エンゼルソードに花束を!

(7)綾瀬留美、初任務

 夕闇が迫る街外れのブラジルの小都市近郊の山あいにある廃倉庫。日本と違いブラジルはもう夏だが、山の気候は肌寒い。その前に立つ地味なトレンチコート姿の女性が二人。森井沙弥香少尉と綾瀬留美になった新任の綾瀬浩二少尉。
 草むらの中の草虫達の合唱する騒音は、日本のそれとは違い、大きくて雑でやかましい。倉庫裏にある小船の浮かんだ湖からは時折風が奏でる波音が聞こえてくる。まったりした時間の様に見えるが、そんな中、ピアス型のインカムで今後の段取りを確認し合う二人。今日は綾瀬の初任務でもある、おとり捜査を装ったブラジルの麻薬組織の摘発の日。数十人の軍警官も既に周辺の森に待機済みだ。
「いい?あたし達エンゼルは基本的には人を殺めない事。但し相手の行動が他人の殺傷もしくは重大な器物損壊を引き起こすと予想される時はこの限りではないって事、わかってるわよね」
「はい、先輩」
「今回もマフィアの確保は、待機している軍警察に任せる事。あたしたちは相手の行動を止めたり、戦意を失わせれはそれでいいって事よ。後でボスの裁判に証人として必要だからね。結構政界にも顔広いらしいからさ」
「大丈夫です。もう何度も聞きました」
「何度でも聞いておきなよ」
 そう綾瀬に言い聞かせる森井。彼女の細めた口から細い煙草の煙が上に上がっていく。
「…でもすごいじゃないですか、森井先輩の麻薬ディーラーっぷり。あれじゃ相手も信用しますよ」
「…覚えたくて覚えた訳じゃないよ。まあここ最近麻薬絡みの仕事続いたからねぇ…」
「でも先輩、煙草吸うなんて知りませんでしたよー」
「これ、煙草じゃないわよ」
「えー、じゃ何ですか?」
「さあ、何かしらねぇ…」
 細身の煙草の様な物をくゆらせながら、綾瀬のくだらない質問に答えつつも、森井の目はじっと正面のシャッターが閉じられた廃倉庫を見据えていた。
「そうそう、留美(綾瀬)ちゃん。今日の取引が終わったら、ドン・マルセイユと一晩付き合ってあげるんでしょ?」
 森井のその言葉に、綾瀬は昨日取引の前祝の席で、ミニのチャイナドレス姿で相手のボスのドン・マルセイユに肩を抱かれ、首筋にキスされた事を思い出し、一瞬にして全身に鳥肌が立った。
「いやですよ僕そんなこと!絶対に無いと思ったから、あんな約束しただけですっ」
「じゃあ、なんとしてでも今日作戦成功させる事ね。もし失敗して相手に捕まってさ、あんたが男だって事相手に知れたら、どうなるかしらねぇー」
 一応女になってもまだ自分の事を僕という綾瀬に、
(かわいいわねぇ)
という感じの目線をに向け、口元に薄ら笑いを浮かべる森井。ほどなく彼女の目線は前の倉庫に向けられた。
「まあ、マルセイユが女好きのバカ男で良かったわ。おかげで手間が大分…」
 そう森井が独り言の様に呟いた時、倉庫のシャッター裏で誰かの怒鳴り声が聞こえた。
「ホワイト…デビル!」
 二人の耳にははっきりそう聞こえた。間違いない!昨日さんざん聞いたドン・マルセイユの声。続いて
「ガッデム!」
 その声が聞こえたと同時に、何かの軽い音。
「伏せて!」
 ほぼ同時に森井が叫び側らに飛ぶ。綾瀬も森井と反対側に飛び地面に転がった瞬間、
「ドゴォォォォォン!」
 轟音と共にシャッターに大穴が開く。
「バズーカ砲…」
 そう呟いた森井は、すかさず森井は咥えていた煙草を大穴に向けて投げ込むと、穴の奥で閃光と煙が充満した。
 すかさず動態感知ゴーグルを目にかけ、トレンチコートを脱ぎ捨て、真っ白なエンゼルの戦士に変わる二人。森井がすかさず着ていたトレンチコートを穴に投げ込むと、数台のマシンガンの音と共にコートが打ち抜かれる。
「煙幕と目くらましがあんまり効いてない様ね…」
 そう呟くと腰に下げた自動小銃を手に、白煙の充満する穴に向かって猛ダッシュし、床に伏せ、インカムに向かって叫ぶ。
「栗原中尉!Calling Fallen angel!」
「え?森井?何、もう始まったの?」
「先に襲撃されました!ばれていないはずなんですが」
「…あいかわらず段取りの悪い子ね。わかった、あなたを信じるわ。Fallen angel Roger!」
 綾瀬のインカムにもそのやりとりが伝わる。そして綾瀬のエンゼルスーツからブーンという微かな音。
 普段は殺戮向け武器は封印されているが、上官の許可が出ると全武器使用可能となる。 
「留美!(綾瀬)援護お願い!」
 一呼吸置いた綾瀬も倉庫の入り口の柱に隠れ、腰の自動小銃を手に動態感知されたターゲットに一発ずつ弾を撃ち込むと、敵は悲鳴をあげて次々倒れた。
「どうして!極秘のはずでしょ!?」
「多分内通者よ!がちがちの機密で土壇場でさ!」
 綾瀬と森井が会話していると、待機していた軍警官達が倉庫内になだれ込み、派手な銃撃戦が始まる。
「二発目はないよ!」
 そう呟いた森井は、バズーカらしき物を構えた人影に向かって、ベルトからシルバーのジュエルの様な物を外して投げると、爆音とともに人影は消えた。
 しばし銃撃戦が続くが一進一退でなかなか倉庫の入り口から奥に入れない。
「まずったかな…」
 舌打ちして呟く森井だった。本来は取引を装って相手を確保。やりあうなら倉庫の外でと思っていたらしい。と、その時、
「ナンヤ!モウ始マッテルヤンケ!」
 ピアス型インカムの耳元から、たどたどしい大阪弁が聞こえる」
「ア、アンジェラ中尉…、な、なんで…」
 再び舌打ちした森井の声。
「オーイ新人!助太刀ニキタデ!」
 倉庫の戸口で構えている綾瀬の目に、上空から夕焼けに照らされた、パラグライダーに乗った人影が降りてくる。と倉庫の二階の窓ガラスが割れる音と共に、それに向かって機関銃の光が襲う。
「コラー!新人!援護センカーイ!」
 と機関銃は着地寸前のアンジェラ中尉のパラグライダーの左翼にいくつもの穴を開ける。
「コッコノ!」
 叫び声と共にバランスを崩して地面に転がるが、すぐに転がっていた樽の陰に身を隠すアンジェラ。すかさず綾瀬は外に出る。
「アンジェラ中尉!Mode Fallen angelです!」
「ワカットルワイ!栗原ガ出サンデモ、ウチガ許可シタルワイ!」
 綾瀬の声に手早くパラグライダーを外しながら怒鳴るアンジェラ中尉。
(敵が見えない…それなら…)
 腰のジュエルの一つの短針弾を銃口に差込み、アンジェラを狙った窓に向かって撃つ彼女?と、鈍い音と煙と共に部屋の一角は消え去った。
「オイ!早スギヤロ!話違ウヤンケ!」
 暗視ゴーグルをかけ、ブーツに差した突撃小銃を手にしながら片言の大阪河内弁で悪態をつくアンジェラ・井上中尉。綾瀬もエンゼル入隊時、一度握手しただけの記憶しかない気の強そうな金髪のフランス系。
エンゼルの中でも戦術・戦略に長け、射撃と武術もそこそこながら、得意なのは日本刀と抜刀術という変わったエンゼルソードの隊員らしい。腰には、なんと日本刀らしきものがぶら下がっている。
「心配スンナ!大体ノ状況ハワカットルワ!」
 綾瀬にそういい捨て、樽の陰でパラグライダーを外したアンジェラは、自動小銃を手に、倉庫の入り口へ向かう。それについていく綾瀬。
「アッチャー、ナンジャコリャー!」
 マフィアとただ撃ち合っているだけの状況を見て、オーバーに顔に手をやるアンジェラ。
「コラ!沙弥香(森井)!オマエ、作戦チューモン知ットルンケ!」
「始まったものは仕方ないでしょ!」
 銃弾の飛び交う中、アンジェラはしばし周囲を見渡し、インカムを付けた警官隊に指示を出し始める。
「オイ、端ノ三人!ソコノ階段カラ上ニ上ガレ!オイオマエ!手榴弾ヤ!アノ邪魔な黒の木箱爆破シロ!パイプ横ノ二人!前ノ車マデ前進セー!残リノ奴ハ全員ウチの援護ヤア!」
 他にも次々と指示を出し、警官隊を自由自在に操り始め、自らも先陣切って倉庫の中へ突入する彼女の姿に、流石のマフィアも後退し始める。
「オイ、ソコノ何人カ裏ヘ回レ!」
 相手の弾幕が薄くなると、アンジェラは腰の日本刀を構える。
「沙弥香!ツイテコイ!オラ新人!援護セェ!」
「あ、は、はい!」
 相手の弾幕が殆ど消えた頃を見計らって、アンジェラと森井の二人は同時に飛び出すと、瞬時に奥のドア近くの物陰に飛び込む。マフィアの男達の悲鳴と共に五人がアンジェラの日本刀と沙弥香の武術の餌食になった。
「ミネ打チヤ、アンシンセェ」
 とその時倉庫の二階からの銃声と共に、アンジェラのいる床のすぐ側で兆弾の音がする。見れば階上の倉庫内に面した通路には既に警官隊の何人かが倒れており、数人の敵がすぐ上にいるのが見える。
「クソダラァ!」
 その声と共にアンジェラの投げた日本刀は、銃を構えた大柄のマフィアの幹部の一人に刺さる。悲鳴を上げて下に落ちる彼の横で、転がりながら小銃を拾い上げ、森井と共に再び銃撃戦が始まるが、流石に二人のエンゼルの腕にはかなわない。数分とたたないうちに階上は静かになった。
 柱の影でアンジェラ中尉と森井少尉の援護射撃をしていた綾瀬はぐっと唇を噛んでいた。エンゼル入隊までは自分が援護を依頼する立場だったが、今は後方支援に回される自分。
 いくらエンゼルとしての初陣であっても、そして女性になり始めた自分とはいえ、女の援護なんて…。
 綾瀬の男としてのプライドはまだ十分残っていた。
「ハッハッハーチョロイチョロイ!」
 倉庫一階と二階でのマフィアの攻撃がすっかり消えたのを見計らって、アンジェラ中尉が高らかに笑うが、
「ナア、沙弥香、チョロスギヘンカ?」
「ボスのマルセイユが、いません…」
「ナンカ、数ガアワンナ…」
 アンジェラ中尉は戦闘中にも、銃撃戦の状況と倉庫の様子からおおよその敵の数を読んでいたらしい。
 軍警官隊達が倒れたマフィアを引き起こして外に連れていくのを見ながら、不審げに話す二人。とその時綾瀬の鋭い目は倉庫の物陰に隠れながら素早く移動していく影に気がついていた。人間にしては小さいが、それはまぎれもない、スーツ姿の大人の人間。
 マフィアのナンバー2、ドミニク。子供位の身長ながら、そのハンデを諜報活動に生かして今の地位に登り詰めた男だった。
 綾瀬の脳裏にドクターライゴウ捕獲の時の光景が浮かび、彼、いや、彼女の手はベルトのスイッチに手をかけると、白のミニワンピース型のスーツから静電気の様なものがにじみ出るのを感じた。
(僕だって!やってやる!)
 一瞬ではあるが綾瀬の意識は男に戻っていた。計算では例えドミニクが銃を持っていても、三発撃つ間には奴の所へ到達しているはずだ。
 その瞬間綾瀬は、隠れていた倉庫入りの木箱を乗り越えていた。だが、摂取しているホルモン剤は綾瀬の体から確実に筋力を奪っていた。更に骨盤の肥大と変形が始まっており、股関節はすでにわずかに外に移っている。
 木箱から着地する際によろめき、そしてダッシュの体制に入る時も両足の付け根にかなりの違和感を感じた綾瀬。いくら日頃鍛えているとはいえ、実戦では…。
 しかし、もう後へは引けない。彼女はブーツから突撃小銃を抜き、その小さな人影に向かって突進していく。
「綾瀬!コラ!早マルナ」
「留美!何してるの!そっからじゃ無理!」
 と。突然ドミニクのいる付近の木箱、ロッカー、物陰から複数の新たな敵が現れ、綾瀬に銃口を向ける。
「オイ!警官隊!援護シタレ!!沙弥香!榴弾ハヤメロ!間ニアワン!」
 そう叫んだアンジェラ中尉がすかさず腰の拳銃を抜く。森井少尉も手にした腰のジュエルを自動小銃に持ち替え、ドミニク付近の敵に向けて撃つ。
 そしてその瞬間、綾瀬の体には続けさまに二発の銃弾が命中した。
「あうっ!」
 いつしか、女の神経になり始めていた綾瀬の口から短い女の悲鳴。そして胸と腹に金槌で殴られた様な強烈な痛みが走る。
(まさか…こんなに強い衝撃が…)
 次当たれば、自分は死ぬかもしれない。誤算を感じた綾瀬だったが、なんとか痛みを我慢し、目の前に迫ったドミニクを捕まえにかかる。すぐ横ではアンジェラ、森井、そして警官隊に撃たれたマフィアの子分が次々と倒れていく。
(アンジェラ中尉!森井少尉!お願い!)
 そして慌てた様子で銃を向けたドミニクの顔に、男みたいにパンチを入れる綾瀬。その瞬間倉庫内には静けさが戻った。

 すっかり日が暮れた古倉庫の前では、警官隊が臨時のキャンプを張り、負傷した警官やマフィアの治療や尋問を行っていた。ボスのマルセイユはまだ行方不明。警察犬や金属探知機まで導入して念入りな捜査が行われている中、綾瀬と森井は口数も少なく、座ってコーヒーを飲み、その傍らでは疲れた様子も全く見せず、鼻歌を歌いながら愛用の日本刀の手入れをするアンジェラ中尉の姿が合った。
 時折綾瀬は二発撃たれた胸と腹の部分を痛そうに手を当てていると、森井少尉が呆れた様子でそれを見ていた。
「無茶な事するからだよ」
「すみません。でも、僕…」
 そんな綾瀬を軽蔑する眼差しで見た後、ため息をつき、独り言の様に話す森井少尉。
「あとで栗原中尉が来るのよね」
「え?栗原中尉が?」
 綾瀬の言葉を無視し、そして片隅のいくつかの死体袋をちらっと見ながら両手でコーヒーカップを口に付ける森井少尉。任務を終えた彼女はすっかりどこにでもいる若い女の子に戻っていた。
「まさか、アンジェラ中尉が来るなんて思ってもみなかった。知ってるでしょうけど、あの二人全くソリが合わないのよ。表面上は仲良くしてるけどね」
 井上中尉が聞いてないかどうか気を使いながら、小声で話す森井少尉。綾瀬も噂では聞いていた。確かに陰の栗原中尉と陽のアンジェラ中尉は性格が全く正反対。
 そんな中、警察の司令官らしき口髭を生やした年配の小太りと若くてイケメン風の副官の二人の人物がアンジェラ中尉の元にやってきた。
「First lieutenant(中尉)アンジェラ。お疲れ様でした。しかし、マルセイユが依然行方不明です」
 小太りが困り果てた様にアンジェラに言う。
「ソンナハズナイヤロ。周リハ全部固メタンヤロ?」
「はい、不審者、不審車両が出て行った形跡はありません」
 警官の問いかけに、日本刀の目利きをする様に、顔に近づけ、歯こぼれの様子を確かめながら答える彼女。
「ドミニクハ絶対囮ヤデ、ボスが隠レル時間稼ギヤ」
「は、はあ…」
「ソレニ、ボスハコノ先、弁護士カ誰カガ来ルマデ、ズット隠レテル必要有ルンヤデ」
「はあ、そうですが…」
「カナリ、大キナ部屋ガ、必要なハズヤデ…食料ト、水ト…通信機モ必要ヤナ…」
 二人の警察官もとうとう黙ってしまう。とうとうアンジェラ中尉は少しいらついた様子で立ち上がる。
「倉庫裏ノ池ニ浮カンデル船ハ、探シタンカ?」
 アンジェラ中尉の鋭い目で睨まれた二人が一歩後へ引く。
「お、お言葉ですが、真っ先に…」
 小太りが弁明する。
「何カ無カッタカ?」
「多分水温を利用しての保存倉庫がわりでしょうか?保存食料の様なものが…」
「ドミニクヲシバイテ、吐カシテミルカ?アーッハッハッハ」
 そう言って大笑いした後、急に真顔になり、二人の額にいきなり両手ですばやく額にデコピンを入れる彼女。額を押さえてあとずさりする二人のうち、小太りの司令官の方に詰め寄り、鋭い目線で睨みつけ低い声で続ける。
「普段人モオラン倉庫ニ、ナンデ食料がアルンヤ!ボケ!」
「いや、しかし、船の中は…」
 小太りの声に呆れた様子で顔を手に当て、そして大声で叫ぶアンジェラ中尉。
「チャント見タンカイ!コノ、ドアホ!アンナ小サナ池ニ不釣合イノ大キサヤロ!ソレニアンマリ揺レトラン!座礁シトルカ、アルイハ池底に固定サレトル…」
 アンジェラのその声に、ずっと黙っていた副官のイケメン男はくるっと向きを変え、船のある池の方へ猛ダッシュで走っていく。
「最後クライ、花持タセタロト思タノニ…」
 森井中尉と綾瀬中尉も互いに一瞬向き合った後、再びテントの椅子に座り、マグカップのコーヒーを口にするアンジェラ中尉の方へ顔を向けた。と、どうやら本部のテント近くに一台のジープが到着した様子。
 
 ジープから降りてきたエンゼルの白いミニの制服姿の女性士官に、軍警官隊の何人かがさっと向き直り敬礼をする。降りてきたのはまさに栗原中尉だった。
「オー、ヤット来ヨッタカ、モノホンノ、ホワイトデビルが」 
 歩きながら警官隊に軽く敬礼する彼女の姿を見ながら、意味深げな笑みを口元に浮かべて独り言の様に言うアンジェラ中尉。ホワイトデビルという名前は、いつのまにかエンゼルソードの別称みたいに使われているらしい。
「オー、待ットッタデ!」
 そう言ってテントから出てきたアンジェラ中尉の顔の左側に一瞬引きつった表情が見えたが、すぐに何事もない氷の様な表情を浮かべ、アンジェラ中尉の前に立つ栗原中尉。森井少尉と綾瀬少尉も続く。
 警官の何人もが、氷の様な表情だが、若くて美しいエンゼルの中尉を敬礼しつつも目線で追っていた。
「ありがとうございました。アンジェラ中尉」
「マアマア、コンナンオ安イ御用ヤデ」
 軽く敬礼する二人。
「森井少尉。任務ご苦労」
「イェッサ!」
 アンジェラ中尉の横に並んだ森井中尉にねぎらいの言葉をかける栗原中尉。そして、
「ご苦労様です。栗原…」
 綾瀬少尉がそう言いかけた瞬間、綾瀬中尉は足音と共に左の頬に、パチンという音と共に鋭い痛みを感じた。かつて男性だった時、殴られても倒れなかったはずの綾瀬は、なぜかその痛みと共にふらつき、がっくりと足をつく。
「森井から聞いたよ。二度と勝手な真似はするな!」
 栗原中尉が続ける。
「あれはターゲットの位置と数。そして人間の急所を知り尽くし、正確な攻撃が出来る熟練したエンゼルだけが使える命をかけた技!おまえごとき新人が軽々しく使うもんじゃない!」
「あんたには十年早いわよ…」
 横にいた森井中尉もはき捨てる様に綾瀬少尉に言う。
 地面に座りつつ頬に感じる熱い痛みを手でおさえる綾瀬。確かに思っていた程うまくはいかなかった。それに今回は成功こそはしたが、森井と警官隊に援護してもらいながらの攻撃だった。
「お前一人にもう既に億単位の金がつぎ込まれてる。それを全て無駄にするつもりなの?一歩間違えればお前も」
 そう言いながら栗原中尉は、ライトに照らされ、トラックに今まさに積み込まれてる、軍警官隊とマフィアの死体袋をあごで指し示す。
「オイオイオイ、ソノヘンニシトイタレヤ…トリアエズ事ハオサマッタミタイヤシ…」
 横でじっと聞いていたアンジェラ中尉が頃合とみて助け舟を出し始める。
「申し訳ございませんでした、栗原中尉」
 すっと立ち上がり、右頬を赤くした顔ですっと敬礼する綾瀬少尉。
「マア、確カニ迂闊ナ所ハアッタケドナ、マー、若ゲノイタリ、トイウコトデ」
 他人事の様に話すアンジェラ中尉。ひょっとして栗原中尉の怒りの矛先を自分に向ける為だったのかも知れない。あたりの警官隊もそんなエンゼル達を見て見ぬふりで仕事を続けている。
「アンジェラ中尉!この任務は榛名中佐と私が森井と綾瀬に指示したものです!」
「ソウナン?最後ノ方ハ新人ニハチョット困難ヤッタデ?ソレニ、ウチ来ナカッタラ、モット犠牲者増エテタデ?」
「だからあたしが今来たんでしょ?」
「セヤッタラ、モット、早ヨ来タレヨ」
「新人には始めから試練を与えるべきでしょ?」
「アホヌカセ、新人ノ初任務ハ、ドカーント、大花火打チ上ゲタランカイ!」
「勝手な事…するな…しないで!ください!」
 だんだん怒りで体を震わせていく栗原中尉の横で、両手を頭上で組み、しらっと言い切るアンジェラ中尉。
「わかりましたわ!あなたとはたとえ百年話合っても…」
 オーバーゼスチャーで栗原中尉が文句を言い始めた時、なにやら本部のテントが騒がしくなる、とエンゼル達の元に、数人の警官に引きづられたチョッキ姿の太った男がやってきた。まさに隠れていたボスのマルセイユだった。
「ポスの、マルセイユを、か、確保致しました!」
 奴の右手をしっかり捕まえた副官のイケメンが、声を震わせながらエンゼル四人に敬礼しながら言う。
「オー、ヤッタヤンケ、イケメン」
 すかさずアンジェラ中尉が笑いながらイケメン副官の横へ行き、肩をポンポンと叩く。
「わ、私たちが二年かかって出来なかった事を、あなた達は、僅か一ヶ月で…」
「オー、ヨカッタヤンケ」
 とイケメン副官は少し鼻をぐずらせ、震える声で叫ぶ。
「亡き…親父の…敵を、…この手で捕える事が出来ました!感無量であります!もう、思い残す事は!」
「マアマア、ソンナ情ケナイ事言ワント、今後モ頑張ッテクレナ、イケメン」
 再びイケメン副長の肩をドンドンと叩くアンジェラ中尉。と、警官にがっしり両脇を抱えられたマルセイユが、ぺっと唾を地面に飛ばす。すかさずイケメンが右手で奴の顎を掴んで正面に向けた。
「へっ、俺ごときにホワイトデビル四匹とはな、俺も高く買われたもんだぜ…」
 その言葉に四人のエンゼルはむっと押し黙ってマルセイユの顔を睨みつける。
「オメー、モッペン、ユーテミィ…」
 顔に怒りの表情を浮かべ、アンジェラ中尉が腰からライトを取り、マルセイユの顔を照らす。気にせずマルセイユが続けた。
「こんな事が無駄だって事、あとでわからせてやるぜ。デビルの中尉さんよぉ」
 そう言って彼は栗原中尉の顔をにやつきながら見つめた。どうやらこの二人過去にも何か合ったらしい。
「また二十四時間で釈放だと思うぜ。ハッハハハ!一週間後、またシャバで会おうぜ。遊んでやっからさ」
 そう言って大げさに笑うマルセイユの元に、顔を真っ赤にした栗原中尉が近づいて来る。
「おい、Miss Kuriharaちゃんだっけ?エンゼルなんてやめてさ、俺とこへこねーか?今の倍払ってやるぜ」
 その時、栗原中尉の顔が怒りで震え、右手が一瞬動くが、すっと止まる。そして今度は…。
「栗原中尉!やめてください!」
 様子を見ていた森井少尉一人が何かを感づいて声を上げる中、栗原中尉の強烈な左のボディーブローがマルセイユの腹に決まる。彼は確保していた数人の警官共々後ろへすっ飛び、腹を抱えてうめき声を上げていた。
「おめー、エンゼルなめんじゃねーよ…」
 そう呟き、ゆっくりした足取りでマルセイユの元へ歩み寄る栗原中尉。あまりの気迫と華奢な体からの信じられないパワーに警官達は再びマルセイユを捉える事も忘れ、じっと彼女を凝視していた。やがて彼女はマルセイユの元にたたずむ。
「あたしは今エンゼルの中尉さ。任務外でも殺し以外何やってもいいってお墨付き、もらってんだよ!」
 そう言って彼女は倒れているマルセイユの顔を左足で思いっきり蹴り上げると、彼は一声上げた後、今度こそ完全に沈黙した。
「次シャバで会ったら、容赦しないよ…」
 倒れて動かないマルセイユに向かってはき捨てる様に言う栗原中尉。そして、
「隊長。マルセイユは確保の時暴れたので私が粛清したと、報告なさい」
「は、了解、いたしました」
 少し離れた位置にいた小太りの隊長は栗原中尉の言葉にそう言って深くお辞儀をする。
「アイツ、アンナ事スル、女ヤッタッケ?」
 横でアンジェラ中尉が独り言の様に呟いていた。
「隊長。どうやら内通者がいた様ですわね。しかもかなりの上役の…」
 栗原中尉の言葉一同一瞬シーンとなった。
「は、はあ…。実は、うちの署長が昼過ぎから行方不明で…」
 その言葉に警官隊から驚きの言葉が出た。
「ウソー、ウチ、アイツニ、今日朝メシ奢ッテモラッタンヤデ!?」
 突然素っ頓狂な声を上げるアンジェラ中尉。
「署長の居場所は?」
「はっきりわかりませんが、心当たりはいくつか…」
 栗原中尉の問いに元気なさそうに答える小太りの隊長。典型的な中間管理職の姿だった。と、
「オー、ソーカソーカ、オモロナッテキタデェー」
 そう言ってアンジェラ中尉は口元に笑みを浮かべながら小太り隊長の横に歩み寄り、しっかりと肩を組む。
「ヨーッシャ!キマリヤ!今カラ署長トヤラヲ逮捕シニ行クデェー!」
「い、今からですか?」
 アンジェラの問いにためらった口調で答える小太り隊長の肩はしっかり彼女に抱えられ、近くのジープに連れて行かれる。
「オーイ、手ノ空イテル奴、ツイテコーイ!朝メシノ恩、仇デ返シニ行クデー!」
 大方残作業も終わったのだろうか、日本刀を振り回しながらのアンジェラ中尉の呼びかけに、警官隊の何人かが苦笑いする。
「ご好意はありがたいのですが、また多額の礼金をお支払いする必要が…」
「ンナモン、イランイラン!ボランティアヤ、ボランティア!ビール一本デエエデ!」
 まだためらっている隊長の頭を軽くはたくアンジェラ中尉だった。
「俺行くぜ!」
「姉さん!ついていきますぜ!」
 たちまち三台のジープに人が乗り込み、出発の準備が整う。この署長とやら、余程普段から皆に嫌われていたらしい。
 急遽編成された署長捕獲部隊が夕闇に消え、あたりは片付けの警官隊だけが残った。そんな中、
「下品な…あまりにも下品な!」
 一人まだ怒りが収まらない栗原中尉が、アンジェラ中尉が去って言った方角をじっと見つめ、罵りの言葉を一人喋っていた。
「あたしたちエンゼルは、もっと高貴で、崇高な部隊のはず!あの女一人の為に!」
 その横で森井少尉と綾瀬少尉は、何と言っていいかわからず、疲れた様子で俯いていた。
 作戦は成功したかに見えたが、黒幕が残ってしまったらしい。

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