エンゼルソードに花束を!

(2)綾瀬浩二、俺の相棒は今

 下がっていく俺の士気を上げる為に、どうやら実戦に送り込まれる事になった。場所は海を渡った新日本帝国との国境付近。俺の特殊部隊としての初任務だ。
「現地潜入済の工作員の敵要人拉致任務支援」
(詳細は現地潜入済工作員より聴取の事)
 たったそれだけの司令書を手に、重い装備を手に軍の定期輸送機に乗り込む俺。

 海の向こうの輸送基地で一泊の後、早朝俺は軍ヘリコプターに乗り換え、向った先の砂漠の中の小さな前線基地に降り立った。
「なんだ若造めが、何の用だ…」
 と冷たい視線を浴びせてた基地の連中は、俺の正体がわかると百八十度態度を変えた。
「第三十五前線基地、防衛隊長、グランツ・アズマ少尉であります!」
 初老の士官が俺にうやうやしく敬礼。同じ少尉なのに…。
「特殊四十二部隊、真田少尉であります」
「お待ちしておりました。基地司令がお待ちかねであります!」
「ありがとうございます。同行願います」
「木桜大尉殿はご健在でありますか?」
 話を聞くと、どうやらこの場所に前線基地のベースを作ったのは四十二部隊らしい。
 
 基地司令の有田大尉と握手を交わし、必要最小限の荷物を纏め、一時間程で俺は小型の軍用バギー車で現地工作員との待ち合わせ場所へ向かった。
 照りつける太陽を遮るヘルメットの息苦しさに耐え、とあるゴーストタウンに到着。程なく一台の敵国製の車が近づいてくる。予定通りだ。
 鏡で合図を車に送ると、間もなく俺の隠れている家の前に到着。砂漠仕様の迷彩服の兵士が二人。運転していたのはなんと女性兵士らしき人物。そして助手席の工作員らしき人物に俺は敬礼した。
「ご苦労様です。四十二部隊真田少尉であります」
 その時、
「真田?」
 助手席の男は驚いた様に言うと、ヘルメットを脱ぐ。現れた顔は…。
「俺だよ。綾瀬だよ!」
 あまりの突然の事に暫く言葉を失う俺だった。
「あ、横は結城曹長だ」
「結城真弓曹長です。ここまでお越し頂き、光栄であります」
 砂漠用のゴーグルをかけた女性が俺に敬礼する。
「綾瀬、おまえ髪型変えたのか?」
 ざんばらだった綾瀬の短い毛は、パーマをかけたみたいにウェーブがかかっていた。
「時間が無い!とにかく乗れ!」
 綾瀬に促されて後部座席に乗り込む俺だった。
「任務遂行中は私語禁止だ。真田だって知ってるだろ」
「悪い、そうだった」
 車はゴーストタウンを出発。一路作戦場所へ向う。

 途中全員ジーンズにシャツのラフな服装に着替え、中立地帯を暫く行くと国境警備隊が待ち構えていた。
 偽造の商用通行許可証を兵士達に見せ、タバコ三カートンとウィスキー何本かを手渡すと、あっけなく国境の門は開く。程なく新日本帝国の小さな街につくと、街外れの小さな家の駐車場に着いた。もう日は暮れかかっている。
「急ごうぜ」
 家の中に入ると、俺は結城曹長から手渡された作戦書類を眺めていた。ターゲットを入れた寝袋をワイヤーと滑車で二件離れたビルまで運び、窓から落とす…、ほうなかなか面白いじゃないか。
「おい、ターゲットの確保とかは綾瀬が…」
 振り返った俺の目にとんでもない光景が飛び込んでくる。
 まず裸になった綾瀬が見えた。彼の下腹部には縦のあきらかに手術跡と思われる大きな傷。それはすぐに彼の履いた肌色のサポータみたいなもので覆われていく。鏡に映った綾瀬の下半身は、腰が広がり、太股が太く、そう、それは女性の下半身そのものだった。
 あっけに取られて見ている俺の目に、今度は彼が胸に何かを、いや、それは間違いなく女性の膨らんだ胸を模した…。
「今のうちに説明しておくよ」
 鏡越しに俺があっけに取られて見ている事に気が付いた綾瀬。
「俺が配属されたのは、ピクシーアロー。結城曹長もそこの人間だ。まあ、あまり聞かないだろう?」
 胸についた人工バストの位置を整えながら、綾瀬が続ける。
「特殊は九部隊有る。一から四はお前の所属した海兵。五はあの佐野曹長が狙ってるスナイパー専門部隊。六、七、八は俺にもまだわからん。そして…」
 ふと綾瀬少尉が言葉に詰まる。
「綾瀬少尉。下着ここに置いておきます」
 ピンクのブラとショーツを手にした結城少尉が、鏡横の台にそれを置く。顔をしかめてそれを見た俺の目と鏡の中の綾瀬と目が合う。
「九は一班、十六人しかいない。九十一、くのいち部隊。それが、榛名中佐率いるエンゼルソードさ。そして」
 もはや女のヒップになった綾瀬のお尻に、ピンクの派手なショーツが付けられていく。そしてレースのたっぷり付いたブラを手にしながら綾瀬が続けた。
「ピクシーアローは、エンゼルソードの下部組織であり予備軍。むろん女ばかりの部隊だ。今俺はそこにいる。だから階級はまだ曹長」
 そして妙に慣れた手付きでブラ、そして黒のストッキング、ベージュのワンピース。
 だんだん女に変わっていく綾瀬を複雑な目で見守る俺。
「んで、何に化けるんだよ」
「…」
 何も言わないのは、まさか機密だからって言わないだろな。
「…嬢」
「え?」
 とうとう綾瀬が開き直った。
「デリヘル嬢!」
「なんだそりゃ!」
 あっけに取られている俺を気にもせず、結城曹長が綾瀬の元に行く。
「綾瀬曹長、メイク行きます」
「ああ、頼む。俺まだうまく出来ないから」
 まだうまくって、お前ピクシーアローで何やってんだ?
「これ以上は機密事項。たとえお前であっても話す事は出来ない」
 綾瀬はそう言うと力なく、部屋の古ぼけたドレッサーの前に座る。
「結城…やってくれ…」
 綾瀬の顔に洗顔ペーパーがあてがわれ、化粧水、そしてBBクリームが塗られていく。
 十分もしないうちに、鏡の中の綾瀬は、ショートのウェーブ髪の普通の若い女の顔に変わっていた。
「まだこれからですよぉ。ターゲットの好みは若い女性じゃなくて、女の子ですからねー」
 そう言って明らかに楽しんでいる様子の結城曹長は、綾瀬の眉と目元をいじり始める。俺は次の作戦での綾瀬が気になって仕方がない。
「あのさ、綾瀬。デリヘルって、まさか、男と…やる…のか?」
「エッチはしないよ!」
 俺の言葉をピシッと遮断する綾瀬。
「エッチの前に、相手の気を失わせて窓から運び出すんだ」
 自分事じゃないのにほっとする俺。
「綾瀬曹長、ちょっと動かないで下さい。ツケマつけまーす」
「結城!お前楽しんでるだろ?」
「えー、そんな事ないですよー、任務ですよ任務」
 俺は結城曹長が可愛く思えてきた。
「只、相手とキスはするけどな」
 結城のその言葉に俺は、飲もうとしたコーヒーを思わず噴出す。
「だから、ルージュにしびれ薬仕込んでキスするんだよ。俺は事前に解毒剤飲むから平気だ。その後とどめの麻酔薬をペンシル型の針で相手に刺す。…俺だってさ、やりたくないよ。女とだってまだキスなんか…」 
 そうだった。綾瀬はまだ女と付き合った事ないんだ。
 付け睫毛を付けると綾瀬の顔は急に可愛くなった。元々童顔だった彼だが、チーク、ルージュを付けていくにつれ、少女の様になっていく彼をため息をつきながら見ていた。
「はーい、ウイッグいきますよー」
 綾瀬の変身ぶりがうまくいった事を喜んだ結城は、ばさっと彼にロングヘアのウイッグをかぶせ、ブラシで髪をとき、最後にカラーコンタクトを入れると…
「綾瀬…お前」
 すっかり可愛いティーンエイジ位の女の子になった綾瀬が、鏡の前で体をよじって身だしなみを確かめ始める。
「綾瀬曹長。練習した事やってみてください」
「あれか、もういいだろ」
「良くありません!曹長の演技で全て決まるんです!練習しました?」
 確かにそうだ。ばれたらそれこそ一環の終わりだ。
「したけどさー」
「やってみてください!あたしをターゲット代わりにして」
「…それじゃ…はずかしいんだけどさぁ、これ」
 すーっと深呼吸して目をつぶった綾瀬。そして次の瞬間。
「あ。あいたかったですー、フォッカーさまあ」
 綾瀬の口から、ごく普通の女声が飛び出し、彼の手は結城曹長の肩を掴んで揺さぶる。
「ブーーー!ぜんぜんだめですっ!」
 俺も思わず笑ってしまう。
「おい!あ、綾瀬!どうしたんだその声!」
「あ、あのなあ!俺ピクシーアローに入隊したその日から、一週間女声の特訓させられたんだぞ!声が出なくなるまでさ!」
 地声に戻った綾瀬が可愛くなった顔で俺につっかかる。
「ともかくどうするんですか!全然出来てないじゃないですか!」
 確かに結城曹長の言う通りだ。俺も何度か女とつきあった事あるけど、綾瀬のこの演技はちょっと…。
「相手が女だからいけないんです」
 ふと独り言を言う結城曹長。はっと俺は嫌な予感がする。
「真田少尉!綾瀬曹長の練習相手になってください」
 そら来た、予感的中だ。まあ、確かにこれは重大な問題ではあるが。
「嫌だよ俺、真田相手にそんなことさ!敵のトーチカに飛び込む方がよっぽど…」
「あと一時間しかないんですよ!」
 俺も腹くくった。確かに結城曹長の言う通りだ。
「よーし!来い!綾瀬!」
 再度深呼吸して女声で俺に突進してくる綾瀬。しかし結果は同じ。
「こら、綾瀬!肩掴むな!首に腕を絡ませろ!嬉しそうに飛び跳ねろ!笑え!ありったけの笑顔で俺の目を見つめろ!体を俺にくっつけろ!胸で俺を押せ!」
 二回目、お、よくなった、流石トップ合格者、筋がいい。だが、横で結城曹長が注文を付ける。
「綾瀬曹長、まだ固いです。小鳥の様に軽やかに、キャピキャピしてください!ロッカールームでのあたし達の様に!」
 その言葉を聞き逃さない俺。
「あ、綾瀬!お前ロッカールーム女と一緒なのか?」
「仕方ないだろ!女子用一つしかないんだから!」
 俺の言葉に思わず女声で反論する綾瀬。
「いいか!お前こともあろうにデリヘル嬢演じるんだろ?男をその気にさせるんだぞ!」
「綾瀬曹長!あなたは女の子なんですよ!頭切り替えてください!女!女!」
 俺と結城曹長が攻め立てた時、ふと一瞬綾瀬はぷっとふくれて口を尖らせた。教えた訳でもないのに彼が見せた彼の女の表情。
「おぼえとけよ…」
 綾瀬は地声でぼそっと呟き、そして目をつぶって天を仰ぐ。そして、
「フオッカーさまぁ、うわぁ、また会えてうれしぃですぅ!あたしの事覚えてますかぁ!」
 俺に飛び掛って、腕を首にからめ、つやつやした唇を半開きにして円らになった瞳で俺をみつめる彼。
「あ、とてもいいですぅ。じゃそのままベッドに押し倒して」
 手を軽く叩きながら結城曹長の嬉しそうな言葉。待て!なんだそれ!
「ねーぇ、今夜はたのしみましょっ」
 ベッド脇に押しやられ、おもわずベッドに倒れこむと、すかそず俺にとびかかってくる綾瀬。と、
「俺にこんな恥ずかしい事させやがって!かわいがってやるから覚悟しろ!」
 低いうなる様な声で呟く綾瀬。
「ま、まて!これは任務だろ、しかも練習…」
「どうせ、このままいけば俺のファーストキスは男とだろ!同じ男なら…」
 俺の体の上で体を無意識の様にくねらせる彼。ベージュの柔らかな布地ごしに感じる綾瀬の体は、地の部分は硬いが、カモフラージュされた彼の胸とヒップは、本物の女の柔肌みたいに柔らかい。
「どうせ、男とするなら、お前の方がよっぽどましさ!」
 多分無意識なんだろうが、彼は目をつぶり俺の唇に、ピンクのルージュの唇をしっかりとくっつける。
「ばか!やめろ!」
 抵抗しようとする俺の顔を両手でしっかりと持ち、更にねっとりと俺の唇を…
「綾瀬曹長!どうしたんですか!完璧ですよぉ!」
 結城曹長の声が遠くに聞こえる。
 綾瀬の化粧とルージュの匂いと、少女の様に可愛くなってしまった彼の顔。偽物ではあるが彼の大きく膨らんだ胸と柔らかく大きなヒップ。そして、彼は意地悪く俺の股間に柔らかな自分のお腹を押し付けてくる。
「あ、あの、もういいですよ」
 結城曹長の声は綾瀬には届かないらしい
(やべぇ!)
 俺の股間はとうとう綾瀬に女を感じ始めた。男性自身は硬くなり、彼の下半身の人工皮膚を刺激し始め、俺の手は知らない間に彼のワンピースの中に入っていく。
「ちょっと、綾瀬!離れろ!」
「勇気くーん、もっとしようよぉ。ひひひっ俺にこんな事させた罰…」
 その時、
「二人ともやめてくださーい!」
 結城曹長が声を張り上げ、枕を手に俺たちに殴りかかった。

 時間が来た。すっかり暗くなったターゲットのフォッカーとやらのいる街に、俺たちの乗った車が入ると、俺と一緒に後部座席に座った綾瀬は車の室内灯を点け、赤のハンドバッグからいろいろ取り出して化粧崩れを直し、真っ赤なピアスを慣れた手付きで耳につけ始める。
 短いドレスから横に流れる足と、顔を横に向けて両手でピアスを耳に付ける綾瀬の仕草は、俺をどきっとさせるのに十分だった。
「何見てんだよ」
 そんな俺に気づいた綾瀬が可愛くなった顔で怒った表情で俺に言う。
「真っ先にあけられたよ。ピアスは女性部隊にとって必需品だからね。通信機、盗聴器、小型爆弾すら仕込める。エンゼルの奴らが普段付けてるピアスなんて、3D投影機付きだぜ。あれで手元にキーボードど画面を写していろいろやりとりするらしい」
「へぇー」
 綾瀬の言葉にため息をつく俺。
「綾瀬曹長、女の仕草上手くなりましたわねぇ」
 車を運転しながらバックミラー越しにその様子を見ていた結城曹長が呆れた様に言う。
「毎日おまえら見てたら、自然と覚えるよ!」
 綾瀬が怒った様に言う。
「まあ、お二方昇格試験でワンツーと聞いてますが、まさかお二方であんな趣味が有るとは…」
「ただのお遊びだよ。それに任務中は私語禁止だ」
 なんだかんだ言いつつも、結城曹長とはすっかり打ち解けた。
「あたし今年は予選落ちだったけど、来年は絶対フェアリーの一員になるんだ」
「おめーはまだ甘いんだよ。お人好しだし、バカ正直だしさ」
 目指す街の灯りが見えた時、歌う様に言う結城曹長に、すかさずびしっと言う綾瀬。
「いいんです!三十、四十になっても受け続けるんです!だって、あの服カッコいいんだもん」
 やがて車は目指す街に乗り入れる。夕焼けも消えかかり、暗闇に街の薄明かりが映え始める。
「行こう!」
 綾瀬の声と同時に俺たちは車を降りた。
「準備は全て出来てます」
「ラジャー」
 結城曹長の言葉に答え、俺はターゲットのいる宿の向かいのビル、結城曹長は更にその向かいのビルの一室へ向う。
「綾瀬、頑張れよ、お前は、お・ん・な・なんだからな」
「わかってるわよ!」
 持ち場へ行く際、車から大きなトランクを出す綾瀬をからかう様に言う俺だった。綾瀬は大きく深呼吸して顔を振り、それを引いてターゲットのいるホテルに向った。

 ホテルの入口の前では何人かの兵士がたむろしている。多分ターゲットのフォッカーとやらの護衛だろう。
「はーい、フォッカー様にコールされたレイナでーす」
 こわばりながらも笑顔でやっと喋れた綾瀬に、リーダーらしき葉巻を加えた男が近づいてきた。男は綾瀬の姿を足元から顔をひとなめする様子で見てにっかと笑う。
「まあ、規則だからトランクの中身見せてもらおうか」
 一応見られてもいい様にいろいろ細工はしてあるらしいが、
「あらあ、コスプレ用の女物ばかりだけど、ご覧になります?」
 綾瀬のその声に一人の兵士がトランクを奪おうとしたが、葉巻の男がそれを止める。
「なあ、レイナちゃーん」
 男はそう言うと、綾瀬に近寄り、片手で綾瀬のヒップをまさぐり始める。
「なあ、あんな老人さっさと終わらせてさ、俺といいことしねえか?」
(うわっいきなりこのパターンかよ)
 綾瀬はもう逃げ出したくなるのを必至でこらえ、教えてもらった娼婦の問答集を頭の中でめくり始め、そして、半分震える手で男の股間をすっと触る。
「高いわよぉ、こちらの自信はおありなのかしら?」
 そう言った綾瀬は顔から火が出る思いだったが、彼のその言葉に葉巻の男はにっかと笑い、ろくなチェックもせず綾瀬をホテルのドアに案内した。
 ヒールの音を廊下に響かせ、綾瀬はわき目もふらずにエレベータへ駆け込み、無言でドレスに包まれた自分の体を抱きしめ、呼吸を整えた。彼にはまだこれ以上の恐怖が待っている。
 ターゲットのいる部屋の階を降りると洗面所に駆け込み、慣れない手で薬入りのルージュを引き、そして心臓をどきどきさせターゲットの部屋をノック。出てきたのは多分フォッカーの秘書らしき初老の女性だった。
 彼女は何も言わず、軽蔑する様な目で綾瀬を見て、顎で中に入れという素振りを見せる。
「どおもぉー」
 そう言って綾瀬はフォッカーとやらの待つ部屋に入る。目の前に現れたのは、ガウン姿の狡猾そうな目をした痩せた初老の男。
「フ、フォッカーさまぁ、うわぁ、また会えてうれしぃですぅ!あたしの事…」
 そう言いかけた綾瀬の手を引き、奴は部屋のドアを閉める。そして、すこし脅えた表情の綾瀬の前でガウンを脱ぎ始めた。

 隣のビルに入った俺は、綾瀬のいる向かいの一つ下の部屋に入って工作開始。
 部屋の中のカーテンレール、シーリングファン等に偽装されていたモノレールの線を窓と垂直に向け、その間にケーブルを設置。
 程なく更に向いの部屋に向いた窓まで一本のモノレールが繋がる。その先端に繋がったワイヤーを、結城曹長のいる更に隣のビルに、ロープガンで打ち込んだ。
(さあ、いつでもいいぜ)
 と部屋の照明を消した時、綾瀬のいる部屋から男女の声。良く聞いてみると、その声は夜の男と女の!
「いいわぁ、フォッカーさま」
「もっと、ねえもっと…」
 その声を聞いてぞっとする俺。
(綾瀬、お、お前、こともあろうに男とそんな事を)
 がっくりと肩を落とし、任務の為にそんな事までする様になった綾瀬を憂いていた時、突然部屋の中に何かが飛び込んできて部屋の壁に刺さる。それはワイヤーに繋がった銛(もり)みたいなもの。ふと我に返って向こうの部屋を見ると、まだあの情事の声が聞こえる中で、手を振っている綾瀬が見えた。
 すかさず俺は、銛からワイヤーに繋がったコネクタを抜き、部屋に吊るしたモノレールに繋ぐと、程なく滑車にぶら下がった大きな寝袋が部屋に飛び込んでくる。そしてその後同じ様に滑車にぶら下がって部屋に飛び込んでくる綾瀬。
「やったか?」
「あ、ああ」
「…あの声は…」
「…隣にいるこいつの秘書を部屋に入れさせない為のカモフラージュテープだ」
 口に手を当てながら喋る綾瀬を心配しつつ、俺は滑車ごとフォッカーの入っている寝袋をモノレールを伝わせてビルの外へ滑り出させた。
「グオオオッ、グオオッ」
 俺の後ろでは、ものすごい声と音をさせて綾瀬が部屋の洗面台に吐いていた。
「綾瀬、解毒剤効かなかったのか?」
「違う、そんなじゃない」
「どうしたんだ?」
「口臭ぇジジイ…思い出させるなって…グェェッ」
 コップで水を口に含み、何度も吐き出す綾瀬。余程こたえたらしい。
「おい、早く!」
 洗面台の前の綾瀬の手を引いて廊下へ行き、滑車で更に隣のビルへ滑り出すと綾瀬もそれに続く。
 向かい側のビルの一室には既に結城曹長が設置していたモノレールラインを滑り、そしてビルの外へ落ちると、ドブとカレーの匂いの立ち込める路地のすぐ下にはクッションを敷いたトラックが待っていた。傍らにはフォッカーの入っている寝袋も有る。
「行くよ!」
 運転席の結城曹長がそう言って、綾瀬が落ちるか落ちないかのタイミングでトラックを発車。途端に後ろから何人もの男の声。
 俺と綾瀬は揺れるトラックのクッションの間からマシンガンを取り出し、荷台に寝そべった。
 程なく街外れの検問所に行くと、丁度警備隊がバリケードを作る準備をしていた。
「突っ込め!何も考えるな!」
 俺は荷台と運転席の間の窓を空け、結城に指示。トラックはバリケード用に用意されていた木材を蹴散らし、中立地帯へ乗り出す。
「真田!来るぞ!」
 走るトラックの後方では、何台かの車のヘッドライトが灯り、俺たちを追いかけ始める。相手の機関銃の音に俺達も応戦。暗闇で街灯もまばらな未舗装のガタガタ道で、派手に銃撃戦が始まるが双方の銃弾はなかなか当たらない。
 綾瀬がふと荷台に転がっていた手榴弾らしき物を見つけ、相手との距離を見計らってタイマーダイヤルをセットし、手榴弾とわからない様に自分の被ってたウイッグに包んでジープに放り投げる。
 仕掛けは成功し、先頭のジープらしき車の車輪が吹っ飛ぶ。
 ひるんだ相手との車間距離は空いたが、尚も追跡をやめない相手との距離も少しずつ縮まる。トラックと軍用ジープの走行性能の差だ。それに俺と綾瀬のマシンガン攻撃にも少しもひるまない。相手もやはり軍人だ。
 やばいと思った時、俺達のではない砲撃が相手のジープの前に着弾。急ブレーキで止まる相手のジープ。とその時、
「味方です!三十五前線基地の!」
 トラックのエンジン音に負けないくらい大きな結城曹長の声。いつのまにか俺達は三十五基地の近くまで来ていた。続いてサーチライトが相手のジープを照らし、軽装甲車が俺と相手のジープの間に割り込む。ジープが旋回して来た方向へ帰って行くのが遠くに見えた。
 作戦は成功した。

「あ、来ました!」
 嬉しそうに叫ぶ結城曹長。三十五基地の小さな飛行場の滑走路脇。俺と綾瀬と結城曹長が見守る中、聞いたことの無いエンジン音がだんだん大きくなり、何やら白い機体が上空に近づいてきた。途端
『ほぉぉぉぉ…』
 聞いた事の無いジェットエンジン音と共に、その白い機体は俺達の近くに降下し始める。
「真田と話が有る。先に行っててくれ」
「イェッサー。真田少尉!ありがとうございました!」
 泥とすすと油まみれのウェーブ髪とドレスのままの綾瀬の言葉に、結城曹長は満面の笑みを浮かべて敬礼し、自分達のチームの母艦の方へリュック片手に走っていく。
 後ろからまだ眠っているらしいフォッカーの入ったカプセルを積んだトラックが彼女を追い越していった。
「まだ寝てるのか、フォッカーって奴?」
「まあ、目が覚める頃には日本だな」
「しかし、変わったタービンエンジン音だな。女性のコーラスというか、合唱というか」
「だから、セイレーンコールさ。試作エンジンが大成功してそのまま使ってるんだ」
 結城曹長の走っていく後ろ姿を見ながら、俺と綾瀬は無事着陸してエンジンの止まる綺麗な機体を見守っていた。
 ようやくセイレーンコールの下にたどり着くと、機体から下りてきた何人かと敬礼を交わした後、飛び跳ねて握手したり抱き合ったりする姿が奥の空港のライトに照らされ、シルエットの様に浮かび上がる。
 更に二人、エンゼルの士官らしきミニスカートのシルエットが同じ様に結城曹長と敬礼し、そして嬉しそうに抱き合っているのが見えた。
「一人はメインパイロットのリリー・シェルファユ少尉。どんな岩の隙間でも潜り抜けるとんでもないスゴ腕パイロット。もう一人は…ああ、浜夕日少尉だな。唯一民間から入ってきたんだ、世界中の動植物、食い物、そして毒に詳しい。結城と仲がいいんだ。奴と一緒にいればどんなジャングルや砂漠でも毎晩パーティーさ」
 独り言の様に呟いた後、ふと俺の方を見る綾瀬。
「真田、入ってみてわかったんだけど、孤高そうに見える彼女達も、任務から離れればどこにでもいる女の子だ。それに彼女達の華麗なる功績なんて一割も無い。大半は泥臭い任務ばかりだ。今回みたいな嫌なハニートラップも少なくない」
 と、突如吹いてきた風にドレスの裾を手で押さえながら綾瀬が続ける。
「どろまみれになったり、何日も狭い隙間に隠れたり。それに全員自決用の毒薬を歯に仕込んでる。戸籍は隠され、殉職しても公表される事は無い。本当昔の日本の九の一忍者だ。綺麗な制服はせめてものその代償さ」
 そう言い残して綾瀬もまたセイレーンコールの方へ歩み寄っていく。と、ふと振り返った。
「そうだ。俺の部屋の荷物を後で送るアドレスに運んでくれないか?俺、もうあの寮には帰れないんだ」
 そう言うと綾瀬はにっこり笑って、俺に女の子がする様に胸元でバイバイと手を振り、そして白い機体へ走っていく。やがて待ち受ける女の子達と敬礼をした後、彼もまた他の女の子達と抱き合ったり、飛び跳ねたり。
 長年共に助け合い生きてきた綾瀬があのチームに取られ、そしてだんだん女の子みたいに。
「くそぉ、綾瀬を返せ!」
 綾瀬を乗せ、風変わりなエンジン音を立てて浮かび上がっていく白い機体に向って俺は悪態をつく。

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