俺の中学3年の時の正月、突然フリージャーナリスト親父からとんでもない相談が持ちかけられた。
以前から願っていたアメリカのジャーナリズム学部の有る大学へ留学させてやっても良いという事。俺は親父の目を見て酔ってないかどうか確かめたがどうやらシラフらしい。但し、その条件を聞いて俺は引いた。
「伊豆に有る早乙女美咲研究所という所に研究生として入学し、実情を掴んできて欲しい」
「それ何?」
「良くはわからんが、何かの宗教施設かもしれんな」
「何をやってるとこなんだよ」
「それが…」
親父は言いにくそうにしてたが、グラスのウイスキーを一のみして重そうな口を開き始める。
「多分特ダネ物だ。実情は知られていないが、取材しようとすると何らかの妨害が入りよる。しかも日本じゃなく、海外からな…」
「だから、何をやってるんだよ、そこってさ…」
親父は背後を見渡し、キッチンにいる母親の注意がこっちに向いてない事を確認すると、俺に顔を近づけ手招きし、俺に耳打ちをした。その途端俺は大きな意味不明の声を上げる。
「何よもう、突然大きな声出して…」
母親の声を気にしつつ、俺も小声で親父に聞き返すが、親父は片目を一瞬閉じ、肩越しに階段を見て顎を上げ、
(続きは俺の書斎で)
と俺に合図した
「それ、元に戻れるんだよね?」
「ああ、ようやくそこの研究生一人探し出して裏は取ったよ。1年以内なら確実に元に戻れるってさ」
「でもさ、いや、信じられないんだけどさ、確かに今男の娘とか流行ってるみたいだけど、本当の女になるって聞いた事ないぜ」
俺と親父以外誰もいない書斎であえて声を殺して話す俺。
「悪い事はやってないんだろ?」
「だからやりづらいんだよ。事件性が有れば俺が真っ先に飛んでいくんだが…」
「無理やり事件にでもすんの?」
「それはまあ、お前のレポート次第だ。前に俺が追ってた件で、表向き真面目な施設が実はってのがあっただろ。あれ暴いた後編集長から、今度これやってくれって一年前頼まれてさ。いろいろやってはみたんだが…」
階下で母親の観る正月番組の笑い声が聞こえる中、しばし二人沈黙の後再び会話が始まる。
「やっと見つけた手がかりの女もあまり多くは喋らないんだけどさ、話しの中で、もし男性があそこで1年暮らしたら、女の事が絶対良く分かるって言ってたんだ。お前彼女から良く言われてんだろ?女の事わからない奴ってさ」
「なんでそんな事知ってんだよ!親父!」
軽く親父の手をパンチする俺。只、そういう事なら…
「なあ、やってくれんか?俺にもかなりの報酬が見込まれる。事件性が発覚したら二年は持たせるさ。まあ向こうの大学出るまで面倒みてやるし」
「ヘリの免許も取らせてくれる?」
「日本じゃいらねーだろそんなもん…わーったよ。ヘリの免許付きな」
でも心なし不安が有った俺は即答を避けた。
「一月の末までに、やるかやらんかはっきりしてくれ…」
「涼平!」
その日の午後、人でごった返す正月の原宿駅改札前。時間通りに来た俺に三十分遅れで理紗の声が俺に飛び込んでくる。
「なんだよ、初っ端から大遅刻かよ…」
「いいじゃん、振袖なんだしさ」
「それ高いんだろ…」
そう言う俺にいつものむっとする顔を向ける理紗。
「なんだよ、正月早々…」
手を繋ごうとする俺の手を軽く払いのける彼女に俺はつい文句を言ってしまう。
「付き合って一年経つのに、全然変わんない…」
あさっての方を見ながら独り言を言って、ようやく俺の手を握る理紗。
「朝早く起きて支度して、美容院行って、大変だったんだから…」
「あ、そりゃご苦労さ…」
「可愛いとか、綺麗とか言ってくれてもいいじゃん!」
「あ…」
言葉を失う俺の手を引いて、人込みの駅前商店街の中に突進する理紗。
「理紗、可愛いよ」
「あれ、今日素直じゃん…」
ようやく機嫌を取り戻した彼女は急に笑顔になり、俺のジャケットに振袖をからませた。
いつもは長い黒髪を今日は振袖に合わせてアレンジして大きな花のコサージュを付けた理紗。学校でも成績は上位でお嬢様の雰囲気の有る理紗。つい一週間前去年のクリスマスに彼女の部屋でお互い抱き合った時の彼女の甘い処女の香りが今でも忘れられない。
大人びた顔は今年中学三年生には見えない。二人並んで歩いていると、俺よりもずっと年上に見えるかも。
醤油の焦げる臭いと護摩を燃やす煙の臭いの充満する神社で軽く新年の挨拶をした後、理紗がむずがるので、俺達は早々と近くの喫茶店に避難した。
「やっとトイレ行ける。神社とか汚いし…」
席に座るやいなやそう言い残してトイレに行く理紗を目で追いつつ、俺は自分に直面しつつある今後の事を思う。
女って大変なんだと思いつつ、又今後の事をどうやって理紗に説明しようか…。
振袖を重そうにして小股で戻ってくる彼女が席に座り、コーヒーとケーキをオーダーし、ようやく二人とも落ち着きを取り戻す。と例の話は俺が話しかける前に彼女から切り出してきた。
「ねえ、涼平、留学の話は決まったの?」
大きな丸い目で俺を見つめ、興味津々で話す理紗に、俺はちょっと目をそらした。
「えー、だめになったの?まあそれならそれでいっか。涼平と離れなくてすむから」
「いや、そうじゃなくてさ…」
「え?」
俺は目の前のケーキ皿から残ったチーズケーキの大きな破片を一口でほおばり、コーヒーを飲んで続けた。
「多分一年延期になる」
「え、じゃ来年どうするの?」
コーヒーカップを口元で止めて俺を見つめる彼女に俺はちょっとためらい口調で続ける。
「多分、一年、その、…語学研修になると思う」
俺の言葉に理紗はふぅーんという表情で俺を見つめる。
「どこで?」
「まだ決まってない」
「それならあたしん家に毎晩来ればいいじゃん。うちの親も涼平の事知ってるし…」
確かに理紗は英語テストは殆ど満点取る程得意だ。しかし…
「いや、それはいいよ。迷惑だし」
「別にぃ?」
俺はともかく何とか理紗をなんとか交わそうとして、理紗の機嫌を取ろうとした。
「あ、あのさ、俺女の事わかってないってさんざんお前から言われ続けたろ」
「別に慣れたからいいよ」
理紗はそう言ってやっとコーヒーに口を付ける。
「その語学研修とやらが終わったら少しは女の事わかるかも…」
その言葉に理紗の目が鋭くなった。
「どうゆー事…、あ!まさか女の家庭教師が来るか、その家に行って!」
声を荒げてそう言い、乱暴にコーヒーカップを置く彼女
「バカ、そんなんじゃねーよ」
冷静を装いそう言う俺に、理紗は意地悪そうな目を向ける。
「ふーん、何やんのか知らないけど、まあやれるならやってみなさいよ。時々会えるんでしょ?どこまでわかったか試してやる…」
そう言って意地悪そうに笑う理沙にほっとする俺。まあ、なんとか暫く会えない言い訳は出来たわけだ。
早々と親父に承諾の旨を告げ、皆が高校受験に忙しい中、俺は学校に来年は留学に向けての準備期間にすると報告し、残り数ヶ月を悠々自適に過ごす事にした。一部クラスメートからはかなりイヤミを言われ、やはり名門女子大付属高を狙っている理沙からも呆れた目で見られたが、そんなのは気にしない。俺には今後なんだかすごい事が待っている気がするしね。
「おーい、届いたぞ」
2月の始めの土曜日。家で親父の声と共に渡されたぶ厚い封筒。
「協力者の話だと入所試験に関しては面接と作文らしい。これ模範解答の資料だって金かかってんだからさ、ちゃんと受かれよな」
俺は軽い気持ちでそれを受け取って自分の部屋で封を空け、中を読み始めた。しかし、五分程で頭をかきはじめる。
「えー、世の中に普段こんなこと思ってる男の奴っているの??」
女の子になりたい…、物心ついた時から人形遊びしてた…、スカートはきたい…綺麗になりたい…、俺からしてみればまるっきりの変態じゃねーか。しかも、
男の子が好きだった…、男の子と手つなぎたかった…、好きな男の子の事知りたかった…、ダンスの時女の子側に行きたかった…等…
「ちょー、親父!俺にこんな男を演じろってゆーのかよ!」
全身に寒気を感じた俺は資料を掴み、親父にやっぱり辞める!と言おうと部屋を飛び出した。しかし、よく考えたらこの一ヶ月高校受験の勉強なんてしてない。テストも適当に受けてたから成績、内申書と共にあまり良くないだろう。それに、やっぱり留学したい。女の子からちやほやされたい。
部屋に戻った俺は自分に言い聞かせた。
「一年がまんすりゃ、俺の天下が来るんだ」
とにかく暗記ものだ。社会科科目みたいに言葉を覚え、国語、古文感覚でそこに書かれた変な奴らの文章を理解し、英語みたいに文法を憶えりゃ…。まるで法律を憶える司法試験みたいだった。
そう割り切ったせいか、俺の頭の中にはその資料の中身を二月の末までにはあらかた頭に入ってた。もっともそれは苦手科目を克服する以上に俺にとっては辛い勉強だったけどね。
そして、とうとう2月の末に面接の日が決まり、自由作文を三日の期限で郵送する事になった。はははっ、たった三日で書けというのは、試験対策かなんかをしている奴を落とす為なんだろうか。まあこちらは対策万全だけどね。
メールにて指定された駅前の雑居ビルの一室に呼び出された俺。時間通りにそこの部屋に行くと、なんと一人のゴスロリ服を着た、可愛いけど明らかに男とわかる奴が、目を指でぬぐいながらドアから飛び出し、俺の脇を駆け抜け、階段を降りていった。
(あ、やべぇ、まさか女の服で来なきゃいけなかったのかょ)
そう思いながら神妙にドア横の椅子に座った俺に程なくドアの奥から声がかかった。
「倉田涼平さん、お入りください」
部屋には机と椅子のみ置かれ、そこに座っているのはロングヘアの女性と、ボブヘアの若い女の子だった。
挨拶の後椅子に座り、俺は服装について弁解したが、
「構いません。女子の服装で来る必要はないです。興味本位でこの施設に入所されても、後々その方の為にはなりませんから」
ほっとしてる俺にロングヘアの女性は続ける。
「この施設は、女性らしくなる為ではなく、本当に女性になりたい方の為の施設です。男性と違い、辛い事の多い女性の生活に本当に馴染める方のみ入所頂く事になります。ですが、そのあたりを勘違いされている方が…」
そういってその女性はドアの方をちらっと見て続ける。
「最近多いので…」
(やべぇ、俺なんてそれ以下じゃん)
俺はやばい所に来たと少しの間気が気で、数度のその女性の問いかけが耳に入らなかった。
「倉田さん?」
「あ、はい!」
慌てて返事する俺に、横のボブヘアの女性がにっこりする。
「大丈夫、緊張しないでいいからさ」
冷や汗を掻いている俺に早速面接が始まる。
「倉田涼平さんの作文読ませて頂きました。いろいろ質問したいのですが…」
一時間に及ぶ面接。今までの努力の甲斐あって自分なりにはうまくいったと思う。だが最後にロングヘアの女性が少し顔を曇らせ、俺に問う。
「おおむね、入所に問題は無いと思われますが、涼平さんの表情がすごく無機質なところが…ちょっと。面接で弱い面見せなかった方はあまりいないので…。まあそれは別に構わないのですが…。後、最後のあなたからの質問ですが、トレーニングの途中で男性に戻れるのかってどういう場合を想定されて?」
ちょっとまずい質問だったかもしれないが、俺にとってはそこが一番重要だ。
「あ、あの、その、もし親とかが途中で…」
「涼平さんが心底女性に性移行されたいというなら、ご両親への説得は私達が全力で行います。安心してください」
言葉を失う俺に、再びロングヘアの女性は少し笑いながら続ける。
「大丈夫。まあ開始後一年位ならね」
ほっと安堵の表情をする俺、そして面接は無事終わった。