メタモルフォーゼ

(20) 「不安な日々 そして復讐」

 部屋に集まった僕達は言葉も無く床に倒れる様に寝っ転がった。一人僕は主のいなくなった隣の純の部屋に行こうとしたけど、何かとても辛くて純の部屋の前で立ち止まり、そして引き返した。途端、下の診察室から何かガラスが割れる様なすごい音!皆が部屋から飛び出して来る。立て続けにその音が続き、そして何かを投げ付ける音も!
「だめ!みんな行っちゃだめ!!」
 もう皆我慢出来なかった。河合さんの制止も聞かず、そのまま階段を駆け下り診察室へ飛び込んだ。そして僕の目には!
 机や器具が散らかり、絵の入った額縁はガラスが割れて下に落ちていた。めちゃくちゃになった室内の傍らのソファーに、ゆり先生と美咲先生がお互いをかばい会う様に!
 そしてその前には恐ろしい形相でパイプ椅子を両手で高々と振り上げた怪物が!今まさに二人の先生に向って投げつけようと!
「先生!危ない!!」
 僕が真っ先に二人の先生達の盾になる様に飛び乗る、そして次々とともこちゃん、まいちゃん、陽子ちゃん、そして真琴も折り重なる様に飛び乗り、先生達を庇った。
「ライ先生!いいかげんにしてよ!ゆり先生が何したって言うの!」
「ゆり先生!最後まで純ちゃん助けようとしたのにさ!!」
「あんまりだよ!こんなのひどいよ!!」
「出てってよ!早く出てってよ!」
 折り重なりの一番下になった僕は、もがきながら這い出して、そして改めて手を広げ、椅子を振り上げたライ先生から皆を庇う。怖いライ先生の形相も、もう慣れっこになっちゃった。
「やれば!?いいからやれば!?早くそれ投げ付けなさいよ!僕出てってやる!絶対出てってやる!」
 僕が叫ぶ後ろでともこちゃんも顔を出す。
「やりなよ!気の済むまでやれば!あたしこのままでいいもん!」
「悪いのはあののさばってるやつらだもん!先生達なんにも悪くないもん!」
「ライ先生のやってる事ってさ、あいつらと同じじゃん!!」
「あたしも出てく!もう嫌だ!!」
 僕達は口々に怪物を罵った。
「やめて!御願いだからやめて!」
 僕達の下でゆり先生が小声で言うけど、僕達には全く聞こえない、いや、聞けなかった。
 椅子を振り上げる怪物の顔は見る見る真っ赤になり、仁王立ちのままぶるぶると震え出す。そして目も真っ赤にした怪物は、咆哮一発、そのパイプ椅子を投げ付た。
「キャー!」
 僕達が悲鳴を上げる中、そのパイプ椅子は僕の顔のすぐ横を掠め、後の大きな観葉植物に当たり、その木を真っ二つに。
 一瞬気を失いかけた僕は、怪物の攻撃が外れた…いや外したのを見てほっとする。でも相変わらず僕はみんなの盾になり続けた。
 怪物は椅子を投げ付けた後、ドスンとソファーに座り、ゼイゼイ息を切らす。と、暫くしてどこかに電話をし始めた。
 皆、その折り重なりの山から顔を出し、その光景を恐々眺めた。
「もう、私達終わっちゃったのかな…」
 ともこちゃんが小声で怯えながら呟く。
 怪物は何かいろいろな所へ電話している。折り重なっていた僕達は一人一人上から退いて、ゆり先生と美咲先生の傍らに寄り添う様にして、その光景を眺めた。
「…どこに電話してんだろ…」
 美咲先生が不思議そうに呟いた。そして最後にある所に電話していた怪物を見ていた時、ゆり先生と美咲先生は驚いた様子で顔を見合わせていた。長々とした電話が終り、怪物が再び僕達に向き直る。すかさず僕達は再び全員でゆり先生と美咲先生を庇う様にのしかかって、無言で怪物を睨んだ。
「*+-/++-!」
 何か低く呟くと、怪物はソファーから腰を上げ、診察室から出ていって地下室へ向った。
「ねえ、何だったの今の電話?」
 真琴ちゃんが興味本位でゆり先生に尋ねる。
「誰かお客が来るみたい。来たら起こせって…」

 冬の夕方、もう五時近くなると、辺りはもう真っ暗。僕達はまだ全員で荒れた診察室の掃除をしていた。診察器具とか椅子、ソファー、小机を元通りにして、ガラスの破片を小さな物まで取り除き、拭き掃除をして…。
「どうしてですか!犯人が特定出来ないって!警察の方もそこにいたんですよ!」
 横で警察に電話しているゆり先生が頭を掻き毟っている。あまりの事に僕達は手を止め、ゆり先生を凝視した。やがて電話が終り、美咲先生と河合さんがいろいろ話している。
「目撃だけで、証拠が無いなんて!どういう事よ!逮捕出来ないなんて…」
「やっぱり何か有るのよ!でもあまりにひどい!」
「とっちゃん」と呼ばれていたあの男が何か不思議な事を口走っていたという純ちゃんの話を、僕は嫌な気分で思い出していた。そしてその後、玄関にたくさんの人の気配が。一瞬びくついたけど、それは純のクラスメート達だったみたい。十数人が玄関に押しかけ、ゆり先生と押し問答している。もう、ゆり先生が可愛そうだった。
 三十分位がやがやと騒がしかったけど、とにかく、純ちゃんが治療の為外国に急に行ってしまってもういない事を悟ると、皆渋々引き上げて行った。
「後で純の連絡先教えるって今日言っといたけどさ、ミサ、あの子達この様子じゃ毎日押しかけて来るよ。どうする?」
 拭き掃除していた美咲先生が手を止めて困った様子。
「とにかく、暫く鍵かけてさ、様子見ようよ。ゆっこちゃん、ドアに鍵かけてさ、「しばらく休診します」と張り紙しといて」
 僕はそれに従い、玄関にに鍵を掛けて戻ろうとした時、チャイムを鳴らし、ドアを荒っぽく叩く音がした。
「あれ、例のお客さん?」
 ところが、今度はドアをがちゃがちゃさせ、とうとう足で蹴る音が!
「はい!ちょっと乱暴にしないで!」
 僕がドアを開けると、息を切らしたますみちゃんが飛び込んで来た。
「ますみ!どうしたのよ!」
 その後で智美ちゃんとみけちゃんが制服のままで飛び込んで来た。
「どうしたのじゃないですよ、ゆっこしゃん!お休みのところ大変なんれすよ!」
「え?」
 ますみちゃんの後ろでみけちゃんが曇った顔をする。
「放課後の正門近くに変な男達がいてさ、ゆっこの事聞くの!ねえ、純ちゃんは!?つばさちゃんも何か聞かれてさ!その時そいつら純ちゃんを潰したとか言ってたの!」
 えー!そんな大変な事になってるの!?仕方なく僕が一部始終を話すと、それを聞いた三人がびっくりして、警察に行こうと僕を外に引っ張り出そうとする。
「だめだった、さっき警察と話したんだけどさ…」
 ゆり先生が出てきて心配そうに事の次第を話し始める。
「とにかく、何か有ったら連絡して。今日はもう陽も落ちたから…」
 しきりに心配そうに僕の方を見る三人。
「ゆっこしゃん!ほとぼり冷めるまで学校に来ない方がいいれすよ!」
「ゆっこ!ノート取っといてあげるからさ、本当暫く学校に来ない方がいいよ」
 みんな有り難う、本当に!暗闇の中去って行く三人をいつまでも見送りながら、僕は明日からどうしようかと、そればかり考えていた。
 クリニックの玄関から診察室に戻ると、ゆり先生が毛布を持って地下室へ行く所だった。まさか、あの怪物の為に!?
「昔から研究室のソファーでしか寝ない人だから…」
「ゆり先生、もうほっときなよ!クビにされたんでしょ!」
 僕は半分ふくれながら先生に注文した。
「そうは言っても、恩師なんだから…。あ、夕食何か店屋物で好きなのを取って食べてて。私とミサは親子丼おねがい」
「はあい…」
 皆の分を近くの蕎麦屋さんに電話注文して、僕は皆の待つ自分の部屋に入った。でも皆言葉が少ない。溜息ばかりついてる陽子ちゃん、僕のベッドで仮眠しているまいちゃん。ともこちゃんと真琴は只ぼーっとTVを見ている。僕も何気なくTVのドラマに見入ったけど、明日からの事を考えると、心配と、気が抜けた気分とですごく憂鬱になってしまって、何も頭に入ってこない。
「ねえ、ともこー、ともこの行ってる高校ってさ、転入有りなの?」
「えー、わかんないよ…」
「なんか私、あいつらに目付けられてるみたいだからさー、皆に迷惑かけらんないし。転校出来るかなあ…でも都内じゃ無理かなあ、まいちゃん起きたら相談してみよっか」
「うん…」
 ともこちゃんも、多分どう答えていいか分からないみたい…。その時玄関のチャイムが鳴った。
「あ、ご飯来たかも」
 僕は大急ぎで階段を駆け下り、ドアを開ける。ところが!
「あ、あの…」
 目の前にいたのは、またしても怪しい人物だった。いかにも香港映画に出てきそうな、目つきの鋭い蛇みたいな…!そしてその後にいたのは、まるでなまずみたいな髭を生やした、金色のチャイナ服を着た、なまずのお化けみたいな!
 僕は数歩後ずさりすると、その二人がクリニックに入って来る。あまりの異様さに僕は二人をじっと見つめたまま、凍った様に立ち尽くした。
「オジヨウサン、ライタイジン、イルカネ」
 体に似合わないキンキン声で、そのなまず男が僕に話しかけた。僕は我に返って、まるで助けを呼ぶ様にゆり先生を探しに地下室へ駆け下りる。そして数分後、ライ先生が地下室から玄関へ。
「ライ大人!ニイハオ!謝謝!」
「チョウ大人!謝謝!
 二匹の怪物はしっかと抱き合い抱擁を交わしていた。地下室の階段の影で、僕とゆり先生そして美咲先生がその様子をじっと見入っていた。そして美咲先生が呟く。
「チョウって、あの香港マフィアの!?」
「えーーーー!」
 僕とゆり先生は同時に声を張り上げた。

「堀さん、おそば来たの?」
 急いで自分の部屋に戻った僕に、真琴ちゃんがTVを見ながら聞く。
「ま、また怪物が来た!蛇みたいなのと、なまずみたいなのが!」
 僕は息を切らせながら皆の前で喋る。
「ライ先生となまずが、しっかり抱き合ってるの!しかもなまず男ってマフィアの人だって!もう、今日って何て日なのよー!」
「どこにいるの、その人達?」
「今、ゆり先生とかと一緒に地下室にいる!」
 ペタンと座る僕を、皆がじっと見つめていた。

 静かな時間が続く。皆が食べた店屋物の容器を、僕が玄関先に置いてきた時、ふと気になって地下室を覗くけど、声も何も聞こえない。もう夜の十時近い。いったい何をやってんだろ、全く。
 僕が部屋に戻って間もなく、部屋の電話が鳴った。皆がびくっとする中、僕が受話器を取る。
「ゆっこちゃん、皆を連れて地下室まで来て頂戴」
 皆が眠い目をこすりながら部屋へ行くと、そこにはライ先生の前になまずと蛇の怪物がふんぞり返っている。僕達は恐々部屋に入り、隅の小さな椅子におのおの座った。なまず男が目を細め、手を叩き始める。
「オー!グッドグット!コレミナ、オトコアルカ!」
 下品に笑うなまず男を見て、僕達は恐々目を見合わせた。ライ先生が何やら中国語で応対し、話の節々でなまず男が声を上げて下品に笑う。怪物達の座っているソファーの向こうには、ゆり先生と美咲先生が何故かうなだれて座っていた。
「ライタイジンノサクヒン、イツモミゴトアル!カワイイオトコノコ、ダイスキネ!」
 僕、何か嫌な予感がしてきた。他の皆も怪物達を上目使いでちらちら覗きながら、何だかそわそわし始めた。
「ライタイジン!デキルコトナラ、ショウネンイイネ!オンナニナッテナイ、タレアルカ!」
 僕達へ注がれるなまず男の目の色が違ってる!まさか!僕は何か喋ろうとふと、皆の方へ向き直ってぎくっとする。女になってないのって、ひょっとして真琴ちゃんと、陽子ちゃんの事!?
 ともこちゃんとまいちゃんも、陽子ちゃんと真琴ちゃんをびっくりした目で見つめている。可愛そうな二人はお互い抱き合いながら、怯えた目で怪物の方を凝視していた。中国語で何か喋っているライ先生に、悲痛な声でやはり中国語で応対している美咲先生、そしてなまず男がソファーから立ち、僕達に近寄って来る。
「ミスターヨウコ、ミスターマコト、ニイハオ!ヨロシク!」
 脹らんだ真琴ちゃんの胸を指で触り始めるなまず男、真琴ちゃんはすっかり怯えて抵抗すら出来ず、体を横に曲げて抵抗するのがやっとだった。
「ミスターヨウコ!カワイイアル!」
 今度は陽子ちゃんの顎を指で触り始める。彼女?は先程から蛇男の鋭い目で睨まれ、凍っていた。
「ゆり先生!美咲先生!どういう事なの!?」
 美咲先生が僕を見つめ、低い声で答える。
「陽子と真琴、チョウさんに連れて行かせるって…、ライ先生が…」
「フハハハハ!カワイイオトコノコ、スキアルネ。イチドアソビタカタアル!」
「ひ…ひどい!」
 まさか、ライ先生さっきの事根に持って!
「ライタイジン!シェシェー!ミッカノチニ、サクヒンオカエシスルアルヨ!マコト!ヨウコ!サアクルアルネ!」
「先生!助けて!行きたくない!」
「堀さん!助けて!こいつやっつけてよ!」
 やっと声を出す事が出来た二人をひっつかみ、抱える様にして部屋を出て行こうとするなまず男。
「ちょっと!ちょっと待ちなさいよ!」
 僕はともこちゃんとまいちゃんと一緒に通せんぼしようとした。しかし、すぐさま蛇男が僕達となまず男の間に割って入って来る。
(この人って、あのなまず男のボディーガードなんだ)
 怖かったけど僕達はその蛇男の手を掴み、どかせようとした。でも一瞬にして三人とも纏めて腕をねじ上げられてしまう。
「ゆり先生!美咲先生!なんとかしてよ!」
 蛇男に完全に腕を取られ、もがいている僕達に向って、なまず男がにやけながら顔を近づけて来た。
「ジュンクンノカタキ、トリタイアルネ?」
 その言葉で全てが判った。僕以外にも。陽子ちゃんと真琴は大人しくなり、ともこちゃんも、まいちゃんも、蛇男への抵抗を止めた。二人を抱きかかえ階段を昇って行くなまず男、そいつの鼻歌が早乙女クリニックの外に消えて行く。

「ゆっこちゃん、朝ご飯にしない、ねえ…」
 翌朝早く、ゆり先生からの内線電話に、僕は何も答えず受話器を置いた。純ちゃんが連れて行かれ、陽子ちゃんも真琴ちゃんも、なまずに連れて行かれ、残ったのは僕とともこちゃんとまいちゃんだけ。
 地下室にはまだライ先生が居座っている!クビにされて陽子ちゃんと真琴ちゃんまであのなまずに引き渡したライ先生の為に、ゆり先生はまだ世話を焼いてるみたい!美咲先生もさ!陽子達が連れて行かれるのに一言も反対しないで!純ちゃんの為らしいけどさ、信用できるの!?あのなまずマフィア!勝手にしなよ!河合さんは…、別にいいけど!
 昨晩僕のベッドで、女の子になりかかってる僕達三人、本当これからの事いろいろ話したんだ。本当こんなひどい人達だなんて思わなかった。これ以上あの怪物とか先生達の治療受けたくないって気もする!でもさ、もしそうだとしても、僕は実家戻れるけどさ、ともこちゃんとまいちゃんは帰る所なんて無いもん。それに…、僕達このまま女の子として暮らすのも…、男の子に戻る事も、もう出来ない…。
「ねえ、ともこも、まいも、しばらく家に来なよ」
 昨日の夜の僕の提案にも、二人は黙ったままだった。

 河合さんは今朝も店に戻って行った。まだ寝ているともこちゃん、まいちゃんを起こさない様に、僕は隣の純ちゃんの部屋に入った。薄暗がりの主を失った部屋の明かりを付けると、たくさんのぬいぐるみが目に入った。
(みんな哀しそうな目をしている…)
 寂しそうにしているそれらを、僕は一つ残らず、自分の部屋に移し始める。他に無いかどうか探してると、一つのフォトスタンドが目に付いた。
「あ、あの時の写真…」
 それは、最後に純ちゃんと一緒に寝た翌朝撮った写真。こんな事になるなんてつゆ知らぬ時、二人で撮った可愛いネグリジェの写真。
「純…純!」
 残されたそのフォトスタンドを胸に抱きしめる僕の目に、みるみる涙が溢れ出す。
「純、戻ってきて…お願い…」
 今になって、純ちゃんのいない寂しさと哀しさが僕を襲ってくる。泣かない様にしようとしても、涙が勝手に滝の様に。声にならない声でその言葉を繰り返し、ふと気が付くとそれは僕の涙でびしょびしょに濡れていた。慌てた僕は丁寧にそれをティッシュで拭い去り、目を擦りながら僕の部屋へ持って行く。部屋では二人が丁度起きた所だった。
「ねえ、ともこ、まい、学校行かなくていいの?」
 泣き顔を隠して尋ねる僕。
「いい、暫く行きたくない」
「あたしも。少なくとも陽子ちゃん達が帰って来るまで待つわ」
「陽子、真琴、あたしすごく心配だよ。もしかして変な事されてるんじゃ」
「あのなまずみたいな男、ちょっと異常だったよね、男の子の方がいいなんて…」
「苛められてるんじゃないの?部屋に閉じ込められてさ」
「もう!バカな事言わないでよ!」
 僕が最後を締め括り、大事に持ってきたフォトスタンドを自分の机の前に飾った。
「純ちゃん…」
 それを見たまいちゃんが、哀しそうに呟く。

 かって半年間軟禁状態だった僕達にとって、一日中家に閉じこもっている事は何でもない。三人ともいろいろクラスメート携帯とかでお話ししたりして時間潰していた。その合間に僕は純ちゃんがいつ帰ってきてもいい様に、純の部屋を綺麗に掃除。でも、流石に純ちゃんの香りが残るベッドを整頓した時は、たまらなくなってベッドに顔を埋めた。
 とにかく僕達は下に降りてライ先生達の顔とか見たくなくて、食事はホカ弁等で済ませ、風呂もシャワー程度で済ませた。でも、皆純ちゃんの事や、陽子ちゃんと真琴ちゃんの事が頭から抜けきれず、口数も少なかった。待ってあげよう。とにかくあの二人が帰ってくるまでは…。
 そして三日後の夕方、
「ゆっこ!大変!!」
 僕の携帯からともこちゃんからの悲鳴が聞こえる。
「朝霧君達が、お金取られたの!みけとますみも!放課後変な人達に囲まれてさ!」
 僕は携帯を持ったまま、返事をするのがやっとだった。たぶんあいつらだろう!僕が顔見せなかったら、今度はクラスメート達を!
「ねえ…み…みんなは大丈夫なの…」
「お金渡したら帰っていったみたいだけど、どうしよう、これから毎日来そうな気がする」
「警察には、誰か話したの」
「みけちゃんが警察に通報したの。朝霧君達と一緒に被害届は出したんだけどさ…」
 二、三お話しして、電話を切った後、僕は三日ぶりにゆり先生達のいる地下室へ電話した。ゆり先生も再度警察へしてみるとか言ってたけど…。でもそれよりも!
「ゆり先生!まだ怪物居座ってるの!」
「ライ先生?まだいるわ。いろいろあなた達の診察記録とか見てる」
「僕、怪物がいる間は下に行かないからね!なんでクビになってまでさ、そこまで付合うの!?」
「ゆっこちゃん、またそんな事…」
 ゆり先生の言葉途中で僕は受話器を置いた。
「ゆっこ、そろそろ二人帰って来るんじゃない?」
 そういえば、今日は三日目だった。本当すっごく長い三日間だった。大丈夫なのかなあの二人…。
 その後、中村君とか佐野君とかも話したけど、やっぱり犯人はあのパーティーをぶちこわした奴等だったみたい。純にひどい目に会わせ、クラスメートにまで!再び怒りが込み上げてくる!僕は悔しくて悔しくて、手をぎゅっと握って肩を振るわせた。とその時、
「ゆっこ!帰って来たみたい!」
 廊下の窓を覗いていたまいちゃんが声を上げた。ともこちゃんと一緒に僕はその窓から外を覗くと、夕暮れの中、一台のロールスロイスと二台の車が玄関に止まっていた。大急ぎで下に駆け下りると、不安顔をしたゆり先生と美咲先生と鉢合わせ。陽子ちゃんと真琴ちゃんが暗い顔をして玄関から入って来る事を予感して皆玄関先に並んだ。ところが!
「おじちゃん!おじちゃん!」
「おじさん!もう帰っちゃうの!?」
 え?おじさん!?て…
 玄関からは、あの黄色のチャイナ服を来たあの巨大なまず男が、二人の赤のチャイナ服を着た女の子二人を一人ずつ腕にぶらさげ笑顔で意気揚揚と入って来た。丸いおだんごみたいに髪を整えられたその女の子は、まさか!陽子ちゃんと真琴ちゃん!?
「ゆっこー!ただいまー!とーっても楽しかった!」
「美咲先生!ただいまーっ!堀さーん!後でおみやげもってくね!」
 相変わらず怖い目付きで、荷物を持ってついていくちょび髭の蛇男。そいつと、二人をぶら下げたなまず男が地下室へ消えて行くのを、僕達は口をぽかんと開けて見ていた。
「どういう事…これ…?」
「ともかく、無事だったみたいね…」
 ゆり先生と美咲先生が、ともかく顔を見合せてほっとしていた。

チャイナ真琴/月夜眠
チャイナ真琴 / 月夜眠


「…はい、これ美咲先生。いろんな生薬とか入った基礎化粧品のセット。いつも疲れてるからさ、これでお手入れしてね」
「それで、これがゆり先生。すごいんだよ、天然ローヤルゼリーだけで作った錠剤!大きな瓶でしょ。日本で買うと十万するんだって!」
「それで、これが…」
 ゆり先生の部屋に集まった僕達に、大きなトランク二つ分のお土産を一つ一つ説明しながら手渡して行く、可愛い姉妹の様な中国娘になった二人。チャイナ服におだんごになった髪に綺麗なデザインの髪飾り。顔はつやつやして、チャイナから出る手と足もすべすべに。なんか、なんかちょっと羨ましい!
「ねえ、二人とも、あたし達本当に心配してたのよ!変な事されてないかとか、苛められてないかとか、夜にさ、その、嫌な事されてないかとかさ…」
 一応二人のトレーナーである美咲先生が、半分怒った様に話す。
「え?ねえ真琴。何か変な事されたっけ?」
「ううん、別に。あ、あの夜は僕の方から一緒に寝たげるって言ったもん」
「ええ!あんた!あのなまずと寝…」
 ゆり先生の言葉に真琴ちゃんがむっとなる。
「なまずなんて!変な事言わないでよ!とってもいい人なんだよ。貧しい人達の為に、悪い人をこらしめるのが趣味なんだって!それでさ、いつも誤解されててとっても寂しい人なんだよ。一緒に寝てあげたけど、体のマッサージしてあげただけだもん!」
「そう、チャイニーズ・チュウジ・クニサダとか言ってたよ。とっても面白いお話しとかも一杯してくれてさ。あたし連れて行かれて、空港へ行く車の中でもう、あのおじさんの事大好きになっちゃった。いろんな所に連れていってくれて、そして一日かけて、香港の女性用の高級エステのコースまで受けさせて貰ったもん」
「もう!だったら最初からそう言ってくれればいいのに、もうーっ!」
 美咲先生が大声でさけんで、傍らに倒れる様に寝転がった。二人の事一番心配してたかもね。そんな事なら僕が行きたかったよ…
 その時ガチャッと戸の開く音が、そして
「あ、おじさーん!」
「おじちゃん!」
 入って来たなまず男に、二人がまた腕にぶらさがる。
「また香港行きたい!」
「ねえ、今度いつ行っていい?」
 そしてその後に、あの怖い蛇男の姿が。と、あろう事か二人とも今度はその蛇男に群がる。
「あ、ハンおじさんだ。すごいんだよこの人。ナイフの名人なんだもん!」
「皆に見せたかったよー!、十Cm位の的をさ、ナイフ投げて次々命中させんだよー!」
 すっかり子供みたいにはしゃぐ陽子ちゃんと真琴ちゃん。蛇男が微かに笑った様な気がした。
「オジサンイソガシイカラネ、ナカナカアソベナイヨ」
 なまず男の手が陽子ちゃんと真琴ちゃんの脹らんだ胸に触れた。
「あー、おじちゃん触ったー!」
「おじさん、エッチ!」
 嬉々として二人は声を上げる。
「あのさー、僕達いずれ女の子にされるけどさ、いいでしょ?また遊びに行っても?女の子になったら嫌いになるの?」
 香港のマフィアボスをじっと見つめ遠慮無く喋る真琴ちゃん。陽子ちゃんもじっとそのなまず男を見つめていた。
「ワカタワカタ、マタクルヨロシ、ダイカンゲイアルネ」
「本当!?」
「やったー!!」
 その一連の騒ぎをゆり先生以下一同が冷めた目をして見ていた。
「それで、あの、おじさん。純ちゃんの事…」
 陽子ちゃんがちょっと申し訳なさそうに話し始める。
「オー、キミタチノオトモダチノコトネ」
 なまず男の声が大きくなった。
「ダイジョウブ!マカセルアル!アソンデモラッタオレイアルネ!オトモダチノテキ、ソレワタシノテキ、アルネ。タイジョウブ、ハン、モウウゴイテル!」
 ハンと呼ばれたその蛇男が僕達に軽く目礼した。

 香港マフィアを玄関へ送りだし、彼らを乗せた三台の車が遠ざかり、真琴ちゃんと陽子ちゃんがあのままの格好でいつまでも手を振っていた。とその時、
「あ、あたし、ライ先生にお礼言わなきゃ」
 ゆり先生がふと我に返った。
「そうだ!あの人達呼んだのライ先生だもん!僕もひどい事言った事お詫びしなきゃ…」
 大急ぎで皆地下室の階段を降りるけど、そこにライ先生はいなかった。鞄もコートも無い事みると、まさか今の車で。
「ミサ、行ったみたいだわ。メモが有る。私、まだ許されてないみたいだけど…」
(ミサキ、フツカゴ、ケンキュウシツマデ、レンラクセヨ)
 美咲先生のみに残された下手な日本語のメモがそこに有った。

「ゆっこ!ハンさんの手下の人から電話が有ったの。手伝ってくれって!」
 陽子ちゃんが僕の部屋へ飛び込んで来た。その日の夜八時、とりあえず、僕は明日から、ともこちゃんとまいちゃんは、明日の午後からとりあえず学校へ戻ろうか?とか話ししていた時だった。
「手伝ってくれって、何すればいいの?」
「とにかく、今すぐともこさんとまいさんと一緒に、渋谷のマック前に来てくれって。あ、ゆっこは学校の制服着て来いって。その後はまた電話するって!私も行くわ」
「あ、僕も行くよ!」
 私服に着替えたばかりで、部屋の外で聞いていた真琴ちゃんも行きたがる。

 大急ぎで身支度をして、渋谷のマック前で寒い中震えていると、陽子ちゃんの携帯がまた鳴り出した。
「ねえみんな、今から駅方面へ行って道玄坂をずっと上がれって。ねえ、こんな夜中やばくない??」
「とにかく言われた通り行こうよ。今は信じるしか…」
 僕達五人は言われた通り歩き出す。十二月始めの今、街の空気もとっても冷たい!特に今日は今までに無い寒さ。その寒気が女の子の肉体になりつつある僕達を攻める。女の子は脂肪が厚いから寒くないなんて…。
「もう!誰だよ!女の子は男よりも寒がらないなんて言ったの!」
 ともこちゃんもまいちゃんも、ストッキングで包まれた足を擦り合わせる様にして時々暖を取った。そんな僕達を陽子ちゃんと真琴ちゃんが不思議そうに見る。
「陽子!真琴!来年の冬覚悟しときなよ!本当寒いんだから!」
 見つめる二人に僕は悔しそうに言い放つ。

 道玄坂も上の方へ行くと、だんだん人が少なくなってくる。心細くなってきた僕達に再び携帯で指示が有った。
「大急ぎで通りの反対へ渡って、駅の方へ引き返せって…」
 半信半疑で言われた通りに行動する僕達。その直後数人の人々が、やはり僕達と同じ様に道路を渡り、車のクラクションが鳴り響いていた。
「私、さっきから気付いてたの。複数の人が私達の後をつけてるわ」
 敏感なともこちゃんの感覚はまだ生きていた。でも、それが誰なのか分からない。ハンさん達ならいいんだけど、それとも!?まさか!?
「ゆっこ、また来たよ。駅の近くの○○って喫茶店に入って休憩しろってさ」
 一体何が起ころうとしてんだろ。震える体で指示された喫茶店に入り、暖かいコーヒーをオーダーして暖を取る僕達。時折喫茶店の内外をじっと見渡している。と、ともこちゃんが小声で、かつ厳しく僕達に話す。
「ゆっこ!今、あの女が喫茶店の外に!」
「え!?誰!」
「パーティーの時、女の子達からお金とろうとしたあいつ!シッ、見ないで。知らないふりした方がいいと思う!」
 やばいよ、このままだと囲まれるかも!しかも、あの時暴れたのがここに三人、ちゃんと集まってるし!
「みんな!気付かないふり!」
 すっごい緊張感が僕達を襲った。そしてまた陽子ちゃんの携帯が…。と陽子ちゃんの顔色が変わった。
「みんな…、今から喫茶店出てさ、JR横の公園に行けって…どうする!あの悪ども、ひょっとして見張ってるかも…」
「い、行こうよ。とにかく信じようよ!」
 もう夜の十一時。平日の夜だけあって人通りもすごく少なくなってきてる。しかも誰か見張ってるかも知れないしさ!
 とにかく会計済ませて、僕達は半ば走る様に指示された所へ向かった。そして、僕の耳にも複数の人間が後をつけてくる気配が!ああん!どうしよう!
「ゆっこ!また電話来たよ。そこの入口から入って、一番奥のベンチに全員で座れって。ゆっこ!ハンさんの仲間の人も近くにいるみたい!」
 少し安堵したけど、やはり不安は拭いきれない。とにかく人が全くいない暗い公園のベンチで、寒さと恐怖にぶるぶる震えていた。
 予感は的中した。足跡と共に、薄明るい公園のライトに照らされて現れたのは、あの日僕がサラダボールを被せたあのナイフ男だった。
「へっへ、とうとう追い詰めたぜ。さんざん逃げまくりやがって!寒くて仕方ねぇ!おや、そっちも震えてるみたいじゃん!」
 次々とあの時の悪共が姿を表した。とうとう囲まれたみたい。そのうちの一人が嫌らしい口笛を吹きながら、臭い息を近づけてくる。
「よーよー、おねーちゃん達、ひっさしぶりー。ねえねえ、今日何しにきたの?」
「おいおい、震えてるよ。寒いのかな?それとも俺達怖いのかな?」
「あ、思い出したよぉ。あのバケモノ女、かわいそうだったよね。とっちゃんにお腹潰されてさ、ねえねえ、今どうしてんのさあ?」
 ガムをくちゃくちゃさせながら喋ってるのは、あ、あの女だ!たぶんあの時純ちゃんにビンタ食らわせた。もう!むかつく!手を握って僕は怒りでぶるぶる震えた。その時、とうとう、あの(とっちゃん)が公園の入り口付近から姿を表した。小太りで目がねかけて、何か茶色っぽいスーツで、悪のリーダー気取ってるつもりなんだろ!
「おい、遊びは無しだ。早く潰しちまえ。おっと五人?か?まあいい、まとめてやっちまえ、面倒にならないうちにな。先にそこの弱そうなのからやれ」
「あーい!おいそこのガキ、こいよぉ」
 数人がまず真琴ちゃんを掴みかかる。
「何すんの!やめなよ!」
 止めようとする僕達は、たちまち十人位のそいつらの仲間に囲まれる。抵抗するけど、流石にこの人数だとどうにもならない。とうとう全員が手をねじられてしまう。
「真琴!早く逃げて!!」
 その時、すさまじい悲鳴が上がる。一瞬どきっとしたけど、それは真琴ちゃんの悲鳴じゃなかった。見ると、いつのまにかスーツにノーネクタイのハンさんが、煙草を咥え、目をぎらぎらさせながら真琴ちゃんの横にいた。その足元では、一人のチーマーが、逆に折れ曲がった手を押さえ、唸っている。そして真琴ちゃんに手をかけようとした数人が後ずさりして、遠巻きにしていた。
「あーあ、ったくしようがねえなあ!」
 大胆にも(とっちゃん)がハンさんの前に煙草を咥えながら歩んで行く。それを、後ろ手にやはり煙草を咥えながら、ハンさんが睨んでいた。とっちゃんは煙草を手に持ち、不敵にもハンさんに微笑む。
「あのさ、どこの誰か知らないけどさ、邪魔しないでくれる?俺達は悪い女達こらしめてるんだからさ。ほらこれ渡すからさ」
 (とっちゃん)はポケットから一万円札の束を片手で取りだし、ハンさんの足元に投げた。
「興味が有るんだったら、ちょっと離れて見ててよ。それと、出来れば終るまで待っててよ。お話ししたいからさ」
 ところが、ハンさんは煙草を咥えたまま(とっちゃん)をじっと睨んだまま。そして口元にはっきりと笑みが。
「ハンさん、怒るとあんな顔になるらしいよ…」
 小声で僕に陽子ちゃんが囁く。バカな(とっちゃん)それを同意と見たのか、事も有ろうにハンさんに煙草の煙を吹きかける。
「よし、決まりだね。どいてくれないか。僕と友達になれて、君はラッキーだよ」
 しかし、ハンさんはそこを動こうとはしない。(とっちゃん)がいらいらし始めた。
「おい、こいつをどかせろ。わからせてやれ」
(とっちゃん)はくるっと後を向き、回りを数人が、ちょっと遠巻き気味にし、そして一斉に飛びかかった。
「あ!」
 思わず悲鳴に似た声を上げる僕達、でもハンさんは瞬く間に二人を一撃でノックアウトし、三人目の手を取る。骨の折れる鈍い音がして、そいつも転がった。残りは数歩後ずさりして怯えながらハンさんを見ている。それを見た(とっちゃん)は明かに動揺していた。
「おい、誰かこいつに言ってやれ!俺達に逆らうと警察が黙ってないぞって!」
 僕の頭の中でもやもやが吹っ切れた。やっぱり!やっぱり!こいつら警察と繋がってたんだ!でも、そうだとしたらどうするの!?
 その時、ハンさんが手をすっと上げた。すると、あちこちの茂みや公園の入り口、そして裏の自転車駐輪場からぞくぞくと人が集まり始める。その数、何十人も。殆どの人が中国系の人に見えた。中には青竜刀持っている人もいる。たちまち(とっちゃん)達はその人達に取り囲まれた。(とっちゃん)の仲間の顔には明かに恐怖の色が浮かんでいる。
 僕達はその隙に奴等から逃れ様ともがいた。
「ま、まてこの野郎!」
 恐れを顔に出したままそいつらは僕を掴む手に力を入れた。がその瞬間その手が自由になる。そして、ちょっと恐い制裁が始まった。僕達を捕まえていた連中は瞬く間に、集まったハンさんの手下に袋叩きに会い、声も出ず地面に転び、動けなかった。陽子ちゃんを押さえていた数人は、両手を捕まえられたまま、袋叩きに、そして。
「キヤッ!」
 陽子ちゃんが声を上げると同時に、骨の折れる音が無気味に響き、血だらけになった数人が死んだ様に転がる。
「ハ、ハンさん、ちょっと…」
 真琴ちゃんが声を掛けるが止まらなかった。
「お、おまえら!警察が黙っちゃいないぞ!警察に!」
 半分狂った様にわめく(とっちゃん)は瞬く間にハンさんに捕まり、さんざん撲られそして血だらけで動かなくなった。ポロ雑巾の様になったそいつは、数人に引きずられ、僕達の座っているベンチの前にどさっと投げ出された。
(どうぞ。思う存分撲れ)
 ハンさんの目がそう言ってた。でも僕達は手を口に当て、目を反らしていた。その時隠れていたのだろうか、二人の女が公園入り口向って逃げ出す。
「あ、あいつら逃げる!」
 まいちゃんが叫んだ。しかし、ハンさんはポケットに手を突っ込み、二人の方向に向った。
「ち、ちょっとハ、ハンさん!」
 真琴ちゃんが再び叫ぶ中、あろう事かハンさんが二人に向って投げたのはナイフだった。二人の金きり声が上がり、暗闇の中女チーマーが倒れる。手下に引きずられてきたその二人の肩には、グサリとナイフが突き刺さっていた。
 あまりの事にまいちゃんとともみちゃんが泣きべそをかきはじめる。そしていつの間にか、大きな運送トラックが公園に入って来た。そしてたくさんの人が瀕死のチーマー達をトラックに乗せ、残りの人々が公園内の血痕を砂ごとかき集め、袋に入れ、トラックに乗せる。僕達の前に転がっていた(とっちゃん)も再びボロ雑巾の様にひきずられ、まるで荷物でも載せる様に乱暴にトラックに放り込まれていた。
 トラックが走り去り、何十人もいたハンさんの手下は瞬く間に消えた。最後残ったハンさんは、落ちていた(とっちゃん)の遺品の札束を拾い上げ、怯える陽子ちゃんの横に丁寧に置き、そして僕達に目礼して去って行った。
 その間僅か一五分位の出来事、あたりには再び静けさが戻った。僕達の緊張が、やっと今になってぷつっと切れたみたい、
「あーん!恐い!恐かったぁー!恐いよー!!」
 僕達は今更の様に抱き合って恐怖で大声で泣き始める。暫くたって、公園の入り口から二人の人影が懐中電灯を手に入って来る。それはよく見ると警官だった。
「どうかしましたか」
 一人が僕達に声を掛けてくる。もう一人は公園中を懐中電灯で照らしている。なんでも女性の悲鳴が聞こえたとの通報が有ったので掛け付けてきたらしい。
「先程悲鳴が聞こえたとの事ですが、心あたりありませんか」
 警官の問いに、ちょっと機転を利かせて僕が手を上げた。
「さっきそこでたくさんの男の人達が喧嘩していたみたいで、あたし恐くなって…」
「悲鳴を上げたのはあなたですね。喧嘩の様子はどうだったですか」
「あの、恐くて目を伏せてたんで…」
 その横で、もう一人の警官が無線で連絡を取っていた。
「現場に到着、目撃者の女性から少年グループ同士のいざこざが有った模様。遺留品無し、血痕無し。少年達は既に解散した模様。悲鳴はその現場を目撃した女性五人のうちの一人と見られます。いつもの小競り合いかと見られます。どうぞ…」
「ここの公園ではこんな事珍しくないからね。夜はともかく、昼もあまりここには来ない様にしたほうがいいよ。お嬢さん達、もう時間遅いから早く帰りなさい」
 警官達はそう言い残し去って行った。

「ゆっこちゃん!ちょっと!」
 朝、登校の身支度を調えていた僕をゆり先生が呼び止めた。ゆり先生の持つ新聞には、
「あ!これ…」
 てっきり昨日の公園の事が載っているのかと思ったけど、載っていたのは更に驚くべき事だった。
「特定少年グループから賄賂!警官関与か?」
「警察幹部含む五人を逮捕!」
 記事には、警察の警部補クラス一人を含む五人の顔写真が載っており、少年グループは海外へ逃亡か?と書いてあった。たちまち他の四人もテーブルの上の新聞に群がる。
「あ!この人!」
 逮捕された警官は、僕とかゆり先生が事情聴取受けた人の一人。ひどいよ!こんなのって。
「多分、警察とかマスコミに情報持ち込んだのも、ハンさんの手下の人だよ」
 陽子ちゃんが呟く。その後新聞を持って皆僕の部屋に入り、純ちゃんと僕の写真の入っているフォトスタンドの前に集まった。
「純、早く戻ってきて。もう恐い人いないからさ。ねえ、純」
 フォトスタンドの中の純ちゃんが、一瞬微笑んだ様な気がする。

 その日、学校で僕は絶対口外しないという事を約束させた後、みけちゃん、智美ちゃん、そしてますみちゃんだけに全てを話した。登校時にも学校前にたむろしていたチーマー風の奴等は今日は全く姿を見せない。話を聞いた三人はずっと重い表情で口数も少なかった。
「ゆっこ、元気だしなよ。いなくなった訳じゃないじゃん」
 みけちゃんが逆に僕を励ましてくれた。

 毎日来ていた純ちゃんのクラスメートも、日を追うごとにだんだん少なくなっていく。実際来てもらうのも何だか気の毒だし…と思っていたけど、さすがにとうとうある日誰も来なくなった事をゆり先生から告げられた時、すごく悲しくなった。なんだかこのまま純ちゃんが皆に忘れられていきそうで…。

 純がいなくなった事で落ち込んでいる皆の為に少しでも楽しい事をという事で、美咲先生主催で早乙女クリニックでクリスマスパーティーを催す事になった。そうそう、これは陽子と真琴のトレーニング終了記念の代わりにもなってるんだ。純の事さえ無かったらちゃんとしたパーティーになっていただろう。
 智美ちゃん達三人も招待し、大きなケーキとか美味しそうな料理とか、珍しいお菓子とかがテーブルに並び、皆しばし悲しみを忘れた感だった。クリスマス時はとっても忙しい河合さんは来れなかったのが残念だけど。
「ちょっと待って!」
 皆がいろいろ食べ様とした時僕が大きなケーキから美味しそうな所を切り取って皿に盛り、そっと持ってきた純ちゃんの写ってる写真の入ったあのフォトスタンドを横のテーブルに置き、その前にケーキを置いた。
「これもいるよね…」
 まいちゃんが、純ちゃんの大好きだったオレンジジュースをコップに入れ、ケーキの傍らに置いた。
(純、絶対戻ってきてよ)
 僕は少女らしく白く細くなりつつある手を合わせ、無事に帰って来る様お祈り。先生達を除く全員がフォトスタンドに手を合わせた。
「ち、ちょっとあんた達何て事してんのよ!」
「みっともないからやめてよ!まるで、純が…死んだみたいじゃない!」
 ゆり先生達が慌てて僕達を制するけど、
「いいじゃん、これが僕達のやり方なの!」
 暫くの間僕達は手を合わせ続けた。

 ゲームをして、お喋りして、TVを観て。プレゼントの交換会も、ちゃんと純ちゃんを入れてあげたし、とにかくパーティーは一応楽しく過ごせた。
「陽子、なんかすごく可愛くなったよね。それにしてもさ、あなた本当に渡辺君なの?」
 みけちゃんが今更の様に二人をまじまじと見つめる。
「やだよ、みけちゃん。真琴って呼んで…わっ!」
 その時、ますみちゃんが後から真琴ちゃんの胸をぎゅっと掴む。
「渡辺君!みけちゃんなんて気安く言うんじゃないですよ!あんたは女の子としてはあちき達の後輩なんれすから!」
「如月さん…ちょっと、やめて…」
 胸に感じる不思議な感触に真琴ちゃんが抵抗する。彼女?を苛めるますみちゃんも、顔も何故か彼女?を祝福している様に微笑んでいるみたい。
「あたしも触ってやろ」
 智美ちゃんも真琴ちゃんに襲いかかった。
「わ、渡辺君!これ本当に自前?パットじゃないの!?悔しい!あたしと大きさ変わらないじゃん!」
「ねえ、智子、そろそろやめたげなよ」
 陽子ちゃんが笑いながら智子ちゃんを制する。ところが…
「陽子もさ!いつの間に胸そんな大きくなったのさ」
「あ、ちょっと、智美やめて!」
「なんでさ!なんで男の子の方があたしより胸有るのよぉ!」
「陽子しゃんだって、まだ男の子なんしょ!あちきより可愛いなんて許せないですぅー!」
 悔しいって表情の中に半分笑みを浮かべ、今度は陽子ちゃんを襲い始める智美ちゃん。とますみちゃん。そんな彼女達を僕と、まいちゃん、ともこちゃんは、先生達と一緒にその光景を呆れ顔で見ていた。
「あの子達って、皆ゆっこのクラスメートだよね」
「女って、男いないとすごく狂暴に…」
 半分女の子になった僕は、まるで人事の様に呟く。その時、みけちゃんが忍び足で真琴ちゃんの後ろに回った。
「まーこーとっ!」
 みけちゃんの白い手が、真琴ちゃんの赤いセータの下から滑り込み、真琴ちゃんの付けてるブラのカップの中へ。
「キャー!嫌っ!」
 一瞬皆の動きが止まる。
「ね、聞いた聞いた!?真琴が女の悲鳴上げた!」
 みけちゃんがけらけら笑いながら笑い転げるのを見て、美咲先生がちょっとまじな顔で陽子ちゃんと真琴ちゃんを見た。
「こんな形がいいのか分からないけど、真琴も陽子も純の敵を取ってくれたんだよね。本当は純ちゃんが帰ってくれはもっと良かったんだけどさ」
「ねえ、美咲先生!純ちゃんどこにいるのか、本当にわからないの!?」
 急に思い詰めた様に陽子ちゃんが尋ねる。でも先生はうつむいて顔を振るだけだった。
「元気らしい事だけは…。ライ先生に尋ねたんだけど、それしか答えてくれない…」
 あまり今日はなるべく純の事は忘れようとしてたのに、また空気が重くなってしまった。美咲先生が続ける。
「陽子、真琴。チョウさんに連れて行かれた時、怖かったんでしょ。純の事を思って我慢してくれたんだよね。そうね、卒業試験前に何日か休みあげるわ。どこか遊びにでもいってらっしゃい」
「え!本当!」
「嬉しい!!」
 同時に歓声を上げる二人。僕はそんな二人を羨ましげに見つめる。
「何よ、美咲先生、陽子と真琴だけにやけに甘いじゃん」
 僕は膨れっ面をして、テーブルの上のケーキの残りを一息に平らげた。しかし、実はこの事が後に二人の先生を悩ます事になるなんて…。

 

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