パープルトラベラー

(3-7) 魔女の生贄

 翌日の夕方、蘭と楠羽がホテルのベッドで昨日の大乱闘の後遺症なのか、全身の筋肉痛にうんうんうなっている頃、美樹一人だけが黒のゴスロリ風メイド服を着て身支度を整えていた。
「何なのよその服、ケネスの趣味?」
 姉の蘭のひやかしを軽くかわしながら
「お姉ちゃん、行ってくるね」
 と行ってホテルの一室を出て行く美樹。楠羽がその様子を目で追った後、蘭に不安そうに尋ねる。
「ねえ、美樹さ、この星で艦降りるんじゃない。ケネスの所に住み付いたりするとか」
 蘭は無言でベッドの上で寝返りを打つ。
「ねえ、もしそう言い出したらどうすんのよ」
「間違いなく言うんじゃない?」
 痛てて…と言いながら蘭が楠羽の方に寝返りを打ちなおした。
「まあ、ケネスみたいな大学助教授は押さえておくにこしたことないわよ」
「また仕事優先で考えてる」
 姉の答えに楠羽がちょっと膨れる。
「急ぐ訳でもなし、最悪は折角昨日お友達になったMMCから誰か応援で来てもらったら?名前は知らないけど、確かサブパイロットの女の子一人いたはずよ」
「そんなに上手く行くかなあ」
「今日その話パス、あたしもう体痛くてさ」


 一人美樹は地上ステーションのケーキ屋に行き、何やらお土産と飲み物を買った後、一人いそいそとケネスの館へ急ぐ。重厚なレンガ造りのその邸宅の正門では、ケネスの執事が待ち構えていた。
「これはようこそ、美樹お嬢様。お坊ちゃまがお待ちかねでございますよ」
 ケネスに酒を飲ませた一人という事で、最初はどこの馬の骨ともわからぬ美樹をひどく嫌っていたが、この数日でケネスが見違える様に大人びていく事に驚き、それが美樹の影響だと知ったこの老執事の態度は、一気に美樹に好意的になっていた。
「美樹お嬢様、昨日ケネス様が変った本をお読みになっておられました。なんと、経済の本でございますよ。美樹お嬢様に喜んで頂くには、夢ばかりではなく現実も見なければと、もう爺はうれしゅうございます」
「でも、あたしなんかがお付き合いして本当にいいの」
 心配そうに美樹が以前から気になっていた事を老執事に尋ねる。
「もう大旦那様はお坊ちゃまには何を言っても無駄だとあきらめておいででございます。あとはこの私めにお任せを」
「お爺ちゃん、大好きだよ」
 夕暮れの邸宅の庭を屋敷の入り口に向かいながらの美樹のその言葉に目を細める老執事。しかし、その屋敷の正門を夕暮れの薄暗い中、二人の後ろを風の様に通り抜け、何者かが侵入していった事を二人は知る由もなかった。
ケネスが用心棒代わりのあの巨漢メイドを追い払ってしまった今、屋敷のセキュリティは今どん底状態になっているらしい、

「ケネス様、美樹お嬢様でございます」
 そう言って老執事は美樹を部屋に入れた後、深くお辞儀をした後廊下に出て、ケネスの部屋の大きな扉を両手で閉める。廊下の執事の気配が消えたのを確かめると、美樹は猛ダッシュで執務机から席を外したケネスの胸に飛び込んでいった。
「いったいどうしたんだよ、それにこの腕」
 抱きついてきた美樹の手の二箇所の青あざをケネスは見逃さなかい。
「いいの、野暮な話する前にあたしのわがまま聞いてっ」
 計算したかの様に美樹はケネスのベッドの方に彼を追い詰め、そして嬉しそうな、そして驚いた様な声を出す彼をそのまま押し倒し、嬉しくて仕方ないといった表情でケネスの胸に顔を埋める。

 一時間後、ケネスは上半身裸で、美樹は黄色のショーツとブラの姿でベッドの上に少し汗をかいて横たわり何やら話をしている様子。ごく普通に秘密の遊びをしたらしく、あたりに二人の服が散乱している。
「…面白いのよ、MMCったらさ、あたし達の案を盗聴して全く同じ案作って発表するし、ケネス様の協力まで取り付けたっていうの。結局やり直しになってさ、その後あたしたちとMMCで宴会の席で大乱闘!んでなぜか仲直り」
 そう言うと美樹は自分の腕のあざをケネスに見せる。さすがにMMCの美奈子とまほろが実は男だったってことは喋らなかった。
「じゃいくらやり直しっていってもさ、同じ案だし、僕の協力が無いとだめって事だね」
「うん、だからさ、どんな事が有ってもMMCとコンタクトなんてしないでね」
 そういうと美樹はケネスの体に手を絡めて、頬に軽くキス。
「前のケネス様も好きだけどさ、大人になったケネス様も好きよ」
 そう言って、ケネスを抱きしめ、再び寝ようとする美樹、しかしケネスはすっと起き上がる。
「美樹ちゃん、悪いんだけど、これから僕明日の学習院の講義で使う資料を作る必要があるんだ。今度は僕の理論がお金になるかどうかも盛り込んだ、ちょっと始めての試みだけど、まあ誰が理解してくれるかわからないんだけどね」
 ちょっと残念そうに美樹が一緒に起き上がる。
「なんだー、残念。でも邪魔しちゃだめだよね」
「明日の夜はフリーだよ」
「え、やったー、じゃ明日もいちど来るね」
 美樹はそう言うと、部屋に散らかったゴスロリ衣装を手でまとめ身支度に入る。
「美樹ちゃん、でもこれからどうするんだい?」
「え、あたし?」
 フリルのブラウスに手を通し、紙を手でばさっとかきあげながら、美樹がケネスの方を向く。
「多分、艦降りると思う。ねえ、ここに住んでもいい?」
 ケネスも上着を着ながらふと考える仕草を見せ、美樹に言う。
「明日、僕の両親に一度話してみようと思う。いい女の子と知り合ったんで暫く一緒に暮らしたいって」
 その言葉に意味不明の歓喜の声を上げて美樹が再びケネスを抱きしめる。もう今の美樹は嬉しくって楽しくって、怖いものなんて何も無い様子だった。
 やがて美樹は身支度を整えると部屋のドアの前に立つ。
「ケネス様、じゃ今日はこれで失礼します。お仕事がんばってください」
「美樹ちゃん待って」
 出て行こうとする美樹に向かって、ケネスは執務机のサイドの引き出しから何かを取り出し、美樹に向かってぽんと投げてよこす。
「この屋敷の裏門の鍵と僕の部屋の鍵だ。表からだと爺がうるさいから、それを使ってこれからおいで」
 好きな男の人の部屋の鍵を手に入れた美樹は満面の笑みを浮かべ、ぺこりとお辞儀をして部屋を出て行く。
だが、その後ろを廊下の柱の影から追っていく一人のメイドの女性がいた事には気づかなかった。

「美樹さま、お待ちください」
 ゴスロリのスカートをなびかせ、口笛を吹きながら蘭と楠羽の待つホテルへ向う美樹は、後ろから聞こえたその声にふと振り返った。
追ってきたのはケネスの館のメイド服を着た一人の女性。ケネス邸には何回か通っているので、メイドさんの顔もある程度知っているのだが、
(あれ、あんなすらっとした美人のメイドさんいたっけ?)
 少し不審に思いつつ美樹は立ち止まり、メイドさんの到着を待った。
「美樹様、ケネス様からの贈り物を預かっております」
 ケネス様からの贈り物と聞いて、美樹の不安は一気に飛んでしまう。
「えー、ケネス様から?わあー、ありがとうございます!」
 その女性に駆け寄った美樹は、太股に何かチクッとした刺激を覚え、そしてそのまま気を失った。
 がっくりした美樹を物陰に引きずり込み、ゴスロリ服やバッグを物色していたその女性は、つい先ほどケネスが美樹に渡した鍵を手に入れると口元に笑みを浮かべて独り言を言う。
「ふふふ、これでケネスを外に連れ出せるわね。さあ、舞台の始まりよ」
 そう言うとその女性は鍵を黒のバッグに仕舞い込み、ケネス邸の方へ向っていった。


 翌日の朝早く、地上ステーション近くのホテルのスイートに泊っている美奈子とまほろと雅美を、MMC号から駆けつけてきたエリーとユイが襲う。
「社長!起きてください!起きてください!」
「美奈子さん、大変なんですぅ!」
 一旦目を覚ましたものの、寝込みを襲われた上に体の痛みがまだ取れず調子の悪い美奈子は完全無視を決め込み、再び毛布の中に潜り込む。
「社長!起きろって言ってんのにもう、なんで自分達だけいっつもこんな豪華なホテルに泊ってんのよ!」
 エリーが全然違う事を持ち出し、毛布の上から美奈子を乱暴にゆする。
「いっ!痛い痛い痛い痛い!」
 エリーの攻撃に美奈子は耐えられず飛び起き、毛布を掴んでエリーに投げつける。まほろと雅美もごそごそと置きだし眠い目をこすり始め、痛みの残る体を両手でいたわり始める。
「部屋を分けたのはあたしと美奈子の正体がわかるのが嫌だったからだし、セキュリティ万全だからよ!なのにさ、まあもうその必要は無くなったけど」
「え、それじゃあ、こんどからあたしたちも泊る時はホテルのスウィートがいいですぅ」
 ユイがここへ何しに来たか忘れたという雰囲気でまほろに言う。
「何贅沢言ってるの、あんたたちはホテルのノーマルクラス」
 眠い目を再び閉じ、首を左右に音を立てて振りながら美奈子が答える。
「やったー!次からあたしたちも念願のホテル泊まり♪」
 一瞬騒いだものの、ふと自分達がなんでここに来たかを思い出すエリー
「ってえー、社長、いや美奈子さん。大変なんですよ、あの公恵(きみえ)て人から連絡が入ってるんです!」
「公恵から!?」
 そう言ってまほろと顔を見合わせる美奈子。
「あの、回線つながってますぅ」
 ユイが小型の特定周波専用の無線機をポケットから出す。
「いい、あたしが出る」
 まほろが受け取ろうとしたそれを美奈子がさっとユイから受け取った。
 しばしためらった素振を見せ、意を決した様に美奈子がそれを耳に当てる。

「お久しぶりね、美奈子さん、いや、○○君」
 美奈子は少し信じられないといった表情をした後、答える。
「公恵、またあんたと会話する事が有るなんて思わなかったわ」
 しばし沈黙の後、公恵が答える。
「探したわよ。さんざん捜したわよ。まさか女に化けてあんな仕事してたなんてねぇ。あたしの事あんなに言ってた癖に」
 その言葉に美奈子は何も言わなかった。又少し沈黙が続いた後、公恵が切り出す。
「そうそう、今ケネス・オードリーって人をこちらで預からせてもらってるのよ。ねぇ、助けに来ない?」
「助けに?」
「来るならおいで、二時間後の地球時刻の八時。場所は地上ステーションの外れの廃工場の屋上。これ以上は連絡しないからねぇ」
 そう言って回線は切れた。美奈子が無線装置のスイッチを切ると皆が美奈子のまわりに集まった。
「ケネスを預かってるから二時間後にここの近くの廃工場に来いってさ」
「えー!」
 一同が驚きの声を上げる。
「なんで美奈子さんに?」
「ケネスと付き合ってるのはあっちの美樹って娘でしょ?」
 皆の声に美奈子も黙ったまま考え込んでいる。
「助けに来いって言ってたわ」
「助けに?」
 美奈子の言葉にまほろが不審そうに言う。
「何か考えが有るのかも」
 美奈子が独り言の様に呟く。
「あ、あたし美樹ちゃんに連絡してみますぅ」
「ユイ!待って!」
 携帯電話で昨日登録したばっかりの連絡先に接続しようとするユイを美奈子が止める。
「多分あたし達がケネスに貸しを作れる最後のチャンスだと思うの。あたしとまほろで行ってくる。みんなはここで待機していて」
 皆が何も言わない中、雅美一人が美奈子に尋ねる。
「ねえ、美奈子さん。なんでこの仕事にこんなにこだわるの?」
 その問いかけに美奈子がまほろの方をちらっと見てから少し笑いながら答える。
「あたし達が故郷のグラナダ星で何やったか、ニトロを密輸した際宇宙ステーションの一部吹っ飛ばしたわよね。まだ犯人不明という事だけどさ、あたしにかなりの疑惑がかけられてる。もうグラナダには帰れないしさ」
「あれは、まずかったよね。依頼された時のお金に目がくらんでさ。おかげで今でもまだこのおんぼろのMMC号のままだけど」
 まほろがあさっての方向を向いてそれに答えた。美奈子が続ける。
「今度のお仕事さ、技術コンサルで終わるはずないもん。うまくいけばネティアの海底資源全部扱えるんだよ。もう逃亡生活はこりごり、そろそろこの居心地のいい星に足付けてさ」
 美奈子がふっと笑って更に続ける。
「そしたらさ、エリー、あんたとか他の娘も毎日ホテルのスイート泊まれるかもよ」
 皆の納得した顔を見届けた後、美奈子が再びベッドの毛布に包まり始める。
「という事で、あたしは寝る。雅美、時間になったら起こして。まほろも寝直したら?」
 MMCのクルー達はが軽く挨拶をして部屋から出て行くのを見届け、まほろも無言でベッドに入る。
 シングルベッドにそれぞれ背中合わせで毛布にくるまりながら、美奈子とまほろは十年程前の事を同時に思い出していた。

 とある星の政府管轄の研究施設で原因不明の爆発事故が発生し火災が発生。研究者一人が死亡。爆発原因はその研究者の放射性の有る実験設備の誤動作による事故とされた。 
遺体は発見されなかったが、現場のすさまじいさから設備もろとも粉々になったと断定され、事故の規模や何の研究をしていたかは当時トップシークレットとなり公表される事はなかった。
実はこの事件には若き日の男性だった美奈子とまほろが深く関係していたのである。そして死亡した研究者というのが、今の黒いドレスの女性公恵だった。

「おい、今年の研究所長賞って公恵だってよ!」
「ええ!あいつ何の研究してたんだ?」
 自分達の研究室に飛び込んできたまほろに美奈子が手を止め、驚きの表情でまほろを見つめる。
「俺達の空中元素固定装置が最有力だったんじゃないのかよ…」
 資料や実権装置で一杯になった机の上に美奈子ががっくりと頭を付け、傍らの資料の一部を片手で乱暴に床に振り落とした。
 美奈子とまほろは、大昔のアニメ「キユーティーハニー」からヒントを得て、空中の炭素や窒素等に静電気帯びさせ、磁気を使って空中で三D状の物体を作るというものだった。
 最もまだ初歩的なもので造れるのはせいぜい簡単な繊維あるいは衣服等に限られていたが。
「公恵の奴の研究ってずっと秘密にされてたよな、何だって?」
「家畜用の性転換装置だってさ。ほぼ完成状態だって…」
 まほろの話によると、雄牛や雄の鶏の雛等商品価値のあまりないものをこの装置を使って性転換をさせ、雄牛は牝牛にして食肉や乳牛用に、雄の鶏の雛は雌にして卵を産ませる様に改良を加えるらしい。
「どんな原理なんだ??」
「ほら、大学の研究室で俺たちも習ったろ?細胞の中には壊れた遺伝子を修復する細胞が有って、それが機能しなくなると癌になるって奴」
 驚いた美奈子にまほろがうなだれながら答え、研究室の中を歩き回り始める。
「それを利用してXY遺伝子のYをXに修正し、かつ修正スピードを加速させ、体内の肉芽細胞を刺激して雌の生殖器まで作るらしい」
 美奈子の隣の自分の机に座り、悔しさに顔を真っ赤にさせながらまほろが続ける。
「そりゃあ、商品になった時の価値はあっちの方が俺たちのチンケな発明より何十倍もいいよなあ!」
「そんな事出来るのか?」
「出来たから賞取れたんだろ…」
「あいつらしい研究だよなぁ」
 美奈子が顔を上げて物思いにふける。
 美奈子とまほろと公恵は大学も同じで、成績優秀でこの研究所に入所した仲だったが、男性だった公恵は研究所入所時より女性宣言をして、名前を「公恵」に変え、毎日スカート姿でここに通勤し、皆からは異端視されていた。最初は男だった容姿も次第に女性化し、今では普通の女の子と変わりはなくなっている。
「この前見た時小さいけど胸もちゃんとあったし、お尻も少し大きくなってたよな」
「それなりに美人になってたしね」
 机に座ったまま落ち着かないでいる二人。ふとまほろが美奈子に言う。
「あいつの研究室行ってみるか。どこだっけ?」

 公恵の研究室は、関係者以外立ち入り禁止になっていたが、受付で二人が自分達の名前を言うと、すんなり通してくれた。
「あ、美奈子?まほろ?(便宜上現在の名前を使ってます)入っていいよ」
 「放射線危険」と張り紙されたドア横のインターホンからは、すっかり澄み切った女性声になった公恵の声が聞こえてくる。
 美奈子達が部屋に入ると、そこの中央に有るそれらしき装置の中で、インターホン用のマイクロホンを顔に付けた公恵が何やら装置の点検か改良か何かの作業をしていた。
軽くウェーブのかかった髪とふっくらした顔。白衣の胸元の膨らみと背中に透けるブラの線、そしてちょっとくびれたウェストと大きく目立ち始めたヒップ。
「公恵、おひさしぶり。しばらくみないうちにすっかり女の子になったね」
「え?そーぉ、ありがとー」
 美奈子の言葉に装置の中から嬉しそうに手を振って答える公恵。
「今年の研究所長賞、公恵だってね。おめでとう」
「あ、あたしもね、ついさっき知ったの」
 まほろの言葉に答え、何かの基盤を取り出し、ふっと息を吹きかけたり指で磨きながら公恵が続ける。
「最初は所長には嫌われてたんだけどね、でもこんな体になるとなんか向こうも見慣れたというか、すごく良くしてくれてさ。なんというか。まあ、女の子の研究者って少ないし」
(女って、こういう利点が有るのか)
 美奈子が唇を噛みながらそう思い、その研究室の中を歩き回り始め、そして何やらその装置の操作パネルみたいなものを見つける。ご丁寧にもその操作盤の横には可愛い女文字で、
実験用簡易モードぉ
①物を装置に入れて、Aのランプの点灯を確認。B、Cの順にスイッチ
②横のセグが二百以上二百五十以下になっているのを確認(ここ大事)
③Dのスイッチ入れる。
④チーンで完成♪
 と書かれた紙が置いてある。
(なんだよこれ)
 その紙を見て苦笑いする美奈子。ふとその装置の中を見ると、相変わらず公恵が中で忙しそうに作業を続けている。
 ライバルに先を越された事。男なのに女の武器を使ったなという嫌疑。そして興味。既にAのランプが点灯しているのを確認した美奈子の手は、無意識にその装置のBとCスイッチに手をかけ始めた。
微かな音がして装置の扉が閉まった事を中に入っていた公恵は気づかない。
(俺達のお祝いセレモニーだよ)
 セグライトの数値を確認してから、スイッチを入れる美奈子。確かにその時の美奈子は悔しさで正気を失っていた。
 中に閉じ込められた公恵はやっとその事に気づき、装置の透明なドアを叩きながら必死の形相で美奈子に何か叫び始める。
「美奈子!何やってんだよ!」
 さっきから公恵の書いた資料を眺めていたまほろは突然起こった異変に気づき、美奈子の方へ向う。と大きな音を立ててその装置が動き始め、中に入っていた公恵は天井ちらっと見た後必死の形相になり、必死でドアをたたき始める。
 呆然としている美奈子を見たまほろは向きを変え、何かを叫んでいる公恵の元へ行くが、その時、その装置から出る強力な静電気みたいな物がまほろのあちこちを襲い、彼は思わず離れた。
「公恵!大丈夫か?出られないのか?」
 その直後、公恵の体には上から稲妻状の光が数本落ち、白衣から煙が出始める。何故か咄嗟に頭のヘッドセットを取り外し、白衣を脱ぎにかかるも、
「熱い!熱い!痛い!」
と叫んでいるらしく声は聞こえないが悲鳴を上げている様子だった。
「危険です。部屋からすぐ出てください」
 部屋の天井の照明が走る様に点滅し、同時に部屋に自動アナウンスが流れる。
まほろが手に持った椅子を一度その装置のドアに投げつけた後、呆然としている美奈子の手を引き、部屋の出口へ向った。はずみで落ちた公恵の書いた操作手順書の裏には、
「注意!金属は徹底的にチェックして中に入れない様に。家畜のタグ、識別標識等再チェック」
 と書いてあった事を今となっては美奈子もまほろも知る由も無い。
 部屋から逃げ出す時、美奈子の目に、怒りと恐怖で引きつった公恵の顔が焼きつく。
 事故後逃げる様に二人は研究施設を辞め、美奈子は身元を隠す為に自らを女性化させていった。

「なんであんな事しちゃったのかね…」
 独り言の様に呟いた美奈子そして同じ様にまほろにも、ベッドの上で寝ようにも寝れない時間が只過ぎていく。


 それから丁度二時間後、美奈子とまほろは呼び出された廃工場に、何か有ってもすぐ逃げられる様に女物の普段着にスニーカー姿で姿を見せる。
どこかもの悲しい雰囲気に包まれたその場所は、何日か前、二人の少年が少女に変えられた怪事件の現場だったが、事件報道直後にここに来た美奈子達はそんな事は知るはずもない。
一人美奈子は用心深くその工場を確かめ、何か動力源みたいなものが動いているかどうか調べたが、幸いにもそれらしき様子は無かった。
 赤茶色に染まった手すりを用心深く上り、時々風が立てる物音にびくつきながら美奈子とまほろは無言で屋上へと上がっていく。そして風がびゅうびゅう吹きすさぶ屋上で二人が見たものは、
「まほろ、あれ!」
 風がもてあそぶ二人の長い髪をおのおの手で押さえ、屋上の中央付近に向って早足で駆け寄る二人。
そこには大学助教授ケネス・オードリー本人がぐったりした様子で椅子に座っていた。どうやら金属製のワイヤーみたいなもので縛られているらしい。
 二人の足が速まったその瞬間、
「おっと、勘違いしないで」
 一人の黒いドレスにサングラスの女性が、屋上の給水施設の影から飛び出て二人に何やらショックガンみたいなものを向け、一足先にケネスの側に行く。
「使わないと思ったら大間違いよ。それ以上近寄らないで!」
 美奈子とまほろはその言葉に立ち止まり、一歩あとずさりをして彼女を恐る恐るみつめた。
「公恵…だよね」
 まほろのその言葉に公恵はショックガンを右手に持ったまま左手でサングラスを外す。
「十年ぶり位かしらね。美奈子、まほろ」
 やせ細ってはいたが、かろうじて十年前の面影を残すその顔に、美奈子はさすがにショックを隠しきれずうつむいたまま何も喋らない。その横でまほろが暗い顔をして公恵に尋ねる。
「十年、どこでどうやってたの?」
 公恵はそれに答えず、サングラスを黒のドレスの胸元にしまい、相変わらずショックガンを二人に向けたまま、器用に左手をドレスの内側に隠すと、黒のドレスの肩から公恵の白い肌が見えた。
ドレスの左半分がだらっと腰まで落ち、黒のブラが露わになる。そして彼女は半身になり、二人に左半身と背中を見せる。それを見た美奈子とまほろが思わず口を手にやり驚きの表情を見せた。
 公恵の真っ白な背中には稲妻状の赤黒いあざ、かやけどの跡が大きく数本、ブラのホックから下もしくは脇腹を通ってお腹にまで達していた。ブラのホックの所は更に醜い凹凸の傷跡まで付いている。
「ブラのホックに放電してね、熱線があたしの体を通ったのよ」
 がっくりと膝を付く美奈子の方を向き、公恵が更に続けた。
「不完全な卵巣だけが体に出来たの。おかげで体はこの通りすっかり女らしくなったけどさ、子宮は無し。男性自身はそのままよ。しかも皮膚がやられて日光には五分と当たれない。暑くても毎日黒のドレスさ!あのまま死んだ方がよかったといつも思ってるわ。
今のあたしは妖怪そのもの。見世物小屋にでも行った方がよかったかもね」
 美奈子の横でやはりがっくりと膝を落とすまほろ。そそくさと黒のドレスに左手を通し、冷たい目で二人に向き直る公恵は、研究所に勤めていたころの明るい雰囲気は全く消えていた。
「公恵、ごめんなさい!」
「許して、なんて言えないよね…」
 二人は両膝と両手をコンクリートの地面に付け、土下座をする様に謝る。その様子を時折目を拭う仕草を見せ、氷の様な目で睨む公恵。
風の音しか聞こえない長い沈黙が始まった。


それより少し前、朝食に出かけようとしていた蘭達のホテルにケネスの老執事から美樹宛に連絡が入る。連絡を受けた楠羽が不審そうな顔をして対応した後、蘭に報告。
「ケネスが大学に行ってないらしいよ。こっちに来てないかって。昨日美樹一人で帰ってきたわよね?しかもケネスの所のメイドの服を着た誰かに襲われたって言ってた。その事を伝えたらまた連絡するって言って切られたけど」
「…何だろ?美樹は?」
 ようやく全身筋肉痛が治ったのか、少し肩をもむ仕草をしながら蘭が尋ねた。
「さっき出かけていったよ。なんかチョコレートの予約だってさ。ほら、今日ケネスに夜招待されてるでしょ。それでさ、お世話になってる執事の人やメイドさん達にも今晩食べてもらうんだってさ。
昨日ケネスのとこのメイド服着た誰かに襲われたんじゃないの?って言っても全然聞く耳持たず。あの子の頭の中には今日の夜の事しか無いらしい」
「バカじゃないのあの娘。ふーん、でも何か変ねぇ」
 そう言って蘭は自分の携帯を取り出し、どこかに連絡し始める。
「どこに連絡するの?」
「美奈子達が泊まってるホテル」
「まさか、襲ったのMMCとかって事有り得ないよ、ちゃんとお友達になったのに」
「わっかんないわよ、特にああいう美奈子みたいな女、じゃなくてニューハーフか」
「姉ちゃん、ニューハーフにそんな知り合いいたっけ」
「うるさい…。あ、つながった」
 まほろが心配そうに聞き耳を立てる。
「あ、雅美ちゃんね。先日はどうも。え、うん、やっと今朝動ける様になったわよ。そっちは?…、あはは、そっか。あ、あのさ、ちょっと聞きたい事あるんだけどさ」
 ケネスの消息について何か知ってるかどうかを雅美に尋ねる蘭。とその顔が次第に曇っていく。
「雅美ちゃん、ちょっと!場所教えてよ!え、…、怒られるから教えられないって、これ誘拐事件なのよ!あ、ちょっと!」
 蘭の携帯から最後に
「ごめんなさい!」
 という雅美の声がはっきり聞こえ、そして携帯は一方的に切られた。何事かとおろおろしている楠羽に蘭が動揺した口調で言う。
「ケネスが誘拐されたんだって!ほら公恵っていう、ほらプレゼンの会場で美奈子達の正体をばらしたらしい奴に」
「で、場所って…?」
「ケネスを引き渡すって場所を教えてくれないのよ!美奈子が口止めしているらしくてさ!まさかあたしたち出し抜いてケネスに恩着せようって魂胆じゃ…」
「なんで美奈子んとこなの?ケネスと付き合ってるのはうちの美樹でしょ!んですぐに引き渡すって」
「知らないわよ!身代金でも要求されてるんじゃないのっ!」
 蘭はいらいらした表情で今度は和美に携帯で連絡を取り始めながら楠羽に指示。
「楠羽!美樹にすぐ帰っといでって連絡入れて!」


「はーい、こちら宇宙防衛軍巡洋艦カラカサ号、艦長の和美で…」
 和美の他愛ない冗談は蘭に一蹴される。
「なんだよこんな朝っぱらから…、寝ぼけてねーよ、ちゃんと起きてるよ…、え!何だって!」
 和美はホテル近くの安食堂で、久しぶりに男姿に戻った瞳と朝メシの真っ最中。そこに蘭から何やら大変な事を聞かされた和美は、食堂内の目をはばかり小声になる。
「誘拐したのはMMCの美奈子じゃなくて、公恵って奴?誰だそれ?」
 程無く和美は、先日のプレゼンの時の事を思い出す。
「MMCの正体ばらした、社長が言ってた黒ずくめの変わった風貌の女ってか?」
 相変わらず小声で話す和美だが、その表情の真剣さにあたりの数人の客の目が和美に注がれる。和美の前に座っている瞳は、和美の受け答えの内容から何が起きているか大体の察しは付いた様子。
「引渡し場所がわかんないって、そんなもん俺に聞かれても…」
 そう言った後、ふと何かを思い出した表情になる和美。先日会場にタクシーで行った時の運転手の言葉!
(いや、先ほどもね、ここから少し離れた廃工場から一人の女性をここまで乗せたんですよ。只黒いマントみたいな服を着たなんだか薄気味悪い、おっとこれじゃ失礼ですね。変わった様子の無口な人でしたよ)
 大慌てで和美は携帯を引っつかんだまま安食堂の外へ飛び出す。
「蘭、俺に心当たりが有るから今から行ってみる!」
「どこよそれ!」
「これから探す!」
「あんた!バカァ?」
 店から出た和美は自分のポーチから節税用に取ってある領収書の山を取り出し、先日のタクシーの領収書を探し始める。
「あった、こいつだ!」
 その領収書に書かれている連絡先に問い合わせると、運良く先日和美の乗ったタクシーの運転手を捕まえる事が出来た。
「ありがてぇ!」
 そう叫んだ和美は、その運転手に先日乗せた黒づくめの女を乗せた場所を聞き始める。
「瞳!俺一人で行ってくる。ホテルに待機していてくれ」
 そう叫ぶと和美は必死の形相で、携帯でその運転手に迎えに来る様に頼み込んだ。


「一体、何が起きてるんですか!」
 廃工場の屋上で椅子に縛り付けられたケネスは何がなんだかわからず、そう言って椅子ごと体を揺らし始める。昨日の夜普通に寝て起きたらこうなっているんだから、驚くのも無理は無い。そんなケネスを無視するかの様に公恵は美奈子とまほろと相対していた。
「今更謝ってもらったって!何にもならないわよ!」
 ショックガンを美奈子とまほろに向け、公恵が悔しさに体を揺らしながら答える。
「研究所所長賞!女としての生活!彼氏もいたんだよ!全部パァよ!」
 強風に髪を振り乱し、悔し涙を見せながら公恵が続けた。
「死んだと思ったでしようね。そう報道されてたもんね。装置の中のユニットをひとつ引き抜いて、まほろが椅子を投げて当たった場所にぶつけたら、ドアが割れたのよ。
痛みをこらえながら、そのまま地下室に駆け込んで、ダクトを必死で通って下水道から逃げ出したの。それからはあんたたちに復讐する事ばかり考えてたよ」
 気が付いたケネスが横で何かを叫んでいるが、公恵には聞こえていない。
「やるじゃないの!あたしと同じ様に女になって身を隠すなんてさ。おかげであんたにたどり着くまで十年かかったわ」
 暫くじっと公恵の話を聞いていた美奈子がようやく口を開く。
「ケネスをどうしようっていうの?こんな場所で」
 美奈子とまほろの目にはこの屋上には公恵の持っているショックガン以外目に入らない。
「どうしようって?ねえ坊や、お目覚めかい?どうされたい?」
 意地悪そうに公恵は縛られているケネスの顔を冷たい微笑みを浮かべ覗き込む。
「なんだかわかりませんけど、離してください!僕はこれから学習院の講義が有るんんです!」
 強引に椅子ごと動かして移動しようとするケネスだが、椅子が重いのか殆ど動かない。
「ケネス・オードリー君ね、その若さで大学助教授なんだってね。あたしもさあ、本当は今頃教授になってたかも知れない人間だったんだよぉ」
 ホホホホっと気味の悪い声を立てて笑う公恵だった。と、

「だめだなこりゃ、完全にいかれちまってる」
 そう言いながら、いつのまにか屋上の物陰に隠れていた和美がその場に姿を現した。
和美はちょっとおどけた表情で騒動が起こっているその場所に両手を挙げて近寄る。
驚いた表情で和美にショックガンを向ける公恵に和美が言った。
「おばさん、話は聞かせて貰ったよ。まあひでぇ話だというのは間違いねえよ。只な、そこのケネスさんは俺達にとっても大事な人なんだよ」
「あなたは!誰なんですか?」
 近寄ってくる和美にケネスが驚いて尋ねる。
「心配すんな坊ちゃんよ。美樹ちゃんのお友達だ」
 ほっとした様子のケネスをちらっと見た後、再び和美は公恵に近寄る。
「まあそんなこった。過去のいざこざの清算はそっちで勝手にやってくれ。ケネスさんは何の関係も無いんだ。悪いが引き取らせてもらうぜ…」
「気安く近寄んじゃないよ!」
 近寄る和美にいきなり公恵はショックガンを発射し、その瞬間脇に飛びのく和美。数発の鈍い音と蜃気楼の様に空気のゆがみが和美の脇を抜けていった。和美は息を切らせてそのまま扉つきの物置の影に飛び込み様子を伺う。
(銃は素人みてーだな、助かったよ)
 そこに隠れたまま和美は、公恵が近寄ってこない事を確認して携帯で小声で瞳に連絡を取り始めた。
「瞳!まだか?奴はショックガン持ってる」
「もうじき着く。こっちもショックガン持ってきたから、時間稼げるか?」
「何とかやってみる」
 ついで和美は蘭達に連絡をする。
「蘭!今どこだ?」
「さっき言われた工場に着いたとこよ。今から屋上へ行く!」
「ショックガン持ってるから気をつけろ!」
「大丈夫よ!痴漢撃退用の有線神経銃持ってきてるから」
(何を何に使ってんだ、あいつらは)
 そう思いつつ和美が続ける。
「美樹は?」
「全然連絡取れない!」
「連絡取れてもここにはこさせるな!ケネスをみて何しでかすかわからんし、とにかく邪魔だ」
「了解…」
 

 自分の恋人がまさかこんな事に巻き込まれているなんてゼロ%以下も知らない美樹は、美奈子達が以前ケネスの為にチョコレートを送らせた店をしっかりチェックしており、今店頭で今日の夕方に依頼のものを持ってこさせる様に予約したばかり。
「沙夜香ちゃんブランドのパイが本当はいいんだけど、メルティに頼んでも丸一日かかるよね。まっいいっか」
 朝の通勤時間になっても人がまばらなネティアの寂れたメイン通りを、歩き足も軽く宇宙ステーション連絡軌道のエレベータに向う美樹。
「さってっと、今からあたしの艦に行って、今日着ていく服の準備でもすっか」
 独り言を繰り返す美樹の携帯にはさっきから着信の連絡がひっきりなしに届いていた。
「またお姉ちゃんでしょ。わかってるから、艦に戻るまで待ってよ」
 携帯に向って独り言をいいつつ、美樹は軌道エレベータへ向かう人ごみの中に消えていった。

「何よ、何なのよお姉ちゃん、さっきから!」
 軌道ステーションの中のクリスタルシュガーの中に戻ってきた美樹の携帯にまたもや楠羽から着信が届き、約二時間ぶりで美樹は姉二人と会話をした。
「ホテルじゃないの?今どこにいるのよ」
 ちょっと普通でない楠羽の言葉にちょっと不審がる美樹。
「艦に戻ったの!今日の晩ケネス様の所に着ていく服今から探しとかないとさ、それに合う靴とか化粧品とかアクセとか、場合によっちゃ買いなおさないと…」
「そのケネスが大変なのよ!」
 手短に状況を聞かされた美樹は突然耳をふさぎ、とてつもない悲鳴を上げ始める。
「美樹!美樹しっかりして!」
 楠羽の問いかけにも美樹は只悲鳴を上げるばかりで全く声は届いてないらしい。
「美樹!美樹!聞こえてるの?返事して!」
 足をばたつかせて悲鳴を上げ続けていた美樹がようやく落ち着いて今度は泣きながら意味不明の言葉を発する始末。
「美樹、大丈夫よ!今和美君とか瞳君、それにMMCの美奈子さんとかまほろさんも監禁されている場所で彼を見守ってるから!」
「あたしも!あたしも行く!」
「だめ!美樹はそこで大人しく留守番してなさい。ちゃんと連れて帰ってきてあげるから。いいわね!動いちゃだめよ!また連絡する!」
 再び悲鳴と泣き声を上げ始めた美樹の声を遮る様に楠羽が携帯を切った。
「美樹戻ってきた。今艦にいるって」
「そう」
 楠羽の言葉に蘭がうなづき、廃工場の屋上への最後の階段を登り始めた。
「ねえ、公恵さんとやら。これからどうするつもりだよ。そんなショックガン一つで何しようっていうのさ」
 物陰に隠れながら公恵に問いかける和美の近くをまたもやショックガンの波がかすめる。
「やべぇな、苛立ち始めたぜ」
 独り言を言う和美の目には、公恵から見て死角の位置に瞳が下から上ってきたのが見える。屋上への非常用の梯子を伝って上ってきたらしい。
瞳が和美に手を振ってどこかに隠れるのを見届けた和美は、再び公恵に問いかける。
「なあ、公恵さん、もう止めようぜこんな事。それともずっと未来永劫このまま睨みあうつもりかよ」
 今度はショックガンの攻撃は無い。
「美奈子達にも言ったけどさ、ちゃんとこの坊やは返してあげるわよ」
 その言葉に和美は少しほっとする。
「じゃあさ、面倒止めてこっちに引き渡してくれよ!別に公安に駆け込む事は…」
 そういいつつ公恵の前に姿を現した和美は、再び向けられたショックガンを前に手を上げる。
「そんな事はしねぇからって言ってんのにさ」
 和美が口をもごもごさせる。
「そうそう、いい事教えてあげる」
 大胆にも公恵はショックガンを手にしたまま、左手で器用にポケットから煙草を取り出し、口に咥え、同じ左手に持ったライターで器用に火を付ける。そのライターを手に持っち、大きく煙を噴出した後公恵は話を続ける。
「あたしの作った性転換装置ね、十年の間にかなり改良点が見つかってね。ほら美奈子とまほろの研究してた空中元素固定装置って奴?あたしの目には従来有った機能の集大成みたいなもんだったから、研究資料見て再現するのは比較的楽だったわよ」
 その言葉にまほろが動揺する。
「まさか、盗んだの?」
「盗むなんて人聞きの悪い。参考にさせてもらってさ、あたしの発明と一緒にさせてもらって作ったの。人間専用の性転換装置さ」
 そう言えば、和美がここに来てから数回ニュースペーパーに、知らない間に性別が変わっていたという怪事件の事が書かれてあったのを和美は思い出した。
屋上の階段隅にやっとたどり着き、公恵の言葉を聞いた蘭と楠羽は、最初にここに来た時、その事件が和美と瞳だと思い込んでカラカサ号に乗り込んだ事を思い出す。
その時の事件現場は確か廃工場、そして今自分達がいるのは!
「一台は試作で依頼主がどっかへ持っていったのね。もう一台は」
 そう言うと公恵は薄笑みを浮かべて左手に持つ細長いライターを器用に指で回し始めた。
「待て!公恵さん、まさかそのライターがそうだって言うんじゃないだろな?」
 自分達の持ってる装置と同様の事がそんなペンみたいなライターの中に納まる訳が…!
「さあ、どうかしら」
 公恵がそう言ってそのライターを一瞬上に向けて空を見るそぶりをしたのを和美は見逃さなかった。
同時にケネスも自分の頭上に降りかかってきた磁力線の様なものに気づく。大学の物理学の実験で、光か何かを対象に照射する前兆に必ず彼が経験したのと同じだった。
「瞳!蘭!上だ!空に何か!」
「和美さん、確かに空の上に何か!今僕も磁力線みたいなものを!」
 その言葉を聞いた公恵は
「チィー!」
 と顔を曇らせ、左手を忙しく動かし始める。
「ゆっくりショーを見せてやろうと思ったのに!」
 同時に蘭が携帯で美樹に呼びかける。
「美樹!美樹!いいこと、今から小型作業艇で、ネティアの座標○○△△の真上に来て、何かそこに有ったら回収して頂戴!でないと、ケネスが!」
 公恵が左手の指輪を触る仕草をすると、一瞬にしてケネスを縛っていたワイヤーが解ける。それを確かめたケネスは猛然と屋上を階段の有る方へ逃げ始める。
「可愛い坊や。美樹ちゃんとお揃いでお幸せに」
 公恵が性転換装置のレーザーポインター代わりの装置をケネスに向けるのと、遠くから公恵を狙っていた瞳のショックガンが放たれるのはほぼ同時だった。
二人は悲鳴を上げて転がり、公恵はそのまま気絶して動かなくなる。しかしケネスは、
「ああ、遅かったか!」
 瞳がそう叫んで急いで駆け寄り、皆もケネスを助けようと近寄る。和美がケネスの手を掴もうとした時、和美のは腕に協力な電気ショックを受け飛び跳ねた。
「う、うわぁ…」
 以前の他の少年達と同様にケネスの周囲には無数のブルーの光が蛍の様に舞い、ケネスの着ていた部屋着が消える様に薄くなっていく。
「美樹!何してるの!早く!」
 その頃ようやく美樹はクリスタルシュガーの格納庫に有る小型作業艇に乗り込み、管制塔との連絡を無視して外に出る所だった。
「美樹!早く!」
 しかし、他の面々は只呆然としてケネスを見つめる以外無かった。軽いうめき声を上げているケネスの体から衣服はすっかり取れ、細い彼の体は見る間に白くなり、胸のバストトップは大きくなり、少女のそれの様にボタン状になっていく。
「いやだぁ!」
 そう叫んで体をねじった彼の小さなお尻は女の子のそれの様に丸くなって膨らみ、黒のショーツがその可愛くなっていくヒップを包み込み始めた。
同時に彼の背中には一本の黒い筋が走り、ブラジャーに変形し、いつのまにか膨らみ始めたバストを包み始める。
「ねえ!助けられないの?ねえ!」
 そう言いながら蘭は大胆にもその光の繭みたいなものからケネスを引っ張りだそうとするが、和美同様に電気ショックを受け飛び跳ねた。
「あああああああん…」
 うつぶせになったケネスは顔をあげ、女の子の悶え声みたいな声を上げた後、体をもじもじさせはじめた。足には黒のレースのニーハイソックスがまとわりつき、大きく膨らんだブラジャーは黒のフリルのブラウスに包まれていく。
「やん!やん!」
 お腹の中に違和感を覚えたのか、くの字型に体を曲げ、その大きく膨らんだヒップには、やはり黒のレース状のスカートで覆われていく。
 ケネスを包む光の粒は、ブルーから薄紫色に変化し、男性だったケネスの体が、今や女性に近い体になっている事を知らせていた。
美少年だった彼の顔は次第にまつげが伸び、頬はふっくら膨らみ、あえぎ声を上げている口の唇はだんだんぷるんと膨らみ、眉毛が薄くなっていく。
「いゃあああああっ!」
 可愛い女の子の悲鳴を上げた後、ケネスは自分の両手をスカートの上から股間に当て、体をくの字に曲げたまま嫌々をする様な仕草で震えていた。
やがて頭に大きなリボンの様なヘッドドレスが着き、胸元を黒の編み上げのベストが覆い、大きなリボンの着いた黒の靴が足に着くと、ケネスを取り巻く光の粒は明るい紫から次第に真っ赤になって、そしてどこかへはじけて行った。
そこに倒れたまま小さな寝息を立てて気を失っている黒のゴシックロリータの服を着た女の子。それは若き大学助教授ケネス・オードリーの成れの果てだった。
 皆が言葉も出ずそこに立ちすくんでいる頃、蘭の携帯に美樹から連絡が入る。
「お姉ちゃん!何か人工衛星みたいなものがある」
「人工衛星?この上に?」
 蘭がそう問いなおした時、側で倒れていた公恵が最後の力をふりしぼり始めた。
「あんたたちの好きにさせて、たまるもんですか!」
 公恵はさう言って左手に持ったままのライター型のレーザーポインタのどこかのスイッチを入れる。
「あ、公恵!」
 瞳が気づいて再びショックガンを公恵に向ける。
「撃ちたきゃ、撃ちなよ。痛みとか、苦しみにゃもう慣れっこさ」
 再び公恵は眠る様に気を失った。
「お姉ちゃん!どこか爆発したみたい。あ!やだ!地上に向って落ちていく!」
 そう連絡してくる美樹に蘭は呆然とした感じで無表情で答える。
「美樹、もういいよ。全て終わったから艦に戻っていて」
「え、じゃあケネス様助かったんだよね!やったあ!お姉ちゃん大好き!」
 美樹のその言葉に蘭は黙って携帯のスイッチを切りながら言う。
「女の子になっていくケネスをあの子が見なかった事だけが救いだわ」
 そう言ってケネスの方を振り返る。いつの間にかケネスの側でしゃがんでいる美奈子とまほろが、彼女になってしまった彼の髪とか服とかをいじりながらため息をついていた。
「しっかしさー、すごい美少女になったよね」
「あたし、こんな可愛いメガネっ娘初めて見たよ」
「ねえ、うちで雇わない?」
 けろっとして好き勝手な事を話し始める美奈子とまほろに、さすがの瞳もカチっと来る。
「おめーら!そんなに人手不足なのかよ!雇ってやるなら公恵雇ってやれよ!」
 和美も同調する。
「そうだよなあ、あんなひでー事したんだろ、公恵にさ」
 まほろがその言葉に慌てて作り笑いをしながら言う。
「いや、あの、その昔の公恵ちゃんならいいんですけどぉ、今のこの公恵ちゃんだと、あはは」
 その言葉をさえぎる様に和美が喋る。
「おい、まだ終わっちゃいねーよ。ケネスの所の執事さんとかにこの事話して引き取ってもらわなきゃ。最も、今ここで起きた事を信用してもらえるかどうかだけどな。後、公恵借りるぜ。このまま公安に突き出してもいいんだけど、こいつにはいろいろ聞きてぇ事がある」
 そう言って和美もケネスの脇にしゃがみこんでため息をつく。
「しっかし、可愛い娘になったもんだなあ」
 そういいながら、ケネスの顔に軽く手を当てる。
 ほどなく、その廃工場の上空には、昼間でもくっきり見える流れ星がいくつか流れた。

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