エンゼルソードに花束を!

(8)氷の美女、栗原中尉の秘密

「ブタはともかく、おめーがこんなにドン臭いとは思わなかったぜ…」
 部隊長室の木桜大尉に呼び出された俺と鎌田中尉は、もうヘトヘト状態で部屋のソファーでくたばっていた。
「戦闘機とはいわねぇ、特殊にいるならせめてヘリとセスナくらい最低限飛ばせる様になれってんだよぉ」
 今朝から俺はヘリ、鎌田少尉はセスナの飛行訓練をさせられたのだが、俺はヘリを十メートルも空中に上げられず、鎌田はセスナ訓練中に着地に失敗し、虎の子のセスナの尾翼を損傷させてしまった。
「んな事言ったって、おやっさん(木桜大尉)だってヘリもセスナも操縦出来ないじゃないっすか、…アッチチチ…」
 もうふらふらになりながら不平を言った鎌田少尉の股間あたりに、木桜大尉の加えてた葉巻が命中した。
「俺ん時はそんな高価なもん、触らせてくれもしなかったんだよぉ!」
 木桜大尉は葉巻を投げたその手で一枚の書類を手にしてバンバン叩く。
「見ろ、大村は今日一日でヘリの基礎はあらかたマスターしてるぜ!」
 横で何かやりとりしている様子だが、ヘリ酔いと気疲れと頭痛で気分の悪い俺には遠くで誰かが話している様にしか聞こえない。何、大村がヘリマスターしたって?船にはあんなに弱いあいつがかよ…。
「おいブタ、おめー明日の非番は無しだ!真田と一緒に気晴らしに、エンジニアワークスペース行って、所長の真下って少佐に挨拶して来い!俺が最も信頼してるエンジニアだ。これからおめーらもいろいろ世話になるかもしれんからな!」
「え、俺っすか?無理っすよ。明日予定入ってるし」
 頭に載せた濡れタオルをひっくり返しながら、不平を言う鎌田少尉。
「そんなもん断りゃいいだろ!」
「だめっすよ。エンゼルの浜少尉と奄美両少尉とデゼニーランド行く約束なんすよ」
「なんだとぉー!?」
 呆れた様子の木桜大尉を前に鎌田少尉が続ける。
「ほら無人島の件以来、浜少尉はともかく、あの双子の人魚になつかれっぱなしでさぁ、あいつら日本に帰ってくるたんびに、昼夜かまわず遊びに行こうって連絡が来て、無視しても部屋まで押しかけてきてさあ、ブタ出て来いだの、飲みにつれてけーだの、もうこっちはくたくたっすよ…」
 鎌田の言葉にいらいらした様子で頭を抱え始める木桜大尉。
「わーった!勝手にしろ!おい、真田!おめーだけでいいから行って来い!それから!」
 横の書類の山からなんらかの書類の入った封筒を俺に投げてよこす木桜大尉。
「これ持って真下少佐に渡して来い!綾瀬留美って新人のエンゼルが案内までしてくれるぜ。ガキの使いだ!」
 桂木大尉の言葉に、
「えー!留美ちゃん来るの?くそー、残念だなぁ」
 ものすごく残念がる鎌田少尉だった。

翌朝九時前、俺は軍服で指定された、都心近くの軍の研究所前に到着。何かの工場かと思いきや、そこには
『日本国軍デザイン研究所』
 の看板が掲げられている。俺の知ってる軍施設とは違い、そこに通勤してくる女性の姿も少なくない。
(しかし、なんだよここ…)
 綾瀬を待つ間、俺は身分証を見せ、守衛に挨拶した後、その施設周辺を暫く散策。以前は誰かの私邸だったのか?広い庭と噴水まで有る、古めかしい巨大で壮大な西洋風の建物。中央には時計塔まである。ただ周囲を囲む高いフェンスとあちこちにある監視カメラが、そこが唯の軍施設ではない事を証明していた。
「真下技術少佐というのは、ここの研究所の?」
「はっ、所長であります。今年の四月にここに着任されました。当施設も今年四月に開設されております」
「ありがとう」
 守衛とそんな言葉を交わしていると、
「おまたせー」
 という声と共に綾瀬が到着。俺は奴の姿を一目見るや、くるっと背を向け施設に入っていく。
「ちょっと真田君!」
 横目で見ていたが、ろくに身分証も見ない守衛が綾瀬に敬礼していた所を見ると、綾瀬はどうやら顔パスらしい。
 大きな紙袋を持ち、ファー付きのピンクの短いコート、白のショートパンツの下には厚手の茶色のストッキング。奴が横に並ぶと同時に俺は奴のヒップを軽くぶつ。
「真田くーん!」
 ちょっと怒った様に言う綾瀬。
「もうわかったから!ちゃんとスカート履いて来い!俺もうあきらめたから!」
「えー、これ可愛いじゃん。それにさー、真田君の前だとさぁ、どうしてもスカートは恥ずかしいんだよね」
「せめてあのエンゼルの軍服でこい!」
「あれだめなの。身元ばれるから僕達エンゼルは私服で来いってさ。だから必要な時は研究所内で着替えんのよ。この紙袋には入ってるけど」
「勝手にしろ!」
 施設の車回しまでの庭の中の道を歩きつつ、小声でそんなやりとりをする俺達。唯、奴の意識がまだ「僕」なのが少しほっとする。
 施設の広々としたエントランスは、二階へ通じる大きな階段と豪華なシャンデリア。まるで迎えの執事でも出て来そうな雰囲気。ラフな格好した男女数人が部屋から部屋へ移動していった。
「ここは一階と二階が本当に軍の車両とか武器のデザインやってるところ。三階と四階そして地下二階までが、僕達エンゼルソード用の車両とか兵器とかの開発やってんだ」
 なにやら得意げに話す綾瀬。
「僕達じゃねーだろ!あ・た・し達だろ!」
「いいじゃん!細かい事は!」
「この怪しい屋敷地下二階まであるのか?」
「榛名中佐がここ接収した時作らせたんだよ」
 つまらない事を言いながら俺達は「使用禁止」と書かれた一世紀前のデザインのエレベータの前に来て、そこに乗り込んだ。古めかしい木製の籠にどうやら虹彩識別の装置らしい新しい機器だけが妙に浮いた感じで設置されている。まず綾瀬がそれを覗き込むと、ピッと言う音。続いて俺が覗き込むと、今度は大きなブザーと共に籠の中のライトが赤色に点灯する。
「あ、まだ登録されてないんだ」
 ぼそっと喋る綾瀬。と、籠のどこからかのスピーカーから男の声がする。
「全く誰だよ、こんな忙しい時にさ…」
 その声に綾瀬がすかさず答える。
「あ、真下少佐、僕です。綾瀬です」
 なんだ?今の声、所長なのか?所長自ら入館者チェックかよ…
「なんだ、綾瀬君か。じゃ警報鳴らしたのは横の君か?」
「あ、今日木桜大尉の使いで来た真田少尉です」
「ああ、綾瀬君の噂の彼氏か」
 真下少佐のその言葉を聞いた俺は、
「ばかやろ!」
 と一言言って綾瀬の頭をはたく。
「まあ、いいや今日は。ちゃんと登録しといてくれよなあ本当…。てっきり栗原君がまた変な奴連れてきたのかと思ったよ…」
 なにやらぶつぶつと言う声が聞こえた後赤のライトは消えた。
「あの、今日栗原中尉も、来るんですか?」
 何やら恐る恐る聞く綾瀬。
「ああ、そろそろな。もう、こっちも忙しいんだから早く上がってきてくれ…」
 そう言うとガチャっという音と共にスピーカーからの音は消えた。
「ちょっと真田君聞いてよ!僕さ、この前の初任務終わった後、栗原中尉にビターンてビンタされてさ!任務成功したのにひどいと思わない!?それでさ…」
 エレベータの中で一人語気上げて俺に喋りかける綾瀬。どちらかと言えば寡黙だったはずの綾瀬が女みたいにおしゃべりに…なったのか。んで、調子にのって栗原中尉がフォッカーを捕えたあの戦い方を試して…?お前いつからそんなにバカで単純になったんだよ…。
 最上階の所長室までの長い廊下の横のいくつもの部屋は、静かだが活気に満ち溢れていた。CADで何やら設計する人、何かを組み立てている人、掛かっているエンゼルの制服にいろいろ手を加えている人。下部組織のピクシーアローの制服を着た人も何人か作業に携わっている。とにかく女性率がすごく高い。
(羨ましいよなあ、ここの真下って所長)
 たどりついた所長室は、以前は家主の部屋だったのか、入り口は巨大な木製の両開きの扉で保護されていた。綾瀬がすっと前に立ってライオンの彫刻の鼻を押すと、ギギーっという音と共に扉が開く。
中は紙切れや試作の装置が所狭しと転がっており、本棚にはあらゆるものが突っ込まれており、もはやその役割を果たしていない様子。実験の為なのかいくつかの間仕切りで出来た小部屋も有る。
 映画に出てくるマッドサイエンティストみたいなのを想像した俺は、その部屋の奥に座っている、うつむいて両手をこめかみに当て、なにやら悩んでいる様子の丸刈りの白髪の人物を見て拍子抜けした。
 俺達二人が机の前で敬礼すると、ようやくその男は顔を上げた。
「ああ、君か。ったく早く辞めたいよこんな仕事…」
 少佐のその言葉に綾瀬の顔がちょっとひきつる。
「あ。あの、真下少佐。お久しぶりでございます。あ、あの、セイレーンコール、すごい、エンジンですね」
 表情はこわばっていて、あきらかにお世辞だとわかる言葉を口にする綾瀬。
「ああ、あれか…。偶然とはいえ、つまらん物作っちまったよ…」
 こめかみに当てていた両手を頭の後ろで組んでようやく顔を上げる真下少佐。落ち着いたその表情に俺もなんだか親近感が沸いた。
「もともと俺は動力・エネルギー専門なんだよ。あんな物作っちまったから榛名中佐に見込まれちまってさ、特殊九十一専任みたいにさせられちまって…こんな所に閉じ込められてよ、あんなジュエル型の武器みたいなチマチマした物作らされてよ…早く帰って撮りためたアニメとか映画観たいんだけどなあ」
「そ、そうですよねぇ、武器とか兵器とか、アニメとか映画に一杯ネタ転がってますものねぇ」
 独り言みたいに話す真下少佐を持ち上げる様に言う結城。
「んで、何の用だよお前達…。まさかブラックホール砲の催促か?あれなら即金二十億と八階建のビルか倉庫一つ、研究用サーキット一つ持ってきたら一発だけ作ってやるって榛名のおばさんに言っといてくれよ」
 おい待て!、それって今の日本国で実現可能なのか?何者なんだこの親父!?
 俺の驚いた顔を見て、少しにやけながら真下少佐が話す。
「一応理論上は完成してるよ、俺の頭の中ではな。だが半分以上はライゴウ博士の功績だよ。結城の件とか悲しい事件は有ったがな」
 真下少佐の言葉がだんだん独り言みたいになる。
「ライゴウとは昔何度か会ったよ。可愛そうに、あの研究に私財ほとんどつぎ込んで、そんで俺達に奪われて、そんで死んじまうんだもんなあ」
「いや、あの、それは…」
「いい、わかってるって」
 綾瀬の言葉に手を振りながら答える真下少佐。
「ところで、本当何の用だよ?」
「は、少佐殿。木桜大尉からの機密文書を預かってきました」
「きみつぶんしょおお?」
 呆れた様に声を上げ、俺の差し出した封筒を受け取り、ささっと中身を見た後、あきれ返った様な表情をする少佐殿。
「まーた、こんな…こんなの軍港付属か街の修理屋にやらせりゃいいだろ!全くメールだと無視されるからわざわざ大げさに手書きの文書にしてからに…」
「いえ、あの、木桜大尉殿はパソコンが使えないのであります」
 俺の言葉にため息をついて、傍らの電話で誰かを呼び出す真下少佐。
「君は?」
「あ、あの、銃で撃たれたスーツの補修と、依頼していた替えのスーツを受け取りに…」
 綾瀬の言葉に真下少佐はかっと目を開き、椅子から立ち上がる。
「またやったと聞いたけど!お前か!新人のお前が!?やったのか?それとも栗原にやらされたのか!?」
「あ、あの、僕の独断で…」
「ったくもう…」
 綾瀬の返答に頭を抱えながら椅子に座る真下少佐が続ける。
「あれはあくまでも万一の防御の為であって!白兵戦の盾代わりに使うなって、あれほど言ってるだろ!」
「は、はい!失礼いたしました!」
 多分そのスーツが入ってると思われる大きな紙袋を開けようとした綾瀬が、びくっとして真下少佐に敬礼する。その時、
「失礼いたします」
 扉の方で若い女性の声。と大きな木の扉を開けて一人の女性が、その容姿を見た俺が思わず口にした。
「し、少佐殿、メイド…飼ってるんすか?」
「うるせーな、これくらいの楽しみ許せってんだよ」
 俺の言葉ににやにやしながら真下少佐。
「おい、綾瀬君、君から依頼されてた物だ。やるよ」
 黒いミニの制服のメイド姿の女性の持つ籠から何やら二つ取り出し、綾瀬に向かって投げる真下少佐。
「わあ、これ!もう出来たんですか?」
 片方はいかにも女性が使いそうな流線型の真っ白な銃、もう片方は女性が化粧直しの時に使うコンパクトみたいな物。両方とも小さな赤い飾り文字で
(Rumi)
 と施されていた。
「そうなんだよね、僕、留美になったんだ」
 その二つを手に取り、部屋の中央へ駆け出して撃つポーズを取る綾瀬。それは昔の男っぽいものから、誰かに仕込まれたらしい女性らしい流れるポーズに変わっていた。
「少し重いけど、装弾数は他のエンゼル達が使う銃より一・五倍有る。コンパクト型の銃は、鏡の中央に映った背後の敵を有線で正確に攻撃できる。まあ、一発だけだけど散弾だからね」
 一息ついて少佐が話す。
「綾瀬君が本当の女になったら、その銃は重く感じるかもしれんが、その時はまた相談に来い」
「ありがとうございますぅ!」
 銃を片手に大はしゃぎの綾瀬を横目に俺は真下少佐の顔を見る。
「少佐殿、綾瀬の秘密を、ご存知…」
「ああ、知ってるよ。彼、いや彼女のエンゼルの制服にも、女っぽく見える様に体型細工はしてある」
「へぇー…」
 以外と細かい事までやるんだこのエンジニアの少佐は。じゃあのバストとヒップラインは作り物なのか。そうだよな。思えば短時間であんな女っぽい腰つきとかに…。
「田中君、この書類とエンゼルスーツを森下少尉に渡してくれ」
「かしこまりました」
 二つを受け取ってうやうやしくお辞儀をするメイドさんを扉まで目で見送った後、真下少佐はふと俺の顔を見た。
「真田君、ちょっと見てくれるか?」
 そう言って真下少尉は、机の傍らに有ったずんぐりした短い円筒形のものを手に持つ。と、いきなりそれから青いレーザーみたいな光が現われる。
「え、それって…」
 その光を凝視していると、真下少佐はそれを振って、横の模型用らしき木材に向かって振ると、一瞬にしてそれは真っ二つに切れ、断面は黒くこげ、ちらちらとした炎が付いていた。瞬く間にレーザー光は消える。
「し、少佐!すごいじゃないですか。初めて見ました。その、映画に出てくるライトサーベルって奴でしたっけ?」
「正確にはレーザースピアだな。なんの事はない。先端に小さな反射鏡を飛ばして、本体とそれの間をレーザーが行き来してるだけだ」
 真下少佐がその筒を見ながら続ける。
「君も会った事有るかもしれないが、エンゼルの浜少尉。フェンシングが得意とか言っても元々民間上がりで、他に比べたら体力も戦闘能力も低い。そんな彼女の為に作ってやったんだが…」
「いや、本当すごいっす!まじすごいっす!」
 そう言って思わずそれを取ろうとする俺の手を払いのけ、真下少佐が続ける。
「そうか、すごいのか…」
 いや、少佐殿、それをすごいと言わずに何を!?
「三秒しか、もたないんだよ…なぁ…電源が、なぁ…」
 いやいや、少佐殿ってエネルギーが専門でしょ?来年期待してますよ!
横では、今そんなすごい物を見せて貰ったのに全く見てなかった綾瀬が、今更の様に焦げた木材を見て、
「何、何が有ったの?」
 と寄ってくる始末。と、その時、
「お見事ですわ!真下少佐殿!」
 透き通る様な女性の声がする方向を皆が一斉に向くと、部屋の扉の横ではエンゼルのミニの制服を着た栗原中尉が軽く手を叩いていた。すっと真下少佐のデスクに寄ってくる彼女に向かって、俺と綾瀬はすっと敬礼する。
 そんな俺達を無視して、栗原中尉は真下少佐のデスクの前に立つと、すっと立った少佐に敬礼し、軽く握手をする。
「私たちの知らない間にあんな物を作られてたなんて。あと、わたくしのご依頼した物は?」
「ああ、あれか?まあ、一応はね」
「ますますすばらしいですわ!」
 栗原中尉の声に、真下少佐は無言でそのまま自分のデスクの裏へまわると、いくつもの鍵付きロッカーの一つを開け、水色とピンクの二つのジュエルを取り出す。
「まあ、テスト、してみるかい?」
「もちろんですわ!少佐殿!」
 氷の美女と言われる栗原中尉が鼻歌交じりで真下少佐からそれを受け取ると、彼は席を立ち、横の分厚い間仕切りとガラスで仕切られた小さな部屋というか、射撃の的の有る実験室へ皆を案内した。
中にはゼリーみたいな外観の人体そっくりの軍服を着たマネキンみたいな物が置かれている。
「栗原君、まあ、ちょっと、撃ってみてくれ…」
 何故か、あまり気乗りしない口調で真下少佐が言うと、栗原中尉はまずピンクのジュエルを、自分の銃の銃口の下のジュエル用の穴に装着し、両手で銃を持ち、大きく構えて目標に向ける。その美しくて気品在る動作に俺は息を呑んだ。
 バフっという鈍い音と共にそれは目標に命中。と、そのマネキンはたちまちメラメラとした炎に包まれ、瞬く間に火達磨になる。栗原中尉は満足げな笑みを浮かべてその様子を見ていた。
 完全にそいつが火に包まれると、部屋の自動消火装置が働いたのか、部屋の天井の隅から粉状の消化剤がそれに向かって放出される。
「…としたら、これもあたしを満足させてくれるかしら?」
 もう一つの水色のジュエルに軽くキスをして銃口に装填する栗原中尉。そして横のもう一つのマネキンにそれを打ち込むと、今度は瞬時にしてそのマネキンは当たった場所から泡の様な物が発生し、やがてそれは全身を覆い、着ていた服もろともドロッと下に溶け落ちた。
「血液と脂肪と反応して、たんぱく質を分解する薬品を仕込んだ。分解した時に出来る物質が更にたんぱく質を分解する触媒になり、暫く連鎖反応が起きるってわけだ」
「すばらしいですわ!私の予想以上です!」
 真下少佐の言葉に歓喜する栗原中尉。なんだこの親父、仏さんみたいな顔して、その正体は昔テレビでやってた悪魔のショッカーの科学班みてーな奴じゃねーか!?
 あまりの事に呆然とそれを見ていた俺と綾瀬はようやく顔を向き合わせ、なんだよこれという感じで目で会話した。
「そうか…、そりゃ良かったね」
 こんなすごい物を作った真下少佐の態度が何故かおかしい。
「では、少佐、これと同じ物を二ダースずつ、至急お願い致します」
 実験が終わり、そそくさと自分のデスクに戻る真下少佐を追う様にして声をかける栗原中尉。
「それは、出来ない…」
「出来ないって、何故ですの?」
 真下少佐の意外な言葉に俺は彼の後ろ姿を凝視。やがて自分の椅子に座ると、机の前に来た栗原中尉の方を向き、両手を頭の後ろで組み、話を続ける真下少佐。
「君の掲示した予算額では、あの試作二発作るのが精一杯だ」
「そんなバカな!私個人の予算の限界額ですわ!」
「出来ないものは出来ない…なんなら掲示した予算額、そっくり返してやるよ」
 そのままの姿勢で椅子に深く腰掛け、目をつぶって真下少佐が続ける。
「どうしてもって言うなら、周防准将と榛名中佐のサインの入った、追加予算の承認書持って来い」
「なんですって?」
「だから、予算額が足らないんだって!」
「何をバカな事を!」
 机をはさんでしばらく無言で睨みあう二人。先に真下少佐が口を開く。
「俺は技術屋だ。ここは武器の研究機関も兼ねてる。指示された物は無茶な物でない限り作ってやるよ。但し、作るのと使わせるかどうかは別問題だ」
「もちろん、平和的に利用しますわ!」
「あれをどうやったら平和利用になるんだ?」
「銃で撃って殺すのが平和利用なんですか!?あれは敵の戦意の喪失を狙ったものです!」
「あれは確実に当たったら死ぬだろ!それにどう見ても非人道的兵器だ」
 一呼吸置いて真下技術少佐は続ける。
「俺は敵であれなるべく人を殺めないという、君達の非情の精神に惚れて手伝ってるんだぜ」
「…そういう、事ですか…」
 真下少佐が自分にあの武器を渡さない本音の理由はそれか。栗原中尉もわかったらしい。俺も木桜大尉が真下少佐の事を、最も信頼出来るエンジニアだと言ってた理由がなんとなくわかった。大きくため息をついて真下少佐が栗原中尉に問いかける。
「栗原…、いったい何が有ったんだ?他からも伝え聞くが、先日のエンゼルの総会以来、君の様子がおかしい。今の君には、俺はこんな物とてもじゃないが渡せないよ」
 無言で睨みつける栗原中尉に、真下少佐が続ける。
「方針転換が気に入らないか?失敗してもいいから帰って来い、が気に入らないんだろ?」
 その言葉を聞いた栗原中尉は、ようやく口元に笑みを浮かべ、乱れた長い黒髪に両手をやり、バサっと整えた。そして後ろにいた俺と綾瀬の方をちらっと見て独り言みたいにしゃべり始める。
「いいわよねえ、留美(綾瀬)もいずれはちゃんとした女になるんでしょ?そしたら好きな男の人と一緒にさあ、いずれは幸せな家庭をさ…」
 綾瀬の顔がむっとした表情に変わる。俺もちょっとカチンと来た。とその時栗原中尉は右腕で左手の肩の所をなにやらごそごそと触る。そしてその瞬間、俺と綾瀬はあまりの事に凍りついた。
 彼女の真っ白な左腕は瞬く間に黒金色に変わり、ウィーンという音と共に外れ、彼女の右手がそれを受け止める。彼女の左肩の付け根には、エンゼルスーツの袖から球体関節みたいなものが見えていた。
「あたしには、エンゼルしか生きる道はないの!こんな体、誰が好きになると思って!?」
 真下少佐は見慣れているのか、唯目をつぶっただけで何も言わなかった。
「真下少佐。先ほどの射撃でわかったのですが、反応がコンマ三秒程遅れてます。調整をお願いします」
 そう言って、やや乱暴にその義手を真下少佐の机の上に放り出し、その足で傍らのロッカーらしき物の所へ行き、多分予備の義手だろうか、真っ黒なそれを取り出し左手にはめると、たちまちその真っ黒な義手は真珠色の彼女の左手に変わった。
「失礼致します」
 少し荒っぽく真下少佐に敬礼した後、彼女は荒々しい靴音を鳴らせて部屋から出て行った。
 しばし沈黙の後、真下少佐が口を開く。
「エンゼルに入ってすぐ、爆発事故に巻き込まれてな。左腕と左足首を無くして、左半身に大きなケロイドを持ってるんだ。それからの彼女の頑張り様は、そりゃあたいしたもんだった。俺もその頃はかなり彼女には同情したさ」
「知りませんでした。栗原中尉にあんな秘密が有ったなんて」
「他言無用だよ。機密事項って事でな。真田君もな」
「はっ、心得ております」
 俺達三人はほぼ同時に大きくため息をつく。
「ところでさ、エンゼルソードって、なんで中尉だけあんな変な奴ばっかりになったんだ?」
 エンゼルの事は何も知らない俺にとって、なにやら気になる話だ。
「え、アンジェラ中尉はいい方ですよ。初任務の時手伝ってくれたし…」
「あいつ、任務じゃなくて趣味でエンゼルやってるだろ。それにあいつのせいで何本の日本刀の名刀が消えたと思ってんだよ」
「木暮中尉もいい方ですよ。僕にいろいろ教えてくれるし…」
「あの女狐が一番良くわからん!あいつ下手すると日本を滅ぼすぞ!」
 日本を滅ぼしかねない女って…。
「おい、綾瀬、何度か聞いてる木暮中尉ってどんな奴なんだよ?」
「機密事項!」
 小声で聞く俺に綾瀬がぴしゃりと言い放つ。
「そろそろ浜少尉を中尉にしてやれよ。民間出身とはいえ、あいつも古参組だろ?」
 笑いながら言う真下少佐。どうやら彼のお気に入りらしい。
「そんな事は榛名中佐に言ってください」
 真下少佐にもぴしゃりと言い切る綾瀬。
「さあ、もういいだろ。俺にはやる事が山ほど在る。さあ、帰った帰った!」
 俺達を追い払う様に言う真下少佐だった。

 その日の午後、日本国軍特殊部隊の在る建物に在るエンゼルソードの礼拝堂に、七本の花を持った栗原中尉の姿が有った。
 七人の遺影の前に花を置き、一本ずつロウソクを立てて灯を点し、そして手を合わせる彼女。そして、顔をすっくと上げ、遺影に向けて語りかける。
「先輩方、許して下さい。私は先輩方の死を無駄にする様な榛名中佐の方針転換は断じて許せません。たとえ私だけでも、今までのエンゼルの精神を守ってみせます…」
 そう言って再び深く頭を下げる彼女。そして、一番端の結城中尉(没時曹長)の所へ行き、遺影の横のスイッチを押すと、エンゼルの制服姿の彼女の遺影は消え、故人のメモリアル映像が流れる。
 何事にも率先して訓練を行った彼女。ビル間のロープ渡りの訓練で、皆がしり込みする中、
「結城、行きます!」
 と真っ先にロープに取り付いたが、途中で動けなくなり泣きべそをかき始めた彼女。
 バンジージャンプの時も、真っ先に飛び降り、すごい悲鳴を上げながら落ちていった彼女。栗原中尉の氷の様な表情にうっすらと笑みが浮かぶ。そして、画面は昨年のエンゼルのクリスマスパーティーの時の映像に変わる。
「あ、栗原中尉!またクッキー焼いたんですよ。今度はアップルとジンジャーの香りを強くしてみました!」
 サンタのコスプレ姿の彼女が、カメラに向かって手作りのクッキーを見せびらかしている。
「結城…バカな子。来年最終選考に残ったら、下駄履かせてエンゼルに昇格させて、木暮中尉の下においてもらう算段までしてたのに…」
 氷の美女の右手の人差し指が、すっと彼女の目頭を押さえた。

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