その日の深夜、行きとは違い日本国軍のブラジル軍用便の飛行機であわただしく日本国に帰る事になった俺。あの後全てをブラジル軍警察とイギリス海兵隊に託し、俺と綾瀬は別れた。その後綾瀬は後処理が有るという事で警察に行き、おれは一人軍空港近くの場末のバーでウィスキーを空けていた。
搭乗一時間前、見送りに来てくれるという綾瀬を俺が待っていた時、
「真田君」
なんか可愛い女の子が近づいてきたなと思ったら、なんと、その女の子はそう俺に話しかけた。よく見ると確かに綾瀬だった。しかし、
綺麗にソバージュに纏めた髪、黄色い小花を散らした短いノースリーブのワンピース、それに透けるブラ。膨らんだブラの胸元。ピンクのマニキュア。そしてヒールのサンダルからは真っ赤なペディキュアがちらちらしていた。
とうとう奴は俺の前で私服でスカートで現われやがった。しかも、こんな可愛い女の子に変身して。
「いろいろ、ありがとね」
「ううん、俺何もしてないし」
「そんなことないよー」
いつもの俺だったら奴に冗談言ったり時には蹴飛ばしたりしていたが、こんな美少女になった奴にそんな事は出来なかった。
「珍しいな、俺の前でスカートなんて」
「うん、女になった僕を見て欲しかったんだ」
恥ずかしげに笑いながら俺に話す綾瀬。
「女になったって、お前エンゼルに入った時、もう女扱いされてたんだろ?」
意地悪そうに俺が話すと、奴はしおらしくうつむき、そして顔を上げる。
「今回の事でわかったんだ。今までは頭の中までは女にはなってなかったけど…」
立ったまま女の子らしく足を組み替える綾瀬。
「たくましい男の人に囲まれて興奮しちゃったりさ、かっこいいけど好きじゃない人に触られてぞっとしたりさ、もうすっぴんでも女にしか見えなくなったりさ、胸とかも膨らみが目立ち始めたりさ」
俺との目線をそらして続ける綾瀬。
「もう、本気で、僕もう男じゃない。女の子になってきたんだって事がわかったんだ。だからさ!」
俺から逸らした綾瀬の目は今度ははっきりと俺を見つめ、そしてみるみる奴の目が涙目になる。
「僕が、綾瀬浩二だった事は、もう忘れて欲しいんだ!」
その言葉を聞くや否や、俺は奴の体を無意識にしっかりと抱きしめた。
昔は背丈は一緒だったのに、もはやヒールを履いても俺より背が低くなってしまった綾瀬。
柔らかくすべすべになった体に、綾瀬の付けてるブラのホックが手に当たる。処女の女の子の様なフルーツの香りになった綾瀬。俺の胸元にプルプル当たる、ブラ越しの奴の柔らかくて暖かい胸の膨らみ。
「ふざけんなよ!忘れられる訳ねーだろ!」
その言葉と共に、柔らかい女の肉が付き始めた綾瀬の体をしっかりと抱き直す俺。
「忘れてよ!忘れてよー!」
そう言って、奴は足をどたどたと踏み鳴らし、細く柔らかくすべすべになり始めた両腕と手で俺の体をぎゅっと抱きしめはじめる。
「僕はもう綾瀬留美になったの!女の子になったの!」
周囲から何人もの軍空港の職員や、俺と一緒に搭乗予定の人達の目線を感じるが、空港で男女が抱き合うこういう状況は日常茶飯事なのか、特に誰も気にしている様子は無い。話の内容は、聞かれていたらちょっと厄介だが。
「僕を、女の子として、綾瀬留美として、今後は見て欲しいの…それにさ」
俺の首筋に顔を載せながら、綾瀬が続ける。
「僕、今気が付いたんだけどさ、他の男はともかく、真田君になら、こんな事されても、許せるかなって…」
と顔を上げ、涙をぼろぼろこぼしながら俺の目をしっかり見つめた。
「真田君なら、抱かれて安心するの。ていうか、もっと、ぎゅっと、抱きしめて欲しいって…」
その瞬間、俺と綾瀬の唇はしっかりと合わさってしまった。何故かわからない。事実、こいつ、まだ体は女には成りきってないのに、どうしてかわからん!ただ、こいつが愛おしくて、守ってやりたくて、しっかり抱きしめてやりたくて、それだけなんだが…。
俺の股間のものがみるみる硬くなり、綾瀬の腹部に当たる。
(あ…やべ)
と思ったが、奴の柔らかくふっくらしてきた下腹部は、優しくそれを押し返して来た。と、
「二十二時五十分初、日本行き搭乗の方は五番ゲートへ」
行きの時の民間空港とは違う単調で味気ない搭乗案内のアナウンスが聞こえた時、俺はようやく綾瀬と離れ、そして荷物を持って手を振るだけの無言のバイバイをした。
「彼女、待ってくれるのかい?可愛い女じゃねーか」
近くで俺と綾瀬の事をさっきから遠めで見ていた、同じ機に搭乗予定の名も知らぬ中尉殿が、俺の肩を叩いて先へ急いで行く。
日本はもうクリスマス前。今日、日本国軍本部前のメスインストリートはお祭り騒ぎだ。年に一度の軍事バレードだが、今回はいつもと比べてカメラを手にする一般人や報道陣が異様に多い。
そのはずだ。今まで謎に包まれていた第九十一女性特殊部隊、通称エンゼルソードが始めて参加するんだからな。
パレードの始発場所の日本国軍司令部前は、彼女達を待つ人々でごった返し、兵士や警察官が大勢整理に当たっていた。
俺の所属する四十二部隊でも、パレードの日の午後は全員非番となり、木桜大尉の部屋のテレピの前に集まっていた。
先輩隊員の話によると、軍事パレードなんて馬鹿馬鹿しいと普段言っている木桜大尉までが、机に足を乗せ葉巻をくゆらしながら、集まった俺達の後ろの方からじっとテレビでパレードの様子を眺めている。
「榛名の奴、先手を打ちやがったな…」
ぼそっと喋る木桜大尉の言葉に何人かが振り返る。
「え、どういう事っすか、おやっさん」
何を勘違いしてるのか、ハチマキにメガホン姿の鎌田少尉が問いかける。
「まあ、噂だけどな…。周防の奴がエンゼルソードを潰そうとしてるらしいが…」
「えー!なんだって!」
いきなり立ち上がって、木桜大尉が足を乗せてる机の側に歩み寄る鎌田少尉。
「娘っ子にこんな危ない仕事させるなって、ことよ…」
「冗談じゃないっすよ!!」
鎌田の顔がみるみる赤くなる。
「あんな可愛い子達が必死で戦ってるのに!もし本当なら俺、今から周防准将と刺し違えて来るっすよ!」
「馬鹿ヤロウ!おめーなんざ奴の足元にもおよばねぇーよ…」
鼻息巻いてる鎌田を鼻で笑う様に木桜大尉が続ける。
「これ以上、結城曹長みたいな奴を出したくねーって事よ」
まだ怒ってる鎌田少尉を気にもせずに、そう言って靴のかかとで机を叩く木桜大尉。
「だから、先に公開しちまって、簡単に潰せない様にしたんだ。よく思い切ったもんだぜ…おっと、皇居親衛隊が出終わったか、例年だと次が特殊か空挺だ。多分そいつらの先頭じゃねーか?」
木桜大尉の読みは当たった。パレードのBGMがマーチから突然軽快なサンバの曲に変わる。そして割れんばかりの大声援。見ると指令本部前の門の右手奥から、大きく曲がって登場した真っ黒な新鋭ステルス戦車の上に座る、真っ白なミニのワンピースの女性達が遠目にテレビに映し出された。
「さて、いよいよ出てまいりました!わが国の女性特殊部隊が、とうとうその秘密のベールを脱ぎました!」
バレード中継のアナウンサーの声と共に画面が切り替わる。その女性達はまさしくエンゼルソードの制服の上にセレモニー用のジャケットを着た女の子達だとわかった。
新鋭のステルス戦車のフロントに座る、肩をくっつけ合い、綺麗な足を斜に流し、何やらお互い喋りながら笑顔で集まった観衆達に手を振る五人の女の子達。
内、右に並んだ二人は四十二部隊でも有名な双子の人魚こと、奄美まどかと奄美ひみか。左端はまだ俺の知らないエンゼルの隊員。そしてその横は結城の事件の時に見た森井沙弥香少尉だが、中央のロングヘアの美少女、それは…。
「おい、中央は綾瀬じゃねーか!?」
多分ウイッグだろう。長い黒髪に少女の様なあどけない可愛いメイクを施され、次の瞬間アップでテレビ画面に映ったのは…
「真田少尉!そうっすよ!あれ!まじ綾瀬留美っすよ!」
鎌田が歓声の声を上げて手にしたメガホンを叩き始める。
「綾瀬って、エンゼル新人のか?ありえねーぜよ、新人がど真ん中なんて事…」
木桜少尉も葉巻を口に咥えたまま、ポケットを手にテレビに近づいて来る。
「いいぞー!留美ちゃーん!」
鎌田少尉の声が更に大きくなった時、
「うるせーな!少しは静かに見ろよ!」
俺の横でさっきからパレードに出てくる兵器や兵士達を見つめて一人ぶつぶつ言ってた特殊同期の大村少尉がとうとう切れて鎌田に文句を言い始めた。
テレビではパレードの解説者がエンゼルソードについていろいろ喋り始める。まあ公開可能な範囲の事だと思うが。
エンゼルソードは志願制ではなく、浜少尉の様な特例を覗いては完全に日本国軍からの完全スカウト制であること。そしてスカウトされた女の子は、まず下部組織(ピクシーアロー)に入隊して経験を積み、その中で優秀な人物だけがエンゼルソードの入隊試験を受ける事が出来る事。
正式名称は日本国軍海兵隊特殊九十一部隊。在籍数は多分今回パレードに参加している十七名。
部隊長の榛名中佐は、スポークスウーマンとして何度かメディアに出た事は有るが、それ以外の隊員は、民間から来た浜少尉を除いてメディアに出た事は皆無。
榛名中佐の元、少佐は不在。大尉が一名、中尉が三名、残りは少尉だが、テレビに映っている中で榛名中佐以外は誰が誰だか、階級が何かは不明。というか機密であるという事。
今回初めての顔出しだが、何人かはパーティーで着ける蝶の様なマスカレードの仮面を付けており、顔出ししている女の子達も、多分メイク、あるいは特殊メイクで素顔はまず間違いなく別の顔だろうと。
テレビ画面では、戦車の上部ハッチから上半身を乗り出して手を振る榛名中佐を始めに、十七人の隊員達ひとりひとりをアップにした映像が続く。
「前の五人のうち二人は全く瓜二つの可愛い女の子ですが、これも特殊メイクなんでしようかね?」
「中尉以上は殺人許可持ってるらしいですが、先頭の五人のアイドルみたいな女の子も、人を殺めたりするんですかね?」
「アイドルデビューしてCD出さないですかねー」
解説者の軍事評論家の無神経で不粋なコメントに、
「うるせぇ!お前!退場!」
と手にしたメガホンをテレビ画面に向け、鎌田少尉一人息巻いていた。
唯一人、戦車に乗らずに一人だけ歩きながら日章旗をひらひらさせて持ち、サンバのリズムに合わせて踊りながら笑顔で戦車の後をついていくアメリカ人のエンゼル。それはこの前訓練中に俺を拉致したアンジェラ・井上中尉。あの事以来九十一部隊ではおなじみの顔だ。
「あいつよぉ、この前ブラジルで下手打って、罰として歩かされてるらしいぜ。しかしタダではころばねぇ奴だなあ!がっはははは!」
軍事バレードが嫌いなはずの木桜大尉が、どういう訳か最近見た事の無い笑顔で、テレビを見ている隊員達の中に割って入ってきた。と、鎌田少尉が意地悪そうな顔で木桜大尉の方を見ておどけた表情を見せて言う。
「おやっさん、やけにエンゼルの事気に入ってますねぇ…」
「ま、まあな、榛名と浜のおばさん以外は皆娘みてーなもんだ…」
「おやっさん、俺聞いちゃったんすけど、おやっさんと榛名中佐と、昔付き合ってたという噂を…」
鎌田のその言葉に葉巻を口から外して手に取り、数回咳払いする大尉殿。
「えー!?」
「本当っすか!おやっさん!」
俺もびっくりして木桜大尉の顔を見る。怒り出すかと思ったが…
「そんな事も有ったかなぁ、いつの間にか周防に取られちまってよぉ…あいつら結婚したかと思ったらすぐに離婚しちまいやがって…」
と呟いた後、チッと舌打ちする木桜大尉。結構な軍事機密を漏らしてしまった。
「おやっさん!今の話本当ですか!」
「周防准将と榛名中佐って、一時結婚してたんすか!?」
またもやびっくりして隊員達が声を上げる。
「う、うるせぇ!命令だ!今のは聞かなかった事にしろ!」
そう言うと木桜大尉は、並んでテレビ画面を見ている俺と大村少尉と鎌田少尉の後ろに来てしゃがみこみ、極細のボソボソ声で話し始めた。
「おい、エンゼルの綾瀬留美少尉って、一体誰なんだ?」
その言葉に一番ぎくっとしたのはこの俺だった。
「今思い出したんだが、一時真田がふさぎ込んでいた時有ったよな?相棒が行方不明になったとかで?」
「は、はあ、そんな事も…」
俺の返答に俺を見つめる木桜少尉の眼光が鋭くなり、更にやっと聞き取れる位の声になる。
「その相棒の名前…、綾瀬とか言わなかったか?」
俺はもうなんて答えたらいいかわからず、ただただ顔を強張らせて黙っていた。更にその口調で鎌田に話しかける木桜大尉。
「おい、ヒゲブタ、エンゼルに詳しいよな?下部組織のピクシーアローの曹長の中に、去年綾瀬留美なんて奴、いなかったよな?うちにナイフの訓練で来た奴の中にもなあ…」
その声に鎌田少尉もすっかり元気を無くして沈黙し、大村少尉と一緒になってうつむいて黙っていた。ひょっとしてこれ、木桜大尉の過去の色恋沙汰をあばいた鎌田少尉への仕返しだったのかも知れない。
「そーゆー事だったのかい…どーりでおかしいと思ったぜ…榛名の奴も、おかしな事始めやがって…」
そう言って木桜大尉は俺達の側を離れ、再びテレビ画面を無言で眺め始める。
俺もただぼーっとテレビ画面に映る綾瀬留美を見つめていた。五人の真ん中に座って愛想を振りまいてる奴は、他の四人より多少大柄だが、パッチリメイクした顔、胸元の膨らみとかスタイル。
そして特に奴の着ている白のミニスカワンピの裾からのぞく、白くてふっくらとした太ももは、もう他の四人と変わりばえしなかった。
もはやエンゼルのアイドルみたいになってしまった奴としっかり抱き合って別れのキスをした俺。昔の自分の事は忘れてくれと駄々をこねられ、過去にぼっかりと穴が開いてしまった俺。
俺って笑っていいのか、悲しんでいいのか?どうなんだよ!どっちなんだよ綾瀬留美!
コの字型にパレードの列は続く。元の日本国軍軍司令部の裏門に入るまで、エンゼルソードの女の子達の周囲では無数のフラッシュが焚かれ、彼女達を追っていく観衆の群れは消えなかった。