無人島から帰還した翌日から俺達新兵の訓練は続く。今日は砂漠の中の街にみせかけた要塞攻略シミュレーションだ。だが疲労と過労と暑さで半分正気を失っていた俺達に、早々に事件が起きる。
「鎌田と磐田を連れてきやしたぜ」
隊員のその声と共に数人の隊員にがっしり抱えられ、顔を腫らした鎌田少尉と磐田少尉が木桜大尉のいる司令室に入ってきた。
二人とも相当気が立っているらしい。隊員達にがっしり掴まれてもまだ相手を口汚く罵り、隊員達を振りほどいてまだ殴りかかろうとしている。
(へっ、訓練とはいえ人間相手に対戦車砲ぶっ放す様な手荒な真似するからだよ…)
鎌田の実戦トレーニングで、真っ先にそれでやられ、一足先に指令所のソファーでいじけていた俺は鎌田少尉と磐田少尉の赤く腫れた顔を見てスカッとした。相手の磐田少尉は、先の脱出訓練で、俺の背中で散々悪態ついてくれた野郎だ。
「生きのいいとこ見せてくれるじゃねーか二人ともよぉ…」
司令室の簡素な机の後ろの椅子に座り、足を組み葉巻をくゆらす木桜大尉の鋭い眼光が二人を睨みつける。
「この野郎!調子に乗ってるんじゃねーよ!本気で殴りやがってよぉ!」
「い、磐田先輩こそ鉄棒使うのは…」
二人が再び罵り合いを始めた時、
「馬鹿野郎!」
葉巻を咥えたまますかさず椅子を蹴り、机を飛び越えて二人の前に立ち、鈍い音と共に瞬時に二人を殴り倒す木桜大尉。二人とも数メートル後ろに吹っ飛び、壁に激突。初老で小柄な体にどこにそんなパワーが…。周防准将のサンボの師匠の腕はまだ鈍っていない様子。俺は呆然として木桜大尉を見つめる。
「今まで本気でやってこなかったって事じゃねーか!とっとと宿舎へ戻って謹慎しとけ!おっと車は使うなよ!砂漠の中十キロ歩いて行け!いいと言うまで俺の前に顔出すんじゃねぇー!」
続く大村少尉の訓練でも問題が生じた。
「おやっさん(木桜大尉)これじゃ訓練になりやせんぜ。あんの野郎、俺達の癖とか行動とか全部読み切ってやがる」
奴の訓練中、俺も含めて大村の敵役の一部五人が木桜大尉の部屋へ押しかけた。木桜大尉は、砂漠の中で殆ど出番のない海上工作専門の丹下少尉と将棋の真っ最中。
「王手…」
隊員の声に耳も傾けず、葉巻をくゆらせ、銀将の駒を相手の王将の前にパチンと置く大尉殿。
「おやっさーん!」
先ほど苦情を言った谷口少尉が更にせっつく。
「るせーな!おめーらがバカなだけじゃねーかよ…」
ちらっと谷口少尉の方を見た木桜大尉がめんどくさそうに言う。
ライバルながら流石だと俺は舌を巻く。日本国軍幹部候補学校首席で卒業。体力的には俺より格段に劣るが、奴の頭脳がそれをカバーしていた。相手のミスや憤りを待つ戦法。地図や情景をまるで写真でも撮る様に一瞬で記憶し理解する分析能力。ここ数日奴は一度のミスも犯していない。
奴こそいずれは特殊二十一部隊、いや、将校の集まる周防准将率いる十一部隊へ行く器かも知れない。
「おい、真田、何か奴の弱点ねーのかよ」
木桜大尉の言葉に、俺はちらっと将棋盤を見た。
「わかりません。以前大村少尉は、戦いは将棋みたいなものだと言ってました。ありとあらゆる可能性を考え…」
「じゃあよぉー」
俺の言葉を遮る様に言って木桜大尉は葉巻を口から外し、それを持つ手で横のチェス盤から黒のクィーンの駒を持ち、そして将棋盤の上に置く。
「将棋でなくしちまえばいいじゃねーか」
同じ頃、大村少尉は民家の床下で、がちがちに硬い乾燥肉をかじり水で飲み込み。しばしの休息を取っていた。隙間から見えるゴールの小屋まであとわずか直線二百メートル。
(障害物がねーな。どう行くか…)
大村の頭脳コンピュータは、既に目的地到達のパターンをいくつか割り出していた。
(そろそろ俺が普通じゃ倒せねーとわかってきた頃だろう。女子供にでも銃か手榴弾持たせて攻撃してくるか…)
鎌田は暴行事件で既にリタイア同然、今回のミッションでは現在の所の成績は間違いなく自分がトップだ。大村の口元にうっすら笑みが浮かぶ。とその時、大村少尉の目にとんでもない光景が飛び込んでくる。
「チャッチャッチャッ、チャッチャッチャチャチャチャ…」
敵役の隊員十人が素っ裸で、手に鍋やら帽子やらで股間を隠し、街の通りを歌いながら横断し始めた。その中には俺、真田少尉の姿も有った。
「これ何の意味が有るんですか」
「うるせー、黙って言われたとおりにしろ!」
あまりに恥ずかしくて小声で谷口少尉に言う俺の言葉は、ぴしゃりと封殺された。
「チャッチャッチャ…」
俺達のバカな裸踊りは暫く続く。と、とうとう奴がしびれを切らしたらしい。相手の油断を待つ奴が油断してしまった。
「いったい何やってんですか?訓練終わりですか?風呂でも行く…」
そう言いながら、のそのそと民家の床下から這い出る大村少尉。その時、手に持った鍋やフライパンを投げ出し、そこに隠してあった拳銃を手に素っ裸で奴を狙い撃ちする俺達。模擬弾全弾が大村少尉に命中した。
「大村少尉、戦線離脱。残りポイント十二点」
大村少尉のインカムからの合成音声がそう彼に伝える。
「…んな、バカな…」
彼はがっくりと膝をつき、そして崩れる様に倒れた。ここ数日で加算された彼のポイントはあっけなく吹っ飛んだ。
「俺たちゃ、これからも知らない相手と戦うんだぜ」
「よく考えるんだな、優等生さんよ」
全裸のままその場から立ち去り間際、今までさんざん煮え湯を飲まされ続けた隊員達が、吐き捨てる様に大村少尉に言った。
狭い路地の一部屋のドアを蹴破り、訓練用短銃三発で三人の兵士を倒し、更に上からとびかかってきた奴をそのまま背負い投げで床に叩きつけ、ナイフ代わりの手刀で首を狙う俺。
「おっと、降参だ。終了!」
その言葉と共に撃たれたはずの三人がむくっと起き上がる。最後に俺に襲い掛かったのは木桜大尉その人だった。
「くそ!感づいてやがったか」
起き上がりながら葉巻を加えてそう言う大尉殿に、
「失礼しました」
と敬礼する俺。
「一杯やるか?」
「ありがとうございます」
そう言って、倒した兵士役の先輩少尉殿の差し出す酒瓶を煽る俺。
「なんか吹っ切れた様子だな。やはり相棒だった綾瀬って奴が原因だったか?」
木桜大尉の言葉にちょっとぎくっとなる俺。
「なんか、辞令のその日に行方不明になっちまったらしいな。おめーと長年コンビ組んでたらしいが…」
綾瀬の事は特殊でも機密事項になってるらしい。
「まあ、いなくなった奴のこたぁ忘れちまえ!があーっはっは!」
そう言って俺の肩を組む木桜大尉の顔がいきなり真顔になる。
「それはそうと真田よぉ、妙な話なんだが、おめーがこの前しょっ引いてきてたフォッカーって野郎な、偽者掴まされたんじゃねーかって噂が有る」
「偽者?ですか?」
「ああ」
俺と並んで市街地戦闘訓練施設から外へ出て周囲を見渡した大尉が俺にひそひそ話をし始める。
「フォッカーって野郎、元々新日本帝国で海兵も勤めた奴らしいが、腰痛めたとかで幽閉してある軍港の倉庫で杖ついて歩いてるらしい。何聞いてもちんぷんかんぷんでよ」
俺の肩に腕を乗せた木桜大尉が続ける。
「お前と一緒に拉致した結城ってピクシーの奴が世話兼見張りやってるらしいが、今やすっかりピクシーの連中の茶飲み友達のジジイらしいぜ」
俺の肩に乗せた手を頻繁に動かしながらくっちゃべる木桜大尉。なんだそれ!偽者だなんてよ!
「おーい、今日のミッションは以上だ。みんな酒持って俺の部屋来い!反省会だ!」
それから二週間たった今日は非番。明日は綾瀬のエンゼルソード入隊予定日だ。朝、訓練で疲れた体を起こし、どうしてるかと綾瀬にコールしようとした時、向こうからメールが来た。
「さなだ、おつかれさま。今からこない?」
女みてーにひらがなメールなんかよこしやがって!と苦笑いしながら俺は車に乗り込んだ。
「あ、真田くん?いいよ、鍵開いてるから」
真田の部屋のインターホンを押すといきなり聞こえた女の声。
「お、お前だれだよ」
思わずインターホン越しに俺が答えると、
「やだなー、僕だよー」
その声と共にドアが開き、出迎えてくれたのは、
「あ、綾瀬、お、お前…」
あまりの事にドア前に立ち尽くす俺。
「どうしたの、早く入ってよ」
声の主は綾瀬本人だった。彼は、彼はすっかり変わっていた。気を取り直すと部屋に入っていく彼のお尻と背中に俺は軽くタッチ。
「何すんのよ!セクハラよそれ!」
彼のお尻と足は、デニムの短いショートパンツとストッキングで覆われ、胸の大きく開いた黒いロゴの入ったピンクの長袖のシャツの背中にはくっきりとブラジャーの線が浮き出ていて、胸元には二つの小さな膨らみが有った。
そればかりか部屋には薄いピンクの絨毯が敷いてあり、窓にはレースのカーテン。そして木目調の家具。いくつかの動物のぬいぐるみ。長い衣装かけには、ハンガーにぶら下がった若い女の子が着る様なシャツ、ブラウス、さらにスカートまで。
「いつもスカートなんだけどさ、真田君の前だと恥ずかしいからショーパンにしたんだよ」
そそくさと部屋の奥から二人分のコーヒーを運びながら、ウェーブをかけ直したショートヘアの綾瀬が入ってくる。
「明日エンゼルの戴帽式だから、昨日パーマかけ直しちゃった」
部屋に備え付けられた二人用のテーブルと椅子の俺の前に座り、そう言って小指を立てコーヒーカップを摘む綾瀬。
「ブラしてるよな?」
「うん、付けないと生活出来なくなったし」
意味わからん!
「なんだあの縫いぐるみは?」
「え?可愛いでしょ?」
「あの女物の服は?」
「ピクシーの女の子達がさ、僕に合いそうな自分の古着ダンボール一杯くれたの」
あの時のダンボールの中身ってあれか!
「なんだよ、僕って」
「いーじゃん!細かい事は!」
はーっとため息をついた後、木桜大尉から聞いたフォッカーの事を綾瀬に話す俺。
「えー、そうかなあ?会ったときそんな風には思えなかったけど」
腕を胸元に組み、右手の人差し指を唇に当て、小首をかしげる綾瀬。わかった。もうお前は俺の前でもそういうキャラになるんだな!?
少し雑談の後、綾瀬が部屋の中を見渡してボソっと言う。
「もうなかなか会えないと思うよ僕達。この部屋にもなかなか帰れないと思うな。だってさ、今はたまたま日本での任務が多いし、明日僕の戴帽式だから本部にいるけど、あさってから多分世界中飛び回るからさ」
綾瀬の言葉に、長年連れ添ってきた俺は寂しさを感じる。
「しばらくお別れだね」
そう言って彼は椅子から立ち上がり、程なくして戻ってきた。
「ねえ、僕にこういうスカート似合うかな?若すぎる…?」
花柄のミニのフレアスカートから伸びるストッキングで包まれた足を見た途端、俺はとうとう理性を失ってしまった。実は彼のショーパン姿を見た時から俺は…。
「ち、ちょっと!真田君!」
俺は無言で彼の体に馬乗りになった。柔らかくなった髪、細くなった眉、長く伸びた睫毛、少しふっくらした頬、そしてピンクのルージュを引いた唇。
「やめて、やめて…」
綾瀬がだんだん大人しくなっていく。
化粧の匂いとは違う、微かに香る女の香り。俺はとうとう彼の唇に自分の唇を当てた。
(違う、前の綾瀬とは絶対何か違う)
しばらくキスを続けた後、
「真田くん。驚かないでね」
綾瀬はそう言うと、着ていたTシャツの裾をめくり、少しためらいつつも俺の顔をじっと見つめブラのカップの片方をめくって俺に見せた。
「綾瀬、お前…」
びっくりして綾瀬の顔を見る俺。彼の胸はもう男の胸ではなかった。いわゆる思春期の女の子の膨らみ始めた胸。皮膚を摘んだ様に出っ張った先に、大きく円筒型になったバストトップ。
思わず、その小指の先程になった彼のバストトップを触ると、彼の顔は一瞬女の幸せの表情になる。
「どういう事なんだ」
俺に組み伏せられたままか細い声を出す綾瀬。
「女装するだけだと思ってた。エンゼルの辞令受けてすぐに、手術でお腹に何か埋め込まれた。何かの強化細胞だと思った。でも、違った…」
フォッカー誘拐の時のアジトで見た綾瀬のお腹についていた手術跡の事を、俺は今更の様に思い出す。
「iPS細胞だったんだ。一部はもう卵巣に変わりはじめてる。おかしいと思ったんだ。僕もう、男じゃない…」
可愛そうな綾瀬を俺がしっかりと抱きしめようとした時、綾瀬のスカートのポケットからエマージェンシーを知らせる音。
さっと軍人の顔になった綾瀬は、鳴っているC-podを取り出し耳に当てる。そして、呆然と俺の顔を見た。
「フォッカーが、空港で暴れてる…」