ひゃっはー!ここから先はにゃんにゃかにゃん!

第4話 頑張れば、愛なの…

軽トラックに乗せた拡声器からあたしを呼ぶ親父の声が聞こえなくなっても、あたしは隠れている路地裏にへたりこんで、ただ呆然と前の家の壁を見つめていた。
 なんでこんな事になるんだろう。神様はなんでこんなにあたしに意地悪するんだろう。この先の事なんて考えられない。頭の中が真っ白になったまま、ただずーっとそこで座っていた。もう涙も枯れた。いっそこのままどっか行ってしまいたい。そうだ、このまま東京の新宿二丁目まで行ってしまおうか。ひょっとしてあたしみたいなのでも引き取ってくれる所があるかもしれないと思った時、突然持っていたアイフォンのコール音が鳴る。遥さんからだった。
「真莉愛ちゃん!今どこにいるんだい!?」
「アパートの近くのどこか…」
「何やってんだよ!」
「…ぼーっとしてる…」
「ああそうかい、無事で良かったよ」
「あの、うちの親父はまだそのへんにいるんですか?」
「いやいないよ。どうもさっきお巡りさんに捕まって説教受けてたみたいだよ。騒音がひどいってさ。あの親父さん拡声器越しでお巡りさんにいろいろ文句言ってたみたいでさ。こっちまで丸聞こえだよ」
「…そうですか…」
「とにかく戻っといで!それから後の事考えようさ」
「…あ、はい…」
 とりあえず今戻る所が出来てほっとしたあたし。道に迷いつつ、時折目に入る軽トラックにぎょっとしながらもなんとかあたしはにゃんにゃか荘の遥さんの部屋までたどり着く事が出来た。

「言っとくけど風俗の仕事なんてあんたが思ってる程甘くないよ!自分でも向いてないって言ってたじゃないか」
「はい、でも…こうなった以上もうそれしか…」
「あんたみたいなあやふやな子が、そんな所行って結局頭おかしくなっちゃうんだよ!」
「でも、あたし絶対帰りたくありません!遥さんのお店紹介してください!死ぬ気で働きます!」
「そう言われてもさ、あんたにゃ無理だよ絶対…」
 あたしの決意にみちた言葉にそう言ってふーっといつもより長く煙草の煙を吐く遥さんだった。
「あの、うちの親父は帰ったのでしょうか?」
「さあ、そうしてくれると嬉しいんだけど、あの様子じゃ…」
 とその時、遥さんの煙草の煙にも負けない位の香ばしい美味しそうな香りが部屋の中に入って来た事に気が付いたあたし。
「あれ?なんだろねこの匂い。紫音が何か作ってるのかね?」
 遥さんが不思議そうに嗅ぎまわって言うけど、あたしにはすぐに分かった。それは忘れもしない親父が時々あたしにおやつにと焼いてくれた、あの自分家のサツマイモと醤油かけたトウモロコシを焼く香り。
「遥さん、多分外に親父がいます…」
「なんだって!」
 飛び跳ねる様に立ち上がった遥さんはすっと自分の部屋の窓のカーテンを開けると、額に手を当てた。
「しつこいねえ、あの人も…」
 そう言った後あたしの方を向き直る遥さん。
「いいかい、今度は絶対外に出ちゃだめだよ!」

 ニャンニャカ荘の門の外には拡声器を外した軽トラックが停まっていて、親父はなんと入り口から入り込んで門の前に置いた椅子にどっかと座り、サツマイモとトウモロコシの入った小箱を横に七輪の上にいくつかを置いて、ウチワでぱたぱたやりながらそれを焼いていた。
 それを両手を腰に当て、呆れた様子で見つめる遥さん。
「ちょっと、何やってんだよ。ここはあたしのアパートだよ。住居不法侵入だよ。さっきみたいにまたお巡りさんに怒られたいのかい?」
「なんとでもするがいいべさ。熊二郎があんなになったのはおらのせいだ。おら熊二郎連れて帰るまでは絶対戻らねえ」
「あんたも諦めの悪い人だねぇ」
その言葉に両手を腰に当てて大きなため息をついて吐き出す様に言う遥さん。と、焼き芋と焼きもろこしと醤油の焦げる香りに、それをじっと見つめる彼女。
「どれ、折角だから一つ貰おうかね」
「ああ、食ってくれ。おらの自慢の野菜だべ」
「いいのかい?あたしゃ今の所あんたの敵だよ」
「敵も味方もねえ、おらの野菜食ってくれる人はみーんなおらの友達だべ」
 そう言って、小さな紙皿に醤油の焼けた香ばしいトウモロコシを乗せ、更に七沢農園と書かれた小さな紙袋に焼き芋を入れて遥さんに渡す親父だった。

「あんた、悪い人じゃなさそうだね」
「なんでわかるだ?」
 親父とコンロ挟んで向かい側に、いつの間にか小さな椅子を持ちだして座る遥さんが、食べてる焼き芋の中身をじっと見ながら続けた。
「これみりゃわかるさ。この色、それにこんな味のいいサツマイモとか、さっきのトウモロコシもそうだけどさ、あたしゃ久しぶりにこんな味の濃いの食べたよ。うちも実家は農家だったからわかるんだよ」
「ああ、化学肥料なんて使わねえ、農薬も余程の事がない限り使わねえ。そのかわり毎日畑さ歩いて石拾って虫がいたら一匹ずつつまんで取ってるだ。だから、七沢農園の野菜はちゃんとした所にしか卸さねえ」
「あんた名前なんて言うんだい?」
「おら龍太郎って言うだ。長男の虎一郎はもっと美味い野菜ば作るって言って、北海道の大学に農業さ学びに行ったべ。だから次男の熊二郎には家ば継がせて、おらの野菜を守らしてーんだ」
 龍太郎親父の話を聞きながら、余程美味だったのか、遥さんは傍らの段ボールからトウモロコシの輪切りをもう一つ手に取り、七輪の上に置いて話す。
「あんた立派じゃないか。なら真莉愛ちゃんの事も認めてあげなよ。今は昔とは違うんだからさ」
「それだけは勘弁なんねえ!それにあいつには熊二郎って名前がちゃんとあるだ!」
「いや、だからさあ…」
「だめなもんはーだめだ!」
 そういいつつ龍太郎親父は遥さんの置いたトウモロコシを少し乱暴に七輪の上でひっくり返した。
「おらがいい野菜作れるのは、お天とう様と神様に逆らってないからだべ。野菜本来の姿で育てているただそれだけの事だ。お天とう様と神様に逆らっちゃあ、たとえ人間でもいい暮らしなんかできねえ。わかるべか?」
 龍太郎親父の言葉に再び大きなため息つく遥さん。
(こりゃ一筋縄ではいかんわ…とにかく何か別な話でおだてて…)
「しかしこれ美味しいよねえ…」
「お天とう様と神様の恵みだべ。まあおだてても無駄だでさ。熊二郎があーなったのはおらのしつけが悪いだで、なんとしてでも奴を連れて帰るだ。それまでは離れねえだよ」
「ああそうかい」
 とにかく怒らせちゃだめだとでも思ったのか、そっけない返事をする遥さんだった。

 二人のそんな様子を遥さんの部屋のカーテンの陰に隠れて見ていたあたしは、もうどうする事も出来なく、涙も枯れて呆然と見ていた。
「ここ…出よう…これ以上遥さんに迷惑かけれない…」
 ぼーっと外を見つつあたしの口からひとりでにそんな言葉が出る。
 そんなあたしを遥さんの部屋のドアの隙間からそっと覗いていたのは紫音さんだった。
 そっと部屋のドアを閉め、ふうっと彼がため息をつく、
「お天とう様と神様には逆らえない…ですか」
そう独り言を言った紫音さんは、遥さんの部屋の前で腕組みしてしばし考え事。そして、
「仕方ないですね。一肌脱ぎますか」
 そう独り言を言って紫音さんは階段を上がり、自分の部屋に消えて行った。

 買ったばかりのスマホ画面を覗きつつ、新しいアパートの物件情報探すあたし。でも今のバイト先の給料を考えるととてもじゃないけどどれも高すぎる。
「どうすりゃいいの…」
 外から聞こえる親父と遥さんのたわいない世間話を聞きながら指でスマホの画面スクロールしつつも、その画面を観る目線はぼやけ、口からはため息ばかり。しばらくそんな状況が続いた時、
「あら、ここでしたの?」
 突然、子供の頃観ていた、なんたら教育委員会のナレーションしている女の人そっくりな声が表で聞こえた。えっと思ってカーテンの隙間から外を覗くと、背の高い黒のビジネススーツを着た美人でロンクヘアの女の人がいつのまにか遥さんと親父の元にいる。
「あれ、あんた…」
 遥さんがその女の人の方を振り向いて話す所を見ると、どうやら彼女のお知り合いみたい。
「外歩いてましたら、とっても美味しそうなトウミロコシと醤油の焼ける匂いがしまして、つい…」
「ああ、トウモロコシとサツマイモは女子の好物だんべ、まあ遠慮しないで食ってくれや」
「いいんですか、じゃあお言葉に甘えて」
 そう言って、遥さんの座っている小さな椅子の横に置いてあったクーラーボックスの上に座る彼女、でもその時、
「あんた、何考えてんだよ」
 という遥さんの小声にその女の人がウインクしたのをあたしは知る由もなかった。
「あ、申し遅れました。私こういう者でございます」
 そういいつつ彼女が阻止出した名刺を手に取り、目元でそれを遠く近くして眺める親父」
「らいふこんさるたんと…てなんだべ」
「まあ、皆さまの生活上お困りの事にいろいろアドバイス差し上げてるんでございますのよ」
「ほー、あんたみたいなべっぴんさんが」
「トウモロコシ、おひとつ頂きますわ」
「あ、ああどんぞどんぞ」
 ティッシュを手に取り、その手で七輪の上の美味しそうに焼けたそれを掴む彼女に、遥さんが横で座りながら軽く膝で彼女の膝を蹴っていたのもあたしは知る由もない。
「まあ、とっても美味しい!こんなの食べたの久しぶりですわ。何年ぶりかしら」
「美味かろう、おらの自慢の野菜達だべ」 
何故かすごく大袈裟に喜んだ彼女の前で鼻伸ばしながら上機嫌で答える親父。ああ見えて親父は結構女好きで、地元のスナックやキャバレーに良く行ってたもんだ。
「どうやって育てるんですか?出来ましたら家庭菜園やってるあたしのお友達に是非教えてあげたいんです」
 そう言いつつ親父の顔をちらちらとのぞき見する彼女。
「ああ、よかんべぇ。実はおらも、その、らいふこんさるたんとのあんたに、ちと相談したい事があってのお」
「あら、どんな事ですか?」
「おらの息子の事なんだけんどよぉ」
 そんな二人の様子を横にいた遥さんが、何やらほくぇそんで観ている様子。
「まあ、それじゃこんな美味しい物頂いたお礼にお話し聞かせて頂きますわ。ここじゃ落ち着かないので、この通りの先にある駅前のロキアンドミイっていう喫茶店でお待ちいたしております」
「ああ、そうしてもらうと助かんべぇ」
 横でじっとその様子を見つめていた遥さんが、その女の人の顔を見上げた。
「じゃ、頼んだよ」
「んだば、残りはあんたにやるだ」
 親父はそう言うと、七輪の上の野菜を紙の袋に入れて遥さんに手渡し、七輪の隅をペットボトルの水で消し、クーラーボックスと共にそれをトラックの荷台に積み込み始める。
「それではお待ちしておりまーす」
 そう言うとその女の人は門柱から出て外に姿を消した。
(だめだ、絶対連れ戻される)
少し肩を震わせたあたしだけど、とりあえず親父は軽トラックに乗りあたしの視界から姿を消してくれた。

「真莉愛ちゃん、お客さん」
「あ、あっはい。今行きます」
「どうしたのよ。いつもの元気無いんじゃない?」
「あ、あの、すみません…」
 その日の夜の中華定食屋のバイト先にいても、あたしの不安は消えなかった。また戻ってくるに違いない。それに、まかり間違ってこの店に来たら…
「真莉愛ちゃん、ほらカウンター、ビールお出しして」
「あ。ごめんなさい!」
「どうしたっていうの今日はもう。オーダーとかテーブル間違えるし。何かあったの?」
「いえ、なんでもないです。すみません」
 丁度夕飯時の始まり。お客さんも増えてきたし、しっかり気を持たなきゃ。そう思い直してビールをカウンター席のお客さんに出してふと店の入り口を振り返った時、
(あ!あの女の人!)
親父をにゃんにゃか荘から遠ざけてくれたビジネススーツの女の人が一人で入ってきて、つかつかとあたしの目の前を通り過ぎて店の一番奥の座敷席へ。
(親父に何言ったか知らないけどさ、もう混雑時に座敷席一つ占領しないでよ、もう)
そう思いつつあたしはオーダー票を持って、その女の人の元へ行き、
「何になさいますか」
ややぶっきらほせうに言う。と、
「鶏の死体油地獄定食」
相変わらずの可愛い声でそんな言葉が返ってくる。それどこかで以前聞いた様な、
「な、なんですかその、鶏の死体って…」
 思い出した!この女の人紫音さんと同じ事言ってる…て、ま、まさかとあたしが思った時
「まあ、紫音ちゃん。その恰好お久ね」
「今日お仕事なんでーす」
 おばさんの声にその女の人、まさかと思うけど紫音さん!?があの可愛い声で答えた。あっけに取られてオーダー票手に口ポカで立ったままじっと紫音さんと呼ばれたその女の人を見つめるあたし。と、突然、
「親父さんは帰りましたよ」
 今度ははっきりとしたいつもの男声であたしを意地悪そうに見つめるその女の人。何んでこんな美人の人が紫音さんの男の声で?あたしはようやく頭がはっきりしてきた。店の中を見渡して、新しいお客さんとかオーダーの声が無いのを見てミュール脱いで座敷に上がり込んで紫音さんの座るテーブルの真向かいにペタン座り。
「どうやって、追い返したんですか?」
「早く厨房にオーダーしてください。私はお腹減ってるんですから」
「あ、はい、鳥の死体…じゃない鳥唐定一丁!」
「あいよー!」
 ご主人の返事が聞こえてすぐあたしは美人の女性に化けた紫音さんの顔を座ったまま真剣な表情で見つめる。
「どうやって…」
「大したことはしていません」
 対面に座る美人の女性からは、紫音さんのいつもの穏やかな声がする。
「家庭菜園やってる二人のニューハーフ友達と共に、喫茶店で農業の話とかいろいろ聞いたりおだててあげただけです。親父さんすっかり上機嫌でしたよ」
「それで?」
 男声で喋る美人の女性の言葉に少し慣れたあたしが怪訝そうに答える。
「経済とか政治の話もちょこっとしてあげて、親父さんがこんな美人の女の人が素晴らしい。さぞかしいい会社でいい給料貰ってるんだろうって聞いてきたんで」
 口元に微かな笑み浮かべながら紫音さんが続ける。
「あら、あたしたち全員男ですよ。女だなんて一言も言ってませんわってばらしてあげました」
 驚いたあたしの顔を今度は笑顔で見つめながら紫音さんが続ける。
「そんなのうそだべえ!と驚く親父さんに、三人で一緒に男名だけど顔写真が女性の運転免許みせてあげたら、親父さんが驚いた顔でそこに凍り付きました。暫く動かなかったんですが、千円札二枚テーブルに置いて、東京は恐ろしい所だべ。おらもう帰るだと言って出ていきました。ほらこんな奴です」
 そう言いながら傍らのフリルのついた可愛いポーチから自分の免許証を取り出してちらっと見せる紫音さん。
 とにかくうちの親父は帰ったんだ!ほっとして悩みが吹っ飛んだあたしは、ふと我に返ると、紫音さんの手からいきなり運転免許証を奪いにかかる。
「な、何するんですか!?」
「あたしまだ紫音さんの本名聞いてません!」
「だめです!これは国家機密です!」
「いいじゃないですか!もうお互い知らない仲じゃないんだし!」
 テーブル挟んで紫音さんの運転免許証の取り合いが始まった時、
「真莉愛ちゃん!もう今日はどうしたのよ。ほら紫音さんの定食あがったから持って行って」
「あ、はーい、すみません」
 あたしの顔に今日初めての笑顔が浮かぶ。とにかく、とにかく!嬉しかった!

 暫く後、ようやく元気ほ取り戻したあたしはいつも通りテキパキとお店の手伝い。紫音さんも鳥の死体、じゃない鶏唐揚げ定食食べ終わり何やらスマホをいじっていた時、彼、いや今彼女だっけ、のスマホからダースベイダーのテーマの着信音。なんだか妙な気がして悪いとは思いつつもあたしはテーブルを拭くふりをして聞き耳を立てる。
「はーい、もしもしー」
 どっからあんな可愛い声出してるんだろうと思いつつ紫音さんの会話に聞き耳を立てるあたし。と、紫音さんは座敷の誰もいない奥に移動した後、いつもの声に戻って何やらスマホに向かって話し始める。
「…いくらなんでもだめですよ。明日午前中は別の仕事入ってます。キャンセルなんか出来ません…」
 小声で男声で話始める紫音さん。あ、ひょっとして相手はひょっとしてあの変な幸奈さんとか言う女の人かも?と…
「え?…真莉愛ちゃんですか?まあ、中華定食屋で接客の経験は少しはあると思いますが…それに…いいんですか?あの子は女じゃないですよ…はあ…まあ、あなたがそれでいいって言うなら…」
 なんかあたしの事で何か話してる!感づいたあたしがそそくさと店の奥座敷から離れようとした時、
「真莉愛ちゃーん、ちょっといい?」
 今度は女声であたしを呼ぶ紫音さん。本当忙しい人。仕方なしにくるっと百八十度回転して奥座敷へ戻るあたし。
「なんですか?」
「幸奈ちゃんから電話あってねーぇ、明日開店する秋葉原の喫茶店のウェイトレスさんが急遽ドタキャンしてねーぇ」
「気持ち悪いから普通に喋ってください!」
「あーら、この恰好で男声の方が…」
「いいですから!」
「あーらそう?」
 わざとらしい咳払いした後、
「代わりの人が来るまでよー、入ってほしいだっぺ。明日の八時によー、秋葉の喫茶店ば来てくれなんだべさー」
 今度はダミ声であたしの親父の真似して話す紫音さん。あたしがじっと彼を睨みつけたまま唇を噛み直して、テーブルの上のもう使われていないアルミの灰皿に手を伸ばすと紫音さんの声は元通りになった。
「時給1500円、あなたのここのバイトの事もあの女は知ってるので、時間は八時から十五時という事です。後で地図描きます」
 ウェイトレス?えー、エプロンして、オーダー取って、ここと変わらないじゃん!それにあたしは実家近くでクラスメートの女の子がジーパンにエプロン姿で生き生きとウェイトレスやってる姿を見て可愛いと思った事思い出した。
秋葉原って、聞いた事あるけどどこだっけ?多分有名な所には違いない。うん、一度やってみたかったし!だけど、今喜んだ姿を紫音さんに見られるのは嫌なので、
「い、いいですよ」
 とあえてぶっきらぼうに紫音さんに答えるあたし。
「真莉愛ちゃん!四番、チャーハン定食持ってって!」
「はーい!」
 座敷を降りて厨房横のカウンターに行くあたしの足取りはすごく軽い。でもまさか翌日の朝、一騒動が起きるなんて、この時思いもしなかった。

「そんな服あたし着れません!」
 新装開店の喫茶店の奥の事務室兼ロッカールームで、あたしはめちゃくちゃ派手な服着た幸奈さんと、二人のバイトの女の子に追いかけまわされていた。それ、メイド服って言うんだっけ!?
「何ゆーてんねんな。うちアパートであんたの体触ったやろ?ちゃんとサイズも確認してるんや。これ着れるはずや」
「そんなんじゃなくて、そんな恥ずかしい服着れません!」
「そんな事ゆーたかて、メイド喫茶やぞここは。これしか用意してへんぞ」
「そんな恥ずかしい服着る位なら、今ここで腹かっさばいて死にます!」
「何を海〇姫みたいな事ゆーてるんや!」
「メイド喫茶だなんてあたし聞いてません!」
「嘘やろ?紫音にちゃんとゆーたで?」
 あの野郎!帰ったらぶっとばしてやる!
「おい、もうええからひん剥け!」
「あ、はーい」
「や、やめてくださーい!」
 幸奈さんに羽交い絞めにされ、二人のルイとミクっていう二人のメイド服の女の子達に着ていたTシャツをばっと脱がされ恐怖に引きつったあたし。やばい!あたしの秘密が!と、
「はーあ、なーる、そーゆー事か…」
 ルイと書かれたハート型の名札を腰に付けた女の子が、ブラで包まれたあたしの胸を見てそう言って口元に笑みを浮かべる。だめだ、あたしが男だって事ばれたと思った時、
「幸奈さーん、パットかヌーブラある?」
 その言葉に一瞬けげんそうな顔した彼女だったけど、
「あんた、Eカップのあたしにゆーてええ事と悪い事あるで」
 もう一人のバイトのミクちゃんがあたしのブラをちょっとめくって、ぷっと笑って言う。
「そっか、胸が無いからメイド服嫌だったんだ。平気だよ。パットで盛ったらいいし、このメイド服パニエ付きだからヒップごまかせるし。あたしの貸したげる」
 いや、そーじゃなくてと思ったけど、あたしの体をがっちりと締め付けてる幸奈さんの肩越しの顔のあたしを睨む目が怖い。
「す、好きにしてください…」
 そう言うあたしの眼鏡が外され二人のメイドさんにブラのパッドを入れられ、ふりふりのブラウス着せられてメイド服を頭から被せられるあたし。しかし、どうやらあたしの胸って、いつのまに普通の胸の無い女の子のそれになっていた事がわかった。やっぱりあの注射のせい?
 暫く後、
「わあ!マリアちゃん可愛いじゃん!」
「メガネッ娘メイドとしては上出来の部類だよ」
 ルイちゃんとミクちゃんにそう言われて無理やり部屋の姿見の前に押し出されたあたしは、すっかり変わった自分の姿にどきっとする。
(あ、あたしって、こんなに可愛かったっけ?)
 他から見たらどうかわかんないけど、そこにはあたしが自分自身を見た中で一番可愛いのが映っていた。でも頭に付けた触覚の先にハートが付いたカチューシャがすごく恥ずかしい。一人で部屋でやるならともかく、この姿で見知らぬ人の前に立つなんてやっぱり恥ずかしい!
「おらおらー!開店一時間前や!ミーティング始めるで!」
 厨房からそう言いながら幸奈さんが部屋に入って来た。

「えー、今日はうちのプロデュースするメイド喫茶「ラブリーエンジェル」の初の秋葉原進出の記念すべき日や。そこの二人はわかってると思うけど、メイドは心や!あと今日ドタキャンしたモエの代わりに急遽マリアに来てもろた。中華定食屋しか接客経験ないらしいけど、二人ともマリアにメイドの心という物をマリアに教えて…」
 幸奈さんがそう言ってる時、
「幸奈さん、なんでハリセン持ってるんですか?」
「あ、これか?」
 ミクちゃんの問いに、手に持つそれを胸元に持っていき、出来栄えを確かめる様にしながら答える幸奈さんが続ける。
「いやな、今日約一名こういうのが必要な奴がおるんとちゃうかなーと思ってたら、いつのまにか出来上がってたんや。まあ、大阪の心やし…」
 そう言いながら軽くそれを両手でパンパンと叩く幸奈さん。なんかなんとかの心というのが口癖らしい。
「ほなら今日きばって行くで!映画かってそうや。初日にどんだけ並んだかで公開日数決まんねんからな。ほなら、挨拶!お客さん来たら、お帰りなさいませご主人様!」
「お帰りなさいませご主人様!」
「お帰りなさいませ、ご主人さま!」
「え、なんでお帰りなさいませなんですか?」
 ルイちゃんとミクちゃんが元気よく挨拶の練習した後であたしがぼそっと言うと、ハリセンの音がパンと響く。
「こらー、そこー、言われた通りにする!もっかい!」
「お帰りなさいませ、ご主人さま!」
「お帰りなさいませ!ご主人様!」
「お、おかえりなさいませごしゅじんさま…」
「はーい次、お帰りになる時。行ってらっしゃいませ!ご主人様!」
「行ってらっしゃいませ!ご主人様!」
「行ってらっしゃいませ、ご主人さま」
「あの、だからどうして行ってらっしゃいませなんで…」
 と、幸奈さんの手元でパンパンパンと三回ハリセンが鳴り、彼女がつかつかとあたしの目の前に歩みよってあたしをじっと睨み、あたしの後ろの襟を猫を掴む様にして持ち上げた。
「考えるんやない、感じるんや…」
「は、はいです…」
「ほな、次、両手は軽く握って顔の横、萌え萌えきゅん!」
「萌え萌えきゅん!」
「萌え萌え、きゅん!」
「そんな恥ずかしい事出来ません!」

 そして開店十五分前の朝礼。二人のメイドさんが店内の掃除とか飾り付けしている横で、即席のメイド特訓させられたあたしが、ルイちゃんとミクちゃんの横に並ぶ。
「ええか、もうすぐ開店や。てな時に約一名青い顔した奴がおったからBBクリーム顔に塗りたくったった。まあ、なんとかなるやろ」
「なんか脳改造受けたみたいで気持ち悪いです…」
 幸奈さんの声に即席に化粧されたあたしがぼそっと喋ると、二人のメイドさんが良くでクスクス笑う。
「ほらそこ、もっかいやってみぃ、萌え萌えきゅんて」
「モエモエキュン、オイシクナーレ。ニャンニャンニャン、シャカシャカ…」
「ロボットみたいに無表情と無機質の声でやるな!」
「まだ顔の筋肉と声が脳神経と繋がってません…」
「まあええわもう。マリアがこんな状態だから、さっき別の二人のメイド経験者に今日一日時給二千円即金で払うからすぐ応援に来いてゆーたらほいほい承諾しよった。昼時までには来よるやろ。ルイとミクにも今日はもう特別や!時給二千円即金で払ったる…。…わかったわかった!そこの落ちこぼれメイド!わかったから眼鏡の奥で目うるうるさせるのやめろ!無理やり連れてきた手前、マリアにも同条件で今日即金で払ったる!…そうや、その笑顔や。もっかいさっきのやってみい!そうや!出来るやないか。まあ、マリアは今日一日厨房で料理作っとけ。それくらいは出来るやろ?そのかわり皆でお客さんサービスする時はちゃんと一緒にやるんやぞ!ええな!ほな、きばっていくでえ!」
 機関銃みたいに大阪弁でまくしたてる幸奈さん。そしてとうとう開店時刻が来た。

「お帰りなさいませご主人さま!」
「お帰りなさいませ!ご主人さま!」
 二人のメイドさんと一緒にあの幸奈さんもメイド服でどっから出しているのかわからない声で開店早々入って来たお客さんにご挨拶。あたしもなんとか真似出来た。。
「開店第一号のご主人様にはプラチナカード差し上げまーす」
「二号、三号の素敵なご主人様にもプラチナカードでーす」
 ルイちゃんとミクちゃんのご挨拶の声に、そんな事言ったってカード全部プラチナじゃんと思いながらも、引きつった笑顔で挨拶するあたし。そのまま厨房に入るとまず目についたのはサイフォンと水出汁コーヒーの大きなガラス玉。あの味にうるさい親父も使っていたのですぐわかった。
「ふーん、本格的じゃん…」
 独り言みたいにあたしが言った時、
「マリアちゃーん、天使のキッスのウィンナーコーヒー!」
 ミクちゃんの声に、
「はーい、お姉さま」
 と咄嗟に出たにしては我ながら上出来の言葉で答えるあたし。そしてサイフォンの保温のランプを確認すると冷蔵庫からウインナーソーセージを探し始めた。

 あたしがフライパンの上でウインナー焼いてると、ルイさんと、頭掻きながら幸奈さんがが厨房に入ってくる。
「くあーっ、開店初日朝一でフルーツパフェかいな、めんどくせーなーもう。ルイは?プリンか。楽でええなあ。チェリーとクリームのトッピング忘れなや」
 ルイちゃんの返事を聞き届けた幸奈さんがあたしの方をちらっと見る。
「マリアは?それホットドックか?パンはちゃんとオーブントースターで焼くんやで。それとマスタードは控え目にな」
「あの、ホットドックじゃありません」
「え?ほな何や?ひょっとしてナポリタンか?それやったら最初から作らんでも冷蔵庫に作り置きしたソースあるからそれ温めて…」
「違います。ウインナーコーヒーでーす」
 あたしが嬉しそうにそう答えた時、幸奈さんの引きつった顔がちらっと横から見えた。
「お、おま…、今、何ゆーた?」
「ですから、ウインナーコーヒーでーす」
 そう答えてフライパンの上のウインナーを箸でひっくり返している横で、何故か幸奈さんが粗い息使い。そして大声が聞こえた。
「ウィンナコーヒーオーダーされてソーセージ焼きだす奴、漫画とか小説では見たけど、ほんまにおるとは思わんかったわ!」
「え?違うんですか?コーヒーの横にソーセージ…」
「ウインナーコーヒーゆーたら、コーヒーの上に泡立てたクリーム乗せるんや!」
「えー、そうなんですか?あたしの実家近くの喫茶店にそんなの無かったです…」
「お前がどっから出てきた知らんけど、ここは秋葉原や!都会なんや!」
 客席の方で男性の笑い声がする。
「もうええ!うちがやる!」
 その時、
「マリアちゃん、魔法の炎のカフェロワイヤル」
 なんか笑いながらルイちゃんが震える手でプリンを容器に入れてる横でミクちゃんからのオーダーが入る。
「またややこしいのを…」
 幸奈さんがそう呟いた時、
「あ、あたしそれなら知ってます。テレビで観ました」
「今、客席誰もいないんで、あたし戻ります」
 そう言ってミクちゃんが急ぎ足で厨房から出ていく
「ほんまか?信じてええんやな?」
「任せてください!」
「ちゃんとやるんやで!」
 サイフォンからコーヒーをカップに移して、ブランデーの小瓶と角砂糖。そして
(スプーン、あれ、無い…、まあ今日開店サービスだからこれでいっか)
 それらをお盆の上に乗せて客席に行くあたし。
「お、お待たせ、い、致しました。魔法の炎の、か、カフェロワイヤル、です」
 初めての喫茶店のウェイトレスでの接客に手と声が震えながらもやっとの事でそれが言えた。
「では、こちらでございます。あ!」
 いきなりスプーンの上の角砂糖をコーヒーに落としてしまうあたしだった。
「あ、もう一個砂糖入れてもいいけど、それスプーン大きくない?」
「だ、だいじょぶです」
 完全に上がってしまったあたしはスプーンの上に角砂糖入れるの忘れ、そのままスプーンにブランデーを並々と注ぐ。
「ちょっと、それやばくない?」
 相変わらずお客さんの言葉が聞こえないあたしはそのままチャッカマンでそれに火を付けると、ぼわっという音と共に一瞬青い火柱が上がる。
 お客さんの短い驚きの声。そしていつもはうわっとしか言わないあたしが
「キャッ!」
 と可愛い悲鳴あげてしまう。着ている服のせいなのか、あの薬のせいなのか。ともかく運悪くそれを幸奈さんに見られてしまった。
「こらあ!マリア何やった!?」
「あ、あの角砂糖落としてしまって…」
「おま、それ、カレーのスプーンやないか!ティースプーン知らんのか!」
「す、すみませーん!」
 客の男の人は怒るどころか笑い出す始末。と、
「あのー、オムライスに何か絵描いて欲しいんたげど」
「あ、はーいご主人様ただいま。別料金になりますが」
 別の男のお客さんの声に幸奈さんが答えるけど、
「あ、今手が離せません!」
「あたしもです」
 ルイちゃんとミクちゃんの声、
「参ったなあ、スパゲティもう少しで茹で上がるし伸ばしたらあかんし」
「そこのドジッ娘眼鏡さんでいいよ」
 幸奈さんの返答にそのお客さんの男の人が笑いながら言う。
「ほな、マリア、ちゃんとやるんやで!」
 そして数分後、
「嬉しいね!大きな花丸。俺今日誕生日なんだ」
「あの、それライオ…」
 あたしがそう言いかけた時、厨房から幸奈さんが飛び出してくる。
「まあ、ご主人様そうでしたの?おめでとうございますぅ。この子はご主人様方の誕生日当てるの得意なんですの」
「あの、だからそれ、ライオ…」
 そう言いかけたあたしのお尻を幸奈さんはいつのまにか手に持っていたハリセンで後ろ手にピシャリと叩き、ポケットから一本の花火とマッチを取り出してオムライスの上に刺して、ハッピバースディトゥユーとかやりだす。そしてあたしのお尻をハリセンで小突きだす。幸奈さんに合わせて歌いだすあたしだった。

「マリアちゃん!お会計お願い」
「はーい!」
 今度こそちゃんとやろうと力んだあたし。
「ご、ご主人様、ご利用ありがとうございます。ほ、本日は開店記念で全品半額でございますので、ご利用代金九百八十円になりまーす。五千円お預かりしまーす。ご一緒に確認ください。五千円入りまーす。まずお返し四千円です。ごー。ろく、しち、はち…あれ、違う…」
「こらーマリア!落語の「時そば」とちゃうんやぞ!」
「あ、すいませーん」
 とうとうお客さんの前にも拘わらず、手持ちのハリセンであたしの頭をバシっと叩く幸奈さんだった。
「どうも失礼致しました。行ってらっしゃいませご主人さま」
 幸奈さんの横で
「毎度ありが…」
 と言いかけたあたしの頭にまたハリセンの音が響く。
 さすがに恥ずかしくなったあたしは厨房に駆け込むが、
「ガッシャーーーーーン!」
「こらあマリア!またお前か!?」
「す、すみませーん!」
 …。

「バイト一日で首になった話はたまに聞きますが、午前中で首になった話は聞いた事ないですね」
 その日の午後一時、既にあたしはにやんにゃか荘の紫音さんの部屋にいた。あたしが買ってきたステーキ肉を美味そうに食べる紫音さんの横で、ただひたすら自分の分のそれをフォークでつつき続けるあたし。
「ピンチヒッターのメイドさんが到着した時点で、幸奈さんがレジから六千円ひっつかんであたしにくれました。中華屋のバイト料の支払いは数日後なので、これがあたしの生まれて初めてのバイト代になります。記念にステーキ肉二枚。遥さんにはお刺身盛り合わせ、余ったバイトのお金でニャンちゃんとニャカちゃんに、焼津魚市場の魚屋特製猫缶を買えるだけ買って来ました。二匹とも美味しそうに食べてくれました…」
「あまり猫に贅沢させるのもどうかとは思いますが…」
 そう言いながら相変わらず美味そうに贅沢な昼食を食べる紫音さんの前で、あたしはフォークをナイフに持ち替えて再び自分のステーキ肉をつつきだす。
「正直あたしを騙してあんな所に送り込んだ紫音さんに殺意が沸きましたが、よく考えてみると首になった原因は全てあたしの無知とドジなので、許してあげます」
 そう言いながらもしばし自分のステーキ肉に口もつけずにコツコツとナイフで突き刺し続けるあたし。と、突然紫音さんのポンチョのポケットからまたもやあのダースベイダーの着信音。それにどきっとしてステーキ肉をいたぶるのをやめるあたし。
「なんですか?明日は一日仕事ですよ」
 と迷惑そうに言う紫音さん。設定がスピーカーになっていたらしくアイフォンから幸奈さんの声がする。
「お前とちゃう!真莉愛出せ!真莉愛に代われ!」
 なんかすごく怒っている様な声にあたしは思わず肩を震わせる。
「首にしたんでしょ?もうあの子に用は無いでしょ?」
「とにかく早よ代われ!」
 紫音さんが庇ってくれたらしいけどまだ怒ってるみたい。
「変ですねえ。あの人は嫌な事が有っても三歩も歩けば忘れてしまう鳥みたいな頭の人なんですが」
「誰が鳥頭じゃ!こらあ!」
 紫音さんの声に更に語気を荒げる幸奈さんの声がするアイフォンをあたしは恐々手に取る。
「幸奈さん。あの、今日は本当すみませんでした」
 そう言いつつ幸奈さんが見ているわけでもないのに頭を深々と下げるあたし。
「おお、真莉愛か!もうええから、お前明日も来い!バイト代は一五〇〇円やけどな」
「え、あ、あのあたし、首になったんじゃないんですか?」
「アホ!今ちょっとした騒ぎになっとるんや!今朝来た客がSNSでいらん事書いたせいで今客がどっと来とるんや!」
 スピーカーから聞こえる幸奈さんの声に思わず顔を見合わせる紫音さんとあたし。
「えとなー、本日開店のメイド喫茶らぶりーえんじぇる、ハリセン持ったベテランメイドと新人眼鏡っ娘メイドの掛け合いどつき漫才が見れる店だの、ウブなメガネっ娘メイドが可愛いだの、あれは素人のドジっ娘のふりしたプロのメイドだの、ツンデレ妹メイドより面白くて可愛いだの書きまくっててやな、さっきからあのドジっ娘眼鏡メイドさんはどうしたんですか?とか散々聞かれまくってるんや。とりあえずイベントの予行演習なんですってゆーてごまかしたけどな。とにかく明日も来い!ドジっ娘のシナリオも用意したるし、ミクもルイももう一度一緒にマリアちゃんと仕事したいて言うててな!」
 相変わらずのマシンガントークに紫音さんがじっとあたしの顔を見つめる。
「あの人は極悪人ですが、人を見る目だけはありますよ」
「いちいちうるさいわ!」
 紫音さんが小声で言ったのにその声が聞こえたらしい幸奈さんが怒鳴っている。
「どうしますか真莉愛さん。何なら今からメイド稽古つけてあげましょうか?中華屋より稼げますよ」
 紫音さんの言葉にあたしは少し考えたけど、
「あの、お誘いは嬉しいんですが、お断りします」
 と幸奈さんに返答。
「なんでやねんな!真莉愛の天然の素質見抜けへんかったうちも悪かったし、めちゃくちゃゆーてどつきまわした事は悪かった思っとるから考え直してくれへんか?」
「いえ、やっぱりあたしは定食屋の方が性に合ってます」
 スマホの向こうで幸奈さんの大きなため息が聞こえた。
「まあ、嫌やゆーてるの無理やり引き留めてもな。ほなわかったわ。でもうちは諦めへんで!気が変わったらいつでも連絡してこいや。ほんならな!」
 通話が切れたアイホンをそっと紫音さんに返すと、
「もったいないですね。あの悪魔が他人に対してあんなに懇願するのはあまり無い事ですよ」
「あたしには無理です。だけど、なんだか褒められた気がします、それで…」
 紫音さんに答えるあたしの顔に今日初めて笑顔が浮かんだ。
「幸奈さん、そんなに悪い人じゃないですよ。むしろとってもいい人です」
 そう言ってあたしは初めて冷め切った自分の目の前の冷め切ってフォークとナイフでぐちゃぐちゃになったステーキにナイフを普通に入れ始める。
「美味しいです!なんかすごく美味しいです!」

「お帰りなさいませ、ご主人様…あ…」
 夜の中華定食屋「猫鰹飯店」でいつも通りバイトに行って、エプロン付けて店に出て、丁度入って来たお客さんに思わずそう言ってしまったあたし。店の中にいたお客さんの誰かが噴き出す音も聞こえた。
「ちょっと、真莉愛ちゃん!どこでそんな言葉覚えてきたのよ」
 恥ずかしさに真っ赤になったあたしに、おかみさんがそう言って笑う。
「なんだよ親父、いつから中華メイド飯店になったんだよ」
 入って来た馴染みの常連のお客さんがそう言って笑った。
「ビール。あと餃子一つ」
「はーい、ご注文ありがとうございますぅー」
 またもメイド喫茶での癖が出てしまってしまったと思うあたしだった。
「何だよ真莉愛ちゃん、昨日ふさぎ込んでたと思ったら今日はやけにハイテンションじゃないか」
「あ、あのすいません」
「いや、まあいいけどさ」
 顔真っ赤にして謝るあたしに笑顔で接してくれるお店のお客さん。
「あー、銀ちゃん、今度中華メイド服かチャイナ服用意しとくからさ」
 店の親父さんがそう言って笑う。やっぱりあたし、この店でのバイトが一番合ってる!

 今日は中華定食屋のバイト始めて丁度一カ月目!待ちに待ったお給料日!
 夜十一時に掃除も終わった後、猫鰹飯店のご主人から手渡された一万円が一〇枚以上入った封筒を手に暖かくなってきた夜の街を歩くあたし。
 間接的にあの苦手だった幸奈さんにも褒められたし、何よりも
(胸が張ってる…ヒップもなんだか歩くときむにゅむにゅする)
 今日気分がすごくいいし、あの薬のせいだろう。あたしの体少し女に近づいたみたい!もう嬉しい事ばっかり!
 途中でスキップなんかも出てくる始末。あたしなんだか子供の頃に戻ったみたい!そしてにゃんにゃか荘が近づいてくる。ちゃんと家賃払って、欲しかった自分の布団とか、ランジェリーボックス、化粧品も欲しいなあって思っていたあたしの目線が、にゃんにゃか荘に近づくとある物に気づいてそれにくぎ付けになり、足が止まった。
 街頭の明かりに照らされていた、アパートの前に停められていた幌付きの四トントラック。それには七沢農園と書かれていた。間違いなく親父が野菜を馴染みの店に卸す時に使っている車。しかもその荷台の脇には遥さんと紫音さんが立っていてじっとトラックを見つめている。
 あたしの手から今日のお土産の餃子と春巻きが入った袋が滑り落ち、そのままがくっと膝をつく。親父が、親父が戻って来たんだ。そして、多分あたしの部屋の荷物をトラックに乗せて…。どうして!どうしてよ!あたしの新しい生活これからなのに!
 膝をついたままとめどなく流れる涙。もういいよ!この世に神様なんかいないんだ!このままどっか行こう…お金あるし…でもその前に。
 あたしは目頭を押さえながらトラックの横に立っている遥さんと紫音さんの所にのろのろと歩いて行き、深々とお辞儀。
「遥さん、紫音さん。お世話になりました。本当に、本当にお世話になりました。一カ月の間だったけど、お二人の事は一生忘れません!ニャンちゃんとニャカちゃんの事も絶対忘れません!紫音さん、幸奈さんと猫鰹飯店の方によろしくお伝えください。あたしは実家には戻らずにこのままどこかへ行きます。ひょっとしたら新宿二丁目に行くかも…もしあたしをそこで見つけても、どうか知らないふりしてください…」
 最後は涙声になったあたしだけど、二人は不思議そうに顔を見合わせていた。
「あんた、何勘違いしてんだよ。あんたの親父さんは荷物引き取りに来たんじゃなくて、送って来たんだよ」
「ええ!」
 驚いてにゃんにゃか荘の玄関を見ると、そこにはあたしの愛用していたカラーボックスとか小さな机てか、掃除機や洗濯機までがきちんと並べられていた。慌ててトラックの運転席に行こうとした時、
「熊二郎!二度と戻ってくるでねえぞ!わかったべか!」
 顔を出さずにどなり声だけが運転席から聞こえて、七沢農園と書かれたトラックは轟音と共に急発進して夜の闇に消えて行く。
 とうとう親子の縁切られちゃった。これからはもう一人で生きていかなきゃなんない。こうなる事はわかっていたけど、ものすごく心細かった。
 呆然ととの場に立ち尽くしていると、多分玄関に置かれた荷物の中からだろう。遥さんがあたしが見た事も無い大きなピンクの可愛い模様のついたボックスを手に持ってあたしに近づいて来た。
「あんた、これ見覚えあるかい?」
「い、いえ…」
「だろうね。新品だろうね。タグまだ付いてるし」
 それは大きくて可愛いランジェリーボックスだった。恐々その引き出しを開けてみると、そこにはあたしが秘密裏に買って部屋に隠しておいた安物のブラとかショーツとかキャミソールが綺麗に折りたたんで入っていた。
「まあ、男親はこんな事しないよね。あんたの家族にあんたの味方がいるって事だよ」
 遥さんの言葉にあたしははっとして呟く。
「多分…お母さんだ…」
 今度は紫音さんが呟く
「まあ、本当に真莉愛さんの事が嫌いなら、遠い所からわざわざ家財道具なんて運んで来ないで引越屋あたりに頼むでしょうね」
 その言葉を聞くなり再びあたしの目から涙があふれ、トラックの消えて行った方へ数歩歩く。
(お父さん、お母さん、ごめんなさい!)
 そう心の中で叫びながら深々とお辞儀するあたしだった。
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