目を気にしつつ僕を押し込んだ。


 男子生徒を締め出した後、女子だけでなにやら会議している僕のクラスの教室では、結構ガヤガヤと皆が意見を言い合っている様子。やはり僕をクラスに入れさせないという女の子が多いけど、一部には条件付きで受け入れてもって子もいるみたい。
 クラスを締め出された男子生徒が校庭や別の所へおのおのふけて行き、クラスの前は数人の男子が残るのみだった。
 そこに僕を職員室へ連れて行った留美や美里が戻ると、一瞬クラスは静かになるけど再びざわつき始める。
「とにかく絶対嫌!笑いものじゃん!」
「体育一緒になるの?更衣室とかは?ブルマはくの?来年からのショーパン今年からに変更できないの?」
「まさか水泳まで?男のあれってさ、水の中泳ぐからさ、だから高校生は男女一緒に泳がせないんだよ!」
 圧倒的な反対意見の中、
「でも最近増えてるって聞くしさ、風木君みたいな男の子」
「女子でもさ、男になりたいって人いるよね」
 少数だけど擁護の意見も出ているらしい。
 そんな中、口にボールペンを咥えて、無言でじっと皆の意見を聞いていたクラス委員長の橋本亜里沙が、僕を職員室へ連れて行って帰ってきた留美と美里に向き直る。
「んで、先公達なんだって?」
 一旦自分の席に着こうとした留美と美里は、亜里沙に声をかけられて彼女の席の横に行く。
「今校長室で話し合い中」
「なんか、雨宮先生がしばらく付くんだってさ」
「ふーん…」
 2人の話を聞きながら亜里沙は視点を二人から、会議中にいろいろと書き込まれた黒板の方へ向き直った。
「あとさ、あいつがマジで言ってるのか、半分遊びなのか…」
 その時、女子生徒の一人がためらいながらも発言した。
「あ、あの、内緒なんだけどさ、風木君、小学校の時さ、女子バレーボールの大会の時、ケガで出れない女の子の代わりに試合に出たって、あの、あたしが言ったなんていわないで!」
 その言葉に数人が悲鳴とか驚きの声を上げる。
「あいつって毒にも薬にもならねー奴と思ってたけど、そんなことやってたのか」
 亜里沙一人が少し笑いながら喋った。
「こーゆーのってさ、むしろあいつら先公よりあたし達の問題なんだけどなあ…
 相変わらずボールペンを口に加えたまま独り言の様に言って亜里沙は席から立ち上がり、腰に手を当てて短いスカートの位置を上に直した後、ちょっと静まったクラスの前に立つ。
「とにかくこうしようぜ。基本的には反対!でもどうしてもあたし達にまじりたいならこうしろって事をあのバカに言おう」
 その時、数人の女子から反対の声が上がる。
「亜里沙!なんで許すのよ!」
「あたしたち絶対嫌だからね!」
 そう意見する女子生徒の顔を少し睨む様にして亜里沙が答えた。
「あのさあ、こうしてる間に男共はミクとかツイッタで今朝の事日本中に伝えてるぜ。最近こういうのうるせえし、百パー反対したらさ、うちらだって世間から嫌な目でみられかねねーしさ」
「でも嫌なものは嫌だし!亜里沙だって着替えとか一緒になってさ、風木に見られたりするの嫌でしょ!?」
「大丈夫、ハンパな事じゃうけいれねーって事にするんだよ。そしたらあいつだってあきらめるかもしんねーだろ」
 相変わらず男みたいな口調でやり返した後、亜里沙は傍らのチョークを手にとり、黒板に書かれた文字に大きく○とか×を書き入れていく。
「こんなとこでいいだろ?」
 その作業を終えて教室内の女子生徒に向き直る亜里沙。対する女子生徒は皆複雑な顔はしているものの、意見する子はいなかった。


「だから、何度も聞いてっけど、なんで女の子になりたいって思う様になったの!?」
「だから、理由なんてわからない。只、小学校の時から僕女の方が向いてるって思ってたし。綺麗で可愛い物好きだったし、中学校の時は女の子の友達多かったし、その子達に対してはとは恋愛じゃなく同性感覚だったし」
「もう、あんたいいかげんにしてよ、そんな感覚的な事ばっかり話してもらってもさ」
 校長室では、雨宮先生の僕に対する尋問が続いていた。それを横でじっと見る校長先生と学年主任の細井先生。頃合と見たのか、やっと校長先生が口を開いた。
「まあ、少なくとも一時的な感情じゃない事はわかったわよ。雨宮先生もさ、今は風木君に何聞いても答えは一緒だと思う。専門のお医者さんに見てもらった方がいいかもね」
 そういいつつ深いため息をついて何かを考える様な素振りで窓の外を見る校長先生。
「ただね、今クラスも騒ぎになりつつあるから、すぐには風木をクラスには戻せないかもしれません。何か方針出るまでは、自宅待機もしくは養護教室預かりか。たとえクラスに戻れても体育はどうしましょうかねぇ。早いうちに前例の有る学校に問い合わせてみましょうか」
 細井学年主任もそう話して目を閉じて腕組みしてしまう。
「風木、ご両親に連絡取って一度来てもらってもいいよね?あんたまだ未成年なんだからさ」
 あまりそうされたくなかったけど、もう後には引けない。僕は黙ったままうなづいた。 その時、校長室の扉をノックする音が聞こえ、ふと我に返った校長先生が戸口に向かう。声からするとノックの主は僕を職員室に連れてきた小林留美らしい。校長先生と何やら小声で会話した後、留美は足早に去っていったみたい。そして僕の座っているソファーの向かいに来て、何やら手渡されたメモ用紙を暫く見ていた校長先生は、無言でそれを細井学年主任先生に手渡す。
 暫くそのメモを見ていた細井先生は、
「そうか、あいつらにとっても大問題なんだよな…」
 そう言ってそれを雨宮先生に手渡した。それを目で眺めた雨宮先生は、ちょっとおどけた表情をした後、僕をじっと見据えて口を開いた。
「おい、風木、喜べ。クラスの女子は条件付で認めるらしいぞ」
 その言葉を聞いた僕は今までの緊張感が解け、
「本当!?」
 と嬉しそうな声を上げるけど、雨宮先生の顔は全然笑っていなかった。
「ひとつ、基本的には女子でクラスに入るのは禁止。但し以下の条件をクリアするなら話し合いには応じる」
「ひとつ、声、会話、日常動作全てにおいて、女子と全く同じにすること。もしバレたらその時点で出入り禁止」
「ひとつ、生物学的に男子でない事を証明すること。性的な感情を持ったとクラスの誰かが思った時点で出入り禁止」
「ひとつ、体育は更衣室は別。完全に女のふりできるなら一緒でもいいけど、水泳は絶対だめ」
「ひとつ、女の声とか仕草とかを覚えた上で、なおかつ女の会話のノリとかテンポを完全に覚える事。万一友達とかになってくれる奴の為に、ネクラになったり周囲に迷惑かれたらその時点で出入り禁止」
「ひとつ、それができなきゃ二度と学校来るな!」
 淡々とそのメモを読み上げる雨宮先生。それを聞いている間、僕は生まれて初めての本物の恐怖を味わっていた。
「多分まとめたのはあの娘よ。橋本亜里沙」
 校長室の自分の椅子に腰掛けた校長先生が独り言の様に言う。
 ひょっとして、僕、思った以上にとんでもない事をしてしまったのかも。


「電話口ではかなりとりみだしてましたね、風木の母親。どうしますか?母親呼びましたけど、三者面談にしますか?」
「…親子別の方がいいでしょ。会わせるとお互い言いたい事がまともに言えなくなる気がするの」
 
 校長室で校長と副校長が僕の母親を待っている頃、僕は保健室で雨宮先生と個人面談を続けていた。何やら講演会の時に貰ったという書類を手に、悩まし顔で手を額に添えていろいろ質問したり独り言とか言ったりしてる。
「えっと、小学校の時バレーボールに女子で出た時に、女子同士の友情とか感覚を覚えて以来、それが心の中に留まり、暫く我慢してきたが突然それが表面化したと・・・」
 時折首を振りながら学術的というか硬い文章に直し、何度も修正してはメモに消しゴム入れたり。なんだか可愛そうな位だった。
 そしてふと手を休め、僕の顔をじっとみつめて話し出す雨宮先生。
「おめーな、女のどこがいいんだ?」
「どこがって、可愛いかっこ出来るし、平和的だし…」
「あんた、女のいい所ばっか見てねーか?先生はもう三十年近く女やってるけどさ、辛いぞ結構」
 そう言って雨宮先生は椅子の背もたれに背伸びをする様に座り直し、足を組む。
「今の医療技術でどこまでおめーが女になれるかわかんないけどさ、まあ生理の辛さは別として、まず女は男の目とかを引き付ける為にすげー努力してんだぞ。まず、おめー男とかに興味有るのか?」
 いきなり核心ついた質問に僕はちょっとためらったけど、
「いえ、今の所は…」
 素直に答えておいた。これで打ち切りになるかと思ったけど、雨宮先生は口を尖らせてうなずいた後、会話を続ける。
「化粧、服、そして身だしなみ。化粧と身だしなみは朝最低でも三十分かかる。小遣いの殆どは服とコスメに消える。バイトしても男よりもらえる金は少ない。女として最低限の生活が今まで男でのほほんと生きてきたお前に出来るのか?」
 答えに困った顔をしている僕に雨宮先生が更に続ける。
「自分だけの時間と金の半分以上は、普通に女で生活してたらそれに消える。それと着るものだけどさ、ブラとかガードルとかストッキングとか、レギンスとか、あれ脂肪の付いた体を締め付けて見栄え良くする為に女が仕・方・な・く!着けてるんだぞ。これからの季節暑いし、日焼け防ぐ為に夏でも長袖着る事も有るし、ブラとキャミで既に2枚、シヤツで3枚、トップスで4枚。夏でもこんなに重ね着するんだぞ。UVケア用のクリームとかも塗らなきゃいけないしさ、あーもう腹立ってきた!男の方がよっぽど気楽でいいよ!」
 半分愚痴の様に一方的に話す雨宮先生。とうとう僕の顔を見ずに椅子に深く座り直し、天井見ながら更に話し出す。
「いじめ、シカトは女ならいつ有っても不思議は無いし、その防止の為の人付き合いとか根回しの大変さとか、おめー本当の女の世界の怖さ知らねーだろ」
 そう雨宮先生が続けている時、ガラガラっと保健室の戸が開き、副校長先生が入ってきた。
「風木君。お母さん来たけど、会う?」
 その言葉に無言で首を振る僕。とてもじゃないけど今そんな気分じゃない。
「まあそうだろうけど、こういうのはご両親の理解が不可欠だと思うよ」
 ドアへ向かいつつ後ろ向きにそう言いながら副校長先生は部屋から出て行った。
 それを見届けた雨宮先生は僕をちょっと睨んで手で軽く僕の頭を小突き、椅子から立ち上がると部屋の本棚から一冊の本を取り出して再び席に戻ってきた。
「あとさ、男と女の体の違いだけどさ…」
 その後雨宮先生の話は続く。その話は女が男に比べてどれだけ力とか皮膚とか体質とか精神的なものに弱いかという事を一時間近く聞かされた。

 一通りのお話の後、何も喋れないでいる僕を目の前にして雨宮先生は椅子から立ち上がると、コップに冷蔵庫からお茶を取り出して注いで一息に飲み、もう一つのコップにお茶を入れて僕の座っている机に置く。
「ありがとうございます」
 僕の言葉に無言で僕の前に座り直す雨宮先生。そして疲れた僕も一息にそれを飲み干したのを見届けると、おもむろに軽く両手で机をバンと叩いた。
「っで!あんたこれでもまだ女になりたいっていうの!?」
 机を叩く音と雨宮先生の気迫にちょっと驚いた僕だけど、その言葉に先生の目を見つめ直して答えた。
「はい」
 僕には小学校の時、女子で試合に出た時のあの女の子同士の連帯感とか不思議な感覚がどうしても忘れられなかった。
 僕の言葉にため息をついて再び天井を見つめて無言になる雨宮先生。その直後に鳴った学校のチャイムが、なんだか僕の勝利の鐘に思えた。
 双方しばし無言の中、ノックの音と共に再び副校長先生が保健室入ってくる。
「あ、どうでした?副校長先生」
 二人の座っている机の横に来た副校長先生は、雨宮先生の言葉に僕に悩ましげな顔で喋る。
「なあおい、風木君よ、あまり親泣かせるもんじゃないよ」
 即座に反応する雨宮先生。
「親、泣いてたんですか」
「ああ、泣いて自分を責めてたよ。嫌がる風木に無理やり女の子の格好させてバレーボールに出させた自分が間違ってたってさ」
 そう言って副校長先生は僕の顔を少し睨みつける。ちょっと僕も気が引けたけど、でも今ここであきらめたら、折角の自分の一世一代の行動がパーになっちゃう。
「こっちは?説得は出来た?」
 雨宮先生に向き直る副校長先生。
「ぜーんぜんだめ。女続けるって」
 大げさに手を広げて答える先生に僕はちょっとむっとなって反論。
「だってさ、女の悪い所ばっかり言うんだもん」
「はぁ?いい所ばっか見てるあんたに警告してやってんのよ。だからそんな格好してきてんでしょ」
 そういいながら、僕の履いてるスカートの裾を机の下で強く引っ張る雨宮先生。
「我思う故に我有りか」
「それ引用の仕方違うし…」
 副校長先生の冗談に強く突っ込み入れる雨宮先生。
「それで、これからどうする予定なんですか?」
「俺はこれから都に出張。ついでにもし話が出来る人がいたらちょっと相談してくる。あと、校長は引き続き風木親と話するらしい」
「まだ話って、今の所これ以上何の話するんですか」
「さあ、わからん…」
 他事務的な会話を雨宮先生と話した後、副校長先生は出張の為に保健室から出て行った。

「風木、今日はもう帰れ。再び騒ぎにならないうちに。それと用意してやるから服はジャージに着替えて、それと…」
「嫌、このまま帰ります」
 今ここで折れる訳にはいかない。頑強に僕は雨宮先生の言葉を拒否。
「お前、今の格好鏡で見てみろよ。ちょっと見はそうみえるけど、マジマジ見ると男だってわかるぜ」
「いいです!」
「もう、勘弁してよ…」
 とうとう机の上にうっぷせる雨宮先生。ほどなく顔を振ってがばっと起き上がると、部屋のロッカーに歩み寄ってバッグを取り出し戻ってくる。
「ちょっと顔かせ、少しでも女に見える様にしてやっから」
 椅子に座った雨宮先生は強引に僕の顎に手を当てて顔を向かせ、そしてまず僕の髪をブラシでといた後、薄い黄色のシユシュでポニーテール風に髪を纏めようとしたけど、
「あ、だめだ、生え際とおでこがまんま男だわ…」
 すぐにシュシュを外し、前髪を垂らし、ヘアワックスを手に取り、髪を女の子のざんばら風に纏め始める。
「先生、ありがとう」
 十分迷惑をかけてると思った僕は、小声でお礼の言葉を言うけど、
「うっせーな、お前の為じゃねーよ。今日このままおめーを無事に家に帰さなかったらあたしが責任取らされるっつーの!」
 なんか先生らしくない言葉に僕はちょっとびっくりする。
「うちの校長もなあ、「第一に生徒の自主性を尊重し育成する」なんて、変な目標立ててくれたわよ、ほんとにもう!」
 ぶつくさいいながら、雨宮先生はいい香りのするワックスで髪を整えられた僕の顔をペーパーの化粧落としで化粧をぬぐった後、乱暴にファンデをはたき、眉墨で眉を整え始める。
「なんであたしがあんたにこんな事してあげなきゃなんないのよ、もう!」
 手早くビューラーで睫毛を上げた後、睫毛ボリュームアップ用のマスカラで手早く僕の睫毛を伸ばしていく。流石に手早くて上手、僕の朝の化粧なんかより早くて可愛く仕上がっていく。
「はい、これで少しはましになったでしょ。他の生徒の目も有るからさ、おめーの親にはちゃんと言っとくから、寄り道せずに真っ直ぐ帰れよ!」
 手鏡で化粧された自分の顔を見た僕はちょっと安堵。決して可愛いとか美人じゃないけど、ごく普通レベルの女の子の顔がそこに写っていた。
(やっぱり本物の女の人ってすごい)
 そう思いつつ、自分のバッグに手鏡をしまいこんだ僕の顔に今日始めて本当の笑顔が戻った。
「先生!ありがとっ」



そう言って大急ぎでバツグを手に持って保健室の戸口へ向かう僕。と僕を呼び止める雨宮先生の声がする。
「風木、もしやと思うけど、ホルモンだけはやめろな」
「え、あの、何ですか、ホルモン?」
「あ、いや、なんでもないわ」
 軽く挨拶をして僕は保健室を後にする。

 校長室のドアは閉まっていた。中で僕の母親が校長先生と何やらはなしていると思うとちょっと複雑な、ちょっと後ろめたいような、そんな気がする。
 少しだけ聞き耳立てると、僕の母親と一緒にどこかに電話してる様子だった。
(別の誰かに相談してるのか…)
 ちょっと不安になった僕だけど、とにかく学校を早く出る事にした。自転車置き場に行くまでに女の子二人とすれ違ったけど、特に相手は気にしてない様子。ひょっとして僕パスしてるのかも!?
 ちょっと嬉しさが戻り、笑顔で勢い良く自転車で校門を出る僕。でも僕の行く方向は僕の家じゃなかった。少し方角が違う、町の繁華街の方。そうなんだ、今日学校が終わったら行く予定の第二の場所。
 かなり前からそこの場所のポスターとか張り紙は見ていた。この町で一箇所しかないその場所へ、僕は早くも慣れてきたスカート姿で向かって行った。

 最近の不景気で張り紙付きのシャッターを降ろしている店も少なくない、僕の住んでる町の駅前繁華街。昼下がりで人影もまばらなその場所に近づくにつれ、僕の心臓は今日の朝、スカートで学校へ行く時と同じ様に早鐘を打つ。そして繁華街の裏の細い路地へ行くとそこに僕の目的の場所は有った。小さなスナック風のその店の扉には、町の所々に張ってある張り紙がしていた。

「コミックパブ「あき」従業員、男の娘募集」

 先日インターネットで調べたら、どうやらこの町で唯一のニューハーフパブらしい。自転車から降りてドアの所へ行くと、昼間ご用の方は更に裏の勝手口へ行く様に小さく張り紙されていた。
 空調機とビールの空き瓶や使用済みのおしぼりが置いてある横道を、それらをすり抜ける様にして僕は相変わらず早鐘の様に打つ心臓を気にして、緊張で汗ダクになりながら勝手口の前に立った。
 しばし呼吸を整え、勇気を出して勝手口のドアの呼び鈴を押す。
「はーい」
 テレビで良く聞いたニューハーフ調の声で返事が有り、暫くしてがちゃっとドアが開く。そして出てきたのは、髪の長いちょっと綺麗なそれっぽい人だった。
「あら、何かご用。あれ、あなた女の子じゃないわね。ひょっとしてここで働きたいって人ぉ?」
 やっぱりこういう世界の人には一発で見抜かれてしまうのか、僕は小さくうなずいてそのままうつむいてしまう。
「ちょぉっと待っててねぇ、今ママ呼んでくるから」
 その間がどれだけ長く感じたろうか、やがてもう一度ドアが開くと、隙間から顔を覗かせたのは、ウェーブのかかった長い髪をした、40歳位のおばさん風の人だった。すっとその人はドアの前に立ち、僕の姿を足元から頭まですっと流し見した後、無言で手にしたタバコに火を付ける。
 うつむいていた顔を上げ、僕も無言でそのおばさんの顔を見つめた。
「何しに来たんだい?」
「…」
「ここはあんたみたいなぼうやの来る所じゃないよ」
「…」
「化粧はそれ自分でやったのかい?」
「…」
「あんた、ここの店がどんな所か知ってて来たのかい?」
「いえ、あの…」
「黙ってちゃわかんないよ、なんとか言いな」
 そう言って再び手にしたタバコを口元に持っていくおばさん風の人。
「あの、ここで働きたいんです」
「未成年はだめだよ。うちはこう見えて法律守ってるんだから」
 僕はちょっと悲しくなり軽くおじぎをしてそこから立ち去ろうとした時、
「待ちな…」
 そのおばさんが僕を呼び止めた時、またドアが開いてさっきとは違う、どう見ても二十歳位の女の子にしか見えない人がおばさんを呼ぶ。
「ママ、酒屋さんからご用聞きの電話…あら、可愛い坊や、え、何々ここで働きたいの?そうならしごいちゃうわよ、当然あっちも」
「バカ!余計な事言うんじゃない!後でかけるって言っとけ」
 ママと呼ばれるそのおばさんに一括されたその女の子?は口を尖らせて僕の方を向く。「…んな、怒らないでもいいじゃん…ねえぇー」
 その女の子?は僕に軽くウインクするとドア奥へ消えた。それを見届けたそのおばさん風の人は、携帯灰皿に今までのタバコをしまうと、もう一本煙草をくわえて火をつけ、一服した。
「せっかく来たんだ。何か訳有りなら話だけでも聞いてやろうじゃないか」
 ちょっと安堵の感を覚えた僕は、おばさんに軽くお礼を言うと、今日の出来事を話始めた。

「ちょっと待った!あんたその格好で今日学校へ行ったのかい!?」
 僕の話の途中でいきなり目を大きく見開き、声を大きくして僕に言う店のママ。その言葉に僕は軽くうなずく。
「あんたの母親は知ってるのかい?」
「今まだ学校で校長先生とお話してます」
「親父さんは!?」
「まだ知りません」
「…あっきれたっ、よっぽどの馬鹿か御大人さまだね、あんたって子は…」
 そう言って僕を見つめ、長く伸びた煙草の灰も気にせず僕を見つめるおばさん。
「これからどうするんだい?」
「…わかりません」
「まったく、なんて子だい…」
 おばさんは大きくため息をつき、何か考え事する様にうつむいたまま煙草を吸い続ける。そしてしばし沈黙の後おばさんが口を開いた。
「ちょっと待ってな」
 携帯灰皿で煙草の火を消し、それをしまい込み、おばさん風の人はドアに消える。五分ほど待つと再びおばさんがドアから顔を出し、一枚のメモを僕に手渡して僕に言う。
「本当に女になりたいならまずこれからやってみな。これなら男のままでもやれる。今の時代外見変えるのは簡単だよ。問題は中身だ」
 僕はおそるおそるそのメモを開く。それは走り書きだけど細かい字がびっしり書かれていた。読もうとしたけどおばさんはそれを止める。
「こんなとこで読まないで家帰ってからゆっくり読みな。それとさ、女性ホルモンだけはやめときなよ。後で取り返しつかなくなるから」
「あ、は、はい」
 そう言って僕がそのメモを大切そうにバッグの中にしまうのを見届けてから、おばさんは最後に付け加えた。
「ここまでおおそれた事やったあんたの心意気に免じてやるよ。何か相談事有ったらまた来な」
 そう言っておばさん風の人はやっと少し笑顔を見せ、僕のお礼の言葉も聞かずにドアに消えた。
 只の一枚のメモだけど、全くこれからの希望が見えず、明日学校へ行くべきかどうかさえ迷っていた僕にしてみれば、それはまるで宝の地図か大当たりの宝くじみたいなものに感じた。

 近所の人々の目線を気にしつつ、家に戻ったのは十四時頃。母親がまだ帰ってきていない事にほっとしつつ、初めてスカート姿で自分の家に入る事に少しためらったりもした。 とにかく遅い昼ごはんを食べようと台所に入ると、洗い物とか洗濯ものが中途半端に纏められている。僕の母親はかなり慌てて学校に行ったみたいだった。
 パンをトーストにして、いつも使うのとは違う女性来客用のティーカップに紅茶を入れ、パンをかじりつつ、ニューハーフパブのママさんに貰ったメモを読み始める僕。その途中僕の顔はうなずいたり、疑いの表情を見せたりと様々だった。

一、女の歩き方とテンポ
 街中で女性の後ろに入り、距離を一定に保ちながら、女性の足音に自分の足音を合わせる事。その時視線は女性の腰からヒップに合わせ、歩く時の腰の動きを覚える事。
一、しゃがみを覚える事
 落ちたものを拾う時はかならずしゃがむ事。目線が自分の身長以下の物を確認する時は必ず両膝をあわせて中腰になる事。
一、女の会話とテンポ
 ドラマよりは「グータン○ーボ」等のトーク番組やFMラジオで女性の会話を聞き、ワンテンポ遅れて必ず声を出して真似する事、そしてその時の身振り手振りを真似する事。そして喋りながら相手の話を聞く事に慣れる事。
一、女のペタン座りと足の組み方を練習する事。
一、両膝をゴムバンドで縛って日常生活をし、男の足癖を直す事。
一、女性向けファッション雑誌を購入し、流し読みはせずに、写真一枚語句一文字までしっかり観て読む事。
一、可能なら化粧水、乳液、ボディケア等の女として最低限のスキンケアを始める事。
一、女の書いたブログでお気に入りを見つけ、毎日読む事。
一、毎日寝る前に百回、「女の子になりたい」と天に願う事。

「最後の祈りってどういう事なんだろ」
 僕はちょっと気になったけど、精神的な物なんだろうな位にしか思ってなかった。

 十五時。まだ母親は帰ってこない。僕はこの後確実に起きる両親との面会の為に心を落ち着かせようと僕の部屋に入った。ちゃんと化粧され、スカートを履いた僕の姿を部屋の鏡で確認し、女ではないけど、男とも見えない今の僕の姿に一応安堵して、そして机の引き出しを開ける。
 そこには僕の名前宛で、パソコン部品と書かれた小さな小包が入っていた。
「もう後にはひけないんもんね…」
 そう独り言を呟きつつ、僕はその包みを開ける。そしてそこから出てきたのは、

 プレマリン一.二五 三十錠六ケース
 プロベラ 五ミリグラム 二百錠

 雨宮先生もコミックパブのママも僕に禁じていた女性ホルモン剤。二人の前ではしらばっくれたけど、僕はとっくに女性ホルモン剤の種類と処方はネットで調査済みだったんだ。プレマリンは体質の女性化、そしてエストラジオールはバストの発達に有効らしい。
 暫くの間その薬とにらめっこしていた僕は、決心した様に目をつぶると、一錠ずつ取り出し、水と一緒に口に放り込んだ。

(頭痛い…少し吐き気する。あれ、僕寝ちゃったんだ。え、今何時だっけ!?)
 ベッドからがばっと飛び起きた僕が目にした時計は十八時を回っていた。家の中の物音とかを注意深く聞いても、まだ両親が帰って来ている様子は無い。
「どうしたんだろ、まったく…」
 流石に僕は罪悪感を感じ始めた。相変わらず頭痛と吐き気は収まらない。でも原因はわかっていた。初めて飲んだあのホルモン剤に違いない。多くの人のネットのブログとかホームページにも書かれていた事。
「えー、あれ毎日朝晩二回飲むんだろ、慣れる事出来るのかなあ」
 独り言の様につぶやく僕。実際慣れるのには個人差が有るって聞いたけど。
 ふと僕はあのメモを思い出し、まずベッドの上でペタン座りを始めてみたけど、とてもじゃないけど足のふくらはぎが外へ行かない。
「痛い、こんなの出来ないよ…」
 あきらめた僕は、今度は一番最後の祈りを始める。手を胸元で組みんで目を閉じて、
(僕を女の子にしてください…)
 心の中で祈り始めた僕。最初はばかばかしくて恥ずかしかったけど、しばらくするうちになんだか心がやすらいでくる気がする。頭痛と吐き気も少し収まった感じだった。

 突然家の玄関の開く音、そして人の気配と物音がし始める。母親が帰ってきたのかな、あれ!親父と一緒だ!うわ、いきなりダブルパンチ!?
 両親は居間に入ると突然口喧嘩みたいな事を始める。絶対僕の事だ。そして、
「美和!いるんでしょ!」
 母親のちょっとヒステリックじみた声。僕は答える事が出来ず、部屋のベッドの上で凍りついた様に聞き耳を立てるしかなかった。しばしの騒動が居間から聞こえてくるけど、近所を気にしてるのか声を抑えてるので聞き取れなかった。そしてとうとうその時がやってくる。
「美和!出て来い」
 親父の声だった。
(とうとうその時が来た)
 その声を聞いた僕は、部屋の壁にもたれて深呼吸。クラスメートの前でスカート姿を見せるのはなんとか平気だったのに、どうして一人の親父の前に行くのがこんなに怖いんだろ。でも、僕の野望を達成するには絶対避けて通れない道なんだ。
「美和!いるんだろ!顔出せ!」
親父のその声に、僕は部屋の片隅に置いてある大きな姿見を見る。そこにはうっすらと化粧をされたスカート姿の僕が写っていた。親父がこの姿を見たらどう思うだろう。でも今ここであきらめたら、今までの僕の苦労が…。
 僕は天をあおいで、えいっと気合を入れて部屋から出て行く。居間に行くまでの間、頭の中は真っ白。そして、とうとう親父の顔が見えた。
 ちょっとくたびれたスーツ姿の親父は、口を半開きにし、信じられないといった目で僕をじっと見据えた後、ふと顔を横にそらせた。
「お前には出来る限りの自由を与えて、のびのびと育ててきた。その結果が、これか…」
 そう言って暫く黙り込むと、いきなり片手で目頭を押さえ始める。その予想もしなかった親父の姿にさすがに僕も動揺した。
「お父さん、今まで我慢してきたけど、もう限界に来たんだ。これが、僕の本当の姿、だと思う…」
 小声でやっとそれだけ言えた。相変わらず片手で目頭を押さえる親父。と、
「出て行け…」
 親父の口から小さくそんな言葉が漏れる。そして、
「出て行け!!二度と戻ってくるな!!」
 今度は大声でそう言うと、目頭と鼻を押さえ、鼻水をすする音をさせ、乱暴に僕の横をすり抜け、居間の横の自分の部屋に入り、乱暴にドアを閉めた。
 出て行け…、て、僕どうすれば…、明日から…。
 その様子を今の奥でじっと見ていた母にようやく僕が気づく。母は親父と違い、あきれて物も言えないといった雰囲気で僕をじっと眺めていた。
「お母さん、僕今まで何とか男らしくしようと思ったけど、結局それ演技にしかならなかった…」
 それ以上言葉が出ない。しばし沈黙の間も母はじっと僕の姿を眺めていた。

「すわりな」
 沈黙を破ったのは母だった。僕はちょっと恥ずかしそうにお尻に手を当て、うつむきながら母と同時にテーブルの椅子に座った。
「そんな仕草いつ覚えたんだよ」
 相変わらず恥ずかしくて母の顔を見れない僕。
「化粧は?自分でやったのかい?化粧品なんてどうやって手に入れたんだよ」
 雨宮先生にやってもらったなんて言えない僕は、只うなずくだけだった。そこで初めて僕は今日の午前中とは打って変わった母の落ち着いた表情に気づく。
「校長先生と長い間話したんだよ。それで一つ提案が有ってさ、今日早く会社終わったお父さんともその事でいろいろ話したんだよ」
 そう言うと母は傍らのバッグの中から一通の大きな封筒を取り出し、中から一枚の書類を出して僕の前に置いく。それは何かの施設の案内書らしかった。
「何らかの事情で学校に行けない子供を一定期間預かってくれる場所だそうよ。校長先生の教え子が所長やってるんだってさ。ここに行けばその期間は一応今の高校に出席した事になるらしいよ」
 僕は疑う様な目でその書類を手に取り、しばし眺める。
「これって、養護学校みたいな所?」
「はっきり言ってそうよ!」
「嫌だよ!今の学校へ行きたい!」
「何言ってるの!今の状態でまともな学校生活送れるわけないじゃない!」
 僕は言葉に詰まる。確かに、僕明日どうしようかと悩んではいた。
「男子からは奇異の目で見られ、女子からは村八分扱い。クラスメートのブログ読んだマスコミから取材の申し込みまで有ったらしいしさ。多分明日はこの近所の人にまで噂は広がってると思うよ」
 黙っている僕に母は目の前の書類を指で突きながら話を続ける。
「ここは学校の人でも知らない人がいる秘密の施設みたいだよ。全寮制で、とにかく子供が自分を見つめ直すにはちょうどいい所らしい。今世間から奇異の目で見られ始めたあんたを一時的に隔離する上でもお母さんは賛成だね」
 そう言って別の書類を封筒から取り出しながら母は続ける。
「イギリスにあんたみたいな子を受け入れる施設が有って、海外留学って話もでたけど、とてもじゃないけどそんなお金無い。ここだとお父さんの夏のボーナス位で大丈夫だしさ」
「え、やっぱりお金かかるの?」
「あたりまえじゃない!お父さんに感謝するんだよ!!」
 僕は再び目を伏せた。とにかく、今考えられる一番いい方法かもしれない。
「それで、いつから行くの?」
「行くんだったら明日から来なさいって。持ってくるのは最低限の身の回りの物でいいらしいよ」
「えーーー!?」
「いつまで行くかは所長さんが決めるって」
 あまりの急な話に僕は母を見つめ、ただ呆然とするだけだった。

 母との長い話の後、そのまま風呂に入り、母のメイク落としを借りて慣れない手つきでメイクを落とす僕。そして風呂から上がると、なんと僕の着ていた女の子用の下着とか服が綺麗にたたまれて脱衣籠に入っていた。
 ちょっとびっくりしたけど、僕は恥ずかしくて母と顔を合わすのが嫌で、大急ぎでそれを着た後、部屋に急いで戻る。
「あ、そうだ!メール…」
 部屋に戻った僕は、携帯を取り出してメールをチェック。
「うわ…」
 クラスメートからのメールが十数通入ってる。それらをまとめてみると、どうやら僕がどこかの養護施設に行くというのはもう決まったみたいになってるらしい。後、先生に聞いても詳しい事教えてくれないから教えろとか、親しい奴からは励ましの言葉とか。その中には僕に似ているらしい荒井美里の名前が有った。
「みんなありがとう」
 そう呟いて、急いで全員に返信メールでお礼。但し僕の行き先は伝えなかった。それが終わった頃、僕の携帯にAKB4○の曲の着信音が鳴る。誰かと思えば友人でクラス副委員長の水野だった。
「風木、やっと出てくれたか。今メール貰ったけど」
 確認してなかったけど、ひょとして着信履歴がすごい事になってるかも。
「お前さ、本当に女になるのか?ていうか、なれるのか?」
「うん、そのつもりなんだけど…」
 携帯を手にベッドにすわり直して慣れないスカートの裾を直す僕。
「ひょっとして、男が好きだったのか」
「いや、今はそんなんじゃないけど…」
「じゃ、なんで?」
 小学校のあの時のときめきにも似たあの感覚が原因なんだけど、うまく言い表せず、僕はただ黙ったままだった。
「なんか今日、正門前でカメラとか大きなマイク持った奴ら、多分マスコミだと思うけどたむろってたぜ。まあそれ以前に6限目のクラスルームで、おめーの事誰かに聞かれても知らないって言う様担任から釘さされたけどさ」
 今日始めて訪れたほっとする時間だった。僕は逆に質問。
「クラスはどうだった?」
「どうだったもなにも、みんなその手の話でもちきりだよ。おかまがどうの、ニューハーフがどうの、性同一障害がどうの、芸能界のだれそれがどうのとかさ、みんな好き勝手に話してたさ。只、お前の話はそんなに出なかったよ。まあ、お前自体そんなに目立つ奴じゃなかったからな」
 一呼吸おいた後水野が続ける。
「それで、何、暫くの間養護学校へ転校だって?」
 僕が行こうがやめようが、そういう話になってるんだ。ちょっと騙された気分。
「そういう事になってるんだね。まあ、最終的にはそういう決断をたった今したばっかりなんだけど」
「そか…」
 水野の顔を思い浮かべる僕。
「で、帰ってきたらどうなってるんだよ?女になってるのか?それとも考え直して元どおりになってるのか?」
「わかんないよそんな事。そこで何するかさえわかんないんだからさ」
 さっき母から手渡された資料にはそのあたりの事は何も書かれていなかったし。
「でも、少なくとも考え直すつもりはないからさ」
「まあ、あそこまてやっちまったんだからなあ」
 携帯から聞こえる水野の笑い声に、ほっとする僕。
「まあ、無事戻ってこいよ。お前がどうなってようが、友達でいてやるからさ」
 その言葉にほろっときて、でも涙声を出すのが恥ずかしい僕は何も言えなかった。
「それじゃな」
 一方的に切れた携帯電話を僕はしばらく握り締めたままだった。あ、でもこうしてはいられない。明日出発の準備、最低限の持ち物でいいって言われてたけど、僕にとって大事な物を用意しなきゃ…。
 引き出しの中からホルモン剤の入った箱を取り出し、じっと眺める僕。
(絶対荷物検査とか有るだろなあ)
 部屋の中をそう思いながらしばし物色して僕の目に入ったのは、
(あ、これだ!)
 それは部屋の片隅に置かれていた、中学校の時の女友達に誕生日プレゼントでもらった、まだビニールを被っていた小型の○ラックマの縫いぐるみだった。
 僕はそれを手に取り、縫い目の所にカッターナイフで小さな切れ目を入れ、そして中の綿を引き出し始める。結構長い時間の作業だったけど、十分開いた空間に、2種のホルモン剤を詰め込み、そして余ったところに綿を詰め込み、そして通学カバンから買ったけどまだ一度も使った事の無い裁縫道具を取り出し、慣れない手つきで出来るだけ目立たない様にそこを縫い直した。そして、
(まだこれじゃ不審に思われる)
 僕は本棚とか窓ガラスで手のひらを汚し、新品のその縫いぐるみになすりつけた。
(長年一緒に抱いて寝てたクマの縫いぐるみ)
が一つ出来上がった。
 ほつとしたのもつかの間、僕はちょっと重大な事に気が付いた。
(明日、どっちで施設に行くの?男?女?)
 女で行こうとは思っていた。でも女の子用の旅行カバンは流石に用意していなかった。そして施設案内の書類の地図を見るとその場所は遠く離れた山の中。電車とバスで行かなければならない。明日、満員の電車の中に女の子で乗り込まなければだめなんだ。
書類には、ボールペンで、
「必ず本人一人で来させてください」
 と書かれている。雨宮先生についていってもらおうかと思ったんだけど…
 暫く悩んでいた僕だけど、次第に口元に笑みが浮かぶ。
「ま、いっかあ」
 独り言が口から漏れる。そうだよね、明日行く途中で会う人なんてもう二度と会わない人ばっかだしさ。
「そろそろ寝よっと」
 不思議と気が吹っ切れた気分。あ、そうだ寝る前に、ちょっと馬鹿らしいけど。
 僕は無理やりペタンすわりっぽくベッドにすわり、そしてちょっと恥ずかしかったけど両手を胸元で組み、お祈りを始めた。
(僕を女の子にしてください…僕を女の子にしてください)

 百回お祈りするのは結構疲れた。そのせいかぐっすり寝れた様な気がする。翌朝大きくあくびをする。両親と顔を合わさなきゃいけないんで、居間兼キッチンに行くのはすごく嫌だったけど、何も食べないわけにはいかない。だって施設へ行く途中、女の子の格好でレストランで注文はさすがに今は無理。
 しばし思いつめた後決心した僕は、昨日の夜に今日の持ち物を詰め込んだスポーツバッグを開け、薬を仕込んだ○ラックマとか女の子の下着類をおしのけて化粧道具を入れたポーチを取り出し、昨日雨宮先生がやってくれた髪型に髪を整え、男性用の整髪剤で髪を整え、そして昨日施されたやり方を思い出しながらメイク。思いなしか昨日の朝より手早く、少し上手くなった気がする。
 幾分パッチリした目元を鏡で見つめ、
(こんなもんかな)
 と独り言を言った後、ブラとショーツを付け、昨日と同じ黄色のトレーナーにジーンズのスカート履いて、姿見の前でチェック。
(大丈夫だよね。女の子にみえない事もないよね)
 そう自分に言い聞かせ、僕はバッグを手に居間兼キッチンへ向かった。

 おそるおそるキッチンに入った僕を、母は朝ごはんの準備を止めと手を腰にやり、じっと僕を見つめ始めた。無言でテーブルの前の椅子に座る僕を、手をとめたままなおも目線で僕を追う母。その沈黙に耐えられない僕。
「ねえ、かわいい?」
「バカ言ってるんじゃないよ!!」
 思わずそう言う僕に、母は怒った様子で傍らのタオルを僕に向かって投げる。そして再び手を腰に当ててあきれた表情。
「ねえ、あんたやっぱりその格好で行くのかい」
「う、うん…」
 オーブントースターにパンを入れながら僕は小声で答える。あれ、そういえば…。
「ねえ、お父さんは?」
「まだ寝てるよ!よほどショックだったんでしょ!今日は会社休むって!よほどの事が無い限り会社休まないあのお父さんが!」
 そう言いながら母は僕の前にオムレツとトマトの皿を乱暴に置く。こそこそとそれに箸を付ける僕の前に乱暴に座った母は、あさっての方を向きつつ僕に小さな封筒を渡す。どうやら数ヶ月分の小遣いらしかった。
「ありがとう…」
 そう言う僕に母は乱暴に
「食べたらとっとと行ってきな!ご近所さんに会わないうちに。全く、とんだ迷惑だよ!」
 母はそう言うと席を立ち、洗濯ものをしにバスルームへ行った。残された僕は味気なく感じた朝ごはんを急いで食べ、そしてスカートのポケットから二粒のホルモン剤を取り出した。
 一度でも飲んだら完全な男じゃなくなる。そういう過激な言葉を書いていたホームページも有った。僕は無言でそれを見つめ、水と一緒にそれを口に放り込んだ。

 バッグを持ちキッチンを出る。その時、
「そんなカバン女の子が持ってちゃ変に思われるでしょ!」
 廊下を振り返ると、いつのまにか自分のイブサンローランの旅行カバンを手にした母がいた。そして乱暴に僕のカバンを奪い取ると、中身を入れ替える為にファスナーを空ける。
「あ!ちょっと、それだめ!」
 僕の抗議の声も聞かずに母はスポーツカバンに手を入れて、そして、
「なんだよこれは一体!」
 そう言いながら、僕が通販で買った可愛い系のブラ、ショーツ、そして化粧道具、コスメを次々に取り出し、廊下に置く。
「お母さん、僕がやるって…」
 そう言いながら僕は母の横にしゃがむ。そんな僕を母はブラとショーツを握り締めた手で乱暴に僕の頭をはたく。
「こんなもんいつ買ったんだい!こんなもの買わせる為に小遣いやったんじゃないよ!」 そう言いつつも、母は○ラックマの縫いぐるみを最初に入れ、次々と小物を自分のバッグに詰め込み、最後に僕のショーツを丁寧にたたみ、ブラのカップを合わせて纏め、バッグに詰め込み、怒り顔で僕に手渡す。
「ありがと…」
 そう言った僕は、親父の部屋のドアの前に行って、姿勢を正す。
「お父さん、行ってきます…」
「早く行きな!」
 そんな僕に母が後ろで止める様に大声をかける。それに追われる様に玄関へ行く僕。きちんと置かれていた僕が買った真新しいピンクのスニーカーに足を通し、僕は玄関のドアに手をかけた。その時、僕の頭の中で誰かが僕に声をかける。その言葉にうなずいた僕は思い切って廊下に振り返り、そしてありったけの笑顔を廊下の奥に向け、そして密かに練習した出来る限りの女声で、顔を真っ赤にして言った。
「ママ!行ってきまーす!」
 その言葉と同時に僕は玄関を飛び出した。

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