俺の中の杏奈

(3)俺に何をしたんだよ!

 ラーメン屋を後にし、俺を京極家に送って行った後、
「明日、あんたのちょっとした治療が有るから。明日また来るわ」
 と言い残し、柴崎さんはそのまま車に乗って帰っていった。と京極家では水村さんが待ち構えていた。
「杏奈さま、今からお風呂に入って頂きます。これを履いてお風呂で待っていてください」
 手渡されたのは、多分女の子用の水着の上に履く短パンらしきものだった。とうとう俺は妹の杏奈扱いされ始めたらしい。
 流石に風呂は一般家庭の風呂ではなく、ちょっとした旅館の風呂位の大きさ。浴槽も大きくカランも三つ有り、今は京極家の屋敷は閑散としているが、これが全部埋まる時も有るんだろう。
 ふと見ると風呂の一角には、シャンプーとか何かだろうか、色とりどりのカラフルなボトルとかチューブ入りのクリームらしきものが綺麗に整頓されて置かれてある。
 と、風呂場のドアがガラガラと開いて、タオルを髪に巻いた短パンにタンクトップ姿の水村さんが入ってくる。
「杏奈さま、今から体の洗い方をお教え致します。ちゃんと覚えてくださいね」
 多分水村さんもやりづらいだろうと思う。俺も素直に従う事にした。
 彼女の指導の下、シャンプー、リンス、洗顔、ボディークリーム、ローション等、今まで経験した事の無い作業が待っていた。それにこのむせる様な花や香水の香り。
「これ毎日やるの?」
「そうです。手抜かないで下さいね」
 ようやく水村さんが外へ出て行った後、俺は入浴剤の入った真っ白な湯に漬かり、何度もため息をつきつつ、激動の今日を思い返し、そして疲れを癒した。
 明日はどうやら朝から俺何かされる様子。何されるんだろ、まさかいきなり下の物切り取られるとか…。そんな事を思っているとだんだん落ちつかなくなってくる。
 俺はそのままそそくさと湯から上がり脱衣所へ。とそこには水村さんが待機していた。
「杏奈さま、まだありますよ。まずバスタオルを胸に巻いて」
「ちょっと待ってよ。俺まだ胸なんか無いし」
「今からちゃんと覚えてくださいっ」
 頭にタオル、胸にバスタオルを無理やり巻かれ、短パンを脱がされ、化粧水、乳液、ボディーミルク、そして顔のマッサージとかをいろいろ教え込まれていく俺。ようやく終わった時俺の体からは香水のすごい香りが立ち上っていた。
「明日は早くからいろいろ有りますから、早めにご就寝されますように」
 なんだかまだ俺と同い年位に見える水村さんは、そう言って俺にお辞儀をして屋敷の中に消えていく。
杏奈の部屋に戻った俺は、あと二ヶ月もないうちに女の子デビューさせられるのかと、気が気ではなかったが、全身つるつるになった感覚にぎょっとしながらも、体と心の疲れの為か、たちまち眠りに落ちた。
 
 翌朝、隣の部屋のざわめきに目を覚まさせられた俺。隣は空き部屋の洋間のはずだが、物音と人の声で騒がしくなっていた。時間は丁度七時。と、申し合わせたみたいに部屋のドアが開き、昨日と同じ紺のスーツにメイド風のエプロンを着けた水村さんが、多分朝食だろうか、カートに何やら載せて入ってくる。
「杏奈さま、おはようございます。朝食のお時間でございます」
 そう言いながら俺のベッド脇まで運んで、ベッドの上に板を設置してその上に朝食を置いてくれる。
「へえ、結構いろいろあるじゃん」
 トーストのセット、オムレツ、たっぷりの野菜、チーズ、ヨーグルト、コーヒー。いかにも女の子向けの朝食だった。俺は昨日からいろいろ世話を焼いてくれる水村さんが愛おしくなって声をかけた。
「あの、めい(水村)さん」
「はい、なんでしょうか」
「あの、その、変に…思わない…のかな。男の俺を女として扱って…さ…」
「いえ、特に思いませんわ。ちゃんと女の子として今後も生活して頂ける分には」
 俺の顔に久しぶりに笑顔。しかし、
「ですから、食事が終わったら昨日お教えしたみたいに洗顔とお顔のマッサージ。今のお召し物脱いでこれに着替えて、待っていてくださーい」
 水村さんが指し示したカーゴの下には…、
(うわっ)
 あきらかに女物とわかる下着と白地に花柄のパジャマが有った。
「では失礼致します」
 そう言って彼女は部屋から出て行ったが、あきらかに何か笑っている様子だった。確かに俺の着ている男物のパジャマはもう臭っていた。トランクスとランニングシャツもかなりの汗を吸い込んでいるはず。続けて着るにはちょっと不衛生な感じだった。
「くそっ!もういいよ!」
 俺は覚悟を決め、乱暴に着ていたパジャマと下着を脱ぎ捨て、そして恐る恐る丁寧に畳まれた杏奈のパジャマに挟まれた女の子用のパンツを取り出し、両手で広げてみた。
 初めて女物の下着を着る俺への水村さんの計らいだろうか。女っぽい物ではなく、薄いブルーに白のチェック。簡単なレースのフリンジの付いた綿のパンツと、お揃いの柄の肩が紐になってるいわゆるキャミソールって奴。
(とうとう、俺、これ着るのか)
 大きくため息をついた俺はパンツに足を通し、キャミソールを身につけた。意外にも男物と違って柔らかくてさらさらしててすごく着心地がいい。
(これが女物なのか。あいつら毎日こんなの履いてるのか)
 一旦履いてしまえば別にどうって事はなかった。只、キャミソールの肩の部分がすごく頼りなく、パンツのフリンジがすごく恥ずかしい。
(それで、これか。まあ、スカートじゃないし)
 着込んだ下着の上からクリーム一色の柔らかなパジャマのズボンを履いて、同じクリーム地に、白の丸襟と胸にワンポイントの赤の崩した飾り文字の付いた上着を羽織る俺。
(あ、そうだっけ、女って右前か)
 なれない手付きで赤の右前のボタンを留め、ちょっと窮屈だけどまあいいかって感じで胸元を見ると、ワンポイントの文字は良く見たらそれはANNAと描かれていた。間違いなく生前の杏奈が着ていた物だろう。
 洗剤の香りの中にほんのりと香る、俺も一緒に暮らしていた時に嗅いだ記憶の有る杏奈の残り香に、俺はすごく切ない気持ちになった。
 女の子の下着とパジャマを着ていると、不思議と上品な気分と手付きになり、いつもと違ってゆっくりと朝食を済ませた俺は、それでも今後の事を考えると再び不安になってくる。
「あ、顔洗わなきゃ…」
 ベッドから身を起こした俺は、その足で風呂場横の洗面所へ。さっきからがやがやとうるさいドアの閉まった横の洋間を不審な目で見つつ、こんな恥ずかしい姿を誰かに見られないかと気にしながら洗面所へ、入った途端、タオルを替えていた水村さんと鉢合わせ!
「あ、あの…」
「杏奈さん、着てくれたんですかぁ、かーわいーじゃないですかぁ!」
 そう言って彼女は古いタオル類を手にそそくさと洗面所を出て行ったが、顔は明らかに笑っていた。
「みせもんじゃねーよっ」
 彼女の去っていく方に向かって軽く悪態をついた後、俺は歯磨きと女性式洗顔を始める。洗面所にまた香水の香りが立ち込めていく。
「あと、洗顔終わったら、右京さんのご両親のご仏前でご焼香してくださいな」
 その言葉に一瞬にして気持ちが覚めていく俺。そうだった。俺もう天涯孤独になっちまったんだ。
 
 お香の焚かれた仏間の真新しい望月家の仏壇の前で、俺は両親の写真に線香を上げる前にしばしずっとそれを眺めていた。
(俺を一人にしやがって!俺から友達まで奪いやがって!)
 仏壇に飾られてる俺の親父の写真を睨みつけ、頭の中でありったけの悪態をつく俺。特に多くの友達と突然会えなくなった事がすごく寂しい。それに片思いだった女の子にも。
俺は線香一本に火を付け乱暴に線香立てに突き刺し、手も合わせずおりんも鳴らさず、ただ一言、
「ばかやろう!」
 と涙声で叫んで仏間を出た。只、明日からは真面目に朝お参りに来よう。もう済んじまった事だ。
 
 ヘルシーで美味しい朝食と着心地のいいパジャマ、そして俺を包む香水の香り。今まで生きててこんな不思議なまったりした気分になったのは初めてだった。
(これがお嬢様気分て奴?)
再びベッドの上でぼーっと天井を眺めつつ、生前の杏奈の事をいろいろ思い出していた俺。
(杏奈お嬢様…か。お嬢様…。俺が、ね…)
 と、うとうとし始めた時、
「お嬢様、支度が整いました。お隣へどうぞ」
 部屋のドアを開け、大澤さんがうやうやしく頭を下げて俺に言う。と、
「おーい、杏奈!早く出てこいよ。みんなお前の為に朝早くから準備してんだぞ!」
 その声は、あの自爆霊じゃなかった、あの柴崎麗!?また来たのかよあいつ!!
「はやく起きて来いっつーの!」
 その声にのっそりと起き上がってさっきから騒がしい隣の部屋に行く俺。そしてそこで見た物は、
「な、なんだこれ…」
 中央に設置されたベッドの横に何台ものの機械らしき物。シャツにジーンズ姿の何人かの老若男女の人達、そして、
「うーん、この子か?この子を二ヶ月足らずで女に…か…」
 一人ウェーブのかかったロンゲのヒッピーみたいな人がいきなり俺の体のあちこちを触り始める。
「髭は、たいした事ない。スネ毛も、薄いか…」
 と俺の後ろに自爆霊の気配。
「あきちゃん、どう?なんとかなりそう?」
 暫く無言で俺の体をあちこち触っていた、「あき」と言われるヒッピーみたいな人だったが、
「まあ、やるだけやるか…時間無いから胸とヒップはどこまでいけるかな、形だけは整えるか。今日で出来るだけの事やって、あとは週一か二で来て整える…あとは本人次第だな」
「ありがとね、あきちゃん。とにかく報酬倍払うからさ」
「おっけおっけ、じゃあ早いこと始めるか!」
 俺の知らない所で恐ろしい計画が…。何も言えず怯えた様に立ち尽くす俺は、集まったスタッフの人達に担がれてベッドの上に載せられ、強引にパジャマのボタンを外され、キャミをまくられ…、あきさんとやらにバストトップを触られ…、
「…ああ、これなら問題無い、結構美乳になるかもよ。ほら怖がらない、任せとけって」
 怯えてただ何か言いたげに口を動かす俺に、そのヒッピーはニッカと笑い、手早く俺の胸のトップ周辺に針治療用の極細の針を器用に手早く刺し始める。痛くは無いけど
「それ何?」
 横で見ていた柴崎さんが怪訝そうに言う。
「あ、これ?電気と超音波で乳腺のベース作る装置」
「そんなの持ってたっけ?」
「今日テストも兼ねて持ってきた」
 俺はやっと、
「ち、ちょっとこれ…」
 と声が出たが、
「いいから、俺のやる事に間違いないから」
 そう言いながらあきさんは今度は俺のバストップの上にたっぶりとものすごい臭いのする茶色のペーストを塗りこんでいく。
「それもテスト?」
「うん、バストトップ刺激して大きくする薬。俺の発明品だよ。あとで塗ってやろうか?」
「いらない。杏奈ちゃんが成功したら考えとく」
 あきさんと柴崎さんのとんでも会話聞きながら生きた心地のしない俺。
「じゃ、いくよ」
 極細の針に電極を繋げたあきさんが傍らの機械のスイッチを入れる。
「あ、あーっ」
 途端胸に来るピリピリとした感覚に一声上げる俺、そしてそれは時間が経つごとになんとも言えない不思議な感覚に変わって行く。なんとも言えない、暖かくて冷たく、くすぐったくてちょっと痛くって。
 只、さっきのあきさんの会話とか、今のこの感覚とか、俺はとうとう女の体にされるんだって思うとすごく恥ずかしくなり、集まった皆の目線をそらすべくぐっと瞼を閉じた。
「おい、麗(柴崎)この子の名前なんだっけ」
「あ、今日から杏奈って名前になったの」
「そか、じゃ杏奈ちゃん。ちょっと眠ってもらうからね」
 あきさんに何かを鼻に当てられた俺は、胸の気持ちよさもだんだん消え、そのまま気を失ったらしい。

 俺が気が付いた頃、部屋の窓の外は真っ暗だった。壁にかかってる時計を見るともう夜の九時近く。俺は十二時間近く寝ていたらしい。意識が次第にはっきりしていく中、どうやら俺は顔や手足や体のあちこちに包帯を巻かれている事に気が付いた。
「あの、ちょっと…」
 何度か試してようやく出た声に、部屋の中にいたらしい水村さんが気が付いた。
「あの、柴崎さーん、杏奈様気がつかれたみたいですぅ」
 そう言って部屋から出て行く彼女。そして程なく柴崎さんが入ってきた。
「良かった、気が付いた様ね」
「良かったって…あの、俺何されたんですか」
「いいから、後でわかるから」
 もう不安で仕方ない俺。そんな俺に柴崎さんが容赦無く今後の予定を俺に言う。
 今日と明日一杯はベッドで安静。但し、明日から杏奈ちゃんが今まで書いた日記を熟読する事。そして京極家の人や杏奈の友達が撮影した杏奈の映ったビデオを見て、彼女の喋り方とか仕草の概要を覚える事。そして今後も時間が有ったら彼女が好きだった本や映画をしっかり読んだり観たりする事。
「これ遊びじゃないからね。勉強のつもりでやってね」
「…はーい」
「食事は?」
「今何も食べたくない…ちょっとトイレ」
 その言葉に柴崎さんはちょっとびくっとした様だったが、
「どうぞ。ちゃんと座ってするのよ」
「わかってますよ…」
 事故による手足の打撲の痛みは殆ど消えていたが、何だか全身がひりひりして熱っぽい。ちょっと我慢して立ち上がりトイレに行く俺。
(俺何されたんだよ)
 そう思いつつ俺はパジャマの下を下ろし便座に座った。
(パンツは脱がされてたんだ、て、おい!なんだこれ!)
 俺の下半身を見た時、俺は愕然とする。湿布の様な物の貼られた俺の男性自身の周り。しかし、その付け根あたりにはそれが張られておらず、恥毛がむき出しになっていたが、それはいつか見た女の子のヌード写真の様な長い長方形に…。
「わあ!!」
 大急ぎで用を足し、部屋に戻る俺。
「な、何したの!?俺に何したの?」
 ベッドの傍らの椅子に座って何かの資料を見ている柴崎さんに、俺は興奮して尋ねる。
「え?何したって?全身脱毛と眉毛の調整ととまぶたの二重化。それに胸に乳腺の基礎作ったのと、注射二本、それくらいか?」
「俺、もう恥ずかしくてスパとか行けないじゃん…」
「あんた何言ってるのよ。もう男湯には行けないかもしれないけど、女で行けば?不安ならあたしが付いて…」
「注射って、何だよ」
「あ、まだ卵巣が正常機能してないから、補充の女性ホルモン一本と、あとはおまじないみたいな秘密の注射一本」
 淡々と喋る柴崎さんの言葉に、俺はがっくりと膝を付く。
「だって、俺まだ正式に杏奈になるって決めたわけじゃ…」
「もう!女々しいわね!て、あ、女々しいってあんたもう半分女なんだっけ、ははは…じゃなくて!もうはっきり覚悟決めなさい!いいこと!?あんたはもう半分女!名前も杏奈!」
 俺にはこの先自殺して杏奈の元に行くか、女の子になって杏奈として生きるかしか道は無いらしい。無言でのそのそとベッドに向かう俺。
「夜食べてないでしょ?食べる?」
「…、いらない。食いたくない。水だけでいい…」
 そういいつつ部屋の小さな冷蔵庫からペットボトルの水を取り出し、ベッドに寝転がる俺。
「いらない?あっそ。じゃあたしが頂くわ。あんたの二重の手術やった後、あんたの恥毛を女性型にする脱毛までやらされてさ、もう正直くたくたなんよ」
 そう言ってサイドテーブルの上の皿に有ったサンドイッチのラップを取り、猛然とぱくつく柴崎女史。
「あれ、あそこの毛って柴崎さんがやったのか…」
「そうよ。可愛くなったでしょ。まあ、美容に関する所はやっぱり男には任せられないわねぇ」
(男のあれ見ても平気な女なのか)
俺は無言で再びベッドに入った。麻酔なのか睡眠剤なのか、まだ効いてるらしくやたら眠い。だいたい家族を奪われてこの世から存在まで消された俺が、なんでこんな目にあわなきゃいけないんだよったく…
「あ、そうそう。これ杏奈ちゃんのアイフォン。事故でぐちゃぐちゃになってたけどクラウドにしてあって丸ごとコピー出来たから。これもメールとか全部目通してね。ここに置いとくから」
 
「望月君、何してんのよ。早く着替えて出てきなよ」
 その声は俺のクラスメートの生田彩(あや)の声だった。ふと見ると俺は俺のいた高校の、ここ女子更衣室?その中に俺は高校の男子制服のまま椅子に座っていた。
「望月君、授業始まっちゃうよ」
 次々と着替えを済ませ、紺のショートパンツに丸襟のシャツで更衣室の外に出て行くクラスメートの女の子達。
穂香、美優、瑠奈…俺と仲の良い女の子達。
「おい望月がどうしたって?」
 更衣室の外で男の声。あ、友人の高杉良一の声、その他にも、本間!池辺!烏丸!
「ちょっと、俺なんで女子更衣室に」
 椅子から立ち上がっり、慌てて女子更衣室から出る俺。
「なんで俺女子更衣室に…」
 その時、俺の着ていた制服は一瞬にして、前にいた生田と同じ、丸襟の白の体操服と紺のショートパンツに変わる。ずきずきとし始めた胸をふと見ると、体操服から透けて見えるブラに包まれたふっくらとした膨らみ。
「望月君、今日女子は体育館だから」
 そう言う生田に手を繋がれて体育館の方へ連れて行く俺、
「あ、ちょっと、生田!」
 そこで俺は目を覚まし、ベッドから上半身を起こす。
「ふー、夢か…」
 と安堵した俺だったが、
「兄貴」
 聞き覚えの有る声、その方へ目を向けると、ベッドの足元に一人の制服姿の少女。
「あ、杏奈!」
 紛れも無く、俺の妹の杏奈だった。
「兄貴、ありがとね」
 そう言って杏奈は胸元で小さく手を振ると、すっと消えた。
「杏奈!杏奈!どこだよ!」
 俺はベッドから飛び起きると部屋の中をばたばたと歩き、杏奈を探し始めた。と、そこへ
「おはようございます杏奈さま、どうしたんですか?」
 部屋のドアからエプロン付けた水村さんが、昨日みたいな朝食を載せたワゴンを押して入ってくる。ワゴンの下には何か入った袋がいくつも載せてあった。
「今、杏奈がそこに…」
 その言葉にふっと笑う水村さん。
「あなたが杏奈さまでしょ。多分睡眠薬のせいじゃないですかぁ?あたしも経験有りますけど、あれ飲むと起きる時にぼーっとしたり幻覚見たり…」
 そう言いながら彼女は昨日みたいに朝食を用意し、ワゴンの下に有った袋をどさっとベッド脇のテーブルに置く。
「はいこれ。柴崎さんに言われた日記と編集済みのビデオです。昨日広瀬さんと必死で作ったんですから、あと杏奈様はブログも作ってらっしゃいましたからちゃんと見てくださいねっ。それじゃあごゆっくりっ」
 そういい残して足速に部屋を出て行く彼女。俺を杏奈よばわりしているものの、まだ外見は全く男でしかも包帯だらけの人物を杏奈と呼ぶのは抵抗有るのだろうか。
 ある程度十分な睡眠が取れた俺は朝食を平らげ、朝の洗顔と親父達の礼拝の後、まずは渋々杏奈の日記を手に取った。

 杏奈は養子に出されてから暫くはかなり寂しかったらしい。両親への思い、そして俺に関する事。会いたい会いたいと何度も書かれており性格も一時的に陰湿になっていたらしい。それで苛めに会ったのだろうか。シカトされたり、物隠されたり、仲間はずれに合ったり。
 部屋でも一人泣いていたのだろう。高校一年の初期の事が書かれているページには日記には明らかに涙だと思われるシミがあちこちに有る。
 大澤さんとか広瀬さんとかの計らいである程度の英才教育を受けていたらしいが、何度も俺と両親への思いが書かれていて、その文字やイラストがシミでぼやけている所も。しかしあの柴崎さんとの出会いで急速に良くなっていく様子が書かれていた。
 杏奈の気持ちが良くわかる。ガンバレガンバレと読んでいて何度も声援を送った。時々目頭も熱くなる。本当事故に会ってから初めて俺に人間らしさが戻ってきた感が有る。
 高校一年の夏位から友達が増え、男友達も増えてきたらしい。苛めていた奴もいつのまにか友達に。女ってわからん生き物だ。俺は杏奈の本棚から何も書かれていないノートを見つけると、杏奈の交友関係を書き出し、かつ友達の一人一人の特徴とかを付け沿えた。
「杏奈さま、どうですかー」
 何故か夢中になっていて、時刻は知らない間に昼。昼食を持ってきた水村さんの声にも気づかなかった。
重要と思われる所に付箋紙を張りつつ、ようやく事故直前までの日記を読み終えたのは夕方近く。今度はアルバムを手に取り、友人の顔を確認し始める。友人と一緒に写っている杏奈の顔は、初期は暗かったがだんだん明るく、そして可愛くなり、着ている服もだんだん可愛い物になり、写る時のポーズも可愛く変わっていく。
 可愛いビキニスカートの水着、白にピンクの花柄浴衣、ミニスカートのテニスの写真。そして運動会。
「へーぇ、可愛いなあ。杏奈の行ってた高校って、まだ女子はブルマ…」
 そう思った瞬間、俺に稲妻に打たれた様な衝撃。
(何喜んだり、感傷に浸ったりしてんだよ!こんなの俺が演じるなんて絶対無理だろ!)
 アルバムを傍らに置き、暫く呆然とした後、ベッド横のDVDプレイヤーで杏奈の動画を見始める俺。そこには可愛い杏奈が可愛い服を着て元気に飛び跳ねたり、ポーズを取ったり、喋りまくったり、時には音楽に合わせて友達と踊ったり…。
「やっぱり俺には無理だよー!」
 思わず大声出す俺、とふと部屋のドアの方へ顔を向けると、いつのまに入ってきたのか柴崎さんがドア横で腕組みをして足を組んで壁に持たれてじっと俺を見つめていた。
「い、いつの間に…」
「どう、どれだけ大変かわかったでしょ」
 意地悪そうに言う柴崎さん。俺はベッドから起きてそこに座り直して柴崎さんに向かって言う。
「こんなの無理だよ。俺、絶対杏奈になんかなれる訳ない!」
 それを聞いた柴崎さんは俺をじっと見つめたまま大きくため息をついて言う。
「だーかーらー、あたし達がいるんじゃない…」
 そう言って彼女は手に持った数枚の書類をひらひらさせた。

 俺の事故の後遺症が消え、ようやく普通に歩ける様になった次の日の朝、まず手足の包帯が外された。まだ多少赤みは残っているが、目立つ毛は大体レーザーで脱毛され、細かい毛根が包帯に付着していた。
次に顔と胸の包帯が柴崎さんによって外される。外されるやいなや、俺は彼女の手をすり抜け、部屋の姿見の所へ駆け寄り、そして大声をあげ、そこに座り込んでしまう。
「どうすんだよこれ…」
 俺の眉は脱毛により、杏奈そっくりの細長に整えられ、そして目は二重まぶたに。
アゴと鼻の下はかなり赤みが残っていたが、ここもかなり脱毛された模様。そして、杏奈の顔に有った泣きほくろと頬のほくろのある場所に、多分刺青であろうか、そっくりのほくろが作られていた。
 だが一番衝撃的だったのは胸だった。むずむずするのでおかしいと思っていたものの、俺の乳輪はほとんど目立たなかったはずなのに、鏡で見たその直径は三倍位に大きくなり、しかも色は薄い黄土色から、赤黒い色に変色していた。
 眉と目と刺青のほくろだけで、かなり変わってしまった俺の顔。鏡に映るその顔は口を半ば開けた呆然とした表情になっていた。
「何やってんの、まだまだこれからよ」
 そんな俺にムチ打つ様に、俺に昨日柴崎さんが持っていた資料に何やら加筆修正されたものが手渡される。それには海開きの前日の六月三十日までのスケジュールが学校の時間割みたいに一時間単位で書かれていた。しかも朝八時から夜の十時までびっしり…。日曜だけは自由らしい。
「杏奈さんの友達からの手書きの手紙、そして電子メールがかなり届いてます。まずはその二つで杏奈さんに成りきる事。筆跡とイラスト、そしてメールの癖を体得する事。加えてボイストレーニングと、女性の仕草の基礎をこの二週間で会得すること。いいわね?」
 俺は鏡に向かって微動だにしなかった。
「それと、学校休んでいる間の勉強は大澤さんと広瀬さんが教えてくれます。午前中はそれに専念する事。そして女子の家庭科に準じる事は水村さん。それ以外は専門に教える方が来てくれます」
 ようやく鏡の前から立ち上がる俺。俺への指導はまだ続く。
「先日あきさんが話ししてたけど、残りもう二ヶ月もありません。とにかく胸とヒップは大きく見せるよりまず可愛く見せる事を優先します。当分は植物性の食事になりますが、量はかなりあると思います。たくさん食べて、そして毎日胸とヒップ、そして指導員の先生に従って、手足を綺麗にする為の美容体操を行ってください。女の体に必要な脂肪を無駄なく、ちゃんとした位置に付ける為です。それと…」
「いいですっ、わかりました」
 長々と説明続ける柴崎さんを遮って鏡の前でパジャマを脱ぎ捨てる僕。午前中は高校の勉強らしい。
「何着ればいいですか。杏奈の学生服ですか」
「え、ああ特に指定してないわ。午後運動とかも有るから着易い好きな物を部屋のタンスの中からね」
 もうやけくそで答えた割にはあさっさりした返事だった。パンツとキャミのまま、僕は部屋のタンスの前に行き、汗と胸に塗られた薬で臭くなったそれを脱ぎ捨て、新しいブルーの綿パンと同色のキャミソールを着込んだ。
 途中赤黒く変色してしまったバストトップを見つつ、
(もう絶対男には戻れないんだろな)
 と思いつつも、
(スカートとか、ひらひらの服なんて絶対やだ)
 と思いながら、たくさんのカラフルなトップス・パンツ・スカートの中から無難な黒地に白のロゴのTシャツとカーキ色のジーンズを着込む僕。
 と、久しぶりに大澤さんの声が部屋の中に入ってきた。
「お嬢様、おはようございます。一時間目は数学でございます。教科書等は用意してございます。私の執務室へ」
 彼のお嬢様の言葉に鳥肌を立てながら、俺は大澤さんに連れられ部屋を出た。
 一週間は瞬く間にすぎていく。なんだかんだいいつつも、俺は今までと全く異なる生活空間の経験に少なからず興味を持ち始めた。大澤さんと広瀬さんの勉強の講義はすごくわかりやすい。そして午後の女性化のトレーニング。
 ボイトレ専門と称する女性の方が来てくれて電子ピアノ使ったボイストレーニング。タブレットに写された杏奈の書いた文字やイラストをなぞっていく筆記の矯正とイラストの勉強。アイフォン使っての女の子メールの練習。
 そして胸とヒップの発育に重点置いた体操と基本的な女の子仕草と立ち居振る舞いの練習。これは先日来たあきさんのお知り合いの背のすらっとしたお姉さんが先生で来てくれた。この時、
「あの、あたしもやっていいですかぁ」
 と、何故か水村さんがつきそいと称してアニメキャラのシャツを着こんで俺と一緒にトレーニングを受けていた。
 そして、その人による初めての俺の胸のマッサージ。
「あの、俺…」
 恥ずかしそうにしている俺に、
「大丈夫です。すべてわかっていますから」
 と笑顔で答えてくれて、まだ男顔で、胸だけ少し女の俺の胸を眉ひとつ動かさず、強く弱く丁寧に手のひらでもみほぐす様にする彼女。
「いい色ですね。可愛いおっぱいになりますよ」
 そんな事を言われて俺は顔から火が出る思いだった。
 そして水村さんにつきっきりで教えてもらいながらの家政一般。三度の食事の料理、掃除、洗濯、裁縫、アイロンがけ。最初は俺を変な目で見ていた水村さんとはだんだんお喋り友達同様になっていく。
 更に、夕食後あのあきさんが三~四日に一度、脱毛と体型補正に来る。
「いやあ、仕事終わった後の旅行気分だし、温泉、ホテル、メシ、酒代全部そちらもちだし、報酬二倍とありゃ、そりゃあもう」
 そう言って笑いながら残った部位の脱毛、そして胸の育成マッサージ、そして信じられない事だけど、肩幅と足のサイズの縮小、骨盤の肥大化術まで施し、最後にサイズを測った後、鎌倉の街の中に消えて行った。

Page Top