メタモルフォーゼ

(41) 「最終回 飛翔」

「あたし、ゆり先生みたいな仕事がしたい」
 ゆり先生の表情がちょっと驚いた様になり、目を大きく開き、口元がちょっと開いた。
「あんた、今何て言ったの…」
 ゆり先生は背もたれからゆっくり顔を上げ、そして両手も背もたれから外す。ひょっとしたら怒ってるのかもしれない。あたしみたいなのがそんな事出来るのかって。でもあたし前々から思ってたし、それにひるまずもう一度答えた。
「あたし、ゆり先生とおんなじ仕事がしたい」
 先生の目が大きくなり、そして口は何か言いたげに数回開いては開き、そして両手の手のひらがあたしの頬に迫ってくる。
(え、どうして、あたしじゃだめなの??)
 とあたしが思った瞬間、
「うーーー、うーーー!」
 あたしの口から悲鳴に似たうめき声が出る。ゆり先生はあたしの頬をしっかり両手の手のひらで固定した後、あたしの唇にしっかりと自分の唇を当てていた。前の席に座ったまま体をよじった辛い体制のあたしは、それからのがれようと手足をバタバタとしてもがいたけど、ゆり先生の両手があたしの顔から取れる事はなかった。
 ゆり先生の口紅の香りにまざって、何だかしょっぱい物があたしの唇を刺激し始める。
「うーー…」
再びあたしは逃れようと体をよじったけど、先生の手はびくともしない。やがて長々とあたしにキスした後、今度は前の席から乗り出したあたしの体をしっかりと抱きしめ始めた。
「ゆっこちゃん…」
 かろうじてあたしの耳にはそう聞こえた。純が香港へ行って、美咲先生は結婚してアメリカへ。あたしもこのまま出て行くって思ってたんだろうか。そうだったんだ、寂しかったんだ、ゆり先生。
 しばらくそうしていたかと思うと、いきなりゆり先生が目を真っ赤にしたまま、すっと立ち上がった。
「言っとくけど、あたしのシゴキは甘くないわよ!あと一年でミサの行った研究所のある大学の推薦枠取らなきゃいけないんだから!死ぬ気で勉強してよね!」
 これからどういうシゴキが待ってるのか、ちょっと怖かったけど、あたしはしっかりうなずいた。そして傍らの紙袋から何やら小箱の様な物を取り出してゆり先生に手渡す。
「はい、ゆり先生。ちゃんとあたしも作ってきたんだから。ピンクに色付けたライスシャワーだよ。これ持ってって美咲先生祝福したげようよ」
「かしなさい!」
 そう言ってゆり先生はあたしからその小箱を取上げ、両目に残っていた涙を軽く手で払うと、ハイヒールの音をチャペルの中に響かせながら、扉の方へ駆けていった。
「あーあ、せっかくせっかくの化粧がぐちゃぐちゃじゃん…」
 あたしは早くもゆり先生が、先生からお友達に変わった気がして、その後姿をじっと見つめていた。

「こらあ!ミサ!三宅!!」
 ブーケ投げの結果、なんとずうずうしくもまだ半分しか女の子になってない佐野ミキちゃんがそれを手にして、一応盛り上がってたのに、ゆり先生のその声でその場がシーンと静まり返ってしまった。
そんな事を全く気に留めず、チャペルの扉の前にライスシャワーの入った箱を手に仁王立ちになり、目の前の階段の下にいる新婚の二人を睨みつけるゆり先生。
「お前ら、こうしてやる!!」
 そう叫ぶやいなや、ゆり先生は階段を一気に駆け下りる。
「このっ!このっ!」
まるで節分の豆を鬼に投げつけるがごとく、米を二人に投げつけ始める。
「きゃああ、ちょっと、ゆり!」
「早乙女さん、すんません!!」
 そう言いながら身をかがめ、階段の影に隠れようとする二人を捕まえる様にして、そしてわざわざ二人の顔に向かって米を投げつけるゆり先生。
「あたしに内緒で!こそこそ結婚しやがって!おめーらなんか!とっとと!セイシェルでも!アメリカでも!いっちまえ!!」
 周りの人は皆あっけに取られてたけど、その三人の様子からどうやら本気で喧嘩してる様子が無い事を悟ったのか、みんな苦笑いしてた。
「あたしには!ゆっこちゃんが!いるんだから!別荘と!クルーザーと!小島は置いてけ!!」
 ゆり先生はそう言いながら尚も米を投げつけ、とうとう米がなくなると、空箱を最後にポンと花嫁姿の美咲先生に投げつける。
「わかーーった、わかったわよ。好きに使っていいからさ!」
 ゆり先生らしくないあまりの取り乱し様に、美咲先生もおかしかったのか、ちょっと笑い気味に答える。その前に立つゆり先生は、今の乱暴なライスシャワーのせいでかなり疲れたのか肩で息をしていた。
「ミサ!三宅さん!改めて結婚おめでと!とっとと行っといでよ。只、日本であたしがいろいろ頑張ってるってこと、絶対忘れないでね!」
 ゆり先生がやっと美咲先生に祝福の言葉を言う。
「早乙女さん、ありがとうございます。あなたのお友達のあゆみは、絶対この俺が幸せにしてみせます!」
 力強い三宅さんの言葉に、とうとう美咲先生の緊張が解けた。
「ゆりーーーー…」
 そう叫ぶと、美咲先生は三宅さんを突き飛ばす様にして、そしてゆり先生に駆け寄り、ゆり先生をしっかり抱きしめて、よほど嬉しかったのか、わんわん泣き始める。
「よかったね、幸せにね…」
 そう言うゆり先生も、ようやくいつもの優しい彼女の表情に戻り、そんな美咲先生をしっかり抱きしめていた。あたしは三年近くこの二人を見ているけど、こんな二人を見るのは初めて。あたしもつい貰い泣きしてしまったう。他のみんなも目に涙を浮かべている人が多かった。そしてみんなからお祝いの言葉が二人に向かって投げけられる。
「美咲先生、ご結婚おめでとう。お幸せに!」

早乙女ゆり:三十歳、女性、精神科・整形外科医。某高校非常勤カウンセラー
 この後、最後の四人を無事女性に教育した後、純を除く八人の教育結果と、高校でのカウンセラー記録を元に博士論文を提出。世界で初の性同一性障害専門医として認められる。彼氏いまだ無し。しかし非常勤で勤めている高校の体育の大塚先生が彼女に密かな思いを寄せている事にはまだ気づいていないらしい。他人の恋愛の相談には乗るものの、自分の事に関してはかなり鈍感みたいである。

三宅(旧姓美咲)あゆみ:女性、二十九歳、精神科・整形外科医。米国某大学助教授就任。
 渡米して、恩師である砂教授の下で再び研究を始める。早乙女純の治療記録を元に、三人の女性のにFTM治療を施し成功。目下博士論文作成中。旦那の三宅氏には新婚旅行中に全てを話し、驚愕する彼に記録班として協力を依頼し同意させる。只、新婚生活が意外と気に入り、博士論文はなかなか進んでいない様子。

 みけちゃん、智美ちゃん、そしてますみちゃんが抱き合う二人を祝福の眼差しで見ていると、三宅さんの女友達が三人に話しかけてきた。
「あのー、あの早乙女さんて、どういう方なんですか?」
「ひょっとして三宅さんの元婚約者とか?」
 そういう彼女達に、みけちゃん達三人は笑いながら話す。
「ううん、違うの。あゆみさんのお友達なの」
「なんであの人って彼氏が出来ないんだろ?」
「今まで振り返ってみれば、結構変わった人でしゅよね?あの人って、へへへー」

水無川恵子(みけ):一八歳、女性。
 この後三宅さんの紹介でモデル倶楽部からアイドルグループ「うるるんシスターズ」の一員として芸能界デビュー。思ったよりも厳しい芸能界に戸惑いながらも、今日も元気一杯、歌にそしてバラエティーに、お茶の間の人を楽しませている。

金井智美:一八歳、女性。
 高校卒業後、美大でコンピュータグラフィックを専攻。卒業後はグラフィックデザイナー、そしてシステムエンジニアとしても活躍。結城先生の紹介で、ライ先生の組織の仕事も引き受ける様になり、忙しい毎日を送っている。

如月ますみ:一八歳、女性。
 高校卒業後、やはりみけちゃんの様に芸能界へ。アイドルオーディションに合格後、篠○ともえを目指してデビューするも、既に篠○人気は衰退しており、やむなく引退。
 落ち込んでいる時、三宅さんからライバルであり友達であるイベント企画会社の人(一五話で、クルージングのゆり先生達の取材権利を三宅さんと取り合った人)を紹介され、そして元スタイリストの安倍ちあきさんも仕事仲間となり、現在は音楽系イベント企画チーフとして毎日走り回っている。

「ゆっこ!何?何約束したの?ゆり先生と!?」
「あたしにはゆっこちゃんがいるからって言ってたけど、何の事!?」
 思い出した様にともこちゃんとまいちゃんがあたしに尋ねる。
「え、あれ?うん。あたしね、高校卒業したらね…」

河合(旧姓古屋)ともこ:一八歳、女性(但し元男性)
 高校卒業後、河合まきこさんの営むファンシーショップに正式就職。若き店長として辣腕を振るう。
特に女性化に伴い身についた不思議な能力を生かし、はやりそうな商品を見抜く力はますます冴え、
お店は大繁盛。
 後に店長の他に占い業も営み、雑誌に連載まで持つ売れっ子占い師としても活躍。

美咲まい 一八歳:女性(但し、元男性)
 高校卒業後、通訳を目指し伊豆近辺の外語学部のある女子大学へ。在学中は勉学に励む傍らアメリ
カへ行った美咲先生の代わりに伊豆の別荘の管理人を引き受けていた。
 後に優秀な成績で卒業後、ライ先生のグループの専任通訳として、日本、香港、アメリカを行き来する忙しい毎日を送っている。
 二つ年上の男性とおつきあいしているみたいで、初エッチの時、相手の首をぎゅっと両腕で絞めて相
手を失神させかけたらしい。

「あゆみさん、ほら、いつまでもそうしてないでさ。ほら披露宴の衣装の準備そろそろしないと」
 いつまでもメソメソしている美咲先生を河合さんが急かす。
「あ、そうだったわね。何時からだっけ」
「まだ時間有るけど、ほら写真撮影とかあるから」
「河合さんごめん。後で行くから、先に準備しといてよ」
 急ぎ足で立ち去ろうとする河合さんを、陽子ちゃんと真琴ちゃんが追いかける。
「待って河合さん!」
「あたしも手伝う」
 陽子ちゃんと真琴ちゃんが河合さんを追いかけようとスカートの裾を翻した。

河合まきこ:三0歳、女性。ファンシーショップ経営。

この春よりフラワーショップ「Lovery」を併設。店長に就任。後にライ先生のグループに、
医療関連者外として初めて正式に参加し、主としてリサーチ業務を担当。ゆり先生の古い友達だった彼女は、以降もゆり先生、そしてあたしたちの良き相談相手となる。

武見陽子:一七歳、女性(但し、元男性)
  高校卒業後、大学に進学。卒業後は薬品商社に勤めるも、医者と会社からのセクハラに悩み、間もなく退社。後に結城先生や砂先生のグループへ納める医薬品を扱う小さな商社を設立。通訳のまいちゃんと共に毎日忙しいらしい。
  三つ年上の彼氏と熱愛中。初エッチの時はあまりの気持ちよさに明日仕事にもかかわらず、一晩中楽しみ、翌朝はケロッとしてプレゼンに望んだらしい。

渡辺真琴:一七歳 女性(但し、元男性)
 入所時より後に看護師になると明言していたその希望が叶い、高校卒業後ライ先生の推薦で、香港に有る世界でも有数の、そして厳しい事で有名な看護学校へ入学。卒業生の病院就職時は全員看護婦長補佐待遇といわれる同大学を首席で卒業し、現在付属病院で研修中。
 体重百Kgの巨漢男性患者と一晩中戦い、やっと薬を飲ませた武勇伝とか、元患者といい仲になり、初エッチの時あまりの痛さに相手を引っ掻いたり、その後、「僕、女になるーーっ」と相手からすれば意味不明に聞こえる言葉を喋る等、面白い話がいろいろ伝わってくる。

「あれ、陽子、真琴、ライ先生見かけないんだけど」
 あたしは河合さんについていこうとする二人を呼び止めて、さっきから気になっている事を聞く。
「え?ライ先生。あ、一足先に披露宴会場に入ってた」
「部屋の隅でさ、またいつも通りウィスキー飲みながら、難しい本読んでたよ」
 それを聞いたあたしはちょっとやりきれない思いで一杯だった。みんなが女の子になって幸せ一杯の今、いつも通りあの先生だけが一人ぽつんと取り残されている。顔とか性格はとっても怖いけど、あの先生がいなかったら、あたしたち今頃…。
「ねえ、こんなの良くないよ!みんなが幸せになったのは、みーんなあの先生のおかげなんだもん!あたしたち、まだ誰も一言もお礼言ってないし、今もひとりぼっちだし!ねえ、みんなでお礼いいに行こうよ!!」
 あたしの言葉に、無事女の子になった三人、そしてなりかかってる六人と純ちゃんが一斉に披露宴の会場に向かって走り出した。その後姿を、結城先生と早瀬先生(結城先生夫人)が笑いながら見送っていた。
「何なんでしょうね、あの娘たち。今日は何の日か忘れたんじゃないでしょうね?」
「まあ、いいじゃねえか。普段仕事の事しか考えられない可愛そうな親父なんだし、たまにはああいう若い娘、まあまだ二/三はそうじゃないけど、ああいうのと遊んだ方が、あのライ親父のためだよ」
「…あなたって、本当昔から変わってないわね。あの娘達の誰かに手を出したと少しでもあたしの耳に入ったら、即離婚ですからねっ」
「でもさ、あいつらみんな元男だぜ」
「あなたっ!!」
 そういって早瀬先生は結城先生のお腹のあたりをつねる。
「いててて…わかったよ」

結城先生:四0歳、男性、外科医
結城ゆう先生:二九歳、女性、外科医
 高齢のライ先生に代り、以降全ての手術の指揮を取る。その傍ら腕の立つ外科医としての評判も上がり、先日追い出されたはずの大学病院から教授として招かれるが、一蹴したらしい。只し女癖の悪さはあいかわらずで、ゆう夫人は絶えず気苦労している様子。最近美咲先生の残していったクルーザーを操縦すべく、夫婦揃って小型船舶免許を所得したらしい。

 三宅・美咲両家の結婚披露宴の開かれる予定の宴会場の片隅のテーブルの前では、忙しく動き回る式場のスタッフをしり目に、好きな高級ウィスキーのグラスを片手に学術書を読むタキシード姿のライ先生の姿が有った。
 長年の研究もようやく成功の兆しが見え、後は早乙女ゆりに任せばよし。教え子の結城先生に手術も任せられる様になり、そして、自分の研究課題であったが、もう年で断念した女性から男性への移行研究を若き三宅(美咲)あゆみ先生達が継いでくれる事となった。
(ソロソロ、インタイ、ヲ、カンガエルベキカ)
 今年齢七0歳の老博士はそう思いため息をつくと、手にした学術書を閉じて、グラスに残ったウィスキーを一息で飲み干し、そして再びため息をついた。その特異な風貌からか、披露宴の宴会場のをセッティングしているスタッフが時折ライ先生の方をちらちらと見ている。と、その時、
「あ、披露宴はまだですよ」
 一人のスタッフの声がしたかと思うと、宴会場の入り口付近が急に騒がしくなる。そして、
「ライ先生!」
「ライ先生!!」
 色とりどりの可愛い女の子達が口々に叫びながら、その老人の元に駆けつけてくる。あたしも一人だとちょっと怖いけど、純ちゃんと、そして他九人の女の子達と一緒なら、どうってことなかったし、そして、その光景にちょっとたじたじとなっているライ先生の様子がちょっとおかしかった。
「ライ先生、こんな所で一人で何してんですか?」
「いっつも本ばかり読んでて、寂しくないんですか?」
「美咲先生綺麗でしたよ」
「だめでしょ、もう年なんだし、お酒ばかり飲んでちゃあ」
「ねえ、誰かウーロン茶持ってきてあげなよ」
「ほら、あそこにフルーツもあるから、もってきたげな」
 ひょっとしてライ先生が怒り出すんじゃないかとみんなビクビクしながらも、ここに来る途中で軽く打ち合わせた様にみんなライ先生の周りに座って明るく喋り、そして質問攻めを開始。
「オ…オイ…ナニヲ…」
 予想に反してライ先生は怒らず、ちょっとびっくりしている様子。
「ねえ、おじいちゃん。仕事の時以外いつも一人だよね。本当寂しくないの?」
  陽子ちゃんがちょっと調子に乗って、とうとうおじいちゃん扱いしはじめたその時、
「オジイチャン…」
  その老人はそうつぶやいて、ふと動かなくなる。あたしはそんなライ先生の様子を別に気にする事なく、宴会場のテーブルに置いてあったフルーツの盛り合わせからいくつかを失敬し、暖かいお茶と一緒にライ先生のテーブルの前に並べる。
「ほら、おじいちゃん。お酒もいいけどさ、こういうの食べとくといいんだよ。だってまだこれからも一杯お世話になるのにさ、元気でいてくれないとさ」
「おじいちゃん、これからも宜しくおねがいしまーす」
 あたしの横で、雅美ちゃん、あきちゃん、ゆうちゃん、そしてみきちゃんが頭を下げる。
「ダメダ、ワシハ、ソロソロ、インタイシヨウカト」
 ちょっと言葉を詰まらせながら手を振り、拒否の仕草をするライ先生。
「えー!、引退しちゃうの?」
「もうやめちゃうの?」
「おじいちゃん、だめだよ!」
「おじいちゃん!」
 と、その時、その老人は体を強張らせたかとおもうと、絞り出す様なうめき声を上げ始めた。あたしたちはその様子に驚き、みんなが押し黙る。宴会場のスタッフの人も、風変わりな老人の所にたくさんの美少女?が押しかけ、更にその前でご老人が奇妙な声を上げ始めた事にすっかり驚き、皆こちらを見ていた。
「おじいちゃん…、ひょっとして泣いてるの?」
 ライ先生をじっと見ていたあたしは、その目に涙が一杯溜まっているのを見て、そう問いかけてみた。
「ワシニハ…、ツマ、コドモ、イナイ。…シンルイエンジャ、イナイ。オジイチャン…Grandfather…ヨンデクレタ、オマエタチ…ハジメテ…」
 ライ先生の思いがけない言葉に、皆驚いて、まだ嗚咽している老人をじっと見つめている。その特異な風貌と仕事と研究に没頭するあまり、医学の世界では香港有数のこの名誉教授も、家に戻れば只の寂しいご老体だったらしい。医学者になってもう四0年だって前に結城先生から聞いたけど、その間、ずっと孤独だったんだ。

「なーんだ、それならそう言ってくれれば、日本に来てくれた時僕達遊んであげたのに!」
 あいかわらず自分を僕と言う真琴ちゃんが、いきなり大げさに、そしてくびれてきた腰に手を当てて偉大な名誉教授に言い放つ。
「あのー、その方は新郎新婦か、皆様の、校長先生か、どなたかでしょうか?」
 今までの騒ぎを離れて不思議そうにみていた披露宴会場のスタッフの年配の女性の一人が、恐る恐るあたしたちに声をかけてきた。
「あ、あの、そういう感じの人です」
 ゆうちゃんがそう言った後、みんなで隠し笑い。
「まあ先生、良かったですわね。お孫さんみたいな方に囲まれて」
 その女性はそう言ってその場を離れていった。
「ほら、雅美ちゃん、ゆうちゃん、みきちゃん、あきちゃん。来年もお世話になるんでしょ?、ほらおじいちゃんも、やめるなんていわないでさ。ほら前に来てもう一度ちゃんとご挨拶しなさい」
 元はクラスメートの陽子ちゃんが四人に先輩風を吹かして、座っている四人の手を引っ張った。少し前に卵巣移植を受け、昨日静養先の美咲先生の別荘のベッドから起き上がった四人は、まだ違和感の有るお腹と、早くもオンナの肉がたくさん付き始めてぽちゃぽちゃしてきたヒップと太ももを気にしてるのか、のそのそっと立ち上がり、ライ先生の座っているテーブルの前に並ぶ。
「ライ先生。これからも宜しくお願いしまーす!」
 すっかり女の子の可愛い声になった四人が、おそろいの高校の真新しい女子の制服姿で、揃って先生に頭を下げた。

佐野美樹:一七歳 昨日女性へ戸籍変更
 高校卒業後、大学を経て貿易会社に就職し、後にフリーの女性トレーダーとして独立。いつしかライ先生のグループで必要な物資等も取り扱う様になる。
 就職直後に四つ年上の彼氏と知り合い結婚。初エッチの時はあまりの嬉しさと気持ちよさに気を失ったらしい。
皆の不安と希望の入り混じる中、無事に女児を出産。その後半年間はもう有頂天で、あたし達みんなに赤ちゃんを見せたり、妊娠と出産の体験談を話したがったり、うるさいくらいだった。

中村あき:一七歳 昨日女性へ戸籍変更
 高校卒業後、建築専門学校に入学し、建築デザイナーとしてデビュー。女性的な個性有るデザインの作品を次々発表し売れっ子に。最近老朽化してきた早乙女クリニックの建て直しをゆり先生に依頼されたが、思い出の詰まった早乙女クリニックを壊したくないらしく、ゆり先生と結構けんけんがくがくしてたみたい。

朝霧ゆう:一七歳 昨日女性へ戸籍変更
 高校卒業後、お姉さんと共にチョウ大人の紹介の元香港へ料理修行に。五年間の修行後帰国し、早乙女クリニックの近くに大陸系無国籍料理店「猫鰹飯店」をオープン。ライ先生のグループの宴
会等は全てここで行われる様になる。

久保田雅美:一七歳 昨日女性へ戸籍変更
 高校卒業後、再びエブリマートに正社員として就職。レジからスタートし、やがて若くしてマネージャー、そして本部調達責任者に。傾きかけた同社の再建に尽力するも、独立も考えているみたい。念願の支店を早乙女クリニックの近くと、そして伊豆の美咲先生の別荘へ通じる小道と国道の分岐点にオープン。
 尚、あの日あたしと約束した二年目の再会(二一話)は予定通り行われ、夜通し二人でカラオケで歌い続けた。

「こら、おまえら、ライ先生の邪魔しちゃいかん!」
 心配になって早瀬先生と一緒に宴会場の様子を見に来た結城先生が、ライ先生を囲んで騒いでいるあたしたちを見て、大慌てで駆け寄ろうとしたみたいだけど、早瀬婦人がそんな旦那を止めた。
「待ちなさいよ。ほらあなた、あんなライ先生今まで見たこと有る?」
 その言葉に結城先生は、我に返ったように立ち止まり、その光景を目にした。
「おい、嘘だろ。あの親父が、あんな小娘に両手で握手してるよ。あのプライド高い、あの親父が…。余程の事が無い限り、握手もしない、あの親父がよぉ」
「なんか楽しそうですわね。ほら、目元からすっかり険しさも取れてるし」
 二人の目の前には、さっき挨拶した四人とかわるがわる笑顔で両手で握手する、いまやすっかり気の良さそうなお爺さんに変わってしまったライ先生の姿が映っていた。

「じゃ、写真撮るよ。ほらみんなライ先生に寄って寄って!」
 純ちゃんの声にみんながその老人に寄り添って抱きつく様に集まる。そして陽子ちゃんと真琴ちゃんがそのお爺さんのはげた頭に軽くキス。ちょっと狼狽するライ先生の頭には二人の付けていた口紅がうっすら付いてしまう。
「おい!待て!おまえら!そりゃやりすぎた!!ライ先生は写真が大嫌いなんだ!」
 再び慌てて駆け寄ろうとする結城先生の声は、カメラを持った純ちゃんには全く聞こえてない様子。
「いくよー」
「パチッ」


早乙女純:一九歳、元男性、一時女性、後に男性に戻るけど、時々女優…ややこしいなあ、もう…。
 デビュー作において、男なのか女なのか、その正体不明な面でその映画の主役より注目を浴びる。二作目では変化自在のスパイ役で脇役に抜擢。パンチラも可愛く女子高校生姿・OL姿、そして皮ジャン姿で男として、相手を武術で叩きのめす姿は名シーンとして語られ、後にハリウッド進出も計画されているらしい。
 しかし、日本のしつこいマスコミに二四時間尾行され、たまりかねてチョウ大人に相談する。
 あたしと婚約は一応したんだけど…忙しくてなかなか会えない日が続く。

 頭に口紅を付け、目を真っ赤にして驚いた表情のライ先生を中心に、寄り添う様に集まった、すっかり美少女に変身した九人の元男の子達。
あたし知ってるよ。その写真はものすごく大きく引き伸ばされて、今も研究所のライ先生の席の後ろに大事に飾られているのを。

ライ教授:七0歳、香港某大学名誉教授。精神科、形成外科、泌尿器科、免疫・血液科医師
 最後の四人の女性化を見届けた後、名誉教授として研究所に残るも事実上引退。その後旅行と音楽と植物研究の趣味を見つけてこれに没頭。しかしのめりこみすぎて、遂に七五歳にして植物研究で農学博士号まで取ってしまう。
あゆみ先生の結婚式以降、すっかり気の良いお爺さんになり、引退後は怪しげな洋館同様の住居は、またたく間に花で埋まり、その中で近所の子供達と遊んだり、草花の事を教えたりする姿が度々目撃されている。又、その洋館は以降あたしたちの香港におけるセカンドハウス代わりにもなった。

 それから瞬く間に一年が過ぎる。あたしは再びゆり先生の厳しい指導の下、何とか目的の三宅(美咲)先生のいるアメリカの大学の推薦入試をクリア。春から医学生としてアメリカに渡る事になった。 
女性名の高校卒業証書を手に、クラスのみんなと打ち上げ会を終えたその足で、伊豆の別荘を訪れた。暫く向こうで暮らす前に、いろいろ思い出の有るその屋敷を見ておこうと思って。
 まいちゃんと、あきちゃん達四人がいるはずなんだけど、みんな留守だった。あたしは別荘の隅々を歩き、ここで厳しい三宅(美咲)先生の指導の下、女の子に変身していった日々を思い出せるだけ思い出す。
「懐かしい、何もかも。まるで昨日の事だったみたい」
 お風呂の脱衣所の所へ来ると、入所した時の鏡がまだそこに有る。女性ホルモンを取り入れ始めて、そしてその場所で初めて自分の胸の変化を見てびっくりしたあの日。その時の自分が、今映っている可愛い制服姿の自分にオーバーラップする。

 洞窟の中には、寂しそうに係留されていたクルーザー「さふぁいあ」が次の出航に向けて眠っていた。三宅(美咲)先生がアメリカへ行ってからは一度も動いてない。近いうちに結城先生達が動かしにくるはずだけどね。
 その中に入ると、とっても楽しかった夏の思い出がよみがえってくる。最初は半分男の子の時にパレオ付の水着で。そして二回目は普通の水着で雑誌社の人達とバカンス同然で小島で遊んだ。そして三回目はモデルデビュー。
 いつしか入り込んだいくつかのゴミを片づけて手に持ち、あたしは思い出の残るクルーザーの有る洞窟を後にした。
 別荘の中を歩いているうちに、他の懐かしい人の事も頭に浮かんできた。

前川雅代:一八歳、女性。あたしが掘幸男だった頃の元カノ
 風の便りによると、高校卒業後、短大に進み、今は普通にOLしているらしい。詳細不明。

須藤クン:一八歳、男性。両性体だった頃のあたしから初キッスを奪った後、アメリカ留学。
 留学から帰国後、あたしがアメリカへ留学した事を聞き、再びあたしの後を負う様に渡米したらしい。結局あたしをに会えず、今はアメリカに滞在し、金髪の美女とお付き合いしている様子。

安倍ちあき:三0歳、女性。雑誌社専属スタイリスト。
 三宅さんの結婚後、如月ますみちゃんと一緒に音楽関連イベント事務所で忙しい毎日を送っている。

チョウ大人:六0歳、男性。表向きは香港在住華僑。
 純ちゃん出演の映画を作った香港の映画制作会社を全面的にバックアップ。映画公開後、純ちゃんの正体や出生の秘密を突き止めようとあれこれ詮索していた日本のマスコミに全力で強大な圧力をかけ、断念・撤退させる。
 それを最後に裏社会から引退。全てをハンおじさんに任せ、晩年はライ先生の良き茶飲み友達として余生を過ごす。

ハンおじさん:三五歳、男性。表向きは香港貿易会社社長。
 若くしてチョウ大人から全てを引き継ぎ、大忙しらしい。美咲・三宅結婚式の時、祝電の中に「邪魔者がいれば消してやる」との言葉を入れてしまい、純ちゃんがその弁明に必死だった。

椎名つばさ:一八歳、女性。あたしのクラスで三年間クラス長を勤め上げる。
 高校卒業後短大に進み、実家の不動産会社を手伝う。高校の同窓会委員に就任。毎年盛大な同窓会を企画してくれている。

「あ、そうだった。今日は車じゃなくて、電車とバスで来たんだ」
 思い出した様につぶやき、軽く別荘の掃除をして、帰り支度を急ぐあたし。思えばここに車以外で来たのって今日始めてなんだよね。まいちゃん達は…まだ帰ってこないか。あたしは門の扉に鍵をかけ、そして
「バイバイ」
 と思い出の残る別荘に小さく手を振り、小道の先のバス停へと道を急いだ。二日後はアメリカへ向けて出発。あたしの新しい生活が始まるんだ!!

……そして七年の月日が過ぎた……

 春の風が吹く三月初旬のある日の昼過ぎ、一台の車がその別荘の駐車場に到着。そしてその車から大きなスーツケースを手に、サングラスをかけた一人の女性が降りて、別荘の中へ入っていく。ショートに切りそろえられた髪、大きな胸を包む横縞のシャツに、細くくびれたウェストを隠すブルーのジャケット、そしてボリュームの有る丸く可愛いヒップを包む白のミニスカートのマリンルックの女性は、ある部屋の前に立ち止まり、サングラスを取り、部屋の前のネームブレートに入っていた古ぼけた「美咲あゆみ」のネームプレートを取り、そして真新しいネームプレートを差し入れた。そこに書かれていたのは、
「堀幸子」  
そう!あたしはアメリカの大学をストレートで卒業。無事精神科医の試験をパスし、そして今日、美咲研究所の新しい所長として赴任してきたんだ。部屋には引越し業者さんが先に置いていった、たくさんの段ボール箱が山積みになっている。その間をすり抜ける様にして、海に面した大きな窓を開けると、突然飛び込んでくる春の風と懐かしい伊豆の海の香り。あたしはその二つを頬に受け、大きく背伸び。
「帰ってきたんだーーーっ!」
 三宅(美咲)先生の置いていったらしい古ぼけたラジカセのスイッチを押すと、FMの軽快なDJの声が部屋に響き、そして流行の音楽が流れ始める。しばらく懐かしい雰囲気を味わった後、あたしは初めて受け持つ女性化希望の四人の男の子のカルテをスーツケースから取り出し窓に腰掛ける。
「不破隆一クン、加川祐子チャン…あはは、もう女の子の名前付いてる。そして丸橋博美クン、そして内田一紀…いつきクンか。どんな男の子達なんだろ」

 あたしは四月にここに来る男の子達の顔を勝手に想像しつつ、純ちゃんの写真の入った写真立てをスーツケースから取り出して、まだ何も乗っていない部屋の机の上に置き、しばし窓辺で海風を楽しんでいた。とその時、
「…誰!?」
 自分のいる部屋の有る一階の奥の部屋で、何か物音がして、誰かが歩く音がする。今の時点でここにいるのはあたし一人のはず。
(誰よ!ひょっとして空き家の間に誰か入りこんで…)
 あたしは部屋の片隅の古ぼけたモップから棒を外して手に持ち、そっと物音のする部屋に向かう。物音のする部屋は、多分以前別荘に来たゆり先生が寝室に使っていた所だった。女の子に変身中に、純ちゃんと一緒に練習した武術も、百%女になった今、もう役に立ちそうも無い。でも、今あたしはここを任されている身。ちゃんとしないと…

 棒を持ったあたしは恐る恐るその部屋に近づき、そしてそっとドアを明ける。無用心にもドアには鍵はかかっていなかった。そこであたしが見たものは…。
 意外にもドアの隙間から見えたのは、ジーンズにトレーナー姿の一人の女の子が、多くの積み上げられたダンボール箱を前に、荷物を取り出し、何か整理している姿だった。大きなヒップを包むローライズのジーンズの縁からはピンクのパンツが見えてる。ふとその娘がこちらを振り返ると、あたしは思わず大声を張り上げた。
「真琴―――――――――!!!!」
 その声にその女の子もちょっとびっくりするけど、すぐ何もなかった様な顔をする。
「なんだ、ゆっこじゃん。早かったわね。あ、丁度良かった。台所にあるあたしのバッグ持ってきてよ」
 そう言うと再び彼女はあたしに背を向け、作業を続けた。大人びた顔になっていて、胸もヒップも一回り大きくなっていたけど、そこにいたのは間違いなく真琴ちゃん。
「持ってきてって、なんで!?なんで??あんたがここにいるの???」
 あたしは手に持った棒を後ろに隠して、何だか訳わからないといった顔をして真琴ちゃんに恐る恐る聞く。真琴ちゃんは再びあたしの方に向き直り、意外にも呆れた様子で答える。
「失礼ね!!三宅(美咲)先生からサポートで一人付けるって話無かったの!?ゆっこ一人じゃ不安だって!」
 そういえば、一人サポートで行くの行かないのって、つい先日アメリカで三宅先生から、でもあの時はあたし一人でやってみるって…言ったのに…。その一人って、まさか、そうだったの!?
「それに、あたしの所には大きな病院からいくつも看護婦長補佐にって話が有ったのよ。それ全部断ってゆっこの所に来てあげたんだから!少しは感謝してよ!」
 あたしはちょっと面くらったけど、ま、いっか。やっぱり一人だと心細いし。それにしても真琴ちゃん。やっと自分の事「あたし」って言える様になったのね。
 あたしが真琴ちゃんの荷物を取りに台所に行こうとしたとき、今度は部屋の電話が鳴る。急いで受話器を取上げると、そこから飛び出てきたのは、
「あれ?ゆっこ?真琴じゃなかったの?早かったわね。今玄関にいるから」
 それは懐かしいともこちゃんの声、
「ともこ?ともこなの?え、ここへ何しに…」
「バカ!ちゃんと開所祝いのお花持ってきたげたのに!何よ。あと、河合さんから、がんばってねって言付けが有ったわ」
「あ、ごめんごめん…」
 あたしは受話器を置いて、玄関へ急ごうとしたけど、今度はあたしの携帯が鳴る。
「あ、ゆっこ?通じたという事は今日本なのね。ほら頼まれた医薬品いつそっちに持っていけばいい?」
 陽子ちゃんの声だった。
「え、あたし何も…」
「じゃ、頼んだのゆり先生なのかな。とりあえず、そっちに持っていくからさ、いつがいいか教えてよ。あ、あと智美ちゃんが、美咲研究所の部屋のコンピュータどうしようかって言ってたよ。もう六年もそのままだから使えないだろうって」
 ああもう、あたしの知らない所でもう!
「あ、そう言えば言い忘れたけど、あきちゃんが先に来てたわよ。クルーザーの係留してある洞窟から伸びる桟橋を作り変えるって美咲先生に言われたみたい。後で行ってきてよ」
 積み上げたダンボールの一番上の箱を取り出しながら、真琴ちゃんが忙しそうに言う。
「え?あきちゃんも来てるの??」
 携帯を手にして只おろおろするあたし。
「もう!ちょっとゆっこ!なんにも聞いてないの!?」
 手にしたダンボール箱を床に置き、腰に手を当て、あたしに向き直ってちょっと怒った様に言う真琴ちゃん。
「気づいてた?ここに来る小道が国道に繋がる所に、雅美ちゃんのコンビニ「エブリマート」が出来てた事?。それに明日美樹ちゃんが訓練生用の日用雑貨納めに来るし、それに今週金曜日の夜、ゆうちゃんの「猫鰹飯店」でここの開所祝いやるし!」
「ちょっと、真琴、そこまで話進んでるの??」
 あたしの手に持つ携帯からは、
「ゆっこ?ゆっこ?聞こえてる?」
 と陽子ちゃんの声が聞こえている。再び真琴ちゃんは床のダンボール箱の前にあぐらを組んで座り直し、ガムテープをぴりっとはがしながら続けた。
「それとさ、ますみちゃんが連絡してくれって。今年久しぶりにやるんだって。ほら、夏のクルーザー企画。ますみちゃんと、みけちゃんと、ちあきちゃんが今月半ばに打ち合わせしたいから都合のいい日教えてくれって。今度は香港の公告代理店の人も来るから、通訳でまいちゃんも来るんだよ」
 その後、ぶーぶー言いながらせっせと真琴ちゃんは自分の部屋造りを始める。その時再び部屋の電話が鳴った。
「あ、ごめん!ともこちゃん待たしてた!!」
 あたしが受話器に駆け寄り、手にした受話器から聞こえてきたのは、
「あ、ゆっこちゃん?もう着いたの。早かったわね。あのさ、あんたが忙しそうにしてたんで、美咲研究所に行ったときの段取り言う時間無かったから、あんたのスーツケースの中の一番上にワープロで書いて印刷して、置いといた、つもりなんだけど…」
「ええーー!」
 それは今や博士になったゆり先生の声!ここへ来る途中で何回かスーツケース開けたんだけど、あたしは受話器を手にしたままスーツケースを手に取ろうとした。ところが、
「あはは、その書類、今あたしの手元にあるんだわ、あははは。あのさ、あきちゃんと一緒に真琴が先に行ってるはずだからさ、一応話ししてあるからさ、ちゃんと聞いといてね。じゃねーっ」
 一方的に電話が切れる。もう、なんなのよー!前から思ってたけど、ゆり先生博士号取ってからすごく雑になった感じ!。
 とにかく、玄関で待ってるともこちゃんを中に入れ、そして陽子ちゃんには納品の指示をして、真琴ちゃんの荷物を台所から持ってきて、真琴ちゃんの部屋に座り込み、ほっとため息付く。と、あたしの目に飛び込んで来たのは、部屋のハンガーにかけてある、薄いピンクの看護婦衣装、しかも…
「真琴!何よこのピンクのナース服!」
「え?可愛いでしょ?」
「ミニじゃんこれ!!!」
 あたしはそう言うとそれを手に取り、体にあわせる。
「膝上二0センチ…あんたこんなの着て看護婦研修してたの?」
「うん、…そうだよ。みんな可愛いって言ってくれてたし」
 作業しながらめんどくさそうに答える真琴ちゃん。多分真琴ちゃんが優秀だったからみんな何も言わなかったんだろうか?
「だめ!こんなの!うちじゃ絶対許さないから!」
「なんでよ!あたしがこういうの着て、今度ここに来る訓練生刺激したら、自分も早くそうなりたいって、思うかもしれないじゃん!!」
「だめだめ!そういう上っ面だけで女の子になりたいっていう子はゆり先生が全部面接で落としたんだから!!むしろ逆効果だし!」
「だって…」
「いいから!研修生来る四月までに、ちゃんとしたナース服用意しときなさい!」
「はあい…」

堀幸子:美咲研究所所長着任時二六歳、女性(但し元男性)精神科医師。
 早乙女博士の指導の下、公式に性同一障害の患者の治療を開始。自分の経験を元にした治療行為では、元々女性であった早乙女博士や三宅助教授と比較すると、患者のメンタル面において的確であり、受け持った患者は迷う事無く女性への変貌を遂げていった。
 二九歳でようやく、ハリウッドのアクション映画俳優となった早乙女純と結婚。早乙女博士の義理の妹となる。翌年三0歳で男女の二卵性の二子を無事出産。性同一障害治療を続ける傍ら、育児の経験を元に育児書の執筆も開始。

 さて、長い間続けて来たあたしの話もいよいよ終わりとなりました。これを読んだ皆様の中で、女の子になりたいって思う方、そして性同一性障害の方。来年の入所は締め切ったけど、再来年の入所を募集していますので、電話してくださいね。電話番号は…










平成十六年十一月三日 めたもるふぉーぜ 完



「はい!カット!堀幸子さん、ラストテイク終了!全撮影完了です!」
「はーい!お疲れ様でしたーーー!」
「お疲れ様!」
「おつかれーーーー!!」
「あーーー、やっと終ったよー!」
「十年、十年よ…」
「長かったわねー」
「あ、ライ先生のジャグジーが始まるよ!」
「へ!ライ先生のジャグジー!?わ、ほんとだ!リンゴを三つ、うわ四つ」
「え、なんでなんで??」
「知らなかったの?ライ先生役の人って香港じゃ有名なコメディアンなんだよ」
「へえええ…知らなかった」
「ゆっこお疲れ!」
「あ、もうあたしゆっこじゃないもん。本名は…」
「いいじゃん、当分役名で呼び合おうよ、ねえますみ!」
「あちきは、これが本名でしゅよ!」
「あ、そうだったっけ…あははは」
「みなさーん!隣の部屋で打ち上げパーティー用意してますから、どうぞー」
「あーー、結婚披露宴のセット、あれ、そのまま打ち上げに使うんだー」
「純ちゃん!ほらオレンジジュース!」
「えーー!嫌よ!あたし本当は大っ嫌いなのにさ!」
「え!本当!?」
「だってさ、最初あたしの好きなのはカルピスの設定だったのにさ!脚本書く人がいつのまにかさー…」
「こら真琴!自分の分だけ持ってこないの!役者の中で一番あんたが最年少なんだからさ!ちゃんとみんなにこび売っときなさいよ!」
「えーー、皆様に朗報です。めたもるふぉーぜの中に出てきた純ちゃんのスパイアクション映画、正式に製作が決定しました!」
「えー本当!?」
「やったー!純ちゃん。本当にハリウッド目指せるかもよ!」
「あたしオーディション絶対受けるからさ!」
「あたしも受ける!」
「おい、ビールだビール!ほら、いろいろありがとな、楽しかったよ!」
「あ、ちょっと結城先生!あたしたちまだ未成年ですから!」
「いいからいいから、こういう時は特別だよ、早く大人の味おぼえとけな!」
「あ、それまだジュース入ってるのに…」
「ゆり、河合さん、長い間おつかれね」
「あ、美咲さん。長い間お疲れ様でした。本当はあたしの方が二歳も年下なのに」
「こら、ゆり!年がばれるだろ!年が!」
「あーー、ごめんなさい、ごめんなさい!」
「あ、また重大発表みたい」
「えっと、役名でいうと、須藤クンと美咲まいちゃん。この映画を通じて良き仲になり、なんと婚約が決まりました!」
「えーー!うそ!」
「おめでとうございまーす!」
「おめでとう!」
「あれ、ちょっと、二人が一緒に出てくるシーン、有ったっけ?」
「いいじゃん、細かい事気にしないでさ!」
「あ、チーマーの親分だ!」
「あーーー、純のおなか潰した人!」
「あーーごめんごめん、あの時は」
「あのさー、前から不思議だったんだけど、あなた役者さんじゃ、ないわよね」
「あ、俺?実は脚本なんだよ。特別出演で役者やらせてもらってさ」
「あー!この人のせいだよ!大嫌いなオレンジジュース飲まされ続けたの!」
「あー、失礼、俺大好きでさ、ついシナリオに、あははは」

「あ、あのー、監督の月夜眠さん、ほら、最終回の撮影なんで見学者の方がこんなに大勢いらっしゃいますけど、…いいですか?じゃ入れちゃいますね!」
「見学者のみなさーん!一緒に打ち上げどうですか!役者さんも今日全員いますし、いろいろ気軽にお話していってくださいな!」

めたもるふぉーぜ、これにて、おひらき!

 

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